加瀬英明のコラム
  • メールアドレス登録をすると最新のコラムをメールでお送りします。
  • メールアドレスの登録/解除はご自身で自由に行えます。

  パンデミックは奇貨となるだろうか
    Date : 2020/07/02 (Thu)
 ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。

 といっても、相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。

 武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨――奇貨というものだった。

 予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。

 インスラ、アウタルキア

 2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーションの語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラ」insulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。

 自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。

 仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。

 自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。

 街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。

 つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。

 だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、五月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。

 春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。

 英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。

 自然との一体感

 英語では、ヨーロッパ諸語も同じことだが、チェリー(桜)、ピーチ(桃)、プラム(スモモ)、オレンジというと、私たちはすぐに花を思い浮べるのに、心より胃袋が先にくるので、食用のさくらんぼ、桃、プラムの実や、オレンジの果実を連想する。こんなことにも、異文化に出会うとカルチャーショックとなって、眩暈(めまい)を覚える。

 そこでチェリー・ブロッサムとか、ピーチ・ブロッサム、オレンジ・ブロッサムというように、あとにブロッサム(花)をつけないと、花として鑑賞する対象にならない。花より団子なのだ。

 アメリカやヨーロッパで、邸宅や、高級レストランに招かれると、季節外れの同じ油絵が、1年中掛けられている。日本であれば、それぞれの季節に合わせて掛け軸をとりかえるのに、興を殺がれる。

 『源氏物語』を読む

 私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。

 「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。

 サイデンさんが米寿になった時に、拙宅において40人あまりの男女の友人が集まって、祝った。

 全員で相談して、米寿の祝いに浅草で和傘を求めて贈った。洋傘が普及したために、残念なことに、幼い時に母がさしかけてくれた和傘の油紙を打つ、調子(ここち)よい雨の音が聞かれなくなった。

 サイデンさんはその6年後に、東京で亡くなったが、生前愛していた上野池端の会館でお別れの会が催され、丸谷才一氏、ドナルド・キーン氏など、500人以上の親しかった人々が参集した。私が献杯の辞を述べた。

 私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。

 香りは舞台回し

 『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)きの紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。

 流し漉きの丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。

 さまざまな香り――薫香が、もう1つ物語の進行を取りしきっている。名香に、梅花香、侍従、黒方(くろぼう)、荷(か)葉(よう)、薫衣(くのえ)香、百歩香などという名がつけられているが、おそらく6、70種類の薫香が舞台回しのように出てくる。

 香りはくらしに密着していた。屋内にくゆらしただけでなく、袖や、紙、扇に香りをたきしめた。それも、自分なりの芳しい香りを工夫して、四季にあわせて調合した。

 今日の日本では、クラブのホステスや、名流婦人が、不粋なことに1年を通して同じ西洋香水をつけているのには、辟易させられる。大量生産された安いガラス瓶に、はいっている。

 源氏の世界では自分だけの香の壺を、四季にあわせてもっていた。

 香りは清めであり、人々ははかない香りに感傷を託して、宇宙の静寂を感じた。

 西洋の香水は、今日、日本の家庭に普及している除臭剤とかわりがないが、源氏の世界の香りは、優美なものだった。

 自然は静かだが、人間は煩さすぎる

 「匂」という字は、もとの中国にない。日本でつくった国字だ。よい香りがたつことだけを意味していない。

 日本刀の小乱れした刃紋も「匂う」と表現するが、美しく輝いていることをいう。「朝陽に匂う山桜哉(かな)」という句がよく知られているが、山桜が朝の光をいっぱいに受けて、輝いているという意味である。

