加瀬英明のコラム
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  神社に宿る日本人の「和の心」
    Date : 2018/06/07 (Thu)
 4月24日に、カナダ最大の都市トロントで、男がバンを運転して、歩行者を次々とはね、多くの死傷者が発生する事件が起った。まだ、犯人の動機が判明していないが、イスラム国(IS)がかかわるテロ事件ではないか、疑われている。

 ヨーロッパも、イスラム過激派のテロに戦(おのの)いている。中東では、シリア、イエメン、リビアをはじめとする諸国で、イスラムの2大宗派のスンニー派と、シーア派による凄惨な抗争に、出口が見えない。宗教戦争だ。

 もっとも、アフリカ、アジアに目を転じると、イスラム教徒がキリスト教徒を迫害しているだけでなく、中央アフリカ共和国では大多数を占めるキリスト教徒が、ミャンマー、タイでは多数を占める仏教徒が、弱者のイスラム教徒を圧迫して殺害している。

 ミャンマーでは、事実上の最高指導者である、アウンサン・スーチー女史が黙認するもとで、イスラム教徒のロヒンギャ族を迫害している。70万人のロヒンギャ族が国外に脱出し、数百人が虐殺されている。

 タイでは、分離独立を求める南部のイスラム教徒を弾圧して、この15年だけで、7000人以上のイスラム教徒が殺害されている。

 スリランカでも、人口の70%を占める仏教徒が、17%に当たるイスラム教徒を迫害して、多くの生命が失われている。

 日本では、仏教は平和の宗教だと思っているが、日本のなかだけで通用することだ。

 インドは平和国家として知られているが、毎年、多数派のヒンズー教徒がイスラム教徒を襲撃し、多数の死者が発生している。イスラム教徒が、ヒンズー教の聖牛である牛を殺して、食べることから敵視されている。

 アメリカでも、人権が高らかに謳われているのにかかわらず、人種抗争が絶えない。「個人」が基本とされている社会だから、人々が対立しやすく、人と人との和を欠いている。銃による大量殺戮事件が多発している。

 中国では、漢民族が新疆ウィグル自治区でイスラム住民を、世界の屋根のチベットでジェノサイド(民族抹殺)をはかっている。

 そこへゆくと、日本は幸いなことに、太古の時代から宗教戦争と、無縁であってきた。

 「宗教」という言葉は、明治に入るまで漢籍に戴いていたが、使われることがなかった。

 明治初年に、キリスト教の布教が許されるようになると、それまで日本には他宗を斥ける、独善的な宗派が存在しなかったために、古典から「宗教」という言葉をとってきて、あてはめたのだった。

 それまで、日本には「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しかなく、宗派は抗争することなく、共存したのだった。

 「宗教」は、英語の「レリジョン」(宗教)を翻訳するのに用いた、明治訳語である。

 英語の「レリジョン」、フランス語の「ルリジオン」、ドイツ語の「レリジオン」の語源であるラテン語の「レリギオ」は、「束縛」を意味している。

 「個人」も、明治訳語だ。日本人は世間によって生かされ、そのなかの一人だった。

  日本人のなかで、日本人は年末になると、クリスマスを祝い、7日以内に寺の“除夜の鐘”を謹んで聴いて、夜が明けると初詣に急いで、宗教の梯子をするからいい加減だと、自嘲する者がいる。

 だが、これが日本の長所であり、力なのだ。古代から「常世(とこよ)の国信仰」といって、海原の彼方から幸がもたらされると信じた。日本では何でも吸収して、咀嚼して役立てるのだ。

 神道は私たちが文字を知る前に生まれた、心の信仰であって、文字と論理にもとづく宗教ではない。人知を超える自然を崇めるが、おおらかで、他宗を差別せず、中央から統制する教団も、難解な教義も、戒律もない。

 神社を大切にしたい。私たちは、心の“和”の民族なのだ。


  大嘗祭は国事として行うべきである
    Date : 2018/06/04 (Mon)
 1年以内に、新天皇が即位され、御代(みよ)が替わる。

 前号で、私は天皇陛下が来年4月30日に退位され、皇太子殿下が翌日、第126代の天皇として即位されるのに当たって、もっとも重要な祭祀である大嘗祭(だいじょうさい)を寸描した。

 126代も続いてきた天皇が、日本を日本たらしめてきた。

 天皇は日本にとって、何ものによっても替えられない尊い存在であり、日本国民にとって、もっとも重要な文化財である。

 大嘗祭は来年11月に、皇居において催される。大嘗祭は法律的にすでに皇位につかれておられるが、天皇を天皇たらしめてきた民族信仰である惟神(かむながら)の道――神道によれば、まだ、皇太子であられる皇嗣(こうし)(お世継ぎ)が、それをもって天皇となられる。聖なる秘儀である。

