加瀬英明のコラム
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  アメリカ国民はトランプ支持? マスコミは“トランプ憎し”の偏向報道
    Date : 2018/02/22 (Thu)
 日本のテレビの報道を見ていると、トランプ大統領がすぐにでも弾劾されて、罷免されてしまうような印象を受ける。

 トランプ大統領は粗暴で思慮を欠き、大統領としてまったく不適格で、大多数のアメリカ国民から鼻摘み者になっているという、薄っぺらなイメージをつくりだしているが、まったく事実と駆け離れているのではないか。

 11月に上院議員の3分の1、下院議員全員が改選される中間選挙を行われるが、私は蓋をあけると、トランプが支持されて、共和党が両院で過半数を握り続ける可能性のほうが、高いと思う。

 もちろん11月まで、まだ半年以上あるから、何が起るか分からないし、両院で多くの共和党の有力議員が引退するから、民主党に有利に働くという見方もある。現状では、トランプ大統領に対する支持が、民主党を大きく上回っていると思う。

 アメリカ経済が順調に上向いている。国内雇用を積極的に創出するわきで、オバマ時代の多くの規制を撤廃しつつあることも、功を奏している。

 株価は2月に一時急落したが、上昇している。結局のところ、有権者は懐具合(ふところぐあい)で判断する。

 民主党は有権者に訴えるような、政策を持ち合わせていない。困ったことに、トランプ大統領が本来であれば、民主党が得意技としてきた、大規模な公共投資と雇用の創出をはじめとする、金看板の綱領を奪ってしまった。

 トランプ大統領は1兆5000億ドルのインフラ投資を打ち出したが、かつてのルーズベルト大統領の『ニューディール政策』を、思い出させる。2年前の大統領選挙では、ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれる、停滞した工業都市のプア・ホワイトや、失業者が、トランプに票を投じた。

 巨大労組は伝統的に民主党を支持してきたが、先の大統領選挙では“労働貴族”と呼ばれる組合幹部が、ヒラリー夫人に票を投じたかたわら、組合員の大多数がトランプの側にまわった。

 トランプ大統領は、歴代の大統領が大手新聞や、テレビを通じて、国民に呼びかけたのに対して、ツイッターを使っている。アメリカでも、日本でも、若者の新聞、大手テレビ離れが急速に進んでおり、トランプのツイッターは3000万人以上が読んでいる。

 短いツイッターを乱発することに、批判があるが、北朝鮮と中国を締めあげるのに、大きな効果をもたらしている。北朝鮮が平昌オリンピックに当たって、韓国に対して和平攻勢をかけるようになったのも、トランプのツイッターが効いているとみるべきだ。

 日本の大手新聞、テレビは、アメリカの大手新聞、テレビが、先の大統領選挙でヒラリー夫人を支持して、惨敗したために、“トランプ憎し”の偏向報道にうつつを抜かしているのを、猿真似している。

 日本の新聞、テレビのワシントン特派員の大半は、例外があるものの、英語を満足に話し聞きできない者がポストとして赴任して、ポストだから4年あまりで交替してしまう。

 これでは、人脈をつくることもできない。現地の新聞や、テレビが主な取材源となる。

 もっとも、日本の大手新聞、テレビは日本国内でも、“護憲”をはじめとして、思い込みが激しいために、報道が偏向しているから、仕方がないのだろう。


  イギリス王室に見る尊厳と大衆化の相克
    Date : 2018/02/07 (Wed)
 和歌「君が代」は、おそらく世界で今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝歌であろう。

 1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民も含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。

 明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。

 私は『君が代』を斉唱するたびに、心が高揚する。

 おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものだろう。結婚するから、人類が存続でき、未来を手にすることができることを、理屈抜きで知っているからだろう。

 昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が発表され、日本のマスコミも騒がした。

 マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、2013年に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教会から独立して以来、敵対していた。

 マークルさんには1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロデューサーが健在であることも、妨げにならなかった。

 また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも障害にならなかったが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。

 チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が白人の優位を確信し、劣る有色人種を植民地支配していたことを、正当化していた。日本が先の大戦でアジアを解放し、その高波がアフリカまで洗ったことによって、人種平等の世界がもたらされたのだった。

 ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。

 もっとも、私はイギリス発祥の『ブリタニカ大百科事典』の最初の外国語版の編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティでお話する機会があったが、マークル妃と会って、同じように敬意を払えないと思う。

 エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できるファミリーは200あまりしかなかったろうが、この40年のあいだに、社会規範が大きく変わった。

