加瀬英明のコラム
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  心のお洒落を大切にしよう
    Date : 2018/01/15 (Mon)
 私は12月に、81歳の誕生日を迎えた。
 
 人は誰も計画して、歳をとることがない。計画外だから、その準備がない。

 「半」という字を解くと、81になる。

 私は半寿になって、幸いなことに、いまだに半端な人生を送っている。半端者だから、いまからも将来がある。

 未完成だから、まだ若いのだ。完成していないのを、感謝しなければならない。人生を完成させたいという目標がある。

 昨年も、親しい友人たちが160人ほど、私をからかうためにホテル・オークラに集まって、誕生日を賑々しく祝ってくれた。

 いまから20年前になるが、新聞・出版界の業界紙『文化通信』から頼まれて、私の物書きとしての半生記の連載を書いた。その時に、「私の半成記」という題をつけたところ、読者から「『半生』の間違いではないか」という、お叱りを頂戴した。

 俳壇に「半成句」という言葉があるし、森鷗外が小説『花子』のなかで、「半成記」と書いている。

 私はこの歳になっても、まだ半成だ。毎日、努力するのが楽しい。

 昨年、私は3冊の著書を発表した。例年とかわらずに、ワシントンに2回通った。自由業というのは、他人様が私を自由に使ってくれるからだ。だから忙しい。

 昨年、嬉しかったのは、防衛費が5兆円を超えるようになったことだ。いや、1日も早く、10兆、20兆円台に乗せてほしい。

 その次に嬉しかったのは、中島兄哥がはじめて馴染の赤坂のクラブに、連れていってくれたことだ。マダムが見惚れるように美しく、竜宮城を訪れたような、時が過ぎるのを忘れる体験だった。兄貴のカラオケをたっぷり聴かされたのも、楽しかった。

 マダムが華やかななかに、女にとっても男にとっても、心のお洒落(しゃれ)が大切なことを教えてくれた。

 昨秋、この10年、空手道5段だったが、6段に昇段した。宗家から允許状を手渡されて、文武・質実剛健・粗衣粗食を旨として生きてきただけに、身が引き締まる思いがした。

 そういえば、今年は政府が「明治維新150周年」を祝うという。

 日本が150年前に、西洋の植民地主義列強の毒牙から独立を守るために、明治維新を断行して、ごく短時間のうちに、見事に白人の強国と並ぶことに成功したのは、国民が文武両道を重んじたからだった。

 新憲法下で11月3日の「明治節」が、「文化の日」となったが、今年から「文武の日」に改めてほしい。

 戦後の復興期だったから仕方がなかったが、使い捨てできる軽便安価のものを、「文化住宅」「文化包丁」「文化マッチ」「文化人」と呼んだものだった。私は市販されている『文化人手帳』に名が載った時に憤慨したが、無視されるよりも、悪口をいわれるほうがよいと思い直して、我慢した。

 健康が人生で大切なものの1つといったら、誰も異論がないだろう。ところが、仕事や、勉強については「攻める」べきものというが、なぜか、健康となると、「守る」「維持する」ものとなっている。

 健康を重んじるのであれば、健康こそ、「攻めるべきもの」ではないだろうか。

 人生を「苦」だと、思ってはならない。私は人生を「遊び」だとみなしてきた。

 誰にとっても、幼い日の体験は珠玉のようなものだが、あのころは遊びと一体になっていた。私にとってこれまで仕事は、いつだって「遊び」であってきた。

 私は「幸福を求める大罪」があると、信じてきた。

 幸せは努力した結果として、もたらされるものだ。

 戦前の人々は「愛している」などと、卑猥なことを、口にしなかった。昨今の男女は「愛している」と、心にないことを連発するが、妻や子たちからたったひとこと、「ありがとう」といわれるほうが、真心が籠っている。

 感謝しあうほど、心と心との絆を強めることはない。

 こんなことをいう私も、明治の御代(みよ)に入ってから、半髪(はんぱつ)と呼ばれたが、断髪するのを拒んで、髷(まげ)を切らなかった男のようなものかもしれない。

 あの時代にも、「半髪頭を叩いてみれば、因循(いんじゅん)(古い習慣に凝り固まる)姑息(こそく)の音がする」と、揶揄(やゆ)されたものだったが、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な文化人であるよりも、因循でいたい。

 作年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。

 私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。

 「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。

 私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。

 11月に、昨年3冊目となった『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。

 日本で流行神について、もっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。

 「希望」とか、「愛」とか、「平和」という言葉を、軽々しく使ってはなるまい。

(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)


