加瀬英明のコラム
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  日本の英霊が残した 人種平等の道標
    Date : 2018/07/09 (Mon)
 5月に、イギリスのヘンリー王子と、アメリカ人女優のメーガン・マークルさんの華麗な結婚式典が、ウィンザー城の教会において行われた。

 イギリス王室はウィンザー家と呼ばれるが、ウィンザー城は王家の居城である。

 この日は、よく晴れていた。ヘンリー王子とメーガンさんは、荘重なイギリス国歌が吹奏されるなかを、銀の輝く胸冑をつけた龍騎兵を従えた、お伽噺のような馬車に乗って、教会へ向かった。

 私はこの光景をテレビで観て、深く感動した。すると、不用意に胸が熱くなって、目頭が潤んだ。

 華燭の式典では、アメリカ聖公会の黒人主教が、説教壇から黒人訛りの英語で、愛について熱弁を振った。

 私はアメリカ黒人女性の聖歌隊が、黒人霊歌の『スタンド・バイ・ミー』(イエスとともに歩め)を合唱した時に、涙が頬にこぼれた。シャツの袖口で拭った。

 メーガン妃は、アフリカ系黒人だ。アメリカ黒人の母と、白人の父のあいだに生まれた。

 いまでも、白人社会では、黒人の血が少しでも混じっていれば、「黒人(ブラック)」と呼ばれる。オバマ前大統領は、父親が黒人、母親が白人だったが、黒人として扱われている。

 私はキリスト教徒ではないが、アメリカに留学した時に、黒人社会に関心があったので、何回か日曜日に、黒人街の教会を訪れて、ミサに参加した。

 ミサでは、黒人霊歌(ゴスペル)の『スタンド・バイ・ミー』が、かならず歌われた。

 ウィンザー城の教会で、エリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ皇太子をはじめとする、盛装した王族を前にして、何と、アメリカから招かれた黒人の聖歌隊が、この黒人霊歌を合唱したのだ。

 『スタンド・バイ・ミー』は、黒人たちがアフリカから奴隷として拉致されて、筆舌に盡せない逆境を強いられた日々に、うたった歌だった。

 イギリスの王子が黒人と結婚するのは、王室の長い歴史ではじめてのことだった。3、40年前には、考えられなかったことだった。

 これも先の大戦において、日本が国をあげて勇戦し、大きな犠牲に耐えて、アジアを、欧米の数百年にわたった苛酷な植民地支配から、まず解放し、その高波がアフリカ大陸を洗って、アフリカの諸民も解放されて独立していった結果として、人類の歴史の果てに、はじめて人種平等の世界が招き寄せられたためだった。

 アジアの民を解放するために、酷暑酷寒の広大な戦場に散華した英霊が、天上からウィンザー城の光景を眺めて、きっと嘉納されたにちがいないと、思った。

 私は幼年期を大戦前のロンドンで、過した。バッキンガム宮殿や、ロンドン近郊に親しんできた。私にとってイギリスは、“第二の母国”である。

 日本大使館員の子だったから、周辺や、イギリス人の友だちから、差別を受けることは、なかった。日本はアジア・アフリカの有色人種のなかで、唯一つの一等国だった。

 アメリカでは第2次大戦後も、国内で黒人に対する、理不尽な差別が続いた。

 ところが、独立したアフリカ諸国の外交官が、それまで黒人が立ち入れなかったホテルや、レストランなどに自由に出入りするのを見て、黒人による公民権運動が起った。

 1960年代に、マーティン・ルーサー・キング師が率いる公民権運動が、ついに実を結び、アメリカ黒人に対する法的な差別が全米にわたって撤廃されて、今日に至っている。

 日本は矢弾尽きて、73年前に鉾を収めたが、人種解放を求めた大東亜戦争は、終わらなかった。アジア・アフリカの民や、アメリカの黒人たちが戦いを続けて、今日の人種平等の世界が実現したのだった。


  あえかにわかき新妻を 君わするるや
    Date : 2018/07/05 (Thu)
 中島兄哥は、強きを扶(たす)け弱きを挫く、平成の侠客だ。気っ風がよい。姐さんは後光がさすように、微笑(ほほえ)む。