 ハリー王子の父君のチャーチル皇太子がダイアナ妃と結婚したのは1981年だったが、ダイアナ妃は下級貴族の出身だったから、イギリス社会が“シンデレラ・ストーリー”として沸くかたわら、驚かせた。

 開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して王室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。

 その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された。

 ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても貧しかった。そのために家族や、地域社会の人々が生活を支え合ったが、物質的な豊かさがもたらされたことによって、人類にとって当然のことだった絆を、破壊してしまった。

 子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。

 結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。


  明治維新150周年に当たって想う
    Date : 2018/01/31 (Wed)
 近代日本の出発点を学ぼう

 今年は明治維新から150年になることから、政府が「明治維新150周年」を祝うことになっている。

 それなのに、国民のなかに明治維新150周年を祝うことに、反対する声が聞かれない。

 これは感慨深いことだ。日本国民がようやく明治維新を祝うようになったのだ。

 明治維新は先人たちが行った偉業だった。日本がやっと立ち直りつつある。

 今日では明治維新が行われたからこそ、日本が貪欲な西洋列強の餌食になることなく、独立を全うして近代国家として発展することができたことに、異論を唱える者はいまい。

 今から50年前の昭和43(1968)年に、明治維新100年が巡ってきた。

 ところが、50年前の日本では、政府はもちろん、民間にも維新100周年を祝う気運がまったくなかった。100周年を話題にすることもなかった。日本は朦朧としていた。

 昭和43年には、日本が国民総生産(GNP)でアメリカに次ぐ、世界第2位の経済大国になったというのに、6月に東大医学部学生が東大安田講堂を占拠して、機動隊が出動し(翌年、大規模な安田講堂占拠事件が発生)、10月に学生が新宿駅を占拠し、11月に4000人以上の学生が安保粉砕を叫んで、首相官邸に乱入した。大学紛争が全国の115校の大学に波及した。

 そのわきで大手新聞が、2年後に迫った日米安保条約改定へ向けて、60年安保騒動が再現されることを期待して、「70年危機」を煽っていた。

 国家の自立意識の欠如

 この年にはすでに敗戦からほぼ半世紀、独立を回復してから15年もたっていたのに、アメリカによる占領によって蒙った深い傷から、立ち直ることができなかった。国家意識を喪失してしまっていたために、国民が明治維新が紡いだ輝かしい歴史を、思い遣ることができなかった。

 昭和43年から半世紀が過ぎて、いま、ようやく占領憲法の改正の是非が問われ、国論を二分するようになっている。それでも現行憲法を改正できるのか、まだ前途は険しい。

 人は頭部に酷い外傷を負わされたり、異常体験をすると、自分が何者か分からなくなる記憶喪失に陥ることがあるという。今日の日本でも、日本がどのような国であってきたか、はたして国家なのか、分からない者が多い。

 自尊こそが大切だ

 世界史を振り返ると、このように国家が記憶を喪失する症状を患った例は、日本の他にない。私にはなぜ日本がこのような状態に、いまだに陥っているのか、説明することができない。読者諸賢に教えを乞いたい。

 日本国民は敗戦から今日まで、人であれば正常な人間関係――国家として正常な国際関係を結ぶことが困難な自閉症を、病むようになっている。国の存立を危ふくするものだ。1日も早く癒さなければならない。

 自閉症は正しくは早期幼児自閉症と呼ばれ、この症状を患っている者は、言語障害をともなうが、自己のみに関心が集中し、自分を責めたてて、自立することができない。

 マッカーサーの暴言はいまでも正しいのか

 昭和21年に、マッカーサー元帥が「日本国民は12歳だ」と発言したことが、総司令部の指示によって、当時の日本の新聞に大きく報じられている。いまでも日本のなかで護憲派が国家の安全をひたすらアメリカに委ねて、自国に対して成人としての責任を果すことを頑なに拒んでいる。

 きっと、昭和21年ごろから幼児性の疾患を病んで、歳をとることがないのだろう。

 日本国憲法は大多数の日本国民によって、「平和憲法」と呼ばれて親しまれてきたが、先の戦争後の日本の平和は、アメリカの軍事力によって守られてきた。この憲法はアメリカの保護なしに、成り立たない。「“アメリカの力による平和”憲法」と、呼ぶべきである。
 
 成人の日の意義を考えよう

 今年も1月8日に、『成人の日』が巡ってきた。『成人の日』は占領下で、昭和23年に制定された。

 テレビが日本各地で、『成人の日』の式典が賑々しく行われたことを報じた。しかし、日本は国として、まだ「成人の日」を祝うことができないでいる。いつになったら、「成人の日」を迎えることができるのだろうか。

