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日米戦争の真実に目覚めよ
Date : 2021/3/3(Wed)
私は1950年代末に、アメリカに留学した。
ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。
教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。
コーデル・ハル国務長官が日米開戦の6ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究するチームを、極秘裏に省内に作った。
このあいだ、昭和天皇、東條英機首相をはじめ日米開戦を回避しようとして、日米交渉を通じて最後まで必死の努力をした。
ところが、ハル長官が開戦前月の11月に、日本軍の中国全土からの完全な撤退をはじめ、この春にワシントンにおいて始まっていた日米交渉で、一度も机上にのらなかった要求を日本に突きつけた。
日本は蒋介石政権が大軍によって、国際的に認められていた上海の日本租界を攻撃するなど、さまざまな不法を働いたために、今日であれば国際的に容認される平和維持活動(PKO)を、中国大陸で進めていた。
11月26日に、唐突に手交されたアメリカの要求は、「ハル・ノート」として知られる。日本に対する最後通牒だった。
若い省員だったボートン教授は国務省のチームに極秘を誓わされたうえで、その一員となった。ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前だったが、日本と戦って屈服させることを決定していた。
ルーズベルト大統領は日米開戦の6ヶ月前に、蒋介石政権のマークを機体に塗り、アメリカ軍飛行士が操縦するアメリカの150機の爆撃機と350機の戦闘機によって、中国大陸から発進して、東京、横浜、京都、神戸、大阪に奇襲爆撃を加えることを、陸海軍合同委員会に立案するように命じ、7月に作戦命令に署名している。
ルーズベルト大統領が日本奇襲爆撃命令に署名した文書が、1980年代にアメリカのABCテレビによってスクープされたが、なぜか、NHK、朝日新聞をはじめとする日本の大手マスコミは、報道しなかった。これらの爆撃機を急遽、イギリスに供与した ために、この騙し討ち作戦は実現しなかった。
対日戦争が始まると、国務省の研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前年に第一次対日講和条約案がまとめられた。
その内容は、第一次世界大戦でドイツが敗れた後に強いられたベルサイユ条約よりも、はるかに過酷なものだった。
日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力の平和利用を含めて、核の研究を永久に禁じるという内容だった。
日本占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。
当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、再起不能な国家とするために、現行憲法を強要した。現行の日本国憲法は憲法と装った、日本を無力化する不平等条約なのだ。
先の日米戦争の責任は、いっさいアメリカにある。
日本国民は目を覚ましてほしい。
日本こそ持続可能な世界の手本だ
Date : 2021/3/2(Tue)
新年に入ってからコロナウィルスの感染が大きく拡がって、政府を浮き足だたせている。
私はキリスト教の『旧約聖書』(ユダヤ教の唯一つの聖書)が、神が人を創られると、最初の命令として「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」(創世記)と命じているのを、思い出した。
聖書に記されていないが、コロナウィルスも同じ神意を授かっているにちがいない。ウィルスも人も、変わらないのだろう。
さまざまな学会誌が手元に送られてくるが、コロナウィルスのお蔭で自宅で過ごす時間が増えたので、ふだん忙しさに紛れて読まない論文に目を通した。はやりの先端をゆく地球環境を維持しようという、SDGs(持続可能な開発計画)を扱ったものが多かった。
幼いころから動物が好きだった
SDGsを論じたなかに、「人口、人工物、物質の飽和」を難じる論文があった。
わが家に猫が2匹同居している。この論文を読み終えて、私は同居している猫に敬意を深めた。
猫は自分が必要なだけ消費して、物質の飽和をつくることがない。寝食を忘れて、ミサイルや核兵器の開発に没頭しない。正義や道徳を翳して、同類を大量殺戮することがない。私たちが猫から学べることは多いが、猫が人から学べることは1つもない。
私は幼いころから、動物好きだった。そこで長じてから、仏教の畜生道は前世において悪行を働いた人間が、この世に禽獣や、虫、魚になって生まれてくるのだが、悪事を働いた動物が罰として、人間に生まれ変わるにちがいないと思うようになった。
自然とは血がつながっている
北海道帯広で、広いフラワーガーデンの紫竹ガーデンを経営している92歳になるS婦人から、30年振りに手紙を貰った。私から30年前に受け取った返事の手紙を、いまでも宝のように大切にしている、ということだった。
私は紫竹ガーデンを訪れたことがないので、ネットで検索したら、百花繚乱の敷地に、洒落(しゃれ)た明るい花柄のブラウスを着た「紫竹ばあちゃん」こと、S婦人の写真が添えられていた。
まだ、お目に掛かったことがないが、急いで返事を認めた。
「30年ぶりにお手紙を頂戴し、コロナ騒ぎで国民とともに気落ちしていたところに、光明がさしたように嬉しい便りが運ばれてきました。
さっそくネットで紫竹ガーデンを拝見しましたが、ご麗姿のまるで花の精のような写真に見とれました。ブラウスもよくお似合いで、お人柄が濡んでいました。
私は花が大好きで、きっと前世は蜜蜂か、南アメリカに棲んで花蜜を吸う蜂鳥の生れかわりかと思っています。万葉集に、令和の御代の出典となった梅を讃えた歌の大伴家持の父親の大伴旅人(たびと)の『この世にし楽しくあらば来む世には 虫に鳥にも我 はなりなむ』という句がでてきますが、もし、つぎに虫として生まれたら、紫竹ガーデ ンに住むことをお許しいただきたいと思います。
3年前に最後に北海道を訪れましたが、旭川から1時間あまりの納内(おさむない)町の屯田兵が創建した納内神社の150年祭に、神道について記念講演を頼まれて、夫婦で招かれました。帯広には1980年、83年、91年、99年の4回、講演のために訪れています。
お言葉に甘えて、コロナ禍が収束したら、旧婚旅行に紫竹ガーデンにお伺いしたいと願っています。
お元気で、よい年をお迎え下さい」
人は神から自然を支配するように命じられたのに、あきらかに失敗している。 『創世記』は神の言葉として、人に「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と述べている。人間至上主義であるが、西洋による帝国主義が世界を風靡した時代の白人至上主義を思わせる。
工業化がはじまってから、自然と縁が薄くなった。自然とつづきあい、ゆかりというか、血のつながりがなくなった。
高度科学技術文明は理に適っていない
鉄道が登場してから、人は自然の時間によってゆったりと生きていたのに、分刻みの時間によって支配されるようになったにちがいない。
私が幼かったころは、雨があがると土の臭いや、草の香りに足を停めたのに、今では誰もが急いでいるから、そのような醍醐味を味わえなくなった。サラリーマンや、経営者のための能力開発の雑誌や本が、人間力という言葉を使っているが、人間の能力が嗅覚を弱めて退化している。
科学が暴走した高度科学技術文明は、理に適っていない。自然と人との釣り合いを壊したから、合理的でない。
地上の生物のなかで、人間だけがペットをもっているのはなぜなのだろうか。前世の淡い記憶が残っているのだろうか。ペットによって癒されるというのは、きっと教えられるからなのだろう。
江戸時代は循環型経済を営んでいた
SDGsは人が自然から収奪したものを、自然の手へ戻そうとするものだろう。
水のようにひとまわりして元の場所にかえり、それを繰り返す循環型経済をつくることを目指すものだろう。私は転生を信じないが、栗鼠やムササビや、鳥やミズスマシになったことを想像するのは、悪いことではない。
世界は江戸時代の日本と、日本の精神文化を手本(モデル)とするべきだ。江戸時代の日本は庶民が世界のなかで、もっとも恵まれた社会を形成していたが、資源を浪費することがなく、循環型経済を営んでいた。
明治に入るまでの日本語には、3、4000年以上にわたって、人対ネイチャーという奇妙な発想がなかったので、「ネイチャー」に当たる言葉がなかった。この西洋語を訳すために、自然(じねん)に仏教の教えによらず開悟する「自然(じねん)悟道」、因縁 によらず自然(じねん)に生じる「自然(じねん)外道」を無理に借りて、「自然(しぜん)」という新しい訳語を造った。
自然と共に歩んできた
ネイチャーとともに、キリスト教の「愛」という選別的な、なじめない言葉が入ってきた。私たちはすべて和によって、包容してきた。猫さん、雀さん、蝉さん、カマキリさん、金魚さんというように、あらゆる存在が仲間だから「さん」をつけるが、日本に だけみられる。和こそが、サステナビリティ――持続の鍵なのだ。
『鬼滅の刃』が大きな話題を呼んだが、英字紙が「Devil Slayer」(悪魔退治)と、 鬼を悪魔と誤訳していた。もっとも、他に訳しようがないのだろう。
日本では何であれ、悪と決めつけることがない。私は幼い時に「鬼ごっこ」を楽しんだし、秋田県の「生剥(なまはげ)」では、鬼面をかぶった青年たちが家々を訪れて饗応を受け、祝言を述べて悪霊を払う祝福神を演じる。
文明開化は手段だったのに目的になった
明治以後の文明開化は手段であったはずなのに、西洋に気触(かぶ)れるうちに、いつのまにか目的となってしまった。
中国では習近平主席を「小熊維尼(シャオションウエニ)」(くまのプーさん)と呼ぶと、ただちにネットから削除されるか、検束される。習主席の腹が脹れていて、中国の若者にも人気があるプーさんの縫包みに似ていることから、始まっている。
ウィニー・ザ・プー(くまのプーさん)はイギリスの童話の主人公で、私の幼な友達でもあるが、英語圏で愛されている。習主席が英語圏を訪問した時に、「私はプーさんだ」といったら親しまれたのに、蝙蝠も、センザンコウも動物は食材であって、中国に服(まつ)ろわぬ民族を呼ぶのに獣偏をつけてきた。
“習大大(ターター)”(誰よりも偉い人)の共産中国は、ヤクザの集団だ。ヤクザははじめから理を無視している。
日本を持続するために、国防体制を強化することが急務だ。
木原秀成師の1回忌に
Date : 2021/2/12(Fri)
木原先生が入滅された(亡くなった)時に、私は万葉集の「行くへなき空の煙となりぬとも 思ふあたりを立ち離れじ」という、哀歌を思った。
煙となって去っても、空のかなたに煙が消えていったあたりから立ち去ることができないという、強い愛惜の思いが迸(ほとばし)っている和歌(やまとうた)だ。 今でも澄みわたった日に空を仰ぐと、導師だった先生のどこまでも明るい笑顔が浮んでいるのが見える。
あの柔和な温顔は、仏性を会得した高僧の徴(しるし)だった。
それでいながら先生は俗っぽかった。だから、先生は私たちの手本となった。 先生は天から、国を守り国民に生きる道を示す使命を、授かっておられた。それなのに高ぶることがまったくなかった。つねに衆生の一人で、凡人として振る舞わられた。
私はキリスト教徒ではないが、先生にお会いするたびに、新約聖書の『マタイによる福音書』にある、イエス・キリストの言葉が胸にこみあげた。
「わたしが来たのは、人が生命(いのち)をえ、生命(いのち)いっぱいに生きるためです」
人は日々の忙しさに追われて、自分の生活だけを考えて生きているが、そんなために生命(いのち)があるのではない。この世に盡すために生まれてきたのだ、という叫びだ。
先生は心が何よりも大切だということを、教えて下さった。心はまことだ。
日本最古の国書の『古事記』に、「まこと」は誠意や、誠実の誠ではなく、実が実 (みの)る「実(じつ)」を「まこと」と読ませている。
私たちは豊かに実る木にならなければならない。
先生は人という心の木を育てる太陽だった。雨であり、風であられた。私たちは生命を実るために享けている。
人は生まれた時には、自分を知らない。生後6ヶ月になるころあたりに、自分の存在に気づくものだろうか。
私たちは、日々、日常生活を送るうちに、日常の自分が造られてゆく。だが、日常の自分はつねに不安にさいなまされる。ある時、自分の心の奥に潜む霊性に気づいた時から、いきいきと生きることができる。
先生は私たちが縄文時代から受け継いだ祭祀を大切にすることによって、心の奥に潜む霊性というエネルギーを取りだすことを、教えて下さった。宝さがしだ。 先生は苦楽の世界に、生きておられなかった。
人生を苦としてとらえられなかったから、いつも喜びである世界に生きておられた。
もちろん、煩悩(ぼんのう)されることもあったことだろう。だが、人は煩悩がなければ、平安を求めることができない。生命は喜びだ。先生は喜びのエネルギーに溢れておられた。
私は先生から聖と俗が二相――2つの異なった対立するものではなく、一体であることを学んだ。
釈尊も、イエスも俗人だったから、その教えがひろまった。
人は聖なる存在であるとともに、俗な存在だ。俗であるから、聖なるものを求める。 先生は我欲を肯定された。だから、私は先生に魅せられた。人は俗と聖によってつくられている。
神仏は信じるものではない。私は先生から感じるものだ、ということを教わった。心は感じる。心は誤らない。だからつねに喜び、明るい心を持つことによって、心のエネルギーを最大限までに燃焼させる。
私は先生と出会って人生をどのように生きるべきなのか、日本を活力が漲(みなぎ)った国とするためには何が必要なのか、学んだ。21世紀の国造り、人造りだ。
国づくり人づくり財団のいっそうの発展を、期待したい。
日本の教育が作った傑作
Date : 2021/2/12(Fri)
李登輝先生とはじめてお目にかかったのは、平成6(1994)年のことだった。
私は月刊『文芸春秋』の巻頭随筆に、「大人(だいじん)」と題して寄稿した。 「(略)李総統は快活で、飾り気がまったくない。初対面だと思えないような人が、たまにいるものだが、そういう人である。
冒頭、李総統のほうから、日本が日本統治時代に台湾の経済発展の基礎をつくるのに、いかに大きく貢献したか話された。流暢な日本語だ。(略)」
「『台湾に寄与した日本人をあげるとすれば、おそらく日本の多くの方はご存じないでしょうが、嘉南大圳(しゅう)を大正9年から10年間かけてつくりあげた八田与一技師 が、いの一番に名指しされるべきでしょう』といわれて、十数人の名をあげられた」
「『1895年の下関条約によって、日本の領土となった台湾に2年後いちはやくハワイからバンブータイプの砂糖キビを導入し、1905年の日露戦争中に日本内地に先立ってドイツから化学肥料を輸入するなど、後藤新平民政局長が児玉源太郎総督とコンビで、独立財政、専売制度、台湾銀行創設など、台湾の発展の基礎をよくつくったものです』」
そして「『何と1934年に、旧台北帝大(現・台湾大学)の物理学教室が、アジアにおける最初の原子核の人工破壊と重水の製造実験に成功した』と指摘された」
「私は世界の多くの国の指導者と会っているが、李総統ほど日本と心を通わせることができる人はいない。これは台湾の人々についても、同じことがいえる(略)」
「日本が明治から先の大戦の敗戦まで、周辺の諸国を侵略して、収奪したという歴史観があるなかで、統治された側である台湾の指導者が、日本時代にこそ自国の今日の経済 発展の基礎が培われたと言い切るその姿勢には、日本人である私の方が襟を正した」
これを切っ掛けとして、李先生と親しくさせていただき、何回もご自宅に招かれた。
李先生の自宅に招かれて、書庫に案内されたが、数千冊にのぼる日本書籍のなかに、岩波文庫全巻が揃っていた。いったい日本の政治家のなかで、このように優れた書庫を持っている者が、いるものだろうかと、訝(いぶか)った。
鈴木大拙、西田幾多郎をはじめとする著作が、ぎっしりと棚につまっていた。 お目に掛かるたびに、戦前の日本国民の精神文化が、いかに素晴らしいものだった か、実感させられた。
先生は「私は22歳まで、日本人でした」「日本の滅私奉公の精神を学びました」といわれた。李先生は戦前の日本の教育がつくった、傑作である。私はその時に、今日の日本人は滅公奉私なのだと恥入った。私は先生にお会いするごとに、いつも狼狽(うろた)えた。
残念なことに、李登輝先生と同年輩の日本人から、同じような感動を覚えることがない。日本人が日本人らしさを失った。
李先生はアジアだけでなく、世界におけるもっとも優れた哲人政治家だった。きっと国が危機に直面すると、優れた指導者が現われるのだろうと思ったが、いまの日本はどうなのかと反省した。
ある時、李総統(であられた時に)が台湾の外省人が話題になると、「加瀬さん、中国人って、嫌なところがありますね」といわれた。傑出した哲人に信頼していただいたのは、望外の幸運だった。
菅新内閣発足で再び遠のいた憲法改正
Date : 2021/2/10(Wed)
菅義偉新内閣が発足した時に、私は安倍内閣の路線を継承するというので、歓迎した。だが、ほどなくして不安を懐くようになった。
菅首相が11月12日に、バイデン大統領当選者と電話会談を行った。会談は15分間、バイデン氏が「アメリカが日米安保条約第五条のもとで、尖閣諸島を守る」と言明したということだった。
日本の大手新聞・テレビは、こぞってバイデン氏が尖閣諸島を守ると発言したと報じた。
ところが、バイデン氏の政権移行事務所は、「The President-elect underscored his deep commitment to the defense of Japan and U.S. commitments under Article V and he expressed his strong desire to strengthen the U.S.-Japan alliance even further in new areas.」とだけ発表して、「尖閣諸島」という言葉は、どこにも見当たらない。
短い発表文だが、「大統領当選者は第五条のもとで日本を防衛する固い誓約を守り、 日米同盟をさらに強化することを願っている」とでも、訳せよう。
朝日新聞をはじめとする新聞は、いっせいに「バイデン氏、尖閣は『安保条約5条の適用対象』と明言」(朝日)と報道した。
15分といえば、菅首相は英語、バイデン氏は日本語を話せないから、通訳が7分半をついやし、2人が同じ時間発言したとして、3分間あまりずつとなる。
2人が六分話しただけで、「会談」と呼べるのか。電話会談が15分間にわたったというのも、疑わしい。
バイデン大統領当選者が「尖閣」といわなかったのは明らかだ。それなのに政府、大手新聞・テレビも、訂正していない。
新聞・テレビにとって、大きな誤報ではないか。国民を騙したことになる。
安倍首相が引退する直前に、敵の基地を攻撃する能力を持つべきだ、という考えを表明した。
ところが、12月に菅首相は公明党が難色を示したのを受け入れて、敵基地攻撃能力を持つことを否定した。中国、北朝鮮の核ミサイルが日本全土を射程に収めている。迎撃ミサイルだけでは、撃ちもらすだろう。日本は中国、北朝鮮と対等ではないのか。
私は1950年代にアメリカに留学して、ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。
教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。
コーデル・ハル国務長官が日米開戦の六ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか、研究するチームを極秘裏に作った。若い省員だった教授は極秘を誓った上で、その一員となった。
ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前のことだったが、日本と戦って屈服させることを、すでに決定していた。
対日戦争が始まると、この研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前に第一次対日講和条約案がまとめられた。
その内容は、第一次世界大戦でドイツが敗れた後に強いられたベルサイユ条約よりも、はるかに過酷なものだった。
日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力、核の研究を永久に禁じるという内容だった。
対日占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。
当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、不能な国家とするために、憲法を強要した。 いい加減に、目を覚ましてほしい。
『鬼滅の刃』に、愛する日本の国防を想う
Date : 2021/2/4(Thu)
『鬼滅(きめつ)の刃(やいば)』が大きな話題を呼んでいる。
このアニメ映画が10月に映画館で封切られると、2ヶ月間で308億円の興行収入をあげ、コミック本が1億冊も売れたという。私は勉強のためと思って、テレビで何日かかけて26話もあるテレビ・シリーズを観た。
舞台は大正時代の日本だ。主人公の16歳の少年の炭治郎は、妹を救うために鬼と戦うが、渾身の力をふりしぼって武芸を身につける。さまざまな鬼がめまぐるしく登場するたびに、刀を抜いて鬼を屠り死地を斬り抜ける。
炭治郎は家族を心から愛している。敬神の心が篤い。
炭治郎は先の大戦に敗れるまでのありふれた日本の青少年だが、令和の日本に蘇ったのだ。
私は感動した。炭治郎の生きざまが平成の多くの日本人の琴線に、触れたのだ。私は川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫を凌ぐ、戦後最大の文学だと思う。
12月8日に対米戦争の79年目の開戦記念日が、巡ってきた。
それなのにどの新聞、大手テレビも、なぜか79年前のこの日に何が起ったのか、触れることがなかった。占領下でアメリカによって、口を封じられたからなのだろう。
12月8日の産経新聞の一面の『産経抄』に、私が登場した。この日は、ジョン・レノンが凶弾に倒れた40年目の命日だった。
「(略)レノンさんは日本文化をこよなく愛し、『第二の故郷』を頻繁に訪れていたことはよく知られている。(略)▼外交評論家の加瀬英明さんによると、レノンさんは ヨーコさんに連れられて、伊勢神宮や靖国神社にも参拝している」
私がオノヨーコのいとこであることを、紹介している。
「▼♪そして、宗教もない そうしたら みんな平和に生きられるってさ。レノンさんの名曲『イマジン』は神道の世界を歌っていると、加瀬さんはいう。神道は宗教というより心のあり方だった。日本では神々が共存し、社会は和のうえに築かれてきた。レノンさんは目を輝かせて、加瀬さんの説明を聞いていたという(『ジョン・レノンはなぜ神道に惹(ひ)かれたのか』祥伝社)後略」
これは私の著書だが、ジョンとヨーコが靖国神社の社頭に立つカラー写真が、表紙にあしらわれている。
ジョンはベトナム戦争では米軍と戦ったベトナム人民を支持し、日本が米国の不当な圧迫に耐えられず、立ち上って戦ったと信じた。やわな平和主義者ではなかった。
今日の日本は中国を恐れて、沖縄県石垣市の尖閣諸島に日本国民の上陸を禁じ、怖(おじ)けづいて、自衛隊や、海上保安官を置くこともできない。
靖国神社には明治以後、日本の国土を守るために尊い生命を捧げた、250万柱以上(うち女性が6万)の英霊が祀られている。英霊が今日の日本を見て、休まれないだろう。
中国という鬼が、日本に襲いかかろうとしている。
私たちにとって日本という国は、家族に当たる。日本を愛しているのなら、『鬼滅の刃』の炭治郎のように渾身の力をふりしぼって、この国を護らなければならない。
日本を護ろう。日本人を自堕落にしてしまった現行憲法を改正するために、眦(まなじり)を決して立ち上がろう。
極め人に聴く「まず、自分をつくり、国をつくる」
Date : 2021/1/13(Wed)
極め人に聴く「まず、自分をつくり、国をつくる 」
外交評論家 加瀬 英明 聞き手 室舘 勲
──近年の日本の状況を鑑みて、加瀬先生はどのように捉えていらっしゃいますか。
加瀬 根本は、教育と勉強のあり方が誤っています。私は「合わせる」教育と呼んでいます。暗記問題ですが、自分の意見を述べるのではなく、問題や求められていることに対して、答えを合わせていく教育です。今日の日本は高校までの教育は全て、大学に入学するための合わせる教育。次は就職のために、会社に自分を合わせることを自分に強いている。いったい何のために学んでいるのか、という志がないまま、学んでいるのが 現代の若者たちではないでしょうか。
一方、江戸、明治時代の日本を造った偉人たちは、合わせる教育と対極にありました。私は伊能忠敬の玄孫にあたります。忠敬の受けてきた教育は全く違います。忠敬は九十九里浜の漁村に生まれ、最終学歴は寺子屋の3年です。庶民の子は、学校教育として寺子屋によって異りますが、3年か、4年間しか学んでいません。両親が失踪しますが、漁具を収めている番小屋で向学心に燃えて、独学で学んだのですね。その後は、佐原の傾きかけていた酒造りの庄屋の養子にもらわれ、見事、立て直します。一念発起して、55歳のときに日本全国の測量を始め、日本地図を作り上げました。これは自発して学び重ね、天文学に通じていたからです。歩幅を合わせて行った測量は補助的なもので、星の位置を観測する天測機を供の者に持たせて歩いた。ですから、忠敬の日本地図の元は天文学です。宇宙衛星から撮った日本地図との誤差が1%以下だったんですね。
江戸時代末期の農村を支えた二宮尊徳、「日本資本主義の父」と呼ばれて明治期に活 躍した渋沢栄一も、寺子屋のみでした。
江戸時代、侍の家の男子は藩校に通いましたが、庶民は全員、寺子屋で学びました。寺子屋は全国に2万軒ほどありました。多いところでは千人が学んでいます。寺子屋の 教科書は地域の手作りです。漁村では魚の獲り方や、どうしたら魚を上手く調理できるかなど教えた。農村では作物の作り方などを教えていた。道徳教育は共通していまし た。
──その土地の風土にあった、実用的な知識も教えていたのですね。
加瀬 江戸幕府には、文部科学省にあたる、庶民の文教を司る役人がいなかったんです。人間教育を各地方の自治に任せていたのですね。私は教育においては江戸時代のように、もっと地方自治体に任せた方が良いのではないかと思います。当然、全体を監督する文部科学省も必要だと思いますが、もっと地方に裁量を与えるべきだと思います。
──なるほど、教育は中央集権的ではなく、地方自治的であるべきでは、ということですね。 加瀬 はい。全てが「合わせる」教育になってしまっていることが、よくない。江戸末期や明治の日本を造ってきた庶民出身の偉人たちは皆、学歴は3、4年程度なんです。それでも一所懸命独学で勉強して、まず自分を作ってから、日本を造ったわけです。
この姿勢が大事です。まず志があって勉学にいそしみ、自分をつくり、そして社会や会社、国に貢献をする。
他方、現代人には志がない若者が多いと思います。志もなければ、なぜ学ぶのか目的もない。周りに合わせるだけ、与えられた問題の正解だけの学習になってしまっている。生命(いのち)の無駄づかいです。応用問題ができない。
──志を立て、それに従って学び、まずは自己を完成させる。その上で、社会貢献を果 たしていく、という順番ですね。
加瀬 はい、もちろん、大学を目指すのはよいことですが、私は大学卒の肩書に憧れて自分を合せる必要はないと思います。本来、学問とは逆で、自分が関心を持つことを学ぶため、志を達成するために大学に入って学ぶことを目指してほしい。もっと自分の力で学んで、自分を創造することに集中してほしい。
菅首相は地方から上京し、刻苦勉励して一段一段階段をあがって、栄冠を手にしました。周辺に合わせることなく、自分づくりをしたヒーローの一人です。大鉈(おおなた) を振って教育改革に挑んでほしいですね。大いに期待します。
──よく聞くのは「戦後の教育が良くないんだ」という意見です。ただ、その意味では、戦後の教育ということではなくて、明治時代以降の中央集権的なシステムからほころびがはじまっていたのかもしれませんね。
加瀬 そうかもしれません。私は常々、「江戸時代は、世界で最も庶民が恵まれていた時代だった」と主張してきました。
しかし一方で、江戸時代が武士の価値観を変えてしまったという、負の面があると 思っています。戦国時代から江戸時代に移って、江戸幕府ができました。江戸幕府の目的が「徳川家の支配を続けること」になってしまったことに起因しています。徳川家は 何よりも戦乱を恐れました。そして「武士道」という鋳型を作りました。
それまで、武士道は精神として存在していましたが、型にはまった窮屈なものではなかった。ところが、武士としての美学として、集約して型にはめ、それを重んじることをよしとしました。
孫子の兵法の基本は「兵は詭道なり」というものです。戦いとは相手を騙すことだ。 それを武士道が卑怯として忌み嫌うものとしました。例えば『忠臣蔵』を描くときも、 奇襲作戦のはずなのに、吉良邸討ち入りのときに門前で陣太鼓を打つんですね。奇襲だったら太鼓は打ちません。騙し討ちは、江戸時代の武士道に反しました。
──武士道が、卑怯な騙し討ちを良しとしなかったからですね。
加瀬 さらに、江戸時代の武士道は死ぬことにもっとも価値の高い価値が与えられました。「死」に最高の価値が与えられた。これは、後の大東亜戦争にまで悪影響を及ぼした。先の大戦を思い出してほしいのですが、アッツ島から硫黄島まで、玉砕に次ぐ玉砕です。数百もの島に戦線を広げたが、お握り1コも届けられない。そんな過酷な状況で 戦い「全員が死ぬ」ことを「美しい」と描いた。これは、武士道を歪めた美学だったと思います。
年功序列でミッドウェー海戦での失敗をはじめ、指揮官の中には、近代戦闘における判断をできなかった者も多くいました。
──武士道の「死」の美学が、別の側面をもたらしたと。一方、武士道においても志や大義の側面は称賛されることが多いですね。
加瀬 今日の日本にも、学歴で勝負するのではなく、まず自分の志を立てて、それに則って学び、社会に貢献する人々がいます。どんな業界にもいます。素晴らしいことです。
逆に、ただ有名校に入学して、よい成績を取り、よい会社に就職しました。それで人生が終わってしまうとしたら悲しいですね。
今の日本は根無し草のような国になってしまったと思います。金を儲けるためだけに、世界にうって出る企業もいます。「多国籍企業」ではなく「無国籍企業」と呼ぶべき企業が多いですね。個人についても、よく似たことが起きています。古い習わしだと か、文化的に我々が当たり前のようにおこなってきたことが、失われつつある。大きなもので言えば、冠婚葬祭の葬儀です。現代では家族葬として、簡素に終えてしまうこと が増えました。お墓も、無縁墓が増えています。放置されて、お参りにいかない例が増 えているんですね。結婚も、若い2人が2人だけで、ハワイやグアムで写真を撮るだけで、済ませてしまう。
本来、結婚も葬式も、一族、血族の絆、地域の共同体の絆を深めるためにおこなったものです。日本社会の縦糸であり横糸です。それを効率ばかりを重視してしまうと、日 本を束ねてきた絆がなくなっていき、日本から日本の力である根っこが失せてしまう。
──守るべきもののためには、効率化してはいけない側面もあるということですね。
加瀬 教育についても同じです。学校も、効率を優先して、多くの人に一気に「教える」ことはできるでしょう。しかし、それでは「育てる」ことができない。育てるのは、1対1が基本です。学校でも企業でも、ただ教えるというだけでは人は育ちません。ところが、大学の多くの教授が、ただ教えればよいと思っている。それでは人間ができません。今の学校教育の大きな欠陥といえば「育てる」ことができていない点だと 思います。
──世の教育は、その本質を外していると思いますね。いま、世の中の大学生は2人に1人は「本を、月に1冊も読まない」と答えるそうです。
加瀬 嘆かわしいですね。学生に「趣味は何?」と聞くと「読書です」と答える学生がいます。いつから、学生にとって読書が趣味になったのでしょうか。学生の本分は学びであり、読書と学びは一体のものです。釣りやボーリングなどと読書が横並びの趣味になってしまったのか嘆かわしい。
私は渋沢栄一や、二宮尊徳、伊能忠敬といった人物の人生を、多くの若者に知ってほしいと思います。そして自分がその時代、彼らのような境遇だったらどうするか、自問してほしいと思います。
自分が生まれてきたのは、人からただ教えられるためではなく、自分から進んで学んで社会に貢献するためであるということに気づいてほしいと思います。学校の先生、大学の教授は、自分たちより20も30も年上です。古い知識しか持っていないものです。学びは枠の中にはまることを目的するのではなく、自分が中心となって志を持って、志を実現するために自分をつくってほしいと思います。中身がない学歴尊重と、合わせるばかりになっていることが、日本から活力を奪い、亡国を招くことになります。
私の父方の郷里が千葉、母方は薩摩と会津若松の血を享けています。母の祖父が霧島の武士で戊辰戦争に参戦し、会津若松の娘と結ばれました。あの時代の略奪婚でした。
会津藩の名門の武家の白岩家の家訓が、「自発自奮」というもので、私の座右の銘としています。
「自発」こそ人に力を与え、奮闘することによって、日本が栄えます。日本は志の国であるべきです。
室舘さんは「自発」の人ですね。すばらしい。次代を託せる人です。
──本日はありがとうございました。
尖閣諸島を独力で守る日本の気概を見せよ
Date : 2021/1/8(Fri)
昨年11月に、中国の王毅外相が来京して、茂木外相と会談した。
王外相の訪日は中国側が求めて行われたが、自由諸国から習近平体制の中国が“村八分”にされて孤立するなかで、菅新政権の日本の脈を計るためにやってきたのだった。
習政権が南シナ海に不法に埋め立てた人工諸島を軍事化し、中国からヨーロッパに至る諸国を借金漬けにして、一帯一路戦略を強引に進め、ウイグル、チベット、モンゴルで目に余る圧政を行うかたわら、国際的な約束である香港の1国2制度を蹂躙するなど、自由諸国が中国のあからさまな膨張政策に耐えられなくなっている。
中国発のコロナウィルスの感染が世界にひろがるなかで、「ソシアル・ディスタンス(社会的距離)」が合言葉になっているが、自由諸国では「チャイナ・ディスタンス」という言葉が流行っている。
王外相は茂木外相を「日本漁船が尖閣諸島を囲む中国の領海を侵している」と威嚇し、記者会見の席上でも、臆面もなく同じ発言を行った。
私が茂木外相だったとしたら、「おかしいですね。どうして中国は1960年代末まで、尖閣諸島を日本の領土として認めていたのですか」とたずねただろう。王毅氏は北京の外語大学で日本語を学び、1989年から東京の中国大使館で参事官をつとめて日本語を流暢に話すから、気軽にたずねたらよかった。
菅首相が11月12日に、バイデン大統領当選者とはじめて電話会談を行った。新聞報道によれば、15分間ということだった。
菅首相は英語ができないから通訳を用いたので、通訳が15分の半分を使い、2人が同じ時間話したとすれば、約3分間づつとなる。
日本の大手新聞・テレビは、バイデン次期大統領が「日米安保条約のもとで、アメリカが尖閣諸島を守ると認めた」と、大きく報じた。自由世界においてアメリカにつぐ経済大国の日本の首相であれば、世界にとってもっと重要な問題を取り上げなかったのか。尖閣のような小さな島を独力で守る気概も、意気もないのか。
日本政府は「中国を刺激するから」といって、尖閣諸島に日本国民が上陸することを、いっさい禁じている。沖縄県石垣市に属しているが、市職員も、海上保安庁の海上保安官も上陸できない。戦前、魚釣島に200人あまりの集落があったが、旧島民の墓参りも許されない。
10月には、河野防衛大臣が上空から尖閣諸島を視察しようとしたところ、自民党内の親中派から、「中国を刺激してはならない」という声がでて中止した。どうして日本の国土の上空を飛んではならないのか。
このようなことでは、日本が尖閣諸島の領土主張に自信を欠いていると思われても、仕方あるまい。中国が隙に乗じる状態をつくっているのではないか。
私は40年前から、魚釣島に陸上自衛隊一コ中隊を常駐させろと主張してきた。だが、「国民感情が許さない」という。武装した海上保安官が駐留するのも、中国ではなく「国民感情を刺激する」から、できないという。
尖閣諸島を、“第2の竹島”にしてよいものか。いったん、中国の海上民兵によって占拠されたら、大量の血を流すことなく奪還することができない。北朝鮮による拉致被害者も、日本が無防備だったからではないのか。
アメリカが占領下で日本に強要した、日本を国家でなくする現行憲法を護ってさえいれば、日本の平和が守られると信じている者は、電話による特殊詐欺によって騙される、恍惚(こうこつ)となった呆け老人のようなものだ。
中国が連日のように重武装した公船によって尖閣諸島を包囲しているのに、切迫した危機感に駆られることがないのは、認知症におちいっているからだ。中国よりも、護憲症のほうが、はるかに恐ろしい。
漢字は私たちの心から遠いところにある
Date : 2021/1/7(Thu)
毎号『カレント』を手に取るたびに、どの記事を読んでも蒙が啓かれる。
私はひとつ一つの記事と対話を行う。異見も引き出してくれるから、頭の砥石ともなるので重宝している。
I先生が「近代教育の先覚、澤柳政太郎」を連載されているが、積学として敬ってやまない1人だ。
本誌12月号で「漢字の『国際規格化』とは何か?」という題で、論じられている。
日本において「漢字を制限し略字を制定したが、略字の検討過程もいい加減なものだった。(略)このような過ちを繰り返さないためには、確かに漢字の国際規格化は必要だ」、中国の「簡体字を参考にすればよかった」と、慨嘆されている。
心は党が預かっています
私がはじめて中国を訪れたのは、1979年のことだった。人民解放軍の李達副参謀総長が天安門広場に面する人民大会堂で、私を歓迎して晩餐会をひらいてもてなしてくれた。
李達氏は80歳で、毛沢東主席の大長征以来の戦友として有名だ。私は42歳で防衛庁がはじめて設立した、民間の安保問題研究所の理事長だった。
つぎに訪中した時に、中国共産党の幹部が十数皿におよぶ盛餐を催してくれた。
私は中国に対して深い不信感をいだいていたものの、御馳走になっていたから、当り障りがない話題を選ばねばならないと思って、「日中両国は漢字を用いていますが、日本は漢字を略して簡略字、貴国は簡体字と呼んでいます。今後は両国で話し合って、共通する簡略字を造ったほうがよいと思います」と、心にもないことをいった。
すると、幹部の1人が顔の前で手を横に振って、「簡体字をつくった事情が、日本とは大きく違います。人民が解放前の有害な文書を読めなくするためです」と、答えた。
私は中華人民共和国の「華」を簡体字で「华」と書きますが、10回化けるという意味ですかと酔いにまかせてたずねたかったが、乾杯が応酬されるなかで、自制して「愛は『爱』と書きますが、どうして心がないのですか」と、質問した。宴が酣(たけなわ)だった。別の幹部が「人民の心は、党が預かっています」というと、全員が愉快に笑った。
私は漢字を胡散臭(うさんくさ)いものとして、嫌ってきた。漢字は生い立ちが悪い。秦の始皇帝がはじめて中国大陸を統一した時に、各地で異なっていた表形文字が用いられていたのを、皇帝の命令が全国に及ぶようにつくった。政治文字である。
古代エジプトの聖刻文字と訳されるヒエログリフ文字をはじめとして、難解な表形文字、あるいは象形文字は、支配階級だけが読むことができたのに対して、アルファベットや、かななどの表音文字は“民衆文字”とも呼ばれるが、人民が自分たちを表現するために生まれた。
だが、どうして秦朝が漢字をつくったのに、「秦字」と呼ばないのだろうか。中国人は誇大妄想にとりつかれているために、15年しか続かなかった秦朝では、満足できない。前漢後漢を合わせて、400年続いた漢でなければならない。
日本は漢字とかなを混ぜることによって、漢字の毒を薄めた。
たしかに漢字は便利だ。それでも、日本人は女王卑弥呼の時代から漢字に接してきたのにかかわらず、今日でも漢字は私たちの心から遠いところにある。
異性を口説く時に「憧憬」、国士が「国家のために生命を」といっても、胸を打たない。一途(いちず)な思いを伝えるためには、「あこがれ」「くに」「いのち」といわねばならない。
カラオケルームで、演歌をうたう。画面に漢字を組み合わせた漢語がでてくると、理由(わけ)、別離(わかれ)、運命(さだめ)、放浪(さすらい)、冷酒(ひやざけ)、現実(うつつ)、夫婦(めおと)といったように、漢語に、全部(すべて)、大和語(やまとことば)のルビがふられている。安造りの部屋だが、しばし万葉の世界に浸れる。
退職した高校英語教師への礼状
長野県の親しくしている、退職した高校英語教師から林檎が送られてきた。さっそく礼状を認めた。
「見事な林檎がわが家に到着して、食卓に並べて、リンゴの部隊の観閲官になった気分を味わいました。お蔭様で年末へ向けて、食悦の時を過すことができます。
70年代末から90年代にかけて、人民解放軍の招きで中国を頻繁に訪れましたが、中国語で林檎を『リンゴン』というので、帰国してから調べたら、インドが原産で、鎌倉時代に中国から日本へ伝わり、中国語の音写語だと知りました。
いまのリンゴは、幕末にアメリカからやってきて、日本で改良を重ね、世界一美味しいリンゴが栽培されるようになったのは、匠の国の技によるものなのでしよう。
コロナ禍にうんざりしています。私は英語屋、先生は英語教師ですから位負けしますが、GoToトラベルとか、GoToイートは英語にない和製英語で、軽佻浮薄な世相をあらわしていますね。
もっとも中国から漢語を借用したものの、中国語で『走』るは速足で歩く、『手紙』はトイレットペーパー(中国語では『衛生紙』)といったようにつくりかえてきたので、外来の事物の消化能力が高いと、評価するべきなのかもしれません。
来月になると84歳の誕生日を迎えますが、60代から70代に入るのは想定内であったものの、80代になるのは想定外の出来事で、いまだに実感がありません。仕事を続けていますが、猫が戯らさせているように引っ込み思案にならないのが、儲け物です。
どうぞ、よい新年をお迎え下さい」
日本語で走ることは、中国語では「跑(パウ)」だ。私は中国語にうとい門外漢だが、林檎は北京語で「ピンコウ」と呼ぶほうが一般的だ。
アートに当たる芸術は、中国語でも「芸術」だが、簡体字では「艺术」と書く。もっとも中国、南北朝鮮で日常使っている言葉の半分以上が、日本で明治以後に造語した和製漢語だから、芸術もその一つかもしれない。
中華人民共和国の「人民」「共和国」もそうだし、朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮さえ除けば、すべて日本語だ。韓国語をとれば「大統領(デトンヨン)」からして、日本語を借用している。
そういえば、私が北京の招宴で中華人民共和国の「华」が「10回化ける」ことを意味していると思ったのは、的を射ていた。
真と善を追求しよう
スターリンのソ連、ヒトラーのドイツ、毛沢東から習近平の中国まで、独裁国家は自分の都合にあわせて、平気で嘘をつき、約束を守らないから信用できない。
毛沢東時代には、孔子を蛇蝎(だかつ)のように嫌っていたのに、いまでは人民の爱国心を煽る道具として、偉大な中华文明の師表に祭り上げている。
I先生は私と同じように、漢字を疎んでおられる。「台湾と香港の旧態字」と呼んで、正体字をデジタル化(DX)の時代遅れの障害として、嫌われている。
台湾では「臺灣」と、いまでも正体字を使っている。台湾の友人が「簡体字は、中国共産党の愚民化政策ですよ」と切り捨てたが、日本の当用漢字や常用漢字にも、当て嵌まろう。青少年の教育水準が戦前と較べて、あきらかに大きく低下している。
台湾では大陸から国共内戦に敗れて台湾に逃げ込んだ外省人が、「臺灣」と書くのに対して、民進党を支持する民主派の本省人が、「台湾」と日本の簡略字を使う。大陸の悪が潜む簡体字は忌まれている。
I庵主が「歴史のとびら」を連載されているが、人は「真と善」をひたすら追及すべきだと諭しておられるのに、共鳴した。
尖閣諸島を“第2の竹島”にしてはならない
Date : 2021/1/6(Wed)
新年が明けて4月になると、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復してから、68年がたつ。
68年! 半世紀以上になるというのに、このあいだ私たちはアメリカが占領下で日本に強要した現行憲法を改めることができなかった。現行憲法は、アメリカが日本が再びアメリカに弓を引くことがないように、日本を国家でなくするために定めたものだった。
アメリカが新憲法制定という毒を、無抵抗の日本に飲むことを強いたのだった。
アメリカは日本国憲法を、広島、長崎に原爆を投下した1年3ヶ月後の昭和21年11月に公布させた。
占領下の国の基本法を変えることを禁じた、国際法に違反する。原爆投下に匹敵するといってよい蛮行だった。
多くの日本国民が“アメリカ製”の憲法によって、日本が独立国家から、平和国家になったという幻想を受け入れた。
平和憲法は人類の長い歴史を通じて、武力を放棄した平和国家なぞ、一度すら存在したことがなかったから、アメリカの保護国となることを意味した。
いま、尖閣諸島が危い。それなのに日本政府は「中国を刺激するから」といって、尖閣諸島に日本国民が上陸することを、いっさい禁じている。
沖縄県石垣市に属しているが、市職員も、海上保安庁の海上保安官も上陸できない。 戦前、魚釣島に200人あまりの集落があったが、旧島民の墓参りも許されない。
10月には、河野防衛大臣が上空から尖閣諸島を視察しようとしたところ、自民党内の親中派から、「中国を刺激してはならない」という声がでて中止した。
どうして、日本の国土の上空を飛んではならないのか。
このようなことでは、日本が尖閣諸島の領土主張に自信を欠いていると思われても、 仕方あるまい。中国が隙に乗じる状態をつくっているのではないか。
私は40年前から、魚釣島に陸上自衛隊一コ中隊を常駐させろと主張してきた。だが、「国民感情が許さない」という。武装した海上保安官が駐留するのも、中国ではなく「国民感情を刺激する」から、できないという。
尖閣諸島を、“第2の竹島”にしてよいのか。
いったん中国の海上民兵によって占拠されたら、大量の血を流すことなく奪還することができない。北朝鮮による拉致被害者も、日本が無防備だったからではないのか。
アメリカが占領下で日本に強要した、日本を国家でなくして、弱体化する現行憲法を護ってさえいれば、日本の平和が守られると信じている者は、電話による特殊詐欺によって騙される、恍惚(こうこつ)となった呆け老人のようなものだ。
中国が連日のように重武装した公船によって尖閣諸島を包囲しているのに、切迫した危機感に駆られることがないのは、認知症におちいっているからだ。
中国よりも、護憲症のほうがはるかに恐ろしい。
米中対立の狭間(はざま)に立って、たいへんだといって、浮き足だっている。日本が半独立国家でしかないからだ。
一日も早く、憲法改正という解毒剤を服用しなければならない。
昭和天皇との「佳話」
Date : 2020/12/23(Wed)
私にとって昭和天皇の存在は巨大なものだった。皇太子として摂政宮となられてから68年にわたる、日本にとってもっとも困難な時代に国民と苦楽を倶にされたからだった。
陛下はあの時代の大多数の日本国民と同じように、愚直なほど真面目であられた。最良の日本人を一身に体現されておられたから、慕われた。
天皇皇后両陛下が、昭和46年にヨーロッパを行幸啓された。その時にお召機がアラスカに給油のために降りると、ニクソン大統領がアンカレッジまで出向いて、お迎えした。
私はアメリカの友人と、帝国ホテルのバーのテレビで、天皇がアメリカ軍の儀仗隊を観閲されるのを見た。陛下の足はこびがぎこちなかったので、「古来から定められたテンノー・ウォークなのか」とたずねられ、咄嗟(とっさ)に「いや、お眼鏡の度が合わないのではないか」と、答えた。
数日後に、偶然、入江相政侍従長と赤坂見付から浅草まで、地下鉄で乗り合わせた。
すいていたので隣に座った。私はアメリカの友人との遣り取りについて話した。
すると、入江侍従長が一瞬姿勢を正して、「いや、お上(かみ)があのようにお歩きになるのは、皇太子殿下のころから、一歩一歩、全責任をこめてお歩きになるからです。 万一、お転びになったら、全国民が日本の将来に不吉なものを感じたでしよう」といった。
私は昭和天皇の宸襟(しんきん)をお悩ませしたことがあった。
入江侍従長が昭和60年に在職中に亡くなった後に、朝日新聞社から『入江相政日記』が出版された。
私は昭和50年に、高松宮宣仁親王殿下のお話を伺って、月刊『文藝春秋』2月号に「高松宮かく語りき」という題で、殿下が戦前、戦中をどのように生きられたのか、寄稿した。
私は37歳だったが、『文藝春秋』の常連執筆者だった。
『入江相政日記』の同年1月24日(土)は、「〈略〉そのあと拝謁、文春二月号を持つていつていろいろお話する。二十六日の御対面〈注・高松宮との〉の時にはお手やはらかにといふことゝ、西園寺〈注・公望(きんもち)、元老〉はルツソーなどの影響を強く受けてゐて、高松宮が言つたのよりづつと進歩的だつたと仰せになつたのなどがきつかけで、一遍(いっぺん)よくお話を承(うけたまわ)ることになる。『さうすれば気も 晴れる』と仰有(おっしゃ)つた。」と、記されている。
陛下が「高松宮かく語りき」に、強いご不満をいだかれたのだった。 昭和51年「4月19日(月) 拝謁。『皇族団欒』にはいろく誤りがある。一々言はないが、あゝいふことは止めること。寛仁さんについては、身をつゝしむやうにと仰有つてはと申上げる。『さうしよう』と仰有つてゐた。」
私は高松宮、喜久子同妃殿下、秩父宮勢津子妃殿下、三笠宮家の寛仁親王殿下にお願いして、皇室について座談会を行っていただき、『皇族団欒』という題で『文藝春秋』 昭和51年3月号に掲載された。私が司会をつとめた。寛仁親王殿下には若手の皇族として、参加していただいた。
この座談会も、陛下のご不興をかった。 「六月二十八日(月) お召で拝謁。〈略〉そして又文春二月号(注・「高松宮かく語 りき」)のこと。いつまでもあとを引くもの。〈略〉」 「五月二十七日(月)〈略〉拝謁。又いろく皇族団欒についての仰せ。」 「十二月二十二日(月) 十時四十分お召し。この間からのお話の追加。それにもうす つかり済んだのかと思ってゐたのに、また高松さんのことを仰有つてゐる。大変なもの である。〈略〉」 「十二月二十七日(月) 年末所感。(注・前年)一月十日に文春の二月号が出て、それに皇族団欒とかいふくだらない座談会の記事が乗つた。秩父妃、高松宮同妃、寛仁さ んといふ顔ぶれ。司会は加瀬英明。つまり高松さんがひとりで誇りか(ママ)にしやべつ ておられるだけ。巳に昨年の同誌二月号にも加瀬君が書いてゐるが、それも高松宮からうかゞつたやうなことが多く、それによれば御自分は根つからの平和論者であり、太平洋戦争を止めたのも自分であるといふ意味のことが書いてある。これがお上は非常にお 気に入らず、実に数へ切れない程度々お召があつた。このやうなことであつたのでそれでは思召(おぼしめ)されることを何でもおつしやつていたゞいたら如何(いかが)か、そ れによつてさつぱり遊ばすのならとお勧めし、それはさうすれば楽だと仰せになるのですつかりうかゞふことにする。拝聴録計九冊と結語とがこれを動機として出来上つた。 なほ明年もおつゞけいたゞかうと思ふ。」 昭和五十二年「四月十二日(火)お召といふことで吹上(注・御住居)へ行く。又高松さんのこと。皆ごもつともである。〈略〉」
入江氏は私が陛下の御不興をかったことを、ひと言も洩らさなかったので気づかなかった。
それにもかかわらず、天皇が昭和64年に崩御されると、私は新宮殿で行われた殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人として選ばれて招かれた。
古来から「あらきのみや」「もがりのみや」といわれたが、宮殿の一室に白い天幕のなかに、お棺(ひつぎ)が安置され、十数人がひと組となって椅子に正座して、交替して1時間お守りする。私は瞑目しながら、陛下のお怒りが解けたと思って恐懼した。
天皇と皇室はその歴史によって培われた精神文化から発する力によって、日本国民を束ねてこられた。天皇こそ日本の安定の要であってきた。
天皇が歴史によって蓄えられた徳の力がなければ、昭和20年の夏に先の大戦を終えることができなかった。これからも日本は皇室を尊ぶことによって、纏まってゆこう。
日本を守る⑤ 「かわゆーい」で国は守れない
Date : 2020/12/21(Mon)
戦後75年がたつなかで、日本は国の体(てい)をなさなくなっている。平和呆 (ぼ)けが、原因ではない。“アメリカ様”による“保護呆け”によって、独立国とし ての気概が失せた。
私はこの連載の第1回目で、茂木敏充外相が中国の来京した王毅国務委員兼外相と会談・共同記者会見を行った時に、王外相が日本漁船が「釣魚島(沖縄県石垣市・尖閣諸 島の中国名)のまわりの水域(中国の領海)」を侵犯していると、恫喝(どうかつ)したにもかかわらず、しまりのない笑顔を浮べていたのを、咎(とが)めた。
戦前の日本の外交官はこのような時には、「外交が戦争を抑圧する戦争」だと心得ていたから、お世辞笑いを浮べることがなかった。
もっとも茂木氏だけ咎めるのは、公平を欠く。国政から自治体まで選挙ポスターの写真をみると、候補者全員が揉み手をしながら、まるで客引きを演じているように、卑しい笑みを浮べている。 国会では首相、閣僚から議員まで、全員が百貨店の高級品売場の店員のように、丁寧 (ていねい)な言葉を使う。つくりものだから心がこもっていない。
もっとベランメイで話してほしい。安倍首相が辞職を発表した時に「痛恨(つうこん)のきわみ」といっても、心を打たない。
今日の日本では、何でも「可愛ゆーい」ものがもてはやされる。英語でいえば 「キュート」だ。
熊本県の「くまモン」から、全国のゆるキャラは、そろって可愛さを売り物にしている。
日本のコミックの主人公はきまって大きな頭に、目が異常に大きく、鼻が小さい。可愛い赤児に似ているから、 キュートで抱きしめたくなる。日本を代表するキャラは、ハロー・キティ、ポケモンとか、みんな可愛い。
国民が赤ん坊のように、可愛がられたいからなのだろう。このようなキャラはみな、 日本人が期待する自画像のようだ。
30、40年前までは可愛い絵や、人形は、幼児のためだけに存在した。いまでは、おとなのになっている。国民が幼児化している。このような国は、世界のなかで日本しかいない。
日本から雄々しさが消えた。自衛隊が軍に昇格できないのも、軍が可愛くないからだろう。どのような国家であれ、戦うことによって存続する。国防も外交も、戦争を抑止するための戦争なのだ。
日本を守る④ 日本が直面する見えない敵
Date : 2020/12/18 (Fri)
日本は中国と並ぶ、もう一つの敵に直面している。見えない恐ろしい敵だ。米国が大統領選挙後に大混乱に陥っているが、これは民主党対共和党の政争ではない。
私は毎年、春秋にワシントンに通ってきた。今年はコロナのために訪れていない。
トランプ政権のホワイトハウスの幹部の友人が、「政権ではみな、アントニオ・グラムシの著書を勉強している」といった。
私はグラムシを「20世紀のノストラダムス」と、呼んできた。
グラムシはイタリア共産党書記長をつとめたが、第二次大戦の2年前にムソリーニのファシスト政権の獄中で、45歳で病死した。
グラムシは階級闘争によって歴史の必然として革命が成就して、共産社会が実現するというマルクス主義の理論を否定して、科学技術が進んで豊かさが増す結果、人々が自由放縦となって、理論も革命への自覚も欠き、組織されない一般の人々に権力が移って伝統社会が解体するために、国家が消滅すると予言した。
グラムシは共産主義者として国家の消滅を目標としたが、伝統社会に根ざしたさまざまな慣習を、人々を抑圧する装置だとみた。この不吉な予言が当たろうとしている。
いま米国を二分している対立は、4年前のトランプ対ヒラリー・クリントン夫人の戦いと同じものだ。
無国籍のグローバリズム、個人の自由に最高の価値を与え、伝統社会を抑圧・差別的だとして、LGBTQ(Qは変態〈クイア〉)など多様性を何よりも上に置く勢力が、 ジョー・バイデン恍惚(こうこつ)老人を次期大統領当選者に祭りあげた。
もう一方に、伝統社会を頑固に守る、ドナルド・トランプ陣営がある。
人種差別者だといって、コロンブス、ワシントン初代大統領の銅像であれ、何でも破壊するのが良識とされている。自虐だが、良心が痛んで自分を責めているのではなく、 過去を捨てて好き勝手になりたいという我儘だ。
日本はどうだろうか? 多くの国民が瞬間々々の個人的な享楽を追い求めて、伝統的ないっさいの束縛を遅れたものとして、自堕落な生活に耽っている。
伝統社会にこそ、日本の魂が宿っている。
国家が溶解しようとしている。日本が日本らしさを失い、共同体としての絆(きずな)が失せて、ひ弱な国になりつつある。
日本を守る③ 靖国神社に参拝したジョン・レノン やわな平和主義者ではなかった
Date : 2020/12/17 (Thu)
中国という恐ろしい八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が、日本に襲いかかってくる。
日本最古の歴史書である『古事記』『日本書紀』に登場する8つの頭と、8つの尾を持つ大蛇(おろち)が、21世紀に蘇ったのだ。
日本が危い! ヤマタノオロチが持つという真っ赤な眼が、日本を狙っている。
12月8日の産経新聞の一面の『産経抄』に、私が登場した。この日は、ジョン・レノンが凶弾に倒れた40年目の命日だった。
「(略)レノンさんは日本文化をこよなく愛し、『第二の故郷』を頻繁に訪れていたことはよく知られている。(略)▼外交評論家の加瀬英明さんによると、レノンさんはヨーコさんに連れられて、 伊勢神宮や靖国神社にも参拝している」
私がオノヨーコのいとこであることを、紹介している。
「▼♪そして、宗教もない そうしたら みんな平和に生きられるってさ。レノンさんの名曲『イマジン』は神道の世界を歌っていると、加瀬さんはいう。神道は宗教というより心のあり方だった。日本では神々が共存し、社会は和のうえに築かれてきた。レノンさんは目を輝かせて、加瀬さんの説明を聞いていたという(『ジョン・レノンはな ぜ神道に惹(ひ)かれたのか』)後略」
これは私の著書だが、ジョンとヨーコが靖国神社の社頭に立つカラー写真が、表紙にあしらわれている。ジョンはベトナム戦争では米軍と戦ったベトナム人民を支持し、日本が米国の不当な圧迫に耐えられず、立ち上って戦ったと信じた。やわな平和主義者ではなかった。
今日の日本は中国を恐れて、尖閣諸島に日本国民の上陸を禁じ、怖(おじ)けづいて、自衛隊や、海上保安官を置くこともできない。
靖国神社には明治以後、日本の国土を守るために尊い生命を捧げた、250万柱以上(うち女性が6万)の英霊が祀られている。英霊が今日の日本を見て、休まれないだろう。
では、どうしたらよいか。憲法改正には時間がかかろう。
上皇陛下に靖国神社の春季例大祭に、御親拝をお願いする。
自衛隊には総理大臣旗があるが、天皇旗がない。天皇が国賓を迎えて、国賓とともに自衛隊の儀仗隊を観閲される時に、将校旗手が天皇旗を捧持する。
日本国民が国防の必要に、燃え立とう。
日本を守る② 中国・王毅外相の尖閣暴言
Date : 2020/12/16 (Wed)
中国の王毅外相が来日して、11月24日に茂木外相と会談した。
中国側が要望して来京したのだから、押し掛けてきたのだ。菅政権が発足したので、 脈をはかろうとしたのだろう。
王外相が茂木外相を「尖閣諸島の中国の領海を、日本の漁船が侵犯している」と強迫した。その直後の記者会見でも、臆面もなく同じ発言を行った。
両外相が肘を合わせるエルボータッチを行ったが、茂木外相は満面の笑みを浮べている。しまりのない笑顔をつくる場ではあるまい。
私が茂木外相だったら、「おかしいですね。どうして中国は1960年代末まで、尖閣諸島を日本の領土として認めていたのですか」とたずねただろう。王氏は北京の外語大学で日本語を学び、東京の大使館で参事官、大使をつとめて日本語を流暢に話すから、気軽にたずねたらよかった。
菅首相が11月に、バイデン大統領当選者とはじめて電話会談を行った。新聞報道によれば、15分間ということだった。通訳を用いたから、通訳が15分の半分を使い、2人が同じ時間話したとすれば、約3分ずつだ。
日本の新聞・テレビは、バイデン次期大統領が「日米安保条約のもとで、米国が尖閣諸島を守ると認めた」と大きく報じた。自由世界において米国につぐ経済大国の日本の首相なら、世界にとってもっと重要な問題を取り上げるべきだ。尖閣のような小さな島 を独力で守る気概も意気もないのか。
日本政府は「中国を刺激する」といって、尖閣諸島に日本国民が上陸することを禁じている。これでは尖閣諸島の領土主張に自信を欠いていると思われても、仕方あるまい。
私は尖閣の魚釣島に陸上自衛隊一コ中隊を常駐させろと主張してきた。だが、「国民感情が許さない」という。海上保安官が駐留するのも、国民感情を刺激するからできないという。
尖閣諸島が“第2の竹島”となるのか。いったん中国によって占領されたら、大量の血を流すことなく奪還できない。
米国が強要した、日本を国家でなくする現行憲法を護っていれば、平和が守られると信じている護憲病患者は、特殊詐欺によって騙される認知症の老人のようなものだ。
中国の重武装した公船が尖閣を連日のように包囲しているのに、切迫した危機感がない。
中国よりも護憲症のほうが、恐ろしい。
日本を守る① 米新政権でまごつくのは「半独立国」だから
Date : 2020/12/15 (Tue)
日本は米国のバイデン新政権が日本にとって吉となるか、凶となるか、浮き足だっている。
だが、英国、フランスはそれぞれ日本のGDP(経済規模)の半分しかないが、核ミサイルを持っているから、米国の新政権がどうなるか、日本のように気もそぞろになって、狼狽(うろた)えることがない。
新年が明けて4月になると、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復してから、68年がたつ。
68年! 半世紀以上になるのに、このあいだ米国が占領下で日本に強要した現行憲法を改めることができなかった。現行憲法は日本が再び米国に刃向わないように、日本を国家でなくするために定めたものだ。
米国が新憲法制定という毒を、無抵抗の日本に飲むことを強いたのだった。
米国は日本国憲法を、広島、長崎に原爆を投下した、僅か1年3ヶ月後の昭和21年11 月に公布させた。占領下の国の基本法を変えることを禁じた国際法に違反する、原爆投下に匹敵する蛮行だった。
多くの日本国民が米国製の憲法によって、日本が独立国から平和国家になったという幻想を受け入れた。
平和憲法は人類の長い歴史を通じて、武力を放棄して独立を保った平和国家なぞ存在したことがなかったから、米国の保護国となった。
米国は外国だ。他国の思惑に一国の安全を委ねてよいものか。一日も早く、憲法改正という解毒剤を服用しなければならない。
米中対立の狭間(はざま)に立って、たいへんだ、たいへんだといって、まごついている。日本が半独立国家でしかないからだ。
コロナ禍によって、愛人から持続化給付金がとだえるのではないか、怯えている銀座のホステスのようだ。
ゴロツキ国家である中国の脅威が増していることは、国民の大多数が認めていよう。
相手の基地を攻撃する能力を備えるべきだという議論が、ようやく始まっているが、 現行憲法と一対になっている専守防衛という、現実からまったく離れた規則をつくって、自虐による快感に浸ってきた。性的倒錯である嗜虐(しぎゃく)症だ。
「自虐憲法」を「平和憲法」と呼んではならない。
アメリカ社会を分断する2つの大きな対立
Date : 2020/12/9 (Wed)
アメリカの大統領選挙投票日の6日後に、多年の同志である評論家の宮崎正弘氏とテレビで対談した。宮崎氏は新著『中国解体 2020』を出版したばかりだった。
世界が注目していたアメリカの大統領選挙は、大混乱だ。民主党のバイデン候補は勝利宣言を行ったが、トランプ大統領は敗北を認めず、負けを認めようとしない。
私は宮崎氏に半分冗談で、「『アメリカ解体2022年』という共著の本を、だしましよう」といった。瓢箪(ひょうたん)から駒で、来春この本が出ることになるかもしれない。
私はアメリカ屋だが、今回の大統領選挙はこれまでない奇妙な戦いで、出口が見えない。
私は1960年のケネディ対ニクソンの最初のテレビ討論以後、大統領候補のテレビ対決を見てきたが、バイデン氏は病みあがりのようだった。これまでの候補者は、みな颯爽としていた。
バイデン氏は77歳、あきらかに知的能力を失って、アルツハイマー症を患っている。
春に民主党の予備選挙がいっせいに行われると、「私は上院議員選挙に挑んでいる」と述べ、「アメリカで銃犯罪(ガンクライム)によって1億5000万人が死んだ」「私は4億人のアメリカ女性を応援する」「アメリカでコロナによって1億2000万人が死んだ」、習近平を鄧小平と呼んだ。
バイデン氏はこの春まで民主党の候補のなかで下位にあったのに、なぜ、このような候補者を選んだのだろうか。
予備選挙中、トランプ大統領が敵ではなかった。サンダース上院議員が主敵だった。
サンダース氏は社会主義者を自認して、大企業に重税、国民皆健康保険、大学無料化、国防費大幅削減などを訴えて、若者などの熱狂的な支持をえていた。サンダース氏を大統領候補としたら民主党の自殺となった。
そこで、大統領候補を選ぶ民主党全国大会が開かれる前に、競っていた候補が全員降りて、妥協できるバイデン氏を担いだ。
アメリカの大手メディアの偏向は、酷いものだった。一方の大統領候補がアルツハイマー症を患っているのは重大事であるのに、主流のマスコミは事実を無視して、バイデン氏に不利な情報をいっさい報じなかった。
バイデン氏は大統領就任式までに78歳になるが、認知症が進んで判断力が衰えているために、副大統領候補のカマラ・ハリス上院議員と「共同大統領」をつとめることとなろう。大統領が1、2年後に、辞任する可能性がある。カマラは56歳、左派だ。
アメリカが分断されているというが、民主党が左傾して、二股割きになっている。
そのうえ、4年前からアメリカを2つに分けている、大きな対立がある。
拝金、国家意識を弱めるグローバリズム、個人の放縦な自由にもっとも高い価値を与え、伝統社会を抑圧・差別だとして、LGBTQ(Qは変態(クイアー))などに力を与え、何よりも「多様性」を上に置く、”WOKE(ウォーク)”――目覚めた人々に対する、伝統的な共同体の反撃だった。
民主党支持者からトランプ支持者を見ると、“愚鈍で、遅れた”人々だ。
アメリカ社会を分断したのは、トランプ大統領ではない。グローバリズムを信奉する多国籍大企業が支える、大手メディアだった。
社会の弱者、被害者だと感じる人々が、全責任を社会に押しつけるかたわら、伝統社会の束縛を柵(しがらみ)として嫌って、放縦な自由を求める“目覚めた(ウォー ク)”人々が、弱者を自任する人々が気儘に振る舞うのを見て、喝采している。
人種差別主義者だったといって、アメリカ各地でコロンブス、ワシントン初代大統領、リンカーン大統領の銅像であれ、何でもつぎつぎと破壊するのが、良識とされている。
自虐だが、自分を責めて苦しめるよりも、過去を束縛として軽んじて、否定することによって、自由になれるという我儘でしかない。
アメリカが、溶解しつつある。
トランプ・バイデンは、何を争っているのか
Date : 2020/12/4 (Fri)
私はアメリカに留学してから、この40年以上、ワシントンに通ってきた。
だが、今回の大統領選挙はこれまでにない、奇妙としかいえない戦いだった。
トランプ大統領とバイデン前副大統領による2回目のテレビ討論(ディベート)が、10月22日に行われた。第1回目は酒場で罵りあう喧嘩のようだったが、2回目もバイデン氏は目に力がなく、生気が失せてみえた。
私は1960年の大統領選挙のケネディ対ニクソンの最初のテレビ討論以後、大統領候補によるテレビ対決を見てきたが、バイデン氏は病みあがりのようで、大統領候補らしくまったくなかった。しばしば視線を降してメモを盗み見たが、これまでなかったことだった。これまでの候補者は、誰もが颯爽としていた。
2回目の討論が終わってから、アメリカの大手新聞・テレビの大方の審判は、「ドロゥ(引き分け)」だった。大きな理由が、バイデン氏に「失言がなかった」というものだった。
バイデン氏はコロナによって、自宅の地下室につくったテレビスタジオに籠るのを強いられて、頻繁に集会に出ることがなかったのに、救われた。
アメリカのメディアの偏向は酷かった
バイデン氏は77歳になって、あきらかに知的能力を失って、アルツハイマー症の初期症状を患っている。3月に民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙がいっせいに行われると、上院議員だったころを思い出して、マイクへ向かって「私は上院議員選挙に挑戦している」と述べたり、別の会場では「今世紀に入って、アメリカで銃犯罪(ガンクライム)によって1億5000万人が死んだ」「私が大統領となったら4億人のアメリカ 女性を応援する」(アメリカの人口は3億2000万人)、「習近平と親しい」というべきところを、「鄧小平」と口走った。
7月には集会で、「アメリカでコロナによって、1億2000万人が死んだ」と叫び、11月に入って、「私は上院議員選挙に挑んでいる」と、また口を滑らせている。
どうして民主党は、バイデン氏のようなまったく精彩を欠く、耄碌した候補者を選んだのだろうか。バイデン氏はこの春まで、民主党の多くの候補のなかで下位にあった。
予備選挙が始まると民主党の敵は、トランプ大統領ではなかった。
高い支持を獲得していたバーニー・サンダース上院議員が、主敵だった。
サンダース氏は社会民主主義者(デモクラティク・ソシアリスト)を自認して、大企業に重税を課し、国民皆健康保険、大学無料化、国防費大幅削減など、アメリカを福祉国家にかえることを訴えて、若者を中心として熱狂的な支持をえていた。
もし、サンダース氏が大統領候補となったら、民主党の自殺となった。
そこで、大統領候補を選ぶ民主党全国大会が開かれる前に、競っていた候補が全員降りて、妥協できるバイデン氏を担いだ。
私はこの春から、バイデン氏が認知症を患っていると指摘してきた。
バイデン氏は11月に入って、集会でドナルド・トランプ大統領を、「ジョージ・トランプ」と呼んで(ジョージ・ブッシュと混同したのだろう)、わきにいた夫人が「ドナルドよ!」と注意する声も、マイクに入った。
一方の大統領候補がアルツハイマー症を患っているのは、重大事であるはずなのに、 アメリカの主流のマスコミは、事実を無視してきた。トランプ大統領を排撃することに熱中して、バイデン氏に不利な情報をいっさい報じなかった。
伝統社会の反撃
アメリカの大手テレビ・新聞の偏向は、酷いものだった。ジョン・レノンとオノ・ ヨーコの子であるショーン・オノ・レノンが、「アメリカの大手メディアによる報道は、スターリン治下のソ連の言論弾圧より、はるかに酷いものだ」と、ネットを通じて訴えた。
バイデン氏は1月20日の大統領就任式までに78歳になるが、認知症が進んで、判断力が衰えているために、副大統領候補のカマラ・ハリス上院議員と「共同大統領」をつとめることとなろう。
大統領が1、2年後に、辞任する可能性がある。
カマラは56歳、左派であり、女性、少数民族票と、サンダース議員の支持者を取り込むために選ばれたが、鼻柱が強く高慢なために、女性や有権者から嫌われていたので、昨年末までに大統領候補レースから退いていた。
アメリカが「分断されている」というが、民主党が大きく左傾するようになって、二股割きに分断されている。民主党という皮をかぶった狼――左派だ。
しかし、アメリカを2つに分けてきた、大きな対立がある。4年前のトランプ対ヒラリー・クリントンの戦いも、同じ構図のものだった。
拝金、国家意識を弱めるグローバリズム、個人の放縦な自由にもっとも高い価値を与え、伝統社会を抑圧・差別的だとして、LGBTQ(Qは変態(クイアー))などに力を与え、何よりも「多様性」を上に置く、”WOKE”(ウォーク)――目覚めた人々に対する、伝統的な共同体の反撃だった。
アメリカで行われた多くの調査によると、民主党支持者が豊かな大都市圏に住み、高所得、高学歴であるのに対して、4年前のヒラリー夫人、バイデン氏の民主党支持者か らトランプ支持者を見ると、“愚鈍で、遅れた”人々だ。
誰がアメリカ社会を分断したのか
アメリカ社会を分断したのは、トランプ大統領ではなかった。グローバリズムを生業 (なりわい)としている、多国籍大企業によって支えられた大手メディアだった。
アメリカの大手テレビ・新聞は、報道が公平で、不偏不党であるべきだという仮面を、恥も外聞もなくかなぐり捨てて、トランプ大統領に対して牙を剝いた。
社会の弱者、被害者だと感じる人々が、いっさいの責任を社会に押しつけるかたわら、伝統社会のいっさいの束縛を柵(しがらみ)として嫌って、放縦な自由を求める多くの“目覚めた(ウォーク)”人々が、弱者を自任する人々が勝手気儘に振る舞うのを見て、喝采している。
人種差別主義者だったといって、アメリカ各地でコロンブス、ワシントン初代大統領、リンカーン大統領の銅像であれ、何でもつぎつぎと破壊するのが、良識とされている。
自虐だが、自分を責めて苦しめるよりも、過去を束縛として軽んじて、悪霊のように祓いきよめることによって、自由になりたいという我儘でしかない。
多様性、グローバリズム、LGBTQ、ジェンダーフリーをはじめ、いっさいの区別を「差別だ」とするのを合い言葉として、アメリカ社会をつくり変えようとしている。ジェンダーは伝統社会が男女に、それぞれ異なった役割を与えてきたことを意味しており、性区別を差別としている。
日本はアメリカの轍を踏んではならない
バイデン前副大統領を御輿として担ぐ“目覚めた”人々と、トランプ大統領を支持する“愚鈍で、遅れた”人々の、アメリカをまっ二つに分けた戦いだった。
アメリカが溶解しつつある。かたや日本はどうなるのだろうか? 戦後の日本は、国の根を否定する「自虐」を患ってきた。
今日の日本では、多くの国民がその瞬間々々の個人的な享楽を、追い求めている。伝統的ないっさいの束縛を遅れたものとして嫌って、自堕落な生活に耽っている。
多くの者が血族と地方共同体の強い絆を結んできた冠婚葬祭を、軽んじるようになっている。全国で無縁墓が急増している。共同体としての絆を失って、ひ弱な国となろうとしている。
過去は柵(しがらみ)ではない。私たちに過去こそ太い根と、力を与えてくれる。
国家を共同体として大切にしなければ、日本が漂流して座礁することになろう。
躾
Date : 2020/12/1 (Tue)
いったい、躾けとは何だろうか?
