加瀬英明のコラム
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  危機と躾
    Date : 2020/05/29 (Fri)
 「躾」は日本でつくった国字だが、「馴れている」「身についている」を意味する、「しつく」の名詞だ。

 武道、書道、茶道から日常の身のふりかたまで、動じる――動揺することなく、慌ててはならない。つねに落ち着いていることが大切だ。私は空手道6段を允許されているが、試合に臨んでは技が身についており、どのような状況にも馴れていることが求められる。

 中国から始まった新型コロナウィルスが、全世界にひろがるなかで、人々が浮き足立っている。不安が先き立って落ち着かないので、足が地を踏んでいない。焦燥感に駆られると、判断力と認知機能が低下する。

 全国でトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起ったが、トイレットペーパーはウイルスの感染予防には何の役にも立たないはずだ。 躾けを欠いた人々は、自律神経を冒されたように付和雷同する。

 昨年は異常な気象によって全国に大きな被害が発生したが、人類の歴史を振り返ると、地球温暖化や冷却化によって翻弄されてきた。

 このところ、人間活動が二酸化炭素(CO2)の排出量を増しているために、気候変動をもたらしていると、ひろく信じられているが、人はそれほど大きな力を持っているだろうか。コロナウィルスにも、対応できない。思い上がりだ。

 青森県の三内丸山遺跡はよく知られているが、今日よりも海岸線が接近していた。科学調査によれば、当時の気温は現在より2度以上も高く、海面が上昇していた。あの時代に日本列島に工場がひしめき、まだ自動車も走っていなかった。

 およそ2万8000年前の最終氷河期の中期から、温暖化によって海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートルも上昇した。

 西暦1550年から約300年にわたって小氷河期が訪れ、日本では1833年から天保の飢饉に襲われ、全国にわたって餓死、行倒れがあいついだ。

 今回のウイルスが、太陽の外層に輝く部分に似ているので、「コロナ」と名づけられている。太陽のコロナは黒点が極大、極小期によって、地球に飛来する電子の強弱が変わって、地球の気象をもてあそんできた。

 愚かな人々が妄動して、人間活動が気候変動を招いていると、全世界にわたって空ら騒ぎに耽っている。スーパーにおけるトイレットペーパー騒動によく似ている。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
 福田赳夫内閣が昭和51(1976)年12月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。

 私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。

 本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。

 福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、“目玉”がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。

 私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。12月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。

 前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。

 私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。

 私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。

 もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。

 当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。

 私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、2年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。

 私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が“韓国切り捨て”を望んでいた。

 この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。

 私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。

 私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。

 ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。

 第1回福田・カーター首脳会談から20年たって、国防省、国務省で1974年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。

 この時に、モース教授が20年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。

 その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。

 中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。

 防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。

 日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。

 戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。

 外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
福田赳夫内閣が昭和五十一(一九七六)年十二月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。
私は四十歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。
本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。
福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、〃目玉〃がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。
私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。十二月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。
私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。
私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。
もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。
当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。
私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、二年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。
私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が〃韓国切り捨て〃を望んでいた。
この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。
私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。
私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。
ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。
第一回福田・カーター首脳会談から二十年たって、国防省、国務省で一九七四年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。
この時に、モース教授が二十年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。
その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。
中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。
防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。
日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。
戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。
外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


  パンデミックが示したグローバリズムの弊害
    Date : 2020/05/12 (Tue)
 2月にギリシアで、東京オリンピック大会のための聖火の採火式が行われた。テレビのニュースで観たが、ナチスの式典だということに触れることがなかった。

 古代ギリシアのオリンピア大会でも、1896年に近代オリンピック大会が始まってからも、1936年のベルリン大会まで聖火リレーが行われなかった。

 ヒトラーのナチス・ドイツがこの年にベルリン大会を主催したが、すべての道がベルリンに通じることを示威するために、ゲベルス宣伝相が発明したものだった。

 いま新型コロナウィルスが、イタリアで猛威を振っている。1922年にファシスト・イタリアの独裁者となったムソリーニが政権を握ると、真っ先に「非衛生的だから握手の悪習を廃止して」、ローマ帝国時代の敬礼だった右手を前に高く掲げる、「サルート・ロマーノ」(ローマ式敬礼)にかえるように求めた。

