加瀬英明のコラム
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  人種差別問題に揺れるアメリカ社会の闇
    Date : 2020/08/07 (Fri)
 アメリカ全国の都市で、「ブラック・ライブス・マター」(黒人の生命(いのち)を守れ)という、抗議デモが盛りあがっている。

 5月にミネソタ州で数人の白人警官が黒人の容疑者を取りおさえる時に、窒息死させたことが発端となったが、イギリス、フランスなどにも飛び火している。

 アメリカ各地で奴隷制の支持者や、奴隷の所有者、奴隷貿易で財をなした歴史上の人物の銅像が引き降ろされて、撤去されている。

 アメリカの3大名門大学は、ハーバード、エール、プリンストンといわれるが、私が留学したエールは創立者が奴隷商人だとか、プリンストンのウィルソン研究所は第1次大戦時のウィルソン大統領が人種差別主義者だったことから、改名する圧力が高まっている。

 首都ワシントンも、初代ワシントン大統領が数百人の奴隷を所有していたことから、名を変えるべきだという声があがっている。

 アメリカが溶解しつつあるのだろうか?

 トランプ大統領は歴史的な名前を改めたり、銅像の撤去に反対している。11月の大統領選挙で、民主党の大統領候補のバイデン前副大統領が勝ったら、どうなるだろうか?

 日本はどうだろうか? 私は有斐閣の『六法全書』を持っているが、日本国憲法の扉のページに、独立宣言文を起草したトマス・ジェファーソンによる『アメリカ独立宣言文』が、初版から今日まで掲げられている。

 編著だった我妻栄、宮沢俊義東京大学教授が占領軍の木偶(でく)で、黒人を蔑視していたためだが、ジェファーソンは多くの奴隷を所有し、奴隷の悲鳴を聞きながら、独立宣言文を書いたのだった。『六法全書』から削りたい。

 パリでも市民が連日のようにパリ最大の共和国広場を埋めて、「人種差別反対」を叫んでいる。共和国広場といえば、残虐きわまりなかったフランス革命で、無辜のマリー・アントアネット妃がギロチンによって、市民が歓声をあげるなかで処刑された場だ。

 今から101年前を振り返りたい。パリにおいて第1次大戦に勝った連合国が、敗れたドイツを裁くパリ会議が行われた。日本は連合国の一員だった。

 アメリカのウィルソン大統領が議長だった。戦後の国際秩序を守るために、国際連盟が創設されることになり、日本全権団が連盟規約に「人種平等条項」を加えるように提案した。日本案に11ヶ国の小国が賛成し、アメリカ、フランス、イギリスなど植民地帝国の5ヶ国が反対し、多数決で採択されようとした。
 
 ところが、ウィルソン議長が「このような重要な決定は、全会一致でなければ認められない」といって、日本案を葬った。

 日本全権団は、今日、共和国広場を埋めた同じパリ市民から、罵声を浴びせられた。

 アメリカが奴隷制度を廃止したのは、明治元年の5年前だった。フランスが奴隷制度を廃止したのは、1848年だ。フランスはアフリカに多くの植民地を持ち、アメリカへ奴隷を輸出して巨額を儲けた。ボルドー港が奴隷貿易の中心だった。私はボルドーのワインを飲みたくない。

 アメリカの黒人の1人ひとりが、奴隷だった証しの生きた銅像だ。アフリカの黒人の肌が黒いのに対して、アメリカでは褐色をしている。奴隷の女性たちが白人の所有者によって、性的に弄(もてあそ)ばれたからだ。

 日本は中国、朝鮮半島と異なって、歴史を通じて奴隷が存在しなかった珍しい文化だ。

 初代神武天皇が橿原において即位された時に、「六合(くにのうち)(天地)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)(世界)をおおいて宇(いえ)(一つの家)とせむ」という、人種平等の詔勅を発せられている。

 今日、人種平等が人類の規範となったのは、日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、数百年も白人の苛酷な支配に喘いだアジアを解放し、その高波がアフリカも洗ったからだった。