  国民を教唆扇動するテレビの「ワイドショー」
    Date : 2018/01/10 (Wed)
 昨年、いくつか私は暗然としたことがあった。

 1つは神奈川県座間市で起った、9人が犠牲となった連続殺人事件だった。

 日本を震駭させた事件だった。何日にもわたって、テレビのどのチャンネルを回しても、視聴者の好奇心を満たすために、この猟奇的な事件ばかり取り上げていた。

 あそこまで微に入り細に入り、詳細に報道する必要があるのか。

 日本では、テレビの「ワイドショー」が花形のニュース番組となっているが、ニュースを客観的に伝え、分析する番組であるよりも、娯楽番組仕立てとなっている。

 キャスターを中心に、ニュースについて専門知識がないシロウトが、レギュラーの出演者として並んで、思いつきを喋りまくる。

 中国や北朝鮮で、人を裁く資格がない村民を集めて行う人民裁判を、彷彿させるものだ。

 連続殺人事件の犠牲者の9人のうち8人が、1人の未成年者を含めて未婚の女性だった。

 だが、どの番組を観ても、未婚の若い女性が面識がない男性に誘われて、それも男の住居まで出掛けたことを、批判する声がまったくなかった。

 つい3、40年前だったら、このような女性は「ふしだら」とか、「あばずれ」といって、強く非難されたことだろう。もし私がテレビに出演したとしたら、そういったはずだ。

 もっとも、今日では娘が「ふしだら」だとか、「あばずれ」というような言葉は、死語となっているから、犠牲者にはそのような自覚がなかったにちがいない。

 このような言葉を死語にした社会は、狂っている。

 もちろん、凄惨な連続殺人を犯した兇悪な犯人は、厳罰に処せられるべきだ。だが、今日の社会が、8人の娘たちを殺したのではなかっただろうか。

 テレビ局がこのような社会をつくったというのに、反省することがまったくない。

 「アディーレ」という法律事務所が、不正を働いたといって、弁護士資格を停止された。

 私はこの法律事務所について知らなかったが、毎日のようにテレビがCMを流していたので、法律事務所が外国名だったのが当世風かと思って、記憶に残っていた。

 だが、この法律事務所の大多数の顧客が、テレビが流していたCMによって勧誘されたのだから、当然、テレビ局にも責任があったはずだ。テレビ局はCMを流したことを、ひとことも陳謝することがなかった。CMをただ放映すればよいというものではあるまい。テレビ局は破廉恥だ。

 10月22日の総選挙で、俄かづくりの立憲民主党が大量得票して、野党第1党に躍り出た。

 東京比例区では、自民党に180万票台投じられたのに対して、立憲民主党は140万票台を獲得した。

 立憲民主党は、日本国憲法の「専守防衛」の制約を守るべきだと、公約として掲げていた。「専守防衛」では、日本を守れない。

 2020年の東京オリンピック大会で、野球が種目となった。もちろん、日本チームも出場するが、胸に日の丸を縫い取った日本チームは、憲法解釈による「専守防衛」という束縛によって、攻撃することを許されず、守備に専念しなければならない。

 日本チームの打者はバットを持たずに、ピッチャーと向かい合う。

 バットを持つことを禁じられているから、はじめからゲームを放棄するようなものだ。「専守防衛」も同じことだ。野球界だけではなく、世界に通用しない。

 テレビでは、「専守防衛では、日本を守れない、日本国憲法はおかしい」と発言することは、許されない。

 新聞に休刊日があるが、テレビも毎月何日か、放映を休んでほしい。


  この国を洗濯致し度候
    Date : 2018/01/04 (Thu)
 平成29(2017)年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。

 私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。

 「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。

 10月22日の総選挙の投票日は、日本列島を超大型といわれた台風が襲った。

 昨年は明治元年から数えて、150年目に当たった。

 当日、私は雨がすべてを洗うように降るのを見て、幕末の志士の坂本龍馬が姉の乙女に宛てて、「この国を洗濯致し度候」と、手紙を認めたのを思い出して、天が安倍政権を大勝させて、憲法を改正することによって、日本を洗濯することになるのだと、思った。

 自民党が圧勝した。私は安倍首相が70年も待たれた「日本の洗濯屋」になることを、祈った。

 昨年、私は3冊の本を発表した。11月はじめに、『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。

 私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。

 日本で流行神についてもっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。いまなら「風が吹く」というのだろう。詳しくは、拙著をお読みいただきたい。

 北のミサイル脅威の最大の原因は何か 

 12月4日の午前9時から、TBSテレビの『腹が立ったニュース・ランキング2017』という番組を観ていたら、第1位は「北のミサイル脅威」だった。

 通行人の中年の男性がインタビューに答えて、「北朝鮮がボンボン、ミサイルを撃っているけど、日本政府は何かできないんですかね?」と、ぼやいていた。

 いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。

 日本がある東アジアは、無秩序状態(アナーキー)にある。

 いったい、東アジアをこのような無秩序状態にした、最大の原因は何だろうか。

 日本国憲法が災いをもたらした

 日本国憲法だ。もし日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”を改正して、日本の経済規模の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたとしたら、弱小国にすぎない北朝鮮によって、ここまで侮られることがなかった。

 イギリスとフランスのGDPを足すと、ちょうど日本と並ぶ。両国は核武装しており、それぞれ空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも、平和愛好国であることはいうまでもない。

 もし、日本がイギリス、フランス並みの軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。

 そして、中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、重武装した海警船によって、連日、包囲することもなかったろう。

 平和憲法はまじないにしかすぎない

 きっと、枝野幸男氏たちの立憲民主党を支持した、「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第9条が日本の平和を守ってきたと、信じていることだろう。

 だが、「平和憲法」という呪(まじな)いが、日本を守ってきたはずがない。「平和憲法」を信仰している善男善女は認めたくないだろうが、戦後、日本を守ってきたのは、一貫してアメリカの軍事力であり、日米安保体制だった。