 1918年からスペイン風邪が全世界に流行して、数千万人の死者が発生したからだった。ヒトラーがナチス党の党首となると、ファシスト・イタリアを模倣して、ローマ式敬礼を採用した。

 中国武漢(ウハン)から広まった新型コロナウィルスが、米ソ冷戦の終結後に人類の世界体制となったグローバリズムを、粉砕した。ウハン・ウィルスによるパンデミック(世界的流行)が、いつ終息するか分からないが、そのもたらした衝撃があまりに大きいだけに、終息しても、世界がもとに戻ることはないだろう。

 グローバリズムは世界を一つのものとしてみて、投資、製造、人や物品の移動から国境をなくしてしまった。

 2002年にサーズ(重症急性呼吸器症)が、やはり中国広東省から始まった時に、中国は世界経済の4%にしか当たらなかったが、2020年に16%を占めるようになった。

 中国が問題だ。先進諸国は中国に過度なまで部品や素材のサプライチェーンを依存してしまったために、国内の工場の操業や供給が停まって、経済が大きな打撃を蒙っている。

 サーズは、中国人が麝香猫(じゃこうねこ)科のハクビシンを、好物として食べることから起ったといわれる。中国政府の発表によっても新型コロナウィルスも、人々が爬虫類科のセンザンコウや、ハクビシン、蝙蝠を食べているために発生した。武漢では市場でこれらの野生動物が食用として売られていたが、ウハン・ウィルスが発生してから、中国政府がはじめて禁止した。

 トランプ政権が中国の覇権主義に掣肘を加えるようになったものの、中国は世界経済システムのなかに組み込まれ続けた。だが、今回のパンデミック騒動のなかで、中国の信用が大きく傷ついた。中国に対して、新疆ウィグル、香港に対する圧政、外国企業に対する不当な干渉によって、すでに嫌気がさしていたが、中国がウハン・ウィルスの発生後に2ヶ月近く隠蔽していたことが、中国のイメージに止めを刺した。

 私は今回の新型コロナウィルスによるパンデミックを境として、「チャイナ」と「グローバリゼーション」の二つの言葉が持つ意味が、大きく変わったと思う。

 グローバリゼーションはそれぞれの国の固有な文化による箍(たが)を弱めて、人々を無国籍にしたために、放縦になって快楽を追求させてきた。その結果、先進諸国における死因は生活習慣病によるものが、大多数を占めるようになっている。私は人々が国境が果してきた役割に、再び目覚めることになるのを期待している。

 今回のウハン・ウィルスによるパンデミックが、いつ終息するか分からないが、世界のありかたに冷水を浴びせたことは間違いない。

 もう一つよいことがあるとすれば、中国人が悪食(あくじき)の習慣を改めれば、センザンコウが絶滅から救われることになろう。


  今こそ無法な憲法を改正し、日本を建て直そう
    Date : 2020/05/12 (Tue)
 ついに政府が、新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大を防ぐために、全国に「非常事態宣言」を発した。

 もっと早い時期に発するべきだったか、意見が分かれるところだろうが、国民の危機意識を引き締めるのに、役立っただろう。

 今回の非常事態宣言は、横浜港に接岸した大型クルーズ客船『ダイヤモンド・プリンセス』によって、コロナウィルス騒ぎが始まってから、急いで国会を通した「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にもとづいて、発したものだ。

 ところが、日本では「非常事態宣言」を発しても、住民や、国民に強制することができないために、政府が呼びかけて「要請」するほかない。

 アメリカや、ヨーロッパ諸国では、非常事態宣言が発せられると、そのもとで、食料や生活必需品を買う目的で家を出るのを除いて、外出した場合に高額の罰金を科しているが、日本では要請するだけで、罰則がない。

 私は都内の千代田区に住んでいるが、千代田区では区の条例によって、路上で喫煙すると罰金を科せられる。区でさえ、条例によって罰金を科すことができるのに、国家的危機を乗り切るために「非常事態宣言」を発したはずなのに、どうして罰金を科すことができないのだろうか。