 日本は世界の光だった。私たちは大いに誇りたい。


  拉致被害者は現行憲法の犠牲者だ!
    Date : 2020/08/04 (Tue)
 横田滋氏が、87歳で亡くなった。

 愛娘のめぐみさんが自宅の近くの海岸から、北朝鮮の工作員によって拉致されてから、43年ものむごい歳月が流れている。

 滋氏はめぐみさんが北朝鮮によって拉致されることがなかったら、幸せな家族に囲まれて、米寿を祝っていたことだろう。めぐみさんを救う戦いによって、寿命を縮められたのだった。

 滋氏は早紀江夫人と、都心のわが家に来られたこともあった。私も微力だが、拉致被害者の救出運動を手伝ってきた。
 滋氏の逝去は大手新聞・テレビによって、大きく報じられた。

 ところが、どの新聞社、テレビ局も、めぐみさんをはじめとする北朝鮮によって拉致された国民が、現行の日本国憲法の被害者だという事実に、一言も触れることがなかった。

 たしかに北朝鮮は、極悪で、無法、非道な国家だ。

 ところが、日本国憲法は日本国の安全を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねることを定めているから、日本国民に北朝鮮も、いま、日本から尖閣諸島を奪おうとしている中国も、“平和を愛好する諸国”だという妄想に、浸ることを強いてきた。

 北朝鮮はめぐみさんを日本の国土から誘拐した時には、経済が破綻した、みすぼらしい小国でしかなかった。

 もし、日本が昭和27(1952)年に、対日講和条約によって独立を回復した後に、アメリカ占領軍によって強要された日本国“偽”憲法を改正して、せめてイギリス、フランス程度の軍事力を整備していたとすれば、北朝鮮というみすぼらしい国によって、多数の日本国民が、国土から拉致されることはありえなかった。

 今日、イギリスとフランスは、それぞれ、日本のGDP(経済規模)の半分しかないが、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦、航空母艦を保有し、国益を守るために、しばしば軍を海外に派遣して戦ってきた。

 日本はめぐみさんが日本海の海岸から、北朝鮮の諜報機関によって攫われた時に、イギリスか、フランスの経済規模を上回る経済大国となっていた。

 日本国民が北朝鮮によって拉致されたことを、専門筋が明らかにした後にも、日本社会党をはじめとする護憲政党や、大手メディアは、「そのような事実はない」といって、北朝鮮を庇(かば)っていたものだった。

 拉致被害者と、そのために毎日、悲嘆に暮れている家族は、日本国憲法と護憲派の犠牲者だ。なぜ、マスコミはこの事実に、口を閉じてきたのだろうか。

 私は声を大きくして、いいたい。めぐみさんは、日本国憲法の犠牲者だ。

 護憲派も、北朝鮮による日本国民の拉致に、手を貸してきた。

 今日、多くの心ある国民が拉致被害者を救出する運動の青いバッジを、胸につけている。

 横田夫妻に同情するシンボルマークだ。しかし、青いバッジを胸につけることで、満足してよいのだろうか。

 滋氏の死に当たって、マスコミが大きく報じた。だが、“お涙頂戴”で終えてよいものだろうか。

 私たちはその流す涙を集めて、墨をすって、国民の命と生活を守ることができる日本の憲法を、書かねばならない。


  パンデミックは人類に曲り角を強いる
    Date : 2020/07/31 (Fri)
 5月末に、政府が非常事態宣言を解除した。

 といって降伏式典が行われて、ウイルスが降伏文書に調印したわけでないから、戦いに勝ったのではない。

 自粛を続けると経済が崩壊するから、国民生活と両天秤にかけねばならない。

 トランプ大統領、フランスのマクロン大統領が、コロナウイルスによるパンデミック(大流行)を「戦争だ」と述べた。私もそう思う。

 パンデミックと戦争は共通している。戦争に当たっては、戦費に糸目をつけない。

 政府は国民1人ひとりに10万円を給付することを決定したが、あまりに少額だ。

 戦争だと考えれば、外出自粛によって自宅に閉じこもる人々は、感染拡大の防止に大きく貢献しているから、最前線で戦う兵士と変わらない。

 勝利へ向けて、全力をあげねばならない。コロナとの戦いも、同じことだ。

 最前線に兵器糧食を迅速に供給しなければならない。7月になっても、10万円が届いていない世帯が多い。持続化のための融資も、政府から曾曾孫(ひひまご)請けした民間会社にまかせたせいなのか、経済を支えている多くの弱小企業の救済に間に合わない。苦戦している部隊に弾薬を送るのに、煩雑な手続きを必要とするようなものだ。