 『源氏物語』のなかで、女性が「匂ひやか」というと、美しいことを表している。

 桜の花は馨らない。光源氏が桜の花が美しいのに、香りがないことを慨嘆している(若菜)。

 香を賞(めで)るというが、香りと静けさは1つのものだ。心を落着かせて集中しないと、身心を香りにゆだねることができない。

 ゆとりがなければ、香を賞でることができない。香を嗅ぐことによって、ゆとりが生まれた。人生に間をはかることが、大切なのだ。

 世間で“引きこもり疲れ”とか、“自粛疲れ”という言葉が流行っているが、自分を取り戻すよい機会だろう。

 2020年は、文明開化の成れの果て

 私たちは明治の開国から、文明開化の号令のもとで西洋を模倣するのに努めるうちに、四季のゆるやかなうつろいに背いて、いたずらに慌(あわただ)しい社会をつくってきた。欧米に憧れて、モダン――スピード感、刹那的、享楽的なもの――を追い求めてきた、成れの果ての時代に生きている。

 今日、私たちが洋装をまとっているのは、日本を守るための手段であったはずだったのに、利便な文明開化に身を窶すあまり、いつの間にか目的にかわってしまった。

 サイデンさんはキーン氏と同じ海軍日本語学校の卒業生で、硫黄島の攻略戦に加わった。

 日本では先の大戦中に英語を「敵性語」として使うことも、学ぶことも禁じたが、アメリカは今日でも敵国の言葉を積極的に学ぶ。やはり、覇権国家なのだ。


  日本国憲法のために、亡国の危険にさらされている
    Date : 2020/07/02 (Thu)
 5月末に、全国民に外出自粛を強いていた緊急事態宣言が、ようやく解除された。

 といっても、相手は厄介なウイルスだから、まだ安心することはできない。ここしばらくはマスクを着用し、人とのあいだの距離を置かなければならないだろう。

 中国の武漢で、昨年発生したコロナ・ウイルスが、世界を震撼させるとは誰も予想できなかった。

 人類史を振り返ると、人間社会は戦争と疫病の流行によって、しばしば襲われている。

 戦争と疫病は、誰も予想できないというが、平時から国防を固めて平和を守り、疫病の襲来に備えなければならない。

 政府が緊急事態を宣言して、国民に外出を自粛するように求めたが、日本では憲法が緊急事態の規定がないために、諸外国のように違反者に罰則を課することができない。パチンコ店が要請を無視したのが、よい例である。

 私はこの連載で、日本国憲法が緊急事態に対応できないことを指摘してきた。

 コロナ・ウイルスによる不意打ちも、有事だった。

 現行憲法は有事を想定していない。大型台風や、激しい地震にまったく耐えられない家屋に、住んでいるようなものだ。

 コロナ・ウイルスの感染を防止するために、「3密」を避けることが強調された。

 そのなかで、現行憲法の意外な欠陥が、もう一つ露わになった。

 憲法第56条である。「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」と、規定している。

 この規定によると、議員本人が議場に出席しなければならない。

 だが首都直下型地震や、敵性国による攻撃を蒙って、3分の1の議員が集まれなかったらどうなるのか。日本が麻痺してしまう。

 以前、女性議員が出産のために、オンラインによって票決を行いたいと求めたが、56条の規定によって認められなかった。

 仮に3分の1が出席できたものの、与党議員ばかりだったら、どうだろうか。

 今日では、テレビ会議や、オンライン授業が行われるようになっている。56条を改めるべきだ。

 日本国憲法は、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているが、まっ赤(か)な嘘だ。日本は占領下で主権を失っており、アメリカ占領軍が日本の主権を握っていた。

 現行憲法は総司令部の部員が、法律の専門家が1人もいなかったのに、日本のためを考えずに、アメリカの都合だけにあわせて、大急ぎで起草した。そのために、杜撰(ずさん)きわまりなく、欠陥だらけだ。このような憲法に国民の安全と生命を、預けてよいのだろうか。

 世界諸国のなかで、有事に備えていない憲法を持っているのは、日本だけである。

 当時のアメリカは、日本が独立を回復した後に、日本がひとり立ちすることができないように、アメリカの属国とすることを狙ったのだった。

 この憲法のおかげで、いまでも国防をアメリカに委ねている。

 歴史を振り返ると、地図から消えてしまった国が多い。国際環境が激変するなかで、このままゆくと、日本国憲法のために日本が亡びる危険にさらされている。


  武漢ウイルスで露呈したグローバリズムの虚構
    Date : 2020/06/04 (Thu)
 新型コロナウィールスは、第2次大戦後の世界に最大の恐怖をもたらしている。まだ出口が見えないが、終息後に世界のありかたが大きく変わっていよう。