 昨年11月に、都内の名門私立大学の国士舘大学において、建学100周年を記念して「『東京裁判』シンポジウム」が催された。

 櫻井よしこ氏、西修駒澤大学名誉教授、高橋史朗明星大学特別教授と、私が招かれて討論が行われた。櫻井氏、西氏、高橋氏は、私が敬愛してやまない学識者である。私はシンポジウムから、多くを学んだ。

 午前と午後にわたったシンポジウムは、それぞれ30分講演した後に、パネル討論が行われて、東京裁判と、もう1つの占領政策の柱だった「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」が、日本国民の精神をいかに歪めてきたか、追及した。

 東京裁判は国際法を、無惨に踏み躙ったものだった。占領軍が行った言論統制と、「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言論の自由を約束したポツダム宣言に、大きく違反するものだった。

 私はパネル討論が終わる寸前だったが、どうしても1つ訊ねたいことがあった。

 司会をつとめた国士舘大学法学部のS教授に、「1つお伺いしたいことがある」と前置きして、「28年後に先の戦争が終わってから、100周年になりますが、アメリカが行った東京裁判と『ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム』によって、日本が惨めな状況に置かれているというシンポジウムを、また行うことになるでしようか?」と、質問した。

 S教授は答えなかった。私はこのシンポジウムに参加することを求められた時に、戦後72年もたつのに、まだ東京裁判を日本が直面する問題として取り上げることに、忸怩たるものがあった。

 東京裁判は無法な復讐劇

 東京裁判は無法な復讐劇だったし、アメリカの占領政策は復讐心と、当時のアメリカを支配していた白人優位信仰に基く傲りから、日本が野蛮国だときめつけた偏見が生んだものだった。

 そこで、独立を回復してから15年か、20年以内に、アメリカが占領下で行ったことが蛮行であったと総括して、アメリカを赦すかたわら、日本が独立国として誇りを取り戻すべきだった。

 真の独立国を目指そう

 私は日本が独り立ちできない咎を、いまだにアメリカの占領政策に負わせるのは、異常なことだと思う。

 これでは、韓国が72年も前に終わった「日帝時代」について、日本をいまだに執拗に非難しているのと、変わらないのではないか。このために、韓国は自立できないでいる。日本と韓国は、似ているところがあるのか、訝らざるをえない。

 もちろん、過去に遡って、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」を検証することは、近現代史研究の一環として有意義なことであることは、いうまでもない。だが、東京裁判をはじめとする、アメリカの対日占領政策は、学問的な研究の対象にとどめるべきだ。

 独立国は自立していなければならない

 戦後70年以上もわたって、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」を、日本を病ませている大きな要因として取り上げるより、なぜ、日本がいまだに対日占領から立ち直ることができないのか、いったい日本の民族性のどこに、脆弱なところがあるのか、考えたい。

 日本が明治に開国してから、今日の人種平等の世界を創出したことによって、世界のありかたを大きく変えたことを踏まえたうえで、今後、日本が有力な独立国として、さらに世界にどのように貢献できるものか、考えるべきであろう。


  日本国憲法の原文は英語 翻訳憲法が導いた東アジアの不安定さ
    Date : 2018/01/22 (Mon)
 過ぎ去った歴史に「もし、そうだったら」(イフ)を問うことは、けつして無益ではないと思う。貴重な教訓を学ぶことができるはずだ。

 今年は日本国憲法が制定されてから、71年目になる。

 現行憲法が占領下で強要されたことは、原文が英語であることから、明らかだ。いったい、どこの国の憲法の原文が外国語によって、書かれているものだろうか。

 異常なことだ。私は日本が独立を回復してから、今日まで後生大事に墨守してきた現行憲法を、「翻訳憲法」と呼んできた。

 現行憲法はマスコミや日本国民の大多数によって、「平和憲法」と呼ばれて親しまれてきた。

 だが、世界の歴史が記録されるようになってから、軍事的空白が生まれると、かならず周辺の勢力によって埋められることを、教えている。原文が占領者の国語である英語によって書かれた現行憲法は、日本に非武装を強いたが、アメリカが軍事的空白を埋めてきた。

「平和憲法」と呼ぶのは、誤まっている。正しく呼べば、「“アメリカの力による平和”憲法」なのだ。それを、“日本国民の精神がもたらす平和”だと思い込んできたとしたら、何と愚かなことだろうか。

 新年に当たって、神社や寺を詣でて「家内安全」の護符を貰ったからといって、戸締りをいっさいしなくて、すむわけがない。「息災」は仏の力によって、災害を消滅させることを意味するが、現行憲法の前文と第九条は、一片のお札にしかすぎない。