 もし、日米安保体制がなかったら、韓国が竹島だけでなく、対馬も盗んでいただろうし、中国が尖閣諸島を奪っていたことだろう。ロシアが北方領土だけで、満足しただろうか。

 私は「良識」を信じない

 私は日本の「良識」を、まったく信じない。

 私はいまから40年前に、『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版)を著した。韓国に通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにしたものだった。

 私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝鮮研究者から、この本によって触発されて北朝鮮に関心を持ったと聞かされた。

 私がこの本を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする大新聞や、著名な人士が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃していた。

 朝日新聞が、この年に『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜きん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」という見出しが、続いていた。

 「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、いまなら籠池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。

 金日成主席を礼さんした人々

 1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの国」と呼んで、絶賛した。

 「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々のためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)

 1976年に、小田実氏が訪朝して金日成主席と会見して、「『北朝鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)と、書いている。当時、小田氏は日本の青年男女の寵児(ちょうじ)だった。

 私は北朝鮮を絶賛した、多くの人々の発言をいくらでも引用することができるが、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。

 読者はつい15年前まで、NHKから大手のテレビ局までが、北朝鮮に言及する時に「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかったことを、憶えておられよう。

 当時、私はもし正式国名で呼ばなければ良識に反するのなら、どうしてドイツを「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシアを「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。ドイツも、イギリスも、ギリシアも、もとにない日本語なのだ。

 中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時に、日本中が「日中友好」の大合唱に酔い痴れていた。

 私は「『子子孫孫までの友好』のような戯言(たわごと)に惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日中友好」が、その時の「良識」だった。

 「文化の日」を「文武の日」にしよう

 北朝鮮を正式国名を呼ばなければならないという不思議なきまりは、2002年に小泉首相が訪朝して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めると、国民のあいだで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えてしまった。

 日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪をつくりだしたのだ。

 今年は、政府が「明治維新100周年」を祝うという。
 
 明治の日本が近代国家を造ることができたのは、日本国民が文武両道を重んじて、「富国強兵」に取り組んだからだった。

 戦後、「明治節」は、「文化の日」と呼ばれる休日となっている。今年から、「文武の日」に改めてほしい。


  東アジアを無秩序状態にしたのは日本国憲法である
    Date : 2018/01/04 (Thu)
 北朝鮮が日本の安全を脅かし、国民をうろたえさせている。

 だが、北朝鮮は人口僅か2千数百万人、経済が完全に破綻した弱小国でしかない。

 いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。日本がある東アジアは、無秩序状態にある。

 昨年10月の総選挙で立憲民主党や、日本共産党、社民党に投票した「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第九条が日本の平和を守ってきたと信じていよう。

 だが、東アジアをこのような無秩序状態にした最大の原因は、何だろうか。

 日本国憲法である。もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した後に“マッカーサー憲法”を改正して、日本より経済規模(GDP)が半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたら、弱小国にしかすぎない北朝鮮によって侮られることはなかった。

 イギリスとフランスの経済規模を足すと、ちょうど日本と並ぶが、両国は核武装しており、空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも平和愛好国だ。

 そうだったら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、連日、重武装した海警船によって包囲することもなかったろう。

 「平和憲法」が日本の平和を守ってきたはずがない。イギリス、フランスを手本にしたい。

 日本は「平和憲法」による専守防衛の制約によって、北朝鮮を攻撃する能力がない。だから、アメリカに縋(すが)るほか、国を守る手段がない。

 専守防衛の制約を守れば、敵軍が日本本土に上陸するか、敵のミサイルが国土に飛来するまでは、迎え撃つことができない。

 私は40歳の時に福田赳夫内閣の首相特別顧問として、対米折衝に当たった。その時に、防衛庁の要請によって、日本最初の安全保障問題の研究所が設立されて、私が理事長をつとめた。アメリカの研究所と、日米の防衛共同研究を行った。

 アメリカの研究所から、戦車の専門家が3人来日したので、陸上自衛隊の富士演習場に案内して、戦後2番目の国産戦車の74式戦車に試乗してもらった。74式戦車は1974(昭和49)年に、制式化されたものだ。

 富士演習場に世界で唯一つといわれた、戦車砲のシミュレーターがあった。砲塔の砲手の席に座ると、田園風景が前方のスクリーンに映しだされて、そのなかを敵戦車が光点となって移動する。

 光点を狙って引き金を引くと、衝撃とともに模擬(もぎ)砲塔が震動する。私もシミュレーターを体験したが、眼前にひろがる農村風景を見て、一瞬、戦慄を覚えた。

 のどかな田園風景に農家が点在し、畑のなかにピップエレキバンの野外広告板がたっていた。

 専守防衛は国土を戦場とする。先の大戦末期に、狂信的な軍人たちが「本土決戦」「一億総特攻」を叫んで、日本民族が滅亡するところを、昭和天皇が救って下さった。

 昨春、軍事専門誌として人気が高い『丸』3月号が、国産戦車第1号の61式戦車を特集していた。題名が「『本土決戦用戦車』61式戦車誕生ス」というものだった。

 現行の日本国憲法は、平和をもたらさない。

 悲惨な災いを招くことを、知ってほしい。


  中東は砂丘に似ている
    Date : 2017/12/26 (Tue)
 私は11月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。