 グローバリズムと、世界的な流行であるパンデミックが発生した中国が、最大の敗者となるだろう。

 グローバリズムがこの半世紀以上も世界を支配してきたが、そのもとでヒト、モノ、カネ、ウィールスが国境を越えて自由に動いてきた。

 国際人とか、地球市民、多文化、多国籍といった言葉が、人のあるべき姿としてもて囃(はや)されてきた。

 私は典型的な“英語屋”だ。29歳で『ブリタニカ大百科事典』の最初の日本語版の初代編集長をつとめ、30代からアメリカの有名なシカゴ大学、トランプ大統領の母校である名門フィラデルフィア大学などから講師として招かれて、教鞭をとった。

 40歳の時に、福田赳夫内閣の首相特別顧問として、その後、外相、防衛庁長官顧問、中曽根内閣首相特別顧問として、対米外交の第一線に立った。

 だが、私は「国際人」と呼ばれることを嫌ってきた。国よりも“国際”を優先する風潮がおぞましかった。

 グローバリズムは巨大な多国籍企業が金儲けの夢にとりつかれて、つくりだした妖夢だ。

 グローバリズムは企業が金儲けのために、中国をはじめとする低賃金の発展途上国に巨額の投資を行ったことによって、危険なビールスのように全世界に広がった。

 ところが、中国の武漢(ウーハン)から始まったコロナビールスが、財物の豊かさだけを追求する世界経済を破壊した。
 1960年代に発足したヨーロッパ共同体(EU)が、よい例だ。今日、25ヶ国によって構成されているが、国境を取り払って、ヒト、モノ、カネが自由に動ける体制をつくりだした。ところが、ウーハン(武漢)ウィールスに襲われると、EU加盟国は「ヨーロッパは一つ」という建て前をあっさり捨てて、そろって国境を封鎖した。

 やはり、国民は国家しか頼ることができないのだ。

 19世紀末に西洋で生まれた、文化人類学という学問がある。西洋から見て未開だと見下した部族を研究対象としてきた。文明に浴している人々が民族として扱われるのに対して、部族と呼ばれてきた。

 いまでも部族は英語でトライブtribe、フランス語でtribus、ドイツ語でStama、イタリア語、スペイン語でtribuと呼ばれるが、差別語とされている。

 だが、部族は、同じ血、同じ言語、価値・道徳観、生活習慣、同じ信仰と、代々にわたる長い歴史を分かち合って、成り立っている。部族は外に対して自分たちの生活を守るために、団結してきた。

 文化人類学は、白人・キリスト教徒の傲りから、部族を未開な存在としてきたが、近代国家だって、部族とまったく変わらない。

 部族も、国家も、構成する人々の生活の基盤となっている。グローバリゼーションが人々を根なし草にしたが、コロナ危機は国家しか頼れないことを明らかにした。

 現行憲法は日本が長い歴史を通じて紡いできた、誇るべき伝統を否定している。

 国民を結束させる憲法に、改めたい。


  危機と躾
    Date : 2020/05/29 (Fri)
 「躾」は日本でつくった国字だが、「馴れている」「身についている」を意味する、「しつく」の名詞だ。

 武道、書道、茶道から日常の身のふりかたまで、動じる――動揺することなく、慌ててはならない。つねに落ち着いていることが大切だ。私は空手道6段を允許されているが、試合に臨んでは技が身についており、どのような状況にも馴れていることが求められる。

 中国から始まった新型コロナウィルスが、全世界にひろがるなかで、人々が浮き足立っている。不安が先き立って落ち着かないので、足が地を踏んでいない。焦燥感に駆られると、判断力と認知機能が低下する。

 全国でトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起ったが、トイレットペーパーはウイルスの感染予防には何の役にも立たないはずだ。 躾けを欠いた人々は、自律神経を冒されたように付和雷同する。