安土桃山時代から、幕末、明治初年にかけて日本を訪れた西洋人は、筆を揃えて日本国民が貧しい者まで礼儀正しく、明るく、勤勉であることに驚嘆して、絶賛している。
歴史を通じて、日本人の鋳型がつくられたのだった。
英語で躾けは、マナーmanner、作法や、身だしなみをいうが、習慣、態度、風俗も意味している。
文化人類学では、自国の伝統文化に従って、まったく恥じらうことなく、堂々と振舞 うことを、カルチュラル・コンフィデンス(自国文化への絶対的な誇り)という。
万延元(1860)年に、新見正興豊前守によって率いられて、アメリカを訪れた遣米使節団をはじめとして、西洋に渡った武士たち全員がそうだった。
家庭によって躾けられた、先人から伝わる文化の形を、迷いもなく身につけていたのだった。
私はある時、ある日本女性の身の熟(こな)しによって、感動したことがあった。田中フメさんという新潟の老女で、深い皺の数だけひたむきに生きた、今日の日本で見られなくなった、惚れ惚れとする美しい顔をしていた。
田中角栄氏が自民党総裁選挙で、福田赳夫氏を破った時に、テレビが新潟の実家でテレビを凝視していた、母堂のフメさんを映しだした。角さんは汗っかきだ。
角さんの顔が画面に大映しになると、座布団のうえに正座していたフメさんが、畳の上を躙(にじ)り寄って、袂(たもと)から手拭いを取り出し、ブラウン管のうえから、わが子の顔面に流れる汗をぬぐった。
黒白、箱型のテレビだった。私は、これが伝統文化が培った教養というと、人間性と知性だと思った。カルチュラル・コンフィデンスであり、躾けだった。
ところが、今日の日本は教育があっても、教養がまるでない女性ばかりになっている。
明治以後の文明開化によって西洋化に蝕まれて、女性たちと男たちが劣化した。
諸刃の剣となる日本の「和」の文化
Date : 2020/11/10 (Tue)
菅義偉首相が誕生した。99代首相が幸に恵まれることを、祈りたい。
私は自民党総裁選挙へ向けて、菅、岸田、石破三氏が日本記者クラブで行った討論を、テレビ中継によって最後まで見た。
3人とも、日本が直面している中国、北朝鮮による軍事脅威に、どのように対応すべきなのか、国防についてひと言も触れることがなかった。私は一瞬、日本列島が中国大陸から3000か、4000キロ、離れているのではないかと錯覚した。
首相の座を目指す者が、国民の広い共感をえようとしたら、日本国憲法という拘束衣による呪縛から、脱することはできない。
菅(すが)内閣は出発するのに当たって、安倍政権を継承するとうたったように、安倍内閣から小幅な改造にとどまったことによって、国民に安心感を与えた。
菅内閣も派閥という寄せ木細工であることに、かわりがない。日本では明治以後、首相が「指導力」、戦後、英語が氾濫するようになったが、「リーダーシップを発揮するべきだ」という声があがるものの、日本の伝統的な習俗である生活文化のなかに、「指導者」「指導」という概念も、言葉もない。「和」の文化であってきたから、仕方がない。
「指導者」「指導」という日本語は、それまでそのような概念が日本に欠けていたから、明治に入ってから英語のリーダー、ドイツ語のフューラーなどを訳して造られた、明治翻訳語である外国からの借り物だ。
アメリカを例にとれば、大統領が指導者(リーダー)であり、閣僚をはじめポリティカル・アポインティ(政治任命職)と呼ばれる幹部職員は、全員が大統領の人格の延長であり、代理人としてみなされる。
西洋は人々が「個」を主張する対立関係にあるから、指導者を必要としている。
だが、日本では閣僚は、首相の人格の延長でも、代理人でもない。首相は上に立つとともに、下から担がれている。日本は「和」の社会なのだ。
日本では明治に入るまで、上に立つ人は「頭(かしら)」、「頭目」とか、「頭領」と呼ばれていた。
日本の「和」の文化は、今回のコロナウィルスの大感染に当たって、もっともよく表れた。政府が緊急事態宣言を発したが、強制力がともなわないのにもかかわらず、全員がマスクを着用、外出の自粛、飲食店の営業時間の短縮など、すなおに要請を受け容れた。
アメリカ、ヨーロッパなどの他の諸国では、マスクの着用を怠ったり、不要不急の外出について高額の罰金を科す措置をとっているのに対して、「和」の国であることを示した。
天皇の詔勅(占領下で廃止された)は、「‥‥セヨ」という命令ではなく、「庶幾 (こいねが)フ(う)」で結ばれているが、外国人は国民が従うのに驚いてきた。庶幾うは切(せつ)に望むという意味である。
コロナに当たって、国民が法的な強制力がないのに、緊急事態宣言に従ったのも、同じことなのだ。
「和」の国だから、「指導者」も、強いリーダーシップも、存在しない。「論理」よりも「和」のほうが、重んじられる国柄である。
指導者という概念が存在しないから、内閣は短命だ。日本で内閣制度が発足したのは、明治17(1885)年であるから、今年で145年がたつ。菅首相は99代目の総理大臣だが、平均すれば内閣は短命で、在職が1年5ヶ月弱となる。
昭和6(1931)年の満州事変から、敗戦までが、日本にとってもっとも重要な14年間となった。このあいだ、若槻礼次郎内閣から鈴木貫太郎内閣まで、15人の首相が登場した。これでは一貫した戦略も政策も、あったものではない。
「和」は、日本の大きな長所だ。しかし、日本の大きな弱点となりうる。
トランプ・バイデンは、何を争ってきたのか
Date : 2020/11/2 (Mon)
あと2日、日本時間の11月4日にアメリカで大統領選挙の投票が行われる。
私はアメリカの脈を計るのを生業(なりわい)としているが、2020年の大統領選挙はかつてない、奇妙としかいえない戦いだ。
トランプ大統領とバイデン前副大統領が最後に対決した2回目のテレビ討論(ディベート)が、10月22日に行われた。第1回目は、酒場で罵りあう喧嘩のようだったが、2回目もバイデン氏は同じように目に力がなく、生気が失せてみえた。
私は1960年の大統領選挙のケネディ対ニクソンの最初のテレビ討論以後、歴代の大統領候補のテレビ対決を見てきたが、バイデン氏は病みあがりのようで、大統領候補らしくまったくなかった。しばしば視線を降してメモを盗み見たが、これまでなかったことだった。これまでの候補者は、颯爽としていたものだった。
2回目の討論が終わってから、アメリカの大手新聞・テレビの大方の審判は、「引き 分け」だった。大きな理由が、バイデン氏に「失言がなかったから」というものだった。
バイデン氏は七十七歳になって、あきらかに知的能力を失って、アルツハイマー症の初期症状を患っている。3月に民主党の大統領候補を選ぶ予備選挙が13州でいっせいに行われると、バイデン氏は上院議員だったころを思い出して、マイクへ向かって「私 は上院議員選挙に挑戦している」と述べたり、別の会場では「今世紀に入ってから、アメリカで銃犯罪(ガンクライム)によって、1億5000万人が死んだ」「私が大統領となったら、4億人のアメリカ女性を応援する」(アメリカの人口は3億2000万人)と口走った。
7月には集会で、「アメリカでコロナによって、1億2000万人が死んだ」と叫び、11月に入って、「私は上院議員選挙に挑んでいる」と、また口を滑らせている。
どうして民主党は、バイデン氏のようなまったく精彩を欠く、耄碌した候補者を選んだのだろうか。バイデン氏はこの春まで、民主党の多くの候補のなかで下位にあった。
予備選挙が始まると民主党の敵は、トランプ大統領ではなかった。
高い支持を獲得していたバーニー・サンダース上院議員が、主敵だった。
サンダース氏はソシアリスト(社会主義者)を自認して、大企業に重税を課し、国民皆健康保険、大学無料化、国防費大幅削減など、アメリカを福祉国家にかえることを訴えて、世間知らずの若者たちの熱狂的な支持をえていた。
もし、サンダース氏が大統領候補となったら、民主党の自殺となった。
そこで、大統領候補を選ぶ民主党全国大会が開かれる前に、競っていた全候補がいっせいに降りて、妥協できるバイデン氏を担いだ。
私はこの春からバイデン氏が、認知症を患っていると指摘してきた。
バイデン氏は先週、集会で誤ってドナルド・トランプ大統領を、「ジョージ・トランプ」と呼んで(ジョージ・ブッシュと混同したにちがいない)、わきにいた夫人が「あなた、ドナルドよ!」と注意する声も、マイクに入った。
一方の大統領候補がアルツハイマー症を患っているのは、重大事であるはずなのに、 アメリカの主流のマスコミは、事実を無視してきた。トランプ大統領を攻撃することに熱中して、バイデン氏に不利な情報をいっさい報じなかった。
アメリカの大手テレビ・新聞の偏向は、酷いものだった。ジョン・レノンとオノ・ ヨーコの子であるショーン・オノ・レノンが、「アメリカの大手メディアによる報道は、スターリン治下のソ連の言論弾圧よりはるかに酷いものだ」と、ネットを通じて訴えた。
もし、バイデン氏が当選したら、1月20日の大統領就任式までに78歳になっているが、認知症が進んで、判断力が衰えているために、副大統領候補のカマラ・ハリス上院議員と「共同大統領」をつとめることとなろう。
大統領が1年か、2年後に辞任する可能性がある。アメリカが迷走することになる。
カマラは55歳、左派であり、鼻柱が強く高慢なために、女性や、有権者から嫌われていたので、昨年末までに大統領候補レースから退いていた。
4年前にアメリカを2つに分けた、トランプ対ヒラリー・クリントンの戦いも、同じ構図のものだった。
拝金、国家意識を弱めるグローバリズム、個人の放縦な自由をうやまい、伝統社会を抑圧・差別的だとして、LGBTQ(Qは変態(クイアー))などに力を与え、何よりも 「多様性」を上に置く”WOKE”(ウォーク)――目覚めた人々と、伝統的な共同体との戦いである。
多くの調査によると、民主党支持者が大きな都市圏に住み、高所得、高学歴であるのに対して、民主党支持者からトランプ支持者は見ると、“愚鈍で遅れた”人々だ。
社会の弱者、被害者だと感じる人々が、いっさいの責任を社会に押しつけるかたわら、放縦な自由を求める多くの“目覚めた(ウォーク)”人々が、伝統社会のいっさいの 束縛を柵(しがらみ)として嫌悪して、弱者が勝手気ままに振る舞うのに喝采している。 人種差別主義者だったといって、コロンブス、ワシントン初代大統領、リンカーン大統領の銅像であれ、何でも破壊するのが、良識とされている。
バイデン前副大統領を御輿として担ぐ“目覚めた”人々と、トランプ大統領を支持する“愚鈍で遅れた”人々との戦いだ。
日本の国柄が現われたコロナとの戦い
Date : 2020/10/29 (Thu)
コロナとの戦いが長期化するなかで、出口がさっぱり見えてこない。
コロナとの共生といわれるようになって、講演の場がようやく増えるようになっている。
先週は都内のホテルで、150人あまりの経営者を前にして講演した。
聴衆の椅子が間隔をおいて置かれ、演壇から見ると、全員がマスクを着用していた。
私は咄嗟(とっさ)に、「もし、いま宇宙人が地球にやってきて、人間とはじめて出会って、口が1つしかないのに、耳が2つあるのを見て、話す2倍聴くためだと思って、感心します」 「そして世界中どこへ行っても、全員がマスクをしているのを見て、口を開いて愚かな 言葉を発しないように、マスクで被(おお)っているのだと思って、いっそう感心するで しよう」と、切り出した。 「古代ギリシアの諺(ことわざ)に、『愚か者と魚は、口から釣られる』という戒めが、 ありますね。
人々が互いに話す2倍、聴き合えば、家庭も世界も平和になるはずです。皆様はマスクで口を覆って、素晴しいお手本を示されています」と、つけ加えた。
日本では誰一人として、マスクの着用が「個人の自由を奪う」という声をあげない。
100年ぶりのパンデミック
スペイン風邪の大流行がおさまったのが、1922年だった。100年ぶりに1918年から4年にわたって、世界で1000万人以上の生命が奪われた。私たちは100年ぶりに、コロナというパンデミックに襲われている。
日本国民はスペイン風邪の大流行以来、冬になると風邪を予防するために、マスクによって鼻と口を覆うことが習性となった。スペイン風邪の大流行を忘れた世界の人々が、日本人が冬になるとマスクをしているのを見て、奇異に感じるようになっていた。
今回、コロナウィルスによって、ヨーロッパや、アメリカをはじめ世界の国々で、マスクの着用がはじめて一般化するようになった。
アメリカや、イギリスなど西洋諸国ではマスクの着用を強制しているのに対して、多くの人が「個人の自由」を奪うといって抵抗している。国柄が日本と大きく違うのだ。
日本が心を分かち合う「和」の社会であるのに対して、他人(ひと)との違いを強調する個人社会なのだ。
日本と西洋とではマスクの役割が違っている
50年ほど前に、アメリカ人のジャーナリストが日本について書いた記事を読んだが、日本人の母親だけがマスクをして、連れていた幼い子供がマスクをしていないのを見て、「日本の母親は残酷だ。自分だけ守ろうとしている」とけなしていた。とんでもない誤解だ。
アメリカでは自分をコロナから守るためにマスクをするが、日本では他人にうつさないためにマスクをする。先の母親は風邪をひいていたけれど、子供は元気だったのだろう。
アメリカ人が自己中心なのに対して、日本はつねに人を思い遣る、やさしい「和」の 文化なのだ。
日本では西暦730年に、聖武天皇の光明皇后が貧しい人々や、老人、孤児を無料で治療するために、薬の製造所である施薬院(せやくいん)、病院である療病院(りょうびょういん)、寄宿舎の悲田院(ひでんいん)を各所に開設した。江戸時代を通じて、明治に入るまで続いた。
日本は世界のなかで、もっともやさしい文化だ。
歴代の天皇は国民全員を最下層民まで、「おおみたから」(大御宝)と呼んできた。 このような国は、日本の他にない。
天皇は諸外国のように覇者ではなく、国民の父であり、母であるのだ。
今日でも、天皇は世界でもっともやさしい方であられる。
『万葉集』は万人が平等な証し
日本は世界で、もっとも平等な国だ。『万葉集』は天皇が西暦七五九年までに集めた、はじめての和歌集だが、農民はもちろん、今日のホステスや、売春婦に当たる女性や、「ほがいびと」と呼ばれた乞食までがよんだ歌が、5000首近く収められている。
ほがいびとは人の門戸に立って寿言(ほがいごと)を唱えて回る、物貰いの芸人のことだが、『万葉集』には「乞食者(ほがいびと)の詠(うた)」と記されている。世界で下層民全員が文盲だった時に、日本は平等だったから、物貰いまで字が読めた。
日本もしばしば疫病によって、見舞われてきた。
今回のコロナの流行に当たって、安倍内閣が国民と外国人居留者全員に1人ずつ、洩れなく10万円を配った。
これは、日本ではじめて行われたことではない。
新聞と大手テレビは不勉強
政府が10万円を配ることを決定した時に、大手の新聞もテレビも、日本ではじめて行われたのではないことに、まったく触れることがなかった。その時の現象だけを追っている。不勉強だ。
私は江戸開府400周年が巡ってきた平成15(2003)年に、日光東照宮が記念事業として、江戸研究学会を創立した時に、会長をつとめた。江戸東京博物館の竹内誠館長も、理事の1人だった。
江戸幕府は疫病がひろがって、経済が停滞すると、庶民全員に給付金を一律に支給し ている。
1例だけあげると、悪性のインフルエンザが大流行した1802年に、11代将軍家斉のもとで、幕府は独身者に300文、2人暮し以上の家族について、1人250文を 支給した。250文は今日なら、2万円ほどに当たる。購買力にすれば、10万円以上になるだろう。
日本の文化のもっとも大きな特徴は「清らかさ」
日本文化のもっとも大きな特徴といえば、「清らかさ」をもっとも大切な価値としてきた。日常生活において、肉体の清潔さとともに、心が清らかなことを求めてきた。
ヨーロッパでは、医師も150年前まで、手を洗う習慣がなかった。
ドイツのロベルト・コッホが、1876年に細菌を発見する30年前に、ウィーン大学のゼンメルワイス医局長が、細菌に当たるものを「死の粒子」と名づけて、手洗いを提唱した。
ところが、当時のヨーロッパでは、医師は貴族階級に属しているとみられて、穢れているはずがないと信じられていたので、医師会が猛反発した。ゼンメルワイス博士は、気の毒なことに精神病院に監禁されて、コッホが細菌を発見する前に死んだ。
日本では古代から、手洗いと嗽(うがい)が行われていた。神道の神社では、お参りする前に手水所(ちょうずどころ)があって、手と口を洗って清める。手水舎(てみずしゃ) とも、呼ばれている。
「ちょうず」は手と水と書くが、古語で便所も意味している。手と水を組み合わせている。清潔であることを求める習慣によるものだ。
無限の心
17世紀に徳川5代将軍の綱吉が、全国に6つの盲学校を開いた。世界ではじめてのことだった。6年制で盲人に鍼灸(はりきゅう)、按摩(あんま)、算盤による計算などを、教えた。つぎに世界で古い盲学校といえば、フランスで百数十年も後になってから のことだ。
江戸時代には全盲の人だけに、金貸し業が許された。身障者にやさしい社会であってきた。
日本では、政府が4月に緊急事態宣言を発して、不要不急の外出や、営業の自粛を要請したが、法的な強制力がなかった。それなのに、国民がすなおに従った。 天皇の詔勅(占領下で廃止された)は、「セヨ」という命令ではなく、「庶幾フ(こいねがう)」(切(せつ)に望む)と結ばれているのに国民が従うのに、外国の政治学者を驚かせてきた。今回の緊急事態宣言も、同じものだった。
金(かね)――経済と、生命(いのち)――寿命には、限りがある。心はいくら配っても、限りがない。日本は和――こころの国なのだ。経済に一喜一憂するより、心を大切にしたい。
100年ぶりのパンデミックは先進諸国の全力疾走からスローダウンを強いている
Date : 2020/10/9 (Fri)
中国産のコロナウイルスが流行するようになってから、読者諸賢の大多数と同じように65歳以上の絶滅危惧世代に属しているから、自宅と事務所に蟄居、謹慎することを強いられてきた。
医者になった中学校の同級生に出会ったので、いったい「細菌とウイルスは、どう違うのか」とたずねたところ、ウイルスは日本語で「濾過性病原体」といって、細菌なら掬(すく)いあげられるフィルター・ペーパー(濾紙(ろし))を、木戸御免と通り抜けられると、説明してくれた。
「濾紙を自由にすり抜けるから、マスクで鼻と口を覆っても、あまり意味がないね。家に籠っているほかないよ」という、託宣だった。
たまに講演のためにホテルへ行くと、講師であっても、マスクをしていないと会場に入れてくれない。マスクが名刺と同じ必需品となった。
どこを見ても、全員がマスクを着用しているのは、戦時中にそろって国民服を着たように、久し振りに国民に一体感がもたらされて、悪いことではない。
夜の会合がほとんどなくなって、自宅に蟄居することを強いられている。
地球表面の70%が海であるために、水の惑星と呼ばれ、生命が水から生まれたから、水商売は男の故郷(ふるさと)だ。コロナ騒ぎのために、たまに誘われるクラブも、座敷も遠のいて、陸(おか)にあがった河童(かっぱ)のようだ。
外出自粛のために、水いらずの夫婦生活を甘受するほかない。明治大帝が下賜された『教育勅語』の「夫婦相和シ」との勅命を、実践する好機である。 だが、大帝の宸襟をお悩ませしたように、女夫(めおと)が睦むのは困難なことだ。
人は身近な存在であるほど、癇癪を起しやすい。きっと通勤電車の車中で、隣りの吊り革にぶらさがっている者に腹を立てるものの、隣の車輌に乗っている者と喧嘩することがないのと、同じことなのだろう。
仕事が減って、外出しなくなると、不要不急の仕事によって煩わされず、時間によって管理されずに、好きな時に睡れるのがよい。私は幼い時から怠け者で、眠るのが得意だったから、〽十五夜オツキサマ、ミテハネルを、自分なりに〽十五夜オツキサマ、見テハ寝ルと歌っていた。
それでも、物書きを糊口(ここう)の種(たね)としてきたので、連載や、講演の回数が大きく減ったものの、退屈して、飽きあきしないからたすかる。
同級生のなかで、私と医者が生涯現役であるようだ。
外へ出ると街並みが、ふだんと少しも変わっていないというのに、すべてがよそよそしく、非現実的だ。
83歳になってコロナ騒ぎのお蔭で、はじめての異常な体験だ。
だが、読者諸賢から顰蹙を招こうが、私はコロナ騒ぎの奇禍を、奇貨として歓迎している。 コロナウイルスによる大感染(パンデミック)は、スペイン風邪が1918年から、四年にわたって世界を見舞ってから、102年ぶりのものである。
百年あまり前の世界へ戻ると、アメリカも含めて日々の生活が貧しかった。
1932年のアメリカの大統領選挙で、ハーバート・フーバー大統領が再選をはかって掲げた公約が、「ア・チキン・イン・エブリー・ポット(誰でも鶏を食べられる生活)」だった。
あのころから、世界は物的な豊かさを求めて、脇目も振らずに、ひたすら全力で疾走してきた。全員が息切れするようになった。
今回の百年ぶりのパンデミックが、先進諸国にスローダウンを強いている。
欲望に追いたてられて、物的な豊かさが増したものの、あらゆることが値札によって計られるようになって、人々が焦ら立ちやすく、精神的に貧しくなった。 コロナ騒ぎが終息すると、人々が価値―生命(いのち)を大切にすることになろう。物離れが始まって、生きる楽しみを求めることになってほしい。
コロナ騒ぎは立ち停まって、息を整えるよい機会をもたらした。
小学時代からのクラスメートの親友で、ITの優良会社を立ちあげて、あとを譲って楽隠居をきめながら、お座敷遊びに打ち込むあまり、邦(おど)舞(り)と小唄の名取となった仕合せ者がいる。
コロナのために、自宅に潜んでいるのを託(かこ)って、「不要不急の老人になりました」と、メールを送ってきた。
そこで、「不要不急と仰言られますが、アメリカまで10時間あまりで飛ぶ旅客機とか、新幹線、リニアモーター、ぼくは松下電器の松下政経塾の役員をつとめたのでバチが当るでしょうが、女どもの心を省く家電製品などが不要不急のもので、御座敷の芸事こそ、不朽不滅のものです。不要不急の利便なものは、すぐに朽ちてしまいます」と、返事を送った。
政府が6月に「緊急事態宣言」を解除したが、油断したのか、感染が拡大しているために、コロナを退治することを諦めて、「コロナと共生しよう」という声が、聞かれるようになっている。
コロナウイルスが変異して、毒性が強まったという説がある。
コロナとの共生が話題になったので、とっさに、「そりゃ、結婚生活に似ていますなあ」と思いついて、呟(つぶや)いた。
初々しい新妻も、年を追うごとに勢いがさかんになって、男たちは諦めて共生するほかない。ウイルスのように変異というのか、進化するのだ。
外出自粛によって、夫婦相和(あいわ)、いや調和をはかって、夫婦共生を実践しなければならない。
アントニオ・グラムシを知っていますか?
Date : 2020/10/8 (Thu)
「アメリカが溶解しつつある」というと、読者は驚かれるにちがいない。
5月にミシシッピ州ミネアポリスで、白人警察が黒人のジョージ・フロイド容疑者を押え込んで逮捕する時に、窒息死させたことから、進歩的な白人市民や、黒人による「ブラック・ライブス・マター(BLM)」(黒人の生命を守ろう)という抗議デモや集会が全米の都市にひろがって、商店が略奪放火されることがいまだに続いている。
そのかたわらで、かつて黒人奴隷を所有していたとか、奴隷商人だったとか、先住民族を殺戮したという、歴史上の人物の銅像が撤去され、それらの人物の名をとった地名などが、つぎつぎと改称を強いられている。
各地で、アメリカ初代大統領で建国の父のジョージ・ワシントンや、アメリカ大陸を発見したコロンブスの銅像も、台座から引きづり降されている。「暗い歴史を正そう」とする動機だが、「キャンセレーション・カルチャー」(過去を抹消する文化)という新語によって呼ばれている。進歩的な白人にとって、一時的な正義感をみたすものなのだろう。
トランプ大統領はアメリカの歴史を根絶にしようとしているとして反対して、11月3日の大統領選挙の投票日へ向けて、「法と秩序を守れ」と訴えている。 民主党は大統領選挙に向けて、これまでBLMを支持してきたが、参加者の一部による商店の破壊や、略奪が頻発するために、民主党に不利に働くとみられている。
この半世紀以上、アメリカではそれまで日常会話のなかで使われてきた言葉を、「差別語」として追放する“言葉狩り”が行われ、同性婚が認められ、LGBTQ(レズビアン、バイセクシュアル、ゲイ、トランスセクシュアル、クイアー)が市民権をえた。Qは生まれつきの変態(クイアー)を意味している。
読者はアントニオ・グラムシを、ご存知だろうか? グラムシはイタリア共産党の幹部だったが、第2次世界大戦がヨーロッパで始まった 2年前の1937年に、ムッソリーニのファシスト政権の獄中で病死した。45歳だっ た。
グラムシはイタリア共産党の傑出した、異端な思想家だった。
グラムシは階級闘争によって歴史の必然として革命が成就して、共産社会が実現するというマルキシズムの理論を否定して、先進国において科学技術が進み、豊かさが増す結果、社会集団が分解して、ヘゲモニー(覇権)が理論も、革命への自覚も欠き、まったく組織されることがない、一般の人々に移ることによって、国家が漸進的に消滅してゆくことになると、見透した。
私はグラムシの予言が適中しつつあると思って、慄然としている。20世紀のノスト ラダムスだ。
グラムシは共産主義者として、当然のことにグローバリストであり、「ヘゲモニー(覇権)装置」と呼ぶ、「国家の消滅」を目標とした。
グラムシは伝統社会に根ざした習慣を、「歴史的堆積物」である滓(おり)と呼んだ。 人々が伝統文化の鎖によって繋がれてきたが、人々が豊かになって、放縦で自己本位になるために、古い鎖が溶解してゆくと説いた。
個人に何よりも高い価値が与えられることによって、人々が慣習によって縛られて、従属してきた伝統社会が解体してゆくと、信じていた。
グラムシは粗暴で権威主義だとしたソ連モデルの社会主義体制を否定して、瓦解することを予見した。そのために、イタリア共産党から追放された。
日本においても、私たちの身の回りで伝統的に受け継がれてきた慣習が、人々を束ねてる機能を急速に失うようになっている。
日本も溶解しつつあるのではないか。古い日常の習慣を守ることを、心がけたい。
まさか、米中は覇権を争っていない
Date : 2020/10/6 (Tue)
トランプ政権のポンペイオ国務長官が、7月にカリフォルニアのニクソン大統領記念館を訪れた。
ポンペイオ長官は記念館の前庭で、「このまま中国を放置しておけば、自由世界が滅びる。世界はどちらかを選ばねばならない」という、衝撃的な演説を行った。
トランプ政権がテキサス州ヒューストンの中国総領事館を閉鎖するように命じた、翌日のことだった。だが、驚くことはなかった。昨年、トランプ政権はペンス副大統領が 中国の覇権主義を歯に衣を着せずに糾弾したのをはじめ、容赦することなく中国を追い 詰めてきた。
これは、習近平主席が招いたことだ。習主席はアメリカが力を弱めていると誤算して舞いあがって、前漢時代に編まれた中国最古の歴史書である『史記』の言葉を借りれば、「傍若無人」――かたわらに人無きごとく、気儘に――振る舞っている。その報いだ。
習主席はことあるごとに、自信満々と「中国共産党は中華民族の偉大な復興を成し遂げた」と演説し、「軍事闘争の準備を最重要視する方針を堅持する」と訴えてきた。
私は2年前から「トランプ政権の真意は、中国共産党体制を打倒することだ」「かつてレーガン政権がソ連を1992年に崩壊させたように、共産中国を倒すことを目論んでいる」と、書いてきた。そして「米中対決の主役は、中国に先端技術が流出するのを 断ち切ることだ」と、指摘した。
習主席は共産中国で、毛沢東以後のもっとも愚かな最高権力者だ。中国にアメリカと渡りあう力はない。絶望的だ。
やはり、漢籍に「虎ノ背ヲ駆ル者ハ、降リルコトガデキナイ」――虎の背から振り落とされてしまったら、喰い殺されるという戒めがある。中国はいっそう粗暴に振る舞うほかない。
ポンペイオ国務長官がニクソン大統領記念館を舞台として選んで、中国を痛烈にこき下ろす演説を行ったのは、まさに象徴的だと思った。
私がポンペイオ演説のなかで、もっとも注目したのは、「アメリカの対中政策は、オバマ政権に至るまで惨憺たる失敗だった」と述べたところだった。アメリカが中国を甘やかしたために、今日の巨大な妖怪をつくりだしたのだ。
第2次大戦後の米中関係は、ニクソン大統領が昭和47(1972)年に北京を電撃的に訪問して、世界を驚かせたことによって始まった。
日本にも、今日の中国という妖怪をつくりだした、大きな責任がある。
私はそれなのに、日本のテレビがポンペイオ演説を報道した時に、「米中の覇権争い が激化している」と解説したのを聞いて、驚いた。
日本はいったいアメリカと中国のどちらの味方なのだろうかと、訝った。覇権は「権 謀をもって獲得する権力」という悪い言葉で、米中ともに悪役としてみたてて、高見の見物をしている。
中国の風下に立つ必要はなかった
私は1972年にニクソン訪中を受けて、田中角栄首相が浮き足立って、日中国交正常化を急いだ時に、強く反対した。
私は30代だったが、20代なかばから月刊『文藝春秋』などに評論を寄稿していた。
私は毛沢東の中華人民共和国は、共産主義を借り衣として纏っているが、中華3000年にわたって暴走してきた帝国であって、日本としてアメリカが中国と国交を正常化するまで待つべきだと論じた。アメリカは7年後の1979年になって、中国と国交を正常化した。
田中首相が毛主席と会見した時には、会見というより謁見したというのが正しかった。
この時から、今日の捩れた日中関係が始まった。
田中首相が毛主席に対して、“位負け”することはなかった。あの時、中国は何よりも中ソ戦争を恐れており、日本に縋(すが)ろうとしていた。当時、日中貿易は世界で最大のものだった。
私はしばらく後に人民解放軍の案内で、ソ連の侵攻に備えて北京の地下に掘りめぐらされた巨大な防空壕に案内された。
戦後日本外交の大失敗だった
日中国交正常化に当たって、日本が台湾と断交する必要は、まったくなかった。日中国交正常化に当たって、日台間に領事関係を維持できたはずだった。戦後の日本外交の最大の失敗となった。
その後、アメリカも、日本も「中国の巨大な市場」の夢に魅せられて、中国を薔薇色のレンズを通してみるようになった。
私はアメリカ人のなかでも、マイケル・マンスフィールド駐日大使を忘れることができない。
マンスフィールド大使は昭和52(1977)年から、駐日大使を10年数ヶ月にわたってつとめたが、私が防衛庁に要請されて主宰していた防衛研究所による国際会議や、私の会にしばしば出席した。
マンスフィールド大使も、典型的なアメリカ人だった。故宮や万里の長城などの巨大建造物に圧倒されて、中国の歴史を通じたおこないについて、まったく無知だった。すっかり中国の擒(とりこ)となっていた。
私はかなり後に、アメリカの著名な戦略家であるエドワード・ルトワック氏と、同志になった。
ルトワック氏が国防省の若手幹部として、はじめて東京を訪れた時に大使館で、マンスフィールド大使と面会した時に、とくに「金丸(信)と加瀬(私)を避けるように」 と注意されたと、教えてくれた。私も、金丸氏も危険な「台湾ロビーだ」ということだった。
金丸氏は蒋介石政権の“台湾ロビー”だったが、私は50年にわたり日本国民だった台湾を支援するのは、日本人としてのつとめだと信じて、台湾の独立を応援していた。
私はマンスフィールド大使に、「中国が共産政権下で民主化することは、ありえない。台湾は歴史的に、中国の一部ではない。中国が台湾を奪うことがあったら、日本は独立を保つことができない」と話したが、聞き流された。あのころ、アメリカの識者に 中国の歴史について説いても、漢籍をまた借りれば、「馬耳」だった。
私は日本が自立して、保護条約である日米安保条約を対等な共同防衛条約に改定すべきことを主張していた。そのために、大使館で「ライト・オブ・ジンギスハン」(成吉思汗より右)だと罵られて、嫌われていることを知っていた。
ようやく、アメリカが中国の本性に気づいて目を覚ました。
中国だけにある天下と中華民族という概念
中国にとって、多様な外の世界は存在していない。世界は一つしか、存在していない。
世界のかわりに「天下」と呼んできたが、世界があまねく中国の皇帝の持ち主である。
習主席は口を開くと「中華民族」というが、おぞましい。中華民族なぞ存在するはずがない。
中国の支配下に置かれた諸民族が、すべて中華民族と呼ばれる。アメリカは多民族国家だが、まさか「アメリカ民族」という言葉はない。
もし、共産主義と中華思想のあいだに共通点があるとすれば、国境という概念がないことだ。
中華思想のもとでは、中国の皇帝が天下という世界の統治者であるから、中国は国ではない。中国に服(まつろ)わぬ諸国はすべて夷狄である。
日本は中国の隣国であって、漢籍を好む者が多いというのに、中国のおぞましい歴史について無知だ。
日本も、アメリカと同じように、中国の「巨大市場」という罠におちてきた。戦後の日本が価値よりも、値札によって行動してきたことを反省したい。
欠陥憲法のために尖閣諸島が危い
Date : 2020/10/5 (Mon)
尖閣諸島が危い。
来年1月から2月にかけて、中国が尖閣諸島を急襲する可能性がある。
現行の日本国憲法が、腰が抜けている国家にしている。
なぜ1、2月が危いのか、説明しよう。
尖閣諸島は沖縄県石垣市に属しており、石垣島から170キロ、中国大陸から330 キロ離れている。魚釣、北小、南小、久場、大正島の5つの島と、3つの岩礁から構成 されている。
私はこれまで海上自衛隊の哨戒機に搭乗して、上空から2回視察したことがあるが、 魚釣島だけが人が住める広さがある。
魚釣島は戦後は無人島になったが、明治以後200人以上の集落があって、アホウド リの羽毛の採集が行われ、鰹節工場があった。旧島民の墓もある。
中華人民共和国は1970年代に入るまで、尖閣諸島が日本の領土として認めてい た。中国の地図にも日本領として記載されていたが、1971年に中国の固有の領土だ と主張しはじめた。
1950年代に米軍によって、久場島と大正島が射爆場として使われたが、もし中国 の領土であったとしたら、激しく非難したはずなのに、何もしなかった。
中国は70年代末から武装公船や漁船の大群を送って、尖閣諸島を囲む領海や、接続 海域に侵入することを執拗に繰り返してきた。
このところ、中国が尖閣諸島に対する野望をいっそう露骨にしており、政府も危機感 を強めてきた。
私は40年前から、魚釣島を無人にしておくと中国の侵略を誘うから、陸上自衛隊1コ中隊を常駐させるべきだと主張してきた。
世界のどのような国であっても、隣国から脅かされている国境に軍を配置するのに、 日本の世論が尖閣諸島に自衛隊を駐留させることを拒んできた。
私は海上保安庁の政策顧問をつとめたが、尖閣諸島に海上保安官を置くこともできない。
日本政府が「中国を刺激しないように」、石垣市の職員も含めて、日本国民の尖閣諸島への上陸を禁じている。
私はこれまでワシントンに年2回通ってきたが、今年はコロナの感染拡大によって中断している。
ワシントンで国防関係者と意見を交換してきたが、「なぜ尖閣に自衛隊か、海上保安 官を置くことができないのか」と質問されると、私も政府が日本国民の上陸を、なぜ禁じているのか理解できないから、答えられない。
海外では、尖閣諸島へ日本国民の上陸を禁じているのは、領土主張に自信がないから だと、誤解している者が少なくない。
8月に、河野太郎防衛大臣が記者会見の席上で、東京新聞の記者から新型ミサイルを 配備するのに当たって、「中国と韓国の了解はえているのか」と質問されて、当然のこ とに、「中国、韓国の許しをえる必要はない」と答えている。
日本はまさか、中国や韓国の属国ではあるまい。
私は背筋が寒くなった。他の国であったら、このような非常識な質問がでるはずがな い。
中韓両国が新型ミサイルを配備する時に、日本の了解を求めるだろうか。その後、この新聞社の内部で、この記者が譴責されたということをきかない。
新聞記者までが現行憲法によって内臓(はらわた)を抜きとられて、腑抜けになっているのだ。
河野大臣がやはり8月に尖閣諸島を上空から視察しようとしたのに対して、自民党内 から「中国を刺激してはならない」という反対の声があがったために中止している。なぜ、自国の領土の上を飛んではいけないのか。
この夏には、中国の海警船が尖閣諸島の周辺海域でわが漁船を追尾して、海上保安庁の巡視船があいだに割って入って、救った。
政府の一部では、中国の海警船が日本の漁船を領海侵犯と密漁のかどで拿捕して、中国大陸に拉致して、裁判にかけるのを憂慮している。
海警は中国の人民解放軍の指揮下にある、軍の一部だ。
もし、尖閣諸島の海域で操業するわが漁民が大陸に攫われて、裁判にかけられることがあったら、尖閣諸島を囲んで狼藉(ろうぜき)を働いてきた中国の活動を放置してきた、付けが回ってくるのだ。
東京から1800キロ離れた、太平洋の小さな孤島の南鳥島には、海上自衛隊の10 名あまりの隊員が常駐しているのに、なぜ、尖閣諸島に海上保安官を置けないのだろう か。
安倍首相が、突然、辞任した。安倍首相は8年前に首相として返り咲いた時に、「尖 閣諸島に公務員を常駐させる」と述べたが、実現できなかった。
さて、アメリカでは11月3日に大統領選挙の投票が行われる。
以前から全米にわたって、郵送による不在者投票が行われてきたが、今年は郵便公社 であるUPSが、eメールと民間宅配業者に圧迫されて、封書や小包を郵送することが大きく減って、経営危機に陥ったところに、コロナのために郵便投票を行う有権者が半数近くになるとみられており、不在投票者へ投票用紙を送るのに遅れが生じて、開票が大混乱するといわれている。
11月3日後に郵送投票が届くと無効票となるが、UPSが人員を大幅に削減してお り、期日後に大量に届くと危まれている。不正投票も増加しよう。
トランプ大統領は郵便投票が混乱を招くといって強く反対して、民主党と対立してい る。
4年前の大統領選挙も、接戦だった。11月3日に開票が始まっても、勝敗が判然とせずに縺(もつ)れ込んで、大統領就任式の1月20日が過ぎても、2月か3月まで紛糾する可能性があろう。
すると、中国がアメリカの中枢が麻痺するのに乗じて、尖閣諸島か、台湾の離島を攻 撃することが恐れられている。
中国はトランプ政権によって締めつけられ、追い詰められているために、国民の支持をえるために、火事場泥棒のように、日本か、台湾から離島を奪って、喝采させたい。
中国は尖閣諸島か、台湾の離島を占領すれば、アメリカに一泡吹かせることができる。
中国はここ数年、いっそう傍若無人に振る舞っている。ブータン、ネパール、中央アジアのタジキスタンの辺境を奪っている。
習近平主席が「中印関係はかつてない密接な新時代に入った」と演説した直後に、人民解放軍が7月から8月にかけてインドのヒマラヤ・ラダク地方を2度にわたって襲っ て、インド軍に多数の死傷者がでた。
アメリカ占領軍が強要した現行憲法が、日本の安全と独立を「平和を愛する諸国民の 公正と信義を信頼して」(憲法前文)委ねると定めて、この国を夢遊病者にしている。
口だけで平和を容易に唱えるのは、簡単だ。
今後、国際情勢がいっそう流動的なものになろう。いつまでアメリカに依存できるか、分からない。
平和を守る実践がともなわなければ、日本が滅びてしまおう。
国民の一人ひとりが、日本の経営者として、責任感を持たなければならない。心が現実をつくる日常生活の場と、変わらない。一刻も早く欠陥憲法を改正して、この国の幸せを守らなければならない。
西郷隆盛が「彼(か)(今日なら中国)の強大に畏縮し、円滑を主として曲(ま)いて彼 の意に順従(言いなりになる)する時は軽侮を招き、好親かえって破れ、終(つい)に彼 の制(支配)を受ける」(『西郷南洲翁遺訓』)と、警告している。幕末、明治に戻って、独立国の気概を取り戻そう。
アジアを先導する日印の“和”の精神
Date : 2020/9/9 (Wed)
武漢(ウーハン)で発生した新型コロナウイルスの感染が全世界に拡がるなかで、中国が傍若無人に振舞うために、アメリカや、ヨーロッパをはじめとする諸国で、中国を遠ざける「チャイナ・ディスタンス」が、合い言葉となっている。
人と人の間隔をとるソシアル・ディスタンス(社会的距離)を、言い換えたものだ。
国際的な“村八分”だ。このような流れのなかで、インドが中国に代わるアジアの超大国として、認識されるようになっている。
これまで、インドは人口で中国に次いできた。中国は習近平政権になってから、“一人っ子政策”が少子高齢化をもたらしたために撤回したが、インドが2020年代中に中国を追い越して、世界最大の人口をもつことになる。
インドは毛沢東政権の中国が、1950年代にチベット、ウィグル(現・新疆ウィグ ル自治区)を侵略して中国領としたために、中国と国境を接するようになった。
狡猾な周恩来首相が「平和五原則」を唱えたのに、すっかり騙されて油断したところを、1962年に人民解放軍に急襲されて、九州ほどの面積がある領土を奪われた。そのうえ中国が、インドの天敵であるパキスタンと結んできたために、インドにとって中 国は宿敵となった。
私は1980年代に入ってから、インドに通って、インド政府、軍と親しくしてきた。
アメリカがソ連と対決するために、パキスタンが一員だった南東アジア条約機構(SEATO)と同盟関係にあったために、インドはソ連と結ばざるをえず、日印関係は疎 遠になっていた。私は日本とインドが手を携えてアジアを導くべきだと、信じてきた。
それなのに、日本ではインドは“知られざる国”である。インドは中国と並ぶ古い歴史を、持っている。
だが、中国とまったく異なっている。日本と同じ、平和な“和”の文明である。インドを理解するためには、インド神話の壮大な古代叙事詩である、『マハーバーラタ』を 知らなければならない。口伝で伝えられて、紀元前4世紀になって成立したといわれる。日本の『古事記』に当たるものだ。
もちろん、仏教はインドで発祥した。仏教は古代のバラモン・ヒンズー教のコピペのようなものであって、今日でもほとんどの仏教語が、古代インドのサンスクリット語の 音写語である。
日本人なら中国の行動様式を知るために、『孫子』をよく知っている。
今日でも、インド外交の鋳型をつくっているのは、前4世紀の名宰相であったカウティリアによる、“カウティリアの実利論”といわれる、『アルタシャーストラ』である。
アウティリアは、アレキサンダー大王がインドに残したギリシア軍を破り、ナンダ朝 を倒してマウリア朝を創立したチャンドラグァタ王の名参謀であり、後に首相となった。
インドは、中国の集権思想である儒教にもとづく中華主義と違って、自国を世界の中心だとして他国を見下すことがない。日本のように国外の文化を尊重する。
私たちはヒンズー教の分派である仏教を通じて、インド人と同じ精神的な波長をもっている。
『アルタシャーストラ』は、外交の駆け引きや、術策を説いているが、基本は平和主 義である。いまでも、カウティリアはインド人の潜在意識のなかで、生きている。
インドは多様であるが、民主主義国家である。日本と同じ価値観を、分かち合っている。
インドが中国を凌ぐ超大国となる。日印の兄弟関係を築きたいと思う。
インド神話について、『マハーバーラタ入門』(勉誠出版、2019年、1800 円)という、手軽で、格好な手引き書があるので、おすすめしたい。
現行憲法では、わが国の領土「尖閣諸島」は守れない
Date : 2020/09/8 (Tue)
中国の重武装した海警船が、100日以上も尖閣諸島の接続海域を、我物顔に航行しているために、政府は危機感をたかぶらせている。
中国の共産政府は尖閣諸島を長いあいだにわたって、日本領だと認めて、中国の地図 にも記載していたのに、国連経済開発委員会がこの海域に石油が埋蔵されていると発表 すると、中国の固有の領土だと主張して、海警船や、武装漁民の漁船を送り込むように なった。
今年に入って、メイド・イン・武漢(ウーハン)のコロナウィルスが世界の関心を奪う ようになると、中国は中印ヒマラヤ国境でインド軍を襲撃し、南シナ海に不法に埋め立 てた7つの人工島を軍事基地化して、南シナ海の支配を急ぐかたわら、ベトナム、フィリピンなどの島々を脅かし、台湾に対する軍事威嚇を強めつつ、イギリスと国際条約に よって約束した香港の1国2制度を破棄して、事実上、併合した。傍若無人に振舞っている。
尖閣諸島が危い。尖閣諸島は沖縄県石垣市に属している。私は40年以上も、尖閣諸 島最大の魚釣島に陸上自衛隊1ヶ中隊を常駐させることを主張してきたが、政府は「中 国を刺激してはならない」といって、石垣市職員も含めて、日本国民が上陸することを 禁じている。
私は年2回、ワシントンに通っているが、ホワイトハウスの国家安全会議(NSC) や、国防省の幹部が、「なぜ、日本国民の上陸を禁じているのか、理解できない」という。私にも理解できないから、答えようがない。
私は5年前まで海上保安庁の政策顧問を、つとめていた。自衛隊の部隊を置けないの なら、海上保安官を常駐させられないのか。
南鳥島は本州から1800キロ離れた、太平洋にポツンと浮ぶ、小さな島だ。ここには、海上自衛隊の派遣隊が12人常駐している。なぜ、南鳥島に自衛隊を置いているのに、尖閣諸島に海上保安官を常駐させられないのか。
現行の「平和憲法」が、日本を骨抜きにして、腰抜けの国家に変えている。いまでも 政府は「外国に脅威を与えない、必要最小限度の防衛力を保有する」といっているが、 いったい日本の領土である魚釣島に、自衛隊の小部隊を置くことが、外国に脅威を与えることになるのだろうか。
古代ギリシアの都市国家だったアテネは、オリンピックの発祥の地だが、その富のために、しばしば周辺の諸国から脅かされた。
デモステネスはアテネの名将で、優れた戦略家として、歴史に名を刻んでいる。
デモステネスは紀元前353年に著わした書のなかで、「民主国家のなかでは強者も 弱者もその権利を、法律によって守られている。だが、国際関係では法は無力だ。強い 者が弱い者を、屈服させる。国内では法が正義であるのに対して、国際社会では武力が 正義を定義する」と述べて、「口先だけで平和を愛すると唱える者は、平和と人民の敵 として怖れなければならない」と、断じている。
そうデモステネスが警告してから、2373年の歳月がたっているが、残念なことに、人類社会の基本は変わってない。
現行憲法のもとで、「必要最小限度の防衛力を整備する」というが、護憲派の善男善 女は家族がコロナウィルスに感染した時に、病院に「必要最小限度の医療をお願いしま す」と、頼むものだろうか。
現行憲法は日本を外国から侵略を誘う、怯懦な国家としている。改憲を急ごう。
いま、大学の将来が大きく揺らいでいる。
Date : 2020/09/2 (Wed)
私は教育問題に、深い関心を寄せてきた。これまで拓殖大学、鈴鹿国際大学客員教授、東京国際大学特命教授をつとめてきた。
アメリカでは、コロナウイルスの感染拡大がとまらないなかで、5月から「ブラック・ライブス・マター」(黒人の生命を守れ)を求める抗議デモがひろがっているわきで、大学制度の存続が問われるようになっている。
もっとも、コロナによるパンデミックに襲われる以前から、アメリカでは大学や大学院を中心とする高等教育に対する信頼が揺らいでいた。コロナの襲来によって、大学に対する批判が加速されている。
6月に、トランプ大統領が「連邦政府の職員採用に当たって、学歴より能力を重視する」と述べた。
大学のなかでも、この十数年、経営学修士号(MBA)を授与してきた、著名なビジネススクールに対する風当たりが、強まっていた。20世紀末から金融が製造業を凌ぎ、さらに情報産業が首座を占めて、産業構造が激変した。ビジネススクールで教えてきた知識が老朽化して、権威が褪(あ)せた。
時代が求める教育とは
このような流れのなかで、ビジネススクールを志望する学生が減っている。学位が職場で役に立たない。
アメリカの4大会計事務所のアーネスト・アンド・ヤング社は、MBA保持者の最大の雇傭主だったが、ビジネススクールと協力して独自の経営学の教科を創設して、証書を授与するようになっている。
高等教育の質が低下したというより、時代遅れになっている。
といって、大学が無用になったわけではない。大学が古い殻を破って再生することが、求められている。高等教育の形とビジネスモデルが、変革を強いられている。
デジタル技術によって電話交換手が不要になり、オンライン予約が旅行代理業から顧客を奪った。高等教育の分野でも、同じことが起ろう。
9月の大学入学期を前にして、すでに全米で学費の値くずれが起っている。
今日の大学の形が生まれたのは、中世のヨーロッパだが、それ以来、基本的な形が変わっていない。
コロナウイルスによるロックダウン(外出禁止)によって、オンライン、あるいはリモート・ティーチングが行われているために、大学のありかたが見直されている。学生が登校せずに、自宅でオンラインによって講義を受けるようになってから、授業料を値下げすべきという要求があがっている。
リモート・ティーチングが普及して、パッケージとして商品化すると、はるかに安い費用で学ぶことができる。高等教育が価格破壊の高波によって、洗われるようになろう。日本でも、大学の授業料は高い。
ディスタンス・ラーニングとも呼ばれているが、パッケージをダウンロードして学ぶようになれば、なぜ、大学に高い学費を納めなければならないのか。
これからは、おそらく既存の大学とオンライン・ラーニングのハイブリッドのような形になるのだろう。
スタンフォード、エール、MIT、ハーバード、オクスフォードなどの多くの大学が、1500以上にのぼる広い分野にわたって、無料のオンライン・コースを提供している (http://www.openculture.com/freeonlinecourses.)。有料で免状も取得できる。
リモート教育の欠陥
もっとも、リモート教育には欠陥がある。
教室であれば、学生たちの表情を見ながら、講義を進められる。ズームは一方的に伝えることができても、会話ができないのと同じことだ。私たちは幼時から相手の顔を見ながら、話す訓練を受けてきた。オンラインは鏡に向かって自分の顔を見ながら、話すようなものだ。
教育は「教える」「育てる」という、2つの言葉から成り立っている。オンライン教育は同時に、数百、数千人を教えることができる。教員が精緻に組み立てられたロボットでもよいが、学生を育てることができない。
今日の大多数の大学教授は、知識のみによって採用されているから、教えることができても、育てることができない。個性のない教授ばかりだから、個性がない学生ばかりだ。
学生が共に学ぶことによって補完しあい、競うことによって、力を磨くことができる。オンラインではテレビを観ているように、気が散漫になって、集中することが困難だ。
6月にアメリカで発表された調査では、ロックダウン中にオンラインで学んだ学生の75%が、強い不満を表わしている。
豊かさが大学の数のインフレを招いた
アメリカでは1950年代から、豊かな社会が到来したために、大学の数が爆発したように増え、その後も増え続けた。
私は1970年代から、シカゴ大学、ペンシルバニア大学、オレゴン州ポートランドのルイス・アンド・クラーク大学(カレッジ)から、講師として招聘されたので、アメリカにおける大学教育に関心をもった。
ルイス・アンド・クラーク大学は西海岸の名門校だが、私が敬愛する松岡洋右氏(満鉄総裁、外相)の出身校であるオレゴン大学法学部を吸収していた。松岡氏が幼時に渡米して、苦学力行したことを偲んだ。
1965年に、アメリカの公立大学の学生は397万人を数えたが、それから僅か10年以内の1975年に、883万人に2倍以上に増えた。
カリフォルニア大学はマンモス校として知られるが、1958年にはロスアンジェルスとバークレイの2つのキャンパスしかなかったのに、1965年までにサンタバーバラ、デイビス、リバーサイド、サンディエゴ、サンタクルス、アービンの八つのキャンパスに拡がった。
大学の急増は学生のレベルダウンをもたらした
大学の数が急増して、質から量の時代に入ったために、大量の“俄か教授”が誕生した。
日本においても、大学の数のインフレが進んだ。その結果、貨幣経済のインフレによって貨幣価値が下落するのと同じように、教員、学生の質が低下した。
この春に、私の親しい友人が、男性の孫を連れてきた。青年は緊張して固くなっていたが、東京の6大学の3年生で、私から企業に推薦してほしいということだった。
私は手渡された履歴書に目を通して、愕いた。長所の欄に「優柔不断」と、書かれていた。どういう意味かたずねたら、「優れており、柔軟で、不断の決意をもって物事に当たる」と、説明した。
遊び心からそう解釈したのだったら、見所があると思って感心しかけたが、本人は真面目だった。
そのうえ、誤字が多かった。さらに質問すると、当然のように「新聞も本も読みません」といった。クラスメートたちも、新聞、本を読まないということだった。新聞は読まなくてもよいし、いや、読まないほうがよいが、古来から学習と読書は一体のものだ。
英語や、外国語にも、関心がなかった。書く力も、読解力もない。戦前であればいうまでもなく、50年前であったら、大学生として通用しなかった。
人格の向上を求める
多くの高校や大学の教員が教えることに終始して、学生を育てる使命感を喪失しているのだろう。青少年に人として使命感を植えつけることが、家庭と学校の役割であるはずだ。
貧しかったころは人間が主役であったのに、豊かな社会が到来すると、安楽な生活のみ追い求めて、人にかわって金銭が主役となったために、大学が営利企業になった。
平成に入ってから、日本が活力を失って「失われた30年」とか、「第2の敗戦」と呼ばれるようになったのは、大学が劣化したからではないか。
日本を守る⑤ バイデン大統領なら米国は左傾化
Date : 2020/08/17 (Mon)
バイデン大統領が実現したら、米国は左傾化することになる。
なぜ、民主党が77歳になる“アルツハイマー老人”を担ぐことに、なったのだろうか?
今年はじめの民主党の大統領候補を選ぶ、全米にわたる党集会で、社会主義者を自任するバニー・サンダース議員が、国民皆健康保険、大企業に対する増税、国防費の大幅削減、大学教育の無料化など、米国を北ヨーロッパ型の福祉国家にすることを看板として掲げて、広い支持を集めた。
民主党の上層部は、トランプ大統領を敵とするより、サンダース議員を最大の脅威としてみて、「サンダース阻止」に全力をあげた。
予備選挙ではバイデン氏は下位にいたが、鎬(しのぎ)を削っていた候補たちがレースから降りて、人畜無害で、オバマ政権の副大統領だったバイデン氏を担いだ。
ところが、民主党はサンダース議員の支持票を確保するために、大統領選挙の公約にサンダース路線を取り組むことを強いられて、左へ傾くようになっている。今年に入ってから下院議員補欠選挙、州などの地方選挙で、サンダース派が多数選出されている。
サンダース議員は旧ソ連時代のソ連や、キューバのシンパとして知られた。
民主党はもともと労働者の党であってきたのに、ウォール街の大企業や、多国籍企業に奉仕する、カネまみれのグローバリズムの党となっていた。
民主党政権が復活した場合に、時間とともに「中国総スカン」が水で薄められて、グローバリズムが力を盛りかえして、中国と「共存」しようとなる可能性が高い。
民主党は公約では、「ヨーロッパ、日本などの同盟諸国を重視する」といいながら、土台をサンダース支持者という白蟻によって蝕まれて、内に籠るようになろう。
世界の主要な国のなかで、米国の大統領選挙について、日本ほど一喜一憂する国はない。
戦後、米国によって下賜された“日本国憲法”を、73年にわたって頑なに奉(たてまつ)って、国防を米国にすべて委ねてきたが、国民の多数を占める護憲派が、米国を信じて、隷属することを選んできたからである。
日本の経済規模の半分しかない英国か、フランス並みに、核ミサイルを積んだ原潜か、空母を持っていれば、米大統領選に狼狽(うろたえ)ることはないはずだ。
日本を守る④ 77歳バイデン氏の弱点 「認知症」疑惑、セクハラ告発、札付き息子
Date : 2020/08/17 (Mon)
11月3日に、ジョー・バイデン前副大統領が当選したら、超大国アメリカに認知症(アルツハイマー)の大統領が出現することになる。
世界のアルツハイマー患者にとって励みとなろうが、ホワイトハウスがアニメハウスとなろう。
すると、日本はこれまでのように米国を生命綱として縋ることができなくなって、慌てて自立することを強いられるが、時間がない。
バイデン氏は大統領に就任すると、78歳なるから、自ら「4年1期しかつとめない」といっている。そして女性票をとるために、女性を副大統領候補に登用することを、明らかにしている。そして「ブラック・ライブス・マター(黒人の生命を守れ)」の抗議デモが、進歩的な白人も含めて全米にひろがっているのに便乗して、黒人女性を選ぶとみられる。
バイデン氏が大統領となったら、認知症が進んで、任期中途で辞任するかもしれない。黒人女性を選んだら、米国ではじめて黒人奴隷の曽(ひ)孫の大統領が誕生することになる。
オバマ大統領は、アフリカのケニア人を父、白人を母としたから、別格だった。奴隷の曽孫となると、アメリカを「ホワイト・スーパーパワー(白人の超大国)」として見立てまい。よくとも悪くとも、白人は世界に対して責任を負っていると考えるが、黒人たちにそういう意識はない。
選挙は水物だから、断言するのは難しいが、私はトランプ大統領が辛勝すると思う。
選挙戦が本格化したら、バイデン氏がボロボロ、失言する可能性が高くなる。バイデン氏にとって、これまでコロナウイルスの大規模感染が政治集会をタブーにして、自宅の地下室のスタジオからテレプリンターを読みながら演説をすることを強いられたのは、拾い物になった。
バイデン氏は、元女性秘書から10年前以上にスカートのなかに手を入れた、セクハラで訴えられているが、息子のハンター・バイデン氏という、臑(すね)に大きな疵(きず)を持っている。
ハンター氏は父が8年間にわたって副大統領をつとめた時に、コンサルタントとして中国、ウクライナ政府から多額のカネを貰っていた“マネー・ハンター”として、ワシントンで有名だった。
トランプ陣営は大統領選が本格化するまで、隠し玉として温めている。
日本を守る③ 優勢バイデン氏「認知症」疑惑
Date : 2020/08/17 (Mon)
11月3日の米国大統領選挙という時限爆弾が、チクタク時を刻む音が、太平洋の対岸から響いてくる。
共和党のドナルド・トランプ大統領に挑戦する、民主党のジョー・バイデン前副大統領の、いったい、どちらが勝つことになるのだろうか?
この数か月の米国の世論調査では、バイデン氏がトランプ大統領を引き離している。
もし、トランプ大統領が破れたら、米国の対中政策がどう変わるのだろうか? トランプ政権のように、日本を重視しなくなるのだろうか?
中国については、共和、民主両党とも、中国の鼻っ柱をヘシ折らなければならない、ということで一致している。
オバマ大統領は、バイデン副大統領とともに、中国を巨大市場とみて甘やかしてきたが、習近平ピノキオが米国が力を衰えさせたと誤算して、やりたい放題に振舞うのに対して、米国民の堪忍袋の緒が切れたために、バイデン氏もトランプ大統領と「アンチ・チャイナ(反中国)」を競うようになっている。
バイデン氏はコロナの大感染によって選挙集会を開けないために、自宅の地下室につくったスタジオからテレ演説を行っているが、習近平中国主席を「thug(サッグ――大悪党、大暴漢)」と呼ぶようになっている。
私は4年前にも、トランプ氏が大統領選挙で勝つことを予想した。それには、2つの理由がある。
8月に入ってから、民主党というと、ネバー(反)トランプ陣営の代弁新聞の『ニューヨーク・タイムズ』紙が、大統領選挙の恒例となっている、両候補の一騎打ちであるテレビ討論会を、中止するべきだと主張した。
77歳になるバイデン氏は、かなりひどいアルツハイマー(認知症)を患っている。3月のはじめの火曜日に、13州で民主党大統領候補を選ぶ集会がいっせいに行われるスーパー・チューズデイが開かれたが、「いま、私は上院議員選挙に挑戦している」と述べ、他の会場では、「今世紀に入ってから、1億2000万人の米国民が銃によって死んだ」「私が大統領となったら、7億5000万人の働く女性を応援する」といった。米国の人口は、3億2000万人だ。
もう一つは、副大統領時代に息子のハンター氏が中国からコンサルタントとして、多額のカネを貰っていた疑惑だ。
日本を守る② 欧米で広がる「チャイナ・ディスタンス」
Date : 2020/08/17 (Mon)
トランプ政権のポンペイオ国務長官が、カリフォルニアのニクソン大統領記念館を舞台として選んで、中国を痛烈にこき下ろす演説を行ったのは、まさに象徴的だった。
私がポンペイオ演説のなかでもっとも注目したのは、「アメリカの対中政策はオバマ政権に至るまで、惨憺たる失敗だった」と述べたところだった。アメリカが中国を甘やかしたために、今日の中国という巨大な妖怪をつくりだしたというのだ。
第二次大戦後の米中関係が始まったのは、1972年にニクソン大統領が北京を訪問して、全世界を驚かせた時に始まった。そこで、ニクソン記念館を選んだのだった。
日本にも中国という妖怪をつくりだした、大きな責任がある。
私はそれなのに日本の大手テレビが、ヒューストンの中国総領事館の閉鎖と、ポンペイオ演説を報道した時に、「米中の覇権争いが激化している」と解説していたのを聞いて、吃驚(びっくり)した。
いったい日本はアメリカと、中国のどっちの味方なのだろうかと、訝(いぶか)った。覇権は「権謀をもって獲得する権力」という悪い言葉で、米中をともに悪役としてみたてている。高見の見物をしている。
習近平主席は身から出た錆(さび)、自業自得だが、追い詰められている。
いまや、中国はアメリカでも、ヨーロッパでも“村八分”にされている。
武漢(ウーハン)ウイルスが世界中にバラ撒かれてから、日本でも人と人との社会的距離(ソシアル・ディスタンス)をとるようになっているが、アメリカでも、ヨーロッパでも投資や、経済、技術移転について、中国と縁をぶち切ろうというチャイナ・ディスタンスが、合い言葉となっている。
習主席は日本から尖閣諸島を奪うことによって、アメリカにひと泡(あわ)吹かせて、中国国民の喝采を浴びようとするだろうか。
台湾を攻撃するかと、危惧されている。中国は3年前に、世界ではじめて遠い月の裏面に無人探査機を着陸させたが、人民解放軍に幅180キロの台湾海峡を渡る能力はあるまい。失敗すれば、習政権の生命(いのち)取りになろう。
そのかわりに、台湾が南シナ海に実効支配している、小島の太平島を攻撃して奪取する可能性がある。ここには台湾軍の守備隊約200人が、駐留している。
日本を守る① 習近平 台湾、尖閣攻撃 国内支持獲得へ
Date : 2020/08/17 (Mon)
任期をあと2ヶ月あまり残した、トランプ政権が中国共産政権の打倒へ向けて、アクセルをいっぱいにふかしている。
7月にトランプ政権が、テキサス州ヒューストンの中国総領事館の閉鎖を命じた翌日、ポンペイオ国務長官がカリフォルニアのニクソン大統領記念館を訪れて、「このまま中国を放置しておけば、自由世界が滅びる。世界はどちらかを選ばねばならない」という意味の、衝撃的な演説を行った。
といって驚くことはない。トランプ政権は昨年、ペンス副大統領が中国の覇権主義を、歯に衣(ころも)を着せずに糾弾したのをはじめ、容赦せずに中国を追い詰めてきた。中国めがけて、5ノ矢、6ノ矢と、つぎつぎと矢を放ってきた。
これは、習近平主席が招いたことだ。習主席はアメリカが力を弱めていると誤算して、舞いあがって、南シナ海の内海化を進め、周辺諸国を脅かすかたわら、ヨーロッパまで勢力圏に組み入れる、中国製シルクロードである一帯一路戦略を強行してきた。
習主席はことあるごとに、自信満々と「中国共産党は中華民族の偉大な復興を成し遂げた」と演説し、「軍事闘争の準備を最重要視する方針を堅持する」と、訴えてきた。
私は2年前の12月に、本誌の連載のなかで「トランプ政権の真意は、中国共産党体制を打倒することだ」と、書いた。かつてレーガン政権が、ソ連を1992年に崩壊させたように、共産中国を倒すことを目論んでいる。
そして、私はさらに「米中対決の主役は、中国にハイテクノロジー(先端技術)が流出するのを断ち切ることだ」と、書いた。
私の予想通りに、アメリカ“白頭鷲”と中国“暴れ龍”の決闘が最終ラウンドを迎えた。
習主席は共産中国の歴代の指導者のなかで、もっとも愚かな最高権力者だ。
中国にアメリカと渡りあう力がない。絶望的だ。中国はハイテクの背骨である、半導体製造装置を国外に頼っている。アメリカ、日本が80%以上を占め、オランダなどがつづいている。中国には5Gの半導体を設計する、能力もない。
中国古代の漢籍に、「虎ノ背ヲ駆ル者ハ、降リルコトガデキナイ」という戒めがある。虎の背から振り落とされてしまったら、喰い殺される。
そこで国内の支持をとりつけるために、台湾か、尖閣諸島を攻撃するといわれている。
人種差別問題に揺れるアメリカ社会の闇
Date : 2020/08/07 (Fri)
アメリカ全国の都市で、「ブラック・ライブス・マター」(黒人の生命(いのち)を守れ)という、抗議デモが盛りあがっている。
5月にミネソタ州で数人の白人警官が黒人の容疑者を取りおさえる時に、窒息死させたことが発端となったが、イギリス、フランスなどにも飛び火している。
アメリカ各地で奴隷制の支持者や、奴隷の所有者、奴隷貿易で財をなした歴史上の人物の銅像が引き降ろされて、撤去されている。
アメリカの3大名門大学は、ハーバード、エール、プリンストンといわれるが、私が留学したエールは創立者が奴隷商人だとか、プリンストンのウィルソン研究所は第1次大戦時のウィルソン大統領が人種差別主義者だったことから、改名する圧力が高まっている。
首都ワシントンも、初代ワシントン大統領が数百人の奴隷を所有していたことから、名を変えるべきだという声があがっている。
アメリカが溶解しつつあるのだろうか?
トランプ大統領は歴史的な名前を改めたり、銅像の撤去に反対している。11月の大統領選挙で、民主党の大統領候補のバイデン前副大統領が勝ったら、どうなるだろうか?
日本はどうだろうか? 私は有斐閣の『六法全書』を持っているが、日本国憲法の扉のページに、独立宣言文を起草したトマス・ジェファーソンによる『アメリカ独立宣言文』が、初版から今日まで掲げられている。
編著だった我妻栄、宮沢俊義東京大学教授が占領軍の木偶(でく)で、黒人を蔑視していたためだが、ジェファーソンは多くの奴隷を所有し、奴隷の悲鳴を聞きながら、独立宣言文を書いたのだった。『六法全書』から削りたい。
パリでも市民が連日のようにパリ最大の共和国広場を埋めて、「人種差別反対」を叫んでいる。共和国広場といえば、残虐きわまりなかったフランス革命で、無辜のマリー・アントアネット妃がギロチンによって、市民が歓声をあげるなかで処刑された場だ。
今から101年前を振り返りたい。パリにおいて第1次大戦に勝った連合国が、敗れたドイツを裁くパリ会議が行われた。日本は連合国の一員だった。
アメリカのウィルソン大統領が議長だった。戦後の国際秩序を守るために、国際連盟が創設されることになり、日本全権団が連盟規約に「人種平等条項」を加えるように提案した。日本案に11ヶ国の小国が賛成し、アメリカ、フランス、イギリスなど植民地帝国の5ヶ国が反対し、多数決で採択されようとした。
ところが、ウィルソン議長が「このような重要な決定は、全会一致でなければ認められない」といって、日本案を葬った。
日本全権団は、今日、共和国広場を埋めた同じパリ市民から、罵声を浴びせられた。
アメリカが奴隷制度を廃止したのは、明治元年の5年前だった。フランスが奴隷制度を廃止したのは、1848年だ。フランスはアフリカに多くの植民地を持ち、アメリカへ奴隷を輸出して巨額を儲けた。ボルドー港が奴隷貿易の中心だった。私はボルドーのワインを飲みたくない。
アメリカの黒人の1人ひとりが、奴隷だった証しの生きた銅像だ。アフリカの黒人の肌が黒いのに対して、アメリカでは褐色をしている。奴隷の女性たちが白人の所有者によって、性的に弄(もてあそ)ばれたからだ。
日本は中国、朝鮮半島と異なって、歴史を通じて奴隷が存在しなかった珍しい文化だ。
初代神武天皇が橿原において即位された時に、「六合(くにのうち)(天地)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)(世界)をおおいて宇(いえ)(一つの家)とせむ」という、人種平等の詔勅を発せられている。
今日、人種平等が人類の規範となったのは、日本が先の大戦で大きな犠牲を払って、数百年も白人の苛酷な支配に喘いだアジアを解放し、その高波がアフリカも洗ったからだった。
日本は世界の光だった。私たちは大いに誇りたい
拉致被害者は現行憲法の犠牲者だ!