 では、これまでの70年を振り返って、「イフ」を問うてみたい。

 まず、もし、アメリカが71年前に、日本を完全に非武装化した現行憲法を強要するかわりに、第1次大戦に敗れたドイツに強いたベルサイユ条約のように、軍備に制限を加えるのにとどめたとしたら、占領下にあった日本政府が軍備を完全に放棄するという、突飛な発想を持つはずがなかった。

 1947年5月に日本国憲法が施行されたが、朝鮮戦争がその僅か3年1ヶ月後に勃発したために、アメリカも、マッカーサー元帥も、日本に非武装を強いる憲法を与えるべきでなかったと悔いた。もっとも、占領軍は絶対に正しいことを装っていたから、過ちを認めるはずがなかった。

 もう一つの「イフ」は、もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復してから、「マッカーサー憲法」を改正して、イギリスか、フランス並みの軍備を整えていたとしたら、今日のように北朝鮮や、韓国、中国から侮られることが、なかったはずだ。

 イギリスと、フランスは経済規模を示すGDPで、それぞれ日本の半分しかない。両国は航空母艦と、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を保有している。両国が平和愛好国であることは、いうまでもない。

 日本がもしイギリス、フランス並みの軍備を整えていたとすれば、北朝鮮が日本列島をミサイルの試射場がわりに使い、中国が傍若無人に尖閣諸島を奪取しようとすることがなかった。

 日本がアメリカの軍事力にひたすら縋って、“専守防衛”を国是としてきたことが、軍事的空白をつくりだして、今日、東アジアを不安定な状況に陥れている。一日も早く“翻訳憲法”の妖夢から、醒めなければならない。


  心のお洒落を大切にしよう
    Date : 2018/01/15 (Mon)
 私は12月に、81歳の誕生日を迎えた。
 
 人は誰も計画して、歳をとることがない。計画外だから、その準備がない。

 「半」という字を解くと、81になる。

 私は半寿になって、幸いなことに、いまだに半端な人生を送っている。半端者だから、いまからも将来がある。

 未完成だから、まだ若いのだ。完成していないのを、感謝しなければならない。人生を完成させたいという目標がある。

 昨年も、親しい友人たちが160人ほど、私をからかうためにホテル・オークラに集まって、誕生日を賑々しく祝ってくれた。

 いまから20年前になるが、新聞・出版界の業界紙『文化通信』から頼まれて、私の物書きとしての半生記の連載を書いた。その時に、「私の半成記」という題をつけたところ、読者から「『半生』の間違いではないか」という、お叱りを頂戴した。

 俳壇に「半成句」という言葉があるし、森鷗外が小説『花子』のなかで、「半成記」と書いている。

 私はこの歳になっても、まだ半成だ。毎日、努力するのが楽しい。

 昨年、私は3冊の著書を発表した。例年とかわらずに、ワシントンに2回通った。自由業というのは、他人様が私を自由に使ってくれるからだ。だから忙しい。

 昨年、嬉しかったのは、防衛費が5兆円を超えるようになったことだ。いや、1日も早く、10兆、20兆円台に乗せてほしい。

 その次に嬉しかったのは、中島兄哥がはじめて馴染の赤坂のクラブに、連れていってくれたことだ。マダムが見惚れるように美しく、竜宮城を訪れたような、時が過ぎるのを忘れる体験だった。兄貴のカラオケをたっぷり聴かされたのも、楽しかった。

 マダムが華やかななかに、女にとっても男にとっても、心のお洒落(しゃれ)が大切なことを教えてくれた。

 昨秋、この10年、空手道5段だったが、6段に昇段した。宗家から允許状を手渡されて、文武・質実剛健・粗衣粗食を旨として生きてきただけに、身が引き締まる思いがした。

 そういえば、今年は政府が「明治維新150周年」を祝うという。

 日本が150年前に、西洋の植民地主義列強の毒牙から独立を守るために、明治維新を断行して、ごく短時間のうちに、見事に白人の強国と並ぶことに成功したのは、国民が文武両道を重んじたからだった。

 新憲法下で11月3日の「明治節」が、「文化の日」となったが、今年から「文武の日」に改めてほしい。

 戦後の復興期だったから仕方がなかったが、使い捨てできる軽便安価のものを、「文化住宅」「文化包丁」「文化マッチ」「文化人」と呼んだものだった。私は市販されている『文化人手帳』に名が載った時に憤慨したが、無視されるよりも、悪口をいわれるほうがよいと思い直して、我慢した。

