加瀬英明のコラム
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  正気を失いつつある日本外交
    Date : 2020/03/09 (Mon)
 1月に日米両政府が東京において、現行の日米安保条約の60周年を盛大に祝った。

 60年前にワシントンにおいて、安倍首相の祖父・岸信介首相と、アイゼンハワー大統領が改定された日米安保条約に調印した。

 60周年を祝う式典には、安倍首相、麻生副総理、外相、防衛相、米国側はアイゼンハワー大統領の孫娘、新任大使が着任していないので代理大使、在日米軍司令官などが出席した。

 式典の一部をテレビで観て、私は感慨深かった。私は1980年に現行の安保条約が20周年を迎えた時に、2年前に防衛庁が設立した、日本初の民間の安全保障研究所の理事長だったが、米国の有力シンクタンクのヘリテージ財団と共催して、20周年を記念する会議を行った。

 米国からフォード前大統領を団長として、多くの上下院議員、戦略研究所の幹部が来京した。岸元首相とフォード前大統領が基調講演を行った。鈴木善行首相が来臨として挨拶したが、あくまでも民間の会議だった。

 私は日本の安全保障にとって台湾が重要であることから、台湾総統府の国家安全会議の議長一行をオブザーバーとして招いた。政府も反対しなかった。今日なら中国を恐れて、台湾から高官を招くことはありえない。

 この4年前に福田赳夫内閣が発足したが、私は翌年に首相特別顧問という肩書をもらって、対米外交の第一線に立った。

 その2年後に、三原朝雄防衛庁長官から日本初の民間の安全保障研究所をつくるように求められた。この時、設立趣意書に米国が一方的に日本を守る保護条約を、対等な共同防衛条約に改めたいと述べて、福田総理、三原長官にはかったが、反対されなかった。今日でも、日本より力がない韓国、フィリピンも、米韓、米比共同防衛条約を結んでいる。

 新聞各紙が日本安全保障センターの発足を報じたが、サンケイ(現・産経)新聞が「きなくさい日本安全保障センター」と見出しを組んだほかに、朝日新聞も非難しなかった。 日本はまだ多分に正気を保っていた。

 1992年に、宮沢喜一内閣が翌年に天皇御訪中を目論んでいたが、天皇御訪中について有識者14人を選んで、首相官邸に招いて、個別に30分ずつ意見を聴取した。私はその1人として招かれたが、3人が反対意見を述べ、多数が賛成するという出来レースだった。私は有識者が招かれるのでなく、政府が招くから有識者になると揶揄(やゆ)した。

 各紙が報じたが、読売新聞は木村尚三郎東大名誉教授、私、平山郁夫画伯、作曲家の黛敏郎氏、清水幹夫毎日新聞論説委員長の順で顔写真を並べて、取り上げた。黛氏、私、3人が反対し、木村、平山氏など10人が賛成した。毎日新聞の清水論説委員長は、「意見がない」と述べた。意見がないのに、なぜ招きに応じたのか、分からない。

 私は「天皇陛下が外国に行幸されるのは、国民の祝福をお伝え下さるためだ。中国は人権を蹂躙しており、陛下が行幸されるのに価しない」と述べて、反対した。

 中国は3年前に天安門広場で大虐殺を行って、先進諸国から経済制裁を蒙っていたために、天皇御訪中によって国際イメージを改善することを狙っていた。御訪中後、諸国は対中制裁を撤回した。

 政府は4月に、習近平主席を国賓として招くことを決定している。私は18年前と同じ理由で、強く反対している。

 中国は新疆ウィグル自治区で100万人以上のウィグル人を強制収容所に送り込んで、チベット、内モンゴルで民族浄化を強行している。香港でも人権を蹂躙している。そのために国際的に孤立している。

 習主席が国賓として来日すれば、答礼として天皇陛下が御訪中になられることとなる。

 天皇陛下を人身御供として差し出して、よいのものだろうか。


  欠陥だらけの憲法を大事に戴いていいのか
    Date : 2020/03/03 (Tue)
 読者諸賢に質問したい。

 仮に、天皇陛下が国会の開院式に臨まれて、「日本国憲法の規定に従って、国会を解散する」と仰言せられたとしたら、読者諸賢はどう思われることだろうか?

 もちろん、陛下がこのようなお言葉を述べられることは、ありえない。

 憲法第7条【天皇の国事行為】は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と述べ、「一、憲法改正、法律、法令及び条約を公布すること」から、「十、儀式を行ふこと」まで10項を規定している。

 天皇陛下がご自分の意志によって、政治に関与されることはあってはならない。

  読者諸賢は国会を解散できないし、衆議院は解散できるが、参議院を解散することができないことを、承知されていよう。

 ところが、憲法第7条は「四、国会議員の総選挙の施行を公示すること」と、規定している。

 中学生でも、「総選挙」が衆議院議員選挙についてのみ、行われることを知っていよう。

 したがって憲法第7条4項は、大きく間違っている。

 恥しいことに、現行の日本国憲法は欠陥だらけだ。第7条はその一例にしかすぎない。

 いうまでもなく、憲法は国の最高法規である。その憲法に明白な間違いがあるのを放置して、よいのだろうか。

 私たちはこのようなトンチンカンな憲法を73年にもわたって、後生大事に戴いてきた。

 トンチンカンは漢字で「頓珍漢」と書くが、鍛冶屋が交互に相槌(あいづち)を打つべきところ、へまで、かみあわないことから、とんまな物ごとをいう。

 まさか、憲法についてトンチンカンといえないはずだが、現行憲法はトンマだ。

 だが、どうして日本国民は今日にいたるまでこれらの明らかな誤りを正すことなく、70年以上にわたって、無為に過ごしてきたのだろうか?なぜ、憲法を大切にしないのか。

 もし、日本国憲法が日本人の手によって起草され、公布されたのだったとしたら、憲法の前文、第9条などは、当然のことに、改められていたことだろう。

 このような憲法を戴いていては、日本の安全と独立を守ることが、とうていできない。  

 それなのに、全国から欠陥憲法を改正しようという声が、ごうごうと起ることがない。

 “護憲派”の人々は、憲法を大切にしているどころか、憲法を粗末にしているから、憲法に見過ごしてはならない欠陥があっても、護ろうと叫んでいるのだ。憲法はどうでもよいというから、無責任だ。

 現行の日本国憲法は、日本の歴史的な伝統はおろか、日本語の読み書きもできない、占領軍のメンバーによって書かれ、日本政府に強要されたものだった。きっと外(と)つ国(くに)の神々によって降(くだ)されたものだから、国民が身近に感じることがなかったのだろう。

 政府は中東情勢が緊迫したために、海上自衛隊の護衛艦1隻と、哨戒機を急遽派遣した。

 野党が憲法が制約しているからといって、「自衛隊を危険なところに送るな」と、反対した。

 それならば、まず日本の民間のタンカーを危険な中東に送ってはならないといって、反対するべきではないか。


  年を超えた忘年の友 直さん(園田外相)
    Date : 2020/02/27 (Thu)
 福田赳夫内閣が昭和51(1976)年に発足した翌年に、私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、第1回福田・カーター首脳会談の詰めをはじめ、対米交渉の第一線に立った。