Date : 2020/08/04 (Tue)
横田滋氏が、87歳で亡くなった。
愛娘のめぐみさんが自宅の近くの海岸から、北朝鮮の工作員によって拉致されてから、43年ものむごい歳月が流れている。
滋氏はめぐみさんが北朝鮮によって拉致されることがなかったら、幸せな家族に囲まれて、米寿を祝っていたことだろう。めぐみさんを救う戦いによって、寿命を縮められたのだった。
滋氏は早紀江夫人と、都心のわが家に来られたこともあった。私も微力だが、拉致被害者の救出運動を手伝ってきた。
滋氏の逝去は大手新聞・テレビによって、大きく報じられた。
ところが、どの新聞社、テレビ局も、めぐみさんをはじめとする北朝鮮によって拉致された国民が、現行の日本国憲法の被害者だという事実に、一言も触れることがなかった。
たしかに北朝鮮は、極悪で、無法、非道な国家だ。
ところが、日本国憲法は日本国の安全を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねることを定めているから、日本国民に北朝鮮も、いま、日本から尖閣諸島を奪おうとしている中国も、“平和を愛好する諸国”だという妄想に、浸ることを強いてきた。
北朝鮮はめぐみさんを日本の国土から誘拐した時には、経済が破綻した、みすぼらしい小国でしかなかった。
もし、日本が昭和27(1952)年に、対日講和条約によって独立を回復した後に、アメリカ占領軍によって強要された日本国“偽”憲法を改正して、せめてイギリス、フランス程度の軍事力を整備していたとすれば、北朝鮮というみすぼらしい国によって、多数の日本国民が、国土から拉致されることはありえなかった。
今日、イギリスとフランスは、それぞれ、日本のGDP(経済規模)の半分しかないが、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦、航空母艦を保有し、国益を守るために、しばしば軍を海外に派遣して戦ってきた。
日本はめぐみさんが日本海の海岸から、北朝鮮の諜報機関によって攫われた時に、イギリスか、フランスの経済規模を上回る経済大国となっていた。
日本国民が北朝鮮によって拉致されたことを、専門筋が明らかにした後にも、日本社会党をはじめとする護憲政党や、大手メディアは、「そのような事実はない」といって、北朝鮮を庇(かば)っていたものだった。
拉致被害者と、そのために毎日、悲嘆に暮れている家族は、日本国憲法と護憲派の犠牲者だ。なぜ、マスコミはこの事実に、口を閉じてきたのだろうか。
私は声を大きくして、いいたい。めぐみさんは、日本国憲法の犠牲者だ。
護憲派も、北朝鮮による日本国民の拉致に、手を貸してきた。
今日、多くの心ある国民が拉致被害者を救出する運動の青いバッジを、胸につけている。
横田夫妻に同情するシンボルマークだ。しかし、青いバッジを胸につけることで、満足してよいのだろうか。
滋氏の死に当たって、マスコミが大きく報じた。だが、“お涙頂戴”で終えてよいものだろうか。
私たちはその流す涙を集めて、墨をすって、国民の命と生活を守ることができる日本の憲法を、書かねばならない。
パンデミックは人類に曲り角を強いる
Date : 2020/07/31 (Fri)
5月末に、政府が非常事態宣言を解除した。
といって降伏式典が行われて、ウイルスが降伏文書に調印したわけでないから、戦いに勝ったのではない。
自粛を続けると経済が崩壊するから、国民生活と両天秤にかけねばならない。
トランプ大統領、フランスのマクロン大統領が、コロナウイルスによるパンデミック(大流行)を「戦争だ」と述べた。私もそう思う。
パンデミックと戦争は共通している。戦争に当たっては、戦費に糸目をつけない。
政府は国民1人ひとりに10万円を給付することを決定したが、あまりに少額だ。
戦争だと考えれば、外出自粛によって自宅に閉じこもる人々は、感染拡大の防止に大きく貢献しているから、最前線で戦う兵士と変わらない。
勝利へ向けて、全力をあげねばならない。コロナとの戦いも、同じことだ。
最前線に兵器糧食を迅速に供給しなければならない。7月になっても、10万円が届いていない世帯が多い。持続化のための融資も、政府から曾曾孫(ひひまご)請けした民間会社にまかせたせいなのか、経済を支えている多くの弱小企業の救済に間に合わない。苦戦している部隊に弾薬を送るのに、煩雑な手続きを必要とするようなものだ。
おカネがなければ刷りなさい
戦争は帳尻を問題にしない。コロナウイルスによる危機を乗り切るために、200兆、300兆円をさらに投入するのを躊躇してならない。
そうすれば、経済の力強いV字型回復をもたらすことになろう。
そういうと、政府が国債を発行して借金が野放図に膨張すると、財政が破綻して国債の償還すらできなくなるというだろう。
国が収入以上に消費すれば、借金が脹れる。読者の多くが、質実な家庭であれば支出を収入の範囲内に抑えると、心配しよう。
5月に産経新聞が「カネがなければ刷りなさい」という、5段にわたる記事を掲載した。
日本国民の財布やポケットには、かならず2種類の通貨が入っている。
1つは日銀券だ。大事なお金なのに案外知られていないが、もう1つは政府貨幣と呼ばれている。
通貨について、『通貨の単位並びに貨幣の発行等に関する法律』がある。政府が閣議によって決定すれば、天井知らずで百兆円、数千兆円と発行できる。
政府貨幣は、これまでのところ1円から、昭和天皇御在位60年記念の10万円金貨まで、硬貨に限られているが、紙幣でも、貝殻でも、石貨でもよい。
政府貨幣は政府の収入となる。国債を発行すると政府の借金となって、償還と利払いが発生する。デフレの時に、その範囲内で政府貨幣を発行しても、インフレを招かない。
政府が新しい意匠の紙幣(たとえば、枯木に花を咲かせた花咲爺(はなさかじい)さん)を、発行する必要はない。政府が小切手を1枚きって、日本銀行に持ち込んで、日銀券に替えればよい。
政府貨幣を活用しよう
産経の記事は私の多年の戦友だった、政府貨幣を活用すべきだと説いた、丹羽春喜教授を取り上げて、「丹羽提言の検討を急げ」という小見出しを組んでいた。
1980年代に入ってから、宍戸駿太郎、丹羽両教授を中心にして、経済学者の有志を集めて、日本経済再生政策提言フォーラムを結成して、増税、国債によらずに、政府貨幣を発行するように提言した。宍戸氏は経済企画庁計量分析官をつとめ、退官後に筑波大学副学長、新潟国際大学学長となった。
宍戸氏がフォーラムの初代の会長となり、丹羽教授が継いだ。私が両教授のもとで理事長をつとめた。2人の敬愛する先輩を、野辺(のべ)に送ってしまった。
日本では平成の30年間が「失われた30年」とか、「第2の敗戦」と呼ばれているが、このあいだ世界経済の年間成長率が2%から3%だったのに、日本はゼロ成長に留まった。その後も、日本経済はデフレによって苦しめられた。
そのために日本は平成元年に、世界経済の17%を占めていた第2位の経済大国だったのに、平成30年に5.6%になって、第3位に転落した。このままゆけば、坂道を転げ落ちてゆこう。
コロナウイルスによる外出や、営業自粛によって消費が萎縮したために物価が下がり続けて、デフレが深刻なものとなっている。
いまこそ、政府が貨幣発行特権を行使して、巨大なデフレの穴を埋めるべきだ。
アメリカの生き抜く取組み
アメリカは3月に連邦議会が、政府が2兆ドル(約216兆円)を追加支出することを議決したが、コロナ危機を克服するために、さらにドルを刷っている。いまではMMT(モダン・マネタリー・シオリ―)と呼ばれており、アメリカが実践している。
コロナ危機がいつまで続くか、わからない。
私はコロナウイルスによるパンデミックの到来を、歓迎している。
そんなことをいうと、顰蹙(ひんしゅく)を買うにちがいない。
多くの人がウイルスに冒され、非正規労働者が収入を絶たれ、零細企業が倒産している。私もその1人となるかもしれないから、よく理解できる。
コロナ危機は、1929年に始まった世界大恐慌と並ぶものといわれる。
だが、危機を無駄にしてはならない。私たちのこれまでの生きかたに、正すべきところがあれば、改める好機としたい。
これまで14世紀にヨーロッパを襲って、ヨーロッパの人口の3分の1が死んだといわれる黒死病(ペストとされる)から、第2次世界大戦まで、世界が大きな危機に見舞われるたびに、社会のありかたが大きく改まった。
これまで世界は、人々の限りなく膨れあがる欲望を満たすことが、目標となってきた。目がまわるような速度で、息急(いきせ)切って疾走してきた。
外出自粛は息切れした人々に、立ち停まって、息を整えることを強いたと思う。欲望に駆られて驀進してきた社会が、スローダウンした。そうすることによって、周囲をあらためて眺めることができる。
コロナ危機が社会文化の変化をもたらす
コロナ危機が終息した後に、社会文化のありかたが大きく変わることとなろう。
どうなるのだろうか。テレワークが普及するかたわら、感染症の犠牲になる危険が高い人口密集地を避けて、地方の時代が本格化するのかもしれない。
テレワークは、よい意味で自己中心の社会をもたらそう。かえって働く人の創造力が高まり、生産性があがるのではないか。
数ヵ月にわたった外出自粛は、時間が停まったような異常な体験だった。社会が日常を取り戻した時に、長い眠りから覚めたか、浦島太郎が故郷に帰ったように感じられよう。
これから変化が加速して、早送りしたように変わってゆこう。
高齢化が進んで、これまでの性急な青年型の文化が、落着いた成人型の文化へ移ってゆこう。
欲望より必要を大事にしよう
私は欲望よりも、必要を大事にする社会が到来することを願っている。
これまでの欲望をみたすことを優先してきた社会は、人の心ではなく、数量によって動いてきた。人の精神が軽視されたために、歪(いびつ)な社会をつくっている。
技術と富があいなって、全世界にわたって人々の生活水準が向上した。そのかたわら、恵まれた階層と恵まれない階層に、所得格差が拡がっている。
これは資本主義が悪いわけではない。資本主義は共産主義のようなイデオロギーでも体制でもない。人の性(さが)から生まれたものだ。
つい7、80年、100年前まで、アメリカも、日本も、人類は貧しかった。そのために際限のない欲望に駆られて、ひたすら量を追求する社会をつくってきた。
だが、これから量よりも質を求める社会に、転換しなければならない。
後世に伝えたい政治家
Date : 2020/07/14 (Tue)
外交の評論など文筆によって生きていると、政治家と接する機会が多くなる。
秦野章氏とは東京知事選に立候補した時に、『秦野ビジョン』の一部を書いたことが、出会いだった。日大夜間部を卒業して警視総監をつとめた苦労人で、よくクラブに誘われた。演歌をうたうと、小節がきいて胸をうった。
中曽根内閣の法相になった。私はロッキード裁判を批判していた。いつものように秦野氏と午前1時ごろまで飲んだ席で、「ロッキード裁判について対談しましょう」と促した。
料亭で『文藝春秋』誌のために行ったが、秦野氏が「政治家に徳を求めるのは、八百屋で魚を求めるようなものだ」と発言して有名になった。同席した法務省の秘書官は下戸らしく盃をとらなかったが、しだいに蒼ざめた。
秦野氏は口癖のように、「今の世の中はあまり苦労する必要がないから、ヤワになったな。苦労せず成功する人もいるから、努力と正比例しない。でも、苦労はけっしてムダではないことだけは間違いない」といった。
田中角栄氏も忘れられない。私が27歳の時から盆暮れに、私のもとに木樽に入った新潟の漬物が届いて、面識がない田中氏が送り主となっていた。数年後に、田中氏の秘書と出会ったのでたずねたら、その年に私が『新潟日報』に連載を書いたのを読んで、送るように指示されたということだった。
私は田中首相が大新聞に煽られて、昭和47年に日中国交正常化を急いだのに、強く反対した。今日の歪んだ日中関係をつくった。
それでも、田中首相は私が主宰する会に出席してくれた。児玉誉士夫に会いたいと頼んだら、児玉氏がホテル・オークラまで来てくれて、昼食をとった。
中川一郎氏とは、国家観について意気投合した。このころの政治家は飾ることがない、野人が多かった。中川氏がわが家に寄ると、愚妻がつくる水割をつぎつぎと乾した。中川内閣が生まれたら、外務大臣になってくれという辞令を貰った。中川氏も土性骨があった。
中曽根康弘首相も、優しかった。私は首相特別顧問として、対米折衝を手助った。アメリカから親しい友人が来ると、短い時間会ってもらった。黒人のスチュアート全米大学評議会議長が、その1人だった。官邸の執務室で会った。すると、中曽根氏が「きのう、こんな俳句を詠みましたよ」といって披露した。
スチュアート氏が芭蕉を知っていると答えたところ、執務机まで誘って抽出してから、何枚か自分で描いた俳画の色紙を取り出して並べ、「1枚、差しあげます」といった。
それ以来、スチュアート氏は日本と中曽根総理の熱烈なファンとなった。
園田直官房長官(外相、厚相)、三原朝雄防衛庁長官、春日一幸民社党委員長をはじめ、親しかった政治家の姿が走馬灯のように浮ぶ。あのころの日本は、空気のなかに人情が微粒子のように飛んでいた。
中曽根蔦子夫人は甲斐甲斐しかった。官邸に遅く報告にゆくと、待っても首相が帰ってこない。すると夫人が大学ノートを持って「主人が戻っても疲れているでしようから、私から伝えます」といって、一言一句筆記した。
パンデミックは奇貨となるだろうか
Date : 2020/07/02 (Thu)
ようやく全国に外出自粛を強いていた、緊急事態宣言が解除された。
といっても、相手は疫病神(えやみがみ)だからまだ安心できない。しばらくはマスクを着用して、人々とのあいだの距離をとることになるのだろう。
武漢(ウーハン)ウィルスの大流行という奇禍によって、自宅と近くの事務所を往復して逼塞する日々を過していたが、自分の時間を落ち着いて持つことができたのは、珍しい財貨――奇貨というものだった。
予想もしなかったが、おとなになってから、はじめて長い休暇に恵まれたと思った。
インスラ、アウタルキア
2つの小さな島に似た、自宅と事務所に籠るうちに、英語で「孤立、隔離」を意味するアイソレーションの語源が、海外に留学した時に学んだラテン語の島の「インスラ」insulaであるのを思い出した。英語のアウタルキー(自給自足)の語源が、ラテン語の「アウタルキア」autarkiaだったと、頭に浮んだ。
自粛中は人出や、交通量が大きく減ったから、喧噪が失せて静かだった。
仕事や会合や、絶え間ない都会の騒音によって、関心がつねに散らされて、自分をおろそかにしていたが、案じることから感覚まで自給自足するようになった。
自宅が表通りの裏の路地に面しているが、狭い庭に集まったスズメの囀りや、近くの皇居の森から飛んでくる野鳥が鳴きかわす声が、はっきりと聞えて嬉しい。
街が静かになったからだ。玄関を出入りする時に、家人が植えた花の甘い香りに気がついて、狼狽(うろ)たえた。喧騒のなかで視覚や聴覚を酷使していたために、五感が鈍ってしまったのだと思った。
つい、4、50年前までは、私たちは東京に住んでいても、自然が心身の一部になっていたから、自然を身近に感じたものだった。
だから樹木が芽をふくころに、屋根や緑を静かに濡らす雨は、春雨(はるさめ)だったし、5月に入ると五月雨(さみだれ)、秋から冬にかけて降る雨や、通り雨は時雨(しぐれ)といった。
春なら霞(かすみ)、秋は霧といったのに、いまでは環境が人工的になったためか、心が粗削(あらけず)りになってしまったためか、1年を通してただ霧としか呼ばない。
英語は季節感が乏しいので、霞も、霧もすべて「フォッグ」fogか、「ミスト」mistか、「ヘイズ」hazeであって、季節によって呼び分ける繊細さを欠いているから、味気ない。
自然との一体感
英語では、ヨーロッパ諸語も同じことだが、チェリー(桜)、ピーチ(桃)、プラム(スモモ)、オレンジというと、私たちはすぐに花を思い浮べるのに、心より胃袋が先にくるので、食用のさくらんぼ、桃、プラムの実や、オレンジの果実を連想する。こんなことにも、異文化に出会うとカルチャーショックとなって、眩暈(めまい)を覚える。
そこでチェリー・ブロッサムとか、ピーチ・ブロッサム、オレンジ・ブロッサムというように、あとにブロッサム(花)をつけないと、花として鑑賞する対象にならない。花より団子なのだ。
アメリカやヨーロッパで、邸宅や、高級レストランに招かれると、季節外れの同じ油絵が、1年中掛けられている。日本であれば、それぞれの季節に合わせて掛け軸をとりかえるのに、興を殺がれる。
『源氏物語』を読む
私は『源氏物語』、川端文学の優れた訳者として有名な、エドワード・サイデンステッカー教授と昵懇(じっこん)にしていた。
「サイデンさん」と呼んだが、下町をこよなく愛していたので、山の手で育った者として、下町文化のよい案内役をえた。永井荷風文学をよく理解できるようになった。
サイデンさんが米寿になった時に、拙宅において40人あまりの男女の友人が集まって、祝った。
全員で相談して、米寿の祝いに浅草で和傘を求めて贈った。洋傘が普及したために、残念なことに、幼い時に母がさしかけてくれた和傘の油紙を打つ、調子(ここち)よい雨の音が聞かれなくなった。
サイデンさんはその6年後に、東京で亡くなったが、生前愛していた上野池端の会館でお別れの会が催され、丸谷才一氏、ドナルド・キーン氏など、500人以上の親しかった人々が参集した。私が献杯の辞を述べた。
私は『源氏物語』を、サイデンさんの知遇をえるまで、製紙、香料の産業史の本として読んでいたが、サイデンさんの導きによって、王朝文学として親しむことができた。
香りは舞台回し
『源氏物語』には数えたことがないが、50種類あまりの紙が登場する。溜漉(ためす)きの紙は中国で発明されたが、源氏に「唐の紙はもろくて朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)を召して、心ことに清らかに漉かせ給へるに」(鈴虫)と、述べられている。
流し漉きの丈夫な和紙は日本で発明されたが、物語のなかで紙が重要な役割をつとめている。
さまざまな香り――薫香が、もう1つ物語の進行を取りしきっている。名香に、梅花香、侍従、黒方(くろぼう)、荷葉(かよう)、薫衣(くのえ)香、百歩香などという名がつけられているが、おそらく6、70種類の薫香が舞台回しのように出てくる。
香りはくらしに密着していた。屋内にくゆらしただけでなく、袖や、紙、扇に香りをたきしめた。それも、自分なりの芳しい香りを工夫して、四季にあわせて調合した。
今日の日本では、クラブのホステスや、名流婦人が、不粋なことに1年を通して同じ西洋香水をつけているのには、辟易させられる。大量生産された安いガラス瓶に、はいっている。
源氏の世界では自分だけの香の壺を、四季にあわせてもっていた。
香りは清めであり、人々ははかない香りに感傷を託して、宇宙の静寂を感じた。
西洋の香水は、今日、日本の家庭に普及している除臭剤とかわりがないが、源氏の世界の香りは、優美なものだった。
自然は静かだが、人間は煩さすぎる
「匂」という字は、もとの中国にない。日本でつくった国字だ。よい香りがたつことだけを意味していない。
日本刀の小乱れした刃紋も「匂う」と表現するが、美しく輝いていることをいう。「朝陽に匂う山桜哉(かな)」という句がよく知られているが、山桜が朝の光をいっぱいに受けて、輝いているという意味である。
『源氏物語』のなかで、女性が「匂ひやか」というと、美しいことを表している。
桜の花は馨らない。光源氏が桜の花が美しいのに、香りがないことを慨嘆している(若菜)。
香を賞(めで)るというが、香りと静けさは1つのものだ。心を落着かせて集中しないと、身心を香りにゆだねることができない。
ゆとりがなければ、香を賞でることができない。香を嗅ぐことによって、ゆとりが生まれた。人生に間をはかることが、大切なのだ。
世間で“引きこもり疲れ”とか、“自粛疲れ”という言葉が流行っているが、自分を取り戻すよい機会だろう。
2020年は、文明開化の成れの果て
私たちは明治の開国から、文明開化の号令のもとで西洋を模倣するのに努めるうちに、四季のゆるやかなうつろいに背いて、いたずらに慌(あわただ)しい社会をつくってきた。欧米に憧れて、モダン――スピード感、刹那的、享楽的なもの――を追い求めてきた、成れの果ての時代に生きている。
今日、私たちが洋装をまとっているのは、日本を守るための手段であったはずだったのに、利便な文明開化に身を窶すあまり、いつの間にか目的にかわってしまった。
サイデンさんはキーン氏と同じ海軍日本語学校の卒業生で、硫黄島の攻略戦に加わった。
日本では先の大戦中に英語を「敵性語」として使うことも、学ぶことも禁じたが、アメリカは今日でも敵国の言葉を積極的に学ぶ。やはり、覇権国家なのだ。
日本国憲法のために、亡国の危険にさらされている
Date : 2020/07/02 (Thu)
5月末に、全国民に外出自粛を強いていた緊急事態宣言が、ようやく解除された。
といっても、相手は厄介なウイルスだから、まだ安心することはできない。ここしばらくはマスクを着用し、人とのあいだの距離を置かなければならないだろう。
中国の武漢で、昨年発生したコロナ・ウイルスが、世界を震撼させるとは誰も予想できなかった。
人類史を振り返ると、人間社会は戦争と疫病の流行によって、しばしば襲われている。
戦争と疫病は、誰も予想できないというが、平時から国防を固めて平和を守り、疫病の襲来に備えなければならない。
政府が緊急事態を宣言して、国民に外出を自粛するように求めたが、日本では憲法が緊急事態の規定がないために、諸外国のように違反者に罰則を課することができない。パチンコ店が要請を無視したのが、よい例である。
私はこの連載で、日本国憲法が緊急事態に対応できないことを指摘してきた。
コロナ・ウイルスによる不意打ちも、有事だった。
現行憲法は有事を想定していない。大型台風や、激しい地震にまったく耐えられない家屋に、住んでいるようなものだ。
コロナ・ウイルスの感染を防止するために、「3密」を避けることが強調された。
そのなかで、現行憲法の意外な欠陥が、もう一つ露わになった。
憲法第56条である。「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない」と、規定している。
この規定によると、議員本人が議場に出席しなければならない。
だが首都直下型地震や、敵性国による攻撃を蒙って、3分の1の議員が集まれなかったらどうなるのか。日本が麻痺してしまう。
以前、女性議員が出産のために、オンラインによって票決を行いたいと求めたが、56条の規定によって認められなかった。
仮に3分の1が出席できたものの、与党議員ばかりだったら、どうだろうか。
今日では、テレビ会議や、オンライン授業が行われるようになっている。56条を改めるべきだ。
日本国憲法は、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているが、まっ赤(か)な嘘だ。日本は占領下で主権を失っており、アメリカ占領軍が日本の主権を握っていた。
現行憲法は総司令部の部員が、法律の専門家が1人もいなかったのに、日本のためを考えずに、アメリカの都合だけにあわせて、大急ぎで起草した。そのために、杜撰(ずさん)きわまりなく、欠陥だらけだ。このような憲法に国民の安全と生命を、預けてよいのだろうか。
世界諸国のなかで、有事に備えていない憲法を持っているのは、日本だけである。
当時のアメリカは、日本が独立を回復した後に、日本がひとり立ちすることができないように、アメリカの属国とすることを狙ったのだった。
この憲法のおかげで、いまでも国防をアメリカに委ねている。
歴史を振り返ると、地図から消えてしまった国が多い。国際環境が激変するなかで、このままゆくと、日本国憲法のために日本が亡びる危険にさらされている。
武漢ウイルスで露呈したグローバリズムの虚構
Date : 2020/06/04 (Thu)
新型コロナウィールスは、第2次大戦後の世界に最大の恐怖をもたらしている。まだ出口が見えないが、終息後に世界のありかたが大きく変わっていよう。
グローバリズムと、世界的な流行であるパンデミックが発生した中国が、最大の敗者となるだろう。
グローバリズムがこの半世紀以上も世界を支配してきたが、そのもとでヒト、モノ、カネ、ウィールスが国境を越えて自由に動いてきた。
国際人とか、地球市民、多文化、多国籍といった言葉が、人のあるべき姿としてもて囃(はや)されてきた。
私は典型的な“英語屋”だ。29歳で『ブリタニカ大百科事典』の最初の日本語版の初代編集長をつとめ、30代からアメリカの有名なシカゴ大学、トランプ大統領の母校である名門フィラデルフィア大学などから講師として招かれて、教鞭をとった。
40歳の時に、福田赳夫内閣の首相特別顧問として、その後、外相、防衛庁長官顧問、中曽根内閣首相特別顧問として、対米外交の第一線に立った。
だが、私は「国際人」と呼ばれることを嫌ってきた。国よりも“国際”を優先する風潮がおぞましかった。
グローバリズムは巨大な多国籍企業が金儲けの夢にとりつかれて、つくりだした妖夢だ。
グローバリズムは企業が金儲けのために、中国をはじめとする低賃金の発展途上国に巨額の投資を行ったことによって、危険なビールスのように全世界に広がった。
ところが、中国の武漢(ウーハン)から始まったコロナビールスが、財物の豊かさだけを追求する世界経済を破壊した。
1960年代に発足したヨーロッパ共同体(EU)が、よい例だ。今日、25ヶ国によって構成されているが、国境を取り払って、ヒト、モノ、カネが自由に動ける体制をつくりだした。ところが、ウーハン(武漢)ウィールスに襲われると、EU加盟国は「ヨーロッパは一つ」という建て前をあっさり捨てて、そろって国境を封鎖した。
やはり、国民は国家しか頼ることができないのだ。
19世紀末に西洋で生まれた、文化人類学という学問がある。西洋から見て未開だと見下した部族を研究対象としてきた。文明に浴している人々が民族として扱われるのに対して、部族と呼ばれてきた。
いまでも部族は英語でトライブtribe、フランス語でtribus、ドイツ語でStama、イタリア語、スペイン語でtribuと呼ばれるが、差別語とされている。
だが、部族は、同じ血、同じ言語、価値・道徳観、生活習慣、同じ信仰と、代々にわたる長い歴史を分かち合って、成り立っている。部族は外に対して自分たちの生活を守るために、団結してきた。
文化人類学は、白人・キリスト教徒の傲りから、部族を未開な存在としてきたが、近代国家だって、部族とまったく変わらない。
部族も、国家も、構成する人々の生活の基盤となっている。グローバリゼーションが人々を根なし草にしたが、コロナ危機は国家しか頼れないことを明らかにした。
現行憲法は日本が長い歴史を通じて紡いできた、誇るべき伝統を否定している。
国民を結束させる憲法に、改めたい。
危機と躾
Date : 2020/05/29 (Fri)
「躾」は日本でつくった国字だが、「馴れている」「身についている」を意味する、「しつく」の名詞だ。
武道、書道、茶道から日常の身のふりかたまで、動じる――動揺することなく、慌ててはならない。つねに落ち着いていることが大切だ。私は空手道6段を允許されているが、試合に臨んでは技が身についており、どのような状況にも馴れていることが求められる。
中国から始まった新型コロナウィルスが、全世界にひろがるなかで、人々が浮き足立っている。不安が先き立って落ち着かないので、足が地を踏んでいない。焦燥感に駆られると、判断力と認知機能が低下する。
全国でトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起ったが、トイレットペーパーはウイルスの感染予防には何の役にも立たないはずだ。 躾けを欠いた人々は、自律神経を冒されたように付和雷同する。
昨年は異常な気象によって全国に大きな被害が発生したが、人類の歴史を振り返ると、地球温暖化や冷却化によって翻弄されてきた。
このところ、人間活動が二酸化炭素(CO2)の排出量を増しているために、気候変動をもたらしていると、ひろく信じられているが、人はそれほど大きな力を持っているだろうか。コロナウィルスにも、対応できない。思い上がりだ。
青森県の三内丸山遺跡はよく知られているが、今日よりも海岸線が接近していた。科学調査によれば、当時の気温は現在より2度以上も高く、海面が上昇していた。あの時代に日本列島に工場がひしめき、まだ自動車も走っていなかった。
およそ2万8000年前の最終氷河期の中期から、温暖化によって海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートルも上昇した。
西暦1550年から約300年にわたって小氷河期が訪れ、日本では1833年から天保の飢饉に襲われ、全国にわたって餓死、行倒れがあいついだ。
今回のウイルスが、太陽の外層に輝く部分に似ているので、「コロナ」と名づけられている。太陽のコロナは黒点が極大、極小期によって、地球に飛来する電子の強弱が変わって、地球の気象をもてあそんできた。
愚かな人々が妄動して、人間活動が気候変動を招いていると、全世界にわたって空ら騒ぎに耽っている。スーパーにおけるトイレットペーパー騒動によく似ている。
常任理事国承認と在韓米軍撤収
Date : 2020/05/19 (Tue)
福田赳夫内閣が昭和51(1976)年12月に発足した前月に、アメリカの大統領選挙で民主党のジミー・カーター前ジョージア州知事が当選していた。
私は40歳だったが、首相特別顧問の肩書を貰って、対米交渉に当たった。
本誌から、外交交渉の裏話を書くように求められたから、差支えない範囲内で披露しよう。
福田首相にとってはじめての日米首脳会談が春に行われることになったが、“目玉”がなかった。園田直官房長官を通じて献策を求められたので、カーター大統領に日本が国連安保理事会の常任理事国となることを支持するといわせることができると、メモを提出した。
私はカーター政権の国家安全会議(NSC)特別補佐官となったブレジンスキ・コロンビア大学教授、新大統領が師として仰ぐハンフリー元副大統領と親しかった。12月に訪米したときに、カーター大統領当選者の郷里の村で、政権準備事務所が置かれたジョージア州プレインズで半日を過した。
前もってハンフリー上院議員(になっていた)から電話を入れてもらったので、カーター氏の母親のリリアン夫人、溺愛していた美しい妹のルース(キリスト教の神霊治療師(フェイスヒーラー)だった)、ホワイトハウスの官房長となったハミルトン・ジョーダン氏などが歓迎してくれた。
私はブレジンスキ教授、ハンフリー上院議員に来たるべき日米首脳会談で、アメリカ側から日本が国連安保理常任理事国となる資格があると表明すれば、日米の絆が強まると話して賛同をえていた。もっとも安保理事会常任理事国である中国、ソ連が反対しようから、実現しないのを承知していたし、アメリカとして口先でいえばすむことだった。 私は東京から電話で確認していたので、総理一行が到着する前日にワシントンに入って、ホワイトハウス、国防省、議会などをまわって、翌日、ホワイトハウスの脇にある迎賓館のブレアハウスで、総理、鳩山威一郎外相と合流して、首尾がよかったことを報告した。
もう一つ、私は福田首相から密命を授けられていた。
当時、日米間の最大の懸案が核燃料再処理問題だった。
私は核燃料についてまったく無知だったので、出発前に東海村の原子力研究所で講義を受けた。私は核武装論者だったが、研究所幹部から夕食の席上で「国民が核武装を決意したら、2年以内に核爆弾を完成させます」といわれて、大いに励まされた。
私はワシントンへ出発する前日、国会院内で短時間、福田総理と打ち合わせた。カーター大統領は選挙戦中に、在韓米軍の撤退を公約の柱の一つとして掲げていた。朴正煕大統領は清廉だったが、韓国の政府、軍などの腐敗があまりにもひどかったので、アメリカの世論が“韓国切り捨て”を望んでいた。
この時に、福田総理から「何とか在韓米軍の撤収をとめられないか」と、懇請された。しかし、日本政府からそのように要請したら、アメリカから責任分担することを求められようから、できなかった。
私はカーター政権を囲む人々に、あくまでも「私見」だと強調したうえで、「もし在韓米軍が撤収したら、日本は核武装することを強いられる」と警告した。政府の役職にある者がいえることではなかった。
私はワシントンへ向かう前に、「役割分担でゆきましよう」と外務省に話したが、なぜか外交が専管事項だと思い込んでいたから、敵視された。外務省がいう「二元外交」という言葉は、日本語にしか存在しないのではないか。
ほどなく、カーター政権は在韓米軍撤収の公約を取り下げた。私は韓国の金鍾泌(キムジョンピル)首相(当時)と親しかったが、韓国の諜報機関から情報をえたのか、後に在韓米軍の撤収を思いとどめさせたことに感謝して、流暢な日本語で、「そのうちに勲章をあげましよう」といわれたが、固辞した。もし「親韓派」という烙印を押されたら、私は活動できなくなった。
第1回福田・カーター首脳会談から20年たって、国防省、国務省で1974年から日本を担当した、ロナルド・モース氏が来日して、麗澤大学教授となった。私は教授と対談して、(『21世紀日本は沈む太陽になるのか』、廣済堂出版)を出版した。
この時に、モース教授が20年前に「もし日本がアメリカの合意なく、核燃料再処理を強行したら、在日米軍が出動して東海村を占領する計画があった」と打ち明けたので、慄然とした。
その後、私は福田、大平内閣で園田外相の顧問、中曽根内閣で首相特別顧問として、対米折衝を手助った。
中曽根内閣では、谷川和穂防衛庁長官の顧問をして、谷川・ワインバーガー防衛技術交換協定の交渉を手助った。ワシントンの防衛駐在官事務所は、ニクソン大統領が失脚したことで有名になった、ウォーターゲート・ビルにあった。 防衛駐在官は戦前の駐在武官と違って、大使の指揮下にあった。交渉の機微を大使館に知られると妨害されるので、移動に駐在官の自分の車を使ったし、東京との連絡は大使館の公電を使わなかった。
日本の外交官は能吏であるものの、ごく僅かな例外を除いて、任地国の人々と親しい関係を結ぶ能力がない。宮仕えに汲々としているから、相手の地位、役職と付き合うことがあっても、志(こころざし)や、夢を欠いているために、心を通わせることができない。
戦後の日本から国家として、志や、理想が失われたからだろう。
外務省だけではない。国の芯が失われてしまったために、日本人が小粒になったのだ。
パンデミックが示したグローバリズムの弊害
Date : 2020/05/12 (Tue)
2月にギリシアで、東京オリンピック大会のための聖火の採火式が行われた。テレビのニュースで観たが、ナチスの式典だということに触れることがなかった。
古代ギリシアのオリンピア大会でも、1896年に近代オリンピック大会が始まってからも、1936年のベルリン大会まで聖火リレーが行われなかった。
ヒトラーのナチス・ドイツがこの年にベルリン大会を主催したが、すべての道がベルリンに通じることを示威するために、ゲベルス宣伝相が発明したものだった。
いま新型コロナウィルスが、イタリアで猛威を振っている。1922年にファシスト・イタリアの独裁者となったムソリーニが政権を握ると、真っ先に「非衛生的だから握手の悪習を廃止して」、ローマ帝国時代の敬礼だった右手を前に高く掲げる、「サルート・ロマーノ」(ローマ式敬礼)にかえるように求めた。
1918年からスペイン風邪が全世界に流行して、数千万人の死者が発生したからだった。ヒトラーがナチス党の党首となると、ファシスト・イタリアを模倣して、ローマ式敬礼を採用した。
中国武漢(ウハン)から広まった新型コロナウィルスが、米ソ冷戦の終結後に人類の世界体制となったグローバリズムを、粉砕した。ウハン・ウィルスによるパンデミック(世界的流行)が、いつ終息するか分からないが、そのもたらした衝撃があまりに大きいだけに、終息しても、世界がもとに戻ることはないだろう。
グローバリズムは世界を一つのものとしてみて、投資、製造、人や物品の移動から国境をなくしてしまった。
2002年にサーズ(重症急性呼吸器症)が、やはり中国広東省から始まった時に、中国は世界経済の4%にしか当たらなかったが、2020年に16%を占めるようになった。
中国が問題だ。先進諸国は中国に過度なまで部品や素材のサプライチェーンを依存してしまったために、国内の工場の操業や供給が停まって、経済が大きな打撃を蒙っている。
サーズは、中国人が麝香猫(じゃこうねこ)科のハクビシンを、好物として食べることから起ったといわれる。中国政府の発表によっても新型コロナウィルスも、人々が爬虫類科のセンザンコウや、ハクビシン、蝙蝠を食べているために発生した。武漢では市場でこれらの野生動物が食用として売られていたが、ウハン・ウィルスが発生してから、中国政府がはじめて禁止した。
トランプ政権が中国の覇権主義に掣肘を加えるようになったものの、中国は世界経済システムのなかに組み込まれ続けた。だが、今回のパンデミック騒動のなかで、中国の信用が大きく傷ついた。中国に対して、新疆ウィグル、香港に対する圧政、外国企業に対する不当な干渉によって、すでに嫌気がさしていたが、中国がウハン・ウィルスの発生後に2ヶ月近く隠蔽していたことが、中国のイメージに止めを刺した。
私は今回の新型コロナウィルスによるパンデミックを境として、「チャイナ」と「グローバリゼーション」の二つの言葉が持つ意味が、大きく変わったと思う。
グローバリゼーションはそれぞれの国の固有な文化による箍(たが)を弱めて、人々を無国籍にしたために、放縦になって快楽を追求させてきた。その結果、先進諸国における死因は生活習慣病によるものが、大多数を占めるようになっている。私は人々が国境が果してきた役割に、再び目覚めることになるのを期待している。
今回のウハン・ウィルスによるパンデミックが、いつ終息するか分からないが、世界のありかたに冷水を浴びせたことは間違いない。
もう一つよいことがあるとすれば、中国人が悪食(あくじき)の習慣を改めれば、センザンコウが絶滅から救われることになろう。
今こそ無法な憲法を改正し、日本を建て直そう
Date : 2020/05/12 (Tue)
ついに政府が、新型コロナウィルスの爆発的な感染拡大を防ぐために、全国に「非常事態宣言」を発した。
もっと早い時期に発するべきだったか、意見が分かれるところだろうが、国民の危機意識を引き締めるのに、役立っただろう。
今回の非常事態宣言は、横浜港に接岸した大型クルーズ客船『ダイヤモンド・プリンセス』によって、コロナウィルス騒ぎが始まってから、急いで国会を通した「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にもとづいて、発したものだ。
ところが、日本では「非常事態宣言」を発しても、住民や、国民に強制することができないために、政府が呼びかけて「要請」するほかない。
アメリカや、ヨーロッパ諸国では、非常事態宣言が発せられると、そのもとで、食料や生活必需品を買う目的で家を出るのを除いて、外出した場合に高額の罰金を科しているが、日本では要請するだけで、罰則がない。
私は都内の千代田区に住んでいるが、千代田区では区の条例によって、路上で喫煙すると罰金を科せられる。区でさえ、条例によって罰金を科すことができるのに、国家的危機を乗り切るために「非常事態宣言」を発したはずなのに、どうして罰金を科すことができないのだろうか。
現行の日本国憲法には、アメリカをはじめどの国の憲法にもうたわれている、非常事態条項が欠落しているために、重大な危機に立ち向うことができない。
現行の日本国憲法はアメリカの軍事占領下で、無抵抗だった政府と国会に強要されたものだから、一国の憲法にとうてい値しない代物(しろもの)だ。
アメリカが占領下の国に、基本法である憲法を改めることを強いたのは、国際法の重大な違反だった。そのために、アメリカは憲法を押しつけたことを偽装して、日本国民が自らの手で制定したように見せ掛けた。
日本国憲法の原文は、護憲派の憲法学者たち全員が認めているように、英文である。世界の憲法のなかで、原文が外国語で書かれているのは、日本国憲法だけである。
アメリカは現行憲法を、日本国民のためを思って、強要したのではなかった。日本を罰するためと、日本が未来永劫にわたって再びアメリカの脅威とならないように、アメリカのためだけを思って、強要したものだった。
日本は占領下で独立を奪われていたから、講和条約によって独立を回復するまでは、国家でなかった。
それなのに、現行憲法が「日本国憲法」と呼ばれているのは、“偽物の憲法”であることを示している。
日本を憲法第9条によって完全に非武装化して、アメリカの保護下でなければ生きられないように丸裸にしたのは、日本を二度と独立国としないためだった。
護憲派は現行憲法を、まるで家宝のように扱って後生大事にしているが、宝物どころか、危機に当たって役立たない偽物のガラクタでしかない。
新型コロナウィルスによる試練は、戦後、未曽有のものだ。
いったい、いつになったら終息するのだろうか。全国民が暗然としている。
ただ、意気消沈しているより、この無法な憲法を改正して、日本を建て直す好機だと考えたい。
危機意識が欠落した国家のままでよいのか
Date : 2020/04/03 (Fri)
中国生まれの新型コロナウィルスが、全世界を不安に陥れている。
日本はあきらかに対応が、大きく遅れた。
アメリカからモンゴルまで多くの諸国が、日本より数週間も早く中国からの入国を禁じたのに、日本では3月に入っても、湖北省、浙江省だけから入国を禁じていた。
全面入国禁止にすると、中国政府に遠慮したのか、1月末に始まった春節(旧正月)中に来日する中国人観光客を当てにしたのか、いずれにせよ、危機意識が欠落していた。
私にとって不思議なのは、連日、マスクの供給が足りないと報じられたが、どうして女性たちがハンケチや手拭いを使って、マスクを作ることをしなかったのだろうか。
4、50年前なら、急拵(きゅうごしら)えのマスクを作ったはずだ。いまでは家庭にミシンがないし、女性たちが縫い物をしないからなのだろう。
かつて女性たちだけでなく、子供たちも軍人に深い敬意を払った。誰もが胸のなかで、「兵隊さん有難う」と思ったものだった。国を護ることが、何よりも大切だと知っていた。
今回は、海外からコロナウィルスの侵略を蒙った。
日本国憲法が前文で、外国が日本に脅威を及ぼすことがないとうたっているために、外国に対する警戒心が失われたのだろう。
日本国憲法にはどの国の憲法にもある、大型地震、台風などの天災、パンデミック(地球規模の感染症)に襲われた場合に、国民の生命財産を守るために、国民の一部の権利を一時的に制限する緊急事態条例がない。
阪神淡路大震災では、消防車や救急隊が瓦礫を撤去しなければ通行できなかったのに、私有権が立ちふさがって、多くの人命が失われた。
現行憲法はアメリカが占領下で、日本が再び独立国とならないように無力化するために、強制したものだ。国家が国民を護るために存在しているという基本中の基本が、すっぽりと抜け落ちている。
だが、「だからこそ、現行憲法が『平和憲法』だ」と信じている多くの軽率な国民が、“護憲教”というカルトを形成している。平和とは何か、真剣に考えたことが、あるだろうか。
識者と自民党のなかから、今回のコロナウィルスの危機を教訓として、憲法に緊急事態条項を加えるべきだという声があがっている。
それに対して、立憲民主党の枝野幸男代表が、「国民の生命を梃(てこ)として、改憲を主張するのは筋違いだ」と、批判した。
だが、憲法は国民の生命と安全を守るために、存在している。国民の安全を守ることができなければ、人権を守れない。安全と人権は、同じ言葉だ。
湖北省から邦人を乗せた、政府仕立てのチャーター機から降りた二人が、検診と観察下に置かれることを拒否した。
平和憲法の制約によって、「必要最小限、周辺諸国に脅威を与えない」防衛力しか保有できないとしている。感染症や、気候変動による大型台風や、洪水に対しても「最小限」の備えがあればよいのだろうか。
今回の新型コロナウィルスによる危機が、一刻も早く終息することを祈っているが、また新しい強力なビールスが登場しよう。
国家はつねに危機感を持たねばならない。憲法が危機に備えられないなら、改めるべきだ。
“世界終末”の詐話によって騙されまい
Date : 2020/04/03 (Fri)
1月にスイスのダボスで、「ダボス会議」として知られる「世界経済フォーラム」が開催された。
ダボスはスイス東部の深い渓谷の底にある保養観光地で、トーマス・マンの小説『魔の山』の舞台になった。
1971年以後、毎年、ダボスにマスコミが“グローバル・エリート”と呼ぶ、2000人以上の多国籍企業経営者や、政治家、知識人などが集まって、「世界が直面する重大な問題」を討議することになっている。
今年は「地球温暖化による気候変動」が、重要な議題だった。
17歳の“環境問題活動家”として時めいている、グレタ・トゥーンベリ嬢が基調講演を行い、「地球を救うのには、あと8年しか残されていない」と訴えた。
グレタさんは15歳で「気候のための学校ストライキ」を呼びかけ、100万人以上の学生が参加したことで有名になり、両親に二酸化炭素(CO2)を排出する飛行機旅行をやめさせたり、肉を食べないよう説得して“時代の寵児”となった。
地球に残された時間が、8年だって? だが、裏付けがあるのだろうか?
50年前、「ローマ・クラブ」が一世を風靡した
私はグレタさんの託宣をきいて、1970年に『ローマ・クラブ』が世界の著名な科学者、経済学者、経営者などの“叡知”を集めて、『成長の限界・人類の危機』というレポートを発表したことを、思い出した。『ローマ・クラブ』の六人の常任委員会には、日本から経済学の大宗として持て囃された、大来多三郎氏が加わっていた。
『ローマ・クラブ』の報告書は、世界が経済成長を続けてゆくと、環境汚染が悪化し、クローム、鉄、アルミ、錫、鉛、金、銀、水銀、石油などの鉱物・化石資源が枯渇するから、「経済成長をゼロ」にすべきだと主張して、一世を風靡した。
この報告書は常識から大きく逸脱した、噴飯物だった。もし経済成長をとめたら、汚染がもっとひどくなる。中学生でも環境を浄化するためには、カネがかかることが分かっている。
久し振りに『成長の限界』を読み返すと、「限界、危機、破局」というおどろおどろしい言葉を連発している。
グレタ少女による怪しい神託の類(たぐい)といえば、枚挙に遑(いとま)がない。
最近では、2013年にケンブリッジ大学の教授が、2年後の2015年に北極の氷が消えてしまうと、警告していた。
1968年に、著名な環境学者のポール・ヒアリッヒ教授が、ベストセラーになった『人口爆弾』によって、地球人口がこれ以上増えれば、人類が滅亡すると警鐘を鳴らした。
その2年後の1970年の世界人口は、36億人だった。『成長の限界』レポートも「爆発的な人口増加」を、切迫する「人類の危機」として取りあげていた。今日、世界人口は2倍以上に増えている。
グレタ少女は妖しい巫女だ
日本大学の季刊誌の春季号に、牧野富夫日本大学名誉教授が、グレタ少女を「スウェーデンの十代の少女グレタ・トゥーンベリさんの活動に世界が驚き注目している。国連などで地球の危機を訴える弁舌は説得力があり、大人を圧倒する。素晴らしい。質疑でも、縦横・機敏に対応し、彼女が『自分の考え』をもっていることを、物語っている」と、手放しで激賞している。
資源が枯渇するのではなく、軽はずみな人々が絶えることがない。
グレタ少女から『ローマ・クラブ』まで、人心を乱す邪しまな占い師だ。
私は占いを好む女友達たちに、「『占い』の語源は『裏付けがない』ですよ」と戒めている。占い師は吉か凶といって、客を脅すことを生業(なりわい)としている。
神社の御神籤(おみくじ)は遊びだから罪がないが、『成長の限界』のような報告書は、人間の脳が危ふさと、暗いことにもっとも強く反応するのに乗じている。
私は『成長の限界』が発表された年に発表した著書で、「資源が枯渇することはない。石が枯渇したために、石器時代が終わったというのとかわらない」と批判した。青銅器時代が終わって鉄器時代に移ったのは、銅が枯渇したからではない。
青森県の三内丸山遺跡といえば、よく知られている。縄文人の集落だが、科学調査によれば、当時の気温は今日よりも2度も高かった。海面が上昇していたから、海岸線が三内丸山遺跡に接近していた。
7、8000年あまり前に、日本列島に一酸化炭素を排出する工場がひしめき、上空を旅客機が頻繁に飛んでいたはずがない。
気候変動は自然現象
地球の気候は科学調査によれば、およそ18000年前の最終氷期の中期から温暖化が進み海水が増加して、6000年前あたりに海面が4、5メートル上昇していた。
西暦1550年から約300年にわたって寒冷な小氷期が訪れ、ロンドンのテムズ河が完全に氷結して、氷のうえに市場が開かれていた。凶作の時代だった。日本では小氷期に、1180年から81年まで「天明の飢饉」、1833年から36年まで「天保の飢饉」が起っている。
もちろん、このような気候変動は主として太陽活動によるもので、今日の地球温暖化も自然の力によるものだ。人為的にもたらされているのではない。
グレタ少女は飛行機に乗らず、肉食をいっさい拒んでいるというが、スウェーデンから鉄道にも、自動車にも乗らず、どのようにしてダボスに来たのか。革靴も履かず、皮製のソファに腰掛けないのだろうか。
牛や、羊を放牧するために森林を伐採することによってCO2が増加しているが、エビの養殖のために広大なマングローブ林が消滅しているほうが、地球環境をはるかに損ねていると非難されている。グレタ少女はエビも、口にしないのだろうか。
「政経同志会」50周年の祝宴
この原稿を書いている途中で、都心の帝国ホテルに本部を置く、エリート経営者団体の『政経同志会』の50周年を祝う晩餐会に招かれた。
同会の奥山忠代表は、人望が高い。ホテルの大広間を埋めて、1000人あまりの善男善女がテーブルに着席して、会の半世紀を賑々しく祝った。
帝国ホテルの洋食といえば、日本で最高峰として知られる。
「黒毛和牛フィレ肉のポワレ ジュヴ・シャンベルタンのソース」を中心とするフルコースに、舌鼓をうった。
私はふと50周年というと、『ローマ・クラブ』がレポートを発表したのも、同じ半世紀前だったと思った。もし、このレポートの警告が当たっていたとしたら、この大広間の和やかな盛宴はなかったはずだった。
今日では、『成長の限界』の報告書が枯渇すると警告した鉱物資源は、すべて国際価格が暴落している。
『ローマ・クラブ』をはじめとするレポートは、人心を惑わしただけだったから、罪は重い。
トーマス・マンの警告
トーマス・マンといえば20世紀を代表する作家だが、1933年にナチスが台頭すると57歳でドイツから亡命して、第2次大戦後、スイスに住んだ。マンは「多くの人々が傍観していたことが、ナチス時代を招いた。『ノー』といわねばならない時には、『ノー』とはっきりといわねばならない」と警告している。
『人口爆発』や、『ローマ・クラブ』のように世間を誑(たぶら)かすレポートは、人災である。
黙って傍(はた)で見ていると、まったく不必要な混乱に手を貸すことになる。「ノー」といわねばならない。
そういえば、その後、『人口爆弾』の著者も、『ローマ・クラブ』の6人の常任委員も、1人として過ちを犯したことについて謝罪していない。良心を欠いた人たちだ。
正気を失いつつある日本外交
Date : 2020/03/09 (Mon)
1月に日米両政府が東京において、現行の日米安保条約の60周年を盛大に祝った。
60年前にワシントンにおいて、安倍首相の祖父・岸信介首相と、アイゼンハワー大統領が改定された日米安保条約に調印した。
60周年を祝う式典には、安倍首相、麻生副総理、外相、防衛相、米国側はアイゼンハワー大統領の孫娘、新任大使が着任していないので代理大使、在日米軍司令官などが出席した。
式典の一部をテレビで観て、私は感慨深かった。私は1980年に現行の安保条約が20周年を迎えた時に、2年前に防衛庁が設立した、日本初の民間の安全保障研究所の理事長だったが、米国の有力シンクタンクのヘリテージ財団と共催して、20周年を記念する会議を行った。
米国からフォード前大統領を団長として、多くの上下院議員、戦略研究所の幹部が来京した。岸元首相とフォード前大統領が基調講演を行った。鈴木善行首相が来臨として挨拶したが、あくまでも民間の会議だった。
私は日本の安全保障にとって台湾が重要であることから、台湾総統府の国家安全会議の議長一行をオブザーバーとして招いた。政府も反対しなかった。今日なら中国を恐れて、台湾から高官を招くことはありえない。
この4年前に福田赳夫内閣が発足したが、私は翌年に首相特別顧問という肩書をもらって、対米外交の第一線に立った。
その2年後に、三原朝雄防衛庁長官から日本初の民間の安全保障研究所をつくるように求められた。この時、設立趣意書に米国が一方的に日本を守る保護条約を、対等な共同防衛条約に改めたいと述べて、福田総理、三原長官にはかったが、反対されなかった。今日でも、日本より力がない韓国、フィリピンも、米韓、米比共同防衛条約を結んでいる。
新聞各紙が日本安全保障センターの発足を報じたが、サンケイ(現・産経)新聞が「きなくさい日本安全保障センター」と見出しを組んだほかに、朝日新聞も非難しなかった。 日本はまだ多分に正気を保っていた。
1992年に、宮沢喜一内閣が翌年に天皇御訪中を目論んでいたが、天皇御訪中について有識者14人を選んで、首相官邸に招いて、個別に30分ずつ意見を聴取した。私はその1人として招かれたが、3人が反対意見を述べ、多数が賛成するという出来レースだった。私は有識者が招かれるのでなく、政府が招くから有識者になると揶揄(やゆ)した。
各紙が報じたが、読売新聞は木村尚三郎東大名誉教授、私、平山郁夫画伯、作曲家の黛敏郎氏、清水幹夫毎日新聞論説委員長の順で顔写真を並べて、取り上げた。黛氏、私、3人が反対し、木村、平山氏など10人が賛成した。毎日新聞の清水論説委員長は、「意見がない」と述べた。意見がないのに、なぜ招きに応じたのか、分からない。
私は「天皇陛下が外国に行幸されるのは、国民の祝福をお伝え下さるためだ。中国は人権を蹂躙しており、陛下が行幸されるのに価しない」と述べて、反対した。
中国は3年前に天安門広場で大虐殺を行って、先進諸国から経済制裁を蒙っていたために、天皇御訪中によって国際イメージを改善することを狙っていた。御訪中後、諸国は対中制裁を撤回した。
政府は4月に、習近平主席を国賓として招くことを決定している。私は18年前と同じ理由で、強く反対している。
中国は新疆ウィグル自治区で100万人以上のウィグル人を強制収容所に送り込んで、チベット、内モンゴルで民族浄化を強行している。香港でも人権を蹂躙している。そのために国際的に孤立している。
習主席が国賓として来日すれば、答礼として天皇陛下が御訪中になられることとなる。
天皇陛下を人身御供として差し出して、よいのものだろうか。
欠陥だらけの憲法を大事に戴いていいのか
Date : 2020/03/03 (Tue)
読者諸賢に質問したい。
仮に、天皇陛下が国会の開院式に臨まれて、「日本国憲法の規定に従って、国会を解散する」と仰言せられたとしたら、読者諸賢はどう思われることだろうか? もちろん、陛下がこのようなお言葉を述べられることは、ありえない。
憲法第7条【天皇の国事行為】は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」と述べ、「一、憲法改正、法律、法令及び条約を公布すること」から、「十、儀式を行ふこと」まで10項を規定している。
天皇陛下がご自分の意志によって、政治に関与されることはあってはならない。
読者諸賢は国会を解散できないし、衆議院は解散できるが、参議院を解散することができないことを、承知されていよう。
ところが、憲法第7条は「四、国会議員の総選挙の施行を公示すること」と、規定している。
中学生でも、「総選挙」が衆議院議員選挙についてのみ、行われることを知っていよう。
したがって憲法第7条4項は、大きく間違っている。
恥しいことに、現行の日本国憲法は欠陥だらけだ。第7条はその一例にしかすぎない。
いうまでもなく、憲法は国の最高法規である。その憲法に明白な間違いがあるのを放置して、よいのだろうか。
私たちはこのようなトンチンカンな憲法を73年にもわたって、後生大事に戴いてきた。
トンチンカンは漢字で「頓珍漢」と書くが、鍛冶屋が交互に相槌(あいづち)を打つべきところ、へまで、かみあわないことから、とんまな物ごとをいう。
まさか、憲法についてトンチンカンといえないはずだが、現行憲法はトンマだ。
だが、どうして日本国民は今日にいたるまでこれらの明らかな誤りを正すことなく、70年以上にわたって、無為に過ごしてきたのだろうか?なぜ、憲法を大切にしないのか。
もし、日本国憲法が日本人の手によって起草され、公布されたのだったとしたら、憲法の前文、第9条などは、当然のことに、改められていたことだろう。
このような憲法を戴いていては、日本の安全と独立を守ることが、とうていできない。
それなのに、全国から欠陥憲法を改正しようという声が、ごうごうと起ることがない。
“護憲派”の人々は、憲法を大切にしているどころか、憲法を粗末にしているから、憲法に見過ごしてはならない欠陥があっても、護ろうと叫んでいるのだ。憲法はどうでもよいというから、無責任だ。
現行の日本国憲法は、日本の歴史的な伝統はおろか、日本語の読み書きもできない、占領軍のメンバーによって書かれ、日本政府に強要されたものだった。きっと外(と)つ国(くに)の神々によって降(くだ)されたものだから、国民が身近に感じることがなかったのだろう。
政府は中東情勢が緊迫したために、海上自衛隊の護衛艦1隻と、哨戒機を急遽派遣した。
野党が憲法が制約しているからといって、「自衛隊を危険なところに送るな」と、反対した。 それならば、まず日本の民間のタンカーを危険な中東に送ってはならないといって、反対するべきではないか。
ホルムズ海峡における日本の立場と平和憲法
Date : 2019/09/09 (Mon)
イランと北朝鮮が、中東とアジアの発火点となるか、世界の注目を集めている。
両国は大きく離れているが、共通点が多い。
イランは核兵器開発に取り組んできたかたわら、北朝鮮はすでに核弾頭を手にしているが、アメリカのトランプ政権が中心となって、核開発、あるいは核兵器を放棄するように、国際社会を捲き込んだ、厳しい経済制裁によって締めつけられて喘いでいる。
中国、ロシア、ヨーロッパ諸国も、アメリカの制裁を恐れて、イランと北朝鮮に対する経済制裁に加わらざるをえない。
もちろん、イランはキムチを食べないとか、イスラム教の厳しい戒律によって飲酒を禁じているとか、違いも多い。
イランは、地理が有利だ。日本の石油・天然ガスの80%以上、ヨーロッパ諸国にとってもエネルギーの大動脈が通っている、ペルシア湾の幅37キロの狭い出入り口であるホルムズ海峡が、イランに面している。イランはイスラム教主流のスンニー派と、不俱戴天の二大宗派の一方であるシーア派の総本家で、アメリカ、イスラエルが支援するスンニー派の多くの諸国で、イラン革命防衛隊や、代理兵を使って、紛争をひき起しているが、北朝鮮は地域的な影響力がない。
イランも、北朝鮮も、アメリカによる経済制裁を何とか緩和させようとして、駄々をこねている。イランは6月にアメリカの無人偵察機を撃墜し、革命防衛隊がホルムズ海峡周辺で、日本、イギリス、ノルウェーなどのタンカーを攻撃、拿捕(だほ)し、ウラン濃縮の度合いを高めた。北朝鮮は5月、7月に短距離ミサイルを発射し、年内に合意できなければ、アメリカともう話し合わないと脅している。
トランプ大統領も、口では勇ましいことをいっても、戦いたくない。イランがアメリカの無人偵察機を撃墜すると、トランプ大統領はいったんイランに限定的攻撃を加えるように命じたものの、その直後に取り消した。
イランを攻撃すれば、中東全域にわたってイランの代理兵が、米軍を攻撃することになったろう。
トランプ大統領はアフガニスタン、イラク、シリアから、米軍を撤収することを発表しているものの、実現できないでいる。トランプ大統領は米軍を海外から引き揚げたことを、レガシーとしたい。だが、7月にサウジアラビアに小規模の米軍部隊が、派遣された。
ペルシア湾の状況は、一触即発だ。
トランプ大統領はこれまで3回にわたった米朝首脳会談が、北朝鮮の核実験と、中長距離弾道弾の発射を中断させてきたほかに、何一つ成果をあげず、すれ違いに終わったのにもかかわらず、話し合いを続けるといい、金正恩国家主席に対して微笑み続けている。
だが、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師と差しで、友好的に会談しようとしない。アメリカは核開発と並んで、イランが中東全域にわたって安定を乱しているのを阻止しようとしているが、イランは北朝鮮と同じ強権による独裁国家なのに、ハメネイ師が金主席のような唯一人の独裁者ではなく、僧侶勢力、革命防衛隊など、八岐大蛇(やまたのおろち)のような集団指導体制にあるからだ。
だが、アメリカはイランの核開発と、北朝鮮の核兵器を放棄させることに、成功するだろうか。核開発と核戦力の増強を先送りできても、放棄させることはできないだろう。
トランプ政権は、ホルムズ海峡の自由航行を確保するために、ペルシア湾にエネルギーを依存している諸国が有志連合を結成して、海軍部隊を派遣することを求めている。日本はホルムズ海峡に対して、依存度がどの国より高い。
“平和憲法”を楯にして、アメリカにホルムズ海峡において日本のタンカーを護るのを委ねるべきだというのなら、京都アニメーションのような火災も、アメリカの消防隊に消してもらったらよいだろう。
平和憲法の「平和」という言葉の危うさ
Date : 2019/09/02 (Mon)
青年時代に、私は鶴田浩二や、高倉健の任侠映画を楽しんだ。人気が高かったから、つぎつぎと続篇がつくられた。
任侠といえば、弱きをたすけ、悪――強きをくじくという意味だが、主人公が男気に富んだ役を演じて、勧善懲悪の物語となっていたから、爽快感があった。
座敷か、洋間の組の本部には、組長が座る背後に、かならず『誠』とか『仁義』とか揮毫された掛軸がかかっていた。任侠映画によって暴力団に憧れた若者も、いたことだろう。
もっとも、暴力団はこのところは、警察の取締りが厳しくなって、「反社会勢力」と呼ばれるようになり、目を背けたくなる暗いイメージを持っている。暴力団を美化する任侠映画を、つくられなくなった。
任侠という美名をかたりながら、弱い飲食店や、商店から、他の暴力団から保護するといって、“見ヶ〆料(みかじめりょう)”を強要したり、不法な賭博、高利貸し、麻薬売買などを行ってきた。
しかし『誠』とか、『仁』『義』と書かれた掛軸の字には、不思議な力が宿っているから、それだけで人を説き伏せてしまう力が籠(こも)っている。
だが、さまざまな悪事を働いている団体に、『誠』とか、『仁』『義』といった言葉は、まったく似つかわしくないものだ。
ちょっと立ち停まって考えれば、現行憲法は「平和憲法」と呼ばれているが、この言葉も同じことではないだろうか。
暴力団の本部の床の間にかかっている、掛軸の「仁」とか、「義」という言葉によく似ている。「平和」は美しい言葉だ。だが「平和」という誰もが反対できない言葉の裏で、日本の安全を危うくする力が働いている現実から、目をふさがれているのではないか。
日本には神代――古代から、言葉そのものに霊力が宿っているという信仰が、存在してきた。言葉を発すると、その言葉に合わせて現実が変わるというものであり、今日でも日本では言葉に超自然的な力がこもっている。
英語をはじめとするヨーロッパ諸語であれば、「シンシアリティーSincerity」(誠)とか、「ジャスティスJustice」(義)という単語を額装して掛けたとしても、見る人が「『まこと』といっても、いったい何を意味しているのか? 何が『まこと』なのか?」「何が『正義』なのか?」と、その内容についていぶかることだろう。
日本では「験(げん)」(縁起)を担いで、不吉な言葉を発することを慎む。もし家族に受験生がいたとしたら、「落ちる」という言葉を使うことを避ける。私たちは日常、意識しないで験(げん)を担いでいる。「開く」といえば始まることだが、宴会が終わる時には「これでお開きとします」という。
いまから74年前の敗戦までは、「無敵日本」「無敵海軍」とか、「神州不滅」という言葉が、罷り通っていた。
験(げん)を担いで、全滅は「玉砕」、退却は「転進」と呼び替えられた。軍部は戦争末期に、本土決戦を戦うといって、「一億総特攻」を呼号したが、昭和天皇の終戦の御聖断によって、亡国を免れることができた。口先だけのことなのに、言葉は景気づけにも使われるから、警戒しなければならない。
「平和憲法」の平和という言葉を鵜呑(うの)みにして、騙されてはなるまい。「一億総特攻」を繰り返すことになりかねない。
亡父の薫陶
Date : 2019/08/30 (Fri)
私は幼いころから、父から「女と動物を苛めてはならない」と教えられて、育った。
もう一つ、小学校に進むようになってから、正座して『論語』の素読をさせられた。父が同じ歳のころに、祖父から強いられたことだった。
私が漢籍から引用できるようになったのと、女性と動物を大切にするようになったのは、この2つの躾によるもので、感謝している。
父は私が高校生のころから、馴染みの座敷に連れていってくれて、芸妓の伽羅の香りや、絃歌の世界を知った。私は父の秘密を共有するようになったから、父をいっそう好きになったし、母を大切にするようになった。
父は人が羨むほど夫婦仲がよかったし、犬と猫を可愛がった。母が逝ってからは、純白の雌のペルシア猫を溺愛した。
それでも、生物のなかで、ペットが存在するのは人間だけだが、なぜなのだろうか。
動物はいつも本心だけで、嘘をつかない。そこで私たちの心が和み、癒されるからだろう。
父がある時、愛犬の頭を撫でながら、「もし、人間に尻尾があったら、この世から騙し合いがなくなることだろう」といった。私は人間は進化が遅れているから、まだ尻尾がはえていないにちがいないと、思った。
植物も、嘘をつかない。だから森のなかを散歩すると、爽快になる。人は自分を偽って生きなければならないから、疲れる。
女性に出会うとおだてるのは、父譲りである。女性のほうが男性よりも強いから、諍わないほうがよい。
科学的にいって、女性と言い争ったら、男に勝ち目はない。女性の声の高さは200から300ヘルツであるのに対して、男性は100から150ヘルツしかない。100ヘルツは声帯が1秒間に、100回震動しているのをいう。
女性は男性よりエネルギーに溢れているから、際限なく喋ることができるが、男性はすぐに畏縮してしまう。「君子危キニ近カヨラズ」と、中国の聖賢が宣うているではないか。
男が女性に甘えるのは、弱いからだ。女性は男性より強いから、耐える。男性は合理的だから、女性に負ける。女性はその証拠に占いを信じるが、占いの語源は「うらづけがない」というものだ。
明治の日本を創った賢人の福沢諭吉先生が、「無力な道理は、有力な無道理に勝てず」と諭しておられる。
少子化対策ではなく人口政策の確立を
Date : 2019/08/26 (Mon)
多くの識者が少子化によって、日本が衰退してゆくことを憂いている。
これまでは年間出生数が200万人台だったのが、90万人台を割ってしまうことになるとみられる。
この30年ほどか、日本の都会に住んでいると、誰もがかつての王侯貴族のような生活を営んでいる。
贅を極めているのに、贅に耽っているのに気付かないほどの贅沢はない。スマホを使って世界中の料理が、自宅に届く。タクシーを拾って、運転手に行き先をいえばよい。
指先1つで家電を動かせる。テレビによって、バラエティー・ニュース・ショーをはじめ、居間で滑稽劇(おわらいげき)を楽しむことができる。身の回りに、あらゆるサービスがある。サービスserviceの語源は、ヨーロッパ諸語のもとのラテン語で、「奴隷」を意味する「セルヴスservus」だ。大勢の奴隷にかしづかれているのだ。
それなのに、国民が不満でいっぱいだ。狂言『節分』に「えっ、この罰当りめが」という台詞(せりふ)があるが、これほど恵まれた生活をしているのに、そう思わない。
亡国を免れるためには、子を産む女性や、子育てを望む若い夫婦に、国が補助金を支給すべきだ、金(かね)をぶつければ出生率があがると、説く人々がいる。だが、私は社会が豊かになるにしたがって、出生率が減ってきたのに、金(かね)で解決できるというのは理解できない。経済成長による物質的な豊かさこそが、少子化の惨状をもたらしたのではないか。
スウェーデンや、フランスが子を産むシングル・マザーや、夫婦に、児童手当や、住宅、教育費など給付を増やすことによって、出生率が向上したと喧伝されるが、その後、出生率が低下している。
いまでは工業ロボットやAIが、私たちの生活を支えている。テクノロジーが私たちの生活を、大きく変えている。
このところ先進諸国は、どの国も「人手不足」の悲鳴をあげている。アメリカでは失業率が半世紀ぶりに、3・6%まで落ちている。イギリス、ドイツ、フランスなどの諸国でも、求人難が深刻だ。日本でも10年前の平成11年に失業率が5・09%だったのが、2・4%まで落ちている。技術革命によるもので、政府の施策がもたらしたものでない。
ハイ・テクノロジーと金(かね)と数字が、私たちを支配するようになっている。金(かね)は空腹などその場を凌(しの)ぐために、使われる。人と人との絆が金(かね)によって結ばれているから、短時間で使い捨てにされる。男女の結びつきも例外ではない。
テクノロジーも数字も、理によってつくられているから、心も情もない。
だが、心は生きているから、金(かね)とテクノロジーと数字だけになると、家族も、家族的経営も崩壊して、人々が神経症を患って、子殺しや親殺しに走る者が急増する。
私は「少子化対策」という言葉が気に入らない。なぜ、「人口政策」といわないのか。
対米戦争が始まった昭和16(1941)年に、政府が国の将来を想い量って「人口政策確立要綱」を決定した。戦後、日本が国であるべきでないと信じるようになったために、かつての「産めよ増やせよ」という言葉を連想させるといって、「人口政策」という言葉が抹消されたためだ。
私は平成6(1994)年に、厚生省(現厚労省)が「少子化」対策として、子育て支援などの「エンゼルプラン」を発表した時に、意味不明な「エンゼル」という言葉を使ったのに、憤ったのを覚えている。英語の天使「エンジェル」だったのか。外国に魂を売った小(こ)っ端(ぱ)役人が造語したにちがいない。
数年前に、友人と小料理屋で浅酌した時に、友人が「手鍋提げても」といったところ、若い女子従業員が「手鍋って、どんな料理ですが?」と質問したので、呆れたことがあった。もちろん、好きな男と夫婦になれるなら、どんな貧困もいとわないという意味だ。
政府が1990年代に“フェミニズム運動”を煽って、「男女共同参画社会」を推進したことも、少子化を悪化させた。女性は家庭を築くことが何より大切な役割であるのに、家族を否定することをはかったものだった。
あわせて軽佻浮薄な言葉狩りが進められて、「婦」は女性が帚をかかえているから差別だといって、警察庁が「婦人警察官」を「女性警察官」、防衛省が「婦人自衛官」を「女性自衛官」と改称した。
私は母親が座敷や、家の前の路地を掃くのを見て、帚が母の心の延長だと信じていたから、母が冒涜されたと思った。
私は松下政経塾の役員を永年勤めたから、そういうべきではないが、家電製品はすべて心を省くものだ。警察や、自衛隊では「婦道、婦徳」という言葉を使うことを、禁じているにちがいない。だが、いまでも「妊婦」という言葉が使われている。どちらかにしてほしい。「家族」もウ冠の下に豕(ぶた)と書くから、差別語ではないか。
女性の高学歴化が結婚年齢を引き上げ、子供の教育費がかかりすぎることが、子を産む意欲を減退させているという。
学歴崇拝が日本を滅ぼす。高収入を望んで、自分をひたすら他に委ねて、合わせる受験戦争が、幼稚園から就職まで続く。二宮尊徳、伊能忠敬、渋沢栄一の3人をあげれば、農家の子だったから、最終学歴は寺子屋の4年ばかりだが、まず自分で自分を創ったうえで、日本を創った。虚ろな教育に国費を浪費するべきでない。
個人が何よりも尊重される。だが、「個人」という醜い言葉は、明治に入るまで日本語のなかに存在しなかった明治翻訳語だ。私たちは人と人との絆のなかで、生きてきた。
どうしたら、少子化を防ぐことができるのだろうか。
愛国心を鼓吹するほかない。
日本を守る④ 日本最大の脅威は「憲法」
Date : 2019/08/21 (Wed)
日本が直面する最大の脅威は何だろうか? 中国でも、北朝鮮でも、ロシアでもない。
正解は日本国憲法だ。こんな間抜けた憲法を戴いている国は、世界に日本しかない。
イギリスの大歴史家トインビーは、「古代ローマ帝国を滅ぼしたのは、帝国の辺境を脅かしていた野蛮人ではなく、国内で“パンとサーカス”の享楽に耽(ふけ)っていた野蛮人だった」と、ローマ国民だったと断じている。
日本国民の多くが一国平和主義をほめたたえているが、一国享楽主義でしかない。
現行憲法は米国が占領下で日本から永久に軍備を奪って属領にすることをはかった、どう読んでもべらぼうな代物(しろもの)だ。箆棒(べらぼう)は江戸時代前期の見世物の信じがたい異様な化物の名で、馬鹿、たわけを意味するようになった。
日本は独立を回復して67年たつが、日本国民はこのべらぼうな憲法を改めていない。日本国民はそれほどたわけなのか?
いや、日本はアジアで唯一つ先進国となった利発な国だ。だったら、原因は何だろうか。
江戸時代に3世紀近く平和が続いた。徳川家の支配を永続させるのを目的としたから、新しい政治思想を禁じ、能力主義を斥けて、血筋と年功序列による硬直した体制をとった。
徳川幕府による平和は、明治以後の日本の呪いとなった。
幕府は泰平を維持するために、何より戦乱を恐れた。武士は幕府が統治思想とした儒教漬けにされたが、孫子の兵法の心髄である「兵者詭道也(へいはきどうなり)」(敵を騙すこと)を学ばせなかった。幕府は儒教の王道を重んじて、詭計を否定し、戦略思考がタブーとなった。武士道は戦うことが目的でなくなり、勝つことではなく、「死ぬ」ことに価値が与えられ、精神修養の哲学に退化した。
江戸時代の庶民を涌かせた『忠臣蔵』は、吉良邸に突入する前に、正門前で大石内蔵助が山鹿(やまが)流の陣太鼓を高らかに打ち鳴らすのが、見世場となっている。47士は奇襲したはずだったが、奇襲となると王道に反した。
明治維新が徳川体制を一新したから、才気ある人々が国を導いたが、日清日露戦争に勝つと、自信過剰を患って江戸時代へ戻った。
日本は先の対米戦争で、軍官が年功序列によったために、ボロ負けした。戦後、高度経済成長によって、世界第2位の経済大国となると、日露戦争後に似るようになった。
日本国憲法が戦略思考を奪ったために、憲法が家康公の祖法となってしまった。
日本を守る③ 中国・習主席の勘違いで“救われた日本”
Date : 2019/08/19 (Mon)
日本は72年前に占領下で強要された“平和憲法”と引き替えに、独立の気概を失って、北朝鮮から、ホルムズ海峡の安全航行まで、米国に頼っている。
日本は北朝鮮によって拉致された日本国民を、自分の力で救えない。トランプ大統領に訴えるほかない。まるで米国が拉致したようだ。拉致被害者は“平和憲法”の被害者だ。
習近平主席は台湾を軍事力を用いて「統一する」と、繰り返し言明している。台湾が中国に奪われたら、日本は海上交通路を絶たれて、独立を維持することができない。
日本と台湾は一蓮托生の関係にある。一身同体だ。それなのに台湾の安全も、米国に委ねて傍観している。
中国の日本に対する脅威が募っている。日本は米国なしに、まったく対処できない。
日本を守るために米国様(さま)々に、ひたすらお縋(すが)りしなければならない。
ところが、トランプ政権が2年前に登場すると、米国はトランプ支持派と、リベラル派の民主党を支持者の真2つに、分断された。
日本が縋ってきた米国が、国内対立によって頼れないようにみえた。
日本が危なかった! ところが、この危機を意外な助っ人が現われて、救ってくれた。中国の習近平主席である。
トランプ政権が発足すると、習主席は米国が混乱して、力が衰えたと勘違いして、いよいよ中国の時代がきたと、舞いあがった。オバマ前政権に南シナ海の人工島を軍事化しないと明言したのにミサイルを配備し、野心的な「一帯一路」計画を暴走させて、スリランカ、カンボジアなどの軍港を借款のカタに取りあげるなど、傍若無人に振る舞いはじめた。
中国は米国市場に経済を、依存している。先端技術も米国から盗んできた。寄生虫のような存在なのに、米国に対して牙をむいた。
いってみれば、子会社が親会社を乗っ取ろうとしたのだ。
トランプ政権は中国と正面から対決することを決断し、関税戦争を始めるとともに、中国へのハイテクノロジーの供給を絶った。米国では、中国の目に余る振舞いに、民主党も中国を抑えつけようと、全国民が歩調を合わせている。
習主席が分断されていた米国を、団結させたのだ。そのために巨大な米国の力が損なわれることが、なかった。
日本が救われた。習さん、ありがとう!
日本を守る② イランの核開発と北朝鮮の核兵器放棄 トランプどう解決するのか
Date : 2019/08/19 (Mon)
いったい、トランプ大統領はイランと北朝鮮を、どうするつもりなのか?