 現行の日本国憲法には、アメリカをはじめどの国の憲法にもうたわれている、非常事態条項が欠落しているために、重大な危機に立ち向うことができない。

 現行の日本国憲法はアメリカの軍事占領下で、無抵抗だった政府と国会に強要されたものだから、一国の憲法にとうてい値しない代(しろ)物(もの)だ。

 アメリカが占領下の国に、基本法である憲法を改めることを強いたのは、国際法の重大な違反だった。そのために、アメリカは憲法を押しつけたことを偽装して、日本国民が自らの手で制定したように見せ掛けた。

 日本国憲法の原文は、護憲派の憲法学者たち全員が認めているように、英文である。世界の憲法のなかで、原文が外国語で書かれているのは、日本国憲法だけである。

 アメリカは現行憲法を、日本国民のためを思って、強要したのではなかった。日本を罰するためと、日本が未来永劫にわたって再びアメリカの脅威とならないように、アメリカのためだけを思って、強要したものだった。

 日本は占領下で独立を奪われていたから、講和条約によって独立を回復するまでは、国家でなかった。

 それなのに、現行憲法が「日本国憲法」と呼ばれているのは、“偽物の憲法”であることを示している。

 日本を憲法第9条によって完全に非武装化して、アメリカの保護下でなければ生きられないように丸裸にしたのは、日本を二度と独立国としないためだった。

 護憲派は現行憲法を、まるで家宝のように扱って後生大事にしているが、宝物どころか、危機に当たって役立たない偽物のガラクタでしかない。

 新型コロナウィルスによる試練は、戦後、未曽有のものだ。

 いったい、いつになったら終息するのだろうか。全国民が暗然としている。

 ただ、意気消沈しているより、この無法な憲法を改正して、日本を建て直す好機だと考えたい。


  危機意識が欠落した国家のままでよいのか
    Date : 2020/04/03 (Fri)
 中国生まれの新型コロナウィルスが、全世界を不安に陥れている。

 日本はあきらかに対応が、大きく遅れた。

 アメリカからモンゴルまで多くの諸国が、日本より数週間も早く中国からの入国を禁じたのに、日本では3月に入っても、湖北省、浙江省だけから入国を禁じていた。

 全面入国禁止にすると、中国政府に遠慮したのか、1月末に始まった春節(旧正月)中に来日する中国人観光客を当てにしたのか、いずれにせよ、危機意識が欠落していた。

 私にとって不思議なのは、連日、マスクの供給が足りないと報じられたが、どうして女性たちがハンケチや手拭いを使って、マスクを作ることをしなかったのだろうか。

 4、50年前なら、急拵(きゅうごしら)えのマスクを作ったはずだ。いまでは家庭にミシンがないし、女性たちが縫い物をしないからなのだろう。

 かつて女性たちだけでなく、子供たちも軍人に深い敬意を払った。誰もが胸のなかで、「兵隊さん有難う」と思ったものだった。国を護ることが、何よりも大切だと知っていた。

 今回は、海外からコロナウィルスの侵略を蒙った。

 日本国憲法が前文で、外国が日本に脅威を及ぼすことがないとうたっているために、外国に対する警戒心が失われたのだろう。

 日本国憲法にはどの国の憲法にもある、大型地震、台風などの天災、パンデミック(地球規模の感染症)に襲われた場合に、国民の生命財産を守るために、国民の一部の権利を一時的に制限する緊急事態条例がない。

 阪神淡路大震災では、消防車や救急隊が瓦礫を撤去しなければ通行できなかったのに、私有権が立ちふさがって、多くの人命が失われた。

 現行憲法はアメリカが占領下で、日本が再び独立国とならないように無力化するために、強制したものだ。国家が国民を護るために存在しているという基本中の基本が、すっぽりと抜け落ちている。

 だが、「だからこそ、現行憲法が『平和憲法』だ」と信じている多くの軽率な国民が、“護憲教”というカルトを形成している。平和とは何か、真剣に考えたことが、あるだろうか。