 昨年は異常な気象によって全国に大きな被害が発生したが、人類の歴史を振り返ると、地球温暖化や冷却化によって翻弄されてきた。

 このところ、人間活動が二酸化炭素(CO2)の排出量を増しているために、気候変動をもたらしていると、ひろく信じられているが、人はそれほど大きな力を持っているだろうか。コロナウィルスにも、対応できない。思い上がりだ。

 青森県の三内丸山遺跡はよく知られているが、今日よりも海岸線が接近していた。科学調査によれば、当時の気温は現在より2度以上も高く、海面が上昇していた。あの時代に日本列島に工場がひしめき、まだ自動車も走っていなかった。

 およそ2万8000年前の最終氷河期の中期から、温暖化によって海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートルも上昇した。

 西暦1550年から約300年にわたって小氷河期が訪れ、日本では1833年から天保の飢饉に襲われ、全国にわたって餓死、行倒れがあいついだ。

 今回のウイルスが、太陽の外層に輝く部分に似ているので、「コロナ」と名づけられている。太陽のコロナは黒点が極大、極小期によって、地球に飛来する電子の強弱が変わって、地球の気象をもてあそんできた。

 愚かな人々が妄動して、人間活動が気候変動を招いていると、全世界にわたって空ら騒ぎに耽っている。スーパーにおけるトイレットペーパー騒動によく似ている。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
 福田赳夫内閣が昭和51(1976)年12月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。

 私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。

 本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。

 福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、“目玉”がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。

 私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。12月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。

 前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。

 私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。

 私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。

 もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。

 当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。

 私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、2年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。

 私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が“韓国切り捨て”を望んでいた。

 この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。

 私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。

 私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。

 ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。

 第1回福田・カーター首脳会談から20年たって、国防省、国務省で1974年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。

 この時に、モース教授が20年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。

 その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。

 中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。

 防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。

 日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。

 戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。

 外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


  常任理事国承認と在韓米軍撤収
    Date : 2020/05/19 (Tue)
福田赳夫内閣が昭和五十一(一九七六)年十二月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。
私は四十歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。
本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。
福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、〃目玉〃がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。
私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。十二月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。
私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。
私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。
もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。
当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。
私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、二年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。
私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が〃韓国切り捨て〃を望んでいた。
この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。
私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。
私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。
ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。
第一回福田・カーター首脳会談から二十年たって、国防省、国務省で一九七四年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。
この時に、モース教授が二十年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。
その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。
中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。
防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。
日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。
戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。
外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。


  パンデミックが示したグローバリズムの弊害
    Date : 2020/05/12 (Tue)
 2月にギリシアで、東京オリンピック大会のための聖火の採火式が行われた。テレビのニュースで観たが、ナチスの式典だということに触れることがなかった。

 古代ギリシアのオリンピア大会でも、1896年に近代オリンピック大会が始まってからも、1936年のベルリン大会まで聖火リレーが行われなかった。

 ヒトラーのナチス・ドイツがこの年にベルリン大会を主催したが、すべての道がベルリンに通じることを示威するために、ゲベルス宣伝相が発明したものだった。

 いま新型コロナウィルスが、イタリアで猛威を振っている。1922年にファシスト・イタリアの独裁者となったムソリーニが政権を握ると、真っ先に「非衛生的だから握手の悪習を廃止して」、ローマ帝国時代の敬礼だった右手を前に高く掲げる、「サルート・ロマーノ」(ローマ式敬礼)にかえるように求めた。

 1918年からスペイン風邪が全世界に流行して、数千万人の死者が発生したからだった。ヒトラーがナチス党の党首となると、ファシスト・イタリアを模倣して、ローマ式敬礼を採用した。

 中国武漢(ウハン)から広まった新型コロナウィルスが、米ソ冷戦の終結後に人類の世界体制となったグローバリズムを、粉砕した。ウハン・ウィルスによるパンデミック(世界的流行)が、いつ終息するか分からないが、そのもたらした衝撃があまりに大きいだけに、終息しても、世界がもとに戻ることはないだろう。