イランは幅36キロのホルムズ海峡に面して、日本の首根っこを押さえ、北朝鮮は米朝交渉が行き詰まったら、日本の近海にミサイルを撃ち込んで、日本国民を震えあがらせよう。
トランプ大統領はイランとも、北朝鮮とも戦いたくない。
トランプ大統領は昨年、米軍を中東から全面的に撤収することを発表したものの、実現できないでいるが、7月末にまずアフガニスタンから始めることを明らかにした。トランプ大統領は、米軍を海外から引き揚げたことを、レガシーとしたい。
来年11月の大統領選挙の前に、アフガニスタンから足を洗ったことを功績としたいのだ。
ところが、7月にサウジアラビアに小規模の米軍部隊を派遣した。
トランプ大統領は3回にわたった米朝首脳会談が、北朝鮮に核実験と中長距離弾道弾の発射を休ませたほかに何一つ成果がなく、すれ違いに終わったのに、まだ話し合うといい、金正恩主席に微笑み続けている。
米国はイランに核開発と並んで、中東の安定を乱しているのをやめさせたい。だが、イランの最高指導者ハメネイ師を擁抱して会談しようとしない。
イランは北朝鮮と同じ強権による独裁国家なのに、ハメネイ師が金主席のような唯一人の独裁者ではなく、僧侶勢力、革命防衛隊など、頭が多い八岐大蛇(やまたのおろち)もどきの体制だからだ。
イスラム教は2大宗派に分かれて、デスマッチを展開している。イランが率いるシーア派と、サウジアラビアなど中東の大多数の諸国のスンニー派の死闘だ。
ヨーロッパでは16世紀、17世紀にかけて、キリスト教がカトリック旧教とプロテスタント新教のあいだで凄惨な宗教戦争を戦い、ヨーロッパ全土を荒廃させた。イスラム教は紀元7世紀に生まれた、まだ若い宗教だ。
アメリカはイランの核開発と、北朝鮮の核兵器を放棄させるのに、成功するのだろうか。
核開発と核戦力の増強を先送りできても、放棄させることはできるはずがない。
日本は“平和国家”だから、北朝鮮もホルムズ海峡の安全も、米国にまかせている。
もし日本が戦後独立を回復して、占領憲法をすぐに改めて、日本の経済規模の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を持っていたら、拉致問題も起らなかったはずだ。
日本を守る① 韓国「反日」熱の裏側
Date : 2019/08/19 (Mon)
韓国の反日熱が燃えさかって、日本国民が嫌韓感情をいやおうにも募らせている。
フランスと韓国はよく似ている。ナチス・ドイツの占領下でフランス国民はナチスに協力したが、ユダヤ人狩りを行い、アウシュビッツなどの絶滅収容所へ送った。だが、連合軍の手で独立を回復すると、全員がレジスタンスに加わったふりをするようになった。
韓国民は36年の日本統治にあげて協力した。日韓併合10年目に3・1独立運動事件が起ったのが唯一つの例外だが、一過性のものだった。裁判で誰1人死刑にならなかった。
外国による占領、統治に積極的に協力した国民ほど独立を回復すると、負い目を晴らすために過剰な愛国的行動に走る。韓国の反日熱は、いかに日本統治を喜んだか証している。
6月にイランをめぐる危機が燃えあがった。
イランと北朝鮮は共通点が多い。イランが核兵器開発を進めてきたかたわら、北朝鮮はすでに核弾頭を持っているが、トランプ政権による厳しい経済制裁により喘いでいる。中露なども、米国の制裁を恐れて加わっている。
イランと北朝鮮はイランがキムチを食べないし、禁酒とか違いも多い。
イランは地理が有利だ。ペルシア湾の狭い入り口のホルムズ海峡の東側がイランだ。日本の石油・天然ガスの80%以上、西欧諸国にとってもエネルギーの大動脈だ。イランはイスラム教主流のスンニーと、不俱戴天の2大宗派の一方のシーアの総本家で、米国、イスラエルが支援するスンニー諸国でシーアや、イラン革命防衛隊や、代理兵を使って紛争を起している。北朝鮮は地域的な影響力がない。
イランも北朝鮮も、米国による経済制裁を何とか緩和させようとして、駄々をこねている。イランは米国の無人偵察機を撃墜し、ホルムズ海峡周辺で日本などのタンカーを攻撃、イギリスのタンカーを拿捕(だほ)し、ウラン濃縮の度合いを高めた。北朝鮮は5月と7月に、短距離ミサイルを発射した。
ペルシア湾は一触即発だ。だが、トランプ大統領も口では勇ましいことをいっても、戦いたくない。イランを攻撃したら、中東各地でイランの代理兵が、米軍を攻撃しよう。
トランプ政権はホルムズ海峡の自由航行を確保するために、有志連合を結成して、海軍部隊を派遣するように求めている。
日本が米国に日本船を護るのを委ねたいというのなら、京都アニメのような火災も、米国の消防隊に消してもらおう。
人間社会を蝕むカネとテクノロジー
Date : 2019/08/09 (Fri)
この30年ほどだろうか、日本の都会に住んでいると、市井の人々もかつての王侯貴族のような生活を営んでいる。
贅を極めているのに、贅に耽っていることに、気付かないほどの贅沢はない。私たちの日常がまさにそうだ。
スマホを使って世界中の料理が、自宅まで届けられる。タクシーを拾って、運転手に行き先をいえばよい。指先1つで冷房、暖房によって、冷暖がもたらされる。昔だったら召使が大きな扇であおるか、氷柱を据えるか、暖炉の薪を燃した。
いまでは、あらゆるサービスが身の回りにある。サービスserviceの語源は、ラテン語で「奴隷」を意味する、「セルヴスservus」だ。
日本は世界のなかで奴隷が存在しなかった、珍しい文化だ。民主主義が発祥したといわれる古代ギリシアの市民生活は、奴隷によって支えられていたが、ヨーロッパ、アメリカでは19世紀というと、このあいだまで奴隷が存在した。
英語の召使サーバントservantという言葉も、「セルヴラservula」女奴隷、「セルヴラス男奴隷servulus」から発している。日産のゴーン前会長が、巨額を横領した容疑で起訴されているが、日本の常識からして、古い言葉を使えば、箆棒(べらぼう)な報酬を得ていた。べらぼうは信じがたい、という意味だ。
アメリカや、ヨーロッパの友人と、ゴーン前会長の桁外れの報酬について話題にしても、少しも驚かない。日産よりも小さなGM(ジェネラル・モーターズ)の会長の給料は、ゴーン氏よりはるかに高いものだ。日本のトヨタの会長の報酬の100倍以上も、貰っている。
やはり西洋は長いあいだにわたって、奴隷社会であったからだ。経営者からみれば、下積みの社員は奴隷でしかない。
いまでは工業用ロボットや、AIが、私たちの日常生活を支えている。
新しいテクノロジーが私たちの生活に、大きな変革をもたらしていることを、毎日、肌で感じさせられる。
日本はOECD(経済開発協力機構)に、加盟している。36ヶ国が加わる先進国の経済クラブだが、メキシコとか、スロベニア、リトアニアのような新興経済諸国も、入っている。
OECDのなかの先進諸国は、どの国も「人手不足」の悲鳴をあげている。日本も例外ではない。
アメリカでは、失業率が3.6%まで落ちているが、半世紀ぶりのことだ。日本では10年前の平成11(2009)年には、失業率が5.09%だったのが、今年4月には2.4%まで急落している。イギリス、ドイツ、フランスをはじめとする諸国でも、「求人難」が深刻だ。
「ジョブス・ブーム」(就業ブーム)といわれるが、これは政府の政策によって、景気が上向いたからではない。
庶民のなかにはロボットや、AIによる自動化によって、人々が職を奪われることになると杞憂する声があるが、杞憂は古代中国の杞の国の無知な民衆が、空が落ちてくることを憂えた偶話にもとづいている。
どうして就業ブームが、起っているのだろうか。ハイ・テクノロジーがつぎつぎと新しい職業を、生み出しているのだ。サービス業は、人手を必要とする。求人については、先進諸国ではパソコン、スマホによって、新聞から三行広告が消えて、求人と求職が効率よく結ばれるようになっている。
ハイ・テクノロジーと金(かね)が、私たちを支配するようになっている。人と人との絆が金(かね)によって結ばれるから、絆が短時間で使い捨てになる。家族の結びつきが、弱まる。
そのうえ、テクノロジーは理によってつくられているから、心も情もない。だが、人の心は生きているから、金(かね)とテクノロジーだけを相手にすると、神経症を患う者が急増する。
国民が互いに心と情を分かちあう国に
Date : 2019/08/06 (Tue)
今日の社会は、お金とハイテクノロジーによって、支配されている。右を向いても、左を見ても、お金とハイテクノロジーだ。
ほとんどの人にとって、人と人との繋(つな)がりも、金(かね)による。お金もハイテクノロジーも、数字によって成り立っている。だが、お金やハイテクノロジーや数字には、心も情もない。
私たちの身の回りのあらゆることが、数字によって計られている。老後は貯蓄が二千万円なければ暮してゆけないとか、経済成長率、物価上昇率、時間、血圧、血糖値、ものの値段‥‥によって、頭がいっぱいだ。
個人が何よりも、大切だ。いつの間にか、個人がもっとも尊い存在となっている。家族や一族や国は、個人の下に位置している。
個人という言葉は明治に入るまで、日本語のなかに存在しなかった。西洋語を翻訳してつくった、明治新語の1つだ。
それまでは、日本人は持ちつ持たれつで、心と情を共有して生きていたから、自己だけを主張する「個人」という発想がなかった。
つい3、40年前までは、人々は心と情によって結ばれていた。縁を大切にして「ご縁をいただいて」と、いったものだった。いまではお金の「円」が、縁を駆逐してしまった。
お金はいったんつかってしまったら、何も残らない。金(かね)が人と人の絆(きずな)になると、刹那(せつな)の結びつきになる。
人々がお金とハイテクノロジーによって動かされ、心も情もない社会に生きるようになると、人の心は生きているから、心が傷ついて、神経症を患う者が増えることになる。
全員が口を揃えて、現代生活の「ストレス」を訴えるが、この言葉も3、40年前に存在しなかった。そのために家庭内暴力や、60歳になっても引きこもる人々が、珍しくない。
かつては、お金やハイテクノロジーにかわって、道徳や、一族、地域の絆、理想が生活を律していた。
明治22(1889)年に公布された大日本国憲法と『教育勅語』は、アメリカ占領軍によって廃止されたが、理想を説いていた。
アメリカが占領下で、主権を失った日本に強要した日本国憲法は、日本精神を失わせて、日本に武装を禁じ丸裸にすることによって、日本がアメリカに永久に従属する国となるように、日本国民から誇りと独立精神を奪うことを、はかったものだった。
現行憲法は、“アメリカの平和のための”「平和憲法」だった。
ところが、日本国憲法が公布された僅か四年後に、ソ連と中国が北朝鮮を嗾(けしか)けて朝鮮戦争が始まったために、日本政府に慌てて自衛隊の前身となった警察予備隊を創設するように命じて、日本の再軍備が始まった。
「平和憲法」は大失敗作だった。日本国憲法の賞味期間は、4年しかなかったのだ。
その後、日本国民は賞味期限が数十年も前に切れた憲法を、食べ続けている。腐敗した、異臭がある食物をたべているようで、心身ともに健康を害している。
現行憲法は前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることがないやうに」といって、先の戦争はアメリカが仕掛けたのに、責任を日本だけに負わせて、日本が“性悪の国”だときめつけている。
このままでは、日本が滅びる。現行憲法を改正して、前文に日本が誇るに価する国であって、家族と社会の絆を尊び、国民が心と情を分かち合う理想を、高らかに謳(うた)いたい。
憲法を改められないのは江戸時代の呪いか
Date : 2019/07/31 (Tue)
6月はじめに、日本を代表する刀匠の後援会が千葉市で催された。
松田次泰刀匠は千葉県が誇る刀工だが、鎌倉時代の古刀の作刀によって知られ、日本刀文化の継承に努めてきた。
役員や来賓が、かわるがわる挨拶した。
私の番になったので、「令和の御代が明けてはじめての総会ですが、『令』は『令日』『令夫人』などの『よい』を意味し、『和』は日本文化を支える、何よりももっとも基本となってきました」と前置きして、次のように述べた。
日本の文化の源は「和」
「日本刀、武道、女性がたの和装、茶道、華道などの日本文化は、すべてが和をもたらす基(もと)となる自制心のうえに、成り立っています。日本刀は武器であるよりも、優れた美術品であり、持ち主の邪気を祓い、心を研ぎ澄ませ、節度を持って振る舞うように求めます」
「世界の諸国のなかで、このような清さと美しさを追求した刀剣は、他に存在しません。『清く正しく美しく』といえば、宝塚歌劇団のモットーですが、まさに日本刀をはじめとする、日本文化に当て嵌まります」
日本刀は付属する品々とともに、国宝のなかで件数がもっとも多いが、武器として使われることが、ほとんどなかったからだ。日本刀がもっとも多く用いられたのは、幕末の京都だったろう。
アメリカのトランプ大統領が、この前の月の5月に訪日した。
これまでアメリカから多くの大統領を迎えたが、トランプ大統領の訪日は日米の絆がかつてないほどまでに、強いものとなったことを示した。
アメリカはイギリスと他にない結びつきである「スペシャル・リレイションズ」によって、固く繋がれているといわれる。日米関係も米英関係に近いものとなりつつあると、痛感させられた。
アジア太平洋はアメリカの生命線
アジア太平洋はインド洋も加えて、アメリカの生存にとって欠かせない地域である。
しかし、アメリカがこの地域において信頼できる国は、どこにあるだろうか? インド、タイ、ベトナム、フィリピン、ましてや韓国ではない。アメリカにとって日本しか、寄り掛かれる国はない。
トランプ大統領と安倍首相は、5月27日に横須賀港を訪れて、海上自衛隊のヘリコプター搭載大型護衛艦『かが』に乗艦して、日米の絆を称えた。
日本にとってこの日は、栄えある『海軍記念日』だった。明治38(1905)年に、日本海海戦によってロシア艦隊を撃滅した日だった。
『かが』はF35B最新鋭ステルス戦闘機の母艦として、本格的な空母に改装されることになっているが、真珠湾攻撃に参加した空母の1隻である、栄光の軍艦『加賀』の艦名を継承している。
栄光の艦『加賀』と『ワスプ』
トランプ大統領は『かが』から退艦すると、安倍首相に見送られて、米海兵隊のヘリコプターに乗って、港内に停泊する米大型揚陸艦『ワスプ』へ移った。
『ワスプ』は昭和17(1942)年9月に、わが伊19号潜水艦がガダルカナル戦中に、南太平洋で撃沈して凱歌をあげた米空母『ワスプ』の艦名を、受け継いでいる。
日米戦争から74年もの歳月が流れて、日米が和解したのだ。このような日米関係が常(とわ)に続いてゆくことを願いたい。
だが、アメリカとイギリスの特殊な関係(スペシャル・リレイションズ)は、アメリカの歴史が17世紀初頭に、イギリスから『メイフラワー』号に乗って迫害から逃れた清教徒が、北アメリカ大陸に上陸した国産みから始まり、英語を分かち合っているのに対して、日米同盟は両国の一時的な便宜の産物でしかない。
来年のアメリカ大統領選の行方は
私はトランプ大統領がこのままゆけば、来年再選されると信じているが、対中融和政策を説くバイデン前副大統領をはじめ、次期大統領選へ向けて20数人が競っており、多くの候補が富裕税の導入、所得格差の解消、国民健康皆保険、国防費の大幅削減など、アメリカを北欧型の高度福祉国家に変えようなどと主張している。このなかの1人がホワイトハウスの金的を射止めれば、秤(はかり)が日本を軽視するほうへ傾くことになろう。
中国が太平洋の覇権を握ろうとして、異常な軍拡を強行しているかたわら、北朝鮮が核兵器を手離すことはありえない。日本は薄氷のうえを歩んでいる。
御代が替わったが、私は平成の30年間を、日本の周辺が風雲急を告げているというのに、何よりもアメリカの占領下で強要された欠陥憲法を改められなかったことによって、記憶しよう。
最高法規であるべき憲法の前文の日本語の文法が、誤まっている。どうして、国語審議会が目を瞑(つむ)ってきたのか。
現行憲法は「平和憲法」として罷り通っているが、占領軍が当時「アメリカの平和」のために強いたもので、日本政府に「これを呑まないと、天皇の一身の安全を保障できない」といって、英文の原案を手渡してから1年3ヶ月後に公布された。
帝国憲法を全面的に書き改めたものだから、もし日本国民の手で改正したのだったら、まさか1年あまりで公布できなかったろう。
日本国民は賢明であるのに、講和条約によって日本が独立を回復してから67年の歳月(さいげつ)を重ねたというのに、日本が独立国であることを頭から否定して、憲法ととうてい呼べない憲法を、いったいどうして、長いあいだ崇めてきたのか。
占領軍が日本国民を洗脳して、東京裁判史観を植えつけたからだと説明されるが、日本国民はそれほど愚かなのだろうか。
江戸時代の呪縛が続いている
平成3年は、江戸開府400年に当たった。日光東照宮が記念事業として「江戸研究学会」を立ちあげたが、私は世界のなかで江戸時代は庶民がもっとも恵まれていたと書いたり、講演してきたので、求められて会長を引き受けた。
江戸時代は平和がずっと続いて、庶民が豊かな生活を営み、絢爛たる文化を創り出した。
だが、300年近く続いた平和は、明治以後の日本にとって呪いともなった。
江戸時代の日本は、徳川家による支配を永続させることを目的としたから、新しい政治思想や、能力主義をいっさい斥けて、血筋と年功序列による、硬直した体制をつくりあげた。
幕府は泰平を維持するために、何よりも戦乱を恐れた。武士は幕府が統治思想とした儒教漬けにされたが、孫子の心髄である「兵者詭道也(へいはきどうなり)」(敵を騙すこと)を学ばせなかった。幕府は儒教の王道を重んじて、詭計を許さなかった。兵法(ひょうほう)が軽視されて、戦略思考が否定された。
武士道は死ぬことに価値を置いた
武士道は戦うことが目的でなくなり、勝つことではなく、「死ぬ」ことに価値が与えられ、精神修養の哲学に退化した。
江戸時代に庶民を涌かせた『忠臣蔵』は、吉良邸に突入する前に、馬鹿ばかしいことに、正門前で大石内蔵助が山鹿(やまが)流の陣太鼓を高らかに打ち鳴らすのが、見世場となっている。47士は奇襲したのではなかったのか。だが、奇襲したとなると、王道に反した。
明治維新は徳川体制を根底からつくり直したから、才気ある人々が登場して国を導いた。ところが、日清、日露戦争に勝つと、自信過剰の自家中毒を患って、国の仕組みが江戸時代へ戻ってしまった。
日本は先の対米戦争でボロ負けした。陸海軍から官界までが、年功序列によった。帝国の興亡がかった真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦の司令官は南雲忠一中将で、砲術の権威だったが、航空戦についてまったく無知だった。
戦後、高度経済成長によって世界第2位の経済大国となると、日露戦争の後に似た。
いつの間にか、日本国憲法が権現様――家康公の祖法になってしまったと思う。
権現様はまだ生きていらっしゃるの?
Date : 2019/07/19 (Fri)
令和の御代が明けた。
平成の最後の統一地方選挙中に広島に応援に行った帰りの航空便で、スチュワーデスに読むものを頼んだら、『週刊朝日』をくれた。
すると、新しい元号の『令和』は、命令、指令、令状の令であって、“安倍一強”の傲りを示していると腐(くさ)していた。
私は令和から、令日、令人、令節とか、美徳や、善行を意味する令徳、ほまれの令聞、よい評判の令望などを連想していたので、きっと版元の新聞社の雑誌担当者の令夫人が、夫を四六時中、小突き回すので、令の字に恨みがあるのだろうと思って、身につまされた。
結婚は1国2制度だから、難しい。イギリスの大詩人のバイロンが、長編風刺詩『ドン・ジュアン』のなかで、「人生という芝居の第1幕は恋愛という喜劇、第2幕は結婚という悲劇」と指摘しているが、きっと人生は悲喜劇なのだろう。だから人生は面白い。
機窓の外には、どこまでも青い空がひろがっていた。
私は鳥を飼ったことがないが、小鳥は美しくみえる黄金の籠のなかに住みたいと願い、籠のなかに閉じ込められてしまった鳥は、大空をまた自由に飛びまわりたいと、絶望に駆られるにちがいない。
フランスの諺に、「結婚の鎖は重い」というものがある。「だから3人で運ばなければならない」と続いている。女房に秘密で恋人をもたねばならないという、勧めだ。
平成が終わった。私は平成の30年間を、日本の周辺が風雲急を告げているのに、アメリカによって押し付けられた欠陥憲法を、1行すら改められなかったことによって、記憶しよう。
最高法規であるべき憲法の前文は、日本語として文法が目茶苦茶だ。どうして国語審議会が目を瞑(つむ)ってきたのか。
この不真面目(ちゃらんぽらん)な憲法を真面目(きまじめ)に解釈する法律学者たちが、「専守防衛」とか、「必要最小限度の防衛力」とか、泥酔して錯乱したとしか思えないが、意味不明に解釈して国民の目を覆っている。
戦後の日本の金科玉条となっている「専守防衛」という言葉は、意味がまったくないので、英語や、ヨーロッパ諸語に訳することができない。
そこで諸外国民を理解させるためには、来年、野球が東京オリンピックの種目入りしたのを好機として、日本の選手がバッターボックスに立つ時には、バットを持たせないことにしよう。「専守」だから、日本チームに攻撃となる打球を禁じる。
きっと、全世界が日本国憲法の崇高な精神に打たれて、感動しよう。
妻か夫が重い病いにかかったら、病院に「必要最小限度」の医療を施すように、頼もう。だが、いったい「必要最小限度」の医療なぞ、あるものだろうか? それなら「必要最小限度」の国防も、あるはずがない。
妻か愛人に「これからは、必要最小限度の愛情を濯ごう」といったら、「あほ! ふざけるな!」と一喝されて、たちまち張り飛ばされてしまおう。
こんなことを、毎日のように口角沫(あわ)を飛ばして議論している国会は、精神科重症患者病棟という看板を掛けるべきだ。
日本国憲法の精神は、互いに「公正と信義」に委ねるべき夫婦のあいだか、愛人関係のなかに留めたい。
現行憲法は「平和憲法」の愛称によって罷り通っているが、「アメリカの平和」のために強要したもので、占領軍総司令部が日本政府に「これを呑まないと、天皇の一身の安全を保障できない」といって、英文の原案を手渡してから、1年3ヶ月後に公布された。
大日本帝国憲法を全面的に書き改めたものだから、もし日本国民の手で改正したのだったら、まさか、1年3ヶ月で公布できなかったろう。
アメリカ軍の施政下で現行憲法が施行されてから、今年で72年の歳月(さいげつ)が流れている。
いったい、どうして日本が独立国であることを頭から否定している、憲法ととうてい呼べない憲法を、こんなに長いあいだ崇めてきたのだろうか。
占領軍が日本国民を洗脳して、東京裁判史観を植えつけたからだと説明されるが、日本国民はそんなに愚かなのだろうか。
平成3年は、江戸開府400年に当たった。
日光東照宮が「江戸研究学会」を記念事業として立ちあげたが、私は江戸時代は庶民が世界のなかでもっとも恵まれていた時代だったと書いたり、講演してきたので、求められて会長を引き受けた。
江戸時代は平和がずっと続いて、庶民が豊かな生活を営み、絢爛たる文化を創り出した。
だが、300年近く続いた平和は、明治以後の日本にとって呪いともなった。
徳川時代の日本は徳川家による支配を持続することが目的だったために、新しい政治思想や、能力主義をいっさい斥けて、血筋と年功序列による硬直した体制を墨守した。明治維新は徳川体制を根底からつくり直したから、才気ある人々が国を導いたが、日清、日露戦争に勝つと、過剰な自信の自家中毒を患うようになって、江戸時代へ戻ってしまった。
先の対米戦争で、日本はボロ負けした。政界から陸海軍まで、年功序列によった。帝国の興亡がかった真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦の司令官は南雲中将で、砲術の権威だったが、航空戦について無知だった。
江戸時代の武士は儒教漬けにされたのに、孫子の心髄の「兵は詭道也」(敵を騙すこと)は、学ばなかった。武士道は精神修養の哲学に退化してしまい、勝つことではなく、「死ぬ」ことに価値が与えられた。
高度経済成長による経済大国化は、日露戦争の勝利に似ていた。日本国憲法がいつの間にか、権現様の祖法になってしまった。
天啓のアフリカ
Date : 2019/07/11 (Thu)
私は仕事で、国内、国外を頻繁に旅行する。海外が200回を数えよう。
草鞋を脱ぐ暇がない。懐かしい思い出がいっぱいに詰まった、宝石箱のようだ。
私はアフリカを訪れるのを夢見ていた。80年代に希少金属の国家備蓄計画を提言したところ、通産省から希少金属が集中して産出するアフリカ南部へお使いすることになった。
ジンバブエで大臣に接待された。ワインで喉を潤しながら、「わが国にお出下さる貴国の方々のパスポートに生年が記されていますが、戸籍制度がないのにどうしてお分かりになりますか」と質問した。すると、「自分で申告します。自分でそう思っている歳のほうが、正しいでしよう?」と切り返された。
天啓だった。私がいまでも若いと思っているのは、そのためだ。
ナミビアでも閣僚が歓待してくれた。父親は族長で妻が12人いるが、自分は妻が1人だと語った。「私も妻が1人ですが、苦労しています」と苦笑したら、「12人もいれば妻たちが自治会をつくっているので、問題ありません。それより1人が大変です。人間関係は1対1が、いちばん難しいでしよう?」とたしなめられたのを、忘れられない。
欠陥憲法を墨守しつづける愚
Date : 2019/07/10 (Wed)
令和の御代が明けたが、平成の30年、日本の周辺が風雲急を告げているのに、なぜなのか、欠陥憲法を改めることができなかった。
最高法規であるはずの憲法の前文は、日本語として文法が目茶苦茶だ。どうして国語審議会が、目を瞑(つむ)ってきたのか。
このちゃらんぽらんな憲法を真面目(きまじめ)に解釈する法律学者たちが「専守防衛」とか、「必要最小限度の防衛力」とか解釈しているが、泥酔して錯乱したとしか思えない。
金科玉条となっている「専守防衛」という言葉は、まったく意味が不明だ。英語や、外国語に訳することができない。
外国人に理解させるために、来年、野球が東京オリンピックの種目入りしたのを好機として、日本の選手がバッターボックスに立つ時には、バットを持たせなかったらどうか。「専守」だから、攻撃である打球を禁じる。
家族が重病を患ったら、病院に「必要最小限度」の医療を施すように頼もう。だが、「必要最小限度」の医療なぞあるだろうか? 「必要最小限度」の国防も、あるはずがない。
こんなことを議論している国会は、重症精神患者病棟という看板を掛けるべきだ。
現行憲法は「平和憲法」だというが、「アメリカの平和」のために強要したもので、占領軍総司令部が日本政府に「これを呑まないと、天皇の一身の安全を保障できない」といって、英文の原案を手渡してから、1年3ヶ月後に公布された。帝国憲法を全面的に書き改めたのだから、もし日本国民が改正したのなら、1年3ヶ月で公布できなかったろう。
アメリカ軍の施政下で現行憲法が施行されてから、今年で72年もの歳月(さいげつ)が流れた。
どうして日本が独立国であることを否定して、とうてい憲法と呼べないのに、改められないのか。占領軍が日本国民を洗脳して反日思想を植えつけたというが、国民はそれほど愚かであるはずがない。
平成3年は、江戸開府400年に当たった。
日光東照宮が「江戸研究学会」を記念事業として立ちあげたが、私は江戸時代は庶民が世界のなかでもっとも恵まれていた時代だったと書いたり、講演してきたので、求められて会長を引き受けた。
江戸時代は平和が300年近く続いて、庶民が豊かな生活を営み、絢爛たる文化を創り出した。だが、平和だった江戸時代は、明治以後の日本にとって呪いともなった。
江戸時代は徳川家の支配を持続することを目的としたために、新しい政治思想や能力主義を斥けて、血筋と年功序列による硬直した体制を墨守した。明治維新は徳川体制をつくり直して、才気ある人々が国を導いたが、日清、日露戦争に勝つと、過剰な自信をいだくようになって、江戸時代へ戻ってしまった。
先の対米戦争で、日本はボロ負けした。政界から陸海軍まで年功序列によった。帝国の興亡を賭けた真珠湾攻撃、ミッドウェー作戦の司令官は南雲中将で、砲術の権威だったが、航空戦について無知だった。
江戸時代に入ると、戦国時代の戦略思想が消し去られた。武士は儒教漬けにされたが、孫子の心髄の「兵は詭道也」(敵を騙すこと)は学ばなかった。武士道は精神修養の哲学に退化してしまい、勝つことではなく、「死ぬ」ことに価値が与えられた。
高度経済成長による経済大国化は、日露戦争の勝利に似ていた。日本国憲法が家康公の権現様の祖法と同じものに、なってしまったのだ。
飢餓状態の国民を無視して核開発にすがる北朝鮮
Date : 2019/07/10 (Wed)
アメリカが北朝鮮という弱小国に、翻弄されている。
いや、北朝鮮の金正恩委員長がアメリカによって、翻弄されているのかもしれない。
2月のハノイにおける第2回目の米朝首脳会談が、金正恩委員長がトランプ大統領に対して、過大な要求を行ったために物別れに終わってから、北朝鮮の核放棄をはかる米朝交渉が袋小路に向かっている。
そのわきで米中関係が激化する関税戦争によって、隘路にはまっている。
いまや、アメリカの覇権に挑戦する中国を抑えつけようとするのは、トランプ大統領だけではなく、民主党が下院で多数を占める議会の強い意志でもある。
習近平主席はこのままゆくと、中国がよろめいてしまうから、アメリカに譲歩したくても、独裁者として権威を守るために、容易に引き下がるわけにゆかない。今後、長期化する米中の対決が、日本経済を急速に冷やしてゆくから、10月の消費税は凍結されよう。
国連世界食糧計画(WFP)によれば、北朝鮮は今世紀に入ってから最悪の食糧不足に直面しており、人口2300万人のうち40%以上に当たる1000万人が、飢餓状態に陥っているという。核弾頭や、各種のミサイルの開発に、国費を注ぎ込んだためだ。
さっそく韓国の文在寅大統領が国連を通じて、お気に入りの国・北朝鮮に、8億ドル(約880億円)相当の食糧人道援助を行うことを発表した。軍人の腹をみたそうが、人民にとって焼け石に水にしかならない。
北朝鮮はそのようななかで、5月に2回にわたって短距離ミサイルを、日本海に撃ち込んだ。短距離ミサイルを発射することによって、アメリカに向かって米朝協議を早く再開してほしいと、駄々をこねたのだった。
日本政府は弾道弾の発射を、国連安保理事会による決議違反だとして抗議したが、トランプ大統領は北朝鮮の非核化へ向けて米朝協議を続けてゆきたいと望んでいるので、まったく問題にしなかった。金正恩委員長は肩すかしにあって、落胆しただろう。
トランプ政権は協議再開を呼び掛けているものの、北朝鮮が完全な非核化へ向けて具体的な措置をとらないかぎり、応じないという態度をとっている。それに対して、北朝鮮はアメリカがこの年末までに経済制裁の緩和について譲歩しないかぎり、危機がもたらせられると、脅している。
金正恩氏が頼りにしている中国は、中米関係をこれ以上悪化させたくないから、北朝鮮どころでない。ロシアも同じことだ。
金正恩氏はハノイに乗り込むまでは得意満面だったが、孤立してしまった。アジアの孤児となって、鬱々たる日を送っていよう。
それにしても、金正恩氏は国民の10人に4人が餓えているというのに、ただ1人、肥満体をかかえている。
古代ギリシアの歴史家で、ソクラテスの弟子だった、クセノフォン(紀元前430年頃~前355年頃)が、紀元前5世紀のイタリア南部にあった、都市国家のシラクの残虐な専制王だったヒロエン1世(在位前474年~467年)との対話を創作している。
「毎日、贅を盡して楽しいでしよう?」とたずねると、ヒロエンが「暗殺に怯えているから、惨めだ」と答える。
「国中から賞讃されて、快感に浸れるでしよう」というと、「うわべだけのことだ」と、吐き捨てる。
「でも、美女をほしいままに抱く楽しみがあるでしよう?」と問うと、「女であれ、男であれ、友が1人もいない。索漠とした毎日だ」と、告白する。「毎食、最上の料理を口にできるでしよう?」ときくと、「美食に飽々としてしまうから、美食の楽しみを奪われる。何一つ楽しみがない」と、嘆く。
金正恩氏を憐れんではなるまい。日本にとって、北朝鮮は同情に価しない国だ。
パリのノートルダム聖堂が炎上した
Date : 2019/07/02 (Tue)
4月15日にパリのノートルダム聖堂が、キリスト教の最大の祝日とされる復活祭のさなかに、炎上した。
イエス・キリストが十字架に磔(はりつけ)られ、3日後に復活したと伝えられるのを祝う祭である。
私はテレビのニュースで尖塔が燃え落ちるのを観ながら、セーヌ川の中洲のシテ島に建つ大伽藍といえば、エッフェル塔と並ぶパリの観光名所だが、もはや信仰の対象でなくなっていることを思った。
ノートルダム聖堂は歴史の博物館だ
ヨーロッパでは、キリスト教というより宗教離れが、進んでいる。フランスも例外ではない。最近、フランスで行われた調査によれば、フランスの若者の7%しか教会に通わない。
いや、ノートルダム聖堂は観光施設になっているというよりも、貴重な歴史博物館といったほうがよい。
ノートルダム聖堂はいまから800年前に着工され、200年かけて完成した。「ノートル・ダムNotre Dame」は「わが婦人」を意味するが、聖母マリアのことだ。
フランスといえば、すぐにフランス革命を連想させられる。
フランス革命は、国王、王妃をはじめ、5万人以上の貴族、地主など富裕階層、僧侶、尼、政敵などを大量処刑した蛮行だったのに、いまでも「パリ祭」として盛大に祝われている。
情――心よりも、理を優先するヨーロッパ人や、中国人は恐ろしい。日本に生まれて幸せだったと安堵する。
5年以内に再建するというが
フランス革命は1789年に始まったとされているが、革命派はキリスト教を敵視して、徹底的に弾圧した。
1793年に、ノートルダム聖堂から十字架や聖像をいっさい取り払って、かわりに祭壇に革命の象徴とされた、裸身に腰巻きをまいた猥雑な女性像が安置され、“自由、平等、博愛”の殿堂となった。
ナポレオンが1804年に皇帝として戴冠式を行うために、再び教会とした。
ノートルダム聖堂が炎上すると、マクロン大統領がただちに「5年以内に聖堂を再建する」と述べた。2024年にパリ・オリンピック大会が、開催される。
私はフランスだけでなく、西ヨーロッパ諸国でキリスト教が力を失っているが、いったいノートルダム聖堂が再建されたとしても、ヨーロッパでキリスト教が力を復活できるのか、疑った。
フランスでは、イスラム移民が人口の10パーセントに当たることから、再建したノートルダム聖堂は多文化を尊重して、イスラム教の礼拝も合わせて行うべきだという議論がある。
それにしても、ノートルダム聖堂の火災が、宗教や人種対立のテロによるものではなく、失火だったと知って、胸を撫でおろした。宗教・人種間のテロのグローバリゼーションの恐怖が、世界を覆うようになっている。
ニュージーランドのクリスチャン・チャーチにおける、白人至上主義者による大量殺戮が起ったばかりだ。もし、スリランカのようなイスラム過激派による放火だったとしたら、ヨーロッパにおける宗教・人種間のテロが激化した。
西洋の信仰心の行方は
ヨーロッパにおいてキリスト教の信仰心が衰えたといっても、ヨーロッパの人々はヨーロッパをキリスト教文明圏だとみなしており、イスラム住民に対する嫌悪を強めたことになったろう。
宗教・人種対立の根は深い。ユダヤ教から分かれたキリスト教が、ユダヤ教の唯一つの聖書を、神の古い約束である『旧約聖書』と呼んでいるが、『旧約聖書』と、ユダヤ・キリスト教から派生したイスラム教の聖典『コーラン』を読むと、宗派や、部族間の憎悪を煽っていることに、呆然(ぼうぜん)とさせられる。
神武天皇が即位された時に発せられた詔(みことのり)に、世界の全ての人々が一つの家族として睦みえという、「八紘一宇(はっこういちう)」の教えがあるのと比較すると、地球と別の惑星が存在しているようにすら思える。
神道が森羅万象の和を説く、心の信仰であるのに対して、宗教は信じること――理のうえに、成り立っている。
紀元1世紀頃に生きたローマの大学者だったケルススが、キリスト教を論じた著作がある。
「キリスト教徒は十字架を力の象徴として仰いでいるが、もし、キリストが絶壁から投げ下ろされて死んだとしたら、壁を拝むのだろうか」「なぜ、全知全能の神が人の姿をして、地上に降りる必要があったのか」「どうして完全無欠の神が、欠陥だらけの人を装うことができたのか」「なぜ、この時になって人を救おうとしたのか。世界のなかでたった一つの地域だけ、選んだのか」「神とイエスの二人の神がいるのなら、その上に最高神がいるはずだ」と、辛辣に批判している。
ケルススはセルサスとしても、知られている。百科事典を編纂したといわれるが、このなかの薬科全書だけが遺っており、ヒポクラテスと並ぶ碩学として称えられてきた。
キリスト教離れが進んでいる
キリスト教の教義のなかで、もっとも難解なのが、神とその子のイエスと精霊の3つが1つの存在であるという三位一体であり、教義の基本となっている。
私が親しくしているフランス人のジャーナリストは、もはやキリスト教を信じていないが、「三位一体はスーパーマーケットで、1つの値段で3つ買えるというものだ」といって、笑っている。
フランシス教皇が来日する
この11月に、カトリック教会のフランシス教皇が来日して、長崎、広島を訪れることになっているが、このところカトリック教会は崩壊の危機に瀕している。
今世紀に入ってから、カトリック教会では全世界にわたって、枢機卿、大司教、司教、神父をはじめとして、多くの聖職者が、青少年、女性や、尼僧に性暴行を加えたかどで告発され、教会の土台が大きく揺ぐようになっている。
教会は性的な紊乱によって蝕まれてきたのを、長いあいだにわたって隠蔽してきた。
イエス・キリストが「人を獲る漁師」と呼ばれたことから、魚がカトリック教会のシンボルの1つとなってきたが、在京のイタリアの外交官と教会の性スキャンダルについて話していたら、「イタリアには『ロ・ソホ・コメ・ウンペチェ・ノン・ポソ・パルラーレ』(魚は口をきかない)という諺(ことわざ)がありますよ」と、教えてくれた。
エコロジーが新しい信仰だ
フランシス教皇は2013年から“神の代理人”として、カトリック教会の頂点に立ってきたが、カトリック史上、離婚者の再婚をはじめて容認し、聖書で固く禁じている同性愛者を祝福するなど、物議をかもしている。フランシス教皇はバチカン法王庁教皇補佐役のクリストフ・カラムサ神父と、同性愛のパートナーとして同棲してきたことを認めたと、欧米で報じられている。
アメリカの大都市部でも、キリスト教離れが進んでおり、人々が自然に神性を感じるようになっている。宗教にかわって、エコロジーが人々の新しい信仰となりつつある。
日本は自国の文化を大切にしよう
宗教、人種間のテロがグローバル化しているかたわら、人が八百万千万(やおろずちよろず)の森羅万象によって生かされており、自然を敬う日本の心に当たる、エコロジーが力をえるようになっている。
幕末から明治にかけて、浮世絵を中心としたジャポニズムが、西洋の絵画芸術、ファッション、庭園、建築などに、深奥な影響を与えた。だが、この時代のジャポニズムは、視覚的なものだった。
だが、いまや万物に霊(アニマ)が宿っている日本のアニメから、自然を食する和食、武道、茶道、おもてなしの心まで、精神的なジャポニズムが新たな高波となって、西洋を洗いつつある。
日本国民として、いまこそ自国の文化を大切にしたい。
昭和天皇 そのご動静と苦悩
Date : 2019/06/24 (Mon)
私は先の大戦の最後の年の昭和20年の元日の夜明けから、対日占領が終わった1年前にマッカーサー元帥が罷免され離日するまで、昭和天皇のご動静を、『週刊新潮』に昭和49年5月から50週にわたって連載した。
天皇を囲んでいた皇族、政府・軍幹部、侍従、身のまわりをお世話する内舎人(うどねり)、祭祀を介添えする掌典(しょうてん)、巫女の内掌典など160人以上に、克明なインタビューを行ったものだった。
空襲が激しくなるなか、天皇が皇居でどのように過されていたのか、徹底抗戦を叫ぶ軍と、現実との和戦の狭間(はざま)に立たれて、どのように苦悩されたか、知られなかった真実があきらかにされたために、大きな反響を呼んだ。
連載が始まると、海軍軍令部に勤務されていた高松宮殿下が、開戦翌年に海軍がミッドウェー海戦で主力の機動艦隊を失った直後に、「兄宮」(天皇)に宛てて、「この戦争に勝てない」と私信を届けられた秘話を伺って書いたが、殿下がそれまで語られることがなかったので、大きな話題を呼んだ。
昭和天皇は弟宮と会われても、その職責にない者の意見を、取り上げられなかった。
昭和天皇は私たちとまったく違う時間の尺度を持っておられた。日本を2000年以上にわたる物差しで、考えておられた。
昭和20年に戻ろう。天皇は軍がまだ勝利を収めることができると、信じられていた。
2月に近衛文麿公が拝謁して、「日本は戦争に敗れた。今降伏しないと共産革命が起る」と上奏すると、「もう一度戦果を挙げたうえでないと難しいと思う」と、仰言せられた。
天皇は幼少時から、乃木希典大将、東郷平八郎元帥などの薫陶を受けられて、軍を信頼されていた。梅津治美郎参謀総長が皇居内の防空舎に連日参内して、フィリピンにおける戦況を地図をひろげて上奏すると、「それで大丈夫か。兵站(へいたん)はどうなっておるか」と鋭く指摘されたが、命令されることはなかった。
硫黄島が失陥し、4月に米軍が沖縄本島に上陸した6日後に、鈴木貫太郎海軍大将に組閣を命じられた。鈴木は木戸幸一宮内相から陛下が「終戦を考慮あそばしておられるように拝察する」ときかされた。
天皇皇后は御住まいを兼ねた防空舎の御文庫で、しばしば夜、侍従、侍従武官、女官などを招かれて、かるたを楽しまれた。侍従武官が「夜ハ謡かるたノ御相手ニ興ズ。賑ヤカニ遊バサル」と、日記に記している。
天皇は懊悩されていた。「あのあの」とか、「どうもどうも」とよく独り言をいわれ、朝晩歯ブラシをくわえられたまま、注意申し上げるまで呆然とされておられた。
5月に木戸と連合国の和平条件について相談され、「和平は早いほうがよい。だが、鈴木は講和の条件についてどうも弱い。軍の完全武装解除について、何とか3000人か5000人残せないか」と仰言られた。木戸が「5000人残しても、有名無実です」とお答えした。
7月に入ると、天皇は伊勢神宮にある八咫鏡(やたのかがみ)と、熱田神宮にある草薙剣(くさなぎのつるぎ)が米軍に奪われることを、憂慮された。三種の神器のもう一つである勾瓊(まがたま)は、皇居にあった。天皇は木戸に、「万一の場合は、自分がお守りして運命を共にするつもりだ」と、いわれた。 昭和天皇は、いつ終戦を決意されたのだろうか?
天皇は前年10月に靖国神社の例大祭に御幸されたのを最後に、東京空襲が始まったので、皇居から出られなかったが、3月10日に東京大空襲によって10万人が死亡したと推計されると、被災地を視察されたいといわれた。
軍は「一億玉砕」の本土決戦を決めていたから強く反対したが、3月18日に皇居を出られて、1時間以内に往復できる深川の富岡八幡宮に御幸された。
天皇は神社の境内から四囲の焼け野原を見入られて、「こんなに焼けたか‥‥」と絶句され、御料車へ促されるようにして戻られた。私は天皇がこの時に、終戦を決意されたにちがいないと確信した。だが、私の推測でしかなかったので、そう書くことができなかった。
富岡八幡宮の大鳥居を潜ると、伊能忠敬の銅像がある。忠敬はここで成功祈願を行ってから、全国測量の第一歩を踏み出した。
私は忠敬の玄孫(やしゃご)に当たるので、“江戸の三大祭”といわれた富岡八幡宮の例大祭が江戸時代を通じて、8月15日であることを知っていた。天皇が終戦を決意され、例大祭の日に大戦が終わったのは、御祭神の神威によるものだったと考えたが、これもオカルトのようだったので書けなかった。
天皇はこの後空襲を恐れて、終戦まで皇居の外にお出になられなかった。
8月に終戦を決定した御前会議が開かれ、天皇は「ほかに意見がないようだから、わたしの意見を述べる。わたしは国内の事情と世界の情勢を考え合せたうえで、これ以上、戦争を続けるのは無理だと思う」と仰言せられて、御聖断を下された。天皇は白手袋の指先で、頬を伝わる涙をしきりに拭われた。
天皇は阿南惟幾陸相が号泣しているのを見られて、「阿南、阿南! わたしには国体を護る自信がある」と叫ばれた。
軍人は天皇と軍が一体だと、信じていた。「特攻隊の父」といわれた大西滝治郎軍令部次長をはじめ、「天皇は先頭に立たれず、皇居で女官と遊んでおられる」と批判する高級軍人がいたが、天皇は日本の最高祭司であられて、武家の棟梁ではなかった。
貞明皇太后は御前会議の決定を知られると、かえって「皇室が明治維新の前に戻るだけのことです」と、毅然としていわれた。
歴史によって蓄えられた天皇の大きな力なしに、昭和20年夏の未曽有の危機に当たって、大戦を終えることができなかったろう。
(本書は3月に『昭和天皇の苦悩』『昭和天皇の苦闘』に分けて、勉誠出版新書として復刻された。)
皇位の安定的継承へ 皇室典範改正を
Date : 2019/06/07 (Fri)
4月に都内で講演した時に、私は「天皇が日本の美徳を代表されているのに対して、政治家が悪徳を代表している」といった時に、和田政宗参議院議員が前列に座っていられるのに気づいて、「ごく少数の政治家を除いて」と、慌てていい直した。
和田議員はNHKのアナウンサーとして知名度が高いが、皇室の崇敬者として、天皇を戴く日本の国柄を守るために、国政の場で先頭に立ってこられた。7月の参院選挙の改選に当たって、全国区から立候補されている。和田先生にぜひ投票していただきたい。
天皇は2000年以上にわたって、日本の文化の原型を守ってくださってこられた。天皇は美徳を代表されてこられたからこそ、日本の民族意識のもっとも底にある要(かなめ)になってきた。
日本国憲法は、天皇の地位が「主権の存する国民の総意に基く」と規定しているが、まさか、いま生きている国民だけを意味していまい。日本が開闢してから生きてきた、日本国民全員の総意に基くと、解釈すべきである。
世界に200あまりの国があるが、元首の家系が万世一系といわれて、226代にわたって辿(たど)れる国は他にない。
令和という元号が示すように、日本は天皇のもとで、国民の和を保ってきた。私たちは天皇がいない日本を想像することが、まったくできない。
外国の王朝の出自はみな、覇者である。自由な選挙によって選ばれた首相も、覇者であることに変わりがない。天皇がいなければ、日本はまったく違った国となってしまおう。
天皇、あるいは皇室のありかたが、その時代にあわせて変わってゆかねばならない、という声がある。
「開かれた皇室が望ましい」とか、「皇室は国民のあいだに融け込む努力をするべきだ」という。そのなかで「庶民的なプリンス」とか、「庶民的なプリンセス」が人気を博する。
だが、皇室を平民社会、大衆社会のなかに吸収させてしまって、よいものか。日本という国が現われてから、天皇家が変わることなく、文化の原型を守ってこられたからこそ敬われ、今日まで続いているのではないか。
皇室の人気を芸能人の人気と、同じように考えてはなるまい。芸能人の人気は上がったり、下ったりする。
天皇家は日本と世界の幸せを真摯に祈られる宮中祭祀を守られ、徳の手本として存在してくださっているから有難い。
平成最後の年の4月に、天皇皇后両陛下が伊勢神宮に行幸啓された。テレビで拝したが、沿道を埋めた群衆のなかの中年の女性が、記者の質問に答えて、「もったいない」と語ったのが、国民感情を現わしていると思う。
私は皇嗣殿下となられた秋篠宮殿下が、平成元年に礼宮であられたが、昭和天皇の諒闇(りょうあん)中に婚約された時に、皇室の将来について深い不安をいだいた。まだ、兄宮の御婚約が決まっていなかった。一般の家庭でも喪があけていないのに、急いで祝い事を決めないものだ。秋篠宮家のお二人の内親王殿下の奔放なお振舞いや、「一個人として」というご発言も、皇室のありかたにそぐわない。
秋篠宮家の悠仁親王殿下が、皇位継承者第2位となられた。このままゆくと、悠仁親王がお一人だけになって、お世継が絶えて、皇統を維持することが危ふくなる。
先週、私の小学校の同級生のM君から、手紙を貰った。 「天皇家の将来を考えると、心配です。このままでは先細りになって、絶滅危惧種です。皇統の男子を残り少ない宮家の養子とするよう、皇室典範を改めるべきです。このままでは、全ての宮家が消滅してしまいます」
まったく同感である。占領下で臣籍降下を強いられた旧宮家の男子を、皇籍に迎えるべきである。
どのような社会も、その国の伝統文化によって、支えられている。
令和は未曽有の危機の御代だ
Date : 2019/06/07 (Fri)
令和の御代は、日本にとって未曽有の危機をはらんでいる。
トランプ政権はかつて東西冷戦下、レーガン政権がソ連を崩壊させたように、中国の共産体制を倒すことを決意している。米中関税戦争は、その入り口でしかない。
中国が世界に対する脅威であって、中国を抑えつけようというのは、トランプ政権だけではない。アメリカ連邦議会の強い意志だ。
中国経済が揺らいで、日本の景気も冷えきろう。10月の消費税増税は凍結されよう。
令和の御代に、皇室の存続が問われている。日本国憲法が何をいおうと、天皇こそが国民精神の要(かなめ)となって、日本を日本たらしめてきた。
天皇なしには日本は、中国や、韓国のような乱れた国となる。天皇が日本の美徳を代表してきたが、政治家は悪徳を代表してきた。
中国、朝鮮は覇者の政治文化だが、自由な選挙で選ばれた首相だって覇者だ。
いま、今上陛下を除けば、男性皇族が3人しかおられない。世論調査によれば、女性天皇を望む声が、80%を占めている。これまで8人の女性天皇が10代おいでになられたが、全員が独身か、寡婦だった。
女性天皇と、女系天皇は違う。女性天皇が配偶者を迎えれば、皇統が2000年以上も男系で受け継がれてきたが、初代の女系天皇となる。遺伝子学によれば、DNAは男系によってのみ、受け継ぐことができる。女系は新しい血統になる。女系は亡国を招く。
日本は天皇を頂点として戴く、家族国家であることを誇ってきた。日本を日本たらしめてきた家族制度が、崩壊しつつある。子孫を残すことが家の目的であったのに、「家」は住宅を意味するだけの言葉となってしまっている。
社会が物質的に豊かになると、地域共同体や、集団を形造っている固い絆や、家族の結びつきが弱まって、個人が社会の主人公として、もっとも大事にされる存在となる。
私たちは個人が崇められている、まったく新しい社会に生きている。個人の欲望をみたす金(かね)が、人と人を刹那的(せつなてき)に結んでいる。
金(かね)には心も、情もない。伝統的な心の絆が力を失うと、家族愛も、愛国心も失われる。
かつて企業は、家族といわれた。会社を家族として見なくなったために、正社員に替って、使い捨ての不正規労働者が働く場となった。愛社心も、愛国心も同じことだ。
憲法改正が実現する日こそ、主権回復の日となる
Date : 2019/06/03 (Mon)
4月28日に、都内で「主権回復記念日国民集会」が行われて、私も弁士の1人として登壇した。
この日は、日本がサンフランシスコ講和条約によって、昭和27(1952)年に独立――主権を回復した日に当たる。
これまで、私はこの日の集会に参加したことがなかった。というのは、アメリカ軍による占領下で強要された憲法があるかぎり、日本が独立国として主権を回復したと思えないからである。
現行の日本国憲法は前文の冒頭で、「日本国民は(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とうたっているが、「政府」というのは、日本の政府のことである。
私は日米近代史の研究者として、先の大戦はアメリカ政府の行為によって起ったと信じているが、この前文は不当なことに戦争の咎を、日本だけに負わせている。
憲法第9条『戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認』では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は」「永久にこれを放棄する」「陸海軍とその他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」と述べて、日本の主権を否定している。
猛禽猛獣がうろつくジャングルである国際社会で、日本を赤子の生け贄のように放置しておくと述べているのだ。ここの「武力による威嚇」は、「武力による抑止力」と読むべきである。
私は集会で登壇して、「残念だが、この憲法があるかぎり、日本が主権を回復したとはいえない」と、訴えた。憲法を改正した日を主権を回復した日として、祝いたい。
現行憲法は日本国民に、国家権力が悪であり、戦うことがどのような場合においても、悪であると思い込ませてきた。だが、どのような国家も、国民の負託に応えて権力を行使するし、国民の生命財産と独立を守る必要に迫られた場合に、戦うものだ。
いうまでもなく、権力は悪ではない。自国を守るために戦うことが、悪であるはずがない。日本は国旗、政府があっても、国家としての要件を満たしていない。
それなのに、いったいどうして日本の主権を否定する、憲法の名に価しない憲法を、今日まで戴いてきたのだろうか。
私は現行憲法を“偽憲法”と呼んできたが、どうしてこのような重大な欠陥がある憲法を、今日に至るまで改めることがなかったのか、理解できない。
多くの国民にとって先の敗戦は、男であれば戦勝国によって睾丸を抜き取られたか、女であれば強姦されて、処女を失ったような強い衝撃を受けて、なすことを知らず、自暴自棄になってしまった。
そのために、自己を社会からはずされたアウトキャスト――除(の)け者とみなして、はずされた者だから何をしてもよい、何も責任がないという自虐的な態度をとるようになってしまったとしか、思えない。
日本はまるで不良少年か、不良少女のような国になってしまったのだ。自棄(やけ)になって、自分に対する責任を負うことも拒んでいるのが、護憲派の本性なのだろう。
護憲派を更生させなければ、日本が亡びてしまおう。
自衛隊機事故で得た違和感 憲法に自衛隊を書き込むべきだ
Date : 2019/05/21 (Tue)
4月に、わが航空自衛隊の最新ステルス型F35戦闘機が、三沢基地から訓練飛行中に、青森県の日本海沖合で墜落する事故があった。
はじめの報道では、パイロットが40代の2佐(国際的呼称では中佐)ということだった。尾翼が発見され、殉職した隊員が41歳の操縦幹部で、姓名が公表された。
最新鋭の戦闘機パイロットが40代だったのは、自衛隊員の高齢化が進んでいるからだ。
高齢化が、陸海空三自衛隊を蝕んでいる。
列国のジェット戦闘機のパイロットは、30代で引退するものだ。
若者が自衛隊に応募しないために、自衛隊は定員に満たず、陸上自衛隊をとれば15万人の定員に対して、13万人しかいない。中隊長は旧軍では20代か、30代だったが、陸上自衛隊では定年直前の48、9歳が、珍しくない。
高齢化は、深刻だ。三自衛隊を年齢の樹に見立てると、幹部(国際的呼称では将校)、曹(下士官)、士(兵)のうち、曹ばかり異常に多いために、腹が突き出して、体を支えるべき脚が細い。
このために、自衛隊は応募の年限が28歳だったのを、昨年から32歳に引き上げるかたわら、体重の制限も外した。
それと並んで、防衛省は女性自衛官を増すことによって、補おうとしている。
大手の保険会社が毎年行っている、青少年が憧れている職業の調査によると、警察官は入っていても、自衛官が入ったことが一度もない。国民の国防意識が弛緩しているのだ。
私はF35戦闘機が洋上で遭難した直後に、三沢市の種市一正市長が搭乗員の安否を気づかうことも、殉職に哀悼の意を表することもまったくなく、陸地における墜落の危険のみを危惧して、飛行再開に反対したことに唖然とした。 これも、憲法に自衛隊が書き込まれていないからだ。
もし、国軍であったとしたら、市長が国民の一人として、このような非礼を働くことができただろうか。
岩屋防衛大臣が、今回の訓練中の事故について陳謝したが、陳謝する必要があったのだろうか。広報として必要であるならば、大臣ではなく、航空幕僚長か、制服の幹部が行えばよいことだ。
日本を取り巻く国際環境が厳しいものとなっている時に、自衛隊を鵺(ぬえ)のような存在にしたままでいることは、許されない。鵺は伝説上の正体不明の怪獣である。
政府は「自衛隊は軍ではない」という詭弁を、いまだに改めないでいるが、国民全員が自衛隊という呼称自体が欺瞞であることを、よく知っていよう。 江戸時代に、禁酒を強いられていた僧侶が、般若場といって誤魔化し、四つ足を食べてはならなかったので、猪を山鯨と呼んで、兎を鳥だということにして、いまでも1羽2羽と数えるようなものだ。
自衛隊の存在を認めたうえで、応援している国民の大多数が、「普通科」(歩兵)「特科」(砲兵)「対地支援機」(攻撃機)「運用」(作戦)をはじめとする、謎めいた“自衛隊特殊語”を、理解できないでいる。
いうまでもないことだが、自衛隊と国民、軍と国民は一体でなければならない。
一日も早く、継子(ままこ)となっている自衛隊を憲法に書き込み、国民の実子にしなければならない。
「令和」の御代にこそ憲法改正を期する
Date : 2019/05/10 (Fri)
早春に80代の親しい婦人の夫君が、長い闘病生活の後に亡くなった。医師だったが、歌人でもあった。
私は悲嘆に暮れる夫人に、万葉集の一首の「行く方なき空の煙となりぬとも 思ふあたりを立ちは離れじ」を手渡して、慰めた。私は万葉集に親しんできた。皇子が恋した娘に先き立たれて、口ずさんだ歌である。
4月1日に、新しい元号が発表された。万葉集が出典だった。私は日本の歴史ではじめて、元号を中国の漢籍ではなく、国書から採ったことを、何よりも喜んだ。
明治は文明開化とともに、日本化の時代だった。天皇は江戸時代が終わるまで、即位礼に真紅の大袖に龍の縫い取りがある中国服を、召されたものだった。
平成が200年ぶりの御譲位によって、終わる。私は平成を占領下で強いられた憲法を、改められなかったことによって記憶しよう。
私は今上陛下が3年前の8月8日に、テレビを通じてお言葉を読まれたのを、謹聴した。
ご高齢によってお疲れになられたから、譲位したいと訴えられた。
私は月刊『WiLL』誌に、「これは天皇によるクーデターだった。明治天皇によって定められ、現憲法下で継承されている皇室典範は、天皇の譲位を認めていない。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならない」と、寄稿した。
NHK社会部の記者がインタビューにきたが、私は「天皇のお言葉は憲法違反だったのに、どうして護憲を日頃説くNHKが、憲法違反のお言葉を放送したのか」とたずねたが、答がなかった。
私は現行憲法を国際法に違反した、正統性がない「偽憲法」と呼んできた。
現憲法には、多くの重大な瑕疵(かし)がある。なかでも、天皇を「象徴」として、国民より下に置いているのは、日本が歴史を通じて守ってきた伝統を歪めている。
国会は一昨年6月に日本共産党を含む全会一致で、「天皇退位などに関する皇室典範特例法」を可決した。国会が天皇が現憲法の上にあることを、認めたのだった。譲位を「退位」と呼んだのは、天皇の御意志によって譲位されると、憲法に違反したからだった。
今上天皇は英邁であられる。8月8日のお言葉によって、「象徴天皇制」を一撃で破壊されたのだった。
陛下は聡明であられるから、その後、お言葉のなかで護憲派の反発を招いて、国論が割れないように、「象徴天皇としてのありかた」に、頻繁にお触れになられている。
占領憲法に罅(ひび)が入ったのだった。令和の御代に憲法が改正されることを、強く期待したい。
今日、天皇は身近なご相談相手を欠いておられる。天皇は日本の要(かなめ)であられるのに、皇居で孤立されている。 旧憲法下では、内大臣が宮内官として側近にあって、日常意見を求められたし、総理大臣以下閣僚や、軍幹部が頻繁に参内して拝謁した。
ところが、宮内庁長官と侍従長は、全員が皇室の伝統についてほとんど無知である。
11月に皇居において、天皇を天皇たらしめる大嘗祭が、執り行われる。
古来から大嘗祭のために建てられ、すぐに撤去される大嘗宮の仮宮は、青い茅(かや)で葺(ふ)かれてきた。ところが、皇族のお1人が経費を節減するために板張りすべきだと、意見を述べられた。伝統についてご勉強が足りないと、お諫め申し上げねばならない。
積水ハウスか、タマホームの建て売り住宅風では、伝統の尊厳を損ねてしまう。
会計検査院によれば、3兆円が来年の東京オリンピックに投じられる。皇室あっての日本だが、オリンピックを催さなくても、日本は日本だ。
万世一系の天皇が統べておられる国・日本
Date : 2019/05/07 (Tue)
新帝が御位を継がれたことを、寿(ことほ)ぎたい。
御代替りが決まってから、ことあるごとに「平成最後の」といわれた。 皇室の存在が大きなものだと、痛感した。日本国憲法がどう規定しようが、万世一系の天皇が日本を統べておられる。
天皇こそ日本を、日本たらしめている。世界に200あまりの国があるが、元首の家系を2000年以上も辿れる国は、日本だけだ。
いったい、126人の天皇のもっとも大きな特徴は何だろうか?
いつも謙虚であられ、つねに国民の幸福を真剣に願ってこられたことだ。どの天皇も世界のなかで、もっとも謙虚な人であられた。
明治天皇は「国民のうへやすかれとおもふのみ わが世にたえぬ思なりけり」と、御製を詠まれている。
世界のどの国も、皇帝や国王は最高権力者として、誰よりも高い徳を備えていると称して、傲慢に振る舞ってきた。
歴代の天皇は大地震や、水害や、疫病などに見舞われると、自分の徳が欠けていたために災禍を招いたことを、国民に詫びる詔(みことのり)を発しておられる。第56代の清和天皇は大地震のあとで、「百姓(ひゃくしょう)(人民)何の事ありてか、禍毒に罹(たお)れる。憮然(ぶぜん)として愧(は)じる。責(せめ)深く予(われ)に在(あ)り」と述べられた。
天皇のなかで海外の王侯のように、贅に耽った方はおいでにならない。天皇は力や財力がなくても、国民によって敬まれてきた。
私は皇居にあがったことがあるが、海外の宮殿が豪華なことによって、人々を威圧するのと違って、財宝のような物が一つもない。
天皇の何よりも大切なお仕事は、皇祖神と全国の神々の天神地祇(ちぎ)と、山や川などあらゆる自然に祈られることだ。
私は幼いころから祖母に、「八百万千万(やおろずちよろず)様(さま)に感謝しなさい」と教えられたが、八百万(やおろず)も千(ち)万(よろず)も、「無数」を意味していない。私たちは神々や、山川草木鳥獣の万象の恵みを受けている。八百万(やおろず)は日本列島の異なる風土に生きるすべての人々と、自然を意味している。
日本国民は世界の誰よりも、「和」を大切にしている。謙虚な国民で、互いに譲り合う。私たちは行列しても、目に見えない力が働いているように順番を守るし、八年前の東北大震災の時には「和(やわらぎ)」の心を尊んで、秩序を乱す者がいなかった。
1億2000万人もの人口を擁しているのに、国民が同質だと信じている国も他にない。
福沢諭吉が『帝室論』(明治5年)のなかで、「帝室は直接に万機に当らずして、万機を統べ給う者なり。直接に国民の形体に触れず、其(そ)の精神を収攬し給ふものなり」と論じている。
天皇は他の国々と違って、覇者ではない。天皇は和の文化を一身に体現されておられ、すべてを包み込む。天皇は21世紀に入っても、日本の精神的な中核でおられる。
他の国の君主は、みな覇者の血統をひいている。今日の中国などの独裁者はいうまでもなく、民主制度をとっている諸国においても、首長は選挙に勝った覇者である。
天皇は日本の統治者であられる。そういうと、「日本国憲法を知らないのか。憲法は国民が主権者だと規定している。国民が日本の統治者だ」といって、反論する者がいよう。 統は「ばらばらなものを一つに統(す)べる」であり、治は「治(おさ)まる」を意味する。日本は天皇がおいでになるから、一つに纏まる。
グラムシの予言に慄然 衰弱する愛国心
Date : 2019/04/24 (Wed)
アメリカ鷲と中国龍が、アジア太平洋の未来を賭けて争っている。
かつての米ソ間の冷戦になぞらえて、「第2の冷戦」といわれている。 といって、自由主義対共産主義の抗争ではない。
今日の中国は毛沢東時代と違って、共産主義と呼べない。 中国共産党による専制下にあるが、習近平主席の中国は「5000年の偉大な中華文明の復興」を呼号しており、独裁制とナショナリズムである中華主義が結びついている。
習主席の中国は、春秋時代(紀元前722年~前481年)に生きた孔子を称えているが、「5000年の中華文明」は19世紀に生まれた共産主義と、まったく無縁なものだ。
そのかたわら、豊かな先進自由諸国ではグローバリズムによって愛国心が蝕まれて、ナショナリズムが衰弱するようになっている。
共産主義の脅威はもはや暴力革命や、一党独裁によるものではなく、伝統社会と国家を破壊しつつあるグローバリズムとなって、私たちを襲っている。 昨秋ワシントンを訪れた時に、アントニオ・グラムシ(1891年~1937年)の著作集を求めて、久し振りに読んだ。読みなおすと、この異端で鬼才だった共産主義者による予言が当たっていることに、慄然とした。
グラムシといえば、日本で1960年代から70年代にかけて、新左翼の青年たちによってひろく読まれたものだった。
グラムシはイタリア共産党のイデオローグとしてグローバリストであり、「ヘゲモニー(指導)装置」と呼ぶ「国家の消滅」を目標としたが、階級闘争によって歴史の必然として革命が成就して、共産社会が実現するというマルキシズムの理論を否定して、第2次大戦前に、粗暴で権威主義だとみたロシア(ソ連、中国、北朝鮮など)モデルの社会主義体制が、瓦解することを予見していた。
グラムシは先進国において科学技術が進み、豊かさが増した結果、上部構造に従属してきた社会集団が分解して、ヘゲモニーが理論も、革命への自覚も欠き、まったく組織されることがない一般の人々に移ることによって、国家が消滅してゆくことを、見透した。
そして伝統が培った生活慣習を、「歴史的堆積物」と呼んで、滓(おり)とみなした。人々が在来文化の鎖に繋がれてきたが、古い鎖が溶解してゆくと説いた。
グラムシは個人に何よりも高い価値が与えられることによって、慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、解体することを予見した。
私たちの身の回りでも、社会を統べてきた人と人のあいだの絆や、日常用いられてきた言葉に託されてきた意味や、伝統的な儀礼などの慣習が、人々を束ねてきた機能を急速に失うようになっている。
年を追うごとに、新年が新年らしくなくなっている。一つの例にしかすぎない。日本が日本らしくなくなっているのだ。
人も企業も、全世界に通用する金(かね)を崇めるようになっている。金(かね)はグローバリズムそのものだ。
人々はつい昨日まで、先人から受け継いできた社会の伝統文化や、徳目を尊んできたが、精神的に無国籍な若者や、LGBTなど、個人が聖なる存在となったために、私たちのすぐ目の前に無政府状態がある。
「制裁継続」を決めたトランプの腹の内
Date : 2019/04/10 (Wed)
2月末、8ヶ月ぶりにハノイで開かれた、鳴り物入りの米朝首脳会談が終わった。
前日、私は都内の帝国ホテルで経営者団体に招かれて、講演を行った。
私は「もし予想が外れたとしたら、もう一度お招き下さって、なぜ予想が外れたのか、詳しくお話したいと思います。北朝鮮が核兵器を手放すことはありえない。明日から始まる米朝サミットは、成果がなく終わるでしよう」と、述べた。
米朝首脳会談の寸前まで、テレビにさまざまな専門家が登場して、アメリカのカードはこうだ、北朝鮮のカードは何だといって、米朝間で取り引きが行われることを、まことしやかに論じていた。こういった番組はニュース番組ではなく、物見高い視聴者を満足させるエンタテインメントなのだから、おもしろおかしくなるのは仕方がない。
2日にわたった米朝首脳会談が終わった直後に、先の経営者団体の会長が電話で「よく適中しましたね」といって、誉めてくれた。
私は金正恩委員長がトランプ大統領と再会して握手する時には、掌(てのひら)を垂直にださずに、水平に差し出すことになるはずだ、といった。一刻も早く制裁を解除して、お金が欲しいと急(せ)いたあまり、トランプ大統領が呑めない要求を行うことになるだろうと考えた。
米朝首脳会談が物別れだったのは、上首尾だった。トランプ大統領の技が、1本決まった。
トランプ大統領は会談後、金委員長を「よい友人だ」と誉めそやしたが、金委員長に何1つ土産を渡すことがなかった。今後、アメリカは北朝鮮に対する経済制裁を、いささかも緩めることがないから、金委員長の苦難が深まることになる。
金委員長はハノイでしくじった。これには、親北・反日の文在寅韓国大統領が南北融和を焦って、金委員長にアメリカが北朝鮮に譲ることになるという、甘い期待をいだかせた責任が大きい。文大統領にとって大きな挫折だ。
それにしても、トランプ大統領はニューヨークのマンハッタンで不動産業で財をなした父の子として、少年時代からマフィアや、建築業界の労働組合の幹部たちとつきあっていたから、相手を微笑を浮べて、誉めながら脅すのに長(た)けている。アメリカの建設業界の労働幹部は、マフィアによく似ていることで知られる。
私はシンガポールにおいて第1回米朝首脳会談が行われた前から、北朝鮮が核兵器を捨てることはありえないと、説いてきた。核兵器なしには北朝鮮は経済が破綻した、みじめな小国にしかすぎない。アメリカの大統領と会談できるのも、核兵器の効用である。
仮に北朝鮮が「非核化」を受け入れたとしても、核弾頭の所在や、核施設を「自己申告」することになっているから、隠すことができる。北朝鮮が無条件降伏をしないかぎり、北朝鮮全土を隈なく捜すことはできない。
北朝鮮はアメリカと話し合っているかぎり、核実験や、ミサイルの試射を行うことができない。これはトランプ大統領の大きな功績だ。
それにしても、金正恩委員長は、トランプ大統領が“ロシア疑惑”によって追い詰められ、来年の大統領選挙へ向けて功名をたてることを焦っているという、アメリカのマスコミの報道によって騙されたのではないか。
アメリカの主要なマスコミはこの前の大統領選挙で、ヒラリー候補を支持して惨敗したために、日本のマスコミが「反安倍」であるように、反トランプ報道に血道をあげている。
“ロシア疑惑”がトランプ政権の致命傷となることはありえないし、トランプ大統領の支持率はかえってあがっている。
北朝鮮の金体制が崩壊しないかぎり、北朝鮮の脅威は去らない。日本は、中国の脅威にも、備えなければならない。 日本として米朝の話合いが続くあいだ、防衛力の強化を急ぐべきである。
中国、北朝鮮、“日本国憲法”の脅威に直面する日本
Date : 2019/04/03 (Wed)
与党が衆参両院で憲法改正を発議できる議席の3分の2を占めているのにもかかわらず、憲法改正へ向けた歩みが滞っている。
朝日、毎日、読売新聞、共同通信社などによる世論調査をみると、「改憲を急ぐべきでない」という回答が、改憲に取り組むべきだという意見を、上回っている。
このままゆくと、安倍政権が続くあいだに、戦後72年にもわたって、日本の国家形態、統治組織、統治作用を規定してきた“占領憲法”を、改正することができるか、不安に駆られる。
アメリカは日本占領下で、日本がアメリカの軍事保護なしには亡国となる「日本国憲法」を、強要した。とうてい独立国の憲法といえないものだ。日本が二度と独立国となることを、否定していた。
もうすぐ、平成の30年あまりが終わるが、このあいだに日本を取り巻く国際環境が、いっそう厳しいものとなって、日本が独立することを強いられている。
日本が置かれた状況が、アメリカによった占領下の時代と一変したというのに、いまだにアメリカの占領下にあることを、前提としている憲法を奉じている。
米朝首脳会談が8ヶ月ぶりにハノイにおいて鳴り物入りで行われたが、トランプ大統領は金正恩委員長が経済制裁の緩和を求めたのに対して、金委員長を「私の友人だ」とおだてながら、何一つ与えることなく物別れに終わった。 上々の首尾だった。私は以前から北朝鮮が核兵器を手放すことはありえないと論じてきたが、アメリカは経済制裁を加え続けるから、手ぶらでピョンヤンに戻った金委員長の苦境は、いっそう厳しいものになる。
北朝鮮は米朝間で話し合いが続いているあいだは、核実験も、ミサイルの試射も慎むはずだ。これは、トランプ大統領の大きな功績である。
といって、北朝鮮が核兵器を捨てることは、考えられない。
習近平国家主席の中国は、アメリカによる経済の締めつけによって、蹌踉(よろ)よろめいている。アメリカの顔色を窺(うかが)って、しばらくは“よい子”を演じることになる。だが、アジア太平洋の覇権を握ろうという、野望を捨てることはない。
北朝鮮の脅威と中国の脅威は、しばらく中休みとなるが、去ることはない。日本としては、「鬼の居ぬ間に洗濯」ならぬ、このあいだに防衛力の強化を急ぎ、憲法改正に取り組まなければならない。
アメリカは、来年11月の大統領選挙へ向けて、動きはじめた。
私はアメリカで、新聞、テレビの主要なマスコミが“反トランプ熱”を煽り続けているが、それにもかかわらず、トランプ大統領の支持率が上がっており、このままゆけば、トランプ大統領が再選されることになると思う。
民主党は“金権候補”だったヒラリー夫人を担いで敗れた反動として、名乗りをあげている候補はそろって、経済格差の是正、社会福祉の充実、国防費の大幅な削減など訴えており、民主党が劇的に左傾している。
もし、民主党が政権を奪還すれば、日本を守る意志が弱まることになりかねない。
日本は、3つの安全保障の深刻な脅威に、直面している。中国、北朝鮮、日本国憲法だ。
日本は世界のなかで、憲法が自国の安全を脅かしている唯一つの国なのだ。
日本はこれから世界に大きく貢献しよう
Date : 2019/03/29 (Fri)
2月10日にフィギュアスケート四大陸選手権が、カリフォルニア州アナハイムで開催されて、宇野昌磨君が初優勝を果たした。21歳の快挙だった。
テレビで観戦したが、表彰台にあがった日の丸が美しかった。日の丸が外地で翻るのを見ると、目に沁みる。
能楽堂のミュージカル
昨年の暮れだったが、都内青山骨董通りの能楽堂で、ビートルズのジョン・レノンと、オノヨーコを主人公としたミュージカルが上演された。ヨーコが私の母方の従兄姉で、ジョンとも親しかったので、プログラムに解説を寄せた。
「ヨーコとジョンは近代文明社会の人々が虚ろな欲望や、学位、偽りの地位によってがんじがらめに縛られているのに対して、拘束を捨てて、人間らしく生きることを求める真の革命の旗手であり、ロマンチックな破壊者だ。
ジョンはヨーコと2人で書いた『イマジン』のなかで、『宗教がなくなれば、世界が平和になる』と歌って、キリスト教を否定したが、『私が来たのは人が生命(いのち)をえ、与えられた生命いっぱいに生きなさい』という、イエスの新約聖書の力強い言葉が響いてくる。
2人は、今日、多くの人が人造人となっているなかで、自然人だった。近代が老いてゆくなかで、抗争や戦争を招く理性の時代が疲れ果てて、独善的な宗教や拝金社会が斥けられて、人と自然を心で感じる信仰の時代を引き寄せてくれた」
日本に誇りを持とう
やはり昨年になるが、私は多くの学者が集まった「国家ビジョン研究会」の会長をつとめることを懇請されて、引き受けた。分野ごとに部会が設けられているが、座長の1人のN氏から新著の原稿に目を通すことを求められた。
そのなかで、日本のいくつかの制度について、国際的な基準から逸脱した「ガラパゴス現象」だと批判しているのが、目にとまった。もっとも、日本独自の慣習や制度を取り上げて、「ガラパゴス化」とか「ガラパゴス現象」といって、自嘲する者が少なくない。
とくに、カルロス・ゴーン前日産会長の拘留が長期にわたったのに対して、日本の司法制度が西洋人の眼に、後進的な「ガラパゴス現象」に映るから、恥しいという声がきかれた。
もっとも、フランスの有力紙の記者が来京して、わが家で一夕持て成したが、ゴーン氏が社費でベルサイユ宮殿で結婚披露宴を行ったのをはじめ、悪事が次々と露見してからは、日本に対する批判が消えたと語った。
ガラパゴス諸島といえば、エクアドル西岸から西へ1000キロ離れた太平洋の離島群で、外界から隔絶されてきたために、多くの珍しい固有の動物が棲息していることで、知られる。
明治政府が西洋の脅威から日本の独立を守る必要に迫られて、強行せざるをえなかった文明開化が行き過ぎたのか、多くの日本人がいまでも自信を欠いて、西洋を恐れることが習性となっている。もう文明開化を乗り越えて、よいのではないか。
パリ会議の100周年
2月12日は、日本全権団が第1次世界大戦の戦後処理を行ったベルサイユ会議としても知られるパリ会議において、国際連盟を創設するのに当たって、連盟規約に「人種平等原則」を盛り込むように提案したところ、11対5で可決されようとした寸前に、議長をつとめていたアメリカのウィルソン大統領が「このような重要な案件は、全会一致でなければ採択できない」といって票決を斥けてから、ちょうど100周年に当たった。アメリカは国内で黒人の人権を、蹂躙していた。
この日、私が代表となって、国会議事堂前の尾崎記念会館において、日本が国際連盟規約に「人種平等原則」をかえることを求めた百周年を、記念する集会を催した。国会議員の多くの有志も駆けつけてくれた。
ところがどの新聞も、テレビも、この世界史的な百周年に触れることが、まったくなかった。日本が先の大戦を大きな犠牲を払って戦った結果、まずアジアの諸民族が独立し、その高波がアフリカ大陸も洗って、世界の諸民族が解放された。
日本は世界の光となった。ロシア革命や、フランス革命が行われてきたが、日本が今日の人種平等の世界を実現したことこそ、人類史における何よりも大きな革命ではないか。
日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした。日本の力によって人類のありかたが、根底から改まったのだ。
「八紘一宇」こそ人類の理想
日本は初代の神武天皇が橿原(かしはら)において即位された時に、「八紘(あめのした)(世界)をおおいて宇(いえ)(1つの家)にせむ」という「八紘一宇」の勅(みことのり)を発せられたが、歴史を通じて人種によって差別したことがなかった。
日本がアメリカの不当な圧迫に耐えられず、真珠湾を攻撃した翌年1月に、東條英機首相が国会演説を行って、戦争目的として「人種差別の撤廃と、すべての民族の解放」を掲げたことを、私たちは忘れてはなるまい。
日本は東アジアにあって、長く外界から隔絶された列島において、きわめて独特な文化を培った。「ガラパゴス現象」といって自国を嘲る人々は、日本の国柄を時代遅れのものとして、蔑んでいるにちがいない。
「ガラパゴス現象」と日本
私は幼少の頃から、外交官だった父から、100年前に日本全権団が晴れの国際舞台で、人種平等を主張したことに、誇りをいだくように教えられて、育った。
6年前に、私はセルビア共和国のアダモヴィッチ・ボヤナ大使によって、大使館に昼食に招かれたことがあった。
私は挨拶を終えると、すぐに第1次大戦後のパリ講和会議において、日本全権団が戦後世界を管理する国際機構となる国際連盟憲章に、「人種平等条項」をうたうように提案したのに対して、セルビアが賛成票を投じてくれたことに、御礼を述べた。
すると、女性の大使が驚いて、「着任してから、このことについて御礼をいわれたのは、はじめてです」といって、喜んでくれた。
幕末にアメリカをはじめとした、西洋諸国の艦隊が来寇するまでの日本は、まさに「ガラパゴス化」という比喩が、当たった。
2月はじめに、宗教界の指導者が集まった新年会が、都内の明治記念館で催された。
いつものように、仏教諸派、教派神道の領袖から、カトリック教会の司教までが和気藹藹と、テーブルを囲んでいた。
神社本庁の田中恆清総長が開会の挨拶をされた後に、乾杯の発声を行うように依頼された。
私は幕末から明治にかけて、日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、西洋の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なものにとどまったのが、いまでは日本の万物に霊(アニメ)が宿っているアニメや、自然と1つになった和食、エコロジーから、和の心まで、かつてのジャポニズムをはるかに大きく超える精神的な日本の高波が世界を洗っており、和の信仰をひろめることによって、抗争に明け暮れる人類を救う使命が、各位の肩にかかっていると述べて、杯をあげた。
日本の文化の出番だ
抗争が絶え間ない理性の時代が疲れ果て、近代が老いてしまったなかで、日本の心の文化の出番が迫っている。
11月にローマ法王が、長崎、広島を訪れるが、このところ法王が仇敵であってきたユダヤ教のシナゴーグ(礼拝堂)の祭壇に跪いたり、ロシア正教の総司教と和解したり、かつては考えられなかったことが起るようになっている。
西洋ではより寛容な社会が到来して、日本の和の心の根といってよいエコロジーが、キリスト教に取って代わりつつある。
私たちは世界に日本の時代が訪れることを、目前にしている。
アントニオ・グラムシを知っていますか?