 兄哥さんは朝起きると、「向ひゐて見れども飽かぬ吾妹子(わぎもこ)」(安倍蟲麻呂、万葉集)と、口ずさむにちがいない。

 私も妻鈍(さいのろ)では、負けない。妻鈍は妻にだらしないほど甘い夫で、明治以後の造語だ。

 私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。

 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。

 最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。

 やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。

 そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。

 父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物を、もっぱら愛護するようになった。

 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。

 男には気負いが、必要だ。意気ごみが男をつくる。

 気が天地を満たし、活力の源となる。いつも研ぎ澄まされた刀身を、心の鞘に収めていなければならない。

 刀身と同じように、匂ふような男とならねばならない。「匂ふ」は古語で「輝く、美しい」を意味する。
 
 女性に懸想し、言い寄ることを、古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。

 “通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。
たまに美女に出あうと、気が散ることもある。たまに乱れることも、正常さを保つために必要なのだ。

 私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。
あえかは、「かよわい、たよりない」という意味である。

 それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は、男の矜持を欠いている。閣僚や、県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。

 大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の安物の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。

 財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を「あえかな花」(帚木)と、描いている。

 江戸時代に夜鷹は、引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。

 もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで、禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。

 私は武道に携わってきたが、「心、姿勢、技」を、その順で重んじることを、旨とすべきことを教えられた。

 「姿勢」は肉体的な姿勢だけではなく、人生に対する姿勢でもある。「技」が最後にくることが、眼目である。

 高学歴の高級官僚や知事が、人足か無宿者か、女衒(ぜげん)のように卑しいのは、この3、40年の教育に、大きな欠陥があるからだ。

 現代の日本では、小学校から大学まで教えることはしても、育てることをしない。

 「心」や、「姿勢」を整えることを御座なりにして、「技」だけ教えるために、今日の惨状を招いているのだ。

 このような政治や、行政を預かる者ばかりでは、日本が遠からずしておもいやりが欠けた、心無い社会になってしまおう。

 無宿者は人別(にんべつ)帳から外されて、さすらっている者をいい、物乞いも非人として扱われたが、総じて心が貧しく、野卑で荒(すさ)んでいた。

 江戸期には全国にわたって、庶民の子を教育するために、大小2万校以上の寺子屋があった。

 すべて町や、村の地域社会の手造りの学校だった。教科書は往来物と呼ばれたが、7000種以上が現存している。
寺子屋では4年間のうちに、読み書き、算盤のほかに、農業、漁業、商業など、それぞれの地域に合わせた、生業を教えた。

 男女の師匠は、礼儀、作法、精神修養にことさら厳しかった。教育は何よりも徳育だった。このようにして育てられた庶民が、幕末から明治にかけて、輝かしい近代の日本を建設した。

 技しか知らない者は、巾着切(きんちゃくき)り(掏摸(すり))か、空き巣狙いと、かわらない。

 幕府には教育を担当する役人が、1人もいなかった。私は文科省を廃止して、教育を地方社会に委ねるべきだと思う。
夜這いは平安時代には、けつして下卑(げび)た行為ではなかった。「婚(よば)い」とも、「懸想(よばい)」とも、書かれた。男たちは相問歌や、懸想文(よばいぶみ)に、一輪の花を添えて、あえかな花を摘みに、思い人のもとに通った。

 女は男を映す鏡だ。このような下卑た男ばかりでは、日本にとって、何よりも大切な宝である女が劣化する。
 
 私は日本の美風を守るために、女性を大切にしてきた。これからも、心と姿勢を正してゆこうと、決めている。

(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)


  明治維新150年に思いを馳せ、“自立の精神”を奮い起こそう
    Date : 2018/07/02 (Mon)
 私は5月22日の産経新聞の見出しをみて、「えっ」と、驚いた。

 「自衛隊『違憲』25%、『合憲』57% 本社・FNN合同世論調査」というものだった。

 今年は、日本がサンフランシスコ講和条約によって、ふたたび独立国として立ち直ってから、もはや66年もたっている。

 それなのに、まだ、いったい自衛隊が合憲なのか、違憲なのか、国論を2つに割って対立しているというのは、つくづく情けないことだと思う。

 いったい、日本は自立した国なのだろうか。あまりにも、異常なことではなかろうか。

 25%の人々は、もし自衛隊が違憲だということになったら、自衛隊を解散して、非武装国になることを、選びたいのだろうか。それとも憲法を改めて、自衛隊を国軍として認めたい、というのだろうか。