 おカネがなければ刷りなさい

 戦争は帳尻を問題にしない。コロナウイルスによる危機を乗り切るために、200兆、300兆円をさらに投入するのを躊躇してならない。

 そうすれば、経済の力強いV字型回復をもたらすことになろう。

 そういうと、政府が国債を発行して借金が野放図に膨張すると、財政が破綻して国債の償還すらできなくなるというだろう。
 
 国が収入以上に消費すれば、借金が脹れる。読者の多くが、質実な家庭であれば支出を収入の範囲内に抑えると、心配しよう。

 5月に産経新聞が「カネがなければ刷りなさい」という、5段にわたる記事を掲載した。

 日本国民の財布やポケットには、かならず2種類の通貨が入っている。

 1つは日銀券だ。大事なお金なのに案外知られていないが、もう1つは政府貨幣と呼ばれている。

 通貨について、『通貨の単位並びに貨幣の発行等に関する法律』がある。政府が閣議によって決定すれば、天井知らずで百兆円、数千兆円と発行できる。

 政府貨幣は、これまでのところ1円から、昭和天皇御在位60年記念の10万円金貨まで、硬貨に限られているが、紙幣でも、貝殻でも、石貨でもよい。

 政府貨幣は政府の収入となる。国債を発行すると政府の借金となって、償還と利払いが発生する。デフレの時に、その範囲内で政府貨幣を発行しても、インフレを招かない。

 政府が新しい意匠の紙幣(たとえば、枯木に花を咲かせた花咲爺(はなさかじい)さん)を、発行する必要はない。政府が小切手を1枚きって、日本銀行に持ち込んで、日銀券に替えればよい。

 政府貨幣を活用しよう

 産経の記事は私の多年の戦友だった、政府貨幣を活用すべきだと説いた、丹羽春喜教授を取り上げて、「丹羽提言の検討を急げ」という小見出しを組んでいた。

 1980年代に入ってから、宍戸駿太郎、丹羽両教授を中心にして、経済学者の有志を集めて、日本経済再生政策提言フォーラムを結成して、増税、国債によらずに、政府貨幣を発行するように提言した。宍戸氏は経済企画庁計量分析官をつとめ、退官後に筑波大学副学長、新潟国際大学学長となった。

 宍戸氏がフォーラムの初代の会長となり、丹羽教授が継いだ。私が両教授のもとで理事長をつとめた。2人の敬愛する先輩を、野辺(のべ)に送ってしまった。

 日本では平成の30年間が「失われた30年」とか、「第2の敗戦」と呼ばれているが、このあいだ世界経済の年間成長率が2%から3%だったのに、日本はゼロ成長に留まった。その後も、日本経済はデフレによって苦しめられた。

 そのために日本は平成元年に、世界経済の17%を占めていた第2位の経済大国だったのに、平成30年に5.6%になって、第3位に転落した。このままゆけば、坂道を転げ落ちてゆこう。

 コロナウイルスによる外出や、営業自粛によって消費が萎縮したために物価が下がり続けて、デフレが深刻なものとなっている。

 いまこそ、政府が貨幣発行特権を行使して、巨大なデフレの穴を埋めるべきだ。

 アメリカの生き抜く取組み

 アメリカは3月に連邦議会が、政府が2兆ドル(約216兆円)を追加支出することを議決したが、コロナ危機を克服するために、さらにドルを刷っている。いまではMMT(モダン・マネタリー・シオリ―)と呼ばれており、アメリカが実践している。