Date : 2019/03/25 (Mon)
平成の最後となる新しい年が、明けた。
いつものように、八百万千万様(やおろずちよろずさま)に感謝したうえで、屠蘇を酌みながら、色鮮やかな御節にしばしみとれた。
このような親から子へ受け継がれてきた慣習が、日本を日本たらしめてきた。
祖母や父母が、初(はつ)明り、元旦の空の色を初茜(はつあかね)、年が明けて初めて食べるものを初物(はつもの)、はじめての入浴を初湯(はつゆ)、はじめて見る雀を初雀、鳥の声を「あ、初声(はつごえ)だ」や、初買いといったものだった。
母が初化粧、初髪、はじめて着物に袖を通すのを初袷(はつあわせ)というたびに、子供心にすべてが改まるのだと思って、心が引き締まった。
三賀日には、友人たちが家にいても退屈なのか、年賀に訪れてくれた。それでも、年が改まってはじめて会う初会(はつえ)だから、清々(すがすが)しい。
もう3、40年になるか、このところ新年が新年らしくなくなった。
近くの神社に詣でるために通りに出ると、初荷もなくなった。
初(はつ)がつく言葉といったら、初夢、初詣、出初式、魚河岸(かし)、青果市場(やっちゃば)の初商い、茶道の初釜、武道の初稽古など、数えるほどしか残っていない。昭和は遠くなった。
年末からの休みを、昨秋ワシントンを訪れた時に、アントニオ・グラムシ(1891年~1937年)の英文の著作集を求めて、久し振りに読んだ。 グラムシはイタリア共産党の傑出した思想家だったが、私は1960年代にアメリカに留学した時に著作集に出会った。読みなおすと、この異端な共産主義者による予言が当たっていることに、慄然とさせられた。
グラムシは当然のことに、共産主義者としてグローバリストであり、「ヘゲモニー(指導)装置」と呼ぶ「国家の消滅」を目標としたが、階級闘争によって歴史の必然として革命が成就して、共産社会が実現するというマルキシズムの理論を否定して、第2次大戦前の1937年以前に、粗暴で権威主義だとみたロシア(ソ連、中国、北朝鮮など)モデルの社会主義体制が、瓦解することを予見していた。
グラムシは先進国において科学技術が進み、豊かさが増した結果、上部構造に従属してきた社会集団が分解して、ヘゲモニーが理論も、革命への自覚も欠き、まったく組織されることがない、一般の人々に移ることによって、国家が漸進的に消滅してゆくことになると、見透した。
グラムシは伝統に根ざしている慣習を、「歴史的堆積物」と呼んで、滓(おり)とみなした。人々が在来文化の鎖によって繋がれてきたが、古い鎖が溶解してゆこうと説いた。
グラムシは慣習によって束縛されてきた従属社会集団が、個人に何よりも高い価値が与えられることによって、解体してゆくことを予見していた。私たちの身の回りでも、社会を統べてきた慣習が、人々を束ねてきた機能を急速に失うようになっている。
この10年ほど、アメリカではクリスマスが商人が仕掛けた罠にいっそうなるかたわら、「メリー・クリスマス」という挨拶を交わすことが、禁忌(タブー)となっている。
アメリカの都市部で、多くの国民の教会離れが進んでいるが、無信者、ユダヤ教徒や、イスラム教徒などを差別するといって、「ハッピー・ホリデイズ」と挨拶するのが、良識とされるようになっている。
オバマ政権の最後の年に、自分がみなしている性別に従って、男女どちらの便所を使ってもよいという、大統領令が発せられた。さすがに、いくつかの州が憲法違反として、連邦最高裁に提訴した。
この大統領令は、トランプ政権によって撤回されたものの、リベラルな有権者の牙城であるカリフォルニア州では、いまだに多くの保育施設、幼稚園、学校などのトイレに、「ジェンダー・フリー」(性別なし)と掲示しており、保守派の州民が強く反発している。
4年前になるが、『ニューヨーク・タイムズ』紙が、「ミスター、ミセス、ミス」と呼ぶと、「差別」になるから、「Mx」と呼ぶのが正しいという、かなり大きな記事を載せていた。
その数日後に、アメリカ大使館のクリントン大使の次席だった、女性の公使と夕食会で会ったので、「Mxを何と発音するのですか?」とたずねたところ、あなたはアメリカ通を自称しているくせに、そんなことも知らないのかという表情を浮べて、「それは“ミックス”と発音します」と、教えられた。
このところ、日本を含めて先進社会で、“差別語”を排除する“言葉狩り”が、力を増している。
グラムシは言葉が備えている強い力に注目して、「言語は世界観を表しており、日常用いられる言葉が、人々の思考を変えてゆく」と述べているが、言葉と慣習こそが社会をつくってきた。
私はグラムシの論集をはじめて読んだ時には、才気溢れる夢想家だとしか思わなかった。だが、未来を予見していたのだ。
個人を聖なる地位につけると、すべての人のありかたを尊重せざるをえなくなって、差別と区別の境い目が消える。男女をはじめ、区別すること自体が差別となる。
日本でもLGBTが市民権をえて、脚光を集めている。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスセクシュアル(性同一性障害者)の頭文字であり、先天的、後天的な性的指向をもつ人々を指している。
昨年、杉田水脈衆議院議員が「少子化対策の予算を、LGBTに使うこと」を批判したところ、メディアによって叩かれた。1月に平沢勝栄代議士が講演会で、「LGBTなど同性愛者ばかりとなると、国が潰れてしまう」と述べて、非難を浴びた。
私は杉田議員、平沢議員による指摘のほうが正しく、大騒ぎするほうが誤まっていると思う。
もっとも、アメリカでは『ニューヨーク・タイムズ』をはじめ、大手の新聞、テレビは「LGBTQ」といって、かならず「Q」がついている。Qはクイアーqueer(変態)で、クイアーも差別の対象としてはならない。10年ほど前までは、「クイアー」は白眼視されたが、いまでは胸を張って「私は(アイム・)変態だ(クイアー)」といえるようになっている。いまのところ、日本ではまだQが除外されている。 イギリスでは『ロンドン・タイムス』をはじめ大手のメディアが、LGBTQIといって、Iを加えている。Iは「インターセックス」の頭文字で、自分が男か女か分からない人を指しているそうだ。
最近、イギリスで行われた調査によると、LGBTQIが市民権をえるようになってから、LGBTQIの人口が急増している。イギリスの知識人雑誌『スペクテイター』によれば、LGBTQIが3人に1人に達しているという。
イギリスの友人からロンドンの街角で、スシなどの日本料理を宅配するバンに、「Creating a world where everyone believes in their authenticity」(自分の価値を確認できる世界を創ろう)という宣伝文がかかれていたのを見た、という手紙を貰った。
和食がひろまっていると知らせてくれたのだが、私にはいったいどうして、和食が自分の価値に係わっているのか、理解できなかった。
他のあらゆる商品についても、消費者が自己中心になって、自分が聖なるものとなったために、1人ひとりの嗜好に合わせなければならない。画一的な大量生産、大量販売の時代が、過去のものになってしまった。
それとともに、画一的だったからこそ、時代を超えて社会を束ねてきた慣習が、力を衰えさせるようになっている。
グラムシは、トランプ政権の「アメリカ・ファースト」、アンチ・グローバリズムのイデオローグの教本となっているといわれる。ホワイトハウスの国家安全会議(NSC)の親しい補佐官も、「アメリカが溶解してゆくのを防がねばならない」といって、熟読していた。
8ヶ月ぶりの米朝首脳会談 手ぶらで帰った金正恩委員長の誤算
Date : 2019/03/22 (Fri)
8ヶ月ぶりにハノイで、米朝首脳会談が開かれた。物別れになったのは、上首尾だった。
サミットの前日、私は都内の帝国ホテルで、経営者団体の例会で講演を行った。
私は「北朝鮮が核兵器を手放すことはありえない。米朝サミットは、まったく成果がなく終わろう」と、予想した。
トランプ大統領は会談後、金正恩委員長を「よい友人だ」と誉めそやしたが、何一つ土産を渡すことがなかった。アメリカは北朝鮮に対する経済制裁を緩めないから、金委員長の苦境が深まることになる。
北朝鮮はアメリカと話し合っているかぎり、核実験や、ミサイルの試射を行えない。これは、トランプ大統領の大きな功績だ。
金委員長は、ハノイでしくじった。トランプ大統領が“ロシア疑惑”によって追い詰められ、来年の大統領選挙へ向けて功名をたてるのを焦っているから、北朝鮮に譲ろうという、アメリカの偏向したマスコミの報道によって、日本の識者と同じように騙されたのだ。
アメリカの主要なマスコミは、日本のマスコミが「反安倍」であるように、根のない反トランプ報道に血道をあげている。 “ロシア疑惑”はトランプ政権の致命傷にならないし、トランプ大統領の支持率はかえってあがっている。
このままゆけば、トランプ大統領は再選されることとなろう。
民主党はこの前の大統領選挙で、金粉に塗(まみ)れたヒラリー候補を担いで敗れてしまった反動として、これまで大統領選に名乗りをあげた候補は、全員が左旋回している。
レースに加わった顔触れのなかで、誰よりも支持が高く、最有力といわれているのが、前の選挙でヒラリー候補に肉迫をした、77歳のバニー・サンダース上院議員だ。サンダース議員は自らを「社会主義者(ソシアリスト)」だと呼んでいるが、昔、ソ連を称えたこともあった。
大統領候補の指名レースに参入した顔触れの大多数が、「民主社会主義者」だといって、経済格差の解消、富裕税の導入、社会保障の充実、国民健康皆保険、環境保全、国防費の削減などを訴えている。
やはり77歳になるジョー・バイデン前副大統領は民主党主流派で、出馬すれば有力候補になるといわれる。
「社会主義(ソシアリズム)」という言葉が、アメリカで甦ったのは、稀有(けう)なことだ。これらの候補の支持者は、北欧型の高度福祉国家を目指している。“アメリカ・ファースト”の変形だといえるが、日本を守る意欲が萎えよう。
たしかにアメリカでは、富裕層と一般国民との所得の格差が拡大してきた。日本ではカルロス・ゴーン前日産会長が、国民からみて桁外れな報酬を手にしていたが、アメリカの新聞によれば、2017年にゴーン氏の1690万ドルに対して、日産より規模が小さいGMのマリー・バラ会長が2190万ドルを受け取っていた。世界一の自動車メーカーのトヨタの会長は、僅か400万ドルだった。
習近平国家主席も終身主席となって悦に入っていたが、米中対決を免れようとして、トランプ大統領のもっぱら鼻息を窺っている。
北朝鮮が非核化することはありえないし、中国も、アジアと太平洋の覇権を握る野望を、捨てることはない。
日本が直面する大きな脅威が、3つある。中国と北朝鮮と、日本国憲法だ。日本は憲法が自国の存立を脅かしている、唯一つの国だ。
「専守防衛」ほど無意味なものはない
Date : 2019/03/04 (Mon)
日本は世界のなかで、自国の憲法が安全保障の最大の脅威となっている、唯一つの国だ。
憲法はその国の精神を、表わしている。
前文が、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」と述べて、日本だけに先の大戦の全責任を、一方的に負わせて、日本が悪い国だときめつけている。
この憲法のもとで、日本は自虐的な態度をとってきたために、国外から軽くみられ、虐げられる原因をつくってきた。
前文はさらに、一国の安全を世界の「諸国の公正と信頼して、われらの安全と生存を保持」すると、宣言している。 日本国憲法が世界の現実を歪めてきたために、国民が危険な幻想に浸ってきた。
日本は人にたとえれば、幻視、幻聴を病んできたために、人格が崩壊して、正常な社会的関係を結ぶことができない統合失調症を患っている。
このところ、韓国が日本を好き放題に嬲(なぶ)っているために、日本で嫌韓感情が沸騰している。
書店に嫌韓本が並び、雑誌も韓国に呆れ果てて、韓国を憐れむ記事で埋まっている。
慰安婦(ウイアンプ)など両国間の合意を踏み躙ったうえで、徴用工(ジンヨンゴン)、火器管制レーダーの照射問題など、常軌を逸した振舞いがとまらない。
韓国は現実を無視して妄想にとらわれているから、とうてい国家と呼べない。日本中が韓国を疫病のように、みるようになっている。
韓国は国として体をなしていない。政府もどう対応したらよいか、途方に暮れている。
だが、いったい日本に韓国を見下したり、嘲る資格があるものだろうか。
昨年、政府が3万トン級の“いずも型”ヘリコプター搭載護衛艦を空母に改装して、F35Bステルス戦闘機を搭載すると発表すると、岩屋防衛相が「状況に応じて戦闘機を載せるから、他国への脅威とはならない」と述べ、自公与党が「専守防衛の枠内で運用する」という確認書を交換した。
だが、危機が迫ってから、艦載機を載せるのでは、訓練や運用に支障はないのだろうか。
テレビのワイドショーで、識者が真顔をして「攻撃空母を保有するのは、憲法違反だ」と述べていたが、番組の他の出演者は誰も非常識な発言だと、思わなかった。多くの視聴者も同じことだったろう。
中国の国防支出は中国政府の発表によっても、1988年以後、毎年2桁で増して、日本の10倍以上もあり、アメリカにつぐ軍事大国となっている。
私には“いずも級”護衛艦を、F35B戦闘機を8機か、10機搭載する小型空母に改装しても、どうして中国に脅威を与えることになるのか、理解できない。
「専守防衛」という言葉は、日本国憲法と同じように、日本の国内にだけ通用して、外国語に訳することが、まったくできない。「専守」という概念自体が、世界のどこにも存在していない、無意味な言葉だ。
日本語でも、具体的に何を意味しているのか、分からない。
いったい「専守に徹する」スポーツ競技が、あるものだろうか。読者諸賢のなかで、説明できる方がいられるだろうか。「必要最小限の防衛力」も、意味がない言葉だ。
日本の独立と国民の生命を、わけが分からない言葉に託して、よいはずがない。
人体の健康と同じように、平和は努力して守らねばならない。平和を守る努力をしないのでは、平和を大切にしているといえない。
安全保障の脅威は日本国憲法 「専守防衛」は日本だけが使う言葉
Date : 2019/02/22 (Fri)
韓国の文在寅政権が日本を好きなように嬲(なぶ)っているのに対して、日本で嫌韓感情が沸騰している。
書店に嫌韓本が並び、雑誌も韓国に呆れ果てて、韓国を憐れむ記事で埋まっている。
慰安婦(ウイアンプ)をめぐる合意を踏み躙ったうえで、徴用工(ジンヨンゴン)、火器管制レーダーの照射問題に続いて、文大統領が日本に「反省(パンソン)を求める」発言を行い、常軌を逸した振舞いがとまらない。
韓国は現実に目をつむって、妄想にとらわれている。とうてい国家と呼べない。
日本中が韓国を疫病のようにみなすようになっている。政府もどう対応したらよいか、途方に暮れている。つける薬がないのだ。
韓国は頭痛の種だ。といっても、日韓関係を軋(きし)ませた責任は、慰安婦問題をつくりだした朝日新聞と、故なく謝罪した河野洋平官房長官(当時)など、韓国に対して毅然たる態度をとるべきところを、紙面を売るためにニュースを捏造したり、侮られるもとをつくった日本側にある。
日本は自虐的な態度をとってきたために、は国外から軽くみられて、虐げられる原因をつくってきた。
韓国は歴史を通じて中国の属国(ソグク)だったために、物事を自主的に決める力がなく、強い者に諂うかたわら、弱い者に対して居丈高になって、苛める習性がある。
韓国は国として体をなしていない。このままでは、国として成り立ってゆかないだろう。
憐れむべき国だ。だが、いったい日本に韓国を見下したり、嘲る資格があるものだろうかと思う。
昨年、政府が3万トン級の“いずも型”ヘリコプター搭載護衛艦を空母に改装して、F35Bステルス戦闘機を搭載すると発表したが、自公与党が「専守防衛の枠内で運用する」という確認書を交換した。
テレビで識者が真顔をして、「攻撃空母を保有するのは、憲法違反だ」と述べていたが、番組の他の出演者は、誰も非常識な発言だと思わなかった。多くの視聴者も、同じことだったにちがいない。
中国の国防支出は中国政府の発表によっても、1988年以後、毎年2桁で増して、日本の10倍以上もあり、アメリカにつぐ軍事力を擁している。
私には、“いずも級”護衛艦を、F35B戦闘機を8機か、10機搭載する小型空母に改装しても、どうして中国に脅威を与えることになるのか、理解することができない。
本誌の前号でも指摘したが、「専守防衛」という言葉は、日本の国内だけで通用して、外国語に訳することがまったくできない。「専守」という概念自体が、世界のどこにも存在していない、意味がない言葉だ。
いったい、「専守する」スポーツ競技があるものだろうか。「必要最小限の防衛力」といっても、武芸や、スポーツに適用できるだろうか。
一国の安全を「諸国の公正に信頼して、われらの安全と生存を保持」するという日本国憲法からして、世界の現実を受けいれることを拒んで、妄想に浸っている。
日本は人にたとえれば、幻視、幻聴を病んでいるために、人格が崩壊して、正常な社会的な関係を結べない、統合失調症を患っている。
日本は自国の憲法が安全保障の最大の脅威となっている、唯一つの国だ。
グローバリズムを破壊したトランプ政権の功罪
Date : 2019/02/12 (Tue)
トランプ大統領は、大手マスコミによれば乱暴・粗暴で、勝手な思い込みによって、相手構わず独り芝居をしているといわれるが、昨年11月で2年が経過した。
トランプ大統領は、それまでアメリカの政治のまったくの部外者だったが、登場したことによって、世界に激震が走り、世界のありかたが大きく変わった。
トランプ政権の2年間をひと口でいえば、国際主義――グローバリズムが支配していた世界を破壊して、世界の潮流を逆流させた。僅か2年で、それぞれの国を伝統的な姿――というと、古い世界に戻した。
グローバリズムが何だったかといえば、世界経済を支配下に置こうとする、アメリカの大企業がもたらしたものだ。 アメリカの大企業は利潤のみ追求して、自国の大衆を犠牲にして、無国籍な経営を行い、製造業を中国などの低賃金の諸国に放り投げてきた。
そのために、どの国においても所得の格差が拡がって、伝統的な共生社会が破壊され、人と社会、人と人との繋がりが断ち切られた。
そのかわりに「個」を尊重して、いっさいの差別や、区別を悪とみなすようになった。オバマ政権のもとで大統領令が発せられて、自分が信じる性によって、男女どちらのトイレを使ってもよいことになり、LGBTをはじめとする人々が、大手を振って闊歩するようになった。
『ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめとするアメリカの大手新聞は、LGBTQとかならず書いているが、日本ではさすがにQを省いている。Qはqueer(クイアー)、変態の意味であって、変態も先天的な個性とされ、今日のアメリカでは「私は変態だ」と、胸を張っていえるようになった。
アメリカの大手メディアや、著名研究所や、富裕層、高所得の識者は、大企業によって養われて、潤(うるお)ってきたから、トランプ非難の大合唱を行っている。
大手メディアは「トランプ大統領が、アメリカ社会を分断している」と、糾弾している。
だが、事実はまったく違う。グローバリズムによって、アメリカ社会が分断されていたから、我慢できなくなった大衆が立ち上がって、トランプ大統領が誕生したのだった。
金銭は国境を越えて動くから、国籍がない。グローバリズムは結局のところ、拝金主義だった。
もっとも、拝金主義は忌まわしいが、国を富ませ、国民の活力を増すために、金(かね)を稼ぐことは、おおいに奨励されるべきことだ。
福沢諭吉が「文明は金銭だ」と断じているが、江戸時代後期に日本精神を明らかにした国学者の本居宣長は、「金銭は有用であって、金銭が穢いという漢意(中国の偽善的な考え)に染まってはならない」と、説いている。金銭はあくまでも国力を強め、国民の福祉のために役立てなければならない。
日本でも戦後73年にわたって「国際化」とか、「国際人」がもて囃され、グローバリズムによって蝕まれてきた。
財務省による報告書『国際収支状況』によれば、日本企業による平成17(2005)年から平成25(2013)年までの海外直接投資額は、アメリカが1位で18兆5634億円、2位が中国で7兆890億円、3位がオランダで6兆4千億円強、4位がイギリスの5兆円強、5位がケイマン諸島の6兆2千億円あまりだった。
多くの日本企業の工場が、アメリカ、中国、イギリスに存在するものの、オランダにはゴーン前日産会長の豪邸がある他には、ケイマン諸島と同じように何もないから、納税を回避するのを目的としていたと思われる。
トランプ政権の「アメリカ・ファースト」は、アメリカの国益を重んじようという雄叫びだ。時代が「日本ファースト」に立ち戻ることを、求めている。
憲法改正には、女性の声がどうしても必要だ
Date : 2019/02/05 (Tue)
私は仕事で、アメリカや、ヨーロッパをしばしば訪れてきた。いまでも毎年、ワシントンに春と秋に通っている。
欧米ではカーナビをはじめ、さまざまな案内や指示が、男性の声によって行われているほうが多い。ところが、なぜか、日本ではほとんどが、女性の声だ。
交差点では、交番の拡声器から女性警察官の声で、「左右をよく見て、お渡り下さい」という注意が流れてくる。
なぜなのだろうか。どうして案内や、指示というと、日本では女性の声が用いられるのだろうか。
日本は女性が優っている国なのだ。女性が家庭を取りしきって、支配している。父親ではなく、母親が家庭の中心だ。男たちは幼い時から、母親によって育てられ、躾けられる。
日本では男たちは、女性の声には安心して従うものの、男性の声だと反発して、すなおに受け容れない。
日本では祖国を、母国と呼ぶ。出身校は母校だ。敷地のなかで、もっとも大きな家は母屋(おもや)だ。乳母車(うばぐるま)や、トラックにかかっているホロを、「母衣(ほろ)」と書くが、武士が戦場で首筋を守るために、後頭部にかけた鎖の綱のことだ。いつも、母が守ってくれるのだ。
英語、ドイツ語では、「母国」(マザーランド、ムターラント)ともいうが、「父国」(ファーザーランド、ファータラント)とも呼ぶ。フランス語になると、「父国」(ラ・パトリ)しかない。
母親はできる子も、できない子も、均しく愛してくれる。父親はできる子と、できない子を区別する。日本が平等な和の国であるのに対して、西洋は厳しい競争社会だ。
西洋は男尊女卑の社会だ。女は弱者だから大切に扱われるが、女のほうが男に甘えて我儘(わがまま)になる。弱い者のほうが我儘になり、強い者は耐えるものだ。日本では男が我儘で、女性が男が我儘であるのを許す。男が弱者だ。
日本では女性が男性に対して、「男らしくしなさい」と叱るが、西洋では男から男にしか「ビー・ア・マン!」(男らしくしろ)といわない。西洋では夫が家計を握っているが、日本では夫が妻から小遣いを貰う。
日本神話の主神は、女神の天照大御神でいらっしゃるが、西洋ではギリシャ、ローマ、北欧神話など、どの神話をとっても、主神が男性神であって、厳格な独裁神である。
日本は歴史を通じて人と人との和を、もっとも大切にしてきたために、平安時代の400年、江戸時代の260年にわたって、平和が保たれた。このように長く平和を享受した国は、世界のなかで日本しかない。これも、女性が優っている国だからだろう。
いま、日本を取り巻く国際環境が激変している。日本の平和を守るために、現行憲法を一刻も早く修正する必要に迫られている。
ところが、12月に終わった国会会期では、憲法審査会が開かれたのに、野党が改憲について論議するのを拒んだので、憲法が論じられなかった。
野党は憲法を軽視して、おろそかにしている。もし、真剣に護憲を主張しているのなら、「日本がアメリカの占領下のままでいるべきだ」と、どうして堂々と主張しないのか。
日本の平和を保ってゆくためには、憲法を厳しい現実に合わせなければならない。
憲法を改めるためには、女性の声がどうしても必要だ。女性が男たちを励まして、憲法改正運動の先頭に立ってほしい。
意味不明な言葉に頼る「専守防衛」 国防と防衛の違いとは
Date : 2019/01/22 (Tue)
12月に、平成31年度政府予算案が発表された。
防衛費が7年続けて脹らんで、前年比で1.3%増の5兆2594億円となるかたわら、『いずも型』ヘリコプター搭載・大型護衛艦を、空母に改装することとなった。
日本が講和条約によって独立を回復してから、66年以上もたって、ようやく旭日旗を翻した航空母艦が、最新鋭ステルスF35Bを載せて、日本の海の守りにつく。
といっても、岩屋防衛相が「状況に応じて戦闘機を載せるから、他国への脅威とならない」と述べ、読売新聞が「常時戦闘機を搭載せず」という大きな見出しを組んで、報じた。
さらに、自民・公明与党が、新空母について「専守防衛の枠内で運用する」という、確認書を交換した。
私は多くの読者と同じように頭が悪いので、艦載機を危機が迫ってから載せると、どうして専守防衛に変わるのか、理解できない。艦載機を常時搭載しないで、訓練、運用に支障はないのだろうか。
「専守防衛」という言葉は、英語をはじめとする外国語に訳することができない、まったく意味不明な言葉だ。 英字新聞は、”defense-oriented policy”と訳しているが、「防衛を主とした政策」であれば、どの国もそう装っている。アメリカは国防省、中国、韓国も国防部を称している。
国家の安危と国民の生命を、このような意味不明な言葉に、依存してよいものだろうか。
戦後の日本の政治家や、マスコミは、脳腫瘍を患っていて、言語障害におちいっている。これでは、国を守ることができない。
11月に、私はワシントンで政権の友人たちと会食した。 なかに、国家安全会議(NSC)補佐官がいた。 「ドイツの国防費は、GDP(国内総生産)の1.15%だ。自国を守る価値がないと思っている国を守るために、アメリカの青年たちが、血を流すだろうか?」といった。
オバマ政権下で、北大西洋条約機構(NATO)ヨーロッパ27ヶ国は、GDPの2%を国防にあてることを、約束した。ところが、イギリスなど7ヶ国しか、約束を守っていない。GDP比で日本の防衛費は、ドイツ以下だ。
政府も、私も「防衛費」といっていることに、注目してほしい。「国防」は禁句とされている。
なぜ、国防といってはならないのか。日本の国防は米軍が行うことで、自衛隊は米軍をわきから援けて、防衛に当たるからだ。
空母に常時艦載機を載せると、周辺諸国に脅威を与えるというが、中国、北朝鮮、韓国を除く他のアジア諸国は、日本が空母を保有することを、双手を挙げて歓迎しよう。「刺激してはならない」というのでは、中朝韓3ヶ国がまるで暴力団の組事務所のようで、失礼ではないか。
日の丸を翻す空母が登場するのは、60年遅かった。もし、独立を回復した後に、空母が出現していたら、北朝鮮によって多くの日本国民が、拉致されることがなかった。
拉致被害者は、「日本国憲法」の被害者なのだ。
人体の健康と同じように、平和は守らなければならない。平和を守る努力をしないのは、平和を大切にしないからだ。
日本という太陽が世界を照らす
Date : 2019/01/07 (Mon)
6年前に、セルビア共和国のアダモヴィッチ・ボヤナ大使によって、大使館に昼食に招かれた。
私は挨拶を終えると、すぐに第一次世界大戦後のパリ講和会議において、日本全権団が戦後世界を管理する国際機構となる国際連盟憲章に、「人種平等条項」をうたうように提案したのに対して、セルビアが賛成票を投じてくれたことに、御礼を述べた。
すると、女性の大使が驚いて、「着任してから、このことについて御礼をいわれたのは、はじめてです」といって、喜んでくれた。
11月に、パプア・ニューギニアでAPEC(アジア太平洋経済協力機構)サミットが開催され、安倍首相も参加した。
3年前に、私は都内の夕食会で、パプア・ニューギニアのガブリエル・J・K・ドゥサバ大使と同席した。すると、大使が「私の父親は先の大戦中、日本軍の連隊を助けて、密林のなかを、オーストラリア軍と戦いました。日本のおかげで、独立を達成することができました」といって、連隊長の名と連隊番号をあげて、感謝した。
ニューギニア島は東半分がオーストラリア、西半分がオランダによって、領有されていた。
パリ会議は、ヴェルサイユ会議としても知られるが、1919年2月に日本全権団が「人種平等条項」を提案したところ、11票対5票で採択されそうになったが、議長をつとめていたウィルソン・アメリカ大統領が、「このような重要な案件については、全会一致でなければならない」といって、日本案を葬った。
小国が賛成票を投じたのに対して、アメリカはフィリピンを領有し、国内で黒人を差別していたが、英仏などの植民地帝国が反対した。
今年は、日本全権団が「人種平等条項」を提案してから、百周年に当たる。
日本は先の大戦で、大きな犠牲を払って戦って敗れたが、西洋が数百年にわたり支配していたアジア諸民族を解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、次々と独立していった。
その結果、日本の力によって、長い人類の歴史における最大の革命となった、人種平等の理想の世界が、はじめて招来された。
不平等条約改正と、人種平等の世界を創ることが、幕末からの日本国民の大きな夢だった。
日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした。
私事になるが、オノヨーコが私の従兄姉に当たるので、ジョン・レノンとも親しかった。今年がジョンとヨーコが結婚してから、50周年に当たるために、内外でさまざまなイベントが催される。
ジョンは『イマジン』の曲で有名だが、日本が先の戦争によって、戦争前に誰も想像(イマジン)すらできなかった、人種平等の世界を創ったことを高く評価して、ヨーコと2人で靖国神社に参拝している。
現行憲法下では自衛隊は国防の傍役でしかない
Date : 2019/01/07 (Mon)
私は春と秋に、年2回、ワシントンに通っている。
いま、世界の未来が、アジアのありかたにかかっている。
トランプ政権は発足してから、11月に次の2020年の大統領選挙の折り返し点になった2年が過ぎたが、前半の2年に起ったもっとも重要な出来事は、中国と真正面から対決することになったことだ。
中国の習近平政権は中国の力を過信して、アメリカが内に籠ろうとしていると判断して、アメリカを追し退けて、世界の覇権を握ろうとしているのに対して、アメリカが反発して、立ち塞(ふさ)がったのだ。
習近平主席は、南シナ海に埋め立てた7つの人工島を「軍事化しない」と、オバマ大統領と固く約束したのにもかかわらず、ミサイルを配備して、南シナ海を支配しようとしているのをはじめ、軍事先端技術でアメリカを凌ごうとするかたわら、中国からアジアを通ってヨーロッパまで、70ヶ国あまりを取り込もうとする、「一帯一路」戦略を露骨に進めているのに、アメリカが堪忍袋の緒を切らしたのだ。
米中対決は、“米中新冷戦”と呼ばれているが、これはトランプ政権だけによる決定ではない。共和、民主両党をはじめ、アメリカの識者、著名シンクタンク、大手新聞・テレビによる、コンセンサス(合意)だ。
トランプ政権のもとで、アメリカは世界を一手に守ってきた重荷を軽くして、ヨーロッパや、日本などの同盟諸国が分担することを期待している。多くのアメリカ国民が諸国の防衛を、アメリカに押しつけられてきたと思って、不公平だと考えるようになっている。
アメリカは国防費にGDP(国内総生産)の3.1%を、支出している。オバマ政権下でNATO(北大西洋条約)に加盟しているヨーロッパの27ヶ国が、GDP2%を国防費にあてると約束したのにもかかわらず、約束を守っているのは、イギリスなど7ヶ国にしかすぎず、ヨーロッパ第一の大国のドイツは、1.2%でしかない。
11月に、ワシントンを訪れた時に、トランプ政権の旧知の関係者と会食したが、なかに国家安全会議(NSC)の幹部がいた。
「ドイツの国防費は、1.2%にしかならない。ドイツ国民が自分の国の価値が、それしかないとみなしているのなら、どうしてアメリカの青年たちが、自国を大切にしない国を守るために、血を流す必要があるのだろうか」 といった。
日本はNATOの計算基準を当てはめると、防衛費として1.15%を支出している。
ここで、私が「防衛費」という言葉を使っていることに、注目していただきたい。「国防費」ということは、許されないからだ。
日本は現行の「日本国憲法」のもとで、「国防」はアメリカに委ねて、自衛隊はアメリカ軍を補助して「防衛」に当たることになっている。アメリカが日本の国防の主役であって、日本は傍役(わきやく)なのだ。
日本国民は非常の場合には、アメリカが守ってくれると思い込んでいるから、国防意識が低い。これでは、日本が亡びてしまう。
韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は、親北朝鮮政権であって、在韓米軍が撤退することもありうる。
憲法を改正して、自衛隊を保有することを憲法にうたうことを、急がなければならない。
本気のアメリカと慢心する中国 米中の冷戦の先に見えるもの
Date : 2018/12/27 (Thu)
私は11月にワシントンで、5日間過した。
アメリカは、中国の超大国化の野望を挫いて、中国を抑えつけることを決意した。この決意はトランプ政権だけに、よるものではない。
国家安全会議(NSC)、国防省、国務省などが協議して決定したものではなく、誰がどうというより、政権、与野党、アメリカの中国専門家、シンクタンク、識者などのコンセンサスであって、有機的にひろく形成されたものだ。
習近平主席が訪米して、オバマ大統領と会談した後の共同記者会見で、南シナ海に埋めたてた7つの人工島を、絶対に軍事化しないと誓約したのにもかかわらず、ミサイルを配備して、世界の通商の4分の1以上が通る南シナ海を内海に変えようとしていることや、異常な軍拡を行っていること、世界制覇を企んで「一帯一路」計画を、強引に進めていることなど、傍若無人に振る舞うようになったのに、堪忍袋の緒が切れたものだ。
今後、中国がすぐに引き下がることを、期待できないから、米中対決は長く続こう。
私が前号で書いたように、貿易・関税戦争は入り口でしかない。
アメリカが中国と対決することに決したのは、トランプ政権が2016年に発足してから、最大の決定だといわねばならない。
中国の野望を砕く戦略の中核にされているのが、中国への先端技術の移転を停めて、中国の超大国化の源泉となってきた、先端技術の池の水を抜こうとすることだ。
私は福田赳夫内閣、中曽根内閣で、首相特別顧問という肩書を貰って、カーター政権、レーガン政権を相手に対米折衝の第一線に立ったから、ワシントンは旧戦場だ。
ホワイトハウスに向かって、右側にオールド・エキュゼキュティブ・ビルディングという、副大統領の執務室もある、古い煉瓦造りの建物がある。2016年にトランプ政権が舟出した時には、ここにハイテクノロジーの担当者が1人しかいなかった。現在では、ハイテクノロジーの担当者たちが、1(ワン)フロアを占めている。
習主席の中国は、「野郎自大」だ。「夜郎自大」は中国最古の正史である『史記』に、夜郎という小国の王が、漢が広大で強大なことを知らず、自らの力が勝っていると思い上がって、漢の使者に対して傲慢に振る舞ったという、故事によっている。
中国は歴代の統一王朝が、自分が全世界の中心だという、“中華主義”を患ってきた。私は“中禍主義”と呼んでいるが、慢心して他国を見縊(みくび)る、自家中毒症状を病んできた。
アメリカとソ連が対決した冷戦の舞台は、ヨーロッパや、朝鮮半島、アフガニスタンであって、陸上の争いだった。 米中“冷戦”の主舞台は、陸ではない。海だ。 この冷戦は、米日対中の冷戦だ。トランプ政権が「太平洋軍」の呼称を、「インド太平洋軍」に改めたのは、新たな冷戦の性格を表わしている。
中国にはソ連になかった、脆弱点がある。中国は世界貿易と、先進諸国からの投資に依存してきた。
そして20世紀と違って、製造・金融の拠点を国境を越えて、短時間で移転することができるから、中国の“仮想空間”である巨大経済を維持することが、難しくなろう。
日本を守る⑤ 憲法改正で国家の安全と国民の生命を守れ
Date : 2018/12/27 (Thu)
安倍政権が憲法を改正しようとするなかで、憲法談義が喧(かまびす)しくなっている。
北朝鮮の核、中国の脅威が募り、米国が「アメリカ・ファースト」のもとで、同盟諸国に応分の国防責任の分担を迫っている。
日本は国際環境の激変に合わせるために、憲法のごく一部を修正しなければならない。
ところが、野党は憲法を軽んじている。野党は11月に閉会した国会で、憲法改正を論じる憲法審査会を開くことを拒否した。もし、国民に護憲を訴えたいなら、なぜ、審査会の場で、米軍による占領時代に戻るべきことを、堂々と主張しないのか。
米中“新”冷戦が、日本とアジアの未来を決めることとなる。米ソ間の冷戦は陸上を舞台にしたが、米中冷戦の舞台は、米国がハワイに司令部を置く「太平洋軍」を、先日「インド太平洋軍」と改名したように、海だ。
12月に、政府は「いずも型」ヘリコプター搭載護衛艦を、F35B戦闘機が発着する空母に改装することを決定した。日本が対日講和条約によって独立を回復してから、66年以上もたってから、空母が、旭日旗をひるがえして、日本の守りにつくのだ。
だが、岩屋防衛相がこの改修に当たって、「任務に応じて戦闘機が載せても、攻撃型空母にあたらず、他国に脅威を与えない」と、述べた。読売新聞によれば、「必要な時だけ、戦闘機を搭載する方針」だそうだ。
さらに、自民・公明与党間で、「改修はあくまでも専守防衛の範囲内である」ことを明記した、「確認書」が交わされた。
常時、艦載機を載せないで、訓練、運用に支障がないのか。危機が迫ったと判断して載せたら、どうして専守防衛になるのか。
「専守防衛」という言葉は、英語をはじめとする外国語に、訳することができない。国家の安全と国民の生命を、まったく無意味な言葉に預けて、よいものだろうか。
中国、北朝鮮以外のアジア諸国は、常時、艦載機を載せても脅威と感じまい。中国や北朝鮮、韓国を刺激してはならないというのは、近くの暴力団の事務所を刺激してはならないというのと同じで、3ヶ国に失礼なことだ。
平成が、31年で終わる。この間、北朝鮮から拉致被害者を救えなかった。もし、日本が独立を回復した後に、日本の経済規模の半分しかない英仏と同じ軍事力を持っていたら、国民が国土から拉致されなかった。拉致被害者は、「日本国憲法」の被害者なのだ。
日本を守る④ 世界各地で高まる緊張
Date : 2018/12/26 (Wed)
日本は生まれ変わらなければならない。米国に一方的に頼る時代は、終わった。
トランプ政権は、米国が世界を一手に守ってきた重荷を軽くして、ヨーロッパや、日本などの同盟諸国が分担することを求めている。
多くの米国民が、外国を防衛する重荷を担うのが、不公平だとしている。 米国は国防費にGDP(国内総生産)の3.1%を、支出している。
ところが、オバマ政権下でNATO(北大西洋条約機構)に加盟するヨーロッパ27ヶ国が、GDP2%を国防費にあてると約束したのにもかかわらず、約束を守っているのは、イギリスなど7ヶ国だけで、ヨーロッパ第一の大国のドイツは、1.2%でしかない。
11月にワシントンを訪れた時に、トランプ政権の関係者と会食したが、なかに国家安全会議(NSC)の幹部がいた。
「ドイツの国防費は、1%ちょっとにしかならない。ドイツ国民が自分の国の価値が、それしかないと思っているなら、どうして米国の青年がそんな国を守るために、血を流す必要があるだろうか」と、いった。
日本はNATOの計算基準を当てはめると、防衛費として1.15%を支出している。
ここで、私は「防衛費」という言葉を使っていることに、注目していただきたい。「国防費」ということが、許されないからだ。
日本は現行の「日本国憲法」のもとで、「国防」は米国に委ねて、自衛隊は米軍を補助して「防衛」に当たることになっている。米国が日本の国防の主役であって、日本は傍役(わきやく)なのだ。
日本国民は非常の場合には、アメリカが守ってくれると思い込んでいるから、国防意識が低い。
緊張がたかまっているのは、日本がある東アジアだけではない。ヨーロッパでは、いつ、ロシア軍がバルト3国や、北欧を奇襲するか、緊迫した情況が続いている。中東も予断を許さない。もし、イランがペルシア湾の出入り口を封鎖すれば、米軍が出動する。
米国はもはや同時に二正面で戦う能力を、持っていない。もし、米軍の主力がアジア太平洋からヨーロッパか、中東に移動したら、日本の周辺が手薄になる。
日本が平和を享受し続けるためには、国防に真剣に取り組まねばならない。
憲法を改正して、自衛隊を保有することを書き込むことを、急がなければならない。
日本を守る③ 「中華思想」で視野狭窄 ソ連崩壊と似た道
Date : 2018/12/25 (Tue)
米中対決は、どこへ向かうのだろうか?
習近平主席の中国龍は、トランプ大統領の米国鷲に襲われ て、鱗(うろこ)が飛び散るようになっている。
トランプ政権が、中国という“悪の帝国”を倒す戦略を進めている。
かつてレーガン大統領が、“悪の帝国(イービル・エンパイア)”と極め付けたソ連を追いつめたが、中国もソ連と同じ自壊への道を、進むようになっている。
ソ連は、効率が悪い計画経済によって病んでいたのに、無人のシベリア沿海州開発に国力を浪費し、東ヨーロッパの衛星諸国という重荷をかかえていたうえに、第3世界に進出するのに力を注いだために、米国との競争に耐えられなくなって、1991年に倒れた。
ソ連の最高指導者は、非科学的なマルクス主義の予言に従って、ソ連が世界を支配するという使命感にとらわれて、世界制覇を急いだために、墓穴を掘った。
習主席も、「偉大な中華文明の復興」という、自らの掛け声に陶酔して、見せかけだけが壮大な「一帯一路」計画と、大海軍の建設を強行しており、ソ連が第2次大戦後に歩んだ道程に、よく似ている。
中国は分離独立闘争を恐れて、新疆ウィグル自治区や、チベットをはじめとする西域や、中部や、北部に過大な投資を行っている。 「一帯一路」計画によって、70ヶ国近くを“幻(まぼろし)の中華圏”である、仮想空間に取り込もうとしているが、多くのアジア諸国で挫折するようになっている。
ソ連は1950年代から、日本についで経済成長率が高かった。ソ連は1957年に米国に先駆けて人工衛星『スプートニク』を軌道に乗せ、4年後に世界最初の有人衛星飛行を行って、米国を震駭させたものだった。
ソ連は1970年代に入ると、少子高齢化が進んで、旺盛な高度成長を支えた、豊富な安い労働力が失われるようになった。中国で同じことが、起っている。
中国の指導部は、何千年にわたって自分が世界の中心だという中華思想による知的障害を患ってきたので、傲慢に振る舞ってきたために、まともに対外戦略をたてられない。
私は中華思想を“中禍思想”と呼んできた。プーチン大統領のロシアは戦略が巧みなのに、中国は中華主義による自家中毒におちいって、視野が狭窄している。
日本は米中対決の狭(はざ)間にある。米国が勝つことになるから勝ち組につくべきだ。
日本を守る② トランプ政権 ハイテクの中国流出を遮断
Date : 2018/12/20 (Thu)
私は11月後半に、ワシントンに戻った。
“米中対決”は、1991年にソ連を崩壊に導いた「東西冷戦」に続く、「米中冷戦」と呼ばれるようになったが、これはトランプ政権だけによる決定ではない。
上から音頭をとったのではなく、共和、民主両党の議会の総意であり、米国の識者、主要シンクタンク、大手メディアによって、有機的に生まれたコンセンサスである。
中国龍に跨(またが)る習近平主席が、中国の力を過信して、米国を見縊(みくび)って、世界の覇権を握ろうとしているのに対して、米国鷲が立ち塞(ふさ)がった。
習主席は、南シナ海に埋め立てた7つの人工島を、「軍事化しない」と、オバマ大統領に固く約束したのに、ミサイルを配備して、世界の主要な通商路である南シナ海を支配しようとしているのをはじめ、中国からアジアを通ってヨーロッパまでの諸国を取り込む「一帯一路」戦略を露骨に進めているのに、米国が堪忍袋の緒を切らした。
米中はすでに関税戦争で火花を散らしているが、11月のアルゼンチンのG20サミットにおいて、トランプ大統領が習主席と会談して、米国がさらに対中関税を引きあげるのを、90日間猶予することを約束した。だが、90日間で複雑な交渉が、決着するはずがない。鷲と龍の格闘劇の中休みにしかすぎない。
トランプ政権は、中国龍を躾けようとしているだけではない。真意は、中国共産党体制を打倒することを、はかっている。
米中関税戦争は、序の口でしかないのだ。中国のファーウェイなどの通信企業に対する締めつけも、軍拡競争も、傍役でしかない。
米中対決の主役は、中国にハイテクノロジー――先端技術が流れ込むのを絶ち切って、枯渇させることだ。暴れ龍の血液の循環を、停めるのだ。
ホワイトハウスに向かって、左側に「オールド・エキュゼキュティブ・オフィス」と呼ばれる、煉瓦造りの古色蒼然とした建物がある。ここに歴代の副大統領の執務室も、置かれている。
先端技術の発達の速度は、いっそう加速化している。トランプ政権が2年前に船出した時には、ハイテクノロジーの担当者は1人しかいなかったが、今では100人以上がワン・フロアを埋めて働いている。
日本は先端技術競争に、遅れをとってはならない。
日本を守る① 中国の世界制覇を断固阻止
Date : 2018/12/19 (Wed)
世界のありかたが新しいリーダーを生むのか、あるいは新しいリーダーが現われて、世界のありかたを、つくり変えるのだろうか?
トランプ大統領が突然のように、世界の桧(ひのき)舞台に登場したが、いったい、どちらに当たるのだろうか?
トランプ大統領は、粗野乱暴で、衝動的に行動する。それだけにトランプ政権が発足してから2年間、世界のかたちが激変している。
トランプ大統領が北朝鮮の金正恩委員長とサシで会談した結果、北朝鮮がミサイル発射と核実験を行わないでいるが、大きな功績だ。この状況が、今後、少なくとも2年は続こう。
米国経済はオバマ政権まで、多くの規制が活力を損ねていたのを撤廃し、失業率が50年振りに低いという、好況に転じた。
しかし、何といっても、トランプ政権の2年間の最大の出来事といえば、中国が世界を制覇しようと野望を進めているのを挫(くじ)くことを、決定したことだ。
トランプ鷲と習近平龍による、死闘の幕が切って降ろされた。
トランプ大統領が米国の舵(かじ)を握ってから、世界の潮流が逆流し始めた。
世界を牛耳ってきた、グローバリズムの時代が終わった。それぞれの国が、国益を中心として行動する、古い世界に戻るのだ。
グローバリズムは、米大企業が金儲けのために自国の民衆を犠牲にして、製造業を中国を主とする低賃金の国々へ放り投げて、所得格差を拡大することによって、伝統的な社会生活や、習慣を破壊してきた。人と人との絆(きずな)が粉々に砕かれて、個が尊重されるあまり、男女を区別することをはじめ、あらゆる差別が悪だとされるようになった。
民主党、大手メディア、高所得・高学歴者、主要研究所は、大企業によって養われてきたから、グローバリストとして、“トランプ非難”の必死の大合唱を行っている。
だが、トランプ大統領が米社会を分断しているのではない。米社会が分断されていたから、“トランプ現象”が起って、共和党にとっても部外者だった、トランプ大統領が誕生したのだ。
民主党は2年後の大統領選挙へ向けて、看板になるリーダーも、政策も欠いて、息絶え絶えだ。
トランプ大統領が、今後、よほどのヘマをしないかぎり、トランプ時代が続こう。
トランプ現象を正視しなければ、ならない。
兇獣が跋扈する国際社会の闇
Date : 2018/12/10 (Mon)
トルコのサウジアラビア総領事館を訪れた、アメリカに亡命中だったサウジアラビアの反体制ジャーナリストのジャミル・カショギ氏が、本国から派遣された情報機関のチームによって、館内で惨殺された。
日本のテレビのワイドショーによって、連日、大きく取りあげられた。
トルコの新聞によって、カショギ氏が総領事館内で殺害されたと報じられてから、アメリカのポンペイオ国務長官が、カショギ氏殺害の疑いをめぐって、サウジアラビアに急いで飛んで、実権を握っている33歳のモハマド・ビン・サルマン皇太子と会見した。
この時のポンペイオ長官とサルマン皇太子の写真を見ると、2人とも微笑んでいる。
トランプ政権は、カショギ氏惨殺が事実であっても、サウジアラビアが中東外交の重要な駒であり、武器輸出の大切な顧客であることから、大事(おおごと)にしたくないと望んでいた。
サウジアラビア政府は殺害を隠蔽できず認めたが、政府や、皇太子の指示によるものでなく、情報機関が勝手に行ったと言い逃れている。
読者の多くが、サウジアラビアに対してだけでなく、ポンペイオ長官が満面の笑顔をつくって、サルマン皇太子と握手を交したのを見て、不快感をいだかれただろう。
それなら、トランプ大統領が笑顔を浮べて、北朝鮮の金正恩書記長を抱擁したのは、どうなのか。金書記長は異母兄の金正男(キムジョンナム)氏をマレーシアで、白昼、暗殺したではないか。
トランプ大統領は、中国の習近平主席とも抱きあった。中国は新疆ウイグル自治区で100万人以上を「集団訓練所」に拘置して、多くのウイグル人を虐殺している。チベット、内モンゴルでも、戦慄(せんりつ)すべきことが起っている。
ところが、トランプ大統領が金書記長や、習主席と親密に振る舞っている映像を見ても、強い嫌悪感に覚えることがないだろう。
ロシアのプーチン大統領も、国外に亡命した多くの反体制派を、暗殺している。
私たちの日常生活の感覚で、諸外国を判断してはならない。サウジアラビアは、中国、北朝鮮や、ロシアと体質が変わらない国家だ。
世界は日本国憲法の前文で、たからかに謳(うた)っている、「公正と信義」を重んじる「平和を愛好する諸国民」によって、構成されているわけではない。国際社会は兇獣が横行するジャングルと、変わらないのだ。
私はこれまで本誌で、今年に入ってから2回にわたって、サウジアラビアが安定を保てない可能性が高いと、警告してきた。
サルマン皇太子は、サウジアラビアの“脱石油化”をはかって、きらめく近代国家に造り変えようとする、壮大な計画を進めてきたが、私は皇太子の改革が成功するはずがないと、予想してきた。
カショギ氏はメディアが伝えているような、自由主義のジャーナリストではない。アル・カイーダや、ムスリム同胞団が信奉するイスラム原理主義に加担して、サウジ王家が民意を踏み躙(にじ)っていることを、亡命先のアメリカから激しく非難してきた。
サルマン皇太子がカショギ氏を目障わりだとして、計画的に殺害したのは、人口2400万人あまりのサウジアラビアの安定がきわめて脆いことを、示している。
皇太子が82歳で、病んでいるサルマン父王によって、罷免される可能性もあろう。これまでサルマン国王は2人の皇太子を、解任してきた。
サウジアラビアをめぐる報道を、対岸の火災として見てはならない。日本はサウジアラビアを中心とするアラビア半島の産油諸国から、日本経済を支える石油天然ガスの80%を輸入している。アラビア半島が混乱に陥ったら、日本が大きく蹌踉(よろめ)くことになろう。
日本のテレビの「ワイドショー」は「ショー」(英語で見世物)の言葉通り、視聴者の好奇心だけみたす娯楽番組でしかない。
明治を創った英傑に、国を想う心を学ぼう
Date : 2018/12/04 (Tue)
今年は、明治維新150周年に当たるが、『日本の偉人物語 伊能忠敬 西郷隆盛 小村寿太郎』(光明思想社)という、幕末から日本を創った3人を取りあげた、良書が出版された。各家庭に1冊、常備したい本だ。
伊能忠敬(いのうただたか)(1745年~1818年)は農家の子で、和算(数学)、天文学、測量を学び、55歳から17年かけて全国の沿岸を測量して、精密な日本全図をのこした。
今年は、忠敬の没200年に当たる。私は忠敬の次女しのが、千葉の銚子の隣の旭村(現旭日市)の農民・加瀬佐兵衛に嫁いだことから、忠敬の孫の孫の子である玄孫(やしゃご)に当たる。
この春に、忠敬の没200年を記念して、都内のホールにおいて、忠敬の測量に協力した人々の子孫が70数人上京して、私たち忠敬の子孫から、感謝状を贈る式典が催された。
忠敬は日本の近海を脅かすようになっていた、西洋諸国から日本を守るために、精密な沿岸図をつくるのに、余世を捧げた。私の父方の祖父は、私の生前に他界した。祖母のか津は、忠敬が養子となって酒造りをしていた佐原の庄屋の近くの、醤油造り家の娘だったが、私に忠敬の国を想う心を伝えた。
忠敬の直弟子であった間宮林蔵(まみやりんぞう)も、烈々たる愛国者だった。忠敬の没後に、北方の千島列島と樺太の測量を行ない、幕末の安政2(1855)年に結ばれた露和新条約によって、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の北方四島を、日本領として認めさせた。
今日でも、樺太とシベリアの間の海峡が、間宮海峡と呼ばれるが、林蔵の業蹟である。日ロ間で明治5(1875)年に、千島樺太交換条約が結ばれ、千島列島がすべて日本領となったが、林蔵の力によるものである。
西郷隆盛は、私の母方の郷里の鹿児島が生んだ、明治維新の英雄だ。西郷の大活躍はよく知られているが、西郷の右腕として尽力したのが、山岡鉄舟だった。鉄舟なしには、西郷と勝海舟による江戸無血開城はなかった。
鉄舟は旗本の五男で、剣道の達人だったが、生涯、無私無欲で、日本の行く末だけをひたすら想った。西郷に鉄舟を評して、「命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬといったような、始末に困まる人です」といわせている。西郷だからこそ、鉄舟を見込むことができたのだった。
小村寿太郎(こむらじゅたろう)(1855年~1911年)は、今日の宮崎県にあった、飫肥藩(おびはん)の藩士の子として生まれた、明治を代表する外交官である。
寿太郎は小柄だったが、日本男子の気魄(きはく)にみちていた。寿太郎が育った、日南市にある『小村寿太郎記念館』に、寿太郎が日露戦争の講和条約であるポーツマス条約を調印した時に着た、フロックコートが展示されているが、七五三の少年の衣装のように小さい。
私の自宅の近くに『振徳館』という、飫肥藩の藩校の名をとった、武道の道場があるが、毎年、新年の道場開きに招かれて、乾杯の発声を行うことになっている。居合、警視庁師範による逮捕術、陸上自衛隊員による銃剣術、空手道の演武などが、繰り広げられる。
日本が明治維新という、世界の奇蹟を行うことができたのは、国民が国を想う燃えるような心と、武を磨いたからだった。 日本国憲法は前文から、自虐精神によって始まっており、日本が自立することを否定している。
幕末から明治にかけた先人たちが、この憲法を読んだら、いったい、どう思うだろうか。
銀座の酒場の扉は真如の門
Date : 2018/12/03 (Mon)
この夏は世界的な気象変動のせいだろうが、ことのほかに暑かった。
暑き日を海に入れたり最上川という、芭蕉の句がふと浮んだが、現代のように冷房がどこへいっても普及していたら、蕉門でいう風雅な詩興が涌くはずがないと思って落肝した。
だが、空に神鳴(かみなり)が轟くと、時がまた秋を運んできてくれる。
秋が到来して、たおやめが新米を噛む醸成月(かみなしづき)が巡ってくるたびに、男たちを釣る漁火(ネオン)に誘(いざな)われて、彷徨(ほうこう)することになる。
今年は、秋が待たれた。「いとど心づくしの秋風」という一節が、『源氏物語』(須磨)にあるが、身に沁みる。到来というと到来物のように、贈られてきたいただきものを意味している。「いとど」は、いよいよだ。
私は20代から、同(おな)い年の文芸春秋社の堤堯氏、講談社の川鍋孝文氏と3人で、銀座の『眉』『エスポァール』『ラモール』『姫』など一流の酒場(クラブ)に、よく通ったものだった。
しばらく前に、ナベちゃんは私たちに断ることなく途中下車して、故人になってしまった。
あのころは、雑誌社や物書きには“学割”があった。
私が月刊『文芸春秋』に、評論家の肩書をはじめて貰って書くようになったのは、26歳の時で、堤氏が担当してくれた。
堤氏とは2年前まで、DHCテレビで対談番組を持っていた。高嗤(たかわら)いするのがトレードマークだが、もし、悪事を働いて手配されたとしたら、もっとも大きな特徴としてあげられることだろう。
月日がたつのは早く、堤氏も私もいつの間にか、八十路(やそじ)に迷い込んでしまった。
12月に、82歳の誕生日がまわってくるが、万年少年なのか、成育不全なのか、実感がともなわない。
古人が、自分はまだ若いと思っていても、少年老い易くといって、すぐに齢(よわい)を重ねてしまうから、一寸の光陰を軽んずことなく、寸刻を惜しんで遊ばなければならないと戒めているのを、もっと心に刻んで生きるべきだったと悔いてみても、もう遅いのだろうか。
それでも酒量とともに、体力が落ちていることを、認めなければならない。
若い時には、若さを乗り越えようと努めたが、老いると老いに克とうとするから、生きているかぎり、克己の戦いが続いてゆくのだろう。
もっとも、舌耕(ぜっこう)や筆耕(ひっこう)によって、乞食者(ほがいびと)のように生計を立てているから、猫がじゃらされているように、刻々と目先が忙(せわ)しく変わってゆくために、俗世を離れて、年金生活を享受しながら、欲するままに心静かに、悠悠自適の境涯を楽しむ暇(いとま)がない。
昨年、北海道のいまでは町になっている寒村にある、由緒ある神社の創建120年の式典に招かれて、神道について短い講話を行った。周辺の都市や、町村から、モーニングか、黒の上下の背広に、白、銀ネクタイ姿の地元の名士たちが集っていた。
式典のあとの直会(なおらい)で、私から1人おいて座った80代なかばという来賓の1人が、「倅(せがれ)に会社を譲って、“飲む、打つ、買う”の日々ですよ」と自慢するので、「へえ、お元気ですねえ」と驚いたら、「3食ごとに薬を飲みます。病院へ行って注射を打ちます。テレビのCMでサプリの広告に釣られて、女房か、私が買います」と、答えた。
今年は、3冊の著書が上梓(じょうし)された。といっても、1冊は以前の著書が文庫版に化けたのと、2冊は対談本だ。年末までに、もう1冊加わることになっている。もっとも、昨年は七冊続けてでたが、ほとんどが古い本の復刻版だった。
銀座の酒肆(しゅし)に戻ろう。友人と何年か振りで、馴染みの店を覗いた。
こんな時には、仏教の唯識派(ゆいしきは)の用語で阿頼耶識(あらやしき)というが、忘れたはずの過去の行いが潜在意識として、体のなかにしっかりと刻まれていることを、あらためて覚らされる。
脂粉の香が漂ってくると小さな店が、雄花と雌花が咲き乱れる花園に変わる。
いや、雄蕊(おしべ)と雌蕊(めしべ)というべきだろう。植物学によると、雌蕊のほうが受精器官だ。まさに、愛染曼荼羅(あいぜんまんだら)の立体版だ。
愛染明王は愛欲煩悩がそのまま、悟りになるという、釈尊の有難い教えだから、酒肆(クラブ)の扉は、これから伽藍に入る、真如(しんにょ)の門なのだろう。
唯識派によれば、あらゆる存在は識、すなわち心にすぎない。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五感は、心そのものだ。
真如も仏教語であって、真理をいうが、阿頼耶識も、愛染明王も、唯識も、修業、伽藍も、もとはすべて、インドのヒンズー古語の梵語(サンスクリット)だ。
もう一つ刹那(せつな)も、サンスクリットからきた言葉だが、人生は刹那――指でひと弾(はじ)きする短い時間――刹那を大切にして、充実させなければならない。
店を久し振りに訪れたから、私にとって新顔だった20代だという、ホステスが隣に座った。もう銀座の濁流か、清水に馴染んでいようが、サン・ローランか、グッチの法衣(ドレス)に身を包んでいた。
軽口をたたいていたら、「おいくつですか?」とたずねるので、私が一瞬怯んだら、「男女は恋人になったら、同じ歳です」と、切り返された。励ましてくれる、利発な娘(こ)もいるものだと、感心した。
男女関係は、異文化交流だから難しい。山本有三先生が、「結婚は雪げしきのようなもので、はじめはきれいだが、やがて雪解けして泥濘(ぬかるみ)になる」と、告白されている。
そこへゆくと、中島兄貴(あにい)はいつだって姐さんと睦まじい。きっと、姐さんを神々が降りてこられて宿られる依代(よりしろ)のように、大切にされているにちがいない。
(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者)
ペリー浦賀来寇から僅か15年で明治元年となった
Date : 2018/11/30 (Fri)
アメリカ、ヨーロッパにおいて、かつて日本文化への関心がこれほど高まったことはない。
私は昭和40(1965)年に、東京放送(TBS)が出資して、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』(大英百科事典)の最初の外国語版の『ブリタニカ国際大百科事典』(全21巻)を編集して出版した時に、初代の編集長をつとめた。29歳だった。
編集の最盛期には、翻訳、縮訳と、新しい項目をつくるために、200人以上が携わった。当時、もとのブリタニカ百科事典といえば、欧米を世界の中心としていたから、額田王(ぬかたのおおきみ)、和泉式部も、義経も、二宮尊徳も、平田篤胤も、日本で自動車をつくっていることも、載っていなかった。そこで、日本とアジアの新しい項目を、加えなければならなかった。
“日本の時代”が目前にある
今日の世界をあの時と較べると、隔世という言葉が当て嵌まる。私はアメリカの大学に留学したが、アメリカ国民の日本への関心は低いものだった。大多数のアメリカ人にとって、日本と中国と朝鮮の区別がつかなかった。
この半世紀あまりに、日本国民の営々たる努力によって、世界における日本の存在が、あのころには想像できなかったほど、大きなものに変わった。当時を振り返えると、感慨深い。
今年は、明治維新150周年に当たる。年表をみると、ペリー提督が率いる黒船艦隊が浦賀に来寇したのが、嘉永6(1853)年だった。日本は僅かその15年後に、「御一新」と呼ばれる明治維新を行うことによって、明治元年を迎えた。
『オランダ風説書』は世界への窓だった
イギリスが中国に阿片戦争を仕掛けたのが、天保10(1840)年だったが、ペリーが来冠する13年前のことだった。
幕府も諸藩も、長崎に入港するオランダ船から入手した、海外の最新の情報をまとめた『オランダ風説書』によって、詳細な情報を手に入れていた。
ペリー艦隊が搭載していた砲の射程が、3500メートルもあるのに対して、わが砲は家康の時代から変わっておらず、射程が4、500メートルしかなく、日本の古い砲が火玉しか発射することができないのに、ペリーの砲身のなかに螺旋が施されて、威力がある炸裂弾を撃つことも知っていた。
阿片戦争から明治元年までの28年間を振り返ると、戦後の日本の目覚ましい経済復興をもたらした、驚嘆に価いするエネルギーをみる思いがする。
島崎藤村の『夜明け前』といえば、幕末の木曽路の宿場町の生活を、克明に描いた長編小説だ。
山深い木曽路にある宿場が舞台となっており、庄屋の青年である青山半蔵が主人公である。半蔵は家業に励しむかたわら、賀茂真淵(かものまぶち)、本居宣長(もとおりのりなが)、平田篤胤(ひらたあつたね)をはじめとする江戸時代の国学者の著作を学んで、日本の行く末を真剣に憂いていた。
『夜明け前』を読むと、幕末の日本をよく理解することができる。あの時の日本には、半蔵のような青年が、全国のどこにでも存在していた。江戸時代に入って生まれた国学と、半蔵のような国民が、未曽有の国難に見舞われた日本を救ったのだった。
天皇家が日本を守った
だが、あの時の日本を護ったのは、天皇の存在だった。
もし、幕末に天皇家が存在しておらず、徳川家しかなかったとしたら、日本は洋夷に対してまとまって団結することがなく、独立を全うできなかったはずだ。
来年4月に、平成が31年で終わる。このあいだに、中国、北朝鮮からの脅威が募るなど、日本を取り巻く国際環境が、いやおうなしに緊迫するようになった。平成のこれまでの30年は、阿片戦争から明治元年までの28年より長い。
それにもかかわらず、日本はこの30年のあいだ、泰平の深い眠りから醒めずに、72年前にアメリカの占領軍が、銃剣を突きつけることによって強要した『日本国憲法』を改めることができずに、眠り続けてきた。いまだに護憲派が強い力を持っている。
幕末には、どこにでも青山半蔵のような国民がいたというのに、どうして国を守る気概気力を失って、腑甲斐ない国になってしまったのだろうか。
アメリカの軍事保護による一国平和主義
アメリカによって与えられた「新憲法」のもとで、日本は徳川期の一国平和主義――鎖国の繭(まゆ)のなかに、ふたたび閉じ籠ってしまってきた。
国際環境がいっそう厳しさを増してゆくなかで、一国平和主義の繭(まゆ)を一日も早く破って、成虫になって羽搏(はばた)かなければ、この国が亡びてしまおう。
明治維新150周年を、ただ祝うだけであってはならない。
日本は150年前に世界の現実に適応することによって、独立を守ることができたのだった。
いま、安倍政権がようやく現行憲法のごく一部を改正しようと、眦(まなじり)を決して乗り出した。
アメリカは日本占領が始まった翌年に、日本を未来永劫にわたって自立できない国に変えるために、『日本国憲法』を強要したのだった。
現憲法の改正ではなく、修正を
憲法第95条で、「改正」という言葉を用いているから仕方がないが、私は親しい国会議員に、改正を呼び掛ける時に「改正」ではなく、「修正」という言葉を使ってほしいと訴えている。「改正」というと、現行憲法を全面的に書き改めようとしている、誤解を与える。
いま、日本が直面する国際環境が、きわめて困難なものとなっているために、憲法のごく一部だけを修正することが、求められている。「修正」といったほうが、多くの国民の理解をえられると思う。
このかたわら、このところ日本文化への共感が全世界にわたって、ひろまるようになっている。
幕末から明治にかけて、ジャポニズムと呼ばれたが、浮世絵を中心にして日本の美術がヨーロッパ、アメリカの芸術に大きな影響をおよぼした。日本文化に関心が集まるのは、それ以来のことだ。
だが、かつてのジャポニズムが、視覚に限られていたのに対して、今回の日本文化の高波は、食文化から精神のありかたにまでわたっており、はるかに深いものがある。
和食の流行は、和食が自然と一体になっていることから、健康志向によって支えられているが、日本が発明したスマートフォンのエモジや、ポケモンなどのアニメが世界を風靡しているのは、万物に霊(アニマ)が宿っているという、日本の八百万千万(やおろずちょろず)の神々信仰にもとずいている。いま、西洋では独善的な一神教が、揺らぐようになっている。
この3、40年あまり、西洋においても自然と共生するエコロジーが、人類を守り、救うと信じられるようになっているが、エコロジーこそ神道の心である。
在日外交団長と対談「神道が世界を救う」
マンリオ・カデロ・サンマリノ共和国駐日大使は、在日外交団長をつとめているが、神道に魅せられて、これまで全国にわたって100近い神社を参拝してきた。大使は和を重んじ、自然を敬う神道の心こそが、抗争と流血が絶えることがない世界を救うことになると、信じている。
私はカデロ大使と、『神道が世界を救う』(勉誠出版新書)という対談本を、9月に刊行した。
日本には150ヶ国以上の外国大使が駐箚(ちゅうさつ)しているが、20人あまりの大使が日本語に堪能だ。日本語ができる大使や、日本に在住する外国人からこの対談本によって、日本人をつくっている文化と、日本の生きかたや、心をはじめてよく理解できるようになったと、感謝されている。
中国を兵糧攻めにする? 先端技術の中国流出を阻む米国の戦略
Date : 2018/11/22 (Thu)
米中貿易戦争――あるいは関税戦争をめぐって世論がかまびすしいが、米中関係のごく一部しか見ていない。
マスコミは木を見て、森を見ないのだ。
トランプ大統領は中国の共産体制を崩壊させることを決意して、中国と対決してゆく方針を固めた。
習主席は面子にこだわって、関税戦争を受けて立っているが、中国経済がアメリカ市場に依存しているために、すでに蹌踉(よろめ)いている。
いまではワシントンで、ついこの間まで親中派だった国務省、主要シンクタンクも、中国と対決することを支持している。アメリカの中国観の地殻大変動だ。
トランプ大統領が中国という“悪の帝国”を倒す戦略の中核にあるのが、テクノロジーだ。
同盟諸国とともに、先端技術の中国への流出を阻む、兵糧攻めにするのだ。関税戦争や、軍拡競争は脇役になる。
かつてレーガン大統領が、“悪の帝国(イービル・エンパイア)”と極め付けたソ連を追いつめたのも、アメリカを中心とする、自由世界のテクノロジーの力によるものだった。
中国はテクノロジー後進国だ。宇宙ロケットを打ち上げられても、ジェット機のエンジンをつくれないので、ロシアから買っている。
中国の指導部は何千年にもわたって、中華思想による知的障害を患ってきたために、弱い相手は呑み込むものの、まともな対外戦略をたてられない。
力を持つようになると、慢心して、外国を見下すために、傲慢に振る舞う。
中華思想は、中禍思想と書くべきだ。ロシアは戦略が巧妙だが、中国は中華主義の自家中毒によって、視野が狭窄している。
習主席は中国悠久の歴史から、学べないのだろうか。
オバマ政権は中国に対して宥和政策をとっていたが、中国はアメリカの弱さだと見縊(みくび)った。
習主席は3年前に訪米して、オバマ大統領と米中サミットを行い、ホワイトハウスで行った共同記者会見で、中国が南シナ海で不法に埋め立てて造成した7つの人工島を、軍事化することはないと、明言した。
しかし、その後中国は7つの島に、ミサイルや、爆撃機を配備するようになった。
中国人は平然と嘘をつくが、アメリカ人は嘘をもっとも嫌っている。
私はかねてから、中国人は昔から「吃(ツー)(食事)」「喝(フー)(飲酒)」「嫖(ピャオ)(淫らな遊女)」「賭(トウ)(博打(ばくち))」「大聴戯(チーティンシ)(京劇)」の五つを、生き甲斐にしていると、説いてきた。
清朝の歴代の皇帝も、毛沢東、周恩来、江青夫人も、江沢民元主席も、みな京劇マニアだった。
京劇は甲高い声に、耳を聾するけたたましい音曲と、大袈裟な所作によって、誇大妄想を煽る舞台劇だ。
習主席が好む大規模な軍事パレードや、急拵(こしら)えの航空母艦を中心とする大海軍や、絵に描いた餅のような「一帯一路」は、京劇の舞台装置を思わせる。清朝を崩壊させた西太后も、京劇マニアだった。
現在、中国海軍は艦艇数が317隻で、アメリカ海軍の283隻を上回る。西太后が日清戦争前夜に、北京西郊の頤和園の湖岸に、巨額の国費を投じて建造した、大理石の巨船の“21世紀版”だ。
大坂なおみ選手と人種平等を実現した日本
Date : 2018/11/19 (Mon)
イギリス王室の結婚式典
私はテレビを観て泣いたことは、めったにない。
今年5月に、イギリスのヘンリー王子とアメリカ人女優のメーガン・マークルさんの結婚式典が、ウィンザー城教会において行われた。
イギリス王室はウィンザー家と呼ばれ、ウィンザー城は王家の居城である。
王子とメーガンさんが、荘重なイギリス国歌が吹奏されるなかを、お伽噺のような馬車に乗って、輝く銀の胸冑をつけた龍騎兵の一隊によって守られて、教会へ向かった。
この光景を見て深く感動した。不用意に、目頭が熱くなった。
華燭の式典では、アメリカ聖公会の黒人主教が、説教壇から黒人訛りの英語で、愛について熱弁を振った。
私はアメリカ黒人女性の聖歌隊が、黒人霊歌(ゴスペル)の『イエスとともに歩め(スタンド・バイ・ミー)』を合唱した時に、涙を拭った。
メーガン妃は、黒人の母と白人のあいだに生まれた。
いまでも、白人社会では、黒人の血が少しでも混じっていれば、「黒人(ブラック)」と呼ばれる。オバマ大統領も母が白人であるのに、黒人の大統領とされた。
ウィンザー城の教会で、エリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ皇太子をはじめ、盛装した王族を前にして、アメリカから招かれた黒人の聖歌隊が、黒人霊歌を合唱した。
黒人霊歌は、数百万人の黒人がアメリカに連れてこられて、鎖に繋がれた奴隷として生きることを強いられた時に、救いを求めてうたった歌だ。
日本の戦いがもたらした人種平等の世界
イギリスの王子が黒人と結婚するのは、王室の長い歴史で、はじめてのことだった。
3、40年前でも、まったく考えられなかったことだった。 これも、日本が先の大戦において国をあげて戦い、大きな犠牲を払って、アジアを欧米の過酷な植民地支配から解放し、その高波がアフリカ大陸を洗って、次々と独立していった結果、人種平等の世界が人類の長い歴史で、はじめて招き寄せられたためだった。
きっと、アジア・太平洋の広大な戦場に散華された英霊が、天上からこの光景を眺められて、嘉納されたにちがいないと思った。
来年2月は、第1次大戦のベルサイユ会議とも呼ばれるパリ講和会議で、国連の前身である国際連盟を創設するのに当たって、日本全権団が連盟規約に「人種平等条項」を入れることを提案して、11対5の票決によって可決されようとした時に、議長だったウッドロー・ウィルソン・アメリカ大統領が、「このような重要な事項は、全会一致によって決定しなければならない」といって葬った、100周年に当たる。
ヨーロッパの小国が賛成票を投じたものの、国内で黒人を差別していたアメリカをはじめ、白人の植民地諸国が反対したのだった。
アメリカでは第2次大戦後も、国内で黒人に対するいわれない差別が続いたが、アフリカの外交官が黒人が入れなかったホテルや、レストランなどに自由に出入りするのを見て、黒人が立ち上って公民権運動が起った。
1960年代に、マーチン・ルーサー・キング師が率いる公民権運動がついに実を結び、黒人に対する法的な差別が撤廃されて、今日に至っている。
私は1959年にアメリカに留学したが、ゴルフコースに黒人といえば、キャディしかいなかったし、テニスコートでも、清掃員か、球拾いしか、見ることがなかった。野球のメジャーリーグで、黒人選手がプレイできるようになったのは、第2次大戦後のことだ。
ゴルフ界でタイガー・ウッズや、テニス界でウィリアム姉妹が活躍しているが、公民権運動が実った以後のことだ。 大坂なおみ選手が健闘して、脚光を浴びている。
なおみさん、英霊が応援していますよ!