 もし、日常生活で暴漢によって襲われることがあったら、憲法も何もあったものではない。

 自己を防衛するのは、本能から発しているし、天与の権利である。

 自己を正当に守ることについて、国家も、個人も、変わりがないはずだ。

 それなのに、現行の日本国憲法は、陸海空軍を保有することを禁じているうえに、どの独立国であっても持っている、交戦権を奪っている。

 外国から、武力によって押し付けられた憲法を、70年近くも、後生大事に戴いている国は、世界のなかで日本しかない。

 アメリカ軍が占領下で、現行憲法を日本に強要して、日本が再びアメリカと戦う力を持つことがないように、“丸裸”にしたが、日本の平和のためでなく、“アメリカの平和”のためだった。

 日本を丸裸にしてしまえば、日本が未来永劫にわたって、アメリカに縋らなければならない属国となることを、はかったのだった。

 大戦が終わったばかりのアメリカは、日本が自立することを、恐れたのだった。

 日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶことに、私は両手をあげて、賛成したい。しかし、「アメリカの平和のための憲法」として、占領下で自由を奪われていた日本に、有無を言わせずに、押し付けられたのだった。

 日本は占領下で、国の旗の日の丸を揚げることすら、禁じられていた。そのあいだ、自分の手で憲法を制定することが、もちろん許されるはずがなかった。

 国家は国民と国土によってだけでなく、精神によって、成り立っている。国家の何よりの基本的な条件は、自立する精神である。

 今日の日本は現行憲法のもとで、精神が薄弱な、精薄の国となっている。

 今年は、明治維新150周年に当たる。日本は幕末から、明治38年に国をあげて日露戦争を戦って、勝利を収めることによって、独立を守り抜いて、今日の日本を築いた。これは、自立の精神がもたらしたものだった。

 幕末から明治にかけた先人たちが、今日の日本を眺めて、アメリカへの従属憲法を改める気概を欠いているのを見て、どう思うことだろうか。

 朝鮮半島危機と、中国の脅威が、急速に募るなかで、いまこそ明治維新150年に、思いを馳せるべきである。

 国の行く末と、平和を祈る心は、宗教心と一つのものである。


  「米朝首脳会談中止」騒動、米の圧力は中国にも向いている
    Date : 2018/06/21 (Thu)
 トランプ大統領が、6月12日にシンガポールで予定されていた、米朝首脳会談を直前に中止することを発表して、北朝鮮の金正恩委員長を狼狽(うろた)えさせた。

 私はかねてから、本誌のこの欄で、北朝鮮が核を棄てることはありえなく、文在寅大統領と金正恩委員長による南北首脳会談は“安手の韓流ドラマ”にすぎなかったし、米朝首脳会談が実現しても、空ら騒ぎに終わろうと、論じてきた。

 トランプ大統領が“リトル・ロケット・ボーイ”と呼ぶ、金正恩委員長は米朝首脳会談に執心している。北朝鮮にとって米朝首脳会談が行われれば、国際的地位が大きくあがるが、それなしには、哀れな、みすぼらしい小国でしかない。

 南北首脳会談や、米朝首脳会談を行わず、中国も含めて北朝鮮に対する経済制裁を、粛々と進めてゆけばよかった。

 私は4月30日から、ワシントンを4泊で訪れて、トランプ政権を支える人々と、朝鮮半島危機について話した。

 着いた晩に、国防省の親しい友人と夕食をとったが、「世界は30年ぶりに、“ベルリンの壁”が崩壊するところを見るだろう」といって、米朝首脳会談によって北朝鮮が核を放棄することになると、自慢した。

 私は「まさか。金正恩(キムジョンウン)がよほど愚かだったら、そうなるだろう」と、答えた。

 私はホワイトハウスの前の小さな公園をはさんだホテルを、常宿にしている。バーで金正恩(キムジョンウン)の愛嬌ある似顔絵が描かれた、コースターが使われていた。ちょっとした、北朝鮮ブームだった。

 だが、トランプ大統領も6月の会談を中止したものの、金委員長に一撃を加えたうえで、米朝首脳会談を開くことを望んでいる。金委員長が懇願した結果、再調整されたが、本誌が発売されるころに実現しているかどうか。