 その後、福田、鈴木善行内閣で、園田直外相の顧問、中曾根内閣で首相特別顧問として、レーガン政権を相手に折衝した。

 大平正芳外相と、園田外相の2人が、私の記憶にもっとも深く刻まれている。

 昭和47(1972)年に、田中角栄内閣のもとで、日中国交正常化が行われた。私は33歳で、月刊『文藝春秋』などに寄稿していたが、日中国交正常化に強く反対した。

 私は毛沢東政権が歴代の中華帝国と、変わらないとみていた。当時、中国は中ソ戦争に脅えて、日本を必要としていた。日中貿易は世界で最大だった。私は米国が中国と国交を樹立してから、後追いすべきだと主張した。

 だが、朝日新聞をはじめとする大手新聞が「日中友好」を煽る狂態を演じて、世論を一色に染めあげていた。

 私は大平外相に会って、オフレコで「いま政府が相手にしているのは、空想上の中国であって、現実の中国ではないでしよう」と貭したところ、毒虫を噛み潰したような表情を浮べて、「そうです」と答えた。

 中国に一方的に有利な形で、日中国交正常化が行われた。台湾を切り捨てたが、台湾と領事関係を保てたはずだった。いまも歪(いびつ)な日中関係をつくった、戦後外交の大失敗だった。

 私が園田氏を知ったのは、中学生の時だった。鎌倉の家の近くに改進党の実力者の大麻唯男氏が住んでいたが、子がなかったことから、よく菓子など御馳走になった。

 園田氏は改進党の青年将校で、大麻邸で待つあいだに、私と将棋をするようになった。その時から、「直(ちょく)さん」と呼ぶようになった。

 私がニューヨークに留学していた時に、園田外務政務次官がやって来て、「マッカーサーに会いたい」といった。元帥はマンハッタンに住んでいた。親しいニューヨーク・タイムズ紙記者に頼んだところ、簡単に約束がとれた。私が通訳をした。この時のことを、後に『文藝春秋』誌に随筆を書いたが、「これほど面白い随筆はない」と絶賛された。

 カーター政権が77年1月に発足して、3月に日米首脳会談が予定された。直さんから「目玉がないが、知恵がないか」と求められたので、「カーター大統領に、日本が国連安保理事会の常任理事国となるのを支持すると、いわせることができる」と、メモを届けた。

 当時、日本はすでに経済大国になっていたが、新聞は1人当たり国民所得が「ベネズエラ以下」と書きたてていた。私は日本国民に、自信をもたせたかった。

 私はカーター政権の国家安全保障会議(NSC)担当特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授や、カーター大統領の師のハンフリー元副大統領と親しかった。

 前年、カーター氏が大統領当選者となった時に、郷里のジョージア州の村にあった政権準備事務室を訪れて、カーター一家、政権発足後に官房長となったジョーダン氏などの側近と親しくなった。

 福田総理からワシントンに使いしてほしいといわれた。「外務省顧問」という肩書を貰うことになった。外務省の山崎北米局長と会ったが、「そんなことはできるはずがない」と、木で鼻をくくったような対応だった。

 前もって、ブレジンスキ補佐官、上院議員になっていたハンフリー元副大統領などに電話をして了解をとっていたので、総理一行が出発する前日にワシントンに入った。

 出発する前夜に、直さんから電話があった。「ところで肩書だが、外務省がごねるから、首相特別顧問で頼みましゅ」(天草出身だったから、サ行がそうなった)というので、「出世しました」と礼をいった。

 共同声明に、私の“目玉”がうたわれた。

 その後、米国から要人が来ると接待したが、官房長官室で機密費を貰った。部屋に小さな金庫があって、直さんが屈んであけると、段ごとに5、10、20万円が白い封筒に入っていて、ポケットから手帳を取り出して、名前と金額を書き入れた。いつも10万円貰った。

 ある時、私に20万円の封筒を寄こして、「間違えた」といって手を伸ばした。私が「男は受け取ったものは返しません」と拒むと、「あげましゅ」といって、顔を綻ばせた。

 園田外相の訪米に随行したが、ある夜、ホテルの大臣の部屋で、大臣、NHK出身の渡部亮次郎、後に国連大使となった佐藤行雄両秘書官と水割をのんでいた時に、私が直さんに「アメリカでハト派の発言はやめたほうがよい」と注意したところ、人前だったからか、眼を剝いて「戦場で塹壕のなかを転げまわったことがない者に、平和を語る資格がない」と、珍しく私に怒った。咄嗟に「火事を出したことがない者に、消防を語る資格がないんですか」と切り返したら、「いまの発言を取り消しましゅ」と、謝った。

 直さんは中国戦線で見習士官として、砲火を潜った。終戦寸前に少佐で、空挺隊長としてサイパン島に突入することになっていた。

 直さんは座談が当意即妙で、お洒落だった。

 深紅の上着の裏地に歌麿の春画が、あしらわれていた。ヘーグ国務長官の宴席で上着を脱いで披露したので、夫人たちがいっせいに目を背けた。苦労人で、男らしく、実直、天真爛漫だったから、外国人を魅了した。

 私と23歳の差があった。直さんに童心があったから、弟のようだった。『和漢朗詠集』に「年を超えた忘年の友」という漢籍があるが、そうだったのだろう。

 いまの国会議員は、テレビの体温がないキャスターのように淀みなく話すが、酸いも甘いも分からない味盲だから、座談に味わいがない。政治がつまらなくなった。平沢勝栄議員が、数少ない例外だろう。


  反省が知の源泉である
    Date : 2020/02/14 (Fri)
 12月に、83歳の誕生日を迎えた。もうすぐ令和の御代の2年目が明けると、干支で子というと、鼠の歳を迎えるから年男になる。

 「光陰矢の如し」というが、「光」が太陽で、「陰」が月を意味している。天照大御神が光を司られ、その弟神の月読尊(つきよみのみこと)が夜の食国(おすくに)を支配されているから、この83年せわしく交替されたことになる。

 例年のように、2つの神社のために絵馬を描いて、宅急便でお納めしたが、鼠だったから自画像のようなものだ。クロネコヤマトの商標がネコだから、ネコに咥えられて、道中さぞ恐ろしかっただろうと思って、深く反省した。

 中世の西洋哲学の大宗のデカルトが、『省察録』か『哲学原理』のどっちかのなかで、「反省が知の源泉である」と説いているが、私もまだ認知症を患っていないのだと気づいて、安堵した。

 失敗が人を成長させる。動物も植物も成長ホルモンによって、育つ。植物であれば成長ホルモンによって、種の休眠が中断され、芽をふき催花を促し、実を結ぶ。私は失敗するたびに励まされる。

 ミケランジェロは中世の絵画、彫刻、建築の天才として崇められているが、遺稿のなかで、鼠を時間の象徴として「ネズミはたえまなく噛り続け、時間を食い尽くす」と述べている。

 時間は味と共通している。振り返ってみると、時間にはさまざまな味がある。

 恋を成就した甘い時間から、振られた苦い時間まである。味には塩から、酸、甘、苦まで、基本的な4つの味質があって、混合融合していろいろな異なった味になるそうだが、その日その日の食生活と似ている。