中国は前車ソ連の轍を踏むことになるのか
Date : 2018/11/14 (Wed)
米中貿易戦争――あるいは関税戦争をめぐって世論がかまびすしいが、米中関係のごく一部しか見ていない。
トランプ大統領は中国の共産体制を崩壊させることを決意して、中国と対決してゆく方針を固めた。
習主席は面子にこだわって、関税戦争を受けて立っているが、中国経済がアメリカ市場に依存しているために、すでに蹌踉(よろめ)いている。
いまではワシントンで、この間まで親中派だった国務省、主要シンクタンクも、中国と対決することを支持している。アメリカの中国観の地殻変動だ。
トランプ大統領が中国という“悪の帝国”を倒す戦略の中核にあるのが、テクノロジーだ。同盟諸国とともに、先端技術の中国への流出を阻む、兵糧攻めにするのだ。関税戦争や、軍拡競争は脇役になる。
かつてレーガン大統領が、“悪の帝国(イービル・エンパイア)”と極め付けたソ連を追いつめたのも、アメリカを中心とする、自由世界のテクノロジーの力によるものだった。
中国はテクノロジー後進国だ。宇宙ロケットを打ち上げられても、ジェット機のエンジンをつくれないので、ロシアから買っている。
中国の指導部は何千年にもわたって、中華思想による知的障害を患ってきたために、弱い相手は呑み込むものの、まともな対外戦略をたてられない。力を持つようになると慢心して、外国を見下すために、傲慢に振る舞う。
中華思想は、中禍思想と書くべきだ。ロシアは戦略が巧妙だが、中国は中華主義の自家中毒によって、視野が狭窄している。
中国は今世紀に入ってから、かつてのソ連と同じように、自壊への道を進むようになっている。ソ連は1991年に崩壊した。
効率が悪い計画経済によって病んでいたのに、無人のシベリア沿海州の開発に国力を浪費し、東ヨーロッパの衛星諸国という重荷をかかえたうえに、第3世界に進出するのに力を注いだために、アメリカとの競争に耐えられなくなって、倒壊した。
クレムリンの最高指導者は、非科学的なマルクス主義の予言に従って、ソ連が世界を支配するという使命感にとらわれて世界制覇を急いだために、墓穴を掘った。
習主席も「偉大なる5000年の中華文明の復興」という、自らの掛け声に陶酔して、見せかけだけが壮大な「一帯一路」計画と、大海軍の建設を強行しているが、第2次大戦後にソ連が歩んだ道程によく似ている。
中国は分離独立闘争を恐れて、新疆ウィグル自治区や、チベットをはじめとする西域や、中部や、北部に過大な投資を行っている。
「一帯一路」計画は、アジアからヨーロッパまで70ヶ国近くを、“幻(まぼろし)の中華圏”に取り込もうとする杜撰(ずさん)きわまる大計画だが、マレーシア、ミャンマー、パキスタンなど多くの諸国で、すでに挫折するようになっている。
ソ連は1950年代から、60年代にかけて、日本についで経済成長率が高かった。私はソ連が1957年にアメリカに先駆けて、人工衛星『スプートニク』を軌道に乗せた時に20歳だったが、よく覚えている。その4年後に世界最初の有人衛星飛行を行って、アメリカの朝野を震駭させたものだった。
ソ連では1970年代に入ると、少子高齢化が進むようになって、旺盛な高度成長を支えた、豊富な安い労働力が失われるようになった。中国でも同じことが、起っている。
私はかねてから、中国人は昔から「吃(ツー)(食事)」「喝(フー)(飲酒)」「嫖(ピャオ)(淫らな遊女)」「賭(トウ)(博打(ばくち))」「大聴戯(チーティンシ)(京劇)」の5つを、生き甲斐にしていると、説いてきた。
清朝の歴代の皇帝も、毛沢東、周恩来、江青夫人も、江沢民元主席も、みな京劇マニアだった。
京劇は甲高い声に、耳を聾するけたたましい音曲と、大袈裟な所作によって、誇大妄想を煽る舞台劇だ。
習主席が好む大規模な軍事パレードや、急拵(こしら)えの航空母艦を中心とする大海軍や、絵に描いた餅のような「一帯一路」は、京劇の舞台装置を思わせる。清朝を崩壊させた西太后も、京劇マニアだった。
現在、中国海軍は艦艇数が317隻で、アメリカ海軍の283隻を上回る。西太后が日清戦争前夜に、北京西郊の頤和園の湖岸に、巨額の国費を投じて建造した、大理石の巨船の“21世紀版”だ
悪意に満ちた国連委員会の対日非難
Date : 2018/11/08 (Thu)
8月に、スイス・ジュネーブで国連人種差別撤廃委員会が「対日審査会」を行い、慰安婦、韓国人・朝鮮人に対するヘイトスピーチ、委員会が先住民とみなすアイヌ・沖縄県民、朝鮮学校問題などを取りあげて、3日にわたって日本を嬲(なぶ)りものにした。
私はこの討議の一部を動画で見たが、どの委員も日本が性悪な国として、こき下ろした。
戦前の国際連盟が本拠だった「パレ・ウィルソン」(パレは宮殿)で開かれ、会合での対日非難は悪意にみちたものだった。
韓国の委員の鄭鎮星(チョンジュソン)女史は「性奴隷(セックス・スレイブ)」といって、「慰安婦の残酷な状況は、当時の文書、映像、証言など多くの証言によって、裏付けられている」と、日本政府代表団に迫った。
アメリカの黒人女性のマクドゥガル委員は、日本政府代表団が反論したのに対して、慰安所を「強姦所」と呼び、「事実を議論すべきではない。これは女性の尊厳の問題だ。慰安婦の大多数が韓国人だった」と、詰め寄った。事実は、大多数が日本女性だった。
ベルギーのポッソート委員は、日本において韓国・朝鮮人が迫害されており、「日本に住む40万人の韓国・朝鮮人の大多数が、植民地時代に強制的に日本に連行された」と、攻撃した。事実は同じ国だったから、自由に往来できたために、より豊かだった日本本土に、仕事を求めて移ってきたのが、正しい。
コンゴ民主共和国をはじめ、諸国の委員がつぎつぎと日本を誹謗した。
このような国連委員会が世界の世論をつくって、日本の名誉を大きく損ねてきた。
委員会の会合は、荒唐無稽としかいえないにもかかわらず、日本政府代表団が一つ一つ、丁寧に答えていた。私は代表団を率いた大鷹正人外務審議官や、法務省員の苦労を心からねぎらいたいと思った。
私も英語屋だが、大鷹審議官の英語は流暢で、素晴しかった。ところが、日本政府の代表が「お詫びし、償い金を支払っている」といって、委曲をつくして答えるほど、弁解しているように見えた。
私だったら弁明に終止せずに、相手を積極的に攻撃して、その歪んだ根性を叩きなおそうとするだろう。
韓国の委員には、「韓国が独立を回復してから、貴国の国軍は日本の旧軍の制度を受け継ぎましたが、国軍の将兵の性処理のために、『慰安婦(ウィアンプ)』と呼ぶ女性たちが働く売春施設を、つくっていました。『慰安婦(いあんふ)』は旧日本軍とともに姿を消したはずなのに、韓国軍に長いあいだにわたって存在しました。慰安婦がそんなにおぞましいものだったら、どうしてこの日本語を韓国語として発音をして、使っていたのですか?」と、たずねたかった。
アメリカの委員には、「アメリカでは1960年代に入るまで、黒人は選挙権を認められず、白人と黒人の性関係が犯罪とされ、水飲み場、便所から、食堂まで区別されて、ひどい差別を蒙っていたし、今でも苦しんでいます。日本が先の大戦を戦って有色人種を解放したおかげで、黒人が白人と同等の公民権を勝ち取ったのではないですか?」と、質問する。
委員会が国際連盟を創設することを提唱した、アメリカ大統領の名を冠した「パレ・ウィルソン」で開かれたのも、皮肉だった。
ウィルソン大統領はアメリカ南部のジョージア州とサウスカロライナ州で育ち、有色人種が優生学的に劣っていると説いた、人種差別主義者だったために、ウィルソンが創学者のプリンストン大学では、学生たちがその銅像の撤去を求め、アメリカ議会が創立したシンクタンク「ウィルソン・センター」を改名すべきだという運動が、行われている。
私だったら、委員たちに「パレ・ウィルソン」の名を改めることを、提案しただろう。
このように愚かしい委員会で、日本政府の代表が暴れれば、世界のマスコミが取り上げて、日本の主張が理解されることだろう。
「日本国憲法」という邪教を信じたままでよいか
Date : 2018/11/08 (Thu)
「日本国憲法」は、邪教だ。
日本がアメリカによって、自主独立を完全に否定されていた時に、押し付けられた現行憲法は、邪教そのものだ。
現行憲法は護ろうとする者は、邪教の信者である。
現行憲法の前文は、日本の安全を「平和を愛する諸国民の公正と信義に」委ねると、うたっている。いったい、ロシア、中国、北朝鮮、韓国が、何よりも平和を愛し、公正で信義を重んじる国なのだろうか?
前文は現行憲法の精神を要約しているが、このように噓八百で始まっている。
私たちの生命や財産を、外国人のお情けに預けなさいと、いっているのだ。
憲法は世界の全ての諸国民について、性善説をとっているのに対して、日本人についてのみ、性悪説をとっている。もっとも、私たちがこの前文を書いたのではなく、戦勝国だったアメリカが、日本を苛(いじ)めるために強要したのだから、自虐的だとはいえないが、多くの日本国民がこの押し付けられた憲法を、なぜか、信心するようになっている。
戦後、日本国民が自虐的になってしまったのは、この憲法のせいである。
しかし、社会生活において、まったく自尊心を失ってしまった者が、真っ当な生活を営むことができるはずがない。国際社会においても、まったく同じことだ。
第9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と、規定している。世界のどの国も、一国の独立と、国民の生命・財産を守るために、国防を国民の義務として定めているのに、日本だけが軍を保持することを禁じられている。赤児が腹をすかせた虎や、狼、ジャッカルがうろついているジャングルに、置きざりにされたようなことだ。
平和は健康と同じように、努力して守るものだ。
アメリカは現行憲法を、占領下にあった日本に強要した時に、その時のアメリカの都合に合わせて、日本からいっさいの軍備を奪うことによって、日本を子々孫々に至るまで、アメリカの属国とすることを、目論んだのだった。そのために、今日の日本はみすぼらしい小国でしかない北朝鮮の脅威に対しても、アメリカの保護なしに対応できない。
だが、いったい、アメリカが今後、日本を永久に守り続けてくれるものだろうか? トランプ政権は「アメリカ・ファースト」(アメリカ優先)を唱えて、アメリカの都合を何よりも優先すると表明している。
現行憲法とアメリカによる保護は、一体のものなのだ。
せめて、現行憲法に国を護るために自衛隊を保有することを、一日も早く書き込みたい。
どのような国であれ、誇りが国家を形成しているのに、現行憲法は日本人から日本人の誇りを、奪ってしまっている。 私たちの日本はいま現在だけによって、存在しているのではない。2000年余年にわたる歴史と、祖先である先人たちの願いによって、形成されている。毎日を生きるのにあたって、祖先をないがしろにしたら、天罰が降ろう。
尊いものは、目に見えない。刹那(せつな)だけしかないのでは、魂がない抜け殻でしかない。
現行憲法は日本を魂がない、禽獣(きんじゅう)の国としている。
このまま、邪教を信じてゆけば、私たちは地獄に落されてしまおう
麦の穂青し、空は一片の雲も留めず
Date : 2018/11/05 (Mon)
来年5月に全国民が慶祝に涌きかえるなかで、126代の天皇陛下が即位される。
天皇は日本を統べて下さる要(かなめ)であり、民を安ずる使命を授かった御存在である。
皇室のない日本を想像することが、できるだろうか。
天皇は他国の君主と違って覇者ではなく、敵対する者が存在しない。古代・中世の一時期さえ除けば、武力を用いたことがなかった。
天皇は日本でもっとも謙虚な人であり、日本の国柄が結晶した方であられる。日本の祭り主として2000年余にわたって皇祖を祀り、つねに国民の幸せと平和を祈ってこられた。
御代替りが、来年5月に迫っている。そのために、私はあらためて天皇の存在について考えた。
昭和20(1945)年のアメリカは「天皇を処刑せよ」という世論で沸騰していた。
だが、日本は惨憺たる敗戦を蒙ったにもかかわらず、どうして天皇を戴く国のかたちを、守ることができたのだろうか。
大西瀧次郎中将を偲ぶ
私は9月に同志とともに、靖国神社の靖国会館において、『大西瀧治郎中将を偲ぶ会』を催した。
大西海軍中将といえば、昭和19年10月にフィリピンにおいて、最初の神風特攻隊を編成して送り出したことから、「特攻隊の父」といわれてきた。
当日、200人あまりが「偕行の間」に集まったが、その前に昇殿参拝した。
私は代表して、次の祭文を捧読した。
「謹んで大西瀧次郎海軍中将の御魂と、先の大戦中に散華された英霊に申し上げます。
わが国は先の大戦を自存自衛のために、国を挙げて戦ったのにもかかわらず、連合国に『ポツダム宣言』を受諾することによって敗れましたが、世界史にまったく類例がない特攻作戦を空に海に敢行することによって、連合国の心肝を寒からしめ、名誉ある条件付き降伏を行うことができました。
『ポツダム宣言』は、『われらの条件は左の如し。われらは左の条件から逸脱することなし』と述べて、『日本国軍隊の無条件降伏』のみを要求しています。
特攻作戦こそは、高貴な日本精神を発露したものでありました。特攻隊員と、アッツ島から沖縄まで戦場において玉砕した英霊の尊い犠牲によって、わが国の2600年以上にわたる美しい国体が護られて、今日に至っています。
日本国民は特攻に散った英霊が悲惨な亡国から、日本を救って下さったことを忘れません。御遺志を継いで日本を守ってゆきますことを、お誓い申し上げます」
日本が国民を挙げてよく戦ったために、連合国が昭和20(1945)年7月26日に『ポツダム宣言』を発することによって、連合国側から和平を申し出た。トルーマン大統領はこの4日前に、アメリカ陸海軍(まだ空軍はなかった)に、「オリンピック作戦(オペレーション・オリンピック)」と名づけた九州上陸作戦を、11月に実施するように命じていた。
アメリカ統合参謀本部は、7月はじめに「対日計画案」を大統領に提出して、日本本土侵攻作戦に500万人の兵力を必要とするが、日本は1947(昭和22)年まで戦い続け、アメリカ軍死傷者が100万人を超えようと見積っていた。
そのためにトルーマン政権は、前政権が日本に「無条件降伏」を強いる方針をとっていたのを改めて、条件付降伏を求めることを決定した。
今日では多くの国民が特攻隊や、最後まで戦った将兵が徒死(むだじ)にだったというが、日本の悠久の国のかたちが、この尊い犠牲によって守られたのだった。
先の対米戦争はアメリカの不当な圧迫を蒙って、已(や)むに已(や)まれずに戦ったものだった。
和平派だった東郷茂徳外相と、戦後、本誌『カレント』を創刊された賀屋興宣蔵相は、『ハル・ノート』に接して、もはや已むなしとして、開戦の詔勅に副署した。
『海ゆかば』の合唱
偲ぶ会は、東映の協力によって、バリトン歌手・斎藤忠生氏の先導によって、『海ゆかば』の合唱から始まった。
特攻隊員が整列をして水盃を戴くと、次々と離陸して、敵艦に命中するか、対空砲火によって、海面に激突する実写が上映された後に、東映若手男優3人が特攻隊の飛行服に、日の丸の鉢巻を締めて登壇して、1人1人、特攻隊員の遺書を朗読した。
そのうえで、藤田幸生・特攻隊戦没者慰霊顕彰会理事長(元海幕長)、劇映画で大西中将を演じた父・故鶴田浩二氏の令嬢で、女優の鶴田さやか氏などが、短い挨拶を行った。
講話が終わった後に、壇上に戻った3人の若手俳優と、参会者が『同期の桜』を合唱したが、全員が頬を涙で濡らした。
参会者が、再び『海ゆかば』を合唱することによって、閉会した。
特攻作戦は、大西中将が発案したのではなかった。昭和19(1944)年7月にサイパン島が失陥すると、少壮将校から海軍部内に敗勢を挽回するために、特攻を行いたいという声が、澎湃(ほうはい)として起った。特攻作戦が採用され、特攻兵器の開発が始まっていた。
私には特攻について、多くの関係者の話をきいてまとめた英文の著書があるが、特攻作戦は長い歴史によって培われた、日本国民の愛国心と熱誠が表われたものだった。
会が始まる直前に、実行委員の1人のF君が、「冒頭で『君が代』を斉唱しましよう」というので、私は反対した。特攻隊が出撃する時には、『海ゆかば』が合唱されたが、『君が代』が歌われたという例は、きいたことがない。
『海ゆかば』は、防人(さきもり)を司る兵部少輔だった大伴家持(西暦717年~785年)の歌で、『万葉集』に収録されている。『万葉集』は私たちの魂の故郷(ふるさと)である。『君が代』は平安朝初期の『古今和歌集』にある祝歌(ほぎうた)で、悲壮な出撃にふさわしくなかったのだろう。
閉会する前に、F君から「聖寿万歳によって、会を締め括りましよう」と耳打ちされたので、私は「それはやめましよう」と答えた。
大西中将の自刃後に、淑恵夫人がインタビューで、中将が戦争末期に「天皇は国民の前に立たれるべきなのに、女官に囲まれている」と憤ったと語っており、部下に「この戦争は国民ではなく、天皇の側近たちが敗れたのだ」と、切り捨てたという証言がある。
天皇家は京都の御一家であって、武家の棟梁ではない。私たちにとって、天皇は文化的な存在である。
特攻について1冊だけ、本をあげるようにといわれたら、『麦の穂青し』(勉誠出版)を勧めたい。特攻隊員の遺書が集録されている。全家庭に1冊常備したい本だ。
題名は、昭和20年4月29日に九州から飛び立った23歳の特攻隊員が、出撃寸前に書いた遺書からとっており、「一二一五搭乗員整列。進撃は一三〇〇より一六三〇の間ならん。空は一片の雲も留めず。麦の穂青し」という短いもので、心の動揺なく出撃したことが証されている。進撃時間は沖縄の上空に着く時間を見積ったものだ。
語らざる悲しみもてる人あらむ
天皇皇后両陛下が平成24年に、イギリスに行幸啓された。 その時に、前大戦中の元イギリス兵捕虜が、沿道に並んで、抗議行動を行った。
この時に、皇后は大戦後イギリス軍の捕虜となって、処刑された国人(くにびと)を思いやられ、和歌をよまれた。
「語らざる悲しみもてる人あらむ母国は青き梅実の頃」という御製を拝して、私は「麦の穂青し」を思って、恐懼した。
終戦の日ごとに、テレビで玉音放送の録音が流されるが、「朕は茲(ここ)に国体を護持しえて」と仰言せられるのを謹聴するたびに、特攻に、玉砕に殉じた先人たちを誇りたいと思う。
「国連」は諸国の権力闘争の場 「平和の殿堂」にあらず
Date : 2018/10/24 (Wed)
自民党総裁選挙が終わったが、石破茂氏が立候補したことを、多としたい。
野田聖子氏でも、誰でもよかったが、もし、安倍首相が無競争で選出されたら、安倍政権のイメージが損なわれたところだった。
安倍首相は憲法改正に取り組むことを鮮明にしてきたが、安倍首相が第9条の「戦力は、これを保持しない」という二項をそのままにして、自衛隊を書き加えようと主張しているのに対して、石破氏は2項を残して、自衛隊を挿入するのは、論理に反すると反対した。
安倍首相は9月に自衛隊高級幹部会同で、「諸君の自衛隊員としての歩みを振り返るとき、時には心ない批判にさらされたこともあったと思う。同じ時代を生きた政治家として、忸怩(じくじ)たる思いだ。すべての自衛隊員が強い誇りを持って、任務を全うできる環境を整えるのが、政治家の責任だ」と、訓示している。
石破氏が憲法の整合性を云々するのなら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全を保持」するという、前文を削除することも、説くべきだった。
私は憲法第9章「改正」の第96条が「改正の手続」とうたっているが、「改正」というと全面的に改めるような印象を与えるから、「憲法修正」と呼ぶべきだと、親しい国会議員たちを促してきた。多くの国民が現実に適うよう修正する必要があることを、感じているはずだ。
自衛隊は国際的に軍として認められているが、国内では軍でないというが、日常生活でこのような詭弁は許されないだろう。
現行憲法は冒頭から、大嘘によって始まっている。日本国民は作り事の世界に生きてきたために、現実を直視する力を失っている。
ニューヨークに「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」と呼ばれる国際機関がある。
もともと「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃直後の1942年1月1日に、日本と戦っていた26ヶ国の代表をワシントンに集めて、同盟諸国を「ジ・ユナイテッド・ネーションズ(連合国)」と呼ぶことにしたものだ。
私たちが誤まって呼んでいる「国際連合」は、先の大戦中に日本が沖縄戦を戦っている時に、連合国が戦後世界を経営するために、サンフランシスコで創設され、軍事同盟の名をそのまま受け継いだ。国際連合という国際機関は、どこにも存在していない。
今日の「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」の5つの公用語の1つの中国語では、「連合国(リエンホーグオ)」だし、韓国、北朝鮮でも「連合国(ヨナブグク)」だ。同じ敗戦国のドイツでは、国際連盟が「ディ・フルカーブンド」だったのに対して、ドイツが戦った連合国と変わらない「ディ・フェアインテ・ナツィオネン」(連合国)と呼んでいる。イタリア語でも「レ・ナツィオニ・ウニテ(連合国)」だ。
憲法を「平和憲法」と呼んで現実を目隠してきたように、日本国民を骨抜きにするために、「連合国」を戦前の国際連盟をもじって、「国際連合」と誤訳したものだ。このために、日本国民は「国連」が諸国の権力闘争の場なのに、憲法の前文が描いている「平和の殿堂」なのだと思って、ひたすら崇めてきた。
今日の日本は嘘っぱちというと、無いものをあるように信じていることが、多すぎる。
日本社会が、このようにモラルハザード漬けになっているために、健全であるべき国防意識が欠けてしまっているのだ。
自壊へと誘う覇権主義の幻想
Date : 2018/10/10 (Wed)
トランプ政権が発足してから、もうすぐ2年になる。
トランプ政権は異端だといわれる。このあいだに、アメリカと世界のありかたが、何と大きく変わったことだろうか。
日本をとれば、戦後、アメリカを日本を守ってくれる親鳥だと見做してきたが、はじめて外国として見るようになった。
いったい国家が幻想によって、動かされるものだろうか?
アメリカは第2次大戦後、世界のためにアメリカが世界の覇権を握るべきだという、幻想にとらわれてきた。アメリカはこの幻想から、世界に軍事基地網を張りめぐらせ、アメリカに従う諸国の国防を肩代わりしてきた。
このもとで、グローバリズムという幻想が世界に撒き散らされたが、世界をアメリカの経済的覇権のもとに置くという、身勝手な欲望と一体になっていた。
アメリカの大企業はこの幻想に乗じて、製造部門を中国を頭とする人件費が安い海外へ移すかたわら、安い製品を輸入して、国内の労働者の犠牲のうえに、懐(ふところ)を富ませてきた。
トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」(アメリカの国益を第一にする)を唱えて、この幻想を吹き払う世直し一揆の先頭に立っているために、グローバリズムの利得者であってきた民主党幹部、大企業、大手マスコミ、著名シンクタンクから袋叩きにあっている。
トランプ大統領は共和党にとっても、部外者だった。そのために、異端者の烙印を押されている。
トランプ大統領が習近平国家主席に関税戦争という、強烈な足払いをかけている。
習主席は中国経済がアメリカ市場という脚のうえに立っているために、大きく蹌踉(よろめ)いている。
中国は今世紀に入ってから、かつてのソ連と同じように自壊への道を、ひたすら驀進するようになっている。
習主席は「偉大なる五千年の中華文明の復興」という幻想に酔って、身の程を知らずに、見せかけが壮大な「一帯一路」計画と、大海軍の建設を中心とする軍拡を強行している。
そのかたわら、分離独立闘争を恐れて、新疆ウィグル自治区や、チベットの西域や、中部、北部に、巨額の投資を行っている。
「一帯一路」計画はアジアからヨーロッパまで、70ヶ国近くを“幻想の中華圏”に取り込もうとする、野心的というより杜撰(ずさん)な大計画だが、すでに多くのアジア諸国で、破綻するようになっている。
ソ連は1991年に瓦解した。計画経済によって病んでいたのに、シベリア沿海州の開発に浪費するかたわら、東ヨーロッパの衛星諸国という重荷をかかえ、第3世界に進出するために力を注いだうえに、アメリカとの大規模な軍備競争に耐えることができなくなって、無様(ぶざま)に崩壊してしまった。
ソ連は1950年代から60年代にかけて、日本についで経済成長率が高かった。
私はソ連が1957年に、アメリカに先駆けて、人工衛星『スプートニク』を軌道に乗せた時に、20歳だった。その4年後に、世界最初の有人衛星飛行を行って、アメリカの朝野を狼狽させたことを、よく覚えている。
ソ連では1970年代に入ってから、少子高齢化が進むようになり、往年の旺盛な高度成長を支えた、豊富だった労働力が失われた。いま、中国で同じことが起こっている。
クレムリンの最高指導者も、マルクス主義の予言に従って、世界を支配するという使命を負っているという幻想にとらわれて、世界制覇を急いだために、墓穴を掘った。
日本は占領下でアメリカによって下賜された「平和憲法」があるかぎり、アメリカが日本を子々孫々に至るまで、守ってくれるという幻想に、安全を託している。
護憲主義者は日本国憲法とともに、滅びる道を選びたいのだろうか。
国家自立の気概、憲法修正で示せ
Date : 2018/10/05 (Fri)
北朝鮮危機が日本のうえに重くのしかかるもとで、北朝鮮によって捕われている拉致被害者を一刻も早く救い出すことが、悲願となっている。
それなのに、その糸口を掴むことさえ、まだできないでいる。
横田めぐみさんが北朝鮮の工作員によって攫われて、北朝鮮に拉致されたのは、1977年11月15日のことだった。すでに41年もの時が、流れている。同じ時期に、他の多くの日本国民が同じように日本国内から拉致されて、北朝鮮に捕われたままでいる。
いったい、拉致被害者は誰の被害を蒙っているのだろうか?
これは、テレビも新聞も、誰もいわないことだが、拉致被害者は“平和憲法”と呼ばれる日本国憲法の被害者である。なぜ、それをいう者がいないのか。
もし、日本が1952年に対日講和条約によって独立を回復してから、数年以内に現行憲法を改正して、それぞれ日本の人口、GDP(国内総生産)が、ともに半分しかない、イギリスか、フランス程度の軍備を整えていたとすれば、みすぼらしい小国にしかすぎない北朝鮮によって、多くの日本国民が日本の国土から、拉致されるようなことはありえなかった。
イギリスも、フランスも、国土と国民を守るために、核ミサイルを搭載した潜水艦や、航空母艦を保有している。もちろん、イギリスもフランスも全世界から、平和国家として認められている。
いったい、多くの自国民が隣国によって拉致されても、傍観するほかない国を、「平和国家」と呼ぶことができるものだろうか?
アメリカは日本が占領下で主権を奪われていた時に、アメリカの平和を守るために、日本人の精神の非武装化と、日本の物理的な武装解除を企てて、占領下にある国の基本法を変更することを禁じた国際法を踏み躙って、現行憲法を押しつけたのだった。そのために、占領軍は日本国民が、この憲法を自主的に制定したという嘘を強要して、体裁を繕(つくろ)った。
現行憲法は多くの日本国民によって、“平和憲法”と誤まって呼ばれているが、日本の平和ではなく、“アメリカの平和”をはかったものである。
現行の「日本国憲法」は、アメリカが対日占領を始めた1年2ヶ月12日後の翌年の1946年11月に公布され、その翌年5月に施行された。
ところが、その僅か4年1ヶ月後に、まだ日本は占領下にあったが、朝鮮戦争が勃発したために、アメリカは日本を“丸腰”にしてしまったことを悔いて、慌てて警察予備隊という、疑似的な“軍隊”を創設することを、命じた。
自衛隊、疑似国家の疑似軍隊で良いのか
占領軍が強いた「日本国憲法」の耐用期限は、4年1ヶ月しかなかったのだ。今日、私たちは耐用年数が、68年も前に切れている自転車か、自動車に、毎日乗っているようなものであって、危険きわまりない。
この「日本国憲法」でさえ、第1條で「国民が主権者」であることを謳って、規定している。
主権者ということは、日本国民が日本の所有主であることを意味している。それなのに、「日本国憲法」が「戦力の保持」を禁じているために、日本国民は今日に至るまで、自らの手で国を守ることを拒んでる。
自分の所有物を守ろうとしないのでは、とうてい主権者といえない。主権者のいない国家は、国家に価しない。
今日の日本は、疑似国家でしかない。このような国家のありかたは、軍隊ではないとされている自衛隊に、双生児のようによく似ている。
先の大戦が終わってから、多くの日本国民が現実を直視することを、避けるようになった。敗戦までの日本が邪しまな国家であったという、ゆわゆる東京裁判史観が、多くの国民によって信じられ、自虐史観にとらわれている。
産経新聞のソウル駐在客員論説委員として、韓国における生活が長い、黒田勝弘氏が今日の韓国について、「韓国民の反日感情というのは、日本による朝鮮半島支配が終わった後、日本においては戦後、彼らにおいては、いわゆる解放後に形成されたものである」(『それでも私はあきらめない』黒田福美著、あとがき、WAC株式会社)と、述べている。
日本の朝日新聞社をはじめとする、偏向左翼による自虐的な「反日」も、敗戦後に形成されたものだから、韓国を笑うことができない。
また夏が巡ってきた。今年は異常な猛暑が続いたが、8月になると先の大戦の敗戦を回顧することが、年中行事となっている。
だが、対米戦争と敗戦は、日本が自ら招いたものではなかった。
これは、歴史的事実である。日本政府と軍部は開戦の直前まで、戦争を避けようとして、ひたむきな努力を傾けた。アメリカも日本と同じように、真剣に平和を求めているはずだと誤って信じたために、ルーズベルト政権が仕掛けた罠に嵌ったのだった。
もし、異論がある読者がおいでになったら、拙著『大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか』(KKベストセラーズ)、私が編者となった『日米戦争を起こしたのは誰か・フーバー大統領回顧録を論ず』(勉誠出版)を、お読みいただきたい。
今年は、アメリカの対日占領が終わってから、66年以上が過ぎている。
日本の惨状、いつまで米国のせいにするのか
それなのに、多くの保守派の人々が、アメリカの占領政策のお蔭で、日本国民が自立心を失なったといって、アメリカを批判する。
これらの人々は、これから10年、20年、いや、30年、40年たっても、アメリカの占領政策によって、日本の国民精神が歪められてしまったと、アメリカのせいにし続けるのだろうか?
これでは、韓国が35年にわたった日韓併合時代が終わってから、すでに73年もたったというのに、日本統治を非難することに没頭して、自立することができずにいるのと、まったく変わりがないではないか。日本がいつの間にか、“第二の韓国”となってしまったのだ。
8月に、防衛省が28年ぶりに、自衛官の採用年齢の上限を、今年10月から6歳引き上げて、32歳にすることを発表した。少子化によって、応募者が減少しているからだというが、いま、はじまったことではない。陸上自衛隊の定員が15万人と定められているのに、2万人が欠員となっていて、13万人しかいない。
少子化のために、全国で定員に届かない大学が多いが、このような大学の学生の質は、当然低い。自衛隊員のなかには、優秀な隊員が少なくないが、定員を満たすことができないために、全体の質と士気が低い。
海上自衛隊も護衛艦が、定員に満たない人数で、出航している。
東日本大震災では、予備自衛官に招集をかけたが、1パーセント以下しか招集に応じなかった。即応予備自衛官も招集に応じた者は、半分以下だった。
そのうえ、若者が自衛隊に応募しないために、自衛隊は世界のなかで、もっとも高齢化した軍隊となっている。旧軍では陸軍の中隊長は20代だったのに、陸上自衛隊では40代末か、50歳が珍しくない。
予算がないので、必要な装備も足りない。
これも、憲法に自衛隊の存在が書かれていないからだ。
国防意識回復のため憲法に自衛隊明記を
国民が国防意識を回復するために、1日も早く憲法第9条に自衛隊を保有することを、書き加えなければならない。
これは全面的に改定するのではないから、「憲法改正」というより、「憲法修正」と呼ぶべきだ。
「親中」「媚中」が、戦後の日本の歩みを大きく狂わせた。
1972年に田中角栄内閣のもとで、日中国交正常化性急に行われた時に、私は『文藝春秋』『諸君』の誌上で、中国は信頼できないといって、強く反対した。日本が、日中国交正常化を煽り立てる新聞世論によって、押し流されていた。
いま、もはや「日中友好」を唱える声がきかれなくなったというのに、「子々孫々に至る日中友好」を叫んでいた大新聞から、反省の声がきかれない。
そのかたわら、いまだに議憲派が国論を2分する力を持っている。
憲政民主党は“憲法解釈”による、「専守防衛」を堅持すべきことを主張しているが、敵軍が日本国土に上陸するか、航空機、ミサイルが国土の上に飛来するまで、迎え撃ってはならないと説いているから、大戦末期に「一億総特攻」「本土決戦」を呼号した、狂信的な旧軍将官の再来でしかない。
だが、枝野幸男氏をはじめとする議憲派が、そこまで常規を逸しているはずがない。
議憲派は、どのような状況のもとでも、アメリカ軍が「子々孫々」に至るまで、日本をしっかりと守ってくれると信じて、疑わないのだろう。
日本国憲法は、アメリカ軍の保護なしに、成り立たない。
議憲主義は自立心を捨てて、アメリカへの甘えを表わしたものでしかない。「日本国憲法」は独立国としての誇りと、自立心を捨てた国民でなければ、憲法として戴くことができない欠陥法だ。
議憲派は、“媚米派”である。中国であれ、アメリカであれ、外国に媚びるのは、恥しい。媚びるほど、卑しいことはない。
このままでは、国家の存在を危ふくする。
安倍首相は日本のために新たな国造りをしてほしい
Date : 2018/09/28 (Fri)
8月にテレビ番組で、「平成がすぐに終わりますが、平成をどのようなことによって、記憶されますか?」と、たずねられた。
私はとっさに「平成の30年の間に、憲法を改められなかったことだ」と、答えた。
現行の「日本国憲法」は、アメリカによる対日占領が始まってから、僅か1年3ヶ月後に公布された。この「憲法」は、大日本帝国憲法を改正した体裁をとっているが、大幅な改定であって、占領軍による強要がなければ、とうてい1年で行えるものではなかった。
私はついでに、戦後の73年を振り返ったら、どう思うだろうか、考えた。
「日本国憲法」が公布されてから、71年になる。日本が講和条約によって独立を回復してから、66年の歳月が流れた。それなのに、なぜなのか、この憲法がいまだに私たちの上に居座っている。
「日本国憲法」は冒頭から、大嘘で始まっている。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持」(前文)すると述べて、すべての国が平和を愛し、公正と信義を重んじていると説いている。誰が読んでも、嘘偽りではないか。
今日でも、政府、大手新聞・テレビは、日本が連合国に「無条件降伏」したというが、これも大嘘だ。学校教科書も「無条件降伏」したと記さなければ、検定に合格しない。
日本は『ポツダム宣言』を受諾して降伏した
日本は『ポツダム宣言』を受諾して降伏したのであって、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ。吾等ハ左條件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ」と述べて、「日本国軍隊ノ無條件降伏」のみを、求めている。事実は、名誉ある条件付降伏を行ったのだった。
1950年6月に、占領下で朝鮮戦争が勃発すると、その2ヶ月後に占領軍は「日本国憲法」によって「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁じたはずなのに、日本政府に警察予備隊という軍事組織の創設を命じた。
日本はその1年8ヶ月後に独立を回復し、3ヶ月後に警察予備隊を保安隊と改称し、1954年にさらに自衛隊に改めた。
今日、自衛隊は国際的には軍隊として認められているが、国内では政府、国会が軍隊ではないと言い張っている。日常生活でこのような詭弁は、とても許されないだろう。
自衛隊には「普通科連隊」「特科連隊」という、一般の国民に理解できない部隊が存在しているが、歩兵と砲兵のことだ。自衛隊が軍、兵でないと偽ってきたからだ。このために、自衛隊には意味不明な用語が多い。
占領下で連合国による、いわゆる「東京裁判」が行われ、敗戦までの日本の指導者が「アジアを侵略した罪」によって裁かれた。
だが、連合国は敗戦翌年の5月から3年半にわたって“裁判”が行われていたあいだ、オランダ、イギリス、フランス軍が、日本が大戦中に解放したアジアの民を再び植民地支配のもとに置こうとして、アメリカに援けられて、侵略戦争を戦っていた。
戦勝国こそアジアを侵略していた
この事実だけでも、「東京裁判」が勝者による不法な私刑(リンチ)でしかなかったことが明白なのに、今日でも多くの国民が「東京裁判史観」という嘘を、鵜呑(まるの)みにしている。
国民があからさまな嘘を信じて、よいのだろうか?
ニューヨークのマンハッタンに、「ジ・ユナイテッド・ネーションズThe United Nations」と呼ばれる国際機関がある。UNの略称で知られているが、先の大戦中に日本が沖縄戦を戦っている時に、連合国が戦後世界を経営するために、サンフランシスコで誕生し、日本は1956年に加盟することを許された。
日本では「国際連合」と訳されて、「国連」と略されているが、このような名称の国際機関は、世界のどこにも存在していない。
もともと「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」という呼称は、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃直後の1942年1月1日に、日本と戦っていた26ヶ国の代表をワシントンに集めて、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ(連合国)」と呼ぼうと、提案したことによった。
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は、第2次大戦を戦っていた一方の軍事同盟の呼び名である。サンフランシスコで国際機関の「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」が結成された時に、日本と戦っていることが加盟資格とされた。
加盟資格について「すべての平和愛好国」と規定されたが、日本、ドイツをはじめとする枢軸国と戦っていることが、「平和を愛好する国」の条件とされた。そのために、多くの国が「平和を愛好する国」として資格をえるために、日本とドイツに急いで宣戦布告した。
「国際連合(国連)」は「連合国」の偽名だ
マンハッタンにあるのは、連合国(ジ・ユナイテッド・ネーションズ)の本部だ。
日本でも「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は、敗戦の11月までは「聯合國」と正しく訳されていた。今日、日本で「国連憲章」と呼ばれる連合国憲章を起草するために、連合国の代表がサンフランシスコに参集したが、当時、日本の外務省は当然のことに「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」を、「聯合國」と訳している。
ところが、11月から「聯合國」が「國際聯合」と曲訳されるようになった。 連合国憲章を「国連憲章」と訳してきたが、外務省による正訳では、「国連憲章」は「われら連合国の人民は‥‥」(原文は「ウィー・ザ・ピープルズ・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」)から始まっており、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」を、「連合国」と正しく訳している。
日本はうそ偽りを精神の拠り所としてきた 冒頭で「連合国」と訳しているのに、「ザ・チャーター・オブ・ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は、「国際連合憲章」と誤訳している。翻訳では同じ言葉を同じように訳さなければならないのに、おかしい。
「ジ・ユナイテッド・ネーションズ」は誕生した時から、5つの公用語の1つである中国語では、「連合国(リエンホーグオ)」である。韓国と北朝鮮も「国連」を正しく、「連合国(ヨナブグク)」と呼んでいる。
同じ敗戦国のドイツでは、ドイツ語で国際連盟が「ディ・フルカーブンド」であったのに対して、「国際連合」はドイツが戦った連合国と変わらない「ディ・フェアインテ・ナツィオネン」(連合国)と呼ばれている。イタリア語でも「レ・ナツィオニ・ウニテ」であって、「連合国」だ。
敗戦を「終戦」、占領軍を「進駐軍」と呼んで、現実を誤魔化したように、「ジ・ユナイテッド・ネーションズ(連合国)」を、戦前あった国際連盟をもじって、「国際連合」に擦り替えたのだった。
この誤訳のために、日本国民は「国連」が諸国の権力闘争の場でしかないのに、「平和の殿堂」だと誤解して、崇めてきた。
日本政府も、「国連」が中心をまったく欠いているのに、つい十数年前まで「国連中心主義」を、外交の基本方針としていた。
日本国民の精神の拠り所となってきた「日本国憲法」も、「国際連合」も、うそ詐(いつわ)りでしかない。
日本国憲法は日本を夢遊病にしている
日本国民は作り事の世界に生きてきたために、現実を直視する力を失ってしまっている。
占領下では自由を奪われていたために、無法に従わなければならなかったから、仕方がなかったが、独立を回復した後も、嘘を崇める国となっているのは、なぜなのか。
私は幼い時に祖母から嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれると教えられたが、日本人はあのころより全員が、はるかに冗舌になっているから、祖母の話は迷信だったにちがいない。
安倍首相が自民党総裁選挙に出馬するのに当たって、「平成の先の時代へ向けて、新たな国造りを進めていく、先頭に立つ決意だ」と述べているのに、大いに期待したい。
旧ソ連と同じ道を歩むか 中国の「一帯一路」計画の成否
Date : 2018/09/25 (Tue)
トランプ大統領が、習近平国家主席に関税戦争という、強烈な足払いをかけている。
習主席は中国経済がアメリカ市場という脚のうえに立っているために、大きく蹌踉(よろめ)いている。
だが、それだけではない。中国は今世紀に入ってから、かつてのソ連と同じように、自壊への道を、ひたすら驀進するようになっている。
ソ連は1991年に瓦解した。効率が悪い計画経済によって病んでいたというのに、シベリア沿海州の開発に国力を浪費するかたわら、東ヨーロッパの衛星諸国という重荷をかかえ、第三世界に進出するために力を注ぐうえに、アメリカとの大規模な軍備競争に耐えることができなくなって、無様(ぶざま)に崩壊した。
クレムリンの最高指導者は、マルクス・レーニン主義の予言に従って、ソ連が世界を支配するという使命感にとらわれて、身の程を知らずに世界制覇を急いだために、墓穴を掘ってしまった。
習主席も、「偉大なる5000年の中華文明の復興」という掛け声に、自ら陶酔して、身の程を知らない、見せかけが壮大な「一帯一路」計画と、大海軍の建設を中心とした軍拡を強行しているのを見ると、第2次大戦後にソ連が進んでいた道程に、何とよく似ているだろうかと、思わざるをえない。
中国は分離独立闘争を恐れて、新疆ウィグル自治区や、チベットをはじめとする西域や、中部、北部に、巨額の投資を行っている。
「一帯一路」計画は、アジアからヨーロッパまで、70ヶ国近くを“幻想の中華圏”に取り込もうとする、野心的というよりも、ぞんざいきわまりない大計画だが、すでにマレーシア、ミャンマー、パキスタンなどの多くの諸国で、破綻するようになっている。
ソ連は1950年代から、60年代にかけて、日本についで経済成長率が高かった。
私はソ連が1957年に、アメリカに先駆けて、人工衛星『スプートニク』を軌道に乗せた時に20歳だった。その4年後に、世界最初の有人衛星飛行を行って、アメリカの朝野を狼狽させたことを、よく覚えている。
中国では、少子高齢化が進むようになって、往年の旺盛な高度成長を支えた、豊富だった安い労働力が、失われるようになっている。ソ連では1970年代に入ってから、同じことが起こっている。
私はかねてから、中国人は昔から「ツー(吃――食事)」、「フー(喝――飲酒)」、「ピャオ(嫖――淫らな遊女)」、「トゥ(賭――博打(ばくち))」、「チーティンシ(大聴戯――京劇)」の5つを、生き甲斐にしていると、説いてきた。清朝の歴代の皇帝も、毛沢東、周恩来、江青夫人も、江沢民元主席もみな京劇マニアだった。
京劇は甲高い声に、耳を聾するけたたましい音曲と、大袈裟な所作による演劇で、誇大妄想を煽るものだ。習主席が好む軍事パレードや、急拵(こしら)えの航空母艦を中心とする大海軍や、絵に描いた餅のような「一帯一路」は、京劇の舞台装置を思わせる。
現在、中国海軍は艦艇数だけなら317隻で、アメリカ海軍の283隻を上回る。
今春、中国最初の国産空母が進水して、艤装中だが、西太后が日清戦争の前夜に、北京西郊の頤和園の湖水の岸に、巨額の国費を投じて建造した、大理石の巨船の“21世紀版”だ。西太后もやはり、京劇マニアだった。
世界を席巻する“トランプ現象”の猛威
Date : 2018/09/10 (Mon)
トランプ政権があと数ヶ月で、2年になる。
トランプ大統領のもとで世界のありかたが、劇的に変わろうとしている。というよりも、世界の仕組みが大きく変わりつつあったから、トランプ大統領が2年前の11月に登場したというのが、正しいと思う。
トランプ候補が、大手のマスコミによって本命だとされた、ヒラリー・クリントン候補を破って、ホワイトハウス入りを遂げてからも、トランプ大統領が「暴言」を乱発し、衝動的、気紛れであって、大統領として不適格だという非難を、浴びせ続けている。
だが、このような“トランプ現象”は、アメリカに限られているのだろうか?
トランプ候補は「アメリカ・ファースト」を約束して当選したが、アメリカが未来永劫にわたって、世界の覇権を握り続けるという、神話を覆すものだった。「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」という呼び掛けは、アメリカの国益を世界よりも、優先させようというものだった。
トランプ政権が誕生する前に、イギリスが国民投票を行って、EU(ヨーロッパ共同体)から脱退することを、決定していた。
このところ、EUは箍(たが)が緩んで、蹌踉(よろ)めいている。EUはヨーロッパを一つに統合しようと、目論んだものだったが、ヨーロッパでは、ハンガリー、ポーランド、スイス、オーストリア、イタリア、ラトビア、ノルウェー、ブルガリア、ギリシアで、自国の利益を優先する“右翼政党”が、次々と政権を担うか、連立政権に加わるようになっている。
アメリカや、ヨーロッパの大手メディアは、このような動きを「ポピュリズム」と呼んで蔑み、これらの政党を「右翼政党」ときめつけて、貶(おとし)めている。
「ポピュリズム」は、エリートと既成政党が支配していた“良識的”で、“真っ当”な体制に対して、大衆を煽動して、誤った方向へ向かわせることを、指している。
トランプ政権の登場も、イギリスのEU脱退も、ポピュリズムによるものとされている。
ヨーロッパでナショナリズムが復活しているのは、イスラム難民が大量に流入したためだというが、それだけではない。
アメリカが、よい例だ。アメリカの勘定高い大企業の経営者は、“グローバリズム”と自由貿易体制を礼讃してきたが、製造部門などを中国などの低賃金の諸国へ移して、自国の労働者の職場を奪ってきた。
トランプ候補はアウトサイダーとして、“良識ある”体制に果敢に挑戦した。
アメリカでは“弱者”を尊重するあまり、オバマ政権下では、LGBT(レズビアン、ゲイ、両性愛者、性転換者)に、「自分が信じる性に従って、男女どちらのトイレを使ってもよい」という大統領令――法律を発した。
日本でも同様なことがみられるが、“良識ある”体制が押しつけてきた、いっさいの“差別語”を追放しようとする、行き過ぎた“言葉狩り”が暴走して、先祖伝来の生活環境を破壊するようになっている。
大手マスコミや学者が、「ポピュリズム」と呼んで貶めているが、“グローバリズム”を信奉する富裕層やエリートに対して、大衆が伝統的な、落ち着いた生活を守ろうとして立ち上がったと、考えるべきである。これは、大都市対地方の戦いだ、といってよかろう。
大手マスコミや、著名研究所(シンクタンク)、有名大学は、巨大企業によって養われてきたために、ナショナリズムを嫌って、“グローバリズム”を支持している。
だが、“グローバリズム”を支えてきた国際秩序は、アメリカが自由貿易体制を通じて、巨額な貿易赤字を負担して世界を潤(うるお)し、ヨーロッパや、アジアの同盟諸国の防衛の重荷を担ってきたことによって、成り立ってきた。
トランプ現象や、ヨーロッパ諸国のナショナリズムを「ポピュリズム」と呼んで、敵視すれば、すむことではあるまい。
抑圧と分断に翻弄された民族の愛国心と反日感情
Date : 2018/09/03 (Mon)
ロシアで行われたワールド・サッカー世界大会で、韓国代表チームが敗れて、5月にインチョン(仁川)空港に帰国したところを、出迎えたファンが罵声を浴びせて、卵を投げつけた。
韓国チームは2敗したあとで、前回の世界大会の覇者だったドイツに勝ったから、誉められるべきだったと思うが、韓国社会は結果だけを重んじるから、日本のように努力したことを評価しない。
日本では食物は大切で、神聖なものであるから、人に食物を投げつけることは、絶対にしない。韓国と日本は隣国だというのに、人々の価値観がまったく異なっていることに、驚かされる。
だが、韓国も、日本も長いあいだにわたって貧しい国で、しばしば飢饉にも見舞われたから、食べ物は尊いものだったはずだ。
それなのに、韓国では人を罵って、卵をぶつけることが珍しくない。
卵は貧しかった時代には、韓国でも、日本でも貴重な滋養源だった。日本では幼い時から、親から食物を粗末にしたら罰(ばち)が当たるといって、厳しく躾けられた。
私の親しい韓国のO教授が日韓の違いを説明して、「韓国人はみんな見栄を張るからです。卵も貴重なものであったから、自分は卵を投げることができるほど、豊かだということを、見せるためですよ」と、教えてくれた。 韓国語では、「ホーセプリダ」(虚勢(ホーセ)を張る)とか、「ホーヨンプリダ」(虚栄(ホーヨン)を飾る)という。誰もが空ら威張りする天性が、あるのだ。
ちなみに、韓国の1人当りのGDP(国内総生産)は、日本の3分の2にみたないのに、韓国では卵1ケがほぼ200ウオン(日本円で30円)であるのに対して、日本では20円あまりだ。韓国のほうが金利も物価も高いが、昔から社会が安定しなかったために、貯蓄する習慣がなく、全員が借金癖に取りつかれているためだ。
日本では誰もが、謙虚であることを求められる。自己を抑えて、互に譲り合わなければならないが、韓国では自己主張が強く、人を押しのけながら力のある者に、諂(へつ)らわなければ、生き残ることができない。韓国人誰もがそろって認めるように、住みづらい社会なのだ。弱い者は惨めな落伍者になってしまう。
嘘をつくのも、自己防衛のために必要だから、そうするうちに嘘が真実になってしまう。
嘘はしばしば、家族や、一族、自分が属している党派を守るために、必要な手段となる。先の大戦中の慰安婦(ウイアンプ)が、職業的な売春婦だったのが事実であるのに、日本によって拉致された性奴隷(ソンノーイエ)だったという嘘を、事実としてつくりかえて、国内外に慰安婦像を次々と建てているのは、その典型的な例である。
過酷な歴史ゆえの自分本位
韓国では嘘と真実のあいだに、境がない。
慰安婦(いあんふ)は日本語だが、戦後独立した韓国の国軍は、旧日本軍の将校経験者が中心となったので、日本軍の多くの制度に倣った、慰安婦を「ウイアンプ」と、朝鮮語読みにして引き継いたために、韓国軍に慰安婦が存在した。
駐留米軍にも、慰安婦(ウイアンプ)を提供していた。(もっとも「性奴隷」は、日本の偏向左翼の造語で、「セックス・スレイブ」として、世界を風靡している。)
今年から韓国では、政府が8月14日を『ウィアンプ・ギリムウィ・ナル』(慰安婦を称える日)として制定したが、世界史で売春婦(メチュンプ)を賛美する唯一つの国となった。じつに、個性的な民族だとしかいえない。
8月が巡ってくると、日本ではテレビが定番のように、先の大戦と、広島、長崎への原爆投下を回想する番組で埋まるが、韓国では日本軍によって虐待された慰安婦を取りあげた番組が、放映される。今年も、文在寅(ムンジェイン)大統領と金正淑(キムジョンスク)大統領夫人が、高齢の慰安婦を見舞った。
韓国人には、愛国心がない。日本は1億2000万人が同質だと思い込んでいる、世界できわめて珍しい国民だ。ところが、韓国人は家族の結束と家族愛が、日本よりはるかに強いものの、国民として一体感が欠けている。
韓国人は富裕層から極貧層まで自分本位だから、韓国を捨てて、自由で豊かな海外に移住することが、全員の夢(クム)となっている。もっとも、李朝のもとで500年にわたった朝鮮王朝(1392年~1910年)が、あまりにも苛酷な時代だったから、自分本位にならざるをえなかった。
分断国家と反日感情
日本神話が一つしかないのと較べて、韓国には朝鮮北部の檀君(タンクン)神話をはじめ、高句麗(コクリヨ)、百済(ペクチュ)、新羅(シルラ)、伽那(カヤ)それぞれにその国がどのようにして産まれたのか、異った始祖神話が存在する。
檀君神話は、天帝桓因(ファニン)の子の桓雄(ファヌン)が地上に天降って、雌熊(クンニヨ)と結婚して生まれた檀君が、檀君朝鮮として知られる古朝鮮を建国して、王となったというものだ。ところが、高句麗、百済、新羅と伽那の神話は、それぞれ物語が大きく違っているものの、すべて卵から生まれたという、卵生神話である。
天帝の子の恒因が天上から天降ったというのは、日本神話に似ているが、なぜか、卵から生まれたという4つの国の神話は、日本神話と共通するところが、まったくない。
韓国は古い歴史があるといって誇るが、しばしば王朝が交替したから、そのつど歴史が断絶されてしまった。
中国の歴史も、習近平国家主席が「偉大な5000年の中華文明」を自慢しても、王朝が頻繁に代わるたびに、歴史が大きく書き改められたから、ズタズタの歴史であって、韓国の歴史に一貫性がないのと、同じことだ。
韓国では、新しい王朝が支配者となるたびに、かならずその前の王朝の業績を、頭から否定した。高麗朝(コリヨジョ)の将軍だった李成桂(イソンゲ)が、1388年に反乱して高麗朝を倒し、朝鮮王朝(チョソンワンジョ)として知られる李朝を樹てると、高麗朝の国教だった仏教(プルギヨ)を禁じて、儒教(ユギョ)を国教とした。
李朝のもとで、仏寺はみな山の奥深く逃げ込み、僧侶は強制労働に服する奴婢(ヌビ)の身分に落された。今日、韓国の骨董屋にゆくと、五体満足な仏像が、一つもない。日韓併合後、日本が仏教を復活させることによって、仏寺が平地に戻ることができた。
アメリカの占領下で、1948年に韓国が独立を回復すると、その前の日韓併合時代が完全に否定されるようになったが、国家をあげての「反日(パンイル)」は、何のことない、韓国の歴史で繰り返されてきただけのことだ。
それに韓国は、李朝が終わるまで国民を苛め抜いて、支配階級が富を収奪する、苛斂誅求(ガリヨムジュグ)の酷(むご)い歴史しかないので、誇れることがないために、「反日」が愛国心の源(みなもと)となった。
産経新聞のソウル駐在客員論説委員として、韓国における生活が長く、私と同じ親韓派の黒田勝弘氏が、韓国の「反日」について、「韓国民の反日感情というのは、日本による朝鮮半島支配が終わった後、日本においては戦後、彼らにおいては、いわゆる解放後に形成されたものである」(『それでも私はあきらめない』あとがき、黒田福美著、WAC株式会社)と、断じている。
日本の朝日新聞社をはじめとする、偏向左翼による自虐的な「反日」も、敗戦後に形成されたものだから、韓国を笑うことができない
私が長年にわたって、親しくしている韓国のS元新聞論説委員は、「いまの韓国の“反日”は、日本が戦争に負けたのがいけないのですよ」といって、嘆いてくれる。
私は日韓基本条約によって、日韓国交平常化が行われた前年の1964年に、時事通信社特派員の肩書を貰って、韓国に短期滞在したが、ポージャンマチャ(屋台)を訪れても、深夜、ソウルへ戻るバスに乗っても、日本人だとわかると、人々から握手攻めになった。
屋台では人々が懐しがって、つぎつぎとマッコリ(どぶろく)を奢(おご)ってくれ、満員のバスでは、全員が日本の歌を合唱してくれた。
私は27歳だったが、当時の韓国の代表的な企業の経営者が、若い私を上座にすわらせて、妓生(キーセン)を侍らせた宴席を設けてくれた。
日韓併合時代が遠ざかって、日本時代を体験した人々が減るにしたがって、「反日」が暴走して、喜劇的なものとなっている。
事大主義を生んだ儒教の受容
韓国では前政権の大統領が、かならずといってよいほど逮捕され、投獄されるが、前政権を否定することが、慣(なら)わしとなっている。前政権の幹部が記念植樹した木があれば、引き抜いてしまうことが、珍しくない。
韓国民の思考様式を解明する、もう一つの鍵は、「サデチュイ」である。漢字で「事大主義」と書く。日本では「事大(じだい)」という言葉が使われることがないから、馴染(なじ)みがないが、漢和辞典で「事」をひくと、「仕える」という意味がでてくる。「事大(サデ)」は、力の強い者に仕えることだ。
韓国は歴史を通じて、中国からしばしば侵略を蒙ったために、中国に臣従して、中国の属国となった。
韓国の歴代の国王は、中国によって册封(任命)される地方長官のようなものだったから、皇帝のみに許される「陛下(ペーハ)」とい敬稱を用いることができず、「国王(ククウォン)殿下(チョンハ)」と呼ばれた。
歴代の韓国の王朝は、ひたすら中国に仕えることによって、生き伸びてきた。中国に追従(ついしよう)して、諂(へつら)うあまり、自立心も何も捨てて、儒教から科挙制度まで、すべて中国を真似して、中国の「大中華(デチュンファ)」に対して「小中華(ソチュンファ)」と稱して、悦に浸るようになった。
ヨーロッパに、「ロシアの隣国となるほど、不幸なことはない」という諺(ことわざ)があるが、中国の隣国となるほど、不運なことはない。
今でも韓国では「大国(デグク)」といったら、中国一国だけを指す言葉となっている。アメリカも、ロシアも、「大国」とはいわない。
それでいながら、韓国人は中国に対して屈折した感情をいだいており、中国人が不潔だといって、昔から「テンノム」(垢野郎)といって、軽蔑してきた。今日でも「テンノム」といったら、中国人の蔑稱となっている。
もう一つの韓国人の思考様式を解く鍵は、韓国人全員が英語でいうが、「ウインナー・テイクス・オール」(勝った者が、すべてを一人占めにする)のだ。日本のような“和の社会”ではなく、常時、熾烈な競争を強いられている社会なのだ。
そこで、子どもを学校に送り出す時には、日本であれば「みんなと仲良くしなさい」というが、韓国では「チヂマ!」(負けるな)、「イルテンイ・テウォラ!」(一番になれ)「イルテンヘラ!」(同)といって励ますというより、脅(おど)かす。
このために、韓国では少数の財閥(チェボル)と呼ばれる大企業が、経済の3分の2以上を独占して、中小企業が育つことがない。
韓国の悲劇は、韓国社会が小型の中国となってしまったことだ。
中国人も苛酷な歴史のなかで生きてきたから、不正を不正と思わない。自己本位で、自分を守るために、いくらでも嘘をつく。畏友の宮崎正弘氏が、「中国人は息を吐くたびに、嘘をつく」と述べているが、嘘が呼吸と同じ生きる術となっている。
中国の儒教は支配階級が、美辞を並べて人民を支配するためのハウツウの統治思想であるが、日本に伝わると、精神修養哲学につくりかえられて、今日に至っている。ところが、韓国では中国の儒教をそのまま取り入れたために、中国産の猛毒によって冒された。
『論語』には、孔子の言葉として、「身内の不祥事を、外に洩してはならない」という、日本人なら目を剥(む)く教えがある。
日本は“和の社会”であるから、心は相手が誰であれ、配るものとされているが、中国、韓国では、家族と一族のあいだに限られる。そのかわりに言葉が、主役の座についている。
韓国では朝鮮王朝を通じて、儒教の朱子学の取るに足りない、些細な解釈をめぐって、国王を取り巻く両班(ヤンバン)たちが党派を組んで、凄惨な生命の遣(や)り取りを、繰り返した。
言葉はもっぱら自己主張と、弁解に使われるために、日本では古代から言葉を多用して、「言挙(ことあ)げ」することを戒しめてきた。日本の歴史を通じて信仰されている神道では、言葉に「言霊(ことだま)」という霊力が籠っていると信じられたので、よい言葉だけを発することを求めてきた。
言葉と現実は、2つの異っているものである。日本人は、言葉のうえに成り立っている論理が万能な、中国、韓国と違って、言葉を乱用することを嫌って、感性による美と心を尺度としてきた。
そこで、中国と韓国では、贋物の論理をつくっては、振りまわす。心は分かち合えるが、論理は対立を招く。日本社会の“和”は、理屈を嫌っているうえに、成り立っている。
これからの日韓関係と日本人の行方
日韓関係は、どうあるべきなのだろうか?
いま、日本では「嫌韓」という言葉が、流行っている。韓国の理不尽な行いに対して、日本国民が憤っているのは、よく理解することができる。
韓国は事大主義(サデチュイ)の国だから、強い者に媚び、自分よりも弱い者に対して、居丈高に振舞う。
ところが、日本が韓国に対して毅然たる態度をとるべきところを、河野洋平官房長官(当時)が、日本人らしい善意からだろうが、慰安婦について謝罪したり、韓国に対して卑屈な姿勢をしばしばとってきたために、侮(あなど)りを招くことになった。これは、日本の責任だ。
私は「嫌韓」というよりは、読者に韓国を哀れむ、「憐韓(れんかん)論」を勧めたい。“悪の文明”である中国に臣従することを強いられたうえに、中国を模倣した苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)の政治が行われたために、韓国の国民性が大きく歪められてしまった。気の毒な国民なのだ。
韓国人にはよいところが、多くある。私たちは韓国を善導することに、努めるべきである。韓国政府があれだけ反日教育を行っているのに、日本を訪れる韓国観光客にレピーターが多いのは、本音では日本を好きなのだ。
韓国のテレビでは、いまでも日本のドラマを、日本語で放映することが禁じられ、日本の演歌を日本語で流すことができない。韓国民が日本を好きになってしまうからである。
だが、いったい私たちに「憐韓」だ、「嫌韓」だといって、韓国を見下ろして、嘲笑する資格があるだろうか。
あと8ヶ月あまりで元号が改まって、戦後3回目の御代になるというのに、私たちはいまだに自立する精神を、まったく欠いている。
北朝鮮からのミサイル攻撃だけではなく、中国が尖閣諸島、沖縄を奪いにきても、アメリカに縋るほかないでいる。事大主義ではないか。
日本を守る⑤ 憲法改正で9条に自衛隊保有を明記せよ
Date : 2018/08/23 (Thu)
8月に防衛省が28年ぶりに、自衛官の採用年齢の上限を、今年10月から6歳引き上げて、32歳にすることを発表した。
少子化によって、応募者が減少しているからだというが、いま、はじまったことではない。陸上自衛隊の定員が15万人と定められているのに、2万人が欠員となっていて、13万人しかいない。
少子化のために、全国で定員に届かない大学が多いが、このような大学の学生の質は当然低い。自衛隊員のなかには、国際的な水準からみて、優秀な隊員が少なくないといっても、定員を満たすことができないために、全体の質と士気が低い。
海上自衛隊も定員に満たないために、護衛艦が定員に満たない人数で、出航している。
東日本大震災では、予備自衛官に招集をかけたが、1パーセント以下しか、招集に応じなかった。即応予備自衛官も招集に応じた者は、半分以下だった。
そのうえ、若者が自衛隊に応募しないために、自衛隊は世界のなかで、もっとも高齢化した軍隊となっている。旧軍では陸軍の中隊長は20代だったのに、陸上自衛隊では40代末か、50歳が珍しくない。自衛隊は世界一の“おじん隊”となっている。
予算がないので、必要な装備も不足している。北朝鮮のミサイルに対して、全国にPAC3ミサイル迎撃ミサイルが17ユニット(部隊)配備されているが、半径25キロあまりを守ることができる。
東京には防衛省構内に1ユニットが展開していたが、米朝首脳会談の結果、北朝鮮の脅威が遠ざかったと判断して、撤収された。PAC3は飛来するミサイルに対して、2発の迎撃ミサイルを発射して、空中で破壊する。
PAC3は1ユニット当たり、16発のミサイルを持つことが定められているものの、防衛省にあったユニットは、予算が不足しているために、8発しかなかった。1発が4億円するが、全国のユニットのなかには、2発しか持ってない部隊もある。
これも、憲法に自衛隊の存在が書かれていないからだ。
国民が国防意識を回復するために、大至急、憲法第9条に自衛隊を保有することを、書き加えなければならない。これは全面的な改定ではないから、「憲法改正」というより、「憲法修正」と呼ぶべきだ。
平成があと8ヶ月あまりで終わるが、私は平成を憲法修正が果たせなかったことによって、記憶したい。
日本を守る④ トランプには緻密な頭脳と胆力あり
Date : 2018/08/21 (Tue)
“トランプ旋風”という、異常気象が吹き荒れて、全世界を翻弄している。
トランプ大統領は、いっきょに、中国、イランの経済を締めあげる、勝負に出た。中国、北朝鮮、イランは秘策を練っているにちがいない。
日本の頭上に重くのしかかる暗雲は、少しも晴れていない。
いったい、日本にこの荒波に耐える秘策が、あるのだろうか。それとも、国民はこれまでの行きかたを改めずに、ひたすら平和を念じていさえすればよいと、信じているのだろうか。
トランプ大統領のやり口は、この人の育ちによって、説明される。
父親がニューヨークの成功した不動産業者だったから、青少年時代から地元のマフィア(暴力団)と交際があった。トランプ青年はハーバード大学のビズネス・スクールより格が高い、フィラデルフィアの名門校ペンシルバニア大学大学院のワートン・スクールで、MBA(経営学修士号)を取得したから、緻密な頭脳の持ち主だ。
私はフィラデルフィア大学に、講師として招かれたことがある。
トランプ大統領は、ただのボンボンのセレブではない。マフィアと付き合ったことから、肚にドスを呑んで、微笑を浮べておだてながら、相手を脅すことを身につけている。
欧米のマスコミは、トランプ大統領が奇矯、衝動的で、国際秩序を破壊しているといって、足蹴にするのに熱中して、快感に浸っている。だが、中国を甘やかしてきたことが、中国を増長させ、イランに対して手を抜いていたことが、中東を危ふくしてきた。
欧米の“ぶりっ子”の大手マスコミも、良識ぶって、ことなかれ主義なのだ。
しかし、トランプ大統領をいくら罵ってみても、米国民のあいだで、トランプ大統領の人気は高い。トランプ大統領の世論調査の支持率が41%にあがって、米国のどの政治家よりも高いし、米国の景気は“規制マニア”だったオバマ大統領が行った規制を、次々と撤廃したために、上向く一方だ。
11月の中間選挙は、州による候補者の人本位だから、共和党が下院で僅差で敗れるかもしれないが、いまのところ、次の大統領選挙におけるトランプ優位は、揺るぎがない。
対する民主党は、政策を打ち出す能力がなく、トランプ大統領をけなすことだけに、血道をあげている。どこかの国のようではないか。
『大西瀧治郎中将を偲ぶ会』御案内
Date : 2018/08/20 (Mon)
『大西瀧治郎中将を偲ぶ会』御案内
先の大戦の終戦から73年目の夏が巡ってきましたが、お元気でご活躍のことと存じます。
戦後の日本の平和と繁栄は、先の大戦で祖国を守るために散華された英霊の御加護によるもので、国民として日々感謝の誠を捧げねばなりません。
日本は矢折れ弾盡きて、大戦を終えることを強いられましたが、祖国の弥栄のために、空に海に陸に殉じた勇士たちの尊い犠牲によって、連合国に対して名誉ある条件付降伏を行うことができました。
これは、日本がよく戦い、とくに特攻機による航空特攻、人間魚雷・回天による海上特攻作戦などが大きな戦果を収め、連合国の心肝を寒からしめたためでありました。
至純な愛国心を発露した特攻隊による貢献は、私たちの大きな誇りとして、今後、長く語り継がれてゆかねばなりません。
大西瀧治郎中将が、特攻作戦の生みの親であられますが、終戦の翌日の8月16日に、特攻隊員のあとを追って、介錯を頼むことなく、壮烈な自刃を遂げております。
大西中将の霊を慰め顕彰するために、『大西中将を偲ぶ会』を、ミズリー号における降伏調印式典の翌日に当たる9月3日に、催すこととなりました。
お忙しいなかとは存じますが、御参加いただきたく、ご案内申し上げます。
発起人 加瀬英明、藤井厳喜、茂木弘道、岡野俊昭、片岡都美、大高未貴、葛城奈海、ケント・ギルバート、ヘンリー・ストークス
記
日時 平成30年9月3日(月) 12時~16時 場所 昇殿参拝 靖国神社参集殿 11時45分集合
偲ぶ会 靖国会館2階 偕行の間 13時開演司会
女優・キャスター 葛城奈海(産経新聞にコラム連載) 次第 講話 外交評論家 加瀬英明(偲ぶ会実行委員会代表)、大西中将を偲ぶ動画(製作 東映)、スピーチ(登壇予定者)、特攻隊戦没者慰霊顕彰会会長 藤田幸生(元海幕長)、鶴田浩二御令嬢さやか様、中村珠緒様他、特攻隊員を演じる東映の若手俳優による歌 参加費 4000円(直会費用含む)、別途玉串料1000円 主催 大西瀧治郎中将を偲ぶ会 実行委員会 後援 二宮報徳学園(理事長 藤田裕行)/「空の神兵」顕彰会(会長 奥本康大)/二宮報徳会(会長 工藤明彦)/新しい歴史教科書をつくる会(会長 高池勝彦)/英霊の名誉を守り顕彰する会 (会長 佐藤和夫)/一般社団法人 美し国 (代表 菅家一比古)/史実を世界に発信する会(会長 加瀬英明 会長代行 茂木弘道)/ 手本は二宮金次郎の会(会長 原口美穂)/二宮尊徳を伝える大和の和の会(会長 飯本和美)/ 世界に二宮金次郎を広める会(会長 田口鉄之) 付記 日本は『ポツダム宣言』を受諾して降伏しましたが、同宣言は「われらの条件は次の如し」と述べたうえで、「日本国軍隊の無条件降伏のみ」を要求しており、今日、マスコミや、学校教科書が「無条件降伏した」と述べているのは、歴史の重大な改竄です。
日本を守る③ あえぐロウハニ体制
Date : 2018/08/20 (Mon)
8月に入って、イランのロウハニ大統領がホルムズ海峡を封鎖するといって、トランプ大統領を威嚇した。
トランプ大統領は「そうしたら、イランは壊滅的な打撃を蒙る」と、応じた。
日本は、ペルシア湾と紅海に挟まれたアラビア半島に、石油・天然ガスの80%以上を依存している。まさに、日本の生命(いのち)綱だ。日本はペルシア湾の玄関口のホルムズ海峡と、紅海の出入り口のバブ・アル・マンダブ海峡を封鎖されたら、水を抜かれた池の鯉のように、干上がってしまう。
5月に、米国がオバマ前政権が行ったイラン核合意から脱退するという、“トランプ砲”が炸裂すると、米欧のマスコミは「トランプの暴挙」だと、いっせいに非難を浴びせた。
トランプ政権はイラン核合意を反故(ほご)にして、イランに対する国際的な経済制裁が復活したために、イラン国内で暴動が続いて、ロウハニ体制が喘ぐようになっている。
トランプ大統領はイスラム二大宗派の一つのシーア派の総本山のイランが、かねてからシーア派武装勢力を支援して、米国と結んでいるサウジアラビアなどのスンニー派諸国や、イスラエルを脅かしてきたために、中東を不安定化している胴元のイランを、締めあげる賭けに出た。
イランは、サウジアラビアに隣接するイエメンの反乱勢力のフーシ派を操っている。7月末にサウジアラビアは、フーシ派が同国のタンカー3隻を攻撃したために、フーシ派への武器援助が通過するバブ・アル・マンダブ海峡を、一時、封鎖した。世界の石油の3分の1が、この海峡を通じて運ばれている。
トランプ大統領は、レーガン大統領(在任1981年~89年)を彷彿(ほうふつ)させる。レーガン大統領といえば、ブレジネフ書記長のソ連に大規模な軍拡競争による喧嘩を吹っかけ、ソ連は軍事費の重荷に耐えられず、経済が破綻したために、1991年に崩壊してしまった。
中国とイランは、ともに脆い経済の足の上に立っている。トランプによって、中国とイランが調教されるだろうか。
トランプ大統領が、7月にロシアのプチン大統領と会談して擦り寄ったために、米欧のマスコミに嘲笑されたが、中国とイランを孤立化させるのに、ロシアの協力が必要だった。
世界が激動している。日本に備えがあるのだろうか。
日本を守る② 非核化 成果なければ米国「海上封鎖」断行か
Date : 2018/08/20 (Mon)
米中間で、“関税合戦”による死闘が始まった。
そのわきで、いま、中東が爆発しそうだ。
米中間のデスマッチの幕があがるわきで、北朝鮮危機がどこかへ行ってしまったように、みえる。米朝はここ当分のあいだは、交渉を続けてゆくのだろうか。
8月はじめに、シンガポールで東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットが催された。
北朝鮮の李容浩(リヨンホ)外相が、「米国が同時並行する措置をとらなければ、わが国だけが非核化を進めることはありえない」と演説したのにもかかわらず、ポンペイオ国務長官は北朝鮮の非核化について、「北の決意は固く楽観している」と述べて、李外相と固い握手を交わした。
日本では、6月にシンガポールにおいて「歴史的な」米朝首脳会談が行われてから、しばらくは緊張が解けたものと判断して、北朝鮮からのミサイル攻撃に備えて、東京(防衛省構内)、島根、広島、愛媛、高知各県、北海道に展開していた、PAC3ミサイル迎撃ミサイルを撤収した。
北朝鮮は、米国から南北平和協定、制裁の緩和など段階的な見返りを求めて、トランプ政権をじゃらしている。北はワシントンを甘くみているのだ。
だが、トランプ政権は北朝鮮をあやしながら、北朝鮮に鉈(なた)を振るう瞬間を、待っている。
もし、11月初頭の米国中間選挙の前までに、北が非核化へ向けて、米選挙民が納得できる成果を差し出さなければ、海軍艦艇を用いて、北朝鮮に対する海上封鎖を実施することになろう。米国民は何よりも力を好むから、喝采しよう。
私は本紙の『日本を守る』連載(4月27日号)のなかで、米国が北朝鮮に対して海上封鎖を断行する可能性が高いと予想している。
海上封鎖という“トランプ砲”が発せられると、日本の政府と国会が激震によって襲われよう。米海軍が日本のすぐわきにある北朝鮮に対して、海上封鎖を実施しているというのに、自衛隊が燃料食糧の供給などの後方支援に役割を限定するわけには、ゆくまい。
中東は日本のエネルギーの80%以上を、供給している。 日本を揺るがしかねない危機が中東で進行しているのに、日本の世論は目をそらしている。
日本を守る① トランプ「中国は最大脅威」と認識
Date : 2018/08/20 (Mon)
トランプ大統領が、世界を翻弄している。
6月12日に、シンガポールで行われた「歴史的な」米朝首脳会談で、特異な髪型をした2人が、仲よしを演じた。水と油か、鰻と梅干しのような組み合わせだったのに、トランプ大統領は「大成功だった」と、胸を張った。
その3日後に、トランプ大統領は中国を狙い撃ちにして、500億ドル(約5兆5千億円)の中国製品に、25%の追加関税をかけることを発表した。中国は米国と貿易戦争をたたかうのは不本意だったが、面子がある。同額の米国製品に、25%の関税をかけて応じた。
トランプ政権は中国の対応によっては、2000億ドル分の中国製品の税率を、25%に引き上げると警告していたが、8月1日にそうすると発表した。
この“トランプ砲”に対して、習近平国家主席は真っ青だ。中国が米国から輸入している総額は1500億ドルしかなく、さらに600億ドル相当の米国製品に報復関税をかけると発表したものの、米国と対等に渡りあいたくとも、できない。習主席が「偉大な中華民族の復興」と叫んでも、これまで中国経済は米国市場から稼ぎ出す黒字によって、支えられてきた。米国に寄生してきたのだ。
トランプ政権は、中国を米国にとって、もっとも重大な脅威としてみている。もはや北朝鮮は、米国にとって最大の脅威ではない。
中国はかねてから南シナ海に7つの人工島を埋め立てて、「古代からの神聖な領土だ」と主張して、習主席が2015年に訪米して、オバマ大統領と共同記者会見を行った時に、7つの島を「軍事化しない」と約束したが、長距離爆撃機や、ミサイルを配備するようになった。習主席は虚言症を患っている。
オバマ政権以来、米国は中国が主張する7つの人工島の領海に、海軍艦艇を通過させる「自由航海作戦」を実施してきたが、中国からみて“遊覧航海”のようなものでしかない。
そのかたわら中国は大軍拡と、金にまかせてアジアからヨーロッパに至る、壮大な「一帯一路」戦略を進め、パキスタン、スリランカ、紅海の出口などに、軍事基地を確保している。もし、南シナ海を占有することを放置したら、中国が世界を呑み込みかねない。
トランプ政権は、中国を兵糧攻めにすることを、決めている。そこで、習主席は米国に譲歩せざるをえない。いったい、ワシントンに何を朝貢するのだろうか。
そのわきで、北朝鮮はどうなるのだろうか。
日本にとって危険信号となるサウジの「女性の運転解禁」
Date : 2018/08/08 (Wed)
いったい、女性が自動車を運転するのが、そんなに大(おお)事なのだろうか?