 別の政権の関係者は、もっと現実的だった。

「われわれは中国が北朝鮮に核放棄を迫らないかぎり、北朝鮮が核を手離すことはない。米朝交渉を続けるあいだに、中国に強い圧力を掛けてゆくことになる」と、語った。

 トランプ政権にとって、ほんとうの敵は、中国だ。

 北朝鮮の核ミサイルは、まだ戦列に配備されていないし、成層圏から目標へ向かって再突入する、終末段階(ファイナル・フェーズ)の摂氏7000度に達する高熱に耐える技術を持っていない。

 アメリカにとって、中国の南シナ海進出のほうが、差し迫った脅威だ。

 中国の脆い点は、中国経済が対米輸出に依存していることだ。

 中国はアメリカに寄生している、パラサイトだ。トランプ政権は中国の弱点をとらえて、揺さぶろうとしている。

 これから、商務省が諸国による自動車、自動車部品の対米輸出がアメリカの工業ベースと、安全保障を脅かしていないか、調査を始めるが、もし、“黒”となった場合には、天井知らずの関税をかけることができる。

 帰京後に、トランプ大統領が自動車、自動車部品に20%から、25%の高関税をかける方針を発表したが、これはEU(ヨーロッパ連合)、カナダ、メキシコ日本との貿易交渉にあたってテコともなるが、中国へ向けたものだ。

 中国は自動車部品の対米輸入で、巨額を稼ぎ出しているうえに、安価なEV車をアメリカへ輸出することをはかっており、すでに売り込みが始まっている。


  神社に宿る日本人の「和の心」
    Date : 2018/06/07 (Thu)
 4月24日に、カナダ最大の都市トロントで、男がバンを運転して、歩行者を次々とはね、多くの死傷者が発生する事件が起った。まだ、犯人の動機が判明していないが、イスラム国(IS)がかかわるテロ事件ではないか、疑われている。

 ヨーロッパも、イスラム過激派のテロに戦(おのの)いている。中東では、シリア、イエメン、リビアをはじめとする諸国で、イスラムの2大宗派のスンニー派と、シーア派による凄惨な抗争に、出口が見えない。宗教戦争だ。

 もっとも、アフリカ、アジアに目を転じると、イスラム教徒がキリスト教徒を迫害しているだけでなく、中央アフリカ共和国では大多数を占めるキリスト教徒が、ミャンマー、タイでは多数を占める仏教徒が、弱者のイスラム教徒を圧迫して殺害している。

 ミャンマーでは、事実上の最高指導者である、アウンサン・スーチー女史が黙認するもとで、イスラム教徒のロヒンギャ族を迫害している。70万人のロヒンギャ族が国外に脱出し、数百人が虐殺されている。

 タイでは、分離独立を求める南部のイスラム教徒を弾圧して、この15年だけで、7000人以上のイスラム教徒が殺害されている。

 スリランカでも、人口の70%を占める仏教徒が、17%に当たるイスラム教徒を迫害して、多くの生命が失われている。

 日本では、仏教は平和の宗教だと思っているが、日本のなかだけで通用することだ。

 インドは平和国家として知られているが、毎年、多数派のヒンズー教徒がイスラム教徒を襲撃し、多数の死者が発生している。イスラム教徒が、ヒンズー教の聖牛である牛を殺して、食べることから敵視されている。

 アメリカでも、人権が高らかに謳われているのにかかわらず、人種抗争が絶えない。「個人」が基本とされている社会だから、人々が対立しやすく、人と人との和を欠いている。銃による大量殺戮事件が多発している。

 中国では、漢民族が新疆ウィグル自治区でイスラム住民を、世界の屋根のチベットでジェノサイド(民族抹殺)をはかっている。

 そこへゆくと、日本は幸いなことに、太古の時代から宗教戦争と、無縁であってきた。

 「宗教」という言葉は、明治に入るまで漢籍に戴いていたが、使われることがなかった。

 明治初年に、キリスト教の布教が許されるようになると、それまで日本には他宗を斥ける、独善的な宗派が存在しなかったために、古典から「宗教」という言葉をとってきて、あてはめたのだった。

 それまで、日本には「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しかなく、宗派は抗争することなく、共存したのだった。