 だから、人生はリズムがあって飽きることがないのだろう。同じことが重なったら、退屈して厭きてしまう。

 もちろん、あらゆることに例外がある。

 中島兄哥(あにい)と姐さんの仲むつまじい鴛鴦(おしどり)夫婦は、濃厚なシロップのようだ。お会いするたびに血糖値があがる。毎日、無量の幸せを紡いでいられるにちがいない。 

 結婚生活は来る日も、行く日も同じことが繰り返されるのに、兄哥(あにい)と姐さん夫婦はきっと初恋から、片時も醒めたことがないにちがいない。

 気っ風のよい兄哥と粋な姐さんは、夫婦の鑑(かがみ)だ。男坂と女坂が交わって、山の頂きを目指す幸せの一本道となる。

 私は洋装の姐さんにしか、会ったことがない。それなのに、粋だ。

 一口で、日本女性の美しさをいえば、粋だ。

 容姿が美しいだけでは、不粋(ぶすい)だ。粋は控え目であるのに、表に現われない心意気、気合がこもっていて、一瞬、男をたじろがせる。

 もちろん、粋は知的な女性だけにみられる。このような女性は年齢にかかわりなく、眩(まぶ)しいほど美しい。

 粋はいうまでもなく、異性なしに成り立たない。巧みに媚態を秘めながら、暗示しながら、男心をくすぐる。

 ほのあかりの美であるのに、目が眩(くら)むほど美しい。いまのほとんどの女性が不粋(ぶす)いであるのに、日常生活のなかで、気というリズムを感じさせる。

 それにしてもこのところ、どうして女性の容貌だけを指して、「ブス」というようになったのだろうか。江戸時代から大正頃までは、「不粋(ぶす)」いというと、身のこなしかたが醜悪なことをいった。

 私は兄哥を手本として、古今和歌集の仮名序の「遠き所も出で立つ足下(あしもと)より始まりて」の句を励みにしているが、凡百匹夫だから、目指している仙境に辿り着くことが、とうていできない。

 私は兄哥夫婦のような天上の契りを、いくら努力しても真似ることができないが、夫婦仲がよいことでは、人後に落ちない。

 おそらく大正時代の造語なのだろうが、私は典型的な「サイノロ」だ。漢字で書けば、「妻鈍(さいのろ)」になる。「鈍(のろ)い」は女に甘い、女にだらしがないことを意味している。

 『東海道中膝栗毛』のなかで、弥次郎兵衛が、遊女の枕(まくら)金(かね)を値切ると、十返舎一九は遊女が「かけ値は申しゃせぬと、弥次郎をじろりと見る、たちまち鈍(のろ)くなりて‥‥」と、描いている。

 「妻鈍」は英語の「サイコロジー」をもじって、「サイノロジー」という和製語をつくったものだ。この四十年ほどの「ノミニュケーション」のようなものだろう。

 私は「東海道中膝栗毛」よりも、江戸時代に『浮世道中膝栗毛』と呼ばれていた書名のほうが、ふさわしいと思う。栗毛の貸し馬に乗るカネがないので、膝で代用して歩いて旅するという題名は、負け惜しみのユーモアがある。

 妻や、恋人のことを、得意になって話すのを、鈍けるというが、惚気(のろけ)るとも書く。

 私が夫婦仲がよいというのは、けつしてのろけではない。

 夫婦関係は異文化交流だ。異文化交流は、難しい。

 もう半世紀も妻帯してきたから、同じ時間を結婚について現地調査――フィールドワークに費やしてきた、というよりも、打ち込んできた。

 私の研究成果を披露すると、女性のほうが男性よりもはるかに強いから、女性と争ってはならない。

 女性と言い争ったら、科学的にいって男に勝ち目がまったくない。

 女性の声の高さが200から300ヘルツであるのに対して、男性は百から150ヘルツしかない。100ヘルツは声帯が1秒間に、100回震動しているのをいう。

 男性はこれだけとっても、女性に抗うことができない、女性たちは強力な武器を与えられて、生まれている。だから抗わないようがよい。

 女性は男性より、エネルギーに溢れている。

 そのために、際限なく喋り続けることができるが、男性のほうはすぐに息切れして、萎縮してしまう。だから、いたずらに血気にはやって、妻に立ち向うのは、匹夫の勇でしかない。道理に暗い小者が、匹夫と呼ばれる。

 中国の聖賢が「君子危キニ近カヨラズ」と、戒めているではないか。

 男は弱いから、女性に甘える。女性は強いから耐える。それに男性は合理的だから、女性に負ける。

 女性はその証拠に、占いを信じるが、占いの語源は「うらづけがない」というものだ。

 明治の日本を創った碩学(せきがく)の福沢諭吉先生が、「無力な道理は、有力な無道理に勝てず」と諭しておられる。

 私は永世平和を求めて、勝算のない戦いを避けてきたから、夫婦円満、家内安全の日々を送っている。

 私はめおとを夫婦と書いてきたが、「夫婦茶碗」の「夫婦」を、どうして「めおと」と読めるだろうか。もともと日本語では、女男(めおと)といって、古来から女性を男性の上位に置いてきた。

 夫婦は赤い糸によって結ばれるというが、夫は気がついてみると、蜘蛛(くも)の網に搦(から)め捕られている。蜘蛛の糸なのだ。

 鼠だから、毎日、忙しい。論語が「小人閑居シテ不善ヲナス」と戒めているが、何か噛っていないと落着かない。

 昨年は、3冊の本をだした。今年は1月に1冊、2月に2冊が出版される。

 川崎の稲毛神社に奉納した絵馬には、墨で鼠を描いて、「子日 ネのたまわく ネズミどしのオトコはみな男前だ」と、書き添えた。


  倫理、道徳を欠き 暴走する経済学
    Date : 2020/02/07 (Fri)
 元日の新聞を手に取ったら、1面トップの見出しが「日本は五輪で再生する」(産経)だった。私はいったいオリンピック大会によって、これまで再生した国があっただろうかと、訝(いぶか)った。

 2012年のロンドン大会、16年のリオ大会、14年のソチ冬季大会、18年の平昌冬季大会、イギリス、ブラジル、ロシア、韓国が甦っただろうか?

 この元日の新聞記事によれば、2020年東京オリンピック大会は日本国民に「自信と誇りを取り戻させる再生の物語」となるそうだ。それよりも憲法を改正しなければ、自信と誇りを取り戻すことができないのではないだろうか?