 私は前号で大嘗祭に当たって、皇太子が横たわれ、しばし、衾(ふすま)(古語で、夜具)に、身をくるまられると、述べた。

 これは、天照大御神の皇孫に当たる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国(くに)を治めよ」という神勅に従って、赤兒として夜具にくるまれて、天孫降臨されたことから、皇太子が身を衾に包む所作を再演されることによって、瓊々杵尊に化身されるものである。

 今上天皇が今年の新年に宮中参賀のために二重橋を渡った、13万人をこえる善男善女に、皇后、皇太子、皇太子妃、皇族とともに会釈され、お言葉を述べられたが、天皇はモーニングを召された瓊瓊杵尊であられた。

 天皇は皇位をただ尊い血統によって、継がれるのではない。

 日本では、日本神話が今日も生きている。神話は諸外国では、遠い昔の過去のものであって、ただの物語でしかない。日本は時空を超えて、永遠に新しい国なのだ。

 歴代の天皇は、日本を代表して神々に謙虚に祈られることによって、徳の源泉として、国民を統(す)べて、日本に時代を超えて安定(まとまり)をもたらしてきた。

 神道は、人知を超えた自然の力に、感謝する。世界のなかで、もっとも素朴な信仰である。

 教義も、教典ない。人がまだ文字を知らなかった時代に発しているから、信仰というより、直感か、生活態度というべきだろう。

 神道は、人が文字を用いるようになってから、生まれた宗教ではない。感性による信仰だから、どの宗教とも競合しない。

 宗教法人法によれば、宗教法人は教義を広め、信者を教化する団体として、規定している。神道は布教しないし、もし宗教であれば、「信者」と呼ばれる人々も、存在しない。

 アメリカ占領軍は、自国では国家行事や、地方自治体の式典が、キリスト教によって行なわれていたのにもかかわらず、まったくの無知から神道を、キリスト教と相容れない宗教だと信じて敵視して、日本に「政教分離」を強制した。当時のアメリカは、日本を野蛮国とみなしていたのだった。

 政府は日本が独立を回復した後にも、現行憲法下で、天皇を天皇たらしめている宮中祭祀を、皇室の「私事」として扱ってきた。

 私はかねてから、宮中祭祀は国民の信仰の自由を浸すことがないし、日本国民にとって何より重要な無形文化財であると、主張してきた。

 大嘗祭は、国事として行うべきだ。現行憲法は皇室と日本の姿を、歪めている。


  志の人・伊能忠敬没後200年と、明治維新150周年
    Date : 2018/05/30 (Wed)
 今年4月21日に、東京千代田区神田の学士会館で、『忠敬没後200年記念・伊能測量協力者顕彰大会』が催された。

 忠敬は寛政12(1800)年に深川・富岡八幡宮に成功祈願を行ったうえで、徒歩による全国海岸線の実測に出発したが、17年後の文政元(1818)年に、測量続行中に、73歳で病没し、その3年後に、門弟たちによって、『大日本沿岸輿地全図』が完成した。

 伊能図協力者子孫への感謝状

 学士会館のホールには、伊能忠敬研究会の努力によって、全国にわたって忠敬の測量に協力した、名主や、庄屋、本陣、代官、目付などの子孫が特定されて、そのなかの76人が、研究会、イノペディアをつくる会、伊能忠敬子孫一同から、「功績感謝状」が贈られた。

 忠敬の測量は、蝦夷地から始まり、伊豆七島まで9次にわたった。忠敬の『日本全図』は「伊能図」とも呼ばれるが、今日、埋め立てによって海岸線が大きく変わっているものの、誤差がほとんどなく、きわめて正確なものだった。

 協力者の子孫の名が呼ばれるたびに、「駿河国沼津領野村名主」とか、「陸奥国」、「出羽国」、「越後国」、「遠江国」、「佐渡国」、「播磨国」、「若狭国」、「豊後国」というように、当時の地名が用いられたので、そのあいだ、江戸時代に生きているような錯覚にとらわれた。

 忠敬の子孫の代表

 忠敬の多くの子孫が招かれたが、私を含む5人が代表して登壇した。

 私は忠敬の孫の孫の子である玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬の次女のしのが、銚子の隣にある旭村(現・旭市)の加瀬佐兵衛に嫁いだことによる。