 「宗教」は、英語の「レリジョン」(宗教)を翻訳するのに用いた、明治訳語である。

 英語の「レリジョン」、フランス語の「ルリジオン」、ドイツ語の「レリジオン」の語源であるラテン語の「レリギオ」は、「束縛」を意味している。

 「個人」も、明治訳語だ。日本人は世間によって生かされ、そのなかの一人だった。

  日本人のなかで、日本人は年末になると、クリスマスを祝い、7日以内に寺の“除夜の鐘”を謹んで聴いて、夜が明けると初詣に急いで、宗教の梯子をするからいい加減だと、自嘲する者がいる。

 だが、これが日本の長所であり、力なのだ。古代から「常世(とこよ)の国信仰」といって、海原の彼方から幸がもたらされると信じた。日本では何でも吸収して、咀嚼して役立てるのだ。

 神道は私たちが文字を知る前に生まれた、心の信仰であって、文字と論理にもとづく宗教ではない。人知を超える自然を崇めるが、おおらかで、他宗を差別せず、中央から統制する教団も、難解な教義も、戒律もない。

 神社を大切にしたい。私たちは、心の“和”の民族なのだ。


  大嘗祭は国事として行うべきである
    Date : 2018/06/04 (Mon)
 1年以内に、新天皇が即位され、御代(みよ)が替わる。

 前号で、私は天皇陛下が来年4月30日に退位され、皇太子殿下が翌日、第126代の天皇として即位されるのに当たって、もっとも重要な祭祀である大嘗祭(だいじょうさい)を寸描した。

 126代も続いてきた天皇が、日本を日本たらしめてきた。

 天皇は日本にとって、何ものによっても替えられない尊い存在であり、日本国民にとって、もっとも重要な文化財である。

 大嘗祭は来年11月に、皇居において催される。大嘗祭は法律的にすでに皇位につかれておられるが、天皇を天皇たらしめてきた民族信仰である惟神(かむながら)の道――神道によれば、まだ、皇太子であられる皇嗣(こうし)(お世継ぎ)が、それをもって天皇となられる。聖なる秘儀である。

 私は前号で大嘗祭に当たって、皇太子が横たわれ、しばし、衾(ふすま)(古語で、夜具)に、身をくるまられると、述べた。

 これは、天照大御神の皇孫に当たる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国(くに)を治めよ」という神勅に従って、赤兒として夜具にくるまれて、天孫降臨されたことから、皇太子が身を衾に包む所作を再演されることによって、瓊々杵尊に化身されるものである。

 今上天皇が今年の新年に宮中参賀のために二重橋を渡った、13万人をこえる善男善女に、皇后、皇太子、皇太子妃、皇族とともに会釈され、お言葉を述べられたが、天皇はモーニングを召された瓊瓊杵尊であられた。

 天皇は皇位をただ尊い血統によって、継がれるのではない。

 日本では、日本神話が今日も生きている。神話は諸外国では、遠い昔の過去のものであって、ただの物語でしかない。日本は時空を超えて、永遠に新しい国なのだ。

 歴代の天皇は、日本を代表して神々に謙虚に祈られることによって、徳の源泉として、国民を統(す)べて、日本に時代を超えて安定(まとまり)をもたらしてきた。

 神道は、人知を超えた自然の力に、感謝する。世界のなかで、もっとも素朴な信仰である。

 教義も、教典ない。人がまだ文字を知らなかった時代に発しているから、信仰というより、直感か、生活態度というべきだろう。

 神道は、人が文字を用いるようになってから、生まれた宗教ではない。感性による信仰だから、どの宗教とも競合しない。

 宗教法人法によれば、宗教法人は教義を広め、信者を教化する団体として、規定している。神道は布教しないし、もし宗教であれば、「信者」と呼ばれる人々も、存在しない。

 アメリカ占領軍は、自国では国家行事や、地方自治体の式典が、キリスト教によって行なわれていたのにもかかわらず、まったくの無知から神道を、キリスト教と相容れない宗教だと信じて敵視して、日本に「政教分離」を強制した。当時のアメリカは、日本を野蛮国とみなしていたのだった。