 コロナ危機がいつまで続くか、わからない。

 私はコロナウイルスによるパンデミックの到来を、歓迎している。

 そんなことをいうと、顰蹙(ひんしゅく)を買うにちがいない。

 多くの人がウイルスに冒され、非正規労働者が収入を絶たれ、零細企業が倒産している。私もその1人となるかもしれないから、よく理解できる。

 コロナ危機は、1929年に始まった世界大恐慌と並ぶものといわれる。

 だが、危機を無駄にしてはならない。私たちのこれまでの生きかたに、正すべきところがあれば、改める好機としたい。

 これまで14世紀にヨーロッパを襲って、ヨーロッパの人口の3分の1が死んだといわれる黒死病(ペストとされる)から、第2次世界大戦まで、世界が大きな危機に見舞われるたびに、社会のありかたが大きく改まった。

 これまで世界は、人々の限りなく膨れあがる欲望を満たすことが、目標となってきた。目がまわるような速度で、息急(いきせ)切って疾走してきた。

 外出自粛は息切れした人々に、立ち停まって、息を整えることを強いたと思う。欲望に駆られて驀進してきた社会が、スローダウンした。そうすることによって、周囲をあらためて眺めることができる。

 コロナ危機が社会文化の変化をもたらす

 コロナ危機が終息した後に、社会文化のありかたが大きく変わることとなろう。

 どうなるのだろうか。テレワークが普及するかたわら、感染症の犠牲になる危険が高い人口密集地を避けて、地方の時代が本格化するのかもしれない。

 テレワークは、よい意味で自己中心の社会をもたらそう。かえって働く人の創造力が高まり、生産性があがるのではないか。

 数ヵ月にわたった外出自粛は、時間が停まったような異常な体験だった。社会が日常を取り戻した時に、長い眠りから覚めたか、浦島太郎が故郷に帰ったように感じられよう。

 これから変化が加速して、早送りしたように変わってゆこう。

 高齢化が進んで、これまでの性急な青年型の文化が、落着いた成人型の文化へ移ってゆこう。

 欲望より必要を大事にしよう

 私は欲望よりも、必要を大事にする社会が到来することを願っている。

 これまでの欲望をみたすことを優先してきた社会は、人の心ではなく、数量によって動いてきた。人の精神が軽視されたために、歪(いびつ)な社会をつくっている。

 技術と富があいなって、全世界にわたって人々の生活水準が向上した。そのかたわら、恵まれた階層と恵まれない階層に、所得格差が拡がっている。

 これは資本主義が悪いわけではない。資本主義は共産主義のようなイデオロギーでも体制でもない。人の性(さが)から生まれたものだ。

 つい7、80年、100年前まで、アメリカも、日本も、人類は貧しかった。そのために際限のない欲望に駆られて、ひたすら量を追求する社会をつくってきた。

 だが、これから量よりも質を求める社会に、転換しなければならない。


  後世に伝えたい政治家
    Date : 2020/07/14 (Tue)
 外交の評論など文筆によって生きていると、政治家と接する機会が多くなる。

 秦野章氏とは東京知事選に立候補した時に、『秦野ビジョン』の一部を書いたことが、出会いだった。日大夜間部を卒業して警視総監をつとめた苦労人で、よくクラブに誘われた。演歌をうたうと、小節がきいて胸をうった。

 中曽根内閣の法相になった。私はロッキード裁判を批判していた。いつものように秦野氏と午前1時ごろまで飲んだ席で、「ロッキード裁判について対談しましょう」と促した。

 料亭で『文藝春秋』誌のために行ったが、秦野氏が「政治家に徳を求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものだ」と発言して有名になった。同席した法務省の秘書官は下戸らしく盃をとらなかったが、しだいに蒼ざめた。

 秦野氏は口癖のように、「今の世の中はあまり苦労する必要がないから、ヤワになったな。苦労せず成功する人もいるから、努力と正比例しない。でも、苦労はけっしてムダではないことだけは間違いない」といった。

 田中角栄氏も忘れられない。私が27歳の時から盆暮れに、私のもとに木樽に入った新潟の漬物が届いて、面識がない田中氏が送り主となっていた。数年後に、田中氏の秘書と出会ったのでたずねたら、その年に私が『新潟日報』に連載を書いたのを読んで、送るように指示されたということだった。