 これまでワシントンでサウジアラビアの一般のイメージは専門家を除けば、灼熱の砂漠、棗椰子(なつめやし)と駱駝と、石油マネーの神秘的な国だったが、突然この国に関心が集まっていた。

 11月に、32歳のモハメド・ビン・サルマン皇太子が、有力だった王子グループを拘留して国政を掌握した。サウジアラビアでは王族(プリンス)たちのコンセンサスによって、政治が行われてきたから、クーデターである。

 逮捕されたプリンスたちは、首都リディアで贅をきわめるリッツ・ホテルから、一般客を追い出して幽閉されたから、この国らしい。

 皇太子は2030年までに石油依存から脱却して、近代国家を建設する目標を掲げている。サウジアラビアは中東でもっとも保守的な宗教国家であってきたが、経済改革とともに、女性が目だけをだして全身を衣で覆うことを定め、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じていたのを、自由にする意向を示している。

 これまでイスラムの厳しい戒律によって、映画館や、演劇場が一つもなかったが、許可されることになった。大改革だ。

 皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支援するアサド政権が勝ったことによって、強い危機感に駆られたためといわれる。直前に、内戦中の隣国イエメンで、イランが操るフーシ派の反乱軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。

 そのために、サルマン皇太子はイランと対抗するために、イスラエルと事実上の同盟関係を結んだ。すでに皇太子は極秘裡に、イスラエルを訪れている。イスラエルは隣国レバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラの脅威を蒙っている。

 今回の皇太子による実権掌握は、トランプ大統領の承認を受けたものとみられる。トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れていた時に、夫君のJ・クシュナー氏がリディアを訪れていた。

 皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。

 私は性急な改革が成功することはない思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が改革を性急に進めたために、革命が起って帝政が倒れた。

 『ニューヨーク・タイムズ』紙がサルマン皇太子の実権掌握を、正真の「アラブの春」と称えているが、2011年にチュニジアで民衆が蜂起した時に、アメリカは「アラブの春」と呼んだ。その結果、リビア、シリアが内戦に陥り、エジプトでムバラク政権が倒れた。

 私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったことがあった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、様相が一変する」と、語った。

 アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2正面を、同時に守る軍事力を持っていない。
 東アジアが留守になった時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができるのだろうか。


  刻々と形を変える国際政治 日本は“権威”の呪縛を解けるのか
    Date : 2017/12/25 (Mon)
 11月に6ヶ月ぶりに、ワシントンへ戻った。

 トランプ政権が発足してから、2年目を迎えた。

 万事が保守的な日本と違って、とくにアメリカは新陳代謝が激しい社会だ。

 トランプ政権のアメリカは、オバマ政権のアメリカから大きく脱皮している。まさに御一新だ。

 トランプ政権のアメリカは、自国を普通の国として位置づけて、アメリカが建国以来、特別な使命を授かっているといった、自国をエクセプショナル(地上で特殊)な国として、見立てることがなくなった。

 クリントン政権、ブッシュ政権、オバマ政権のアメリカも、ヒラリーの民主党のアメリカも、アメリカが自由、平等、人権など、他国に備わっていないソフト・パワーを持っているといって、驕っていた。

 トランプ政権には、このように他国を見降ろす、鼻持ちならない傲慢な態度がない。だから、日本のいうことも聞いてくれる。

 私は、トランプのアメリカに、好感がいだける。オバマ政権のもとのワシントンまでは、日本よりも高い位置にたって、どうするべきか教える態度をとってきた。

 私の親しい人々だが、いまではマイケル・グリーン氏も、リチャード・アーミテッジ氏も、ジョセフ・ナイ氏も、過去の人だ。ワシントンで、影響力はまったくない。

 それなのに、私がワシントンに滞在中に日本最大の経済新聞社が、日本に招いていた。もちろん、古い友人を大切にするのは、賞讃すべきことだ。

 キッシンジャー博士が、トランプ大統領のホワイトハウスによって重用されているのは、習近平政権に対して“中国の代理人”として影響力を持っていると、みなしているからだ。

 日本ではひとたび権威として、受け容れられてしまうと、よほどの衝撃がないかぎり、その座から降ろされることがない。

 日本は和――コンセンサスの国だ。そのために、大多数の人々が自分を独立した存在として意識することがない。

 日本では多くの人が、独りの人間として独立していない。そのために、コンセンサスを探りあううちに、コンセンサスが生まれる。

 こうして生まれたコンセンサスは、しばしば得体(えたい)が知れないものだが、いったん全員が倚(よ)り掛(かか)るようになると、権威となって、強い拘束力を発揮する。

 日本国憲法は、このようなコンセンサスだ。あきらかに世界の現実にそぐわないのに、私たちを70年にわたって、金縛りにしてきた。朝日新聞も、発行部数が激減しているものの、その典型的なものの一つだ。

 『日本国憲法』は、アンデルセンの童話のまさに「裸の王様」だ。

 王様は素っ裸なのに、多くの日本国民が金襴(きんらん)の衣裳を、纏っていると信じている。滑稽なことだ。

 いま、“北朝鮮危機”という子供が、「王様は裸だよ!」と、さかんに声をあげている。

 今年は明治150年に当たるが、幕末の志士たちという子供が、明治維新をもたらして、日本の独立を守ったのだった。

 国際政治は砂丘のように、刻々と形を変える。

 権威という蜃気楼によって、惑わされてはならない。


  日本の「良識」が今日の北朝鮮という妖怪を生んだ
    Date : 2017/12/21 (Thu)
 吹けば飛ぶような弱小国の北朝鮮が、日本だけではなく、アメリカも翻弄している。