 政府は日本が独立を回復した後にも、現行憲法下で、天皇を天皇たらしめている宮中祭祀を、皇室の「私事」として扱ってきた。

 私はかねてから、宮中祭祀は国民の信仰の自由を浸すことがないし、日本国民にとって何より重要な無形文化財であると、主張してきた。

 大嘗祭は、国事として行うべきだ。現行憲法は皇室と日本の姿を、歪めている。


  志の人・伊能忠敬没後200年と、明治維新150周年
    Date : 2018/05/30 (Wed)
 今年4月21日に、東京千代田区神田の学士会館で、『忠敬没後200年記念・伊能測量協力者顕彰大会』が催された。

 忠敬は寛政12(1800)年に深川・富岡八幡宮に成功祈願を行ったうえで、徒歩による全国海岸線の実測に出発したが、17年後の文政元(1818)年に、測量続行中に、73歳で病没し、その3年後に、門弟たちによって、『大日本沿岸輿地全図』が完成した。

 伊能図協力者子孫への感謝状

 学士会館のホールには、伊能忠敬研究会の努力によって、全国にわたって忠敬の測量に協力した、名主や、庄屋、本陣、代官、目付などの子孫が特定されて、そのなかの76人が、研究会、イノペディアをつくる会、伊能忠敬子孫一同から、「功績感謝状」が贈られた。

 忠敬の測量は、蝦夷地から始まり、伊豆七島まで9次にわたった。忠敬の『日本全図』は「伊能図」とも呼ばれるが、今日、埋め立てによって海岸線が大きく変わっているものの、誤差がほとんどなく、きわめて正確なものだった。

 協力者の子孫の名が呼ばれるたびに、「駿河国沼津領野村名主」とか、「陸奥国」、「出羽国」、「越後国」、「遠江国」、「佐渡国」、「播磨国」、「若狭国」、「豊後国」というように、当時の地名が用いられたので、そのあいだ、江戸時代に生きているような錯覚にとらわれた。

 忠敬の子孫の代表

 忠敬の多くの子孫が招かれたが、私を含む5人が代表して登壇した。

 私は忠敬の孫の孫の子である玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬の次女のしのが、銚子の隣にある旭村(現・旭市)の加瀬佐兵衛に嫁いだことによる。

 忠敬は九十九里浜の貧しい漁村に生まれ、幼年時代は恵まれなかったが、向学心が高く、漁具を収める浜小屋の番をしながら、勉学に励んだ。佐原の家運が傾いた庄屋の伊能家に、養子として迎えられたことが、人生の転機となった。酒造業を建て直すかたわら、暦学、和算、天文学、測量学を学んだ。

 今年は、明治維新150年に当たる。日本は明治に入ると、近代化に短時間で成功し、西洋列強と肩を並べるようになったが、これは江戸期の庶民の力によるものだった。私は庶民の血を受け継いでいることに、大きな誇りをいだいている。

 忠敬の測量に協力した人々は、大部分が庶民だった。幕府から藩に、忠敬の測量隊がいつ到着するか連絡があると、藩から村へ伝えられ、村民が総出で測量に協力した。

 明治3年の初の国勢調査 

 武家は明治3年に初めて行われた、国勢調査によれば、人口の8%弱にしか、当たらなかった。人口の90%が民庶とも呼ばれた、庶民だった。

 江戸時代は近代日本を創った、輝かしい助走期だった。日本は世界に誇るべき社会を、形成していた。

 今年は、政府が「明治維新150年」を祝う式典を行うことになっている。

 50年前に100周年が巡ってきたが、当時の政府は「維新」という言葉を省いて、「明治100年記念式典」を催した。

 時の佐藤栄作首相が挨拶したが、「維新」という言葉に触れることが、まったくなかった。維新を語らずに、明治100年を語っても意味がない。

 昭和天皇のお言葉「明治維新以来の先人の英知と勇気」

 この時の式典に、昭和天皇の御幸を仰いだが、お言葉のなかで、「明治維新以来の先人が、英知と勇気で成し遂げた業績」と、仰せられた。

 明治維新が「革命」だったと、物識り顔をしていう学者がいるが、まったく筋違いだ。「革命」は断絶をもたらす。維新は古来の日本へ復古する、御一新だった。

 今年の「明治維新150年記念式典」において、今上天皇から聡明なお言葉を賜ることになるが、朝鮮半島危機が募るなかで、明治維新を称讃されて、国民をお励まし下さることと思う。