 水を掛けたくないが、今夏の東京オリンピック大会は、新聞やテレビが煽ることによって、国民を一時的に昂奮させるのに留まろう。

 先の産経新聞の記事は、「この30年余りの日本人は失い続ける時代を生きてきた」「1989(平成元)年に、世界の企業上位50社のうち32社が日本企業だったのに」、いまでは1社しかないと嘆き、「世界的に見れば豊かなはずの日本だが、名状し難い閉塞感が社会を覆っている」と、述べている。

 私は産経新聞を購読しているが、私には希望と閉塞感を同時に煽る能力がないから、一瞬、眩暈(めまい)に襲われた。

 新聞やテレビは、悪いことばかり報じて、よいニュースは無視する。私は1970年に33歳だったが、日本には家に水道がなく、共同水道を用いていた極貧層が存在していた。

 いまでは日本語から、「貧乏人」という言葉が消えた。幼児死亡率が急落し、寿命が大きく伸びた。

 今日の日本社会はあのころと較べたら、想像できないほど豊かになっている。だが、あのころは向上心があって社会が明るかったから、閉塞感がなかった。

 いま小学生まで持っているスマホは手の平にのるほど小さいのに、電話、時計、計算機、カメラ、動画撮影、ラジオ・テレビ、ナビ(方向案内)、CDプレイヤー、辞書まで兼ねている。1970年代だったら10畳間ほど大きなコンピューターを、必要とした。

 私たちは身のまわりから医療の進歩まで、大きな恩恵を蒙っている。LED1つとっても、消費電力が4分の1ですんでいる。それなのに、閉塞感にとらわれている。

 多くの人々が、気象変動から環境汚染、資源の枯渇などによって、世界が終末するといって怯えている。もっとも世界の終末観は、仏教、ユダヤ・キリスト・イスラム教など、古代から説かれてきたことだ。

 1970年に、「ローマ・クラブ」が『成長の限界』というレポートを発表して、このまま経済成長を続ければ、人類が環境汚染と資源枯渇によって滅びるから、ゼロ経済成長を行うべきと勧告して、世界を風靡したことがあった。日本の代表的な経済学者の大来多三武郎氏も、お先き棒を担いだ。

 私はもし経済成長を停めたら、汚染を浄化ができないし、資源が枯渇することはない、「ローマ・クラブ」の高名な学者たちは「石が枯渇したために、石器時代が終わった」と、きっと信じているはずだと反論した。

 人々は豊かになったために、忍耐できなくなった。このあいだまでは人生が「苦の連続」だと信じていたのに、いまでは人生が「楽の連続」でなければならないと思っている。

 経済学をとれば、かつて『国富論』で有名なアダム・スミスは、グラスゴー大学の倫理学の教授だった。日本では石田梅岩、二宮尊徳、渋沢栄一をとっても、経済学は倫理、道徳学だった。

 いまでは、経済学は慾望を満たす学問となっている。倫理、道徳という歯止めがなくなって、人々の心を貧しくしている。そのために家庭から社会まで、共同体という意識が希薄となってしまった。


  国守る覚悟 「憲法改正」で示せ
    Date : 2020/02/07 (Fri)
 12月に、私はいくつかの集会で、次のように挨拶した。
 「いま、日本はこの国が誕生してから、もっとも深刻な危機に見舞われています。

 元寇はもちろん、幕末に西洋の帝国主義勢力によって独立が脅かされた時よりも、はるかに切実な危機に直面しています」

 幕末の危機といえば、ペリー艦隊の来寇によって泰平の夢を破られてから、すでにアジア諸民族を支配していた西洋列強の脅威に対して、誰の助けも借りずに立ち向かわねばならなかった。

 だが、幕末の日本は屈しなかった。国難を乗り切ったのは、日本国民が高い誇りをいだいていたからだった。

 どうして日本だけが、圧倒的な力を持っていた西洋の植民地勢力に呑み込まれることなく、明治元年から40年あまりで、西洋列強の仲間入りをたちまちうちに、果すことができたのだろうか?

 国民が国の行方をひたすら想っていたからだった。そして西洋諸国と並ぶことによって、暗黒にあったアジア・アフリカ諸民族の光となったのだった。

 日本は大東亜戦争を戦うことによって、数世紀にわたって有色人種を奴隷のように支配していた西洋の帝国主義勢力から、アジア・アフリカ諸民族を解放して、人類史ではじめて人種平等の理想の世界を、創りだした。先人の偉業を、大いに誇りたい。

 日本こそ世界史でもっとも誇るべき歴史を、織りなしてきた国だ。

 日本国民は令和元年に絵巻物のような「即位の礼」と、太古の昔から伝わる大嘗祭を目(ま)の当たりにして、日本が世界最古の皇室を戴いている国だと、覚ったにちがいない。

 それにもかかわらず、今日の日本国民の多くが、日本の歴史と文化に誇りをいだくことなく、根を失った国になってしまっている。

 根を失ったために、未曽有の危機に見舞われている。

 だから、私は今日の日本が幕末や、先の大戦末における敗戦よりも、はるかに大きな危機に瀕していると警告している。

 敵は日本の外にはない。外の敵よりも、内の敵を恐れなければならない。なかから、日本を蝕んでいる。

 日本国民の多くが、現行の日本国憲法のおかげで、日本が世界に誇るべき“平和国家”だと、いまだに信じている。

 先の臨時国会では、議員諸君にとって日本が直面する最大の問題が、「中国、北朝鮮の切実な脅威」でも、牙を剥く中国と並ぶ「少子化の危機」でも、「アメリカがいつまで日本を守るか」ということでもなく、首相主催の「桜を見る会」だった。

 洪水避難命令が発せられたというのをよそに、子供のパーティの縺(もつ)れごとで、大人たちが口論に耽っているようなものだ。これこそ平和国家であるというのなら、国民全員が認知症にかかっている。

 朝鮮半島は日本の隣にある巨大な時限爆弾だ。北朝鮮は米中核交渉によって、トランプ大統領を、金正恩委員長の飼い猫のようにじゃらしてきたが、この間に、核弾頭、ミサイルともに性能が大きく向上した。

 私はトランプ大統領と金委員長による米朝核交渉が始まった時から、「北朝鮮が核兵器を手離すことはあり得ない」と、書いてきた。

 北朝鮮はアメリカが経済制裁を緩和しない限り、トランプ大統領との首脳会談はもちろん、米朝交渉に応じないと恫喝している。アメリカを揺さぶるために、日本の頭上を再び越してミサイルを撃つことがあろう。

 トランプ大統領も12月3日に、「金委員長は親友だが、アメリカが軍事力を行使することもありうる」と、脅している。

 トランプ大統領はさらに12月8日に、「金正恩委員長が非核化するという約束を破った場合には、全てを失うことになろう」と、ツイッターに書いて威嚇している。北朝鮮を廃墟にするといっているのだ。朝鮮半島に火の手があがりうる。

 韓国では、「親北派」の文在寅(ムンジェイン)政権が暴走している。もし万一、南北が一緒になれば、8000万人の核武装国家が出現する。日本の平和憲法に、敬意を払ってくれるだろうか?

 中東が混乱を、いっそう深めている。日本のエネルギーの80%以上を供給しているアラビア半島の安定が、いつまで続くものだろうか?