 グローバリズムは世界を一つのものとしてみて、投資、製造、人や物品の移動から国境をなくしてしまった。

 2002年にサーズ(重症急性呼吸器症)が、やはり中国広東省から始まった時に、中国は世界経済の4%にしか当たらなかったが、2020年に16%を占めるようになった。

 中国が問題だ。先進諸国は中国に過度なまで部品や素材のサプライチェーンを依存してしまったために、国内の工場の操業や供給が停まって、経済が大きな打撃を蒙っている。

 サーズは、中国人が麝香猫(じゃこうねこ)科のハクビシンを、好物として食べることから起ったといわれる。中国政府の発表によっても新型コロナウィルスも、人々が爬虫類科のセンザンコウや、ハクビシン、蝙蝠を食べているために発生した。武漢では市場でこれらの野生動物が食用として売られていたが、ウハン・ウィルスが発生してから、中国政府がはじめて禁止した。

 トランプ政権が中国の覇権主義に掣肘を加えるようになったものの、中国は世界経済システムのなかに組み込まれ続けた。だが、今回のパンデミック騒動のなかで、中国の信用が大きく傷ついた。中国に対して、新疆ウィグル、香港に対する圧政、外国企業に対する不当な干渉によって、すでに嫌気がさしていたが、中国がウハン・ウィルスの発生後に2ヶ月近く隠蔽していたことが、中国のイメージに止めを刺した。

 私は今回の新型コロナウィルスによるパンデミックを境として、「チャイナ」と「グローバリゼーション」の二つの言葉が持つ意味が、大きく変わったと思う。

 グローバリゼーションはそれぞれの国の固有な文化による箍(たが)を弱めて、人々を無国籍にしたために、放縦になって快楽を追求させてきた。その結果、先進諸国における死因は生活習慣病によるものが、大多数を占めるようになっている。私は人々が国境が果してきた役割に、再び目覚めることになるのを期待している。

 今回のウハン・ウィルスによるパンデミックが、いつ終息するか分からないが、世界のありかたに冷水を浴びせたことは間違いない。

 もう一つよいことがあるとすれば、中国人が悪食(あくじき)の習慣を改めれば、センザンコウが絶滅から救われることになろう。


  今こそ無法な憲法を改正し、日本を建て直そう
    Date : 2020/05/12 (Tue)
 ついに政府が、新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大を防ぐために、全国に「非常事態宣言」を発した。

 もっと早い時期に発するべきだったか、意見が分かれるところだろうが、国民の危機意識を引き締めるのに、役立っただろう。

 今回の非常事態宣言は、横浜港に接岸した大型クルーズ客船『ダイヤモンド・プリンセス』によって、コロナウィルス騒ぎが始まってから、急いで国会を通した「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にもとづいて、発したものだ。

 ところが、日本では「非常事態宣言」を発しても、住民や、国民に強制することができないために、政府が呼びかけて「要請」するほかない。

 アメリカや、ヨーロッパ諸国では、非常事態宣言が発せられると、そのもとで、食料や生活必需品を買う目的で家を出るのを除いて、外出した場合に高額の罰金を科しているが、日本では要請するだけで、罰則がない。

 私は都内の千代田区に住んでいるが、千代田区では区の条例によって、路上で喫煙すると罰金を科せられる。区でさえ、条例によって罰金を科すことができるのに、国家的危機を乗り切るために「非常事態宣言」を発したはずなのに、どうして罰金を科すことができないのだろうか。

 現行の日本国憲法には、アメリカをはじめどの国の憲法にもうたわれている、非常事態条項が欠落しているために、重大な危機に立ち向うことができない。

 現行の日本国憲法はアメリカの軍事占領下で、無抵抗だった政府と国会に強要されたものだから、一国の憲法にとうてい値しない代(しろ)物(もの)だ。

 アメリカが占領下の国に、基本法である憲法を改めることを強いたのは、国際法の重大な違反だった。そのために、アメリカは憲法を押しつけたことを偽装して、日本国民が自らの手で制定したように見せ掛けた。