 識者と自民党のなかから、今回のコロナウィルスの危機を教訓として、憲法に緊急事態条項を加えるべきだという声があがっている。

 それに対して、立憲民主党の枝野幸男代表が、「国民の生命を梃(てこ)として、改憲を主張するのは筋違いだ」と、批判した。

 だが、憲法は国民の生命と安全を守るために、存在している。国民の安全を守ることができなければ、人権を守れない。安全と人権は、同じ言葉だ。

 湖北省から邦人を乗せた、政府仕立てのチャーター機から降りた二人が、検診と観察下に置かれることを拒否した。

 平和憲法の制約によって、「必要最小限、周辺諸国に脅威を与えない」防衛力しか保有できないとしている。感染症や、気候変動による大型台風や、洪水に対しても「最小限」の備えがあればよいのだろうか。

 今回の新型コロナウィルスによる危機が、一刻も早く終息することを祈っているが、また新しい強力なビールスが登場しよう。

 国家はつねに危機感を持たねばならない。憲法が危機に備えられないなら、改めるべきだ。


  “世界終末”の詐話によって騙されまい
    Date : 2020/04/03 (Fri)
 1月にスイスのダボスで、「ダボス会議」として知られる「世界経済フォーラム」が開催された。

 ダボスはスイス東部の深い渓谷の底にある保養観光地で、トーマス・マンの小説『魔の山』の舞台になった。

 1971年以後、毎年、ダボスにマスコミが“グローバル・エリート”と呼ぶ、2000人以上の多国籍企業経営者や、政治家、知識人などが集まって、「世界が直面する重大な問題」を討議することになっている。

 今年は「地球温暖化による気候変動」が、重要な議題だった。

 17歳の“環境問題活動家”として時めいている、グレタ・トゥーンベリ嬢が基調講演を行い、「地球を救うのには、あと8年しか残されていない」と訴えた。

 グレタさんは15歳で「気候のための学校ストライキ」を呼びかけ、100万人以上の学生が参加したことで有名になり、両親に二酸化炭素(CO2)を排出する飛行機旅行をやめさせたり、肉を食べないよう説得して“時代の寵児”となった。

 地球に残された時間が、8年だって? だが、裏付けがあるのだろうか?

 50年前、「ローマ・クラブ」が一世を風靡した

 私はグレタさんの託宣をきいて、1970年に『ローマ・クラブ』が世界の著名な科学者、経済学者、経営者などの“叡知”を集めて、『成長の限界・人類の危機』というレポートを発表したことを、思い出した。『ローマ・クラブ』の六人の常任委員会には、日本から経済学の大宗として持て囃された、大来多三郎氏が加わっていた。

 『ローマ・クラブ』の報告書は、世界が経済成長を続けてゆくと、環境汚染が悪化し、クローム、鉄、アルミ、錫、鉛、金、銀、水銀、石油などの鉱物・化石資源が枯渇するから、「経済成長をゼロ」にすべきだと主張して、一世を風靡した。

 この報告書は常識から大きく逸脱した、噴飯物だった。もし経済成長をとめたら、汚染がもっとひどくなる。中学生でも環境を浄化するためには、カネがかかることが分かっている。

 久し振りに『成長の限界』を読み返すと、「限界、危機、破局」というおどろおどろしい言葉を連発している。

 グレタ少女による怪しい神託の類(たぐい)といえば、枚挙に遑(いとま)がない。

 最近では、2013年にケンブリッジ大学の教授が、2年後の2015年に北極の氷が消えてしまうと、警告していた。

 1968年に、著名な環境学者のポール・ヒアリッヒ教授が、ベストセラーになった『人口爆弾』によって、地球人口がこれ以上増えれば、人類が滅亡すると警鐘を鳴らした。

 その2年後の1970年の世界人口は、36億人だった。『成長の限界』レポートも「爆発的な人口増加」を、切迫する「人類の危機」として取りあげていた。今日、世界人口は2倍以上に増えている。

 グレタ少女は妖しい巫女だ

 日本大学の季刊誌の春季号に、牧野富夫日本大学名誉教授が、グレタ少女を「スウェーデンの十代の少女グレタ・トゥーンベリさんの活動に世界が驚き注目している。国連などで地球の危機を訴える弁舌は説得力があり、大人を圧倒する。素晴らしい。質疑でも、縦横・機敏に対応し、彼女が『自分の考え』をもっていることを、物語っている」と、手放しで激賞している。