 健康が人生で大切なものの1つといったら、誰も異論がないだろう。ところが、仕事や、勉強については「攻める」べきものというが、なぜか、健康となると、「守る」「維持する」ものとなっている。

 健康を重んじるのであれば、健康こそ、「攻めるべきもの」ではないだろうか。

 人生を「苦」だと、思ってはならない。私は人生を「遊び」だとみなしてきた。

 誰にとっても、幼い日の体験は珠玉のようなものだが、あのころは遊びと一体になっていた。私にとってこれまで仕事は、いつだって「遊び」であってきた。

 私は「幸福を求める大罪」があると、信じてきた。

 幸せは努力した結果として、もたらされるものだ。

 戦前の人々は「愛している」などと、卑猥なことを、口にしなかった。昨今の男女は「愛している」と、心にないことを連発するが、妻や子たちからたったひとこと、「ありがとう」といわれるほうが、真心が籠っている。

 感謝しあうほど、心と心との絆を強めることはない。

 こんなことをいう私も、明治の御代(みよ)に入ってから、半髪(はんぱつ)と呼ばれたが、断髪するのを拒んで、髷(まげ)を切らなかった男のようなものかもしれない。

 あの時代にも、「半髪頭を叩いてみれば、因循(いんじゅん)(古い習慣に凝り固まる)姑息(こそく)の音がする」と、揶揄(やゆ)されたものだったが、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な文化人であるよりも、因循でいたい。

 作年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。

 私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。

 「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。

 私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。

 11月に、昨年3冊目となった『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。

 日本で流行神について、もっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。

 「希望」とか、「愛」とか、「平和」という言葉を、軽々しく使ってはなるまい。

(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)


  国民を教唆扇動するテレビの「ワイドショー」
    Date : 2018/01/10 (Wed)
 昨年、いくつか私は暗然としたことがあった。

 1つは神奈川県座間市で起った、9人が犠牲となった連続殺人事件だった。

 日本を震駭させた事件だった。何日にもわたって、テレビのどのチャンネルを回しても、視聴者の好奇心を満たすために、この猟奇的な事件ばかり取り上げていた。

 あそこまで微に入り細に入り、詳細に報道する必要があるのか。

 日本では、テレビの「ワイドショー」が花形のニュース番組となっているが、ニュースを客観的に伝え、分析する番組であるよりも、娯楽番組仕立てとなっている。

 キャスターを中心に、ニュースについて専門知識がないシロウトが、レギュラーの出演者として並んで、思いつきを喋りまくる。

 中国や北朝鮮で、人を裁く資格がない村民を集めて行う人民裁判を、彷彿させるものだ。

 連続殺人事件の犠牲者の9人のうち8人が、1人の未成年者を含めて未婚の女性だった。

 だが、どの番組を観ても、未婚の若い女性が面識がない男性に誘われて、それも男の住居まで出掛けたことを、批判する声がまったくなかった。

 つい3、40年前だったら、このような女性は「ふしだら」とか、「あばずれ」といって、強く非難されたことだろう。もし私がテレビに出演したとしたら、そういったはずだ。

 もっとも、今日では娘が「ふしだら」だとか、「あばずれ」というような言葉は、死語となっているから、犠牲者にはそのような自覚がなかったにちがいない。

 このような言葉を死語にした社会は、狂っている。

 もちろん、凄惨な連続殺人を犯した兇悪な犯人は、厳罰に処せられるべきだ。だが、今日の社会が、8人の娘たちを殺したのではなかっただろうか。

 テレビ局がこのような社会をつくったというのに、反省することがまったくない。

 「アディーレ」という法律事務所が、不正を働いたといって、弁護士資格を停止された。

 私はこの法律事務所について知らなかったが、毎日のようにテレビがCMを流していたので、法律事務所が外国名だったのが当世風かと思って、記憶に残っていた。

 だが、この法律事務所の大多数の顧客が、テレビが流していたCMによって勧誘されたのだから、当然、テレビ局にも責任があったはずだ。テレビ局はCMを流したことを、ひとことも陳謝することがなかった。CMをただ放映すればよいというものではあるまい。テレビ局は破廉恥だ。

 10月22日の総選挙で、俄かづくりの立憲民主党が大量得票して、野党第1党に躍り出た。

 東京比例区では、自民党に180万票台投じられたのに対して、立憲民主党は140万票台を獲得した。

 立憲民主党は、日本国憲法の「専守防衛」の制約を守るべきだと、公約として掲げていた。「専守防衛」では、日本を守れない。

 2020年の東京オリンピック大会で、野球が種目となった。もちろん、日本チームも出場するが、胸に日の丸を縫い取った日本チームは、憲法解釈による「専守防衛」という束縛によって、攻撃することを許されず、守備に専念しなければならない。