 日本国憲法の原文は、護憲派の憲法学者たち全員が認めているように、英文である。世界の憲法のなかで、原文が外国語で書かれているのは、日本国憲法だけである。

 アメリカは現行憲法を、日本国民のためを思って、強要したのではなかった。日本を罰するためと、日本が未来永劫にわたって再びアメリカの脅威とならないように、アメリカのためだけを思って、強要したものだった。

 日本は占領下で独立を奪われていたから、講和条約によって独立を回復するまでは、国家でなかった。

 それなのに、現行憲法が「日本国憲法」と呼ばれているのは、“偽物の憲法”であることを示している。

 日本を憲法第9条によって完全に非武装化して、アメリカの保護下でなければ生きられないように丸裸にしたのは、日本を二度と独立国としないためだった。

 護憲派は現行憲法を、まるで家宝のように扱って後生大事にしているが、宝物どころか、危機に当たって役立たない偽物のガラクタでしかない。

 新型コロナウィルスによる試練は、戦後、未曽有のものだ。

 いったい、いつになったら終息するのだろうか。全国民が暗然としている。

 ただ、意気消沈しているより、この無法な憲法を改正して、日本を建て直す好機だと考えたい。


  危機意識が欠落した国家のままでよいのか
    Date : 2020/04/03 (Fri)
 中国生まれの新型コロナウィルスが、全世界を不安に陥れている。

 日本はあきらかに対応が、大きく遅れた。

 アメリカからモンゴルまで多くの諸国が、日本より数週間も早く中国からの入国を禁じたのに、日本では3月に入っても、湖北省、浙江省だけから入国を禁じていた。

 全面入国禁止にすると、中国政府に遠慮したのか、1月末に始まった春節(旧正月)中に来日する中国人観光客を当てにしたのか、いずれにせよ、危機意識が欠落していた。

 私にとって不思議なのは、連日、マスクの供給が足りないと報じられたが、どうして女性たちがハンケチや手拭いを使って、マスクを作ることをしなかったのだろうか。

 4、50年前なら、急拵(きゅうごしら)えのマスクを作ったはずだ。いまでは家庭にミシンがないし、女性たちが縫い物をしないからなのだろう。

 かつて女性たちだけでなく、子供たちも軍人に深い敬意を払った。誰もが胸のなかで、「兵隊さん有難う」と思ったものだった。国を護ることが、何よりも大切だと知っていた。

 今回は、海外からコロナウィルスの侵略を蒙った。

 日本国憲法が前文で、外国が日本に脅威を及ぼすことがないとうたっているために、外国に対する警戒心が失われたのだろう。

 日本国憲法にはどの国の憲法にもある、大型地震、台風などの天災、パンデミック(地球規模の感染症)に襲われた場合に、国民の生命財産を守るために、国民の一部の権利を一時的に制限する緊急事態条例がない。

 阪神淡路大震災では、消防車や救急隊が瓦礫を撤去しなければ通行できなかったのに、私有権が立ちふさがって、多くの人命が失われた。

 現行憲法はアメリカが占領下で、日本が再び独立国とならないように無力化するために、強制したものだ。国家が国民を護るために存在しているという基本中の基本が、すっぽりと抜け落ちている。

 だが、「だからこそ、現行憲法が『平和憲法』だ」と信じている多くの軽率な国民が、“護憲教”というカルトを形成している。平和とは何か、真剣に考えたことが、あるだろうか。

 識者と自民党のなかから、今回のコロナウィルスの危機を教訓として、憲法に緊急事態条項を加えるべきだという声があがっている。

 それに対して、立憲民主党の枝野幸男代表が、「国民の生命を梃(てこ)として、改憲を主張するのは筋違いだ」と、批判した。

 だが、憲法は国民の生命と安全を守るために、存在している。国民の安全を守ることができなければ、人権を守れない。安全と人権は、同じ言葉だ。

 湖北省から邦人を乗せた、政府仕立てのチャーター機から降りた二人が、検診と観察下に置かれることを拒否した。

 平和憲法の制約によって、「必要最小限、周辺諸国に脅威を与えない」防衛力しか保有できないとしている。感染症や、気候変動による大型台風や、洪水に対しても「最小限」の備えがあればよいのだろうか。