 そのかたわら、ヨーロッパ諸国は「ロシア軍に襲われるのではないか」と怯えている。

 アメリカ、カナダとヨーロッパ諸国が、ロシアの脅威に対して結成してきた軍事同盟のNATO(北大西洋条約機構)諸国はポーランドと、バルト海に面するラトビア、エストニア、リトアニアに混成部隊を派遣している。

 アラビア半島か、ヨーロッパが危機に陥った場合、米国は東アジアに置いている兵力を転用することとなる。日本は米軍という甲羅(こうら)を失ってしまう。

 芥川龍之介の小説『蜘蛛(くも)の糸』のように、日本をはじめとする多くの諸国が、アメリカの軍事力というクモの糸を命綱として、ぶら下がっている。下は地獄だ。

 来年11月に、アメリカで大統領選挙が行われる。アメリカの景気が着実に上向いており、議会における弾劾騒ぎは、民主党による嫌がらせにすぎない。私はトランプ大統領がこのままゆけば、再選されると信じている。

 だが、万一、トランプ大統領が敗れて、国防より福祉を優先する政権に替わるかもしれない。

 大統領選挙では、ニューヨーク州、フロリダ州が最大の選挙人数を擁している。ニューヨーク、カリフォルニア州はリベラルの民主党の牙城だが、フロリダ州がどうなるか、アメリカも民主国家だから、日本の“小池百合子現象”のようなことが、起りうる。

 現行の日本国憲法は、中国、北朝鮮、韓国を喜ばせるだけのものだ。護憲派は、中国、北朝鮮、韓国を手助けしている。

 根といえば、植物の地下器官であって、地中にある滋養分を吸収することによって、茎や、葉の生命を支えている。

 国家にとって、根とは何だろうか? 地中に隠された根と同じように、目で見ることができないが、歴史と伝統文化によって培われた、国民精神が根に当たる。

 国家が独立を保ち、国民の平和と安全を守るためには、前人に感謝し、先人の偉業を誇ることが必要だ。それでなければ、根腐れした老木のように、立ち枯れてしまう。

 国家は地中に逞しい根を、しっかりと張っていなければならない。

 何ごとも心のなかで願うことから、始まる。

 願いは祈りだ。今日、私たちが生きる日本は、先人たちが遺してくれた贈り物である。先人たちの精神を受け継いで、日本の独立を護り抜かねばならない。

 願いも、祈りも、先人への感謝の気持ちから発しなければ、虚ろなものでしかない。

 だが、現行の日本国憲法の前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」と、うたっている。日本だけに、先の戦争を招いた責任を負わせることによって、日本が犯罪国家であると決めつけている。

 現行憲法はアメリカが占領下で、「この憲法案を呑まなければ、天皇の一身の安全を保障しない」といって、強要したものだ。

 憲法の前文は、アメリカが戦争に敗れた日本に押しつけた、日本に「悪う御座いました」といわせている詫び状だ。

 日本が先の対米戦争を、アメリカの不当な圧迫を蒙って戦ったのには、十分な理由があった。

 平和を愛されておられた昭和天皇が、開戦の詔勅のなかで、「自存自衛ノ為蹶然(けつぜん)起ッテ」と宣明されている。

 詳しくは、拙著『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』(ベスト新著、KKベストセラーズ)を、お読みいただきたい。

 憲法の前文は、先人を辱(はずかし)めるものだ。このような憲法を、今日まで戴いてきた私たちは、罰当りだといわねばならない。

 11月3日が巡ってくるたびに、いまだにこの日は「文化の日」と、呼ばれている。明治天皇の御誕生日を記念する「明治節」だったのを、占領下で日本から誇りを奪うために、「文化の日」に改めさせられた。

 4月29日の昭和天皇の御誕生日は、意味が不明な「みどりの日」と呼ばれていたが、「昭和の日」に正されたのに、「文化の日」はそのままだ。

 良識ある国民によって、「文化の日」を「明治の日」に改める運動が行われている。

 ところが、朝日新聞がこの運動をもたらした「八紘一宇」の軍国主義時代を呼び戻すことを企んでいるから、「文化の日」のままにすべきだと述べて、反対している。

 私は天皇御即位を、皇居前広場において祝った『国民式典』の組織委員をつとめたが、両陛下が二重橋に出御された時に、期せずして万歳三唱の声が皇居の杜に轟(とどろ)いた。

 すると、翌日の朝日新聞が「戦前を思い出させた」と、非難した。

 日本が明治に入って、国家政策として富国強兵を行ったのは、正しかった。

 清、ロシア帝国が、日本を呑み込もうとするのに対して、国民が一致団結して、日清、日露戦争に勝つことがなかったら、清国か、ロシアに隷属することを強いられて、今日の日本がなかった。明治はいうまでもなく、輝かしい時代だった。

 「八紘一宇」は、初代神武天皇が詔(みことの)りによって、人種平等を説いた誇るべき言葉だ。

 憲法を改正しないかぎり、日本という大樹が根腐れして、立ち枯れてしまおう。


  日本の隣国は「平和を愛する」国ではない
    Date : 2020/02/05 (Wed)
 日本国民の多くが現行憲法のおかげで、日本が世界に誇るべき“平和国家”だと信じている。

 先の国会では、議員諸君にとって日本が直面する最大の問題が、日本を取り巻く状況がいっそう緊迫しているのにもかかわらず、「桜を見る会」だった。

 洪水避難命令が発せられたというのをよそに、子供のパーティの縺(もつ)れごとで、大人たちが口論に耽っているようなものだ。

 これこそ、平和国家であるというのなら、国民全員が認知症にかかっている。

 日本国内に、「平和憲法」である現行憲法を、ノーベル平和賞に推選する運動がある。この運動を支えている善男善女は、日本国憲法が人類の手本になると信じていよう。

 それほど素晴しいものなら、世界に200あまりも独立国があるのに、どうして日本国憲法を模倣する国が一つもないのだろうか? もし世界に誇るべき憲法であるのなら、他国がこぞって採用するはずだが、なぜか見向きもされない。

 頭を冷やしてほしい。現行憲法が人間の常識から、大きく逸脱しているからだ。

 憲法の前文が、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」すると定めているが、子供の夢にしかすぎない。「ノーベル賞運動」に加わっている善男善女は、国運を“平和の殿堂”として崇めていようが、国連憲章は加盟国が侵略者に対して結束して、武力を用いて排除することを定めている。

 いったい、日本のすぐ隣にある中国と北朝鮮が「平和を愛する」国であって、日本の「安全と生存」を委ねてよいだろうか?

 中国は、習近平国家主席が「5000年の偉大な中華文明の復興」「戦争に備えよ」と叫んで軍拡に熱中し、核ミサイルの照準を日本に合わせている。中国の数十隻の武装公船が尖閣諸島を、毎日、包囲している。

 中国は犯罪国家だ。新疆ウィグル自治区で、100万人以上を強制収容所に送り込み、香港との1国2制度の約束を踏み躙って、抗議に立ち上がった青年男女、老壮市民に弾圧を加えて、国際的な非難を浴びている。

 中国は日本を抑えつけ、あわよくば日本を支配下に取り込もうと望んでいる。北朝鮮はすでに核保有国となっており、核兵器、ミサイルの性能をさらに向上させている。

 日本の3つの隣国である、中国、北朝鮮、韓国は日本を憎んでいる。日本を敵視して、国内で徹底した反日教育を行っている。

 中東が混乱を深めている。日本のエネルギーの80%以上を供給しているアラビア半島の安定が、いつまで続くだろうか?