 北朝鮮は人口が僅か2千数百万人、経済が完全に破綻したみすぼらしい国なのに、核弾頭とミサイルの開発を進めてきたために、東アジアの様相を変えようとしている。

 私は1977年に韓国に何回も通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにした『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版)を著した。

 私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝鮮研究者から、この本によって触発されて、北朝鮮に関心を持ったと聞かされた。

 金正恩(キムジョンウン)委員長の祖父の金日成(キムイルソン)による「偉大なる首領さま(ウィデハン・スーリヨンニム)」の朝鮮民主主義人民共和国が誕生したのは、1948年9月のことだった。

 日本が1945年8月に第2次大戦に敗れると、38度線以北にソ連軍が進駐し、10月にソ連軍の手によってピョンヤン(平壌)において、「金日成将軍(キムイルソンチャングン)帰国歓迎(キグクファンヨン)平壌市群衆大会(ダンジュンデフェ)」が催され、ソ連軍少佐の軍服を着た30代はじめの壇上に立つ男性が、「金日成(キムイルソン)将軍(チャングン)」として紹介された。

 「金日成将軍」(金一成(キムイルソン)、金一星(キムイルソン)としても知られた)は1930年代に、満州国で住民を悩ましていた匪賊団(ひぞくだん)の頭目であり、一部の朝鮮人のあいだで「抗日ゲリラ」として人気を博していたが、30年代なかばに当時の日本語新聞に、日本軍によって討伐されたという記事が載っている。

 この平壌大会に参加した朝鮮人の1人は、金日成将軍といえばもっと年長であるはずだから、壇上の青年が“偽者(カッチャインムル)”だと直感したと、私に語っている。

 日本が1932年に満州国を建国する前の満州は無法地帯で、匪賊が跋扈(ばっこ)していた。

 「金日成」を名乗った男は、本名を「金成柱(キムソンジュ)」といって、満州で跳梁(ちょうりょう)していた匪賊を働いていた盗賊だったが、日本軍の討伐に耐えられずに、ソ連領シベリアへ逃げ込んだ。ソ連は対日戦に備えて、これらの朝鮮人を日本軍の背後を撹乱する遊撃大隊として組織して、金成柱を隊長として起用した。

 ソ連は日本統治下の朝鮮にいた朝鮮人を信用しなかったので、金成柱を傀儡(かいらい)として選んだ。金成柱が平壌大会に登場した時には33歳だった。

 金日成の死後「聖なる血筋(コウルクチョルトン)」を継いで、2代目の独裁者となった金正日(キムジョンイル)は、朝満国境にある白頭山(ペクトウサン)にあったゲリラ基地で誕生したとされるが、シベリアの粗末なソ連軍兵舎で賄い婦で、金成柱の妻だった金正淑(キムジョンスク)を母として生まれている。

 金日成は匪賊出身だったから無教養で、首相に就任するまで、接収した日本人の邸宅に住んでいたが、日本人女中として働き、後に越南して、帰国することができた林和子氏によると、ボール紙で尻を拭いたために、よく水洗便所がつまったと回想している。

 朝鮮民主主義人民共和国が発足すると、金日成こと金成柱は首相に就任し、ライバルをつぎつぎと処刑、あるいは暗殺して、独裁体制を確立すると、自分に対する個人崇拝を全国民に行わせて、「唯一思想(ユイルササン)」と「主体思想(チュチェササン)」を国家の基盤に据えた。

 もっとも「主体思想」というものの、「主体(チュチェ)」も何もあったものではない。ソ連が崩壊するまでは、ソ連とソ連の衛星国の東ヨーロッパ諸国の経済援助に頼っていたし、韓国、日本、アメリカなどから、たえず金(かね)や食糧を騙し取ることをたくらみ、ドル札、外国タバコの偽造、覚醒剤の密輸出によって稼いだ。

 匪賊の出身であるだけに、この国の対外政策は今日まで、すべてが山賊の発想と手口によって行われてきた。北朝鮮は「匪賊国家」なのだ。

 在日朝鮮人のパチンコ屋からの巨額にのぼる送金も、大きな収入源だった。私は「金日成」という名を、「日本ハ金(かね)ニ成ル」と読んでいた。

 クリントン政権の時に、金日成首席が死亡し、52歳の金正日総書記があとを継ぐと、アメリカは直前まで北朝鮮で飢饉によって100万人以上が餓死していたので、北朝鮮がほどなく崩壊する可能性が高いと誤って予想した。

 ところが、北朝鮮は人口が2000万人台と小さいために、体制が揺らがなかった。

 人口が厖大(ぼうだい)な中国で王朝が頻繁に交替したのと違って、朝鮮半島では歴代の王朝が酷い政治を行ってきたが、新羅(紀元前57年〜935年)、高麗(918年〜1392年)、李氏朝鮮(1392年〜1910年)も、人口が少なく統制しやすかったから、それぞれ400年以上も続いた。