 資源が枯渇するのではなく、軽はずみな人々が絶えることがない。 

 グレタ少女から『ローマ・クラブ』まで、人心を乱す邪しまな占い師だ。

 私は占いを好む女友達たちに、「『占い』の語源は『裏付けがない』ですよ」と戒めている。占い師は吉か凶といって、客を脅すことを生業(なりわい)としている。

 神社の御神籤(おみくじ)は遊びだから罪がないが、『成長の限界』のような報告書は、人間の脳が危ふさと、暗いことにもっとも強く反応するのに乗じている。

  私は『成長の限界』が発表された年に発表した著書で、「資源が枯渇することはない。石が枯渇したために、石器時代が終わったというのとかわらない」と批判した。青銅器時代が終わって鉄器時代に移ったのは、銅が枯渇したからではない。

 青森県の三内丸山遺跡といえば、よく知られている。縄文人の集落だが、科学調査によれば、当時の気温は今日よりも2度も高かった。海面が上昇していたから、海岸線が三内丸山遺跡に接近していた。

 7、8000年あまり前に、日本列島に一酸化炭素を排出する工場がひしめき、上空を旅客機が頻繁に飛んでいたはずがない。

 気候変動は自然現象

 地球の気候は科学調査によれば、およそ18000年前の最終氷期の中期から温暖化が進み海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートル上昇していた。

 西暦1550年から約300年にわたって寒冷な小氷期が訪れ、ロンドンのテムズ河が完全に氷結して、氷のうえに市場が開かれていた。凶作の時代だった。日本では小氷期に、1180年から81年まで「天明の飢饉」、1833年から36年まで「天保の飢饉」が起っている。

 もちろん、このような気候変動は主として太陽活動によるもので、今日の地球温暖化も自然の力によるものだ。人為的にもたらされているのではない。

 グレタ少女は飛行機に乗らず、肉食をいっさい拒んでいるというが、スウェーデンから鉄道にも、自動車にも乗らず、どのようにしてダボスに来たのか。革靴も履かず、皮製のソファに腰掛けないのだろうか。

 牛や、羊を放牧するために森林を伐採することによってCO2が増加しているが、エビの養殖のために広大なマングローブ林が消滅しているほうが、地球環境をはるかに損ねていると非難されている。グレタ少女はエビも、口にしないのだろうか。

 「政経同志会」50周年の祝宴

 この原稿を書いている途中で、都心の帝国ホテルに本部を置く、エリート経営者団体の『政経同志会』の50周年を祝う晩餐会に招かれた。

 同会の奥山忠代表は、人望が高い。ホテルの大広間を埋めて、1000人あまりの善男善女がテーブルに着席して、会の半世紀を賑々しく祝った。

 帝国ホテルの洋食といえば、日本で最高峰として知られる。

 「黒毛和牛フィレ肉のポワレ ジュヴ・シャンベルタンのソース」を中心とするフルコースに、舌鼓をうった。

 私はふと50周年というと、『ローマ・クラブ』がレポートを発表したのも、同じ半世紀前だったと思った。もし、このレポートの警告が当たっていたとしたら、この大広間の和やかな盛宴はなかったはずだった。

 今日では、『成長の限界』の報告書が枯渇すると警告した鉱物資源は、すべて国際価格が暴落している。

 『ローマ・クラブ』をはじめとするレポートは、人心を惑わしただけだったから、罪は重い。

 トーマス・マンの警告

 トーマス・マンといえば20世紀を代表する作家だが、1933年にナチスが台頭すると57歳でドイツから亡命して、第2次大戦後、スイスに住んだ。マンは「多くの人々が傍観していたことが、ナチス時代を招いた。『ノー』といわねばならない時には、『ノー』とはっきりといわねばならない」と警告している。

 『人口爆発』や、『ローマ・クラブ』のように世間を誑(たぶら)かすレポートは、人災である。

 黙って傍(はた)で見ていると、まったく不必要な混乱に手を貸すことになる。「ノー」といわねばならない。

 そういえば、その後、『人口爆弾』の著者も、『ローマ・クラブ』の6人の常任委員も、1人として過ちを犯したことについて謝罪していない。良心を欠いた人たちだ。


  正気を失いつつある日本外交
    Date : 2020/03/09 (Mon)
 1月に日米両政府が東京において、現行の日米安保条約の60周年を盛大に祝った。