 日本チームの打者はバットを持たずに、ピッチャーと向かい合う。

 バットを持つことを禁じられているから、はじめからゲームを放棄するようなものだ。「専守防衛」も同じことだ。野球界だけではなく、世界に通用しない。

 テレビでは、「専守防衛では、日本を守れない、日本国憲法はおかしい」と発言することは、許されない。

 新聞に休刊日があるが、テレビも毎月何日か、放映を休んでほしい。


  この国を洗濯致し度候
    Date : 2018/01/04 (Thu)
 平成29(2017)年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。

 私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。

 「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。

 10月22日の総選挙の投票日は、日本列島を超大型といわれた台風が襲った。

 昨年は明治元年から数えて、150年目に当たった。

 当日、私は雨がすべてを洗うように降るのを見て、幕末の志士の坂本龍馬が姉の乙女に宛てて、「この国を洗濯致し度候」と、手紙を認めたのを思い出して、天が安倍政権を大勝させて、憲法を改正することによって、日本を洗濯することになるのだと、思った。

 自民党が圧勝した。私は安倍首相が70年も待たれた「日本の洗濯屋」になることを、祈った。

 昨年、私は3冊の本を発表した。11月はじめに、『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。

 私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。

 日本で流行神についてもっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。いまなら「風が吹く」というのだろう。詳しくは、拙著をお読みいただきたい。

 北のミサイル脅威の最大の原因は何か 

 12月4日の午前9時から、TBSテレビの『腹が立ったニュース・ランキング2017』という番組を観ていたら、第1位は「北のミサイル脅威」だった。

 通行人の中年の男性がインタビューに答えて、「北朝鮮がボンボン、ミサイルを撃っているけど、日本政府は何かできないんですかね?」と、ぼやいていた。

 いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。

 日本がある東アジアは、無秩序状態(アナーキー)にある。

 いったい、東アジアをこのような無秩序状態にした、最大の原因は何だろうか。

 日本国憲法が災いをもたらした

 日本国憲法だ。もし日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”を改正して、日本の経済規模の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたとしたら、弱小国にすぎない北朝鮮によって、ここまで侮られることがなかった。

 イギリスとフランスのGDPを足すと、ちょうど日本と並ぶ。両国は核武装しており、それぞれ空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも、平和愛好国であることはいうまでもない。

 もし、日本がイギリス、フランス並みの軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。

 そして、中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、重武装した海警船によって、連日、包囲することもなかったろう。

 平和憲法はまじないにしかすぎない

 きっと、枝野幸男氏たちの立憲民主党を支持した、「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第9条が日本の平和を守ってきたと、信じていることだろう。

 だが、「平和憲法」という呪(まじな)いが、日本を守ってきたはずがない。「平和憲法」を信仰している善男善女は認めたくないだろうが、戦後、日本を守ってきたのは、一貫してアメリカの軍事力であり、日米安保体制だった。

 もし、日米安保体制がなかったら、韓国が竹島だけでなく、対馬も盗んでいただろうし、中国が尖閣諸島を奪っていたことだろう。ロシアが北方領土だけで、満足しただろうか。

 私は「良識」を信じない

 私は日本の「良識」を、まったく信じない。

 私はいまから40年前に、『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版)を著した。韓国に通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにしたものだった。

 私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝鮮研究者から、この本によって触発されて北朝鮮に関心を持ったと聞かされた。

 私がこの本を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする大新聞や、著名な人士が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃していた。

 朝日新聞が、この年に『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜きん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」という見出しが、続いていた。

 「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、いまなら籠池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。

 金日成主席を礼さんした人々

 1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの国」と呼んで、絶賛した。

 「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々のためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)

 1976年に、小田実氏が訪朝して金日成主席と会見して、「『北朝鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)と、書いている。当時、小田氏は日本の青年男女の寵児(ちょうじ)だった。

 私は北朝鮮を絶賛した、多くの人々の発言をいくらでも引用することができるが、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。

 読者はつい15年前まで、NHKから大手のテレビ局までが、北朝鮮に言及する時に「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかったことを、憶えておられよう。

 当時、私はもし正式国名で呼ばなければ良識に反するのなら、どうしてドイツを「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシアを「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。ドイツも、イギリスも、ギリシアも、もとにない日本語なのだ。

 中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時に、日本中が「日中友好」の大合唱に酔い痴れていた。

 私は「『子子孫孫までの友好』のような戯言(たわごと)に惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日中友好」が、その時の「良識」だった。