 忠敬は九十九里浜の貧しい漁村に生まれ、幼年時代は恵まれなかったが、向学心が高く、漁具を収める浜小屋の番をしながら、勉学に励んだ。佐原の家運が傾いた庄屋の伊能家に、養子として迎えられたことが、人生の転機となった。酒造業を建て直すかたわら、暦学、和算、天文学、測量学を学んだ。

 今年は、明治維新150年に当たる。日本は明治に入ると、近代化に短時間で成功し、西洋列強と肩を並べるようになったが、これは江戸期の庶民の力によるものだった。私は庶民の血を受け継いでいることに、大きな誇りをいだいている。

 忠敬の測量に協力した人々は、大部分が庶民だった。幕府から藩に、忠敬の測量隊がいつ到着するか連絡があると、藩から村へ伝えられ、村民が総出で測量に協力した。

 明治3年の初の国勢調査 

 武家は明治3年に初めて行われた、国勢調査によれば、人口の8%弱にしか、当たらなかった。人口の90%が民庶とも呼ばれた、庶民だった。

 江戸時代は近代日本を創った、輝かしい助走期だった。日本は世界に誇るべき社会を、形成していた。

 今年は、政府が「明治維新150年」を祝う式典を行うことになっている。

 50年前に100周年が巡ってきたが、当時の政府は「維新」という言葉を省いて、「明治100年記念式典」を催した。

 時の佐藤栄作首相が挨拶したが、「維新」という言葉に触れることが、まったくなかった。維新を語らずに、明治100年を語っても意味がない。

 昭和天皇のお言葉「明治維新以来の先人の英知と勇気」

 この時の式典に、昭和天皇の御幸を仰いだが、お言葉のなかで、「明治維新以来の先人が、英知と勇気で成し遂げた業績」と、仰せられた。

 明治維新が「革命」だったと、物識り顔をしていう学者がいるが、まったく筋違いだ。「革命」は断絶をもたらす。維新は古来の日本へ復古する、御一新だった。

 今年の「明治維新150年記念式典」において、今上天皇から聡明なお言葉を賜ることになるが、朝鮮半島危機が募るなかで、明治維新を称讃されて、国民をお励まし下さることと思う。

 だが、日本国民がどうして150年前と較べて劣化して、かつての気概を失い、不甲斐なくなってしまったのだろうか。

 幕末から明治にかけた日本国民は、「英知と勇気」が汪溢していた。今日の日本人のような、意気地(いくじじ)なしではなかった。

 伊能忠敬の偉業は日本の社会の力そのもの

 それにしても、忠敬が全国を徒歩によって実測した、17年間の日本の社会が安定し、豊かで、よくまとまっていたことに、感心せざるをえない。それでなければ、忠敬の偉業が多くの人々によって支えられて、成し遂げられることがなかった。

 忠敬が測量のために、全国を巡っていた時に、対岸の朝鮮王国では、国王純祖(スンゾ)(在位1800年〜39年)の代に当たった。

 悪政のために、飢饉、悪疫、天災によって、農民や、奴婢(奴隷)の流亡と、不平両班(ヤンバン)や、農民、奴婢による反乱が、各地であいついだ。なかでも、純祖11(1812)年に起った、平安道の洪景来(ホンギョンレ)の乱が大きなものだった。

 当時の韓国の状況

 そのわきで、朝廷では士禍(サファ)と呼ばれたが、儒教の些細な礼法などをめぐって、凄惨な党争(ダンチョン)に明け暮れ、国の態(てい)をなしていなかった。

 権力者が王権を代行して、政治を専横する勢道政治(セドチョンチ)のもとで、役人の綱紀が乱れ、下級官吏まで賄賂が横行した。朝鮮王国は、亡国が避けられなかった。

 今日、朝鮮半島で危機的な状況が続いているのをよそに、日本で国会がモリトモ問題、セクハラを巡って党派抗争に耽って、空転しているのと、よく似ている。

 今日の日韓関係に目を転じると、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が北に秋波を送るかたわら、ことあるごとに日本を蔑んで、足蹴にするのに忙しい。

 そのために、日本では嫌韓感情が日増しに強まっている。いまや、全国民が韓国を蔑み、哀れむようになっている。

 だが、私たちにいったい、韓国を蔑む資格があるものだろうか。

 韓国は日本統治が終わって、すでに73年になるのに、いまでも「日帝時代」が悪かったと非難して、自立できないでいる。日韓併合は73年の半分の、36年でしかなかった。

 日本でも、アメリカによる占領が65年前に終わったというのに、東京裁判をはじめ、アメリカの占領政策が悪かったからといって、占領時代を非難するのに忙しく、いまだに自立することができない。韓国によく似ていると思う。