 北朝鮮では国民一人ひとりを、その出身によって、100以上の「成分(ソンプン)」に細かく分類したうえで、いまでも「人民班分組担当制(インミンパンブンジョクムタンジェ)」と呼ばれるが、全住民を5戸単位にして、それぞれ「熱誠覚員(ヨルソンタンウォン)」によって責任指導させて、徹底的に管理している。

 私が先の著書を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする新聞や、著名人が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃していた。

 1977年に、朝日新聞が『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜きん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」といった、歯が浮くような見出しが続いていた。

 この連載の「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、まるで籠池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。

 1968年に、日本婦人団体連合会会長だった櫛田ふき女史は、「朝鮮民主主義人民共和国創建20周年」の慶祝大会に招かれて、次のように書いている。
 
 「数万の観衆は、ただただ賛嘆の声を放つばかりでした。その夜大劇場でくりひろげられた、うたとおどりから成る大史劇とともに、私たちは日も夜も感激のるつぼの中で心をもやすのでした。(中略)

 金日成主席の卓越した指導のもとで、党と政府と人民の1枚岩の団結を、ここでもはっきりと見る思いがしました。そうでなかったら、どうしてこんなすばらしい国を挙げての大祝典を、これほどまでに成功させることができたでしょうか。

 “金日成将軍の歌”がどこからともなく聞こえてきます。数千の風船が舞いあがった平壌の空に、夜は5色の花火が巨大な模様をえがきだし、歓喜のどよめきは夜ふけまでつづきました」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)

 1974年に、槇枝元文日教組委員長が訪朝して、こう書いている。 

 「この国は、みんなが労働者であって資本家搾取者がいない。みんながよく働き、生産をあげればあげるほどみんなの財産がふえ、みんなの生活がそれだけ豊かになる。この共産主義経済理論を徹底的に教育し、学習し、自覚的に労働意欲を高めている。またこのことは、労働――生産――生活の体験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない。

 全国が学習しよう、全党が学習しよう、全人民が学習しようというスローガンのもとに、毎日2時間(労働時間終了後)、土曜日の午後半日、学習することが制度化されている」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)

 1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの国」と呼んで、絶賛した。

 「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々のためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)

 1977年に、創価大学の城戸又一教授は金日成主席について、「朝鮮に来て以来、朝に夕に、1日中、寝ても覚めても、といってもいいくらい、『わが偉大なる主席金日成同志』『敬愛する金日成主席』『父なる主席金日成さま』など、主席の名を口にするときは、必ずその前に、何らかのほめことばを付けずにいうことはないほど、人民大衆の尊敬を一身に集めている人である」(『世界』1月号)と書いている。

 1976年に、小田実氏が訪朝して、金日成主席と会見したうえで、「『北朝鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)と、書いている。当時、小田氏といえば、日本の青年男女の寵児(ちょうじ)だった。

 小田氏は2007年に物故したが、存命されていたら、いま、何といわれることだろうか。私はかねてから北朝鮮が「山賊国家」だと説いてきたが、狂っていたのか、桁外(けたはず)れた想像力に溢れてきたにちがいない。

 私は先の櫛田女史の訪朝記を読んで、かつてナチス・ドイツを礼讃した朝日新聞の記事が、二重映しとなった。

 「かつ色シャツ制服の『暴風団』は密集長蛇の行列を立てて指揮官の音頭に雷の様な標語を唱和する――。ドイツ国、さめよ! ユダよ、くたばれ! 1928年9月には御大(おんたい)のヒトラーがベルリンの『スポーツバラスト』に姿を現し未曽有の大集会を催して狂欣(きん)しをえつする人民に叫びかける――『ハイル・ヒトラー!』(万歳)」(朝日新聞、昭和7年10月2日、『ナチスは叫ぶ』)

 戦前、朝日新聞は、ヒトラーのナチス・ドイツを紙面をあげて、礼讃したものだった。

 私は土井たか子日本社会党委員長、読売新聞の高木健夫論説委員をはじめ、北朝鮮を手放しで絶賛した多くの発言を、まだ引用することができるが、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。

 私は1974年に、36歳で日本ペンクラブの理事になった。77年に韓国で反体制詩人の金芝河(キムジハ)氏が、朴正煕(パクチョンヒ)政権を批判する詩集『五賊』を発表したために、投獄される事件が起った。

 ペンクラブ理事会で、韓国政府の言論弾圧を非難する決議を行う提案が行われた。私は北朝鮮は表現の自由が完全に圧殺されているから、北朝鮮をあわせて糾弾(きゅうだん)すべきだと反論した。まだ韓国のほうが、自由だった。すると、理事だった三好誠氏が、北朝鮮には「言論弾圧はまったくない」と、嘯(うそぶ)いた。

 韓国を非難する決議が行われた。私は阿呆(あほ)らしいので、抗議の記者会見を開いたうえで、クラブから脱退した。
そういえば、作家の豊田有恒氏がWiLL『歴史通』2017年11月号に寄稿した、「朝日新聞が讃えたヒトラーと金日成」のなかで、「この新聞の当時のナチスへの傾斜と北朝鮮報道の類似について初めて言及したのは、加瀬英明さんである。ヒトラーを褒めちぎったのと同様の筆致で、金日成を称えてみせたのである」と、指摘している。