 「文化の日」を「文武の日」にしよう

 北朝鮮を正式国名を呼ばなければならないという不思議なきまりは、2002年に小泉首相が訪朝して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めると、国民のあいだで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えてしまった。

 日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪をつくりだしたのだ。

 今年は、政府が「明治維新100周年」を祝うという。
 
 明治の日本が近代国家を造ることができたのは、日本国民が文武両道を重んじて、「富国強兵」に取り組んだからだった。

 戦後、「明治節」は、「文化の日」と呼ばれる休日となっている。今年から、「文武の日」に改めてほしい。


  東アジアを無秩序状態にしたのは日本国憲法である
    Date : 2018/01/04 (Thu)
 北朝鮮が日本の安全を脅かし、国民をうろたえさせている。

 だが、北朝鮮は人口僅か2千数百万人、経済が完全に破綻した弱小国でしかない。

 いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。日本がある東アジアは、無秩序状態にある。

 昨年10月の総選挙で立憲民主党や、日本共産党、社民党に投票した「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第九条が日本の平和を守ってきたと信じていよう。

 だが、東アジアをこのような無秩序状態にした最大の原因は、何だろうか。

 日本国憲法である。もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した後に“マッカーサー憲法”を改正して、日本より経済規模(GDP)が半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたら、弱小国にしかすぎない北朝鮮によって侮られることはなかった。

 イギリスとフランスの経済規模を足すと、ちょうど日本と並ぶが、両国は核武装しており、空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも平和愛好国だ。

 そうだったら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、連日、重武装した海警船によって包囲することもなかったろう。

 「平和憲法」が日本の平和を守ってきたはずがない。イギリス、フランスを手本にしたい。

 日本は「平和憲法」による専守防衛の制約によって、北朝鮮を攻撃する能力がない。だから、アメリカに縋(すが)るほか、国を守る手段がない。

 専守防衛の制約を守れば、敵軍が日本本土に上陸するか、敵のミサイルが国土に飛来するまでは、迎え撃つことができない。

 私は40歳の時に福田赳夫内閣の首相特別顧問として、対米折衝に当たった。その時に、防衛庁の要請によって、日本最初の安全保障問題の研究所が設立されて、私が理事長をつとめた。アメリカの研究所と、日米の防衛共同研究を行った。

 アメリカの研究所から、戦車の専門家が3人来日したので、陸上自衛隊の富士演習場に案内して、戦後2番目の国産戦車の74式戦車に試乗してもらった。74式戦車は1974(昭和49)年に、制式化されたものだ。

 富士演習場に世界で唯一つといわれた、戦車砲のシミュレーターがあった。砲塔の砲手の席に座ると、田園風景が前方のスクリーンに映しだされて、そのなかを敵戦車が光点となって移動する。

 光点を狙って引き金を引くと、衝撃とともに模擬(もぎ)砲塔が震動する。私もシミュレーターを体験したが、眼前にひろがる農村風景を見て、一瞬、戦慄を覚えた。

 のどかな田園風景に農家が点在し、畑のなかにピップエレキバンの野外広告板がたっていた。

 専守防衛は国土を戦場とする。先の大戦末期に、狂信的な軍人たちが「本土決戦」「一億総特攻」を叫んで、日本民族が滅亡するところを、昭和天皇が救って下さった。

 昨春、軍事専門誌として人気が高い『丸』3月号が、国産戦車第1号の61式戦車を特集していた。題名が「『本土決戦用戦車』61式戦車誕生ス」というものだった。

 現行の日本国憲法は、平和をもたらさない。

 悲惨な災いを招くことを、知ってほしい。


  中東は砂丘に似ている
    Date : 2017/12/26 (Tue)
 私は11月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。

 これまでワシントンでサウジアラビアの一般のイメージは専門家を除けば、灼熱の砂漠、棗椰子(なつめやし)と駱駝と、石油マネーの神秘的な国だったが、突然この国に関心が集まっていた。

 11月に、32歳のモハメド・ビン・サルマン皇太子が、有力だった王子グループを拘留して国政を掌握した。サウジアラビアでは王族(プリンス)たちのコンセンサスによって、政治が行われてきたから、クーデターである。

 逮捕されたプリンスたちは、首都リディアで贅をきわめるリッツ・ホテルから、一般客を追い出して幽閉されたから、この国らしい。

 皇太子は2030年までに石油依存から脱却して、近代国家を建設する目標を掲げている。サウジアラビアは中東でもっとも保守的な宗教国家であってきたが、経済改革とともに、女性が目だけをだして全身を衣で覆うことを定め、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じていたのを、自由にする意向を示している。