 韓国では、李氏朝鮮が日韓併合まで、500年にわたって続いた。李朝は高麗朝の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が、クーデターによって高麗朝を倒して、自らの王朝をたてた。

 李朝は、軍がクーデターを起す危険な存在だとして嫌って、軍を軽んじ、国防に役に立たない必要最小限の兵備しか、持たなかった。宗主国の中国による保護に依存して、外敵の侵略を蒙るたびに、中国に救援を求めた。そのために、国土が何回にもわたって、蹂躙された。

 今日の日本は、中国をアメリカに置き換えると、李氏朝鮮と変わらない。

 日本の国会議員や、大手のマスコミ人、学者たちには、朝鮮服が似合うのではないかと思う。

 明治新政府の開港の決断こそ、日本を救った

 明治維新に戻ると、幕府が開港に傾いたのに対して、国学者や武士の大多数が、日本が神国であると唱え、攘夷を頑くなに主張した。もし、攘夷を貫いていたとすれば、西洋列強の侵略を蒙って、本土決戦が戦われたことだった。

 明治新政府が開港に踏み切ったことによって、日本が救われた。

 今日、「平和憲法」を「神国思想」にいい替えて、神聖視する護憲派は、幕末の狂信的な「攘夷派」に当たる。「専守防衛」を頑くなに主張しているが、敵が国土を侵すまで戦えないのだから、焦土をもたらす本土決戦を望んでいるにちがいない。


  あえかな女性を泣かせるな
    Date : 2018/05/29 (Tue)
 私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。

 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。

 最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。

 やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。

 そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。

 父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物をもっぱら愛護するようになった。

 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。

 女性に懸想し、言い寄ることを古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。

 私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。あえかは「かよわい、たよりない」という意味である。

 それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は男の矜持を欠いている。閣僚や県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。

 財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を、「あえかな花」(帚木)と描いている。

 江戸時代に夜鷹は引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。

 もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。


  あえかな女性を泣かせるな
    Date : 2018/05/29 (Tue)
 私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。

 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。

 最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。

 やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。

 そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。

 父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物をもっぱら愛護するようになった。

 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。

 女性に懸想し、言い寄ることを古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。

 私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。あえかは「かよわい、たよりない」という意味である。

 それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は男の矜持を欠いている。閣僚や県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。

 財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を、「あえかな花」(帚木)と描いている。

 江戸時代に夜鷹は引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。

 もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。

 日本を建て直し救う重責が、「躾けの会」にかかっている。ご一緒に頑張りたい。


  北朝鮮の非核化に言及なし 米朝首脳会談で成果を掴めるか
    Date : 2018/05/22 (Tue)
 4月27日に全世界が注目するなかで、文在寅(ムンジェイン)大統領と金正恩(キムジョンウン)委員長による南北首脳会談が、板門店の韓国側にある「平和の家(ピンファウィ・チプ)」で行われた。

 李朝時代の王宮の衛兵(ウイビョン)の、ど派手な衣装をまとった儀仗兵が堵列するなど、文、金の2人の大根役者(オルガソイ)が演じた、まさに3流の“韓流ドラマ”だった。

 私は20代から朝鮮語を学んだが、韓国人だったら、「インマンサルソ」(口ばっかり)というところだ。「インマンサルソ・アンデ」になると、「いい加減なことをいうな」と、叫ぶことになる。

 文在寅大統領が、個人的な功名心から、オリンピックの政治利用が固く禁じられているのにもかかわらず、平昌(ピョンチャン)冬季大会に北から高位の代表団や、美女応援団・合唱団を招いて、空疎な“南北融和”を演出したのが、切掛けとなって、トランプ大統領が“勇み足癖”から、米朝首脳会談に応じることになった。

 文在寅――ムン・ジェイン大統領は、“従北(ジョンプク)”として知られ、韓国の真当な国民から、「文災難(ムン・ジェアン)」と、呼ばれている。もっとも、韓国のマスコミは政権を支持する国民を「市民(シミイン)」、政権を批判する国民を「右翼(ウイク)」「保守派(ポスパ)」と、蔑んでいる。

 それにしても、日本の大手テレビのキャスターたちが、今回の南北首脳会談の映像を背景にして、「歴史的な会談」と声を潤(うる)ませて連発するのに、きっと韓流ドラマの見過ぎなのだと、思った。