 私は日本の「良識」を、まったく信じない。

 つい、15年前の2002年まで、NHKをはじめとして、大手のすべてのテレビ局が、北朝鮮に言及する時に、「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかった。なぜなのか北朝鮮だけを、正式国名で呼ばなければならなかった。

 当時、私は北朝鮮をそう呼ばねばならないのは、まるで「寿限無寿限無五劫(ジュゲムジュゲムゴコウ)のすり切れ、パイポパイポパイポのシューリンガン‥‥」のようで、「バカバカしい」と、批判した。

 もし正式国名で呼ばなければ、良識に反するのなら、どうしてドイツを「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシアを「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。

 ドイツも、イギリスも、ギリシアという呼び名も、もとにはない日本語だ。
 
 中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時に、日本中が「日中友好」の大合唱に、酔い痴れていた。いまから振り返ると、日本国民は脳疾患をわずらっていたのだろう。

 私は中国は秦の始皇帝のころから、自分が天下を取らねばならないという、中華思想に取り憑かれた文明だから、「『子子孫孫までの友好』のようなタワゴトに惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日中友好」が、その時の「良識」となっていた。

 「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と正式国名を呼ばなければならないという、不思議なきまりは、2002年9月に小泉首相が訪朝して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めたために、国民のあいだで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えた。

 いま、北朝鮮危機によって、日本が存在する東アジアが、アナーキー(無秩序状態)に陥っている。

 その最大の原因は、何だろうか。「平和憲法」と呼ばれる、日本国憲法だ。

 もし、日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”を改めて、日本のGDP(経済規模)の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本を侮って、日本列島の頭越しにミサイルを試射することがなかっただろう。

 イギリスとフランス両国のGDPを合わせて、やっと日本と同じ経済規模となる。

 イギリスとフランスはそれぞれ航空母艦と、核を搭載した原潜を保有している。イギリスとフランスは、平和愛好国ではないのか。

 そうなれば、中国が強盗のように尖閣諸島と、沖縄を奪おうとすることもなかった。

 日本国民がキナ臭いことを嫌うのは、理解できるが、今日でも戦後の日本の平和が日本国憲法によって守られてきたと信じている国民が多い。相手を攻撃する能力を持たないという「専守防衛」が、いまでも「良識」となっている。

 だが、もし、戦後、日米安保体制がなかったとしたら、韓国が竹島だけでなく対馬も奪い、中国が南シナ海のように沖縄を、ロシアがウクライナ共和国のクリミア半島のように、北海道を占領していたのではないか。

 日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪を生んだ。
北朝鮮という「匪賊国家」が核兵器を持って、傍若無人に振る舞っている。

 戦前であれば、日本軍が討伐しているところだが、この匪賊団は核兵器を手にしている。


  日本を守るD 迎撃システムを緊急整備せよ
    Date : 2017/12/11 (Mon)
 トランプ政権が北朝鮮に先制攻撃を加えることがなければ、来年も高い緊張が続こう。

 それとも、北朝鮮は経済制裁によって崩壊するだろうか? この冬、北朝鮮は凶作によって深刻な危機を迎えるといわれる。

 だが、自壊しまい。クリントン政権は金日成首席が死亡して、金正日総書記が継ぐと、北朝鮮で飢饉によって100万人以上が餓死していたので、ほどなく崩壊すると判断して、北朝鮮が核開発をしないと約束したために、経済援助を与えた。

ところが、北朝鮮は人口が2000万人台と小さいために、体制が揺らがなかった。

 歴史を振り返ると、朝鮮半島では苛酷な政治が行われていたが、人口が大きな中国で王朝が頻繁に交替したのと違って、新羅(紀元前57年〜935年)、高麗(918年〜1392年)、李氏朝鮮(1392年〜1910年)も人口が少なく統制しやすいために、それぞれ400年以上続いた。

 このあいだ、日本はどうすべきか。北朝鮮からの脅威は、弾道弾しか考えられない。北朝鮮が航空機を用いて日本を攻撃することはありえない。特殊部隊が上陸してきても、対応できる。

 だが、弾道弾は人にたとえれば生真面目で、きめられた道を愚直に進んでくるから、迎撃ミサイルによって撃破できる。

 航空機や巡航ミサイルは、右へ左へ高く低く自由自在に飛ぶから、撃破するのが難しい。北朝鮮はハイテクの巡航ミサイルを持っていないし、航空機はすべて旧式だ。

 ところが、日本は弾道弾を迎撃するために、海上自衛隊のイージス艦を除けば、北海道から沖縄まで僅か17セットのPAC3しか保有していない。東京をとれば、防衛省の構内に1セット配備されているが、せいぜい半径30キロメートルしか守れない。

 米国から陸上配備型イージスや、PAC3などの最新システムを緊急輸入して、弾道弾に対する守りを固めるべきだ。

 トランプ大統領が来日した時に、米国製兵器を「押し売りした」といって非難するのは、世迷い言(ごと)だ。国民の生命を軽んじている。有難く買わせていただこう。

 日本国憲法の解釈による「専守防衛」は、国民の生命を危険に曝している。北朝鮮を攻撃できる能力を、急いで持つべきだ。自滅的な「専守防衛」にこだわって、悲惨な本土決戦を戦うことを選んではなるまい。