6月24日から、イスラム世界において女性に対する差別と、もっとも宗教戒律が厳しいサウジアラビアで、女性がはじめて自動車を運転することが認められたことが、日本でも大きく報道された。
日本はサウジアラビアに石油・天然ガスの40%と、その小さな隣国のアラブ首長国連合の20%を加えると、60%も依存している。日本が必要としている石油・天然ガスの80%が、サウジアラビアをはじめとするペルシア湾岸から、運ばれてくる。
日本を人体にたとえたら、血液の80%がペルシア湾岸から、供給されている。
サウジアラビアで、女性が自動車の運転を許されるようになったのは、日本に対する危険信号が灯ったようなことだ。
もし、サウジアラビアが安定を失って、周辺も巻き込んで大混乱に陥った場合には、日本の国民生活が根元から揺らぐことになる。
昨年、82歳のサルマン国王が、モハメド・ビン・サルマン王子を世継ぎとして擁立すると、今年、32歳の皇太子が2030年までにサウジアラビアの脱石油経済化をはかって、近代国家につくり変える大規模な計画を、強引に進めるようになった。
いまや、皇太子は世界の注目を浴びて、MBSの頭文字によって知られるが、これまでサウジアラビアの政治が、1万人もいるという王子(プリンス)の合意によって行われてきたのにもかかわらず、ライバルの王子たちを逮捕、厖大な財産を没収などして、独裁権を手にしている。
私はイスラム教の研究者であって、1980年代に三井物産と、日商岩井(現・双日)の中東の顧問をつとめたが、“ビジョン2030”として知られる大計画は、成功しないと思う。サウジアラビアは1932年にイギリスが砂漠につくった、多くの氏族からなる人工国家であって、もっとも力があったサウド一族によって、国名を「サウジ(サウド家の)アラビア」と、定めてきた。
サウジアラビアは、砂漠と、棗椰子(なつめやし)と、駱駝(らくだ)の国だが、国民は先の大戦後に外国人の手によって生産される石油が、巨富をもたらすまでは、隊商が主な収入源で、農業に携わってきたイラク、シリア、エジプトの人々の勤勉な習性を欠いており、もっとも背が高い建物といえば、遊牧民のテントだった。
それが、これまで国民が湯水のような巨額の石油の収入によって、税金、家賃、教育費、医療費、光熱費が免除され、肉体労働は外国の出稼ぎ労働者に頼るという、まるで不労所得者のような国となっていた。政府はサウド家に対する忠誠心が薄い、多くの氏族から成り立つ国民を、潤沢な石油収入によって宥(なだ)めて、安定を保ってきた。
MBSの近代国家化プロジェクトは、2014年から原油価格が暴落したのと、急速な人口増に加えて、世界が脱石油時代へ向かっている危機感に駆られたものである。
MBSは海外からの投資に、期待している。そのために、サウジアラビアが女性を差別しているのに対して、批判が強い両側諸国の好意を確保するために、女性に自動車運転を許すようになった。
だが、サウジアラビアでは、2001年にサウジアラビア国籍のイスラム過激派テロリストが、ニューヨークの世界貿易センタービルを破壊した時にも、八年前にチュニジアで“アラブの春”が始まって、民主化の高波が中東を襲った時にも、危機に迫られるたびに、女性の権利を小出しに拡大してきた。
MBSはまだ権力基盤を固めつつあるし、“2030年プロジェクト”が失敗すれば、この国が大混乱に見舞われることになる。
私は6月に、経済産業省の担当官と意見する機会があったが、おそらく“2030年プロジェクト”がうまくゆかず、サウジアラビアの行方が危ふいという見方で、一致した。
スウェーデンの国防の備えに日本は学ぶべきである
Date : 2018/08/03 (Fri)
北ヨーロッパのスウェーデンといえば、読者諸賢の多くが「スモーガスボード」という、魚貝類が中心となったスウェーデン料理を、知っていられることだろう。さまざまな料理が並び、客が好むだけ取る、日本で「バイキング料理」の語源となっている。
スウェーデンはフィンランドとノルウェーと国境を接しており、親日国家で、人口が1012万人、国土は日本の1.2倍ある。平和国家だ。
今年5月21日に、スウェーデン政府は『戦争、あるいは危機において、何をすべきか』と題する小冊子を、スウェーデン国民に配布した。
この小冊子は、「敵国による侵略を蒙った場合に、侵略者に対して、国民全員があらゆる手段を講じて抵抗する」ことを、求めている。
政府の民間防衛局によって発行されたものだが、「もし、わが国が侵略された場合に、国民は最後まで戦い、絶対に降伏しない。抵抗をやめるようにという、情報が流れたとしても、虚偽のものであるから、いっさい信じてはならない」と、述べている。
ヨーロッパでは、4年前にプーチン大統領のロシアが、武力によってウクライナからクリミア半島を奪取し、ウクライナ東部の内戦に介入しているために、ロシアがさらに侵攻するのではないか、緊張がたかまっている。
スウェーデン対岸のバルト海に面する、冷戦後にソ連から独立した3つの小国のエストニア、ラトビア、リトアニアを守るために、米英独、カナダ軍部隊が進駐している。
なぜ、スウェーデンが危機感に駆られているのだろうか?
スウェーデンとロシアの間には、フィンランドがある。 先のスウェーデン政府の小冊子は序文で、次のように述べている。
「わが国では長期間にわたって、戦争に対する備えが、限られたものでしかなかった。
しかし、わが国を取り巻く世界情勢が大きく変化しつつあることから、政府はわが国の防衛体制を強化すべきことを、決定した。
平時における防衛態勢を確固としたものとすることが、戦時において国防を強靭化することになる」
政府は侵攻を蒙った場合に、若者、壮年の男子は銃を執って戦い、婦人、高齢者は、負傷者の看護、補給などの後方支援に当たることを、期待している。
もっとも、スウェーデンはロシアがすぐに侵攻してくることを、予想していない。10年後を、見据えているのだ。アメリカが「アメリカ・ファースト」の掛け声のもとで、米軍をヨーロッパから引き揚げてしまう可能性に備えているのだ。
それに対して、日本はどうだろうか?
日本を取り巻く状況が、重大な危機を孕むようになっているというのに、憲法に自衛隊の存在を書き込むべきか、不毛な論議に、国論を二分して熱中している。
自衛隊は「憲法解釈」による、「専守防衛」の鎖によって縛られているために、敵の基地を攻撃する能力がまったくなく、敵が本土を侵すまで、戦うことを禁じられている。
中国が虎視眈眈(たんたん)と、尖閣諸島だけでなく沖縄全体を奪おうと狙っているのに、現行憲法の呪いによって、日本独力で守ることができない。脆い国は、侵略を招く。
一刻も早く、憲法改正が求められる。
歴史の流れを見誤ってはならない
Date : 2018/08/02 (Thu)
トランプ大統領がEU(ヨーロッパ連合)、カナダ、メキシコ、日本、中国などを対象として、鉄鋼や、アルミ製品に高関税を課することを発表してから、世界貿易体制を破壊するものだとか、奇矯な決定だという批判が巻き起こっている。
私はこの決定は、妥当なものであるだけでなく、もっと深い意味があると思う。
大手新聞が「トランプ劇場」の一つだと報じているが、先を見透せないのだろうか。
今回のトランプ政権による措置は、とくに中国を狙い撃ちしている。
アメリカは7月6日から、340億ドル(約3兆7000億円)にのぼる中国製品に高関税を適用したが、さらに議会公聴会によって、160億ドル相当の中国製品の関税をあげる当否が、はかられている。
3月に、トランプ大統領はムニューシン財務長官に、アメリカの安全保障にとって重要なテクノロジーの分野において、中国による投資を禁じるように命じている。
中国が自由貿易体制の最大の利得者
習近平主席がたじろぎながら、アメリカに対して報復すると表明すると、トランプ大統領はアメリカの特別通商代表に、その場合、2000億ドル相当にのぼる中国製品に、1律10ドルの関税を課することを検討するように、指示している。
中国は経済をアメリカ市場への輸出に依存しているために、アメリカとの通商摩擦を何とか軽減しようと、努めている。そのうえ、中国国内にあるアメリカ企業が中国経済を支えていることから、活動を妨げることができない。
今回のトランプ大統領の決定が、暴挙だといって非難する者は、通商が互恵主義にもとづくとルールによるべきで、自由な交易をできるだけ妨げてはならないと、主張している。自由貿易は参加国を潤すことによって、世界秩序を安定させていると、唱えている。
その結果は、どうだったのだろうか?
21世紀の華夷秩序を目指す中国
この25年を振り返ると、現行の自由貿易体制は、巨大な専制国家である中国に、もっとも大きな恩恵をもたらしてきた。
自由貿易体制は、世界を21世紀の華夷秩序のもとに置こうとする野望をいだく、中国を肥大化させてきた。
アメリカは北朝鮮の核よりも、中国が南シナ海を内海として支配しようとしていることを、深刻な脅威としてとらえている。
中国は南シナ海に、7つの人工島を造成したうえで、長距離爆撃機と対艦・対空ミサイルを配備した。
習近平主席が2015年にワシントンを訪れて、オバマ大統領と会談した直後に、ホワイトハウスで共同記者会見を行った時に、南シナ海の人工島を「軍事化」しないことを、明言している。習氏は平気で嘘をついてきた。
アメリカは北朝鮮より中国を脅威とみている
習主席は、5月に訪中したマティス国防長官と会談した際に、南シナ海の人工島も含めて「祖先が残した領土は、一寸たりとも失うことができない」と、述べた。南シナ海の岩礁が、中国の歴史的な領土であるというのも、ハーグの国際司法裁判所が裁定したように、作り話でしかない。
中国は新疆ウィグル自治区も、チベットも、中国の固有の領土だというが、満族による王朝だった清の6代目皇帝に当たった、乾隆帝(1711年~99年)が征服した、外地である。今日の中国においても、乾隆帝は「十全老人」(老は敬称)として、称えられている。それに、満族は漢民族の祖先ではない。
世界交易の30%以上が、南シナ海を通っており、中国が占有することがあってはならない。
アメリカはオバマ政権以来、中国が南シナ海の人工島周辺の領海だと主張する海域に、海軍艦艇を通過させる「自由航行作戦」を行ってきたが、中国側からみれば遊覧航海のようなもので、何の効果もない。そこで、中国経済を締めつける方法しかない。
中国は、自由貿易体制に乗じることによって、手にした富を使って、軍のハイテク化と、大規模な軍拡を強行するとともに、「一帯一路」戦略を進めて、スリランカや、紅海の出入り口のジプチなどに、軍事基地を建設するようになっている。
EU(ヨーロッパ連合)もアメリカの覇権に甘えてきた
もし、中国に南シナ海を支配することを許せば、中国の膨張主義を黙認することになってしまう。
それに、アメリカの恩恵を蒙ってきたのは、中国だけではない。
日本や、ヨーロッパの先進国をはじめとするアメリカの同盟諸国は、先の大戦後、自由貿易体制を活用して、福祉国家をつくりあげてきた。そのわきで、アメリカに甘えて、国防負担を肩代わりさせてきたが、言い換えれば、アメリカの施しによって潤ってきたのだ。
そのかたわら、アメリカの製造業は、日本や、ドイツなどの諸国と競争するのに疲れ果てて、すっかり怠惰になっていた。
利に聡いアメリカの経営者たちは、自由貿易体制が世界の福祉を増進すると説きながら、懐を肥やすために、国内にあった製造部門を、中国をはじめとする、人件費が安い発展途上国に移し、中国から大量に安価な製品や、部品を輸入してきた。
かつては、アメリカの大企業が世界の他の諸国を圧倒して、大きく引き離していたというのに、アメリカの労働者たちが大量に切り捨てられ、レイオフされた。
アメリカの企業経営者はなぜ自由貿易体制を称えるのか
アメリカの利潤を追う企業経営者たちは、中国の興隆に手を貸してきた。
アメリカの大手マスコミや、シンクタンクや、大学は、大手企業によって養われてきたために、アメリカが覇権を握っていた時代への強いノスタルジアにとらわれて、自由貿易体制を守るべきだという声をあげている。
アメリカはGDPの4%を、国防費にあてている。ところが、27ヶ国のNATO(北大西洋条約機構)ヨーロッパ諸国は、オバマ政権の時に、GDPの2%を防衛費にあてると約束したのにもかかわらず、イギリス、ギリシア、エストニアの3ヶ国だけが、防衛費として2%を支出しており、NATOヨーロッパ諸国のなかで、もっとも富裕なドイツの防衛費は、1.2%でしかない。
ドイツのメルケル首相が、防衛費をGDPの1.5%まで増やすと約束しているものの、トランプ大統領は「それでは、アメリカの納税者がとうてい納得しない」と、強く反撥している。
2年前に、トランプ候補が「アメリカ・ファースト」の公約を掲げて、大統領に当選したのは、今後、アメリカの覇権が未来永劫にわたって続いてゆくという、神話を覆すものだった。
アメリカの国勢調査から未来が見える
アメリカの政府国勢調査局は、白人の少子高齢化が急速に進んでゆくかたわら、非白人の人口増加と移民によって、白人が2040年代に入ると、人口の50%を割ることになると、予測している。すでに若年人口では、非白人が多数を占めるようになっている。
アメリカの人口は1980年に、2億2700万人だったのが、主として移民によって、いまでは3億2800二千八百万人に達している。黒人も多産だ。とくに、ヒスパニック系の人口の増加が著しい。
これまでアメリカは、白人が『メイフラワー号』から清教徒が神の国を築くために上陸したことから、アメリカが神の使命を授かった国であり、世界を導く責任を負っていると、驕ってきた。
だが、非白人の人口が増して、人口の過半数を超えるようになれば、世界を導く重荷を担う意識が失われてゆこう。
トランプ政権は、すでにアメリカが覇権国家であるという傲りを、捨てている。
アメリカが非白人の国となると、白人が世界の覇権を握った、大航海時代によって16世紀に始まった長い時代が終わることになろう。
危機において、何をすべきか スウェーデンが配布した小冊子
Date : 2018/07/23 (Mon)
スウェーデンとロシアの間には、フィンランドの北部が、ひろがっている。
スウェーデンは、人口が1012万人で、フィンランドも平和国家だ。
今年5月21日に、スウェーデン政府は『戦争、あるいは危機において、何をすべきか』と題する小冊子を、スウェーデン国民に配布した。
この小冊子は、国民に「敵国による侵略を蒙った場合に、全員が侵略者に対して、あらゆる手段を講じて抵抗する」ように求め、「もし、わが国が侵略された場合に、国民は最後まで戦い、絶対に降伏しない。抵抗をやめるという情報が流れても、虚偽のものだから、いっさい信じてはならない」と、述べている。
ヨーロッパでは、4年前にプーチン大統領のロシアが、ウクライナからクリミア半島を奪い、東部の内戦に介入しており、ロシアがさらに侵攻するのではないが、緊張がたかまっている。
スウェーデンのバルト海対岸の、冷戦後、ソ連から独立した小国のエストニア、ラトビア、リトアニアを守るために、米英独、カナダ軍部隊が進駐するようになっている。
なぜ、スウェーデンが危機感に駆られているのか、冊子の序文が説明している。 「わが国では長期間にわたって、戦争に対する備えが、限られたものでしかなかった。
しかし、わが国を取り巻く世界情勢が大きく変化しつつあることから、政府は防衛体制を強化すべきことを、決定した。
平時における防衛態勢を確立することが、戦時において国防を強靭化することになる」
もっとも、スウェーデンはロシアがすぐに侵攻してくることを、予想していない。近未来に、アメリカが「アメリカ・ファースト」の世論に動かされて、米軍をヨーロッパから引き揚げてしまう可能性に、備えているのだ。
アメリカの政府国勢調査局は、白人の少子高齢化が進むかたわら、非白人移民の流入によって、2040年代に入ると、白人が人口の50%を割ると予測している。若年人口では、すでに非白人が多数を占めている。
アメリカは1980年に2億2000万人だった人口が、いまでは3億2000万人に達している。とくにヒスパニック系の増加が著しい。
これまで白人が、アメリカが神の使命を授かった国であり、世界を導く責任を負っていると、驕ってきた。非白人が増せば、このような重荷を担う意識が失われてゆこう。
日本はどうだろうか? 米朝首脳会談のお蔭で、金正恩委員長がアメリカを挑発せず、米朝交渉が進められようから、向こう五年は朝鮮半島で戦争が起こらないだろう。
日本は大急ぎで、憲法を修正するとともに、防衛力を画期的に増強する時間を、手にすることができた。天の恵みだ。
日本にとって、北朝鮮は本当の脅威ではない。
万一、北朝鮮が日本を攻撃しても、通常弾頭のミサイルによって、1、2万人の死者が生じるかもしれないが、アメリカが圧倒的な軍事力によって、北朝鮮を壊滅させよう。
日本にとって深刻な脅威は、スウェーデンにとってのロシアに当たる中国だ。 いつまで、アメリカに縋れるだろうか?
福沢諭吉は、「今の禽(きん)獣世界に処して最後に訴うべき道は、必死の獣力に在(あ)るのみ」と説いている。
日本の英霊が残した 人種平等の道標
Date : 2018/07/09 (Mon)
5月に、イギリスのヘンリー王子と、アメリカ人女優のメーガン・マークルさんの華麗な結婚式典が、ウィンザー城の教会において行われた。
イギリス王室はウィンザー家と呼ばれるが、ウィンザー城は王家の居城である。
この日は、よく晴れていた。ヘンリー王子とメーガンさんは、荘重なイギリス国歌が吹奏されるなかを、銀の輝く胸冑をつけた龍騎兵を従えた、お伽噺のような馬車に乗って、教会へ向かった。
私はこの光景をテレビで観て、深く感動した。すると、不用意に胸が熱くなって、目頭が潤んだ。
華燭の式典では、アメリカ聖公会の黒人主教が、説教壇から黒人訛りの英語で、愛について熱弁を振った。
私はアメリカ黒人女性の聖歌隊が、黒人霊歌の『スタンド・バイ・ミー』(イエスとともに歩め)を合唱した時に、涙が頬にこぼれた。シャツの袖口で拭った。 メーガン妃は、アフリカ系黒人だ。アメリカ黒人の母と、白人の父のあいだに生まれた。
いまでも、白人社会では、黒人の血が少しでも混じっていれば、「黒人(ブラック)」と呼ばれる。オバマ前大統領は、父親が黒人、母親が白人だったが、黒人として扱われている。
私はキリスト教徒ではないが、アメリカに留学した時に、黒人社会に関心があったので、何回か日曜日に、黒人街の教会を訪れて、ミサに参加した。
ミサでは、黒人霊歌(ゴスペル)の『スタンド・バイ・ミー』が、かならず歌われた。
ウィンザー城の教会で、エリザベス女王、フィリップ殿下、チャールズ皇太子をはじめとする、盛装した王族を前にして、何と、アメリカから招かれた黒人の聖歌隊が、この黒人霊歌を合唱したのだ。
『スタンド・バイ・ミー』は、黒人たちがアフリカから奴隷として拉致されて、筆舌に盡せない逆境を強いられた日々に、うたった歌だった。
イギリスの王子が黒人と結婚するのは、王室の長い歴史ではじめてのことだった。3、40年前には、考えられなかったことだった。
これも先の大戦において、日本が国をあげて勇戦し、大きな犠牲に耐えて、アジアを、欧米の数百年にわたった苛酷な植民地支配から、まず解放し、その高波がアフリカ大陸を洗って、アフリカの諸民も解放されて独立していった結果として、人類の歴史の果てに、はじめて人種平等の世界が招き寄せられたためだった。
アジアの民を解放するために、酷暑酷寒の広大な戦場に散華した英霊が、天上からウィンザー城の光景を眺めて、きっと嘉納されたにちがいないと、思った。
私は幼年期を大戦前のロンドンで、過した。バッキンガム宮殿や、ロンドン近郊に親しんできた。私にとってイギリスは、“第二の母国”である。
日本大使館員の子だったから、周辺や、イギリス人の友だちから、差別を受けることは、なかった。日本はアジア・アフリカの有色人種のなかで、唯一つの一等国だった。
アメリカでは第2次大戦後も、国内で黒人に対する、理不尽な差別が続いた。 ところが、独立したアフリカ諸国の外交官が、それまで黒人が立ち入れなかったホテルや、レストランなどに自由に出入りするのを見て、黒人による公民権運動が起った。
1960年代に、マーティン・ルーサー・キング師が率いる公民権運動が、ついに実を結び、アメリカ黒人に対する法的な差別が全米にわたって撤廃されて、今日に至っている。
日本は矢弾尽きて、73年前に鉾を収めたが、人種解放を求めた大東亜戦争は、終わらなかった。アジア・アフリカの民や、アメリカの黒人たちが戦いを続けて、今日の人種平等の世界が実現したのだった。
あえかにわかき新妻を 君わするるや
Date : 2018/07/05 (Thu)
中島兄哥は、強きを扶(たす)け弱きを挫く、平成の侠客だ。気っ風がよい。姐さんは後光がさすように、微笑(ほほえ)む。
兄哥さんは朝起きると、「向ひゐて見れども飽かぬ吾妹子(わぎもこ)」(安倍蟲麻呂、万葉集)と、口ずさむにちがいない。
私も妻鈍(さいのろ)では、負けない。妻鈍は妻にだらしないほど甘い夫で、明治以後の造語だ。
私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。
最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。
やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。
そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。
父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物を、もっぱら愛護するようになった。
正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。
男には気負いが、必要だ。意気ごみが男をつくる。
気が天地を満たし、活力の源となる。いつも研ぎ澄まされた刀身を、心の鞘に収めていなければならない。
刀身と同じように、匂ふような男とならねばならない。「匂ふ」は古語で「輝く、美しい」を意味する。
女性に懸想し、言い寄ることを、古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。
“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。 たまに美女に出あうと、気が散ることもある。たまに乱れることも、正常さを保つために必要なのだ。
私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。 あえかは、「かよわい、たよりない」という意味である。
それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は、男の矜持を欠いている。閣僚や、県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。
大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の安物の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。
財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を「あえかな花」(帚木)と、描いている。
江戸時代に夜鷹は、引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。
もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで、禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。
私は武道に携わってきたが、「心、姿勢、技」を、その順で重んじることを、旨とすべきことを教えられた。
「姿勢」は肉体的な姿勢だけではなく、人生に対する姿勢でもある。「技」が最後にくることが、眼目である。
高学歴の高級官僚や知事が、人足か無宿者か、女衒(ぜげん)のように卑しいのは、この3、40年の教育に、大きな欠陥があるからだ。
現代の日本では、小学校から大学まで教えることはしても、育てることをしない。
「心」や、「姿勢」を整えることを御座なりにして、「技」だけ教えるために、今日の惨状を招いているのだ。
このような政治や、行政を預かる者ばかりでは、日本が遠からずしておもいやりが欠けた、心無い社会になってしまおう。
無宿者は人別(にんべつ)帳から外されて、さすらっている者をいい、物乞いも非人として扱われたが、総じて心が貧しく、野卑で荒(すさ)んでいた。
江戸期には全国にわたって、庶民の子を教育するために、大小2万校以上の寺子屋があった。
すべて町や、村の地域社会の手造りの学校だった。教科書は往来物と呼ばれたが、7000種以上が現存している。 寺子屋では4年間のうちに、読み書き、算盤のほかに、農業、漁業、商業など、それぞれの地域に合わせた、生業を教えた。 男女の師匠は、礼儀、作法、精神修養にことさら厳しかった。教育は何よりも徳育だった。このようにして育てられた庶民が、幕末から明治にかけて、輝かしい近代の日本を建設した。
技しか知らない者は、巾着切(きんちゃくき)り(掏摸(すり))か、空き巣狙いと、かわらない。
幕府には教育を担当する役人が、1人もいなかった。私は文科省を廃止して、教育を地方社会に委ねるべきだと思う。 夜這いは平安時代には、けつして下卑(げび)た行為ではなかった。「婚(よば)い」とも、「懸想(よばい)」とも、書かれた。男たちは相問歌や、懸想文(よばいぶみ)に、一輪の花を添えて、あえかな花を摘みに、思い人のもとに通った。
女は男を映す鏡だ。このような下卑た男ばかりでは、日本にとって、何よりも大切な宝である女が劣化する。
私は日本の美風を守るために、女性を大切にしてきた。これからも、心と姿勢を正してゆこうと、決めている。
(中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者
明治維新150年に思いを馳せ、“自立の精神”を奮い起こそう
Date : 2018/07/02 (Mon)
私は5月22日の産経新聞の見出しをみて、「えっ」と、驚いた。
「自衛隊『違憲』25%、『合憲』57% 本社・FNN合同世論調査」というものだった。
今年は、日本がサンフランシスコ講和条約によって、ふたたび独立国として立ち直ってから、もはや66年もたっている。
それなのに、まだ、いったい自衛隊が合憲なのか、違憲なのか、国論を2つに割って対立しているというのは、つくづく情けないことだと思う。
いったい、日本は自立した国なのだろうか。あまりにも、異常なことではなかろうか。
25%の人々は、もし自衛隊が違憲だということになったら、自衛隊を解散して、非武装国になることを、選びたいのだろうか。それとも憲法を改めて、自衛隊を国軍として認めたい、というのだろうか。
もし、日常生活で暴漢によって襲われることがあったら、憲法も何もあったものではない。
自己を防衛するのは、本能から発しているし、天与の権利である。
自己を正当に守ることについて、国家も、個人も、変わりがないはずだ。
それなのに、現行の日本国憲法は、陸海空軍を保有することを禁じているうえに、どの独立国であっても持っている、交戦権を奪っている。
外国から、武力によって押し付けられた憲法を、70年近くも、後生大事に戴いている国は、世界のなかで日本しかない。
アメリカ軍が占領下で、現行憲法を日本に強要して、日本が再びアメリカと戦う力を持つことがないように、“丸裸”にしたが、日本の平和のためでなく、“アメリカの平和”のためだった。
日本を丸裸にしてしまえば、日本が未来永劫にわたって、アメリカに縋らなければならない属国となることを、はかったのだった。
大戦が終わったばかりのアメリカは、日本が自立することを、恐れたのだった。
日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶことに、私は両手をあげて、賛成したい。しかし、「アメリカの平和のための憲法」として、占領下で自由を奪われていた日本に、有無を言わせずに、押し付けられたのだった。
日本は占領下で、国の旗の日の丸を揚げることすら、禁じられていた。そのあいだ、自分の手で憲法を制定することが、もちろん許されるはずがなかった。
国家は国民と国土によってだけでなく、精神によって、成り立っている。国家の何よりの基本的な条件は、自立する精神である。
今日の日本は現行憲法のもとで、精神が薄弱な、精薄の国となっている。
今年は、明治維新150周年に当たる。日本は幕末から、明治38年に国をあげて日露戦争を戦って、勝利を収めることによって、独立を守り抜いて、今日の日本を築いた。これは、自立の精神がもたらしたものだった。
幕末から明治にかけた先人たちが、今日の日本を眺めて、アメリカへの従属憲法を改める気概を欠いているのを見て、どう思うことだろうか。
朝鮮半島危機と、中国の脅威が、急速に募るなかで、いまこそ明治維新150年に、思いを馳せるべきである。
国の行く末と、平和を祈る心は、宗教心と一つのものである。
「米朝首脳会談中止」騒動、米の圧力は中国にも向いている
Date : 2018/06/21 (Thu)
トランプ大統領が、6月12日にシンガポールで予定されていた、米朝首脳会談を直前に中止することを発表して、北朝鮮の金正恩委員長を狼狽(うろた)えさせた。
私はかねてから、本誌のこの欄で、北朝鮮が核を棄てることはありえなく、文在寅大統領と金正恩委員長による南北首脳会談は“安手の韓流ドラマ”にすぎなかったし、米朝首脳会談が実現しても、空ら騒ぎに終わろうと、論じてきた。
トランプ大統領が“リトル・ロケット・ボーイ”と呼ぶ、金正恩委員長は米朝首脳会談に執心している。北朝鮮にとって米朝首脳会談が行われれば、国際的地位が大きくあがるが、それなしには、哀れな、みすぼらしい小国でしかない。
南北首脳会談や、米朝首脳会談を行わず、中国も含めて北朝鮮に対する経済制裁を、粛々と進めてゆけばよかった。
私は4月30日から、ワシントンを4泊で訪れて、トランプ政権を支える人々と、朝鮮半島危機について話した。
着いた晩に、国防省の親しい友人と夕食をとったが、「世界は30年ぶりに、“ベルリンの壁”が崩壊するところを見るだろう」といって、米朝首脳会談によって北朝鮮が核を放棄することになると、自慢した。
私は「まさか。金正恩(キムジョンウン)がよほど愚かだったら、そうなるだろう」と、答えた。
私はホワイトハウスの前の小さな公園をはさんだホテルを、常宿にしている。バーで金正恩(キムジョンウン)の愛嬌ある似顔絵が描かれた、コースターが使われていた。ちょっとした、北朝鮮ブームだった。
だが、トランプ大統領も6月の会談を中止したものの、金委員長に一撃を加えたうえで、米朝首脳会談を開くことを望んでいる。金委員長が懇願した結果、再調整されたが、本誌が発売されるころに実現しているかどうか。
別の政権の関係者は、もっと現実的だった。 「われわれは中国が北朝鮮に核放棄を迫らないかぎり、北朝鮮が核を手離すことはない。米朝交渉を続けるあいだに、中国に強い圧力を掛けてゆくことになる」と、語った。
トランプ政権にとって、ほんとうの敵は、中国だ。
北朝鮮の核ミサイルは、まだ戦列に配備されていないし、成層圏から目標へ向かって再突入する、終末段階(ファイナル・フェーズ)の摂氏7000度に達する高熱に耐える技術を持っていない。
アメリカにとって、中国の南シナ海進出のほうが、差し迫った脅威だ。
中国の脆い点は、中国経済が対米輸出に依存していることだ。
中国はアメリカに寄生している、パラサイトだ。トランプ政権は中国の弱点をとらえて、揺さぶろうとしている。
これから、商務省が諸国による自動車、自動車部品の対米輸出がアメリカの工業ベースと、安全保障を脅かしていないか、調査を始めるが、もし、“黒”となった場合には、天井知らずの関税をかけることができる。
帰京後に、トランプ大統領が自動車、自動車部品に20%から、25%の高関税をかける方針を発表したが、これはEU(ヨーロッパ連合)、カナダ、メキシコ日本との貿易交渉にあたってテコともなるが、中国へ向けたものだ。
中国は自動車部品の対米輸入で、巨額を稼ぎ出しているうえに、安価なEV車をアメリカへ輸出することをはかっており、すでに売り込みが始まっている。
神社に宿る日本人の「和の心」
Date : 2018/06/07 (Thu)
4月24日に、カナダ最大の都市トロントで、男がバンを運転して、歩行者を次々とはね、多くの死傷者が発生する事件が起った。まだ、犯人の動機が判明していないが、イスラム国(IS)がかかわるテロ事件ではないか、疑われている。
ヨーロッパも、イスラム過激派のテロに戦(おのの)いている。中東では、シリア、イエメン、リビアをはじめとする諸国で、イスラムの2大宗派のスンニー派と、シーア派による凄惨な抗争に、出口が見えない。宗教戦争だ。
もっとも、アフリカ、アジアに目を転じると、イスラム教徒がキリスト教徒を迫害しているだけでなく、中央アフリカ共和国では大多数を占めるキリスト教徒が、ミャンマー、タイでは多数を占める仏教徒が、弱者のイスラム教徒を圧迫して殺害している。
ミャンマーでは、事実上の最高指導者である、アウンサン・スーチー女史が黙認するもとで、イスラム教徒のロヒンギャ族を迫害している。70万人のロヒンギャ族が国外に脱出し、数百人が虐殺されている。
タイでは、分離独立を求める南部のイスラム教徒を弾圧して、この15年だけで、7000人以上のイスラム教徒が殺害されている。
スリランカでも、人口の70%を占める仏教徒が、17%に当たるイスラム教徒を迫害して、多くの生命が失われている。
日本では、仏教は平和の宗教だと思っているが、日本のなかだけで通用することだ。
インドは平和国家として知られているが、毎年、多数派のヒンズー教徒がイスラム教徒を襲撃し、多数の死者が発生している。イスラム教徒が、ヒンズー教の聖牛である牛を殺して、食べることから敵視されている。
アメリカでも、人権が高らかに謳われているのにかかわらず、人種抗争が絶えない。「個人」が基本とされている社会だから、人々が対立しやすく、人と人との和を欠いている。銃による大量殺戮事件が多発している。
中国では、漢民族が新疆ウィグル自治区でイスラム住民を、世界の屋根のチベットでジェノサイド(民族抹殺)をはかっている。
そこへゆくと、日本は幸いなことに、太古の時代から宗教戦争と、無縁であってきた。
「宗教」という言葉は、明治に入るまで漢籍に戴いていたが、使われることがなかった。
明治初年に、キリスト教の布教が許されるようになると、それまで日本には他宗を斥ける、独善的な宗派が存在しなかったために、古典から「宗教」という言葉をとってきて、あてはめたのだった。
それまで、日本には「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しかなく、宗派は抗争することなく、共存したのだった。
「宗教」は、英語の「レリジョン」(宗教)を翻訳するのに用いた、明治訳語である。
英語の「レリジョン」、フランス語の「ルリジオン」、ドイツ語の「レリジオン」の語源であるラテン語の「レリギオ」は、「束縛」を意味している。
「個人」も、明治訳語だ。日本人は世間によって生かされ、そのなかの一人だった。
日本人のなかで、日本人は年末になると、クリスマスを祝い、7日以内に寺の“除夜の鐘”を謹んで聴いて、夜が明けると初詣に急いで、宗教の梯子をするからいい加減だと、自嘲する者がいる。
だが、これが日本の長所であり、力なのだ。古代から「常世(とこよ)の国信仰」といって、海原の彼方から幸がもたらされると信じた。日本では何でも吸収して、咀嚼して役立てるのだ。
神道は私たちが文字を知る前に生まれた、心の信仰であって、文字と論理にもとづく宗教ではない。人知を超える自然を崇めるが、おおらかで、他宗を差別せず、中央から統制する教団も、難解な教義も、戒律もない。
神社を大切にしたい。私たちは、心の“和”の民族なのだ。
大嘗祭は国事として行うべきである
Date : 2018/06/04 (Mon)
1年以内に、新天皇が即位され、御代(みよ)が替わる。
前号で、私は天皇陛下が来年4月30日に退位され、皇太子殿下が翌日、第126代の天皇として即位されるのに当たって、もっとも重要な祭祀である大嘗祭(だいじょうさい)を寸描した。
126代も続いてきた天皇が、日本を日本たらしめてきた。
天皇は日本にとって、何ものによっても替えられない尊い存在であり、日本国民にとって、もっとも重要な文化財である。
大嘗祭は来年11月に、皇居において催される。大嘗祭は法律的にすでに皇位につかれておられるが、天皇を天皇たらしめてきた民族信仰である惟神(かむながら)の道――神道によれば、まだ、皇太子であられる皇嗣(こうし)(お世継ぎ)が、それをもって天皇となられる。聖なる秘儀である。
私は前号で大嘗祭に当たって、皇太子が横たわれ、しばし、衾(ふすま)(古語で、夜具)に、身をくるまられると、述べた。
これは、天照大御神の皇孫に当たる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国(くに)を治めよ」という神勅に従って、赤兒として夜具にくるまれて、天孫降臨されたことから、皇太子が身を衾に包む所作を再演されることによって、瓊々杵尊に化身されるものである。
今上天皇が今年の新年に宮中参賀のために二重橋を渡った、13万人をこえる善男善女に、皇后、皇太子、皇太子妃、皇族とともに会釈され、お言葉を述べられたが、天皇はモーニングを召された瓊瓊杵尊であられた。
天皇は皇位をただ尊い血統によって、継がれるのではない。
日本では、日本神話が今日も生きている。神話は諸外国では、遠い昔の過去のものであって、ただの物語でしかない。日本は時空を超えて、永遠に新しい国なのだ。
歴代の天皇は、日本を代表して神々に謙虚に祈られることによって、徳の源泉として、国民を統(す)べて、日本に時代を超えて安定(まとまり)をもたらしてきた。
神道は、人知を超えた自然の力に、感謝する。世界のなかで、もっとも素朴な信仰である。
教義も、教典ない。人がまだ文字を知らなかった時代に発しているから、信仰というより、直感か、生活態度というべきだろう。
神道は、人が文字を用いるようになってから、生まれた宗教ではない。感性による信仰だから、どの宗教とも競合しない。
宗教法人法によれば、宗教法人は教義を広め、信者を教化する団体として、規定している。神道は布教しないし、もし宗教であれば、「信者」と呼ばれる人々も、存在しない。
アメリカ占領軍は、自国では国家行事や、地方自治体の式典が、キリスト教によって行なわれていたのにもかかわらず、まったくの無知から神道を、キリスト教と相容れない宗教だと信じて敵視して、日本に「政教分離」を強制した。当時のアメリカは、日本を野蛮国とみなしていたのだった。
政府は日本が独立を回復した後にも、現行憲法下で、天皇を天皇たらしめている宮中祭祀を、皇室の「私事」として扱ってきた。
私はかねてから、宮中祭祀は国民の信仰の自由を浸すことがないし、日本国民にとって何より重要な無形文化財であると、主張してきた。
大嘗祭は、国事として行うべきだ。現行憲法は皇室と日本の姿を、歪めている。
志の人・伊能忠敬没後200年と、明治維新150周年
Date : 2018/05/30 (Wed)
今年4月21日に、東京千代田区神田の学士会館で、『忠敬没後200年記念・伊能測量協力者顕彰大会』が催された。
忠敬は寛政12(1800)年に深川・富岡八幡宮に成功祈願を行ったうえで、徒歩による全国海岸線の実測に出発したが、17年後の文政元(1818)年に、測量続行中に、73歳で病没し、その3年後に、門弟たちによって、『大日本沿岸輿地全図』が完成した。
伊能図協力者子孫への感謝状 学士会館のホールには、伊能忠敬研究会の努力によって、全国にわたって忠敬の測量に協力した、名主や、庄屋、本陣、代官、目付などの子孫が特定されて、そのなかの76人が、研究会、イノペディアをつくる会、伊能忠敬子孫一同から、「功績感謝状」が贈られた。
忠敬の測量は、蝦夷地から始まり、伊豆七島まで9次にわたった。忠敬の『日本全図』は「伊能図」とも呼ばれるが、今日、埋め立てによって海岸線が大きく変わっているものの、誤差がほとんどなく、きわめて正確なものだった。
協力者の子孫の名が呼ばれるたびに、「駿河国沼津領野村名主」とか、「陸奥国」、「出羽国」、「越後国」、「遠江国」、「佐渡国」、「播磨国」、「若狭国」、「豊後国」というように、当時の地名が用いられたので、そのあいだ、江戸時代に生きているような錯覚にとらわれた。
忠敬の子孫の代表 忠敬の多くの子孫が招かれたが、私を含む5人が代表して登壇した。
私は忠敬の孫の孫の子である玄孫(やしゃご)に当たるが、忠敬の次女のしのが、銚子の隣にある旭村(現・旭市)の加瀬佐兵衛に嫁いだことによる。
忠敬は九十九里浜の貧しい漁村に生まれ、幼年時代は恵まれなかったが、向学心が高く、漁具を収める浜小屋の番をしながら、勉学に励んだ。佐原の家運が傾いた庄屋の伊能家に、養子として迎えられたことが、人生の転機となった。酒造業を建て直すかたわら、暦学、和算、天文学、測量学を学んだ。
今年は、明治維新150年に当たる。日本は明治に入ると、近代化に短時間で成功し、西洋列強と肩を並べるようになったが、これは江戸期の庶民の力によるものだった。私は庶民の血を受け継いでいることに、大きな誇りをいだいている。
忠敬の測量に協力した人々は、大部分が庶民だった。幕府から藩に、忠敬の測量隊がいつ到着するか連絡があると、藩から村へ伝えられ、村民が総出で測量に協力した。
明治3年の初の国勢調査
武家は明治3年に初めて行われた、国勢調査によれば、人口の8%弱にしか、当たらなかった。人口の90%が民庶とも呼ばれた、庶民だった。
江戸時代は近代日本を創った、輝かしい助走期だった。日本は世界に誇るべき社会を、形成していた。
今年は、政府が「明治維新150年」を祝う式典を行うことになっている。
50年前に100周年が巡ってきたが、当時の政府は「維新」という言葉を省いて、「明治100年記念式典」を催した。
時の佐藤栄作首相が挨拶したが、「維新」という言葉に触れることが、まったくなかった。維新を語らずに、明治100年を語っても意味がない。
昭和天皇のお言葉「明治維新以来の先人の英知と勇気」
この時の式典に、昭和天皇の御幸を仰いだが、お言葉のなかで、「明治維新以来の先人が、英知と勇気で成し遂げた業績」と、仰せられた。
明治維新が「革命」だったと、物識り顔をしていう学者がいるが、まったく筋違いだ。「革命」は断絶をもたらす。維新は古来の日本へ復古する、御一新だった。
今年の「明治維新150年記念式典」において、今上天皇から聡明なお言葉を賜ることになるが、朝鮮半島危機が募るなかで、明治維新を称讃されて、国民をお励まし下さることと思う。
だが、日本国民がどうして150年前と較べて劣化して、かつての気概を失い、不甲斐なくなってしまったのだろうか。
幕末から明治にかけた日本国民は、「英知と勇気」が汪溢していた。今日の日本人のような、意気地(いくじじ)なしではなかった。
伊能忠敬の偉業は日本の社会の力そのもの
それにしても、忠敬が全国を徒歩によって実測した、17年間の日本の社会が安定し、豊かで、よくまとまっていたことに、感心せざるをえない。それでなければ、忠敬の偉業が多くの人々によって支えられて、成し遂げられることがなかった。
忠敬が測量のために、全国を巡っていた時に、対岸の朝鮮王国では、国王純祖(スンゾ)(在位1800年~39年)の代に当たった。
悪政のために、飢饉、悪疫、天災によって、農民や、奴婢(奴隷)の流亡と、不平両班(ヤンバン)や、農民、奴婢による反乱が、各地であいついだ。なかでも、純祖11(1812)年に起った、平安道の洪景来(ホンギョンレ)の乱が大きなものだった。
当時の韓国の状況 そのわきで、朝廷では士禍(サファ)と呼ばれたが、儒教の些細な礼法などをめぐって、凄惨な党争(ダンチョン)に明け暮れ、国の態(てい)をなしていなかった。
権力者が王権を代行して、政治を専横する勢道政治(セドチョンチ)のもとで、役人の綱紀が乱れ、下級官吏まで賄賂が横行した。朝鮮王国は、亡国が避けられなかった。
今日、朝鮮半島で危機的な状況が続いているのをよそに、日本で国会がモリトモ問題、セクハラを巡って党派抗争に耽って、空転しているのと、よく似ている。
今日の日韓関係に目を転じると、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が北に秋波を送るかたわら、ことあるごとに日本を蔑んで、足蹴にするのに忙しい。
そのために、日本では嫌韓感情が日増しに強まっている。いまや、全国民が韓国を蔑み、哀れむようになっている。
だが、私たちにいったい、韓国を蔑む資格があるものだろうか。
韓国は日本統治が終わって、すでに73年になるのに、いまでも「日帝時代」が悪かったと非難して、自立できないでいる。日韓併合は73年の半分の、36年でしかなかった。
日本でも、アメリカによる占領が65年前に終わったというのに、東京裁判をはじめ、アメリカの占領政策が悪かったからといって、占領時代を非難するのに忙しく、いまだに自立することができない。韓国によく似ていると思う。
韓国では、李氏朝鮮が日韓併合まで、500年にわたって続いた。李朝は高麗朝の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が、クーデターによって高麗朝を倒して、自らの王朝をたてた。
李朝は、軍がクーデターを起す危険な存在だとして嫌って、軍を軽んじ、国防に役に立たない必要最小限の兵備しか、持たなかった。宗主国の中国による保護に依存して、外敵の侵略を蒙るたびに、中国に救援を求めた。そのために、国土が何回にもわたって、蹂躙された。
今日の日本は、中国をアメリカに置き換えると、李氏朝鮮と変わらない。
日本の国会議員や、大手のマスコミ人、学者たちには、朝鮮服が似合うのではないかと思う。
明治新政府の開港の決断こそ、日本を救った
明治維新に戻ると、幕府が開港に傾いたのに対して、国学者や武士の大多数が、日本が神国であると唱え、攘夷を頑くなに主張した。もし、攘夷を貫いていたとすれば、西洋列強の侵略を蒙って、本土決戦が戦われたことだった。
明治新政府が開港に踏み切ったことによって、日本が救われた。
今日、「平和憲法」を「神国思想」にいい替えて、神聖視する護憲派は、幕末の狂信的な「攘夷派」に当たる。「専守防衛」を頑くなに主張しているが、敵が国土を侵すまで戦えないのだから、焦土をもたらす本土決戦を望んでいるにちがいない。
あえかな女性を泣かせるな
Date : 2018/05/29 (Tue)
私は幼い時から、父から「女性と動物を苛めてはならない」と、躾けられた。 外交官だった父・俊一(としかず)は、101歳で生涯を閉じた。その他に、とくに教えられたことはない。
最後の日まで元気だったが、女性を大切にして、優しかったから、艶があった。
やはり若いころから、外務官僚として新橋のお茶屋に通ったからだろう。私は中学生のころに洋食屋で、父の馴染みの芸者衆に引き合わされた。
そんなことから、私が50を過ぎて父の家に寄ると、新橋の80歳を超える姥桜(うばざくら)が遊びにきていて、「まあ、お坊ちゃま、おおきくなられましたこと」といわれて、閉口したものだった。
父は気障なところがあった。女性に対して、いつも凛としていた。そんなことを習ったから、私も少年のころから女性と動物をもっぱら愛護するようになった。 正岡子規が人は「気育」が大切だと説いているが、「気」が「艶」になるのだろう。
女性に懸想し、言い寄ることを古語で「婚(よば)い」というが、古く『古事記』『万葉集』に登場するから、男が持って生まれた性(さが)である。“通い婚”の時代だったから、「夜這い」とも書かれた。
私は妻と結ばれてから、明治生まれの歌人の与謝野晶子が、「かげに伏して泣くあえかにわかき新妻(にひづま)を、君わするるや思へるや」と戒めているのを、心に刻んだ。あえかは「かよわい、たよりない」という意味である。
それにしても、最近の国会議員や、高級官僚は男の矜持を欠いている。閣僚や県知事が買春し、財務次官がセクハラで辞任するというのに、日本の男の品位が地に堕ちたことを、慨嘆せざるをえない。大臣や、県知事が人足ではあるまいし、平成の夜鷹を買うのは、あってはならないことだ。
財務次官が官位を笠に着て、卑猥な言葉を連発して、女性を苛めて喜ぶのは、日本が崩壊する前兆ではないか。『源氏物語』では女性を、「あえかな花」(帚木)と描いている。
江戸時代に夜鷹は引っ張りとか、夜発(やほつ)、辻君と呼ばれた。
もし、武士が夜鷹小屋に出入りするところを見られたら、品位を穢したかどで禄を奪われ、足軽の身分に落とされた。
北朝鮮の非核化に言及なし 米朝首脳会談で成果を掴めるか
Date : 2018/05/22 (Tue)
4月27日に全世界が注目するなかで、文在寅(ムンジェイン)大統領と金正恩(キムジョンウン)委員長による南北首脳会談が、板門店の韓国側にある「平和の家(ピンファウィ・チプ)」で行われた。
李朝時代の王宮の衛兵(ウイビョン)の、ど派手な衣装をまとった儀仗兵が堵列するなど、文、金の2人の大根役者(オルガソイ)が演じた、まさに3流の“韓流ドラマ”だった。
私は20代から朝鮮語を学んだが、韓国人だったら、「インマンサルソ」(口ばっかり)というところだ。「インマンサルソ・アンデ」になると、「いい加減なことをいうな」と、叫ぶことになる。
文在寅大統領が、個人的な功名心から、オリンピックの政治利用が固く禁じられているのにもかかわらず、平昌(ピョンチャン)冬季大会に北から高位の代表団や、美女応援団・合唱団を招いて、空疎な“南北融和”を演出したのが、切掛けとなって、トランプ大統領が“勇み足癖”から、米朝首脳会談に応じることになった。
文在寅――ムン・ジェイン大統領は、“従北(ジョンプク)”として知られ、韓国の真当な国民から、「文災難(ムン・ジェアン)」と、呼ばれている。もっとも、韓国のマスコミは政権を支持する国民を「市民(シミイン)」、政権を批判する国民を「右翼(ウイク)」「保守派(ポスパ)」と、蔑んでいる。
それにしても、日本の大手テレビのキャスターたちが、今回の南北首脳会談の映像を背景にして、「歴史的な会談」と声を潤(うる)ませて連発するのに、きっと韓流ドラマの見過ぎなのだと、思った。
トランプ大統領は、1ヶ月以内に予定されている米朝首脳会談が、行われない可能性もあると述べているが、そうなってほしいものだ。
金正恩がよほどの愚か者でないかぎり、北朝鮮が核兵器を手放すことは、ありえない。
これまで、金正恩委員長は「朝鮮半島の非核化」を唱えても、「北朝鮮の非核化」に言及したことがない。
北朝鮮に対しては、南北首脳会談も、米朝首脳会談も行なうことなく、米日韓、中国を加えた国連による経済制裁を、粛々と強めてゆくべきだった。
トランプ大統領が金委員長の前に、米朝首脳会談というニンジンをぶら下げなければ、金委員長が窮鳥を演じて、北京の習近平主席のもとに、走ることがなかった。
米朝首脳会談が「世紀のショー」として行われたとしても、ニュースを娯楽だと勘違いしているテレビを喜ばせるだけで、空騒ぎに終わることとなろう。
トランプ大統領としては、米朝首脳会談に臨んで、何も成果がえられず、手ぶらで帰ることになったら、「軽挙」だったということになって、沽券(こけん)が大きく傷ついてしまう。
といって、北朝鮮に軍事攻撃を加える勇気はあるまい。
そこで、北朝鮮が提案してきた「北朝鮮の非核化」ならぬ、「朝鮮半島の段階的非核化」へ向けて、米朝交渉を続けてゆくことになるのではないか。
北と話し合っているあいだに、制裁を強めることは難しい。北朝鮮は中国を後盾として時間を稼ぎ、ミサイル試射、核実験を行わなくても、性能を向上させることができる。
だが、そのあいだ戦争は起らない。日本としては、“平和ボケ”から目を覚まして、真剣に防衛力の強化に励むべきだ。「鬼のいぬ間に洗濯」だ。
ドタキャンの可能性を残す注目の米朝首脳会談
Date : 2018/05/10 (Thu)
平昌(ピョンチャン)オリンピック大会後、5月に米朝首脳会談が催されるというニュースについで、北朝鮮の金正恩委員長が北京を訪問して、習近平国家主席と抱き合うことによって、東アジア情勢が目まぐるしく変わった。
そのなかで、安倍首相が4月17日から訪米し、トランプ大統領のフロリダ州のマルラーゴ別荘で、日米首脳会談が行われる。
本誌の発刊が日米首脳会談後になるが、東アジア情勢が朝鮮半島を軸として、どのように展開してゆくのか、予想が外れるのを覚悟して、考察したい。
金委員長が3月26日に北京を電撃訪問したのは、アメリカの大統領と直談判(じかだんぱん)できるという“多年の夢”が実現するものの、決裂した場合には、自分の生命が危いという恐怖感にとらわれて、このところ中朝関係が大きく捩じれていたのを余所(よそ)に、中国の後ろ盾を手に入れようとした。
他方、習主席は米朝会談の“蚊帳(かや)の外”におかれたら、面子を失う不安に駆られていたので、金委員長が懐(ふところ)に飛び込んできたのを大歓迎した。政略結婚ならぬ、政略恋愛だ。
金委員長はトランプ大統領が直前に、ティラーソン国務長官とマクマスター国家安全会議(NSC)担当特別補佐官を更迭して、ポンペオ元CIA長官とボルトン元国連大使を起用したのに、震えあがったにちがいない。
2人は北朝鮮の非核化を達成するために、外交ではなく、軍事攻撃を加えるべきだと主張してきた。とくにボルトン氏は、ブッシュ(父)政権の国務次官の時に、リビアを当事者として非核化した実績があり、北朝鮮に「リビア方式」を適用すべきだと説いてきた。
カダフィ議長の独裁下にあったリビアは、核兵器開発を進めていたが、アメリカの甘言に誘われて、2003年に核施設を解体された。だが、リビアは2011年に、オバマ政権による軍事攻撃を蒙って、政権が崩壊し、カダフィ議長は隠れていたところから引きずり出されて、殺害された。
金委員長は米朝首脳会談を前にして、「朝鮮半島の非核化」に合意しているが、北朝鮮の「非核化」ではない。そのうえ、「段階的な」という条件をつけているが、これは「時間をかけて行おう」という、中国の主張と合致している。
私は北朝鮮が核兵器を手放すことは、ありえないと思う。
では、米朝首脳会談が物別れか、不調に終わった場合に、アメリカは北朝鮮に軍事攻撃を加えるだろうか?
私はトランプ大統領に、北朝鮮を攻撃する勇気は、おそらくないと思う。韓国と日本があまりにも大きな被害を、蒙ることになる。
トランプ大統領が、成果がないと判断すれば、5月の米朝首脳会談が行われない、可能性もあろう。
それに、トランプ大統領はブッシュ(子)政権からオバマ政権まで、海外――アフガニスタンから中東まで、外征戦争に深入りしたのに終止符を打って、アメリカ軍を引き揚げた大統領として、レガシーをのこしたがっていると思う。
安倍首相はトランプ大統領とマルラーゴ別荘において、大統領が昨年11月に来日した時まで続いた、2人の友情の“蜜月時代”が、微妙に変化したなかで、再会する。
トランプ大統領は、金正恩委員長と米朝首脳会談を行うことを発表した時に、事前に日本と協議することがなかった。
トランプ大統領は、昨年11月にはまだ世界政治の新入りだったから、外交体験が豊かな、安倍首相に位(くらい)負けしていた。
いま、トランプ大統領は自信を増しており、そのうえ、アメリカの軍事力に頼るだけの日本が、朝鮮半島危機に当たって、主要なプレイヤーでないことを、知っている。
もちろん、安倍首相は厚遇されようが、日米首脳間の厳しい取り引きの場となろう。
御代替りに私たちが考えるべきこと
Date : 2018/05/07 (Mon)
3月は、国会が「森友問題」で忙殺された。
そこに、5月に米朝首脳会談が行われるというニュースが飛び込み、北朝鮮の金正恩委員長が北京を電撃訪問して、世界を驚かせた。
そのためだろうか、来春、天皇陛下が退位され、御代替りにともなう重要な一連の式典や、祭祀が行われるが、国民が十分な関心を向けていないと思う。
今上天皇は退位されるのか、譲位されるのか
今上陛下が「天皇退位等に関する皇室典範特例法」に従って、来年4月30日に退位され、翌日、126代目の天皇が即位される。
今年の新年参賀には、13万人を超える善男善女の波が皇居を訪れた。来年、譲位される陛下への崇敬の念と愛借の情が、皇居へ向かわせたのだった。
私はここで不本意に「退位」という言葉を使っているが、退位はロシア革命によって、皇帝が退位を強いられ、あるいは第2次大戦の敗戦によって退位を強いられた、イタリアの国王に起ったことである。
退位は王朝が絶えることを、しばしば意味した。
今上陛下のご意志によって、来春、皇太子に皇位を譲られるのだから、譲位というべきだった。
ところが、政府も国会も「特例法」のなかで、なぜか「退位」という言葉を用いている。
一昨年8月8日に、今上陛下がテレビを通じて譲位されたいという、御意向を明らかにされた。
私は月刊『WiLL』誌(平成28年10月号)に、「これは、天皇によるクーデターだった。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、現憲法下であってはならないことだった」と、寄稿した。
陛下の御意志に従って、譲位を実現するために、皇室典範を改めなければならなかった。
そのために、政府も国会も、天皇の御意志によって法律を改めたのでなく、陛下の御高齢に配慮して、法を改正したという体裁を繕って、退位という言葉を用いた。
即位にともなう祭祀は、それなしに皇統の継承が成り立たないのに、憲法が定める「政教分離原則」に従って、「私的な皇室行事」とみなされ、国事として催されない。
来年11月に、新天皇によって大嘗祭が行われる
来年11月14日に、新天皇によって大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。
新天皇の誕生に当たって、天皇が行われる最初の新嘗祭(にいなめさい)である大嘗祭が、もっとも重要な祭祀であってきた。
もっとも、「皇室の行事」は「皇室の公的な行事」であって、大嘗祭が「国事行為」とされない理由として、憲法上、天皇の「国事行為」は「内閣の助言と承認」を必要としており、皇室祭祀には適用されないという説明もあるが、強弁でしかなかろう。
大嘗祭のために、黒木と呼ばれる、木肌のままのクヌギの丸太を用いた悠紀殿(ゆきでん)と、主基殿(すきでん)の2つの大嘗宮が造営される。
両殿はまったく同じ造りで、床下は土間のうえに草をしいて、そのうえに竹簀を置く。奥の部屋は大地に蓆(むしろ)をしいただけで、そのうえに衾(ふすま)と呼ばれる夜具が置かれる。
古代が21世紀に生きている 新嘗祭は新穀の収穫を、神々に感謝する祭である。大嘗祭はまず悠紀殿において「夕の儀」が行われ、天皇は天照大御神が降臨されると、新穀の米飯と栗飯を3箸ずつ、柏の葉を重ねた器(うつわ)に盛られて、おすすめする。
柏の葉の皿を枚手(ひらて)といい、箸は2本棒ではなく、箸の原形とされる、削いだ竹を火で焙ってピンセット状にしたものだ。大嘗祭は「おほにへまつり」と呼ばれた、古いお祭りである。
天皇は神饌を御親供になられたうえで、奥の部屋へ移られ、衾にくるまられる。赤児の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が夜具にくるまれて、高天原から天孫降臨されたのを再演される。
「夕の儀」が終わると、主基殿において「暁の儀」が夜を徹して行われるが、まったく同じ内容の祭祀が繰り返される。
政府は大嘗祭が“皇室の私事”として催されるが、内廷費で賄えないので、国費を支出するとしている。
4月3日の閣議は、「大嘗祭の挙行については、『即位の礼・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月2日1日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において遺漏のないよう準備を進めるものとする」と、口頭で了解した。
政府が大嘗祭を遺漏なく準備することは、「政教分離原則」に反しているが、野党もマスコミも異論を唱えまい。
天皇が憲法に優っておられた 天皇こそ、日本の芯である。そこで、天皇が行われる祭祀は、皇室の“私事”として扱うような、軽いものではあるまい。
それとも、アメリカの占領下で強要した現行憲法が、日本の芯なのだろうか? だが、今上陛下が一昨年テレビを通じて、憲法に違反して法律を改めることを要求されたのにもかかわらず、国会が全会一致によって御意向に従ったことは、天皇が現行憲法よりも上にあることを、証したものだった。
履き違えた「政教分離」
アメリカ占領軍はまったくの無知から、神道を未開なというと、野蛮な宗教とみなして、「政教分離」を強制したのだった。アメリカは同じ敗戦国のドイツも占領して統治したが、ドイツはキリスト教国だったから、もちろん、「政教分離」を強要しなかった。もし、日本がフィリピンのようなキリスト教国だったとしたら、アメリカは日本に「政教分離」を強いることがなかった。私たちが神道を蔑視し続けて、よいものだろうか。
いったい、現行憲法は日本という国より上にあって、日本国よりも尊いのだろうか? 護憲派の人々は、日本国憲法が日本国よりも上にあると、主張している。
だが、現行憲法の出自は暗いし、日本の国としての悠久の歴史とくらべれば、まだ70年しかたっていない。
天皇こそが、日本を日本たらしめている。天皇の存在がない日本を、とうてい想像することはできない。
天皇の存在がなくなってしまえば、日本は滅びてしまおう。断絶のない国体が、日本に気品を与え、日本を和の国として安定をもたらしてきた。
今日の日本国民のなかで、どれだけの者が新嘗祭、大嘗祭はもちろんのこと、天皇家の起源を語っている日本神話について、知っているものだろうか。
学校教育は国民の心を受け継いでゆくために、行われるべきものだ。憲法の目的も、2000年以上にわたる悠久の日本の心を守ることが、もっとも大きな役目であるべきだ。現行憲法は、日本を敵視している。
天皇の御存在が、危ふいものとなっている。平成28年に、秋篠宮家に悠仁親王が御誕生になられたが、このままでは皇統が遠からず絶えてしまうことになろう。まさに国難である。占領下で臣籍降下を強いられた11宮家のなかから、ふさわしい男子に皇籍復帰をお願いするべきである。
人も国家も、伝統精神と現代精神が交わるところで、生きなければならない。 いったん伝統精神が失われてしまえば、人も国家も糸が切れた凧(たこ)のように、あてどもなく世界を漂うことになってしまう。国家が漂流してよいものか。日本は押しつけられた、借り物の現行憲法のもとで、使い捨てのプラスチックの造花に似ている。
宮中祭祀は国民のために行われる 日本国憲法のもとで、天皇が「象徴天皇」として、神聖な存在でなくなってしまっている。
日本国民の大多数が、天皇が神々(こうごう)しい存在であることを認めているが、憲法は現実から遊離している。
現実からかけ離れた憲法は、国民の精神を狂わせる。人はしっかりと両足を大地につけて、立たなければならない。
日本を守る⑤ 米国の占領政策から「自立を」
Date : 2018/05/07 (Mon)
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、オリンピックの政治利用は禁じられているのに、北朝鮮の高位代表団と美女音楽団や、応援団を平昌(ピョンチャン)大会に招いて“南北融和ショー”を演出したために、トランプ大統領が金正恩委員長との会談に応じる“空騒ぎ”に、発展している。
文大統領が功名心から余計なことをしたために、北朝鮮危機を混乱させてしまった。日米韓、中国をはじめとして、国連による北朝鮮に対する経済制裁を粛々と強化してゆけば、よかったはずだ。
27日に、南北軍事境界線の板門店の韓国側にある「平和の家」(ピョンファ・ウィ・チプ)で南北首脳会談が行われるが、文大統領が金委員長にどのように媚びるか、見物である。北朝鮮贔屓として知られる文大統領は、保守派の韓国民から「文災難」(ムン・ジェアン)と呼ばれている。
文大統領は北に胡麻(ごま)をするかたわら、ことあるごとに日本を足蹴にするのに忙しい。
そのために、日本では嫌韓感情が日増しに強まっている。いまや、全国民が韓国を蔑み、憐れむようになっている。
だが、私たちに韓国を蔑む資格が、いったいあるのだろうか。
韓国は日本統治が終わって73年になるのに、いまでも「日帝時代」が悪かったと非難して、自立できないでいる。日韓併合は、73年の半分の36年でしかなかった。
日本でも、アメリカによる占領が65年前に終わったというのに、東京裁判をはじめアメリカの占領政策が悪かったから、占領時代を非難するのに忙しく、いまだに自立することができない。韓国によく似ているではないか。
韓国では李氏朝鮮が、日韓併合まで500年にわたって続いた。李朝は高麗朝の将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)が、クーデターによって高麗朝を倒して、自らの王朝をたてた。
李朝は軍がクーデターを起す危険な存在だとして嫌って、必要最小限の軍備しか持つことがなかった。そのために外敵の侵略を蒙るたびに、宗主国の中国による保護に依存した。
今日の日本は、中国をアメリカに置き換えると、李朝に変わらない。
日本の国会議員や、大手のマスコミ人、学者たちには、朝鮮服が似合うのではないかと思う。
日本を守る④ 米朝の偶発的軍事衝突 現憲法では国民を守れない
Date : 2018/05/07 (Mon)
私は米朝首脳会談が行われないか、物別れに終わっても、アメリカが北朝鮮に軍事攻撃を加えることは、まずないと思う。
すると、ここしばらく手に汗を握るような朝鮮半島危機が、続いてゆくことになる。
日本としては、平和の惰眠を貪ることから目覚めて、ミサイル迎撃システムを強化し、敵基地を攻撃する能力を整備して、鬼のいぬ間に大急ぎで洗濯に励むべきである。
トランプ大統領は、北朝鮮が弾道ミサイルの発射実験しするか、核実験を行ったら、軍事攻撃を加えると脅しながら、北朝鮮に対して海上封鎖を行うことになろう。かつて、1962年のキューバ・ミサイル危機に当たって、ケネディ政権がキューバに対して海上封鎖を断行して、成功した前例があるから、アメリカ国民は喝采しよう。
そうなると、アメリカと北朝鮮の間で、偶発的な軍事衝突が起こる可能性が高まろう。
アメリカはその場合に、日本に相当な被害が生じても、北朝鮮に全面攻撃を加えることになる。日本という肉を斬らせて、北朝鮮という骨を断つのだ。
1年ほど前に、ペンタゴン(国防省)のアドバイザーが来日した時に、私の事務所を訪れて、「われわれが北朝鮮を攻撃すれば、金正恩政権は面子にかけて、かならず韓国、日本に攻撃を加えよう。日本に飛来する第1波のミサイルをすべて迎撃して破壊することはできないから、日本は耐えてもらうほかない。しかし、2波はけつして撃たせないから、安心してほしい」といった。
現状では、日本は北朝鮮が日本へ向いて発射してくる、多数の弾道弾に対して、国民を守る能力はまったくない。PAC3ミサイル迎撃ミサイル・システムが北海道から沖縄まで17ユニット配備されているだけだから、国土の100分の1すら守ることができない。
日本を守るためには、アメリカに縋(すが)るほかないのだ。
日本国憲法は「平和憲法」と呼ばれているが、もともとアメリカが占領下で、「アメリカの平和」のために、日本に押し付けたものだ。私たちは「日本の平和」を守るためには、まったく役に立たないことを、覚らなければならない。
それにしても、どうして原水爆禁止協議会(原水協)の諸兄姉が立ち上がって、ミサイル迎撃システムを増強することを、政府に強く要求しないのだろうか。
日本を守る③ 米朝会談決裂なら海上封鎖か
Date : 2018/04/27 (Fri)
金正恩委員長は、偉大な祖父と父も手が届かなかった米朝首脳会談が、ほどなく自分の力によって実現することに、自己陶酔に浸っていよう。
6、7週間以内に、全世界のきらめく脚光を浴びるなかで、トランプ大統領と膝を交えて、向い合うことができるのだ。
だが同時に、情緒不安定で、政治の初心者であるはずのトランプ大統領を、もし操るのに失敗したら、アメリカから圧倒的な軍事力による攻撃を蒙って、全てを失うことになるのに、戦(おのの)いていよう。
一方、トランプ大統領にとっても、大きな賭けだ。会談を行っても北朝鮮を非核化する成算がないと判断した場合には、取りやめることにしている。
トランプ大統領は首脳会談を行って、目論見が大きく外れて会場を去る時に、世界の物笑いにならないように、どのように振る舞えばよいものか、頭を悩ませていよう。“リトル・ロケットマン”と名付けた金委員長に、位負けするわけにゆかない。
トランプ大統領は米朝首脳会談が物別れに終わって、面子を潰された後に、北朝鮮に対してただ経済制裁による締め付けを強めるだけでは、米朝首脳会談が“笑い草の軽挙”にすぎなかったことになる。
だが、私はアメリカが北朝鮮に軍事攻撃を加えることは、ありえないと思う。 トランプ大統領は北朝鮮を攻撃した場合に、韓国、日本が蒙る被害が、あまりにも大きいために、攻撃する勇気を欠いていよう。
私はアメリカの友人に会うと、「アメリカの国章を白頭鷲から、チキンに替えたほうがよいのではないか」と、からかっている。
それに、トランプ大統領はオバマ政権にいたるまで、アフガニスタンから中東まで、外征戦争に深入りしたのに終止符を打って、米軍を引き揚げた大統領として、輝やかしいレガシーをのこすことを、夢見ている。
といって、トランプ大統領は手を拱(こまね)いているわけに、ゆかない。それでは、沽券(こけん)にかかわるから、何か“劇的なこと”を行わなければならない。
私は米海空軍を使って海上封鎖を実施することを、発表することになると思う。その場合、海空自衛隊が現行の安保法制に従って、後方支援に留まるとしたら、日米同盟関係が崩壊してしまうこととなろう。
日本の前途に、大きな試練が待っている。
日本を守る② 正恩は絶対に核兵器を手放さない
Date : 2018/04/26 (Thu)
常夏の米フロリダ州にある竜宮城のようなドナルド・トランプ大統領の別荘「マールアラーゴ」で、2日間にわたった日米首脳会談(17、18日)が終わった。
何といっても、6月初旬までに予定されている、〝世紀のショー〟である米朝首脳会談こそ、最大のテーマだった。
安倍晋三首相とトランプ氏は、日米両国がかねてから合意してきた、北朝鮮に「核・弾道ミサイルの、完全な検証可能、不可逆的な廃棄を求める」ことを再確認した。さらに、トランプ氏は会談後の共同記者会見で、拉致問題について「最善を尽す」ことを力強く約束した。
だが、日本が拉致問題について、まったく無力であるのは情けない。
会談の首尾は、上々だったと思う。2日目は、貿易問題を取り上げた。
トランプ氏が強面(こわもて)をつくって、日本に譲歩を迫った。日本は重い宿題を背負わされたが、安倍首相はその場をはぐらかして、うまくさばいた。
両首脳の会談の冒頭で通訳を交えて、55分間、差しで話した。通訳が半分の26分を費やすから、2人が同じ時間話したとすると、13分ずつになる。
安倍首相はその間に、一筋縄ではいかないトランプ氏と、呼吸を合わせることができた。歴代の首相のなかで、誰よりも外交経験を積んでいるだけでなく、天性の猛獣―いや、外国人使いだ。
日本にとって刻々と暗雲が募る朝鮮半島危機と比べれば、森友学園をめぐる決裁文書改竄(かいざん)問題や、財務省高官のセクハラ疑惑、県知事の「買春」問題や、貿易問題は小さな問題でしかない。
もし、朝鮮半島が火を吐けば、日本で数千人、数万人の死者が生じよう。北朝鮮がすでに小型化した核弾頭を完成していれば、日本が再び被爆国となる可能性がある。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が、核兵器を手放すことは、絶対にあり得ない。
仮に、米朝首脳会談が実現して不調に終わるか、北朝鮮が非核化に応じることがないと判断して、首脳会談が行われなかった場合に、トランプ政権が北朝鮮に軍事攻撃を加えることになるのだろうか?