 トランプ大統領は、1ヶ月以内に予定されている米朝首脳会談が、行われない可能性もあると述べているが、そうなってほしいものだ。

 金正恩がよほどの愚か者でないかぎり、北朝鮮が核兵器を手放すことは、ありえない。

 これまで、金正恩委員長は「朝鮮半島の非核化」を唱えても、「北朝鮮の非核化」に言及したことがない。

 北朝鮮に対しては、南北首脳会談も、米朝首脳会談も行なうことなく、米日韓、中国を加えた国連による経済制裁を、粛々と強めてゆくべきだった。

 トランプ大統領が金委員長の前に、米朝首脳会談というニンジンをぶら下げなければ、金委員長が窮鳥を演じて、北京の習近平主席のもとに、走ることがなかった。

 米朝首脳会談が「世紀のショー」として行われたとしても、ニュースを娯楽だと勘違いしているテレビを喜ばせるだけで、空騒ぎに終わることとなろう。

 トランプ大統領としては、米朝首脳会談に臨んで、何も成果がえられず、手ぶらで帰ることになったら、「軽挙」だったということになって、沽券(こけん)が大きく傷ついてしまう。

 といって、北朝鮮に軍事攻撃を加える勇気はあるまい。

 そこで、北朝鮮が提案してきた「北朝鮮の非核化」ならぬ、「朝鮮半島の段階的非核化」へ向けて、米朝交渉を続けてゆくことになるのではないか。

 北と話し合っているあいだに、制裁を強めることは難しい。北朝鮮は中国を後盾として時間を稼ぎ、ミサイル試射、核実験を行わなくても、性能を向上させることができる。

 だが、そのあいだ戦争は起らない。日本としては、“平和ボケ”から目を覚まして、真剣に防衛力の強化に励むべきだ。「鬼のいぬ間に洗濯」だ。


  ドタキャンの可能性を残す注目の米朝首脳会談
    Date : 2018/05/10 (Thu)
 平昌(ピョンチャン)オリンピック大会後、5月に米朝首脳会談が催されるというニュースについで、北朝鮮の金正恩委員長が北京を訪問して、習近平国家主席と抱き合うことによって、東アジア情勢が目まぐるしく変わった。

 そのなかで、安倍首相が4月17日から訪米し、トランプ大統領のフロリダ州のマルラーゴ別荘で、日米首脳会談が行われる。

 本誌の発刊が日米首脳会談後になるが、東アジア情勢が朝鮮半島を軸として、どのように展開してゆくのか、予想が外れるのを覚悟して、考察したい。

 金委員長が3月26日に北京を電撃訪問したのは、アメリカの大統領と直談判(じかだんぱん)できるという“多年の夢”が実現するものの、決裂した場合には、自分の生命が危いという恐怖感にとらわれて、このところ中朝関係が大きく捩じれていたのを余所(よそ)に、中国の後ろ盾を手に入れようとした。

 他方、習主席は米朝会談の“蚊帳(かや)の外”におかれたら、面子を失う不安に駆られていたので、金委員長が懐(ふところ)に飛び込んできたのを大歓迎した。政略結婚ならぬ、政略恋愛だ。

 金委員長はトランプ大統領が直前に、ティラーソン国務長官とマクマスター国家安全会議(NSC)担当特別補佐官を更迭して、ポンペオ元CIA長官とボルトン元国連大使を起用したのに、震えあがったにちがいない。

 2人は北朝鮮の非核化を達成するために、外交ではなく、軍事攻撃を加えるべきだと主張してきた。とくにボルトン氏は、ブッシュ(父)政権の国務次官の時に、リビアを当事者として非核化した実績があり、北朝鮮に「リビア方式」を適用すべきだと説いてきた。

 カダフィ議長の独裁下にあったリビアは、核兵器開発を進めていたが、アメリカの甘言に誘われて、2003年に核施設を解体された。だが、リビアは2011年に、オバマ政権による軍事攻撃を蒙って、政権が崩壊し、カダフィ議長は隠れていたところから引きずり出されて、殺害された。

 金委員長は米朝首脳会談を前にして、「朝鮮半島の非核化」に合意しているが、北朝鮮の「非核化」ではない。そのうえ、「段階的な」という条件をつけているが、これは「時間をかけて行おう」という、中国の主張と合致している。

 私は北朝鮮が核兵器を手放すことは、ありえないと思う。

 では、米朝首脳会談が物別れか、不調に終わった場合に、アメリカは北朝鮮に軍事攻撃を加えるだろうか?