 そのかたわら、ヨーロッパ諸国は、ロシア軍に襲われるのではないか、怯えている。

 もし、アラビア半島か、ヨーロッパが危機に陥ったら、米国は東アジアに置いている兵力を転用することとなる。日本は米軍という甲羅を失ってしまう。

 芥川龍之介の小説『蜘蛛(くも)の糸』のように、日本をはじめとする多くの諸国が、アメリカの軍事力というクモの糸を命綱として、ぶら下がっている。下は地獄だ。

 11月に米国で大統領選挙が行われるが、トランプ大統領が万一敗れて、国防より福祉を優先する政権に替わるかもしれない。

 現行憲法は、中国、北朝鮮、韓国を喜ばせるだけのものだ。


  ほのあかりの美 粋が日本女性の美
    Date : 2020/01/15 (Wed)
 私は昭和11年生まれだが、明治生まれの2人の女性をよく知っていた。

 父方の祖母のか津と、母方の祖母の鶴だ。2人はそれぞれ9人と、8人の子を産んで育てた。2人とも小柄で気丈だった。

 先の戦時中、私は外務省の少壮幹部だった父を東京に残して、母と長野県に疎開したが、空襲下で、か津が父の面倒をみた。

 戦争が敗戦に終わって、9月2日に東京湾に浮ぶ敵戦艦ミズーリ号艦上で、降伏調印式が行われた。父は全権団の随員として、甲板を踏んだ。敵将マッカーサーが傲然と立つ前で、重光葵全権が万涙を呑んで調印するわきに立っているのが、42歳だった父だ。

 父はその前の晩に、か津に降伏調印に随行することを告げた。か津は父を正座させると、「私はあなたを恥しい降伏の使節として、育てたつもりはありません。行かないで下さい」と、凛としていった。

 父はこの手続きを経ないと、日本が立ち行かなくなると、恂々(じゅんじゅん)と説明した。しかし、か津は承知しなかった。「わたしは許しません」といって立つと、隣室へ行って父のために翌朝の下着や、服を整えはじめた。衾(ふすま)ごしに泣きじゃくる声が、低く高く聞えた。

 私は10月に父の借家に戻った。か津は私を正座させると、「英明さん、この仇はかならず討って下さい。約束して下さい」といった。私はいまでも、この教えを大切にしている。

 鶴も焼け出されたので、戦後、鎌倉の私たちの家で暮した。鶴の父は薩摩兵を率いて、会津若松の攻城戦を指揮して、落城した時に自害した家老夫妻の娘を娶って、鶴が生まれた。会津若松城の別名の鶴ヶ城からとって、名づけられた。

 私はか津と鶴の洋装姿を、一度も見たことがない。もっとも、あのころは服といえば和服であって、洋服はまだ洋服と呼ばれていた。

 鶴はいつも毅然としていた。私がある時、時間を守らなかったところ、「時間も太陽や、人や草木と同じ生き物です。あなたの親しい友達です」と諭された。凛としているところが、美しかった。

 私は幼いころから、母が着物を着るのを手伝わされたことから、着付けの免許も持っている。私は多年、公益社団法人『全日本きものコンサルタント協会』の役員をつとめているが、着物は心で着るものだ。諸外国のようにただ衣が美しく、正しく着ているだけではならない。立ち居振る舞いが、何よりも問われる。

 私は空手道の有段者として武道に携わっているが、武道は心の道とされている。剣道、弓道、杖道、茶道、書道、華道、香道も、すべて内面の心のありかたが、基本となっている。日本だけにみられることだ。

 日本の心を一言でいえば、何だろうか。和の心である。
和のために控え目であること、偽らないこと、周囲を思い遣ることが求められている。日本は美しい心の国であってきた。

 武道をはじめ、何ごとについても感情を露わにすることがあってはならなかった。和の心は自制心によって成り立ってきた。

 私が40代のころまでは、農村や漁村に皺だらけの老女がいた。

 白いほつれ髪とともに、皺の数だけひたむきに生きてきた美しさがあった。いまでは高齢の女性が増えたものの、このような美しい女性を見ることがない。

 日本女性の美しさを一口でいえば、粋(いき)であろう。粋は控え目であって、表に現われない心意気、心ばえ、気合がこもっている。

 というものの、粋は異性なしに成り立たないから、巧みに媚態を秘めながら、暗示して男心をくすぐる。苦労があるとしても、凛としているから感じさせない。

 ほのあかりの美というのだろうか。つい3、40年前までは、粋をはじめとして日常生活のなかに、気というリズムがあった。

 人生は誰にとっても、苦の連続だと考えられていた。苦楽といって、まず苦があった。今日では大多数の人々にとって、楽の連続でなければならない。。

 そのために、すぐに不満を露わにして、耐えることができなくなった。挫折しやすい。

 今日では屋内まで、LEDなどの剥き出しの照明によって陰影が消され、凹凸がなくなって、空間がつかみどころがない無性格なものとなっている。

 とくに、若い女性たちは口を開くと、美しい音楽を聴いた、よい景色を見て「癒されました」という。私は「え? どこか病いを患っているのですか」と、たずねることにしている。癒されるというのは、病んでいることを前提にしている。

 今日の女性は化粧が上手になったのと引き替えに、表情が険しい。外面を飾ることに熱中するあまり、内面を疎かにしている。

 だが、女性は男性の鏡の存在だ。男性が劣化したために、女性を道連れにしたにちがいない。

 いまでは「ブス」というと、容貌を指す言葉となっている。だが明治時代までは身のこなしかたが醜悪なことを、「不粋(ぶす)」といった。いつの間にブスが容貌についてのみ、いうようになったのだろうか。

 江戸時代から明治までは、派手なことが嫌われた。けばけばしい身装をした田舎者の女性を、「葉(は)出(で)」と書いて嘲笑した。余計な葉がはみだしていることを、意味していた。

 この30年ほどだろうか、羞(はじら)いや、ちょっとした女らしい仕草をみせたり、目もとがすずしい女性がいなくなった。

 もっとも、まだ日本には美しい女性がいる。11月に兵庫県に講演に招かれた時に、受け付けの20代のお嬢さんの物腰が、魅力に溢れていた。祖父が陸軍落下傘部隊の勇士だったということだった。

 日本の女性に、絶望することはない。


  世界の将来を決めるインド太平洋圏の行方
    Date : 2020/01/09 (Thu)
 2020年の世界を予想することは、これまでになく難しい。年を追うごとに、世界の変化が加速している。

 3年前の11月に、アメリカで異色のトランプ候補が大統領選挙に当選して、ホワイトハウスの主人公になるとは、その年の春には誰も予想できなかった。

 今後、インド太平洋圏の行方が世界の将来をきめることになる。

 米中、ロシア、インド、日本の5ヶ国が、インド太平洋圏の未来をつくる主要な役者だ。5つの国家が「五角形(ペンタゴン)」と呼ばれているが、アメリカと中国が主役だ。

 アメリカでは11月に大統領選挙が行われるが、トランプ大統領の再選は間違いないと思う。連邦議会で大統領弾劾の審議が進んでいるが、共和党が過半数を占める上院で3分の2の賛成票を必要とするから、大統領選挙へ向けて共和党のイメージを傷つけようとする嫌がらせだ。