 私は田中首相が大新聞に煽られて、昭和47年に日中国交正常化を急いだのに、強く反対した。今日の歪んだ日中関係をつくった。

 それでも、田中首相は私が主宰する会に出席してくれた。児玉誉士夫に会いたいと頼んだら、児玉氏がホテル・オークラまで来てくれて、昼食をとった。

 中川一郎氏とは、国家観について意気投合した。このころの政治家は飾ることがない、野人が多かった。中川氏がわが家に寄ると、愚妻がつくる水割をつぎつぎと乾した。中川内閣が生まれたら、外務大臣になってくれという辞令を貰った。中川氏も土性骨があった。

 中曽根康弘首相も、優しかった。私は首相特別顧問として、対米折衝を手助った。アメリカから親しい友人が来ると、短い時間会ってもらった。黒人のスチュアート全米大学評議会議長が、その1人だった。官邸の執務室で会った。すると、中曽根氏が「きのう、こんな俳句を詠みましたよ」といって披露した。

 スチュアート氏が芭蕉を知っていると答えたところ、執務机まで誘って抽出してから、何枚か自分で描いた俳画の色紙を取り出して並べ、「1枚、差しあげます」といった。

 それ以来、スチュアート氏は日本と中曽根総理の熱烈なファンとなった。

 園田直官房長官(外相、厚相)、三原朝雄防衛庁長官、春日一幸民社党委員長をはじめ、親しかった政治家の姿が走馬灯のように浮ぶ。あのころの日本は、空気のなかに人情が微粒子のように飛んでいた。

 中曽根蔦子夫人は甲斐甲斐しかった。官邸に遅く報告にゆくと、待っても首相が帰ってこない。すると夫人が大学ノートを持って「主人が戻っても疲れているでしようから、私から伝えます」といって、一言一句筆記した。


  パンデミックは奇貨となるだろうか
    Date : 2020/07/02 (Thu)
 ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。

 といっても、相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。

 武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨――奇貨というものだった。

 予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。

 インスラ、アウタルキア

 2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーションの語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラ」insulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。

 自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。

 仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。

 自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。

 街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。

 つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。

 だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、五月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。

 春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。

 英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。

 自然との一体感

 英語では、ヨーロッパ諸語も同じことだが、チェリー(桜)、ピーチ(桃)、プラム(スモモ)、オレンジというと、私たちはすぐに花を思い浮べるのに、心より胃袋が先にくるので、食用のさくらんぼ、桃、プラムの実や、オレンジの果実を連想する。こんなことにも、異文化に出会うとカルチャーショックとなって、眩暈(めまい)を覚える。

 そこでチェリー・ブロッサムとか、ピーチ・ブロッサム、オレンジ・ブロッサムというように、あとにブロッサム(花)をつけないと、花として鑑賞する対象にならない。花より団子なのだ。

 アメリカやヨーロッパで、邸宅や、高級レストランに招かれると、季節外れの同じ油絵が、1年中掛けられている。日本であれば、それぞれの季節に合わせて掛け軸をとりかえるのに、興を殺がれる。

 『源氏物語』を読む

 私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。

 「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。

 サイデンさんが米寿になった時に、拙宅において40人あまりの男女の友人が集まって、祝った。

 全員で相談して、米寿の祝いに浅草で和傘を求めて贈った。洋傘が普及したために、残念なことに、幼い時に母がさしかけてくれた和傘の油紙を打つ、調子(ここち)よい雨の音が聞かれなくなった。

 サイデンさんはその6年後に、東京で亡くなったが、生前愛していた上野池端の会館でお別れの会が催され、丸谷才一氏、ドナルド・キーン氏など、500人以上の親しかった人々が参集した。私が献杯の辞を述べた。

 私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。

 香りは舞台回し

 『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)きの紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。

 流し漉きの丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。

 さまざまな香り――薫香が、もう1つ物語の進行を取りしきっている。名香に、梅花香、侍従、黒方(くろぼう)、荷(か)葉(よう)、薫衣(くのえ)香、百歩香などという名がつけられているが、おそらく6、70種類の薫香が舞台回しのように出てくる。