 60年前にワシントンにおいて、安倍首相の祖父・岸信介首相と、アイゼンハワー大統領が改定された日米安保条約に調印した。

 60周年を祝う式典には、安倍首相、麻生副総理、外相、防衛相、米国側はアイゼンハワー大統領の孫娘、新任大使が着任していないので代理大使、在日米軍司令官などが出席した。

 式典の一部をテレビで観て、私は感慨深かった。私は1980年に現行の安保条約が20周年を迎えた時に、2年前に防衛庁が設立した、日本初の民間の安全保障研究所の理事長だったが、米国の有力シンクタンクのヘリテージ財団と共催して、20周年を記念する会議を行った。

 米国からフォード前大統領を団長として、多くの上下院議員、戦略研究所の幹部が来京した。岸元首相とフォード前大統領が基調講演を行った。鈴木善行首相が来臨として挨拶したが、あくまでも民間の会議だった。

 私は日本の安全保障にとって台湾が重要であることから、台湾総統府の国家安全会議の議長一行をオブザーバーとして招いた。政府も反対しなかった。今日なら中国を恐れて、台湾から高官を招くことはありえない。

 この4年前に福田赳夫内閣が発足したが、私は翌年に首相特別顧問という肩書をもらって、対米外交の第一線に立った。

 その2年後に、三原朝雄防衛庁長官から日本初の民間の安全保障研究所をつくるように求められた。この時、設立趣意書に米国が一方的に日本を守る保護条約を、対等な共同防衛条約に改めたいと述べて、福田総理、三原長官にはかったが、反対されなかった。今日でも、日本より力がない韓国、フィリピンも、米韓、米比共同防衛条約を結んでいる。

 新聞各紙が日本安全保障センターの発足を報じたが、サンケイ(現・産経)新聞が「きなくさい日本安全保障センター」と見出しを組んだほかに、朝日新聞も非難しなかった。 日本はまだ多分に正気を保っていた。

 1992年に、宮沢喜一内閣が翌年に天皇御訪中を目論んでいたが、天皇御訪中について有識者14人を選んで、首相官邸に招いて、個別に30分ずつ意見を聴取した。私はその1人として招かれたが、3人が反対意見を述べ、多数が賛成するという出来レースだった。私は有識者が招かれるのでなく、政府が招くから有識者になると揶揄(やゆ)した。

 各紙が報じたが、読売新聞は木村尚三郎東大名誉教授、私、平山郁夫画伯、作曲家の黛敏郎氏、清水幹夫毎日新聞論説委員長の順で顔写真を並べて、取り上げた。黛氏、私、3人が反対し、木村、平山氏など10人が賛成した。毎日新聞の清水論説委員長は、「意見がない」と述べた。意見がないのに、なぜ招きに応じたのか、分からない。

 私は「天皇陛下が外国に行幸されるのは、国民の祝福をお伝え下さるためだ。中国は人権を蹂躙しており、陛下が行幸されるのに価しない」と述べて、反対した。

 中国は3年前に天安門広場で大虐殺を行って、先進諸国から経済制裁を蒙っていたために、天皇御訪中によって国際イメージを改善することを狙っていた。御訪中後、諸国は対中制裁を撤回した。

 政府は4月に、習近平主席を国賓として招くことを決定している。私は18年前と同じ理由で、強く反対している。

 中国は新疆ウィグル自治区で100万人以上のウィグル人を強制収容所に送り込んで、チベット、内モンゴルで民族浄化を強行している。香港でも人権を蹂躙している。そのために国際的に孤立している。

 習主席が国賓として来日すれば、答礼として天皇陛下が御訪中になられることとなる。

 天皇陛下を人身御供として差し出して、よいのものだろうか。


  欠陥だらけの憲法を大事に戴いていいのか
    Date : 2020/03/03 (Tue)
 読者諸賢に質問したい。

 仮に、天皇陛下が国会の開院式に臨まれて、「日本国憲法の規定に従って、国会を解散する」と仰言せられたとしたら、読者諸賢はどう思われることだろうか?