 私はトランプ大統領に、北朝鮮を攻撃する勇気は、おそらくないと思う。韓国と日本があまりにも大きな被害を、蒙ることになる。

 トランプ大統領が、成果がないと判断すれば、5月の米朝首脳会談が行われない、可能性もあろう。

 それに、トランプ大統領はブッシュ(子)政権からオバマ政権まで、海外――アフガニスタンから中東まで、外征戦争に深入りしたのに終止符を打って、アメリカ軍を引き揚げた大統領として、レガシーをのこしたがっていると思う。

 安倍首相はトランプ大統領とマルラーゴ別荘において、大統領が昨年11月に来日した時まで続いた、2人の友情の“蜜月時代”が、微妙に変化したなかで、再会する。

 トランプ大統領は、金正恩委員長と米朝首脳会談を行うことを発表した時に、事前に日本と協議することがなかった。

 トランプ大統領は、昨年11月にはまだ世界政治の新入りだったから、外交体験が豊かな、安倍首相に位(くらい)負けしていた。

 いま、トランプ大統領は自信を増しており、そのうえ、アメリカの軍事力に頼るだけの日本が、朝鮮半島危機に当たって、主要なプレイヤーでないことを、知っている。

 もちろん、安倍首相は厚遇されようが、日米首脳間の厳しい取り引きの場となろう。


  御代替りに私たちが考えるべきこと
    Date : 2018/05/07 (Mon)
 3月は、国会が「森友問題」で忙殺された。

 そこに、5月に米朝首脳会談が行われるというニュースが飛び込み、北朝鮮の金正恩委員長が北京を電撃訪問して、世界を驚かせた。

 そのためだろうか、来春、天皇陛下が退位され、御代替りにともなう重要な一連の式典や、祭祀が行われるが、国民が十分な関心を向けていないと思う。

 今上天皇は退位されるのか、譲位されるのか

 今上陛下が「天皇退位等に関する皇室典範特例法」に従って、来年4月30日に退位され、翌日、126代目の天皇が即位される。

 今年の新年参賀には、13万人を超える善男善女の波が皇居を訪れた。来年、譲位される陛下への崇敬の念と愛借の情が、皇居へ向かわせたのだった。

 私はここで不本意に「退位」という言葉を使っているが、退位はロシア革命によって、皇帝が退位を強いられ、あるいは第2次大戦の敗戦によって退位を強いられた、イタリアの国王に起ったことである。

 退位は王朝が絶えることを、しばしば意味した。

 今上陛下のご意志によって、来春、皇太子に皇位を譲られるのだから、譲位というべきだった。

 ところが、政府も国会も「特例法」のなかで、なぜか「退位」という言葉を用いている。

 一昨年8月8日に、今上陛下がテレビを通じて譲位されたいという、御意向を明らかにされた。

 私は月刊『WiLL』誌(平成28年10月号)に、「これは、天皇によるクーデターだった。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、現憲法下であってはならないことだった」と、寄稿した。

 陛下の御意志に従って、譲位を実現するために、皇室典範を改めなければならなかった。

 そのために、政府も国会も、天皇の御意志によって法律を改めたのでなく、陛下の御高齢に配慮して、法を改正したという体裁を繕って、退位という言葉を用いた。

 即位にともなう祭祀は、それなしに皇統の継承が成り立たないのに、憲法が定める「政教分離原則」に従って、「私的な皇室行事」とみなされ、国事として催されない。

 来年11月に、新天皇によって大嘗祭が行われる

 来年11月14日に、新天皇によって大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。

 新天皇の誕生に当たって、天皇が行われる最初の新嘗祭(にいなめさい)である大嘗祭が、もっとも重要な祭祀であってきた。

 もっとも、「皇室の行事」は「皇室の公的な行事」であって、大嘗祭が「国事行為」とされない理由として、憲法上、天皇の「国事行為」は「内閣の助言と承認」を必要としており、皇室祭祀には適用されないという説明もあるが、強弁でしかなかろう。

 大嘗祭のために、黒木と呼ばれる、木肌のままのクヌギの丸太を用いた悠紀殿(ゆきでん)と、主基殿(すきでん)の2つの大嘗宮が造営される。

 両殿はまったく同じ造りで、床下は土間のうえに草をしいて、そのうえに竹簀を置く。奥の部屋は大地に蓆(むしろ)をしいただけで、そのうえに衾(ふすま)と呼ばれる夜具が置かれる。

 古代が21世紀に生きている

 新嘗祭は新穀の収穫を、神々に感謝する祭である。大嘗祭はまず悠紀殿において「夕の儀」が行われ、天皇は天照大御神が降臨されると、新穀の米飯と栗飯を3箸ずつ、柏の葉を重ねた器(うつわ)に盛られて、おすすめする。