 これまでイスラムの厳しい戒律によって、映画館や、演劇場が一つもなかったが、許可されることになった。大改革だ。

 皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支援するアサド政権が勝ったことによって、強い危機感に駆られたためといわれる。直前に、内戦中の隣国イエメンで、イランが操るフーシ派の反乱軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。

 そのために、サルマン皇太子はイランと対抗するために、イスラエルと事実上の同盟関係を結んだ。すでに皇太子は極秘裡に、イスラエルを訪れている。イスラエルは隣国レバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラの脅威を蒙っている。

 今回の皇太子による実権掌握は、トランプ大統領の承認を受けたものとみられる。トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れていた時に、夫君のJ・クシュナー氏がリディアを訪れていた。

 皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。

 私は性急な改革が成功することはない思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が改革を性急に進めたために、革命が起って帝政が倒れた。

 『ニューヨーク・タイムズ』紙がサルマン皇太子の実権掌握を、正真の「アラブの春」と称えているが、2011年にチュニジアで民衆が蜂起した時に、アメリカは「アラブの春」と呼んだ。その結果、リビア、シリアが内戦に陥り、エジプトでムバラク政権が倒れた。

 私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったことがあった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、様相が一変する」と、語った。

 アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2正面を、同時に守る軍事力を持っていない。
 東アジアが留守になった時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができるのだろうか。


  刻々と形を変える国際政治 日本は“権威”の呪縛を解けるのか
    Date : 2017/12/25 (Mon)
 11月に6ヶ月ぶりに、ワシントンへ戻った。

 トランプ政権が発足してから、2年目を迎えた。

 万事が保守的な日本と違って、とくにアメリカは新陳代謝が激しい社会だ。

 トランプ政権のアメリカは、オバマ政権のアメリカから大きく脱皮している。まさに御一新だ。

 トランプ政権のアメリカは、自国を普通の国として位置づけて、アメリカが建国以来、特別な使命を授かっているといった、自国をエクセプショナル(地上で特殊)な国として、見立てることがなくなった。

 クリントン政権、ブッシュ政権、オバマ政権のアメリカも、ヒラリーの民主党のアメリカも、アメリカが自由、平等、人権など、他国に備わっていないソフト・パワーを持っているといって、驕っていた。

 トランプ政権には、このように他国を見降ろす、鼻持ちならない傲慢な態度がない。だから、日本のいうことも聞いてくれる。

 私は、トランプのアメリカに、好感がいだける。オバマ政権のもとのワシントンまでは、日本よりも高い位置にたって、どうするべきか教える態度をとってきた。

 私の親しい人々だが、いまではマイケル・グリーン氏も、リチャード・アーミテッジ氏も、ジョセフ・ナイ氏も、過去の人だ。ワシントンで、影響力はまったくない。

 それなのに、私がワシントンに滞在中に日本最大の経済新聞社が、日本に招いていた。もちろん、古い友人を大切にするのは、賞讃すべきことだ。

 キッシンジャー博士が、トランプ大統領のホワイトハウスによって重用されているのは、習近平政権に対して“中国の代理人”として影響力を持っていると、みなしているからだ。

 日本ではひとたび権威として、受け容れられてしまうと、よほどの衝撃がないかぎり、その座から降ろされることがない。

 日本は和――コンセンサスの国だ。そのために、大多数の人々が自分を独立した存在として意識することがない。

 日本では多くの人が、独りの人間として独立していない。そのために、コンセンサスを探りあううちに、コンセンサスが生まれる。

 こうして生まれたコンセンサスは、しばしば得体(えたい)が知れないものだが、いったん全員が倚(よ)り掛(かか)るようになると、権威となって、強い拘束力を発揮する。

 日本国憲法は、このようなコンセンサスだ。あきらかに世界の現実にそぐわないのに、私たちを70年にわたって、金縛りにしてきた。朝日新聞も、発行部数が激減しているものの、その典型的なものの一つだ。

 『日本国憲法』は、アンデルセンの童話のまさに「裸の王様」だ。

 王様は素っ裸なのに、多くの日本国民が金襴(きんらん)の衣裳を、纏っていると信じている。滑稽なことだ。

 いま、“北朝鮮危機”という子供が、「王様は裸だよ!」と、さかんに声をあげている。

 今年は明治150年に当たるが、幕末の志士たちという子供が、明治維新をもたらして、日本の独立を守ったのだった。

 国際政治は砂丘のように、刻々と形を変える。

 権威という蜃気楼によって、惑わされてはならない。


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