 今回の新型コロナウィルスによる危機が、一刻も早く終息することを祈っているが、また新しい強力なビールスが登場しよう。

 国家はつねに危機感を持たねばならない。憲法が危機に備えられないなら、改めるべきだ。


  “世界終末”の詐話によって騙されまい
    Date : 2020/04/03 (Fri)
 1月にスイスのダボスで、「ダボス会議」として知られる「世界経済フォーラム」が開催された。

 ダボスはスイス東部の深い渓谷の底にある保養観光地で、トーマス・マンの小説『魔の山』の舞台になった。

 1971年以後、毎年、ダボスにマスコミが“グローバル・エリート”と呼ぶ、2000人以上の多国籍企業経営者や、政治家、知識人などが集まって、「世界が直面する重大な問題」を討議することになっている。

 今年は「地球温暖化による気候変動」が、重要な議題だった。

 17歳の“環境問題活動家”として時めいている、グレタ・トゥーンベリ嬢が基調講演を行い、「地球を救うのには、あと8年しか残されていない」と訴えた。

 グレタさんは15歳で「気候のための学校ストライキ」を呼びかけ、100万人以上の学生が参加したことで有名になり、両親に二酸化炭素(CO2)を排出する飛行機旅行をやめさせたり、肉を食べないよう説得して“時代の寵児”となった。

 地球に残された時間が、8年だって? だが、裏付けがあるのだろうか?

 50年前、「ローマ・クラブ」が一世を風靡した

 私はグレタさんの託宣をきいて、1970年に『ローマ・クラブ』が世界の著名な科学者、経済学者、経営者などの“叡知”を集めて、『成長の限界・人類の危機』というレポートを発表したことを、思い出した。『ローマ・クラブ』の六人の常任委員会には、日本から経済学の大宗として持て囃された、大来多三郎氏が加わっていた。

 『ローマ・クラブ』の報告書は、世界が経済成長を続けてゆくと、環境汚染が悪化し、クローム、鉄、アルミ、錫、鉛、金、銀、水銀、石油などの鉱物・化石資源が枯渇するから、「経済成長をゼロ」にすべきだと主張して、一世を風靡した。

 この報告書は常識から大きく逸脱した、噴飯物だった。もし経済成長をとめたら、汚染がもっとひどくなる。中学生でも環境を浄化するためには、カネがかかることが分かっている。

 久し振りに『成長の限界』を読み返すと、「限界、危機、破局」というおどろおどろしい言葉を連発している。

 グレタ少女による怪しい神託の類(たぐい)といえば、枚挙に遑(いとま)がない。

 最近では、2013年にケンブリッジ大学の教授が、2年後の2015年に北極の氷が消えてしまうと、警告していた。

 1968年に、著名な環境学者のポール・ヒアリッヒ教授が、ベストセラーになった『人口爆弾』によって、地球人口がこれ以上増えれば、人類が滅亡すると警鐘を鳴らした。

 その2年後の1970年の世界人口は、36億人だった。『成長の限界』レポートも「爆発的な人口増加」を、切迫する「人類の危機」として取りあげていた。今日、世界人口は2倍以上に増えている。

 グレタ少女は妖しい巫女だ

 日本大学の季刊誌の春季号に、牧野富夫日本大学名誉教授が、グレタ少女を「スウェーデンの十代の少女グレタ・トゥーンベリさんの活動に世界が驚き注目している。国連などで地球の危機を訴える弁舌は説得力があり、大人を圧倒する。素晴らしい。質疑でも、縦横・機敏に対応し、彼女が『自分の考え』をもっていることを、物語っている」と、手放しで激賞している。