 アメリカの景気は着実に上向いている。トランプ大統領の支持率は、弾劾審議前よりあがっている。国民は弾劾にほとんど関心を示していない。

 中国はどうなるだろうか? はっきりいって、中国の習近平主席は愚か者だ。

 習近平氏が7年前に最高権力を握ってから、黒星続きだ。超大国であったアメリカの力が衰えつつあると誤算して、「偉大なる中華文明の復興」「中国の夢」を呼号して、本格的な外洋海軍の建設など軍拡を進めるかたわら、金にまかせてヨーロッパにいたる「一帯一路」計画に耽ってきた。

 ところが、アメリカを見縊って背伸びしたために、アメリカの怒りを買って、アメリカと関税戦争をはじめとして、対決する事態を招いた。その結果、中国経済が大きく減速して、打ち出の小槌を失いつつある。

 習主席は優柔不断だ。香港の一国二制度を踏み躙って、「逃亡犯条例」を施行しようとしたところ、香港市民が立ち上がって、収拾がつかない情況を招いている。といって、香港に軍を投入して、抑えつけることができない。

 台湾で1月11日に総統選挙が行われるが、台湾国民は香港の惨状を見て、反中国派の蔡英文総統が再選されることとなろう。

 もし、習氏が企業経営者であったとしたら、失格だ。

 中国のイメージが悪化している。習主席は日本を国賓として訪れ、天皇を中国に招くことによって、イメージを回復しようと狙っている。

 インド太平洋圏を舞台として、米中が覇権を争っている。大陸勢力と海洋勢力の対決だ。テクノロジー、軍事力、資力より以上に、戦略を構築する力が軍配をあげることとなる。

 中国は戦略的な発想を行う能力がない。2000年以上にわたる唯我独尊の中華思想によって蝕まれており、外国と対等な関係を結ぶ能力を欠いて、同盟国を持つことができない。

 中国は海洋勢力になろうとして、本格的な外洋海軍の建設を急いでいるが、海軍力だけで海洋勢力となることはできない。

 大陸勢力であったロシア、ドイツ帝国も大海軍を誇ったが、海洋勢力に敵わなかった。中国はその轍を踏みつつある。

 それに対して、アメリカは海洋諸国と結んで、中国を孤立させている。

 アメリカが中国を経済から、高度技術移転まで締めつけており、中国がよろめいている。

 日本はインド太平洋圏の平和を切り拓く、歴史的な使命を担っているというのに、インド太平洋圏の五ヶ国のプレイヤーの鎖のなかで、もっとも弱い輪となっている。

 アメリカが占領下で日本を抑えつけるために強要した日本国憲法は、いまでは中国、北朝鮮と韓国だけを喜ばせるものとなっている。

 一刻も早く、独立国にふさわしい憲法に改正すべきだ。


  心を一つにできる唯一の国、台湾
    Date : 2020/01/07 (Tue)
 私が台湾をはじめて訪れたのは、1960年代のことだった。

 台湾は国共内戦に敗れて、大陸から逃げ込んできた蒋介石政権のもとにあった。

 台湾の知人に案内されて、台北の街の屋台である夜市(イエス)で、「青蛙下蛋(チンファシャタン)」(青蛙の卵)と呼ばれたタピオカを、はじめて味わった。

 いま、タピオカが日本の若者のあいだで異常なブームとなっている。

 もっとも、台湾の夜市では、もう「蛙の卵」ではなく、「珍沫奶茶(ソンチュクイチャ)」(真珠のお茶)と呼ばれるようになっている。

 この“タピオカ・ブーム”は、大企業や、大手メディアによる宣伝や、広告によってもたらされたのではない。

 若者のあいだのSNS(ネット)によって、生まれたものだ。私の栄養士の友人によれば、多くの若者が1日2食しかとらない食生活の変化によって、助けられたという。

 若者のあいだで「タピる」(タピオカを飲む)、「タピカツ」(就活、婚活と同じ)という新語が流行っていると、教えてくれた。

 産経新聞によれば、「2019年新語流行語大賞」候補の30語のなかに、「タピる」がノミネートされたという。

 私はタピオカ・ブームから、若い世代がもはやメディアや、大人(おとな)たちの既存のコンセンサスによって縛られていないことに、関心をいだいた。

 日本から台湾を訪れる観光客は、2018年に197万人を数えたが、この10年間でほぼ2倍となっている。台湾に対する好意が増している。

 私は台湾へ通って、李登輝総統(当時)の知遇をえたほか、多くの親しい友人をつくった。2014年に、私の著書『日本と台湾』(祥伝社、2013年)が台湾で訳出されて、『日本與台灣』(大都會文化)として出版され、重版を重ねている。

 2019年の10月19日は、土曜日だった。

 天皇陛下がご即位を世界へ宣明された、『即位礼正殿の儀』の3日前に当たった。

 この日に、私は拓殖大学におけるシンポジウムで、渡辺利夫前拓大学長と講師をつとめることになっていた。ところが、その10日前に已むをえない事情によって、シンポジウムを欠席しなければならなくなった。

 主催者に説明したところ、シンポジウムよりも重要だと理解してくれた。そのかわりに、メッセージを寄せるように求められた。

 「今週火曜日の産経新聞によって報道されましたが、台湾の政界、経済界の有志が『台湾・桜里帰りの会』を立ち上げられ、日本において令和の御代が明けたのを祝って、1923年に昭和天皇が摂政宮・皇太子殿下であられた時に、台湾を12日にわたって行啓され、お手植えになられた、桜、ガジュマル、瑞竹の苗木を、日本へ里帰りさせることとなり、今日の同じ時刻にその目録の贈呈式を、明治記念館において行うことになりました。

 台湾側では『台湾・桜里帰りの会』の名誉会長に李登輝元総統の曽文恵夫人、日本側は安倍首相の母堂の安倍洋子夫人が就任され、私が会長をひき受けることを求められました。

 今日の式典には、『台湾・桜里帰りの会』会長で、台湾政界の重鎮の黄石城先生をはじめ、多くの要路の方々が来京されます。

 昭和天皇ゆかりの桜、ガジュマル、瑞竹が、日本へ里帰りすることは、日本と台湾の精神的な強い絆を象徴するものです。

 台湾の独立と自由を守ることが、そのまま、日本の独立と自由を守ることになります。

 香港では自由を渇望する青年男女や、老壮市民が、邪しまな北京の共産政権に対して、もう半年近くにわたって、連日、街頭を埋めて果敢な抗議集会を続けています。

 香港の自由と民主主義を求める市民たちの人波のなかに、民主主義と人権の象徴として、米国の星条旗、英国のユニオン・ジャック、カナダ、オーストラリアなどの国旗や、台湾の緑の独立旗が掲げられていますが、日の丸がまったくみられないのは淋しいだけではなく、恥しい思いに駆られます。

 かつてアジアの解放を理想として、日の丸を高く掲げ、『アジアの盟主』をもって任じた日本国民の気概は、どこへいってしまったのでしようか。

 専制中国の虐政のもとで苦しんでいる、チベット、ウィグル、南モンゴルの人々が、天与の権利である自由を回復しないかぎり、アジアに平和が訪れることはありません。」

 明治記念館における贈呈式典では、台湾の駐日大使に相当する謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表をはじめ、日台の関係者が見守るなかで、黄会長から安倍夫人に苗木の目録が贈られた。