 もちろん、陛下がこのようなお言葉を述べられることは、ありえない。

 憲法第7条【天皇の国事行為】は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と述べ、「一、憲法改正、法律、法令及び条約を公布すること」から、「十、儀式を行ふこと」まで10項を規定している。

 天皇陛下がご自分の意志によって、政治に関与されることはあってはならない。

  読者諸賢は国会を解散できないし、衆議院は解散できるが、参議院を解散することができないことを、承知されていよう。

 ところが、憲法第7条は「四、国会議員の総選挙の施行を公示すること」と、規定している。

 中学生でも、「総選挙」が衆議院議員選挙についてのみ、行われることを知っていよう。

 したがって憲法第7条4項は、大きく間違っている。

 恥しいことに、現行の日本国憲法は欠陥だらけだ。第7条はその一例にしかすぎない。

 いうまでもなく、憲法は国の最高法規である。その憲法に明白な間違いがあるのを放置して、よいのだろうか。

 私たちはこのようなトンチンカンな憲法を73年にもわたって、後生大事に戴いてきた。

 トンチンカンは漢字で「頓珍漢」と書くが、鍛冶屋が交互に相槌(あいづち)を打つべきところ、へまで、かみあわないことから、とんまな物ごとをいう。

 まさか、憲法についてトンチンカンといえないはずだが、現行憲法はトンマだ。

 だが、どうして日本国民は今日にいたるまでこれらの明らかな誤りを正すことなく、70年以上にわたって、無為に過ごしてきたのだろうか?なぜ、憲法を大切にしないのか。

 もし、日本国憲法が日本人の手によって起草され、公布されたのだったとしたら、憲法の前文、第9条などは、当然のことに、改められていたことだろう。

 このような憲法を戴いていては、日本の安全と独立を守ることが、とうていできない。  

 それなのに、全国から欠陥憲法を改正しようという声が、ごうごうと起ることがない。

 “護憲派”の人々は、憲法を大切にしているどころか、憲法を粗末にしているから、憲法に見過ごしてはならない欠陥があっても、護ろうと叫んでいるのだ。憲法はどうでもよいというから、無責任だ。

 現行の日本国憲法は、日本の歴史的な伝統はおろか、日本語の読み書きもできない、占領軍のメンバーによって書かれ、日本政府に強要されたものだった。きっと外(と)つ国(くに)の神々によって降(くだ)されたものだから、国民が身近に感じることがなかったのだろう。

 政府は中東情勢が緊迫したために、海上自衛隊の護衛艦1隻と、哨戒機を急遽派遣した。

 野党が憲法が制約しているからといって、「自衛隊を危険なところに送るな」と、反対した。

 それならば、まず日本の民間のタンカーを危険な中東に送ってはならないといって、反対するべきではないか。


  年を超えた忘年の友 直さん(園田外相)
    Date : 2020/02/27 (Thu)
 福田赳夫内閣が昭和51(1976)年に発足した翌年に、私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、第1回福田・カーター首脳会談の詰めをはじめ、対米交渉の第一線に立った。

 その後、福田、鈴木善行内閣で、園田直外相の顧問、中曾根内閣で首相特別顧問として、レーガン政権を相手に折衝した。

 大平正芳外相と、園田外相の2人が、私の記憶にもっとも深く刻まれている。

 昭和47(1972)年に、田中角栄内閣のもとで、日中国交正常化が行われた。私は33歳で、月刊『文藝春秋』などに寄稿していたが、日中国交正常化に強く反対した。

 私は毛沢東政権が歴代の中華帝国と、変わらないとみていた。当時、中国は中ソ戦争に脅えて、日本を必要としていた。日中貿易は世界で最大だった。私は米国が中国と国交を樹立してから、後追いすべきだと主張した。

 だが、朝日新聞をはじめとする大手新聞が「日中友好」を煽る狂態を演じて、世論を一色に染めあげていた。

 私は大平外相に会って、オフレコで「いま政府が相手にしているのは、空想上の中国であって、現実の中国ではないでしよう」と貭したところ、毒虫を噛み潰したような表情を浮べて、「そうです」と答えた。

 中国に一方的に有利な形で、日中国交正常化が行われた。台湾を切り捨てたが、台湾と領事関係を保てたはずだった。いまも歪(いびつ)な日中関係をつくった、戦後外交の大失敗だった。