 資源が枯渇するのではなく、軽はずみな人々が絶えることがない。 

 グレタ少女から『ローマ・クラブ』まで、人心を乱す邪しまな占い師だ。

 私は占いを好む女友達たちに、「『占い』の語源は『裏付けがない』ですよ」と戒めている。占い師は吉か凶といって、客を脅すことを生業(なりわい)としている。

 神社の御神籤(おみくじ)は遊びだから罪がないが、『成長の限界』のような報告書は、人間の脳が危ふさと、暗いことにもっとも強く反応するのに乗じている。

  私は『成長の限界』が発表された年に発表した著書で、「資源が枯渇することはない。石が枯渇したために、石器時代が終わったというのとかわらない」と批判した。青銅器時代が終わって鉄器時代に移ったのは、銅が枯渇したからではない。

 青森県の三内丸山遺跡といえば、よく知られている。縄文人の集落だが、科学調査によれば、当時の気温は今日よりも2度も高かった。海面が上昇していたから、海岸線が三内丸山遺跡に接近していた。

 7、8000年あまり前に、日本列島に一酸化炭素を排出する工場がひしめき、上空を旅客機が頻繁に飛んでいたはずがない。

 気候変動は自然現象

 地球の気候は科学調査によれば、およそ18000年前の最終氷期の中期から温暖化が進み海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートル上昇していた。

 西暦1550年から約300年にわたって寒冷な小氷期が訪れ、ロンドンのテムズ河が完全に氷結して、氷のうえに市場が開かれていた。凶作の時代だった。日本では小氷期に、1180年から81年まで「天明の飢饉」、1833年から36年まで「天保の飢饉」が起っている。

 もちろん、このような気候変動は主として太陽活動によるもので、今日の地球温暖化も自然の力によるものだ。人為的にもたらされているのではない。

 グレタ少女は飛行機に乗らず、肉食をいっさい拒んでいるというが、スウェーデンから鉄道にも、自動車にも乗らず、どのようにしてダボスに来たのか。革靴も履かず、皮製のソファに腰掛けないのだろうか。

 牛や、羊を放牧するために森林を伐採することによってCO2が増加しているが、エビの養殖のために広大なマングローブ林が消滅しているほうが、地球環境をはるかに損ねていると非難されている。グレタ少女はエビも、口にしないのだろうか。

 「政経同志会」50周年の祝宴

 この原稿を書いている途中で、都心の帝国ホテルに本部を置く、エリート経営者団体の『政経同志会』の50周年を祝う晩餐会に招かれた。

 同会の奥山忠代表は、人望が高い。ホテルの大広間を埋めて、1000人あまりの善男善女がテーブルに着席して、会の半世紀を賑々しく祝った。

 帝国ホテルの洋食といえば、日本で最高峰として知られる。

 「黒毛和牛フィレ肉のポワレ ジュヴ・シャンベルタンのソース」を中心とするフルコースに、舌鼓をうった。

 私はふと50周年というと、『ローマ・クラブ』がレポートを発表したのも、同じ半世紀前だったと思った。もし、このレポートの警告が当たっていたとしたら、この大広間の和やかな盛宴はなかったはずだった。

 今日では、『成長の限界』の報告書が枯渇すると警告した鉱物資源は、すべて国際価格が暴落している。

 『ローマ・クラブ』をはじめとするレポートは、人心を惑わしただけだったから、罪は重い。

 トーマス・マンの警告

 トーマス・マンといえば20世紀を代表する作家だが、1933年にナチスが台頭すると57歳でドイツから亡命して、第2次大戦後、スイスに住んだ。マンは「多くの人々が傍観していたことが、ナチス時代を招いた。『ノー』といわねばならない時には、『ノー』とはっきりといわねばならない」と警告している。

 『人口爆発』や、『ローマ・クラブ』のように世間を誑(たぶら)かすレポートは、人災である。

 黙って傍(はた)で見ていると、まったく不必要な混乱に手を貸すことになる。「ノー」といわねばならない。

 そういえば、その後、『人口爆弾』の著者も、『ローマ・クラブ』の6人の常任委員も、1人として過ちを犯したことについて謝罪していない。良心を欠いた人たちだ。


- Mag Board -