 その後に、台湾の駐日代表をつとめられた許世楷元大使と、私が昭和天皇ゆかりの苗木の里帰りに至った経緯と、苗木をどこに植えることになるのかなどについて、説明した。

 私は「3日後に迫った即位大礼を祝って、多くの諸国、地域などの代表が来京されますが、台湾だけが即位大礼の前に、このような素晴しい、心がこもった“前夜祭”を催して下さり、多くの国民が台湾に深く感謝するでしよう」と、述べた。

 そして、「台湾は同じ隣国である韓国が、国をあげて『反日』に熱中して、日本時代に全土に開設した小中高校の校庭の日本原産の樹木を伐採しているのと対照的に、日本に世界のどの国にもみられない、深い親近感を寄せてくれています」と、つけ加えた。

 昭和天皇は、大正天皇が重い病にかかられたために、訪台される2年前に20歳で摂政宮に就任されていた。

 台湾では、摂政宮・東宮殿下を島民をあげて歓迎申し上げ、台北市民が今日、見事な桜並木となっている苗木を植え、台南ではガジュマル、屏東では植物のご研究によって知られた殿下が竹の新種を発見され、「瑞竹」と命名されて、お手植えになられた。

 私は10年ほど前に、台湾を訪れた時に、台北の副市長が案内してくれたが、「昭和天皇陛下ゆかりの桜並木を誇りにして、市民が大切にしています」と、教えられた。

 台南のガジュマルの樹は、いまでは枝を広々とひろげた大樹となって、屏東の瑞竹林とともに、昭和天皇がお植えになった由緒から、観光の名勝となっている。

 私は台湾と日本が一蓮托生の関係によって結ばれていると、信じてきた。

 台湾はインドネシアから日本に至る列島の日本のすぐ隣に位置しており、もし、台湾が敵性国家によって奪われることがあったら、日本が独立を維持できなくなる。

 台湾は日本にとって、“第二の九州”といえる。偶然だが、台湾と九州の面積はほぼ均しい。

 日本を訪れる観光客数では、台湾は2018年に476万人で、中国、韓国についで第3位となっている。台湾の人口が2350万人だから、台湾国民の4人か、5人に1人が日本を訪れている。当然、リピート客が多い。  

 台湾で行われている世論調査では、毎年、日本が「もっとも好きな国」として第1位を占め、アメリカが次いでいる。

 だが、私たちは台湾国民が日本へ寄せている、友情に応えているだろうか?

 私は昭和47(1972)年に、田中角栄内閣のもとで日中国交正常化が行われ、台湾を切り捨てた時に、月刊『文藝春秋』などの誌上で、この暴挙に強く反対した。中国共産党政権が歴代皇帝といささかも変わらず、権力を私して覇権のみ求めるから、信頼できないと論じた。

 あの時の中国はソ連の侵攻に脅えて、日本と結ぶことを焦っていた。当時、日中貿易は世界最大のものであり、日本が中国と急いで国交を結ぶ必要はなかった。

 中国は日台が領事関係を維持することを、認めたはずだった。日本はアメリカが中国を承認するまで待つべきだった。日中国交正常化は、戦後の日本外交の最大の汚点となった。

 私は1979年に防衛庁(当時)がつくった、最初の民間の安全保障研究所の理事長をつとめた。中国にはじめて招かれた時に、毛沢東の大長征の戦友といわれた、李達人民解放軍副参謀長が人民大会堂において、私の歓迎晩餐会を催した。

 宴席で李副参謀長が挨拶して、「日本は防衛費を、GNPの2%にすべきだ」と促した。

 中国の国防部と人民解放軍によって、頻繁に招かれたが、ある時、「先生はどうして、台湾に肩入れされるのですか?」と質問された。私は「50年間も日本国民だった台湾国民を守るのは、日本人としての義務です」と答えた。

 目録の贈呈式典に戻ると、以前お目にかかった台湾の黄石城先生が「20年ぶりですね」といわれて、私を憶えていて下さった。

 黄先生は、自伝『権力無私・私の参政への建言』の日本語訳(海苑社、呉本信一訳、2010年)のなかで、「日本が台湾に対して行った植民地統治は基本的な建設が相当よく、その時代は皇民教育があったといえども、教育上においてヒューマニズム教育の修身を重視していました。したがって、これまでに日本の教育を受けた人たちは、やはり心にふれて感動しています」と、述べておられる。

 黄先生は自伝で、現代社会が「是非の区別をしない」ために、「価値観をもっている人が少なく」なって、「ただ利害関係の価格ばかり考えて、価格観によって行動している」と、警告しておられる。

 戦後の日本は、算盤勘定による経済を何よりも優先して、物事の是非を問うことなく、価値観を失った品位のない国家となってしまった。

 是非――善悪を弁えていないと、一時的には物的に潤うことになるが、結局は大火傷してしまう。

 今日の日中・日台関係が、黄先生の「価値観」と「価格観」の戒めが正しいことを、証している。

 安全保障は、可能性が数パーセントであっても、最悪の場合を想定しなければならない。

 “従北派”の文在寅政権のもとで、韓国が米日韓同盟から脱落して、在韓米軍が撤収することもありえよう。

 もっとも、仮に韓国が敵性国家となったとしても、日本に対する脅威が大きく増すものの、日本が滅びることはない。

 ところが、台湾を敵性勢力が支配することになれば、日本はその瞬間から独立を維持することができない。

 それにもかかわらず、日台間には公的な関係が存在せず、両国間の軍事協議も行えないでいる。国会がアメリカに倣って台湾関係法を制定して、日本が台湾有事の場合に何をなすべきか、日台米の協議を行うべきだ。

 若い世代は既存のコンセンサスによって、縛られていない。いま、日本に求められるのは、時代に適った日台関係をつくることだ。

 台湾では4年前に、『日本皇族的台湾行旅 蓬莱仙島菊花香』(日本の皇族の台湾訪問 台湾が菊花に香った時、陳煒翰著)という単行本が発行され、重版を続けている。

 明治34(1901)年に、北白川宮が訪台されてから、昭和16(1941)年に閑院宮、同妃まで、26人にのぼる皇族が台湾を訪問された日程や活動が、写真入りで260ページにわたって紹介されている。

 私はこの本を手に取って、もしこの本がはじめ日本で出版されたとしても、重版されないだろうと思った。台湾国民のほうが、日本の皇室に対して崇敬心が篤いのだ。

 台湾国民の心情を知るために、この本の日本語版をぜひ出版したいと思う。

 台湾は世界のなかで、日本と心を分かち合っている、唯一つの国なのだ。

 世界で日本と心を一つにしている国が、他に、どこにあるだろうか。

 桜、ガジュマル、端竹を植える先については、『日本・桜里帰りの会』に一任されている。すでに全国から問い合わせが、私のもとに寄せられている。

 苗木を皇室ゆかりの場所に植えたいと、願っている。苗木が到着してから、検疫のために植物園に1年間預けることになるので、そのあいだに慎重に検討したい。


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