 だが、日本国民がどうして150年前と較べて劣化して、かつての気概を失い、不甲斐なくなってしまったのだろうか。

 幕末から明治にかけた日本国民は、「英知と勇気」が汪溢していた。今日の日本人のような、意気地(いくじじ)なしではなかった。

 伊能忠敬の偉業は日本の社会の力そのもの

 それにしても、忠敬が全国を徒歩によって実測した、17年間の日本の社会が安定し、豊かで、よくまとまっていたことに、感心せざるをえない。それでなければ、忠敬の偉業が多くの人々によって支えられて、成し遂げられることがなかった。

 忠敬が測量のために、全国を巡っていた時に、対岸の朝鮮王国では、国王純祖(スンゾ)(在位1800年〜39年)の代に当たった。

 悪政のために、飢饉、悪疫、天災によって、農民や、奴婢(奴隷)の流亡と、不平両班(ヤンバン)や、農民、奴婢による反乱が、各地であいついだ。なかでも、純祖11(1812)年に起った、平安道の洪景来(ホンギョンレ)の乱が大きなものだった。

 当時の韓国の状況

 そのわきで、朝廷では士禍(サファ)と呼ばれたが、儒教の些細な礼法などをめぐって、凄惨な党争(ダンチョン)に明け暮れ、国の態(てい)をなしていなかった。

 権力者が王権を代行して、政治を専横する勢道政治(セドチョンチ)のもとで、役人の綱紀が乱れ、下級官吏まで賄賂が横行した。朝鮮王国は、亡国が避けられなかった。

 今日、朝鮮半島で危機的な状況が続いているのをよそに、日本で国会がモリトモ問題、セクハラを巡って党派抗争に耽って、空転しているのと、よく似ている。

 今日の日韓関係に目を転じると、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が北に秋波を送るかたわら、ことあるごとに日本を蔑んで、足蹴にするのに忙しい。

 そのために、日本では嫌韓感情が日増しに強まっている。いまや、全国民が韓国を蔑み、哀れむようになっている。

 だが、私たちにいったい、韓国を蔑む資格があるものだろうか。

 韓国は日本統治が終わって、すでに73年になるのに、いまでも「日帝時代」が悪かったと非難して、自立できないでいる。日韓併合は73年の半分の、36年でしかなかった。

 日本でも、アメリカによる占領が65年前に終わったというのに、東京裁判をはじめ、アメリカの占領政策が悪かったからといって、占領時代を非難するのに忙しく、いまだに自立することができない。韓国によく似ていると思う。

 韓国では、李氏朝鮮が日韓併合まで、500年にわたって続いた。李朝は高麗朝の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が、クーデターによって高麗朝を倒して、自らの王朝をたてた。

 李朝は、軍がクーデターを起す危険な存在だとして嫌って、軍を軽んじ、国防に役に立たない必要最小限の兵備しか、持たなかった。宗主国の中国による保護に依存して、外敵の侵略を蒙るたびに、中国に救援を求めた。そのために、国土が何回にもわたって、蹂躙された。

 今日の日本は、中国をアメリカに置き換えると、李氏朝鮮と変わらない。

 日本の国会議員や、大手のマスコミ人、学者たちには、朝鮮服が似合うのではないかと思う。

 明治新政府の開港の決断こそ、日本を救った

 明治維新に戻ると、幕府が開港に傾いたのに対して、国学者や武士の大多数が、日本が神国であると唱え、攘夷を頑くなに主張した。もし、攘夷を貫いていたとすれば、西洋列強の侵略を蒙って、本土決戦が戦われたことだった。

 明治新政府が開港に踏み切ったことによって、日本が救われた。

 今日、「平和憲法」を「神国思想」にいい替えて、神聖視する護憲派は、幕末の狂信的な「攘夷派」に当たる。「専守防衛」を頑くなに主張しているが、敵が国土を侵すまで戦えないのだから、焦土をもたらす本土決戦を望んでいるにちがいない。


  あえかな女性を泣かせるな
    Date : 2018/05/29 (Tue)
 私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。

 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。

 最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。

 やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。

 そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。

 父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物をもっぱら愛護するようになった。

 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。

 女性に懸想し、言い寄ることを古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。

 私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。あえかは「かよわい、たよりない」という意味である。

 それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は男の矜持を欠いている。閣僚や県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。