 私が園田氏を知ったのは、中学生の時だった。鎌倉の家の近くに改進党の実力者の大麻唯男氏が住んでいたが、子がなかったことから、よく菓子など御馳走になった。

 園田氏は改進党の青年将校で、大麻邸で待つあいだに、私と将棋をするようになった。その時から、「直(ちょく)さん」と呼ぶようになった。

 私がニューヨークに留学していた時に、園田外務政務次官がやって来て、「マッカーサーに会いたい」といった。元帥はマンハッタンに住んでいた。親しいニューヨーク・タイムズ紙記者に頼んだところ、簡単に約束がとれた。私が通訳をした。この時のことを、後に『文藝春秋』誌に随筆を書いたが、「これほど面白い随筆はない」と絶賛された。

 カーター政権が77年1月に発足して、3月に日米首脳会談が予定された。直さんから「目玉がないが、知恵がないか」と求められたので、「カーター大統領に、日本が国連安保理事会の常任理事国となるのを支持すると、いわせることができる」と、メモを届けた。

 当時、日本はすでに経済大国になっていたが、新聞は1人当たり国民所得が「ベネズエラ以下」と書きたてていた。私は日本国民に、自信をもたせたかった。

 私はカーター政権の国家安全保障会議(NSC)担当特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授や、カーター大統領の師のハンフリー元副大統領と親しかった。

 前年、カーター氏が大統領当選者となった時に、郷里のジョージア州の村にあった政権準備事務室を訪れて、カーター一家、政権発足後に官房長となったジョーダン氏などの側近と親しくなった。

 福田総理からワシントンに使いしてほしいといわれた。「外務省顧問」という肩書を貰うことになった。外務省の山崎北米局長と会ったが、「そんなことはできるはずがない」と、木で鼻をくくったような対応だった。

 前もって、ブレジンスキ補佐官、上院議員になっていたハンフリー元副大統領などに電話をして了解をとっていたので、総理一行が出発する前日にワシントンに入った。

 出発する前夜に、直さんから電話があった。「ところで肩書だが、外務省がごねるから、首相特別顧問で頼みましゅ」(天草出身だったから、サ行がそうなった)というので、「出世しました」と礼をいった。

 共同声明に、私の“目玉”がうたわれた。

 その後、米国から要人が来ると接待したが、官房長官室で機密費を貰った。部屋に小さな金庫があって、直さんが屈んであけると、段ごとに5、10、20万円が白い封筒に入っていて、ポケットから手帳を取り出して、名前と金額を書き入れた。いつも10万円貰った。

 ある時、私に20万円の封筒を寄こして、「間違えた」といって手を伸ばした。私が「男は受け取ったものは返しません」と拒むと、「あげましゅ」といって、顔を綻ばせた。

 園田外相の訪米に随行したが、ある夜、ホテルの大臣の部屋で、大臣、NHK出身の渡部亮次郎、後に国連大使となった佐藤行雄両秘書官と水割をのんでいた時に、私が直さんに「アメリカでハト派の発言はやめたほうがよい」と注意したところ、人前だったからか、眼を剝いて「戦場で塹壕のなかを転げまわったことがない者に、平和を語る資格がない」と、珍しく私に怒った。咄嗟に「火事を出したことがない者に、消防を語る資格がないんですか」と切り返したら、「いまの発言を取り消しましゅ」と、謝った。

 直さんは中国戦線で見習士官として、砲火を潜った。終戦寸前に少佐で、空挺隊長としてサイパン島に突入することになっていた。

 直さんは座談が当意即妙で、お洒落だった。

 深紅の上着の裏地に歌麿の春画が、あしらわれていた。ヘーグ国務長官の宴席で上着を脱いで披露したので、夫人たちがいっせいに目を背けた。苦労人で、男らしく、実直、天真爛漫だったから、外国人を魅了した。

 私と23歳の差があった。直さんに童心があったから、弟のようだった。『和漢朗詠集』に「年を超えた忘年の友」という漢籍があるが、そうだったのだろう。

 いまの国会議員は、テレビの体温がないキャスターのように淀みなく話すが、酸いも甘いも分からない味盲だから、座談に味わいがない。政治がつまらなくなった。平沢勝栄議員が、数少ない例外だろう。


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