 柏の葉の皿を枚手(ひらて)といい、箸は2本棒ではなく、箸の原形とされる、削いだ竹を火で焙ってピンセット状にしたものだ。大嘗祭は「おほにへまつり」と呼ばれた、古いお祭りである。

 天皇は神饌を御親供になられたうえで、奥の部屋へ移られ、衾にくるまられる。赤児の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が夜具にくるまれて、高天原から天孫降臨されたのを再演される。

 「夕の儀」が終わると、主基殿において「暁の儀」が夜を徹して行われるが、まったく同じ内容の祭祀が繰り返される。

 政府は大嘗祭が“皇室の私事”として催されるが、内廷費で賄えないので、国費を支出するとしている。

 4月3日の閣議は、「大嘗祭の挙行については、『即位の礼・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月2日1日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において遺漏のないよう準備を進めるものとする」と、口頭で了解した。

 政府が大嘗祭を遺漏なく準備することは、「政教分離原則」に反しているが、野党もマスコミも異論を唱えまい。

 天皇が憲法に優っておられた

 天皇こそ、日本の芯である。そこで、天皇が行われる祭祀は、皇室の“私事”として扱うような、軽いものではあるまい。

 それとも、アメリカの占領下で強要した現行憲法が、日本の芯なのだろうか?

 だが、今上陛下が一昨年テレビを通じて、憲法に違反して法律を改めることを要求されたのにもかかわらず、国会が全会一致によって御意向に従ったことは、天皇が現行憲法よりも上にあることを、証したものだった。

 履き違えた「政教分離」
 
 アメリカ占領軍はまったくの無知から、神道を未開なというと、野蛮な宗教とみなして、「政教分離」を強制したのだった。アメリカは同じ敗戦国のドイツも占領して統治したが、ドイツはキリスト教国だったから、もちろん、「政教分離」を強要しなかった。もし、日本がフィリピンのようなキリスト教国だったとしたら、アメリカは日本に「政教分離」を強いることがなかった。私たちが神道を蔑視し続けて、よいものだろうか。

 いったい、現行憲法は日本という国より上にあって、日本国よりも尊いのだろうか?

 護憲派の人々は、日本国憲法が日本国よりも上にあると、主張している。

 だが、現行憲法の出自は暗いし、日本の国としての悠久の歴史とくらべれば、まだ70年しかたっていない。

 天皇こそが、日本を日本たらしめている。天皇の存在がない日本を、とうてい想像することはできない。

 天皇の存在がなくなってしまえば、日本は滅びてしまおう。断絶のない国体が、日本に気品を与え、日本を和の国として安定をもたらしてきた。

 今日の日本国民のなかで、どれだけの者が新嘗祭、大嘗祭はもちろんのこと、天皇家の起源を語っている日本神話について、知っているものだろうか。

 学校教育は国民の心を受け継いでゆくために、行われるべきものだ。憲法の目的も、2000年以上にわたる悠久の日本の心を守ることが、もっとも大きな役目であるべきだ。現行憲法は、日本を敵視している。

 天皇の御存在が、危ふいものとなっている。平成28年に、秋篠宮家に悠仁親王が御誕生になられたが、このままでは皇統が遠からず絶えてしまうことになろう。まさに国難である。占領下で臣籍降下を強いられた11宮家のなかから、ふさわしい男子に皇籍復帰をお願いするべきである。

 人も国家も、伝統精神と現代精神が交わるところで、生きなければならない。

 いったん伝統精神が失われてしまえば、人も国家も糸が切れた凧(たこ)のように、あてどもなく世界を漂うことになってしまう。国家が漂流してよいものか。日本は押しつけられた、借り物の現行憲法のもとで、使い捨てのプラスチックの造花に似ている。

 宮中祭祀は国民のために行われる

 日本国憲法のもとで、天皇が「象徴天皇」として、神聖な存在でなくなってしまっている。

 日本国民の大多数が、天皇が神々(こうごう)しい存在であることを認めているが、憲法は現実から遊離している。

 現実からかけ離れた憲法は、国民の精神を狂わせる。人はしっかりと両足を大地につけて、立たなければならない。


  日本を守るD 米国の占領政策から「自立を」
    Date : 2018/05/07 (Mon)
 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、オリンピックの政治利用は禁じられているのに、北朝鮮の高位代表団と美女音楽団や、応援団を平昌(ピョンチャン)大会に招いて“南北融和ショー”を演出したために、トランプ大統領が金正恩委員長との会談に応じる“空騒ぎ”に、発展している。