  日本を守るC トランプ アジア歴訪 勝者と敗者
    Date : 2017/12/11 (Mon)
 トランプ大統領のアジア歴訪の旅のいまのところの勝者は、安倍首相だ。

 習近平国家主席が自己採点したとすれば、自分が勝者だったと満足したはずだ。

 習主席は中国の最高指導者として、はじめてアメリカの大統領を親しく北京の歴代の皇帝の宮殿だった故宮を、得意気に案内した。

 故宮には9000もの部屋がある。習主席は自分がアメリカと対等な中国の全能の皇帝になったことを、印象づけたかったにちがいない。

 ところが、商人だったトランプ大統領は、取り引き相手をおだてるのに長けている。習主席に甘言を並べて誉め殺した。

 すると、習主席は赤ん坊があやされたように、満面笑顔になって舞い上がって、ふだん尊大に構えているのに、小者であることを露呈した。毛沢東が1972年に訪中したニクソン大統領を引見した時に、目上のように振舞ったのと対照的だった。

 習主席はトランプ大統領が北朝鮮に核開発を放棄させるために、「最大限の圧力をかける」ことに賛成しつつも、「対話によるべきだ」と繰り返し、北朝鮮へ石油供給を全面的に停めることに反対した。

 中国は北朝鮮を締め殺したくない。アメリカは北朝鮮の脅威があるかぎり、中国の協力を求めねばならないから、脅威がなくなったらアメリカの圧力が中国に向かってこよう。

 韓国の文在寅大統領が敗者となった。終始独立国の大統領として威厳をつくろったが、日米韓が北朝鮮に最大限の圧力を加えることに合意したものの、対話を説いて軍事攻撃を加えるのに反対し、足並みを乱した。

 文大統領はハノイのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)と、マニラのASEAN(東南アジア諸国連合)サミットでは、韓国語で「トイレに入る前と後では、気分が変わる」というが、中国に擦り寄って蝙蝠(こうもり)外交を行った。韓国民は大昔から「事大主義」といって、強者に媚びる国民性がある。

 私と親しいペンタゴン(アメリカ国防省)幹部は、「われわれはムンジェイン(文在寅)の斬首作戦を行いたい」といって、笑った。

 トランプ大統領はハノイ、マニラで、「自由で開かれたインド太平洋」を主唱した。安倍首相が5年前から提言してきた、「自由と繁栄の弧」を借りたものだった。

 トランプ大統領のアジア歴訪によって、誰もが国際政治家としての安倍首相の存在が一回り大きくなったことを、認めざるをえまい。


  日本を守るB 日本を守ってきたのは“平和憲法”ではない
    Date : 2017/12/11 (Mon)
 私はこの連載をワシントンで、書いている。

 トランプ大統領が12日にわたるアジア歴訪の旅から戻った日に、ワシントンに着いた。

 トランプ大統領はアジア戦略についてズブのアマチュアだったから、安倍首相が描いた台本(シナリオ)にそって踊らなければならなかった。トランプ氏が安倍一座の役者となった、といってよかった。

 両首脳は赤坂迎賓館の池で、並んで緋鯉に餌をやった。安倍首相が予定を急いで、餌が残った袋を逆さにして池にあけたところ、トランプ大統領も慌てて真似て、袋を逆さにして子供のように従った。

 安倍首相はトランプ氏が当選した直後に、トランプタワーに駆けつけて、2人のあいだに“個人的な”友情を結んで以来、国際政治の先輩・後輩のような絆をつくってきた。

 安倍首相はトランプ大統領を東京で、かつてなかったほどまで厚遇した。韓国も中国も日本に負けていられなかったから、慌てて日本に倣わねばならなかった。アメリカの大統領がかつてアジア各国で、これほど厚い赤絨毯のうえを歩いたことはなかっただろう。

 もっとも日本としては、北朝鮮の脅威が刻々と募るなかで、アメリカに縋りつくほかなかったから、トランプ大統領を最大限に歓待せざるをえなかった。日本は“平和憲法”の専守防衛によって縛られて、北朝鮮と戦う能力をからっきし欠いているから、アメリカに頼るほか生き延びる方法がない。

 日本が独立を回復してから、今日まで日本を65年にわたって守ってきたのは、「日米同盟」といわれる日米安保条約であって、日本国憲法ではない。どうして、こんな簡単なことが理解できないのだろうか。

 日本国民がきな臭いことを嫌うのは理解できるが、もし安倍内閣が民主党などの反対を押し切って、安保関連法案を成立させていなかったとしたら、「日米同盟」という鎧(よろい)が綻びていたことだろう。

 「平和憲法」は「万邦無比」(世界に例がない、日本だけが持っている)のものだ。

 先の大戦末期に、狂信的な国粋主義者や高級軍人たちと、朝日新聞が「神州不滅」を唱えて、本土決戦を「一億総特攻」によって戦うことを叫んだが、「平和憲法」も大和魂(やまとだましい)と呼ばれた精神主義と同じものだ。

 先の大戦の惨憺(さんたん)たる敗戦に、まだ懲りていないのだ。枝野先生には大戦末期の陸軍将官の軍服が、よく似合うと思う。


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