 財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を、「あえかな花」(帚木)と描いている。

 江戸時代に夜鷹は引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。

 もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。


  あえかな女性を泣かせるな
    Date : 2018/05/29 (Tue)
 私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。

 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。

 最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。

 やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。

 そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。

 父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物をもっぱら愛護するようになった。

 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。

 女性に懸想し、言い寄ることを古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。

 私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。あえかは「かよわい、たよりない」という意味である。

 それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は男の矜持を欠いている。閣僚や県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。

 財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を、「あえかな花」(帚木)と描いている。

 江戸時代に夜鷹は引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。

 もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。

 日本を建て直し救う重責が、「躾けの会」にかかっている。ご一緒に頑張りたい。


  北朝鮮の非核化に言及なし 米朝首脳会談で成果を掴めるか
    Date : 2018/05/22 (Tue)
 4月27日に全世界が注目するなかで、文在寅(ムンジェイン)大統領と金正恩(キムジョンウン)委員長による南北首脳会談が、板門店の韓国側にある「平和の家(ピンファウィ・チプ)」で行われた。

 李朝時代の王宮の衛兵(ウイビョン)の、ど派手な衣装をまとった儀仗兵が堵列するなど、文、金の2人の大根役者(オルガソイ)が演じた、まさに3流の“韓流ドラマ”だった。

 私は20代から朝鮮語を学んだが、韓国人だったら、「インマンサルソ」(口ばっかり)というところだ。「インマンサルソ・アンデ」になると、「いい加減なことをいうな」と、叫ぶことになる。

 文在寅大統領が、個人的な功名心から、オリンピックの政治利用が固く禁じられているのにもかかわらず、平昌(ピョンチャン)冬季大会に北から高位の代表団や、美女応援団・合唱団を招いて、空疎な“南北融和”を演出したのが、切掛けとなって、トランプ大統領が“勇み足癖”から、米朝首脳会談に応じることになった。

 文在寅――ムン・ジェイン大統領は、“従北(ジョンプク)”として知られ、韓国の真当な国民から、「文災難(ムン・ジェアン)」と、呼ばれている。もっとも、韓国のマスコミは政権を支持する国民を「市民(シミイン)」、政権を批判する国民を「右翼(ウイク)」「保守派(ポスパ)」と、蔑んでいる。

 それにしても、日本の大手テレビのキャスターたちが、今回の南北首脳会談の映像を背景にして、「歴史的な会談」と声を潤(うる)ませて連発するのに、きっと韓流ドラマの見過ぎなのだと、思った。

 トランプ大統領は、1ヶ月以内に予定されている米朝首脳会談が、行われない可能性もあると述べているが、そうなってほしいものだ。

 金正恩がよほどの愚か者でないかぎり、北朝鮮が核兵器を手放すことは、ありえない。

 これまで、金正恩委員長は「朝鮮半島の非核化」を唱えても、「北朝鮮の非核化」に言及したことがない。

 北朝鮮に対しては、南北首脳会談も、米朝首脳会談も行なうことなく、米日韓、中国を加えた国連による経済制裁を、粛々と強めてゆくべきだった。

 トランプ大統領が金委員長の前に、米朝首脳会談というニンジンをぶら下げなければ、金委員長が窮鳥を演じて、北京の習近平主席のもとに、走ることがなかった。

 米朝首脳会談が「世紀のショー」として行われたとしても、ニュースを娯楽だと勘違いしているテレビを喜ばせるだけで、空騒ぎに終わることとなろう。

 トランプ大統領としては、米朝首脳会談に臨んで、何も成果がえられず、手ぶらで帰ることになったら、「軽挙」だったということになって、沽券(こけん)が大きく傷ついてしまう。

 といって、北朝鮮に軍事攻撃を加える勇気はあるまい。

 そこで、北朝鮮が提案してきた「北朝鮮の非核化」ならぬ、「朝鮮半島の段階的非核化」へ向けて、米朝交渉を続けてゆくことになるのではないか。

 北と話し合っているあいだに、制裁を強めることは難しい。北朝鮮は中国を後盾として時間を稼ぎ、ミサイル試射、核実験を行わなくても、性能を向上させることができる。

 だが、そのあいだ戦争は起らない。日本としては、“平和ボケ”から目を覚まして、真剣に防衛力の強化に励むべきだ。「鬼のいぬ間に洗濯」だ。


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