 文大統領が功名心から余計なことをしたために、北朝鮮危機を混乱させてしまった。日米韓、中国をはじめとして、国連による北朝鮮に対する経済制裁を粛々と強化してゆけば、よかったはずだ。

 27日に、南北軍事境界線の板門店の韓国側にある「平和の家」(ピョンファ・ウィ・チプ)で南北首脳会談が行われるが、文大統領が金委員長にどのように媚びるか、見物である。北朝鮮贔屓として知られる文大統領は、保守派の韓国民から「文災難」(ムン・ジェアン)と呼ばれている。

 文大統領は北に胡麻(ごま)をするかたわら、ことあるごとに日本を足蹴にするのに忙しい。

 そのために、日本では嫌韓感情が日増しに強まっている。いまや、全国民が韓国を蔑み、憐れむようになっている。

 だが、私たちに韓国を蔑む資格が、いったいあるのだろうか。

 韓国は日本統治が終わって73年になるのに、いまでも「日帝時代」が悪かったと非難して、自立できないでいる。日韓併合は、73年の半分の36年でしかなかった。

 日本でも、アメリカによる占領が65年前に終わったというのに、東京裁判をはじめアメリカの占領政策が悪かったから、占領時代を非難するのに忙しく、いまだに自立することができない。韓国によく似ているではないか。

 韓国では李氏朝鮮が、日韓併合まで500年にわたって続いた。李朝は高麗朝の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が、クーデターによって高麗朝を倒して、自らの王朝をたてた。

 李朝は軍がクーデターを起す危険な存在だとして嫌って、必要最小限の軍備しか持つことがなかった。そのために外敵の侵略を蒙るたびに、宗主国の中国による保護に依存した。

 今日の日本は、中国をアメリカに置き換えると、李朝に変わらない。

 日本の国会議員や、大手のマスコミ人、学者たちには、朝鮮服が似合うのではないかと思う。


  日本を守るC 米朝の偶発的軍事衝突 現憲法では国民を守れない
    Date : 2018/05/07 (Mon)
 私は米朝首脳会談が行われないか、物別れに終わっても、アメリカが北朝鮮に軍事攻撃を加えることは、まずないと思う。

 すると、ここしばらく手に汗を握るような朝鮮半島危機が、続いてゆくことになる。

 日本としては、平和の惰眠を貪ることから目覚めて、ミサイル迎撃システムを強化し、敵基地を攻撃する能力を整備して、鬼のいぬ間に大急ぎで洗濯に励むべきである。

 トランプ大統領は、北朝鮮が弾道ミサイルの発射実験しするか、核実験を行ったら、軍事攻撃を加えると脅しながら、北朝鮮に対して海上封鎖を行うことになろう。かつて、1962年のキューバ・ミサイル危機に当たって、ケネディ政権がキューバに対して海上封鎖を断行して、成功した前例があるから、アメリカ国民は喝采しよう。

 そうなると、アメリカと北朝鮮の間で、偶発的な軍事衝突が起こる可能性が高まろう。

 アメリカはその場合に、日本に相当な被害が生じても、北朝鮮に全面攻撃を加えることになる。日本という肉を斬らせて、北朝鮮という骨を断つのだ。

 1年ほど前に、ペンタゴン(国防省)のアドバイザーが来日した時に、私の事務所を訪れて、「われわれが北朝鮮を攻撃すれば、金正恩政権は面子にかけて、かならず韓国、日本に攻撃を加えよう。日本に飛来する第1波のミサイルをすべて迎撃して破壊することはできないから、日本は耐えてもらうほかない。しかし、2波はけつして撃たせないから、安心してほしい」といった。

 現状では、日本は北朝鮮が日本へ向いて発射してくる、多数の弾道弾に対して、国民を守る能力はまったくない。PAC3ミサイル迎撃ミサイル・システムが北海道から沖縄まで17ユニット配備されているだけだから、国土の100分の1すら守ることができない。

 日本を守るためには、アメリカに縋(すが)るほかないのだ。

 日本国憲法は「平和憲法」と呼ばれているが、もともとアメリカが占領下で、「アメリカの平和」のために、日本に押し付けたものだ。私たちは「日本の平和」を守るためには、まったく役に立たないことを、覚らなければならない。

 それにしても、どうして原水爆禁止協議会(原水協)の諸兄姉が立ち上がって、ミサイル迎撃システムを増強することを、政府に強く要求しないのだろうか。


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