 香りはくらしに密着していた。屋内にくゆらしただけでなく、袖や、紙、扇に香りをたきしめた。それも、自分なりの芳しい香りを工夫して、四季にあわせて調合した。

 今日の日本では、クラブのホステスや、名流婦人が、不粋なことに1年を通して同じ西洋香水をつけているのには、辟易させられる。大量生産された安いガラス瓶に、はいっている。

 源氏の世界では自分だけの香の壺を、四季にあわせてもっていた。

 香りは清めであり、人々ははかない香りに感傷を託して、宇宙の静寂を感じた。

 西洋の香水は、今日、日本の家庭に普及している除臭剤とかわりがないが、源氏の世界の香りは、優美なものだった。

 自然は静かだが、人間は煩さすぎる

 「匂」という字は、もとの中国にない。日本でつくった国字だ。よい香りがたつことだけを意味していない。

 日本刀の小乱れした刃紋も「匂う」と表現するが、美しく輝いていることをいう。「朝陽に匂う山桜哉(かな)」という句がよく知られているが、山桜が朝の光をいっぱいに受けて、輝いているという意味である。

 『源氏物語』のなかで、女性が「匂ひやか」というと、美しいことを表している。

 桜の花は馨らない。光源氏が桜の花が美しいのに、香りがないことを慨嘆している(若菜)。

 香を賞(めで)るというが、香りと静けさは1つのものだ。心を落着かせて集中しないと、身心を香りにゆだねることができない。

 ゆとりがなければ、香を賞でることができない。香を嗅ぐことによって、ゆとりが生まれた。人生に間をはかることが、大切なのだ。

 世間で“引きこもり疲れ”とか、“自粛疲れ”という言葉が流行っているが、自分を取り戻すよい機会だろう。

 2020年は、文明開化の成れの果て

 私たちは明治の開国から、文明開化の号令のもとで西洋を模倣するのに努めるうちに、四季のゆるやかなうつろいに背いて、いたずらに慌(あわただ)しい社会をつくってきた。欧米に憧れて、モダン――スピード感、刹那的、享楽的なもの――を追い求めてきた、成れの果ての時代に生きている。

 今日、私たちが洋装をまとっているのは、日本を守るための手段であったはずだったのに、利便な文明開化に身を窶すあまり、いつの間にか目的にかわってしまった。

 サイデンさんはキーン氏と同じ海軍日本語学校の卒業生で、硫黄島の攻略戦に加わった。

 日本では先の大戦中に英語を「敵性語」として使うことも、学ぶことも禁じたが、アメリカは今日でも敵国の言葉を積極的に学ぶ。やはり、覇権国家なのだ。


  日本国憲法のために、亡国の危険にさらされている
    Date : 2020/07/02 (Thu)
 5月末に、全国民に外出自粛を強いていた緊急事態宣言が、ようやく解除された。

 といっても、相手は厄介なウイルスだから、まだ安心することはできない。ここしばらくはマスクを着用し、人とのあいだの距離を置かなければならないだろう。

 中国の武漢で、昨年発生したコロナ・ウイルスが、世界を震撼させるとは誰も予想できなかった。

 人類史を振り返ると、人間社会は戦争と疫病の流行によって、しばしば襲われている。

 戦争と疫病は、誰も予想できないというが、平時から国防を固めて平和を守り、疫病の襲来に備えなければならない。

 政府が緊急事態を宣言して、国民に外出を自粛するように求めたが、日本では憲法が緊急事態の規定がないために、諸外国のように違反者に罰則を課することができない。パチンコ店が要請を無視したのが、よい例である。

 私はこの連載で、日本国憲法が緊急事態に対応できないことを指摘してきた。

 コロナ・ウイルスによる不意打ちも、有事だった。

 現行憲法は有事を想定していない。大型台風や、激しい地震にまったく耐えられない家屋に、住んでいるようなものだ。

 コロナ・ウイルスの感染を防止するために、「3密」を避けることが強調された。

 そのなかで、現行憲法の意外な欠陥が、もう一つ露わになった。

 憲法第56条である。「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」と、規定している。

 この規定によると、議員本人が議場に出席しなければならない。

 だが首都直下型地震や、敵性国による攻撃を蒙って、3分の1の議員が集まれなかったらどうなるのか。日本が麻痺してしまう。

 以前、女性議員が出産のために、オンラインによって票決を行いたいと求めたが、56条の規定によって認められなかった。

 仮に3分の1が出席できたものの、与党議員ばかりだったら、どうだろうか。

 今日では、テレビ会議や、オンライン授業が行われるようになっている。56条を改めるべきだ。

 日本国憲法は、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているが、まっ赤(か)な嘘だ。日本は占領下で主権を失っており、アメリカ占領軍が日本の主権を握っていた。

 現行憲法は総司令部の部員が、法律の専門家が1人もいなかったのに、日本のためを考えずに、アメリカの都合だけにあわせて、大急ぎで起草した。そのために、杜撰(ずさん)きわまりなく、欠陥だらけだ。このような憲法に国民の安全と生命を、預けてよいのだろうか。

 世界諸国のなかで、有事に備えていない憲法を持っているのは、日本だけである。

 当時のアメリカは、日本が独立を回復した後に、日本がひとり立ちすることができないように、アメリカの属国とすることを狙ったのだった。

 この憲法のおかげで、いまでも国防をアメリカに委ねている。

 歴史を振り返ると、地図から消えてしまった国が多い。国際環境が激変するなかで、このままゆくと、日本国憲法のために日本が亡びる危険にさらされている。


  武漢ウイルスで露呈したグローバリズムの虚構
    Date : 2020/06/04 (Thu)
 新型コロナウィールスは、第2次大戦後の世界に最大の恐怖をもたらしている。まだ出口が見えないが、終息後に世界のありかたが大きく変わっていよう。

 グローバリズムと、世界的な流行であるパンデミックが発生した中国が、最大の敗者となるだろう。

 グローバリズムがこの半世紀以上も世界を支配してきたが、そのもとでヒト、モノ、カネ、ウィールスが国境を越えて自由に動いてきた。

 国際人とか、地球市民、多文化、多国籍といった言葉が、人のあるべき姿としてもて囃(はや)されてきた。

 私は典型的な“英語屋”だ。29歳で『ブリタニカ大百科事典』の最初の日本語版の初代編集長をつとめ、30代からアメリカの有名なシカゴ大学、トランプ大統領の母校である名門フィラデルフィア大学などから講師として招かれて、教鞭をとった。

 40歳の時に、福田赳夫内閣の首相特別顧問として、その後、外相、防衛庁長官顧問、中曽根内閣首相特別顧問として、対米外交の第一線に立った。

 だが、私は「国際人」と呼ばれることを嫌ってきた。国よりも“国際”を優先する風潮がおぞましかった。

 グローバリズムは巨大な多国籍企業が金儲けの夢にとりつかれて、つくりだした妖夢だ。

 グローバリズムは企業が金儲けのために、中国をはじめとする低賃金の発展途上国に巨額の投資を行ったことによって、危険なビールスのように全世界に広がった。

 ところが、中国の武漢(ウーハン)から始まったコロナビールスが、財物の豊かさだけを追求する世界経済を破壊した。
 1960年代に発足したヨーロッパ共同体(EU)が、よい例だ。今日、25ヶ国によって構成されているが、国境を取り払って、ヒト、モノ、カネが自由に動ける体制をつくりだした。ところが、ウーハン(武漢)ウィールスに襲われると、EU加盟国は「ヨーロッパは一つ」という建て前をあっさり捨てて、そろって国境を封鎖した。

 やはり、国民は国家しか頼ることができないのだ。

 19世紀末に西洋で生まれた、文化人類学という学問がある。西洋から見て未開だと見下した部族を研究対象としてきた。文明に浴している人々が民族として扱われるのに対して、部族と呼ばれてきた。

 いまでも部族は英語でトライブtribe、フランス語でtribus、ドイツ語でStama、イタリア語、スペイン語でtribuと呼ばれるが、差別語とされている。

 だが、部族は、同じ血、同じ言語、価値・道徳観、生活習慣、同じ信仰と、代々にわたる長い歴史を分かち合って、成り立っている。部族は外に対して自分たちの生活を守るために、団結してきた。

 文化人類学は、白人・キリスト教徒の傲りから、部族を未開な存在としてきたが、近代国家だって、部族とまったく変わらない。

 部族も、国家も、構成する人々の生活の基盤となっている。グローバリゼーションが人々を根なし草にしたが、コロナ危機は国家しか頼れないことを明らかにした。

 現行憲法は日本が長い歴史を通じて紡いできた、誇るべき伝統を否定している。

 国民を結束させる憲法に、改めたい。


  危機と躾
    Date : 2020/05/29 (Fri)
 「躾」は日本でつくった国字だが、「馴れている」「身についている」を意味する、「しつく」の名詞だ。

 武道、書道、茶道から日常の身のふりかたまで、動じる――動揺することなく、慌ててはならない。つねに落ち着いていることが大切だ。私は空手道6段を允許されているが、試合に臨んでは技が身についており、どのような状況にも馴れていることが求められる。

 中国から始まった新型コロナウィルスが、全世界にひろがるなかで、人々が浮き足立っている。不安が先き立って落ち着かないので、足が地を踏んでいない。焦燥感に駆られると、判断力と認知機能が低下する。

 全国でトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起ったが、トイレットペーパーはウイルスの感染予防には何の役にも立たないはずだ。 躾けを欠いた人々は、自律神経を冒されたように付和雷同する。

 昨年は異常な気象によって全国に大きな被害が発生したが、人類の歴史を振り返ると、地球温暖化や冷却化によって翻弄されてきた。

 このところ、人間活動が二酸化炭素(CO2)の排出量を増しているために、気候変動をもたらしていると、ひろく信じられているが、人はそれほど大きな力を持っているだろうか。コロナウィルスにも、対応できない。思い上がりだ。

 青森県の三内丸山遺跡はよく知られているが、今日よりも海岸線が接近していた。科学調査によれば、当時の気温は現在より2度以上も高く、海面が上昇していた。あの時代に日本列島に工場がひしめき、まだ自動車も走っていなかった。

 およそ2万8000年前の最終氷河期の中期から、温暖化によって海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートルも上昇した。

 西暦1550年から約300年にわたって小氷河期が訪れ、日本では1833年から天保の飢饉に襲われ、全国にわたって餓死、行倒れがあいついだ。

 今回のウイルスが、太陽の外層に輝く部分に似ているので、「コロナ」と名づけられている。太陽のコロナは黒点が極大、極小期によって、地球に飛来する電子の強弱が変わって、地球の気象をもてあそんできた。

 愚かな人々が妄動して、人間活動が気候変動を招いていると、全世界にわたって空ら騒ぎに耽っている。スーパーにおけるトイレットペーパー騒動によく似ている。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
 福田赳夫内閣が昭和51(1976)年12月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。

 私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。

 本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。

 福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、“目玉”がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。

 私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。12月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。

 前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。

 私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。

 私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。

 もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。

 当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。

 私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、2年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。

 私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が“韓国切り捨て”を望んでいた。

 この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。

 私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。

 私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。

 ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。

 第1回福田・カーター首脳会談から20年たって、国防省、国務省で1974年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。

 この時に、モース教授が20年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。

 その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。

 中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。

 防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。

 日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。

 戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。

 外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
福田赳夫内閣が昭和五十一(一九七六)年十二月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。
私は四十歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。
本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。
福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、〃目玉〃がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。
私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。十二月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。
私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。
私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。
もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。
当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。
私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、二年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。
私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が〃韓国切り捨て〃を望んでいた。
この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。
私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。
私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。
ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。
第一回福田・カーター首脳会談から二十年たって、国防省、国務省で一九七四年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。
この時に、モース教授が二十年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。
その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。
中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。
防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。
日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。
戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。
外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


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