正恩氏は「北朝鮮の非核化」ではなく、「朝鮮半島の非核化」を「段階的に」ゆっくり時間をかけて進めて、段階ごとに米国、日韓から、ご褒美をせしめようとしているが、米国はその手に乗らない。
そうなると、これからどうなるだろうか。
日本を守る① 軍事的役割を果たせなければ、プレーヤーになり得ない
Date : 2018/04/24 (Tue)
米南部フロリダ州にあるドナルド・トランプ大統領の別荘「マールアラーゴ」に、安倍晋三首相が乗り込んで17、18日(米国時間)、日米首脳会談が行われた。この様子に日本全国が一喜一憂していた。
これまで、日本の新聞やテレビは、安倍首相とトランプ氏との「緊密な関係」を強調してきたが、本当にそうなのだろうか?
トランプ氏は就任1年3カ月目に入ったが、世界のリーダーで安倍首相ほど会った回数が多い首脳はいない。トランプ氏が大統領選で勝利した直後、安倍首相は真っ先にニューヨークのトランプタワーに駆け付けた。首脳会談としては6回目で、20回ほど電話で話し合っている。
だが、昨年11月にトランプ氏が訪日したときを最後に、「2人の『蜜月時代』は終わった」と言わねばならない。
トランプ氏は3月8日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談すると発表して、世界を驚かせた。日本にとって朝鮮半島危機は死活問題であり、日本は米国のアジアにおける最も重要なパートナーだが、日本と事前に協議することはなかった。
3月末、トランプ氏は、鉄鋼とアルミニウムの輸入制限を発動した。カナダやメキシコ、欧州連合(EU)、韓国などは輸入制限の対象外となったが、日本は適用対象となった。
トランプ氏が昨年まで、安倍首相を〝師〟のように扱ったのは、自分が「外交のシロウト」であり、ベテランの安倍首相から学ぶことが多かったからだった。
もちろん、トランプ氏は今回の首脳会談で、安倍首相夫妻を歓待した。だが、米国にとって、日本がアジアにおいて唯一信頼でき、言うことを聞かせることができる大国であるからだ。
日本は、6月初旬までに行われる米朝首脳会談で「蚊帳の外」に置かれているが、自業自得だ。米国の保護にただ依存して、軍事的役割を一切果たせないから、プレーヤーになり得ない。
安倍首相は、日本人拉致問題について、トランプ氏に協力を懇願した。日本がもし、GDP(国内総生産)で半分程度しかない英国かフランス並みの軍備を整備していたら、北朝鮮にむざむざ国民を拉致されることはなかった。つまり拉致被害者は、日本国憲法の被害者なのだ。
日本全国が日米首脳会談に一喜一憂するのは情けない。〝平和憲法〟によって、米国に甘えて、国家の独立を依存しているからだ。
しばらく続く朝鮮半島危機 日本は鬼の居ぬ間に洗濯?
Date : 2018/04/23 (Mon)
金正恩委員長とトランプ大統領は、5月末に予定されている、米朝首脳会談という罠に落ちるのではないか、神経を昂らせている。
習近平国家主席は、米朝サミットが発表されると、もし蚊帳の外に置かれたら、沽券(こけん)にかかわると不安に駆られていたが、金委員長が中国の後ろ盾をえようと懐に飛び込んできたために、晴れやかな笑顔を浮べて歓迎した。
金委員長は北朝鮮ではなく、「朝鮮半島の非核化」を受け入れると表明しており、朝鮮半島全域の問題として、米韓共同防衛条約の解消を要求するものと、思われる。
すでに米朝サミットへ向けて、米朝間で交渉が行われているが、ホワイトハウスが成果がまったく期待できないと判断すれば、首脳会談が実現しない可能性もあろう。
米朝首脳会談が実現すれば、トランプ大統領は北朝鮮が核兵器を完全に放棄するのと引き替えに、金委員長をホワイトハウスに国賓として招き、大使館の相互開設、韓国、日本から気前よい資金供与を約束しよう。
金委員長はサミットを控えて、北朝鮮に先制攻撃を加えることを強く主張してきた、ボルトン元国連大使とポンペオ元CIA長官が、それぞれ国家安全会議(NSC)担当首席補佐官と国務長官に起用されたことに、不安を募らせていよう。
だが、首脳会談が不調に終わっても、金委員長が脅えているように、アメリカが直ちに北朝鮮に軍事攻撃を加えることは、ありえないと思う。といって、トランプ大統領は手を拱(こまね)いているわけにいかないから、北朝鮮に対する締めつけを一段と強めて、海上封鎖を行うのではないか。
トランプ大統領は北朝鮮に先制攻撃を加えた場合、韓国と日本が蒙る被害があまりにも大きなものであるために、攻撃する勇気を欠いていようから、私はアメリカの友人に会うと、「アメリカの国章を白頭鷲から、チキンに替えたほうがよいのではないか」と、からかっている。
それに、トランプ大統領はブッシュ(子)政権からオバマ政権まで、アフガニスタンから中東まで、外征戦争の泥沼に深入りしたのに終止符を打って、アメリカ軍を引き揚げた大統領をして、レガシーをのこしたがっていると思う。
習主席はかねてから、北朝鮮の非核化は「段階的に、時間をかけて」行うべきだと主張してきたが、北朝鮮の非核化を強く望んでいない。
すると、ここしばらくは朝鮮半島危機が続くこととなろう。日本としては、「専守防衛」の解釈を変えて、ミサイル防衛システムを強化し、敵基地を攻撃する能力を整備して、“鬼の居ぬ間に洗濯”に励むべきである。
本誌は、4月17日からフロリダ州マルラーゴで行われる、日米首脳会談が行われた後に発刊されるが、トランプ大統領が昨年11月に来日した時まで、安倍首相との間に続いた、2人の“友情の蜜月時代”が終わっていると、考えるべきである。
トランプ大統領は、日本がアメリカのアジアにおける、唯一つ信頼できる大国であるから、安倍首相を歓待しようが、アメリカの軍事力に頼るだけの日本は、朝鮮半島危機に当たって、主要なプレイヤーではない。
国民は極端な平和主義が、日本の外交力と自衛力を大きく損ねている現実を、覚らなければならない。
男らしさはどこへ行ったのか
Date : 2018/04/09 (Mon)
夏季、冬季オリンピックが2年ごとに巡ってくるたびに、日の丸が何本あがるか、血涌き、肉躍る思いがする。
スポーツや、武道の領域で最高峰をきわめるためには、自分を相手に戦って、努力しなければならないが、文弱の者には理解できないだろう。
韓国ピョンチャン大会で、日本が国として4つの金メダルを獲得したが、3つが女性の活躍によるものだった。
個人では、5人の乙女に1人の男性によったから、5対1だった。
羽生結弦選手が金を勝ち取って、本当によかった! 羽生君、有難う!
女性ばかりが金を獲得して、もし男が1人もいなかったとしたら、女性たちが大股で闊歩するのに出会うたびに、われわれ男は俯(うつむ)いて、背中をまるめて、道を譲らねばならなかったところだ。
私はテレビで、5人の乙女の姿を見て、1300年の時空を超えて、大伴旅人(おおとものたびと)(665年~731年)が『万葉集』のなかの「松浦川に遊ぶ」に、そこで会った乙女たちの「花の容双(かほなら)びなく、桃の花を頬の上に発(ひら)く」と詠じているのを思った。
私は日本が天平時代に戻ったと、思った。
『万葉集』が編まれた天平の奈良時代には、日本は世界のなかで、男女が対等だったか、女性が優っていた、唯一つの社会を形成していた。
『万葉集』のなかで、多くの男女が恋歌を交換しているが、男女が対等でなければ、ありえないことだ。
平安時代でも、女性は男性に教養で劣らなかった。女性による平安時代の文学作品は、多くが失われたにちがいないが、今日100点近くが存在する。
同じ時代の世界をみれば、西洋、中東、中国、朝鮮とどこをとっても、女性はほぼ全員が文盲で、男に従属していた。それに対して、日本の男はやさしくて、繊細なのだ。
日本の最高神の天照大御神は、女神でいらっしゃる。西洋、中国、中東の神話の最高神は、みな男性で絶対神だ。
日本では祖国を母国といって、なぜか父国という表現がないが、英語ではファーザーランド、ドイツ語ではファーターランドといい、フランス語には父国(ラ・パトリ)しかない。
アメリカでは、昨年、高名なハリウッド映画界のプロデューサーのハーヴェイ・ワインスタイン氏が、多年にわたって多くの女優を弄(もてあそ)んだことを、女性たちによって暴露されたことから始まって、与野党の連邦議員にも及んで、全米にわたって女性による「ミー・ツウ」(私も、#MeToo)運動となって、数千人、数万人による抗議デモが、毎日のように続いている。
西洋は、アメリカだけでなく、日本でひろく信じられているのと正反対に、男尊女卑の社会だ。
とくに、アメリカは酷いものだ。2016年にハーバード大学では、報告されただけでも、27人の女子学生が男子学生によるレイプ被害にあい、前年卒業した女子学生の3人に1人の31%が、男子学生による性暴力を経験している。
ヒラリー夫人が率いた民主党の選挙スローガンの1つが「女の戦い(ウォア・オブ・ウィメン)」で、学園(キャンパス)をはじめとして、男性の性暴力を根滅しようというものだった。
西洋では女性に対するセクシャル・ハラスメント――性的な嫌がらせは、日常茶飯事だ。ユダヤ・キリスト・イスラム教は同じ神を拝む宗教だが、女性を蔑視している。
日本では、武士上位の江戸時代に入るまで、夫婦(めおと)は女男(めおと)と書かれた。どうして、夫婦を「めおと」と発音することが、できるものか。
日本ではカーナビの指示の声も、交差点でスピーカーから流れる注意も、女の声ときまっている。乳母車や、トラックのホロを「母衣(ほろ)」と書くが、武士が首筋を守ってかけた鎖綱のことだ。女性への甘えが強いのだ。日本では主な家屋は母屋、卒業校は母校だし、いまでも和船に女男釘(めおとくぎ)が使われている。
私は安倍内閣の応援団だが、女性の“社会進出”を奨励する「一億総活躍社会」に、首を傾げざるをえない。
専業主婦も家にあって、立派に活躍している。女性が家を守って、子育てに当たることを、国が支援するべきである。少子化こそ、大きな国難だ。
北一輝といえば、青年将校が暴走した2・26事件に捲き込まれて処刑された、政治思想家で、あの時代の傑出した申し子だった。
『日本国家改造法案大綱』によって知られるが、次のように述べている。
「婦人は家庭の光にして人生の花なり。婦人が妻たり母たる労働のみとならば、夫たる労働者の品性を向上せしめ、次代の国民たる子女をますます優秀たらしめ、(略)特に社会的婦人の天地として、音楽美術文芸教育学術等の広漠たる未墾地あり。(略)婦人が男子と等しき牛馬の労働に服すべき者ならば天は彼(か)(女性)の心身を優美繊弱に作らず」
私は男性たちが牛馬のように、身を粉にして働いている会社労働に、女性たちが競うようにして、加わるべきではないと思う。
それぞれの国の国民性は、2000年にわたって、雛型が変わらない。
日本は女性が強い国であってきた。男性が武に励むことによって、辛じて男女の均衡を保ってきた。もともと女性上位の社会であったために、男たちは女性から男として認めてもらうために、凛々しく振る舞ってきた。女が男に「男らしくしなさい」というのは、日本だけだ。
それなのに、アメリカが強要した憲法によって、武が否定されたために、男が腑抜けで、軟弱になってしまった。 このままでは、国が滅びる。
少子化によって国を滅してはならない
Date : 2018/04/03 (Tue)
日本で少子化が進んでいる。この国が開闢して以来のことであろう。
私たちが直面する大きな国難の1つだと、呼ぶべきものだ。
今回は、最近、私が感動したことを取り上げたい。
少子化に歯止めをかけるために、2年前に警視庁、自衛隊、消防庁などの幹部のOBたちが立ち上って、「一般社団法人日本官婚推進協会」を設立して、男性公務員を対象として、身元が確かな女性との縁結びの場をつくる活動に、全国で取り組んでいる。
代表理事の尾形明氏が神奈川県警察本部の元警部補、理事に自衛隊の元陸将補、元空将補、東京消防庁の元消防司令長、大手百貨店の元外商部長などが並んでいる。私は求められて、会長をつとめている。
2月に、防衛省の福利厚生施設のグランドヒル市ヶ谷で、独身男女97人が集まって、見合いの懇親パーティが催された。
真のボランティア活動にふれて
私は70代の役員たちが、ボランティア活動として、無報酬で甲斐甲斐しくその場を仕切ってゆくのを見て、感動した。
ボランティアを日本語でいえば、国家、社会や、人々のために自己を捨てて、献身的に働く「奉仕」のことである。
日本で「奉仕」は、古い言葉だ。平安時代後期の説話集である『今昔物語』が、「奉仕すること、片時(へんじ)も怠る事」があってはならないと、諭している。
私は英語でボランティアvolunteerというと、「人が嫌がることを無報酬で行う」という暗い意味があるから、好まない。だが、日本は常世の神信仰から、海原の向こうから幸がもたらされることを、古来から尊んできたから、日本語のなかに外国語が氾濫しているのに、目角(めくじら)を立てるべきでないのだろう。ボランティアも、もとの言葉から離れて、「奉仕」という意味で、使っているにちがいない。
ほぼ男女半数ずつだった。お洒落に装った若い女性たちが会場を満して、私は花園に身を置いたようだった。まさに国の花だ。
適齢期の男女の未婚は何が原因か
なぜ、今日の日本で適齢期の多くの男女が、伴侶を求めることができないでいるのか。
やはり家族、一族の絆や、地域社会の繋がりが弱まって、自分しか頼れない個というか、孤の時代が到来したのだろう。孤独、孤立、孤食、孤独死といった言葉が、頭を掠(かす)めた。
かつて日本は「家族国家」と呼ばれたが、今日の日本は私にとって異界に生きているように、感じられる。
家庭家族は社会の源
明治に入って、西洋から日本に存在しなかった事物や、観念が、巨大な津波のように押し寄せて、先人たちが明治翻訳語と呼ばれる新語を大量に造ったが、「個人」という言葉も、その1つだった。それまで日本には、個人が存在しなかった。
今日の日本の若者たちは、不慣れな個人の役割を演じなければならない。
公務員といえば、民間より所得が高く、生活が安定している。少子化の原因として、多くの若者が所得が低いために、結婚できないというが、にわかに信じられない。昔から結婚したかったら、手鍋提げても貧しさをいとわないと、いったものだ。
フランスでは子育てを支援するために、出産奨励金や家族手当を給付することによって、出生率が1・5%から1・92%(日本は1・45%)に増え、スウェーデンでは不妊症の治療が、公費によって行えるといったように、積極的な少子化対策が効果を上げているといわれる。
どうしたら少子化を阻止することが、できるものだろうか。日本列島を生んだ伊弉諾命(いざなぎみこと)と伊邪那美命(いざなみみこと)は、出産奨励金や、家族手当がなかったのに結ばれた。収入だけでは、所得が高い公務員の結婚難を説明できまい。
現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」(傍点筆者)と、規定している。
これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎となっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度を破壊するために、定めたものだった。
現行憲法は、原文が英語――外国語で書かれている、世界で唯一つの珍しい憲法だ。
2月のパーティで、私は独身の男女を前にして、会長として短い挨拶を行った。
『君が代』は婚礼の祝い歌 「みなさんは、昨日、羽生結弦選手が金メダルを獲得して、表彰式で国歌『君が代』が流れたのを、御覧になったことでしよう。
『君が代』の歌詞は、1000首以上を収録した、西暦905年の『古今和歌集』に載っていますが、もとの歌は『わが君は千代に八千代に‥‥』と始まっています。この和歌は庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、唄われてきました。
明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えました。
同じ寿歌(ほぎうた)が1100年以上にもわたって、唄い続けられている国は、世界のなかで日本しかありません。古い伝統を大事にしてきた、国柄を示しています。
人類の祝い事の基は結婚そのもの
おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものでしよう。結婚するから、家族(ファミリー)が絶えることなく、人類が存続でき、未来を確かなものにすることができることを、理屈抜きで知っているからでしよう。
日本最古の歴史書の『古事記(ふることふみ)』のなかに、そよ風――凪(なぎ)を司る伊弉諾(いざなぎ)と、波の神の伊邪那美(いざなみ)の2人の男女の神が出会って、戯れるうちに、恋に陥って2人が結ばれ、私たちの美しい日本が生まれたという、麗(うるわ)しい神話が載っています。
日本では、2人の男女が結ばれるたびに、新しい日本が生まれます。
人生では値札がついていないものこそ、大切です。豪華なシャンデリアの下で、1瓶数万円もするワインをあけて、高級な料理を食べて、『ああ、贅沢をしている』と思って満足するほど、寒々しいことはありません。
夫と妻の2人が心を合わせるほど、贅沢なことはありません。
よい伴侶を求めて、素晴しい新しい日本をつくって下さい」
現行憲法によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりがなく、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。
今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽のために行われる、軽い結びつきに変わった。
2人が人類を未来へ継いでゆくために、結ばれることがなくなってしまった。
結婚相手として、ふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家族(ファミリー)が切り離された。
だが、世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。
結婚は人類存続の源
結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。
結婚までが、刹那刹那の楽しみを求めるものとなった。
国民が刹那的な消費文化によって、すっかり蝕まれてしまった。刹那という言葉は、仏教の梵語からきているが、指で弾(はじ)くごく短い時間を意味している。
刹那的な物欲によって駆り立てられて、荒(すさ)んだ国をもたらした責任は、国家の大本(たいほん)である国防を忘れて経済大国をつくってきた、私たちの世代が負うべきものである。
2月の市ヶ谷の催しに、私は暗黒のなかに燭光を見た思いがした。蟷螂(とうろう)(かまきり)が斧をもって隆車(大きな車)に立ち向うようなものかもしれない。だが、第一歩が大切だ。
政治利用された平昌オリンピック “平和”の意味するものとは?
Date : 2018/03/22 (Thu)
北朝鮮がピョンチャン・オリンピック大会で、世界の注目を浴びたことによって、金メダルを攫った。
本来、オリンピックの政治利用は、固く禁じられているはずだが、かつてオリンピックをいっぱいにまで政治目的に使ったのは、ヒトラーのナチス・ドイツだった。
今日まで、オリンピックのシンボルとなっている“聖火リレー”は、1936年のベルリン大会に当たって、ナチスの宣伝省が考案したものだった。
1980年に、ブレジネフ書記長のソ連がモスクワ大会を主催したが、前年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したために、西側諸国や、日本がボイコットした。
2008年の北京大会も、中国の全体主義体制を宣伝するために行われたが、世界は中国がチベット、新疆ウィグル、内モンゴルを侵略して支配していることに、目を瞑った。
もし、オリンピックが『平和の祭典』であるのならば、平和愛好国のみが参加することを、許されるべきであろう。
北朝鮮は、核兵器とさまざまなミサイルを開発して、アメリカ、日本、韓国に露骨な威嚇を加えているのにかかわらず、ピョンチャン・オリンピック大会に、選手、美女応援団を派遣することを許され、韓国の文在寅大統領が北朝鮮の最高位の代表たちを招いて、手厚く歓待した。
安倍首相が国内の一部の反対を押し切って、開会式に出席したのは、正解だった。日本にとって韓国は日本に甘えてばかりいる、出来の悪い弟であるが、弟の慶事に当たっては、兄が参加するのは当然のことだ。兄の言い分をはっきりと伝えたのは、有益だった。
それにしても、北朝鮮による拉致問題は、解決の糸口も掴むことができないでいる。
安倍政権の「無策」を非難する声も、あがっている。
それだったら、いったいどのような方策を講じたら、よいのだろうか。
拉致問題は、建国以来犯罪的な「ならず者国家」であってきた、北朝鮮の責任である。
もう一つ、日本でまったく論じられないことがある。
拉致被害者たちは、日本国憲法の犠牲者である。
もし日本が講和条約によって、独立を回復してから、マッカーサー憲法を十数年以内に改正して、イギリスか、フランス並みの軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮のようにみすぼらしい小国によって侮られて、多くの日本国民が国内から次々と拉致されることは、ありえなかったことだ。
イギリスとフランスは、GDPがそれぞれ日本の半分しかないが、航空母艦も、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦も、保有している。両国は「専守防衛」といった、阿呆らしい寝言をいっていないが、誰もが平和愛好国だと認めている。
オリンピックが、けつして「平和の祭典」ではないことは、誰の目にも明らかだ。
多くの日本国民が日本国憲法を、「平和憲法」と呼んでいる。だが、自国の国民がそのために国内から拉致されても、「平和憲法」と呼び続けることができるのだろうか。
拉致被害者が日本国憲法の被害者だということに、目を覚ますべきだ。
このままゆけば、全国民がこの憲法の犠牲者になりかねない。
無関心でいられない 中東の危機
Date : 2018/03/08 (Thu)
昨年12月に、クリスティーズの美術オークションで、新しく発見され、レオナルド・ダヴィンチの作品だと鑑定された、イエス・キリストの肖像画が、過去最高額の4億5000万ドル(約500億円)で落札されて、世界的に話題を呼んだ。
海外メディアによれば、サウジアラビアのモハマド・ビン・サルマン皇太子が落札した可能性が高く、現在、隣国の首長国のアブダビの美術館に寄贈されて、所蔵されている。
日本におけるサウジアラビアのイメージといえば、灼熱の砂漠、駱駝と、石油マネーが唸る神秘的な国だが、アラビア半島が日本の天然ガスと石油のほとんどを、供給している。
昨年11月に、32歳のモハメド皇太子が、有力な王子グループを拘留して、国政を掌握した。これまでサウジアラビアでは政治が、王族たちの合議(コンセンサス)によって行われてきたから、クーデターだった。
逮捕されたプリンスたちは、首都リディアの贅をきわめるリッツ・ホテルから、一般客を追い出して幽閉されたが、1月に不正に蓄財したという数百億ドルが没収された後に、釈放された。
モハマド皇太子は石油に依存してきた経済から、2030年までに脱却して、近代国家を建設する目標を掲げている。
サウジアラビアは、もっとも保守的なイスラム国家だったが、改革を進めて、女性が目だけをだして黒衣で全身を覆い、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じ、戒律に従って映画館も、劇場もなかったのを、許すようになるという。大改革だ。
皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支援するアサド政権が勝ったことに、強い危機感に駆られたためといわれる。この直後に、内戦に陥っている隣国イエメンから、イランが操る反乱軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。
サウジアラビアはイランを天敵とするイスラエルと、かねてから裏で協力してきたが、ムハマド皇太子は事実上の同盟関係を結んだ。イスラエルは隣のレバノンで、イランが支援する民兵のヒズボラに脅かされている。
12月の皇太子による実権掌握は、あきらかにトランプ大統領の承認を受けたものだ。その前月、トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れたが、この時、夫君のクシュナー氏がリディアを訪れている。
皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。
私は性急な改革が、成功しないと思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が性急に改革を進めたために、イスラム保守派革命が起って、帝政が倒れた轍(てつ)を踏むのではないか。
2030年改革計画では、巨大な新都市をいくつも建設することになっているが、すでに資金調達が行き詰まるようになっている。昨年、サウジアラビアの経済成長率は、マイナス0.6%に陥った。毎年、人口が2%で増えてゆくのに、追いつかない。
先のダヴィンチの絵画は「サルバトル・ムンディ」(救世主)と題される聖画だが、イスラム教は人の像を描くことを固く禁じており、ましてイエスを神として認めていない。
サウジアラビアのイスラム僧をはじめとする宗教保守勢力が、一連の改革による脱イスラム化を、傍観するものだろうか。
私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったことがあった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、様相が一変する」と、語った。
アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2正面を、同時に守る軍事力を持っていない。
アメリカ軍が東アジアを留守にした時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができるのだろうか。
深川富岡八幡宮と東京大空襲
Date : 2018/03/07 (Wed)
江戸時代から人気が高かった深川祭り
旧臘――昨年12月に、深川富岡八幡宮の女性宮司が神社のわきで、前任者だった弟によって、惨殺される不祥事が起った。
江戸時代を代表する祭礼といえば、将軍家の庇護の下にあった日枝神社の山王祭りと、神田祭りが天下祭りといわれて、京都祇園祭り、大阪天神祭りと並んで、日本の三大祭りと呼ばれた。
日本の祭りに君臨していた天下祭りは幕府が滅び、街路事情によって曳山(ひきやま)が姿を消したために、江戸時代から人気が高かった浅草三社祭りと、富岡八幡宮の深川祭りによって、先を越されるようになった。
富岡八幡宮の祭神は、第15代応神天皇のオオトモワケノミコト、天照大御神をはじめとする八柱だが、応神天皇は母后の胎内にあった時に即位された、唯一人の天皇である。
伊能忠敬の銅像の由来
富岡八幡宮の鳥居を潜ると、江戸末期に全国を歩いて測量して、日本地図をつくった伊能忠敬の銅像が建っている。忠敬は千葉県九十九里浜の農家に生まれ、独学で天文学や、測量、和算を学び、55歳で富岡八幡宮から、全国測量の第一歩を踏み出した。
今年は、忠敬の没後200周年に当たることから、全国各地で記念行事が行われる。
私事になるが、私は忠敬の次女の篠女が加瀬佐兵衛に嫁いだことから、玄孫(やしゃご)に当たる。富岡八幡宮で伊能忠敬顕彰会に招かれて、忠敬について講演したこともある。
それにしても神職だったという弟が、姉を日本刀で斬殺したのを、信じられなかった。日本刀は神社に祀られて、ご神体にもなるものだ。鍛冶場に注連縄が張られているのを、知らなかったのだろうか。
国宝のなかでもっとも件数が多いのは、日本刀である。武器として使われることが少なかったから、優れた作品が多く残っている。日本刀は武器であるよりも、武士が邪気を祓い、礼節を保つために携えていたのだろう。
昨今の神職の教育に、問題があるのだろう。
だが、富岡八幡宮の神職が不祥事を起したといって、神社に傷がつくものではない。キリスト教会は大虐殺や、侵略戦争にかかわってきた。今年、フランシスコ現法王がペルーを訪れた時に、多くの司祭が少年に性的虐待を加えてきたことを謝罪したが、キリスト教の神に傷がつくわけではあるまい。
富岡八幡宮といえば、私にとって忘れられないことがある。
『週刊新潮』に50週にわたって連載
私は37歳の時に、『週刊新潮』に昭和20年元日から、マッカーサー元帥が昭和26年に解任されて離任するまで、昭和天皇を中心として、宮中、皇族、政府、軍中枢の動静を、当時の天皇の側近者をはじめ百数十人に、長時間インタビューを行って、50週にわたって連載したことがあった。
3月10日に東京大空襲が行われ、その直後の累計で8万3000人以上の市民が死亡すると、前年10月を最後に空襲を恐れて、皇居の外へ出られることがなかった天皇が、軍の強い反対を押し切って、被災地を視察されたことがあった。
軍は天皇が被爆地を見られて、抗戦の決意が揺らぐことを心配して反対したが、御巡幸は軍の決定事項ではないので、承知するほかなかった。
宮内省と軍が「御巡幸」の日時について打ち合わせを行い、18日の日曜日の午前9時から10時までの1時間が決定されたが、アメリカ軍は日曜日は休んでいるだろうという判断で選ばれ、午前9時から10時までは、それまでの統計で空襲がもっとも少なかった。
御料車を黒く塗りかえることも検討されたが、時間がなかったので取りやめになった。いつもであれば、沿道に1メートル置きに警官が並ぶのに、天皇であることが分からないように、警衛をできるだけ少なくすることにして、ところどころにしか立たなかった。交通の規制も行わず、前後60メートルだけが交通制限され、対向車も自由だった。
昭和天皇の御巡幸
御料車はボンネットに立つ天皇旗を外して、近衛将校が乗ったオートバイが、両脇に2台ずつ従って、蓮沼侍従武官長、藤田侍従長、松平宮相などの供奉員を乗せた車が3台続いて、時速36キロで疾駆した。
永代橋を渡って深川に入ると、見渡すかぎりの焼け跡だった。ところどころで、市民がトタン板でバラックを造り、瓦礫の整理をしていた。
鹵簿(ろぼ)は富岡八幡宮の焼け焦げた大鳥居の前で、停まった。
陸軍様式軍装を召された天皇が降りられると、待っていた大達内相の先導で、石畳を歩かれて、境内へ向かわれた。
拝殿は延焼を免れていた。陛下は軍帽を脱がれると、拝殿に向かってお辞儀をされた。拝殿の前に粗末な机が、1つ置かれていた。
天皇が机へ向かって立たれると、一面の焼け跡が一望に見渡せた。天皇の背後に、供奉員や、坂警視総監、都長官の西尾陸軍大将など、約20人が2列になって並んだ。
国民服を着た大達内相が、地図を鉛筆で指して、被害状況を御説明した。
陛下は大達の言葉が切れるたびに強く頷かれ、「あっ、そう」「それは、たいへんだったなあ」と、仰言った。
警官が神社を囲んで、一般市民は境内に入れなかった。しかし、被災民のなかには、巡査から陛下が御幸されていると聞いて、何人かが地面に崩れ落ちて、有難さに号泣した。
大達が説明を終えると、天皇は焼け野原にじっと見入って、「こんなに焼けたか‥‥」と、絶句された。天皇は大達に促されるようにして、御料車へ戻られた。
鹵簿は予定通りに、10時に皇居正門を潜った。幸いこのあいだ、空襲はなかった。
その後、陛下は敗戦まで皇居の外へ出られなかった。私は『週刊新潮』の連載にそう書かなかったが、昭和天皇はこの時に終戦を決意されたと、確信した。
富岡八幡宮の例大祭はなぜか8月15日
そして、江戸時代から富岡八幡宮の例大祭が、8月15日だったことを知っていたが、私はオカルトを信じなかったから、戦争が8月15日に終わったのは、偶然でしかないと思った。それとも、御神威によるものだったのだろうか。
軍は根こそぎ動員を進めていたが、国民全員を戦闘員とみなしていた。4月に、阿南惟幾陸軍大臣が布告した本土決戦のための「決戦訓」は、次のようにうたっていた。
「皇軍将兵は皇土を死守すべし。皇土は天皇在(ま)しまし、神霊鎮まり給ふの地なり。皇国将兵は一億戦友の先駆たるべし。一億同胞は総(すべ)て是(これ)皇国護持の戦友なり」
大本営陸軍部が同じ月に発した「国土決戦教令」は、必要な場合、軍が国民を殺すのに躊躇(ちゅうちょ)してはならないと、命じていた。
「敵ハ住民、婦女、老幼ヲ先頭ニ立テテ前進シ、我ガ戦意ノ消磨(しょうま)ヲ計ルコトアルベシ。斯(か)カル場合我ガ同胞ハ己(オノ)ガ生命ノ長キヲ希(こひねが)ハンヨリハ、皇国ノ戦捷(せんしょう)ヲ祈念シアルヲ信ジ、敵兵撃滅ニ躊躇スベカラズ」
いま、立憲民主党をはじめとする護憲勢力が、憲法解釈による「専守防衛」を金科玉条のように、頑なに守れと主張している。
「専守防衛」は、敵軍がわが領土を侵さないかぎり、迎撃することが許されないから、本土決戦を戦うことを強いている。いったい、枝野幸男氏たちは本土決戦が国民を道連れにして、いかに悲惨なものとなるか、考えたことがあるだろうか。
陸軍は本土決戦へ向けて、長野県松代の山を手掘りで巨大な洞窟を刳(く)り抜いて、大本営を移転することを、計画していた。私はこの跡を訪れたことがあるが、天皇皇后のために、半地下式の行(あん)在所(ざいしょ)も造られていた。
私は「専守防衛」を唱える論者に、松代大本営跡を見学することを勧めたい。
『週刊新潮』の連載は新潮社から単行本として出版されたが、3年前に『昭和天皇の戦い』(勉誠出版)として、復刻された。
眞子内親王殿下と秋篠宮家の蹉跌
Date : 2018/02/26 (Mon)
憲法第24条に従って
宮内庁が2月6日に、秋篠宮家の長女の眞子内親王殿下と、小室圭氏の婚儀を2020年に延期すると唐突に発表して、国民を驚かせた時に、私は「やはり、そうなったのか」と、思った。
眞子内親王殿下と小室氏の一般なら結納に当たる「納采(のうさい)の儀」が、1ヶ月にみたない翌月の4日に、予定されていた。まさに、悲喜劇だった。
私は眞子内親王殿下が、小室氏と2人で昨年9月3日に記者会見を行われた時に、日本と皇室の将来が危ふいと思って、暗然として、言葉を失った。
眞子内親王殿下が「婚約が内定いたしましたことを、誠にうれしく思っております。(略)プロポーズは、その場でお受けしました」と述べられ、小室氏が悪びれることなく、「2013年12月に、私から宮さまに『将来結婚しましよう』というように申し上げました」と補足した時に、私は一瞬、テレビの映像を信じることができなかった。
眞子内親王殿下と小室氏は、秋篠宮殿下にも、宮内庁にもはかることなく、あきらかに2人だけのあいだで、結婚を決めたのだった。
ひと昔、4、50年前だったとしたら、2人が駆け落ちしたのだった。
私はあってはならないことが、起ったと思って、強い衝撃を受けた。
現行憲法の第24条「【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】」は、第1項で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」(傍点筆者)と、規定している。
内親王殿下と小室氏の若い2人は、憲法第24条に従って、行動したのだった。
これは、アメリカ占領軍が、家族制度が日本の危険な国家主義の基礎となっていると信じて、日本の伝統社会をつくり変えようとして、家族制度を破壊するために、定めたものだった。
私は昨年9月に、2人の記者会見のなかで、小室氏が「(私の)好きな言葉は、”Let it be”です」と述べたのにも、唖然とした。
英語で「レット・イット・ビー」というと、「なるように、なれ」という、自暴自棄な態度を意味している。
もっとも、小室氏の英語の能力が低く、英語がよく分からないことを、祈りたい。
それに、メディアの報道によれば、小室氏は法律事務所の下働きをしており、年収が250万円というが、それに近いのだろう。真剣になって、皇女に求婚したととうてい思えない。
もっとも、今日、国民のあいだでも、家族の絆が弱まって、「家」の観念が失われるようになっている。
やはり、天皇家も時代の高波によって、侵蝕されるようになっているのだろうか。
家族の解体
皇室といえば、『君が代』を連想しよう。
和歌君が代は、おそらく世界のなかで、今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝い歌であろう。
『君が代』の歌詞は、1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民を含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。
明治に入って、西洋に倣って、国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。
同じ寿歌(ほぎうた)が1100年以上にもわたって、唄い続けられている国は、世界のなかで日本しかない。古い伝統を大事にしてきた国柄を、示している。
おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものだろう。
結婚するから、家――あるいは家族(ファミリー)が絶えることなく、人類が存続でき、未来を確かなものにすることができることを、理屈抜きで、知っているからだろう。
ところが、今日では結婚は、男女2人の一過性の快楽を求めるために行われる、ごく軽い結びつきに、変わってしまっている。
現行憲法の規定によれば、親や兄弟や、一族は、2人の結婚とかかわりがなく、2人の結婚に干渉してはならないことと、されている。
2人が家を継いでゆくために、結ばれることが、なくなってしまった。
だが、家族(ファミリー)が解体してしまったら、国も崩壊してしまう。
もっとも、家族の解体は、日本だけの現象ではない。
同じ立憲君主制度をとっているイギリスの王室も、同じような状況に陥っている。
昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が発表され、日本のマスコミも騒がした。
マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、5年前の2013年に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教会から独立して以来、激しく敵対していた。
マークルさんには、1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロデューサーが健在であることも、妨げにならなかった。
また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも、ハリー王子との婚約の障害にならなかった。だが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。
チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が、白人の有色人種に対する絶対的な優位を確信して、有色人種を動物のように見て、植民地支配を行っていたことを、正当化していた。
日本が先の大戦によって、まずアジアを解放し、その高い波がアフリカ大陸まで洗ったことによって、今日の人種平等が常識となった世界が、もたらされたのだった。
ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。
王家の尊厳
私はイギリス発祥の『ブリタニカ(大英)百科事典』の最初の外国語版となった、日本語版の初代編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティで、お話する役目を割り振られたことがあった。
だが、マークル妃と会っても、同じように敬意を払えないと思う。
エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できるファミリーは、200あまりしかなかったろうが、この40年ほどのあいだに、社会の大衆化が進んだことによって、社会規範が大きく変わった。
ハリー王子の父君のチャーチル皇太子が、ダイアナ妃と結婚したのは、1981年だったが、ダイアナ妃は下級の貴族の出身だったから、国民を驚かせ、イギリス社会を“シンデレラ・ストーリー”として、沸かせた。
開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して、王室らしくなくなる。
王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。
その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された。
それに、ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても、貧しかった。
そのために、家族や地域社会の人々が、生活を支え合った。
ところが、物質的な豊かさが、急速にもたらされたことによって、人類にとって当然のことだった、家族をはじめとする絆を弱めて、破壊してしまった。
子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。 世界のどこへ行っても、結婚は今日のように一時的な快楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だった。
結婚は責任をともない、自制と節度を必要とした。もちろん、人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。
皇室も、社会の一部だから、皇室が社会のなかで、孤立しているわけではない。
皇室も、王室も、その時々の社会のありかたを映す、鏡である。
どの国も、皇太子をその時の男性の理想像に合わせて、教育する。
昭和天皇はご幼少のころから、明治時代の日本の男性の理想像に合わせた教育を、受けられた。そのために、ご生涯を通じて、国民の憧れの対象となり、国民が熱い崇敬の念を捧げた。
今上陛下も、東宮殿下も、日本国民がその時々にいだいていた、男性の理想像を体現されていらっしゃる。
眞子内親王殿下も、今日の日本国民の姿を映す鏡となって、いられるのだ。
すると、いったい、私たちに眞子内親王殿下を批判する資格が、あるのだろうか。
アメリカ国民はトランプ支持? マスコミは“トランプ憎し”の偏向報道
Date : 2018/02/22 (Thu)
日本のテレビの報道を見ていると、トランプ大統領がすぐにでも弾劾されて、罷免されてしまうような印象を受ける。
トランプ大統領は粗暴で思慮を欠き、大統領としてまったく不適格で、大多数のアメリカ国民から鼻摘み者になっているという、薄っぺらなイメージをつくりだしているが、まったく事実と駆け離れているのではないか。
11月に上院議員の3分の1、下院議員全員が改選される中間選挙を行われるが、私は蓋をあけると、トランプが支持されて、共和党が両院で過半数を握り続ける可能性のほうが、高いと思う。
もちろん11月まで、まだ半年以上あるから、何が起るか分からないし、両院で多くの共和党の有力議員が引退するから、民主党に有利に働くという見方もある。現状では、トランプ大統領に対する支持が、民主党を大きく上回っていると思う。
アメリカ経済が順調に上向いている。国内雇用を積極的に創出するわきで、オバマ時代の多くの規制を撤廃しつつあることも、功を奏している。
株価は2月に一時急落したが、上昇している。結局のところ、有権者は懐具合(ふところぐあい)で判断する。
民主党は有権者に訴えるような、政策を持ち合わせていない。困ったことに、トランプ大統領が本来であれば、民主党が得意技としてきた、大規模な公共投資と雇用の創出をはじめとする、金看板の綱領を奪ってしまった。
トランプ大統領は1兆5000億ドルのインフラ投資を打ち出したが、かつてのルーズベルト大統領の『ニューディール政策』を、思い出させる。2年前の大統領選挙では、ラスト・ベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれる、停滞した工業都市のプア・ホワイトや、失業者が、トランプに票を投じた。
巨大労組は伝統的に民主党を支持してきたが、先の大統領選挙では“労働貴族”と呼ばれる組合幹部が、ヒラリー夫人に票を投じたかたわら、組合員の大多数がトランプの側にまわった。
トランプ大統領は、歴代の大統領が大手新聞や、テレビを通じて、国民に呼びかけたのに対して、ツイッターを使っている。アメリカでも、日本でも、若者の新聞、大手テレビ離れが急速に進んでおり、トランプのツイッターは3000万人以上が読んでいる。
短いツイッターを乱発することに、批判があるが、北朝鮮と中国を締めあげるのに、大きな効果をもたらしている。北朝鮮が平昌オリンピックに当たって、韓国に対して和平攻勢をかけるようになったのも、トランプのツイッターが効いているとみるべきだ。
日本の大手新聞、テレビは、アメリカの大手新聞、テレビが、先の大統領選挙でヒラリー夫人を支持して、惨敗したために、“トランプ憎し”の偏向報道にうつつを抜かしているのを、猿真似している。
日本の新聞、テレビのワシントン特派員の大半は、例外があるものの、英語を満足に話し聞きできない者がポストとして赴任して、ポストだから4年あまりで交替してしまう。
これでは、人脈をつくることもできない。現地の新聞や、テレビが主な取材源となる。
もっとも、日本の大手新聞、テレビは日本国内でも、“護憲”をはじめとして、思い込みが激しいために、報道が偏向しているから、仕方がないのだろう。
イギリス王室に見る尊厳と大衆化の相克
Date : 2018/02/07 (Wed)
和歌「君が代」は、おそらく世界で今日まで歌い継がれている、もっとも古い祝歌であろう。
1000首以上を収録している、『古今和歌集』(西暦905年)に載っているが、もとの歌は「わが君は千代に八千代に‥‥」と始まっており、庶民も含めて、婚礼をはじめとする祝賀の宴で、祝われる者の長寿を願って、朗唱されてきた。 明治に入って、西洋に倣って国歌が制定されると、「わが君」を「君が代」に置き換えた。
私は『君が代』を斉唱するたびに、心が高揚する。
おそらく人類の祝い事のなかで、世界のどこにおいても、結婚がもっとも寿(ことほ)がれるものだろう。結婚するから、人類が存続でき、未来を手にすることができることを、理屈抜きで知っているからだろう。
昨年11月に、イギリスのヘンリー王子(イギリスでは、ハリー王子の愛称で呼ばれる)と、美しいアメリカ女優のメーガン・マークルさんの婚約が発表され、日本のマスコミも騒がした。
マークルさんはカトリック(旧)教徒だが、2人の婚約はイギリスで王族がカトリック教徒と結婚することを禁じた王位継承法が、2013年に改正されたことによって、可能になった。イギリス国教会は中世にカトリック教会から独立して以来、敵対していた。
マークルさんには1回、離婚経験があり、前夫のハリウッド映画プロデューサーが健在であることも、妨げにならなかった。
また、マークルさんの母親がアフリカ系の黒人であることも障害にならなかったが、5、60年前のイギリスであったら、考えられなかったことだった。
チャーチル元首相をはじめ、国民のほぼ全員が白人の優位を確信し、劣る有色人種を植民地支配していたことを、正当化していた。日本が先の大戦でアジアを解放し、その高波がアフリカまで洗ったことによって、人種平等の世界がもたらされたのだった。
ハリー王子とマークルさんの2人の幸せを、祈りたい。
もっとも、私はイギリス発祥の『ブリタニカ大百科事典』の最初の外国語版の編集長をつとめていたことから、エリザベス女王の妹君のマーガレット王女が来日された時に、大使館主催の歓迎パーティでお話する機会があったが、マークル妃と会って、同じように敬意を払えないと思う。
エリザベス女王がフィリップ殿下と結婚された時には、王族が結婚できるファミリーは200あまりしかなかったろうが、この40年のあいだに、社会規範が大きく変わった。
ハリー王子の父君のチャーチル皇太子がダイアナ妃と結婚したのは1981年だったが、ダイアナ妃は下級貴族の出身だったから、イギリス社会が“シンデレラ・ストーリー”として沸くかたわら、驚かせた。
開かれた王室は、大衆の手の届くところに降りてくるから、大衆化して王室らしくなくなる。王家という家を基準とせずに、自分本位の自由恋愛によって、配偶者を選ぶことになると、王家を支える尊厳が失われてしまう。
その家にふさわしい配偶者ではなく、自分本位に自由に相手を選ぶことによって、結婚と家が切り離された。
ついこのあいだまで、世界はどこへ行っても貧しかった。そのために家族や、地域社会の人々が生活を支え合ったが、物質的な豊かさがもたらされたことによって、人類にとって当然のことだった絆を、破壊してしまった。
子育て支援や、生活保護などの福祉制度も、このような傾向を助長している。
結婚は今日のように悦楽ではなく、家や、社会に対する務めであって、神聖な行為だったから責任をともない、自制と節度を必要とした。人類を存続させるためという、暗黙の了解があったにちがいない。
明治維新150周年に当たって想う
Date : 2018/01/31 (Wed)
近代日本の出発点を学ぼう
今年は明治維新から150年になることから、政府が「明治維新150周年」を祝うことになっている。
それなのに、国民のなかに明治維新150周年を祝うことに、反対する声が聞かれない。
これは感慨深いことだ。日本国民がようやく明治維新を祝うようになったのだ。
明治維新は先人たちが行った偉業だった。日本がやっと立ち直りつつある。
今日では明治維新が行われたからこそ、日本が貪欲な西洋列強の餌食になることなく、独立を全うして近代国家として発展することができたことに、異論を唱える者はいまい。
今から50年前の昭和43(1968)年に、明治維新100年が巡ってきた。
ところが、50年前の日本では、政府はもちろん、民間にも維新100周年を祝う気運がまったくなかった。100周年を話題にすることもなかった。日本は朦朧としていた。
昭和43年には、日本が国民総生産(GNP)でアメリカに次ぐ、世界第2位の経済大国になったというのに、6月に東大医学部学生が東大安田講堂を占拠して、機動隊が出動し(翌年、大規模な安田講堂占拠事件が発生)、10月に学生が新宿駅を占拠し、11月に4000人以上の学生が安保粉砕を叫んで、首相官邸に乱入した。大学紛争が全国の115校の大学に波及した。
そのわきで大手新聞が、2年後に迫った日米安保条約改定へ向けて、60年安保騒動が再現されることを期待して、「70年危機」を煽っていた。
国家の自立意識の欠如
この年にはすでに敗戦からほぼ半世紀、独立を回復してから15年もたっていたのに、アメリカによる占領によって蒙った深い傷から、立ち直ることができなかった。国家意識を喪失してしまっていたために、国民が明治維新が紡いだ輝かしい歴史を、思い遣ることができなかった。
昭和43年から半世紀が過ぎて、いま、ようやく占領憲法の改正の是非が問われ、国論を二分するようになっている。それでも現行憲法を改正できるのか、まだ前途は険しい。
人は頭部に酷い外傷を負わされたり、異常体験をすると、自分が何者か分からなくなる記憶喪失に陥ることがあるという。今日の日本でも、日本がどのような国であってきたか、はたして国家なのか、分からない者が多い。
自尊こそが大切だ 世界史を振り返ると、このように国家が記憶を喪失する症状を患った例は、日本の他にない。私にはなぜ日本がこのような状態に、いまだに陥っているのか、説明することができない。読者諸賢に教えを乞いたい。
日本国民は敗戦から今日まで、人であれば正常な人間関係――国家として正常な国際関係を結ぶことが困難な自閉症を、病むようになっている。国の存立を危ふくするものだ。1日も早く癒さなければならない。
自閉症は正しくは早期幼児自閉症と呼ばれ、この症状を患っている者は、言語障害をともなうが、自己のみに関心が集中し、自分を責めたてて、自立することができない。
マッカーサーの暴言はいまでも正しいのか 昭和21年に、マッカーサー元帥が「日本国民は12歳だ」と発言したことが、総司令部の指示によって、当時の日本の新聞に大きく報じられている。いまでも日本のなかで護憲派が国家の安全をひたすらアメリカに委ねて、自国に対して成人としての責任を果すことを頑なに拒んでいる。
きっと、昭和21年ごろから幼児性の疾患を病んで、歳をとることがないのだろう。
日本国憲法は大多数の日本国民によって、「平和憲法」と呼ばれて親しまれてきたが、先の戦争後の日本の平和は、アメリカの軍事力によって守られてきた。この憲法はアメリカの保護なしに、成り立たない。「“アメリカの力による平和”憲法」と、呼ぶべきである。
成人の日の意義を考えよう
今年も1月8日に、『成人の日』が巡ってきた。『成人の日』は占領下で、昭和23年に制定された。
テレビが日本各地で、『成人の日』の式典が賑々しく行われたことを報じた。しかし、日本は国として、まだ「成人の日」を祝うことができないでいる。いつになったら、「成人の日」を迎えることができるのだろうか。
昨年11月に、都内の名門私立大学の国士舘大学において、建学100周年を記念して「『東京裁判』シンポジウム」が催された。
櫻井よしこ氏、西修駒澤大学名誉教授、高橋史朗明星大学特別教授と、私が招かれて討論が行われた。櫻井氏、西氏、高橋氏は、私が敬愛してやまない学識者である。私はシンポジウムから、多くを学んだ。
午前と午後にわたったシンポジウムは、それぞれ30分講演した後に、パネル討論が行われて、東京裁判と、もう1つの占領政策の柱だった「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」が、日本国民の精神をいかに歪めてきたか、追及した。
東京裁判は国際法を、無惨に踏み躙ったものだった。占領軍が行った言論統制と、「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」は、言論の自由を約束したポツダム宣言に、大きく違反するものだった。
私はパネル討論が終わる寸前だったが、どうしても1つ訊ねたいことがあった。
司会をつとめた国士舘大学法学部のS教授に、「1つお伺いしたいことがある」と前置きして、「28年後に先の戦争が終わってから、100周年になりますが、アメリカが行った東京裁判と『ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム』によって、日本が惨めな状況に置かれているというシンポジウムを、また行うことになるでしようか?」と、質問した。
S教授は答えなかった。私はこのシンポジウムに参加することを求められた時に、戦後72年もたつのに、まだ東京裁判を日本が直面する問題として取り上げることに、忸怩たるものがあった。
東京裁判は無法な復讐劇 東京裁判は無法な復讐劇だったし、アメリカの占領政策は復讐心と、当時のアメリカを支配していた白人優位信仰に基く傲りから、日本が野蛮国だときめつけた偏見が生んだものだった。
そこで、独立を回復してから15年か、20年以内に、アメリカが占領下で行ったことが蛮行であったと総括して、アメリカを赦すかたわら、日本が独立国として誇りを取り戻すべきだった。
真の独立国を目指そう
私は日本が独り立ちできない咎を、いまだにアメリカの占領政策に負わせるのは、異常なことだと思う。
これでは、韓国が72年も前に終わった「日帝時代」について、日本をいまだに執拗に非難しているのと、変わらないのではないか。このために、韓国は自立できないでいる。日本と韓国は、似ているところがあるのか、訝らざるをえない。
もちろん、過去に遡って、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」を検証することは、近現代史研究の一環として有意義なことであることは、いうまでもない。だが、東京裁判をはじめとする、アメリカの対日占領政策は、学問的な研究の対象にとどめるべきだ。
独立国は自立していなければならない
戦後70年以上もわたって、東京裁判と「ウォア・ギルト・インフォメーション・プログラム」を、日本を病ませている大きな要因として取り上げるより、なぜ、日本がいまだに対日占領から立ち直ることができないのか、いったい日本の民族性のどこに、脆弱なところがあるのか、考えたい。
日本が明治に開国してから、今日の人種平等の世界を創出したことによって、世界のありかたを大きく変えたことを踏まえたうえで、今後、日本が有力な独立国として、さらに世界にどのように貢献できるものか、考えるべきであろう。
日本国憲法の原文は英語 翻訳憲法が導いた東アジアの不安定さ
2018/01/22 (Mon)
過ぎ去った歴史に「もし、そうだったら」(イフ)を問うことは、けつして無益ではないと思う。貴重な教訓を学ぶことができるはずだ。
今年は日本国憲法が制定されてから、71年目になる。
現行憲法が占領下で強要されたことは、原文が英語であることから、明らかだ。いったい、どこの国の憲法の原文が外国語によって、書かれているものだろうか。
異常なことだ。私は日本が独立を回復してから、今日まで後生大事に墨守してきた現行憲法を、「翻訳憲法」と呼んできた。
現行憲法はマスコミや日本国民の大多数によって、「平和憲法」と呼ばれて親しまれてきた。
だが、世界の歴史が記録されるようになってから、軍事的空白が生まれると、かならず周辺の勢力によって埋められることを、教えている。原文が占領者の国語である英語によって書かれた現行憲法は、日本に非武装を強いたが、アメリカが軍事的空白を埋めてきた。「平和憲法」と呼ぶのは、誤まっている。正しく呼べば、「“アメリカの力による平和”憲法」なのだ。それを、“日本国民の精神がもたらす平和”だと思い込んできたとしたら、何と愚かなことだろうか。
新年に当たって、神社や寺を詣でて「家内安全」の護符を貰ったからといって、戸締りをいっさいしなくて、すむわけがない。「息災」は仏の力によって、災害を消滅させることを意味するが、現行憲法の前文と第九条は、一片のお札にしかすぎない。
では、これまでの70年を振り返って、「イフ」を問うてみたい。
まず、もし、アメリカが71年前に、日本を完全に非武装化した現行憲法を強要するかわりに、第1次大戦に敗れたドイツに強いたベルサイユ条約のように、軍備に制限を加えるのにとどめたとしたら、占領下にあった日本政府が軍備を完全に放棄するという、突飛な発想を持つはずがなかった。
1947年5月に日本国憲法が施行されたが、朝鮮戦争がその僅か3年1ヶ月後に勃発したために、アメリカも、マッカーサー元帥も、日本に非武装を強いる憲法を与えるべきでなかったと悔いた。もっとも、占領軍は絶対に正しいことを装っていたから、過ちを認めるはずがなかった。
もう一つの「イフ」は、もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復してから、「マッカーサー憲法」を改正して、イギリスか、フランス並みの軍備を整えていたとしたら、今日のように北朝鮮や、韓国、中国から侮られることが、なかったはずだ。
イギリスと、フランスは経済規模を示すGDPで、それぞれ日本の半分しかない。両国は航空母艦と、核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を保有している。両国が平和愛好国であることは、いうまでもない。
日本がもしイギリス、フランス並みの軍備を整えていたとすれば、北朝鮮が日本列島をミサイルの試射場がわりに使い、中国が傍若無人に尖閣諸島を奪取しようとすることがなかった。
日本がアメリカの軍事力にひたすら縋って、“専守防衛”を国是としてきたことが、軍事的空白をつくりだして、今日、東アジアを不安定な状況に陥れている。一日も早く“翻訳憲法”の妖夢から、醒めなければならない。
心のお洒落を大切にしよう
2018/01/15 (Mon)
私は12月に、81歳の誕生日を迎えた。
人は誰も計画して、歳をとることがない。計画外だから、その準備がない。 「半」という字を解くと、81になる。
私は半寿になって、幸いなことに、いまだに半端な人生を送っている。半端者だから、いまからも将来がある。
未完成だから、まだ若いのだ。完成していないのを、感謝しなければならない。人生を完成させたいという目標がある。
昨年も、親しい友人たちが160人ほど、私をからかうためにホテル・オークラに集まって、誕生日を賑々しく祝ってくれた。
いまから20年前になるが、新聞・出版界の業界紙『文化通信』から頼まれて、私の物書きとしての半生記の連載を書いた。その時に、「私の半成記」という題をつけたところ、読者から「『半生』の間違いではないか」という、お叱りを頂戴した。
俳壇に「半成句」という言葉があるし、森鷗外が小説『花子』のなかで、「半成記」と書いている。
私はこの歳になっても、まだ半成だ。毎日、努力するのが楽しい。
昨年、私は3冊の著書を発表した。例年とかわらずに、ワシントンに2回通った。自由業というのは、他人様が私を自由に使ってくれるからだ。だから忙しい。
昨年、嬉しかったのは、防衛費が5兆円を超えるようになったことだ。いや、1日も早く、10兆、20兆円台に乗せてほしい。
その次に嬉しかったのは、中島兄哥がはじめて馴染の赤坂のクラブに、連れていってくれたことだ。マダムが見惚れるように美しく、竜宮城を訪れたような、時が過ぎるのを忘れる体験だった。兄貴のカラオケをたっぷり聴かされたのも、楽しかった。
マダムが華やかななかに、女にとっても男にとっても、心のお洒落(しゃれ)が大切なことを教えてくれた。
昨秋、この10年、空手道5段だったが、6段に昇段した。宗家から允許状を手渡されて、文武・質実剛健・粗衣粗食を旨として生きてきただけに、身が引き締まる思いがした。
そういえば、今年は政府が「明治維新150周年」を祝うという。
日本が150年前に、西洋の植民地主義列強の毒牙から独立を守るために、明治維新を断行して、ごく短時間のうちに、見事に白人の強国と並ぶことに成功したのは、国民が文武両道を重んじたからだった。
新憲法下で11月3日の「明治節」が、「文化の日」となったが、今年から「文武の日」に改めてほしい。
戦後の復興期だったから仕方がなかったが、使い捨てできる軽便安価のものを、「文化住宅」「文化包丁」「文化マッチ」「文化人」と呼んだものだった。私は市販されている『文化人手帳』に名が載った時に憤慨したが、無視されるよりも、悪口をいわれるほうがよいと思い直して、我慢した。
健康が人生で大切なものの1つといったら、誰も異論がないだろう。ところが、仕事や、勉強については「攻める」べきものというが、なぜか、健康となると、「守る」「維持する」ものとなっている。
健康を重んじるのであれば、健康こそ、「攻めるべきもの」ではないだろうか。
人生を「苦」だと、思ってはならない。私は人生を「遊び」だとみなしてきた。
誰にとっても、幼い日の体験は珠玉のようなものだが、あのころは遊びと一体になっていた。私にとってこれまで仕事は、いつだって「遊び」であってきた。
私は「幸福を求める大罪」があると、信じてきた。
幸せは努力した結果として、もたらされるものだ。
戦前の人々は「愛している」などと、卑猥なことを、口にしなかった。昨今の男女は「愛している」と、心にないことを連発するが、妻や子たちからたったひとこと、「ありがとう」といわれるほうが、真心が籠っている。
感謝しあうほど、心と心との絆を強めることはない。
こんなことをいう私も、明治の御代(みよ)に入ってから、半髪(はんぱつ)と呼ばれたが、断髪するのを拒んで、髷(まげ)を切らなかった男のようなものかもしれない。
あの時代にも、「半髪頭を叩いてみれば、因循(いんじゅん)(古い習慣に凝り固まる)姑息(こそく)の音がする」と、揶揄(やゆ)されたものだったが、軽佻浮薄(けいちょうふはく)な文化人であるよりも、因循でいたい。
作年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。
私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。
「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。
私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。
11月に、昨年3冊目となった『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。
日本で流行神について、もっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。 「希望」とか、「愛」とか、「平和」という言葉を、軽々しく使ってはなるまい。 (中島繁治氏は日大OB誌『熟年ニュース』主催者
国民を教唆扇動するテレビの「ワイドショー」
2018/01/10 (Wed)
昨年、いくつか私は暗然としたことがあった。
1つは神奈川県座間市で起った、9人が犠牲となった連続殺人事件だった。
日本を震駭させた事件だった。何日にもわたって、テレビのどのチャンネルを回しても、視聴者の好奇心を満たすために、この猟奇的な事件ばかり取り上げていた。
あそこまで微に入り細に入り、詳細に報道する必要があるのか。
日本では、テレビの「ワイドショー」が花形のニュース番組となっているが、ニュースを客観的に伝え、分析する番組であるよりも、娯楽番組仕立てとなっている。
キャスターを中心に、ニュースについて専門知識がないシロウトが、レギュラーの出演者として並んで、思いつきを喋りまくる。
中国や北朝鮮で、人を裁く資格がない村民を集めて行う人民裁判を、彷彿させるものだ。
連続殺人事件の犠牲者の9人のうち8人が、1人の未成年者を含めて未婚の女性だった。
だが、どの番組を観ても、未婚の若い女性が面識がない男性に誘われて、それも男の住居まで出掛けたことを、批判する声がまったくなかった。
つい3、40年前だったら、このような女性は「ふしだら」とか、「あばずれ」といって、強く非難されたことだろう。もし私がテレビに出演したとしたら、そういったはずだ。
もっとも、今日では娘が「ふしだら」だとか、「あばずれ」というような言葉は、死語となっているから、犠牲者にはそのような自覚がなかったにちがいない。
このような言葉を死語にした社会は、狂っている。
もちろん、凄惨な連続殺人を犯した兇悪な犯人は、厳罰に処せられるべきだ。だが、今日の社会が、8人の娘たちを殺したのではなかっただろうか。
テレビ局がこのような社会をつくったというのに、反省することがまったくない。
「アディーレ」という法律事務所が、不正を働いたといって、弁護士資格を停止された。
私はこの法律事務所について知らなかったが、毎日のようにテレビがCMを流していたので、法律事務所が外国名だったのが当世風かと思って、記憶に残っていた。
だが、この法律事務所の大多数の顧客が、テレビが流していたCMによって勧誘されたのだから、当然、テレビ局にも責任があったはずだ。テレビ局はCMを流したことを、ひとことも陳謝することがなかった。CMをただ放映すればよいというものではあるまい。テレビ局は破廉恥だ。
10月22日の総選挙で、俄かづくりの立憲民主党が大量得票して、野党第1党に躍り出た。
東京比例区では、自民党に180万票台投じられたのに対して、立憲民主党は140万票台を獲得した。
立憲民主党は、日本国憲法の「専守防衛」の制約を守るべきだと、公約として掲げていた。「専守防衛」では、日本を守れない。
2020年の東京オリンピック大会で、野球が種目となった。もちろん、日本チームも出場するが、胸に日の丸を縫い取った日本チームは、憲法解釈による「専守防衛」という束縛によって、攻撃することを許されず、守備に専念しなければならない。
日本チームの打者はバットを持たずに、ピッチャーと向かい合う。
バットを持つことを禁じられているから、はじめからゲームを放棄するようなものだ。「専守防衛」も同じことだ。野球界だけではなく、世界に通用しない。
テレビでは、「専守防衛では、日本を守れない、日本国憲法はおかしい」と発言することは、許されない。
新聞に休刊日があるが、テレビも毎月何日か、放映を休んでほしい。
この国を洗濯致し度候
Date : 2018/01/04 (Thu)
平成29(2017)年は、「希望の党」が演じた慌(あわただ)しい滑稽劇(ドタバタ)によって、忘れられない年となった。
私は小池百合子都知事が国政に乗り出すのに当たって、自分の政党を「希望の党」と命名した時に、「ああ、これはもう駄目だ」と思った。
「希望」の「希」は、「ごく稀」「すくない」「珍しい」という意味である。「希薄」「希有」「希少」「希覯(きこう)」(めったに出会えない)というではないか。「希望」はめったに実現することがない望みであって、安直に口にすべき言葉ではないのだ。
10月22日の総選挙の投票日は、日本列島を超大型といわれた台風が襲った。
昨年は明治元年から数えて、150年目に当たった。
当日、私は雨がすべてを洗うように降るのを見て、幕末の志士の坂本龍馬が姉の乙女に宛てて、「この国を洗濯致し度候」と、手紙を認めたのを思い出して、天が安倍政権を大勝させて、憲法を改正することによって、日本を洗濯することになるのだと、思った。
自民党が圧勝した。私は安倍首相が70年も待たれた「日本の洗濯屋」になることを、祈った。
昨年、私は3冊の本を発表した。11月はじめに、『小池百合子氏は流行神(はやりがみ)だったのか』(勉誠出版)が店頭に並んだが、投票日の前に印刷に入ったので、題名は「希望の党」が失速することを見込んだものだった。
私は先の都議会議員選挙で「都民ファーストの会」が圧勝した時に、流行神のような一過性のものになると確信した。
日本で流行神についてもっとも古い記録といえば、『日本書紀』のなかに登場する。あのころから、日本では空しい一過性のブームが、繰り返し起ってきた。いまなら「風が吹く」というのだろう。詳しくは、拙著をお読みいただきたい。
北のミサイル脅威の最大の原因は何か
12月4日の午前9時から、TBSテレビの『腹が立ったニュース・ランキング2017』という番組を観ていたら、第1位は「北のミサイル脅威」だった。
通行人の中年の男性がインタビューに答えて、「北朝鮮がボンボン、ミサイルを撃っているけど、日本政府は何かできないんですかね?」と、ぼやいていた。
いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。
日本がある東アジアは、無秩序状態(アナーキー)にある。
いったい、東アジアをこのような無秩序状態にした、最大の原因は何だろうか。
日本国憲法が災いをもたらした
日本国憲法だ。もし日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”を改正して、日本の経済規模の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたとしたら、弱小国にすぎない北朝鮮によって、ここまで侮られることがなかった。
イギリスとフランスのGDPを足すと、ちょうど日本と並ぶ。両国は核武装しており、それぞれ空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも、平和愛好国であることはいうまでもない。
もし、日本がイギリス、フランス並みの軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。
そして、中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、重武装した海警船によって、連日、包囲することもなかったろう。
平和憲法はまじないにしかすぎない
きっと、枝野幸男氏たちの立憲民主党を支持した、「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第9条が日本の平和を守ってきたと、信じていることだろう。
だが、「平和憲法」という呪(まじな)いが、日本を守ってきたはずがない。「平和憲法」を信仰している善男善女は認めたくないだろうが、戦後、日本を守ってきたのは、一貫してアメリカの軍事力であり、日米安保体制だった。
もし、日米安保体制がなかったら、韓国が竹島だけでなく、対馬も盗んでいただろうし、中国が尖閣諸島を奪っていたことだろう。ロシアが北方領土だけで、満足しただろうか。
私は「良識」を信じない
私は日本の「良識」を、まったく信じない。
私はいまから40年前に、『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版)を著した。韓国に通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにしたものだった。
私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝鮮研究者から、この本によって触発されて北朝鮮に関心を持ったと聞かされた。
私がこの本を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする大新聞や、著名な人士が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃していた。 朝日新聞が、この年に『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜きん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」という見出しが、続いていた。
「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、いまなら籠池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。
金日成主席を礼さんした人々
1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの国」と呼んで、絶賛した。
「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々のためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)
1976年に、小田実氏が訪朝して金日成主席と会見して、「『北朝鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)と、書いている。当時、小田氏は日本の青年男女の寵児(ちょうじ)だった。
私は北朝鮮を絶賛した、多くの人々の発言をいくらでも引用することができるが、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。
読者はつい15年前まで、NHKから大手のテレビ局までが、北朝鮮に言及する時に「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかったことを、憶えておられよう。
当時、私はもし正式国名で呼ばなければ良識に反するのなら、どうしてドイツを「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシアを「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。ドイツも、イギリスも、ギリシアも、もとにない日本語なのだ。
中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時に、日本中が「日中友好」の大合唱に酔い痴れていた。
私は「『子子孫孫までの友好』のような戯言(たわごと)に惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日中友好」が、その時の「良識」だった。 「文化の日」を「文武の日」にしよう
北朝鮮を正式国名を呼ばなければならないという不思議なきまりは、2002年に小泉首相が訪朝して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めると、国民のあいだで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えてしまった。
日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪をつくりだしたのだ。
今年は、政府が「明治維新100周年」を祝うという。
明治の日本が近代国家を造ることができたのは、日本国民が文武両道を重んじて、「富国強兵」に取り組んだからだった。
戦後、「明治節」は、「文化の日」と呼ばれる休日となっている。今年から、「文武の日」に改めてほしい。
東アジアを無秩序状態にしたのは日本国憲法である
Date : 2018/01/04 (Thu)
北朝鮮が日本の安全を脅かし、国民をうろたえさせている。
だが、北朝鮮は人口僅か2千数百万人、経済が完全に破綻した弱小国でしかない。
いつ、北朝鮮危機が爆発するか分らない。日本がある東アジアは、無秩序状態にある。
昨年10月の総選挙で立憲民主党や、日本共産党、社民党に投票した「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第九条が日本の平和を守ってきたと信じていよう。
だが、東アジアをこのような無秩序状態にした最大の原因は、何だろうか。
日本国憲法である。もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した後に“マッカーサー憲法”を改正して、日本より経済規模(GDP)が半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたら、弱小国にしかすぎない北朝鮮によって侮られることはなかった。
イギリスとフランスの経済規模を足すと、ちょうど日本と並ぶが、両国は核武装しており、空母や、核を搭載した原潜を保有している。イギリスも、フランスも平和愛好国だ。
そうだったら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、連日、重武装した海警船によって包囲することもなかったろう。
「平和憲法」が日本の平和を守ってきたはずがない。イギリス、フランスを手本にしたい。
日本は「平和憲法」による専守防衛の制約によって、北朝鮮を攻撃する能力がない。だから、アメリカに縋(すが)るほか、国を守る手段がない。
専守防衛の制約を守れば、敵軍が日本本土に上陸するか、敵のミサイルが国土に飛来するまでは、迎え撃つことができない。
私は40歳の時に福田赳夫内閣の首相特別顧問として、対米折衝に当たった。その時に、防衛庁の要請によって、日本最初の安全保障問題の研究所が設立されて、私が理事長をつとめた。アメリカの研究所と、日米の防衛共同研究を行った。
アメリカの研究所から、戦車の専門家が3人来日したので、陸上自衛隊の富士演習場に案内して、戦後2番目の国産戦車の74式戦車に試乗してもらった。74式戦車は1974(昭和49)年に、制式化されたものだ。
富士演習場に世界で唯一つといわれた、戦車砲のシミュレーターがあった。砲塔の砲手の席に座ると、田園風景が前方のスクリーンに映しだされて、そのなかを敵戦車が光点となって移動する。
光点を狙って引き金を引くと、衝撃とともに模擬(もぎ)砲塔が震動する。私もシミュレーターを体験したが、眼前にひろがる農村風景を見て、一瞬、戦慄を覚えた。
のどかな田園風景に農家が点在し、畑のなかにピップエレキバンの野外広告板がたっていた。
専守防衛は国土を戦場とする。先の大戦末期に、狂信的な軍人たちが「本土決戦」「一億総特攻」を叫んで、日本民族が滅亡するところを、昭和天皇が救って下さった。
昨春、軍事専門誌として人気が高い『丸』3月号が、国産戦車第1号の61式戦車を特集していた。題名が「『本土決戦用戦車』61式戦車誕生ス」というものだった。
現行の日本国憲法は、平和をもたらさない。
悲惨な災いを招くことを、知ってほしい
中東は砂丘に似ている
Date : 2017/12/26 (Tue)
私は11月に、6ヶ月ぶりにワシントンに戻った。
これまでワシントンでサウジアラビアの一般のイメージは専門家を除けば、灼熱の砂漠、棗椰子(なつめやし)と駱駝と、石油マネーの神秘的な国だったが、突然この国に関心が集まっていた。
11月に、32歳のモハメド・ビン・サルマン皇太子が、有力だった王子グループを拘留して国政を掌握した。サウジアラビアでは王族(プリンス)たちのコンセンサスによって、政治が行われてきたから、クーデターである。
逮捕されたプリンスたちは、首都リディアで贅をきわめるリッツ・ホテルから、一般客を追い出して幽閉されたから、この国らしい。
皇太子は2030年までに石油依存から脱却して、近代国家を建設する目標を掲げている。サウジアラビアは中東でもっとも保守的な宗教国家であってきたが、経済改革とともに、女性が目だけをだして全身を衣で覆うことを定め、家族の男性の同伴なしに外出したり、自動車の運転を禁じていたのを、自由にする意向を示している。
これまでイスラムの厳しい戒律によって、映画館や、演劇場が一つもなかったが、許可されることになった。大改革だ。
皇太子の政権奪取は、シリアでIS(イスラム国)が壊滅し、イランが支援するアサド政権が勝ったことによって、強い危機感に駆られたためといわれる。直前に、内戦中の隣国イエメンで、イランが操るフーシ派の反乱軍が、リディアへ向けてミサイルを発射した。
そのために、サルマン皇太子はイランと対抗するために、イスラエルと事実上の同盟関係を結んだ。すでに皇太子は極秘裡に、イスラエルを訪れている。イスラエルは隣国レバノンで、イランが支援する民兵ヒズボラの脅威を蒙っている。
今回の皇太子による実権掌握は、トランプ大統領の承認を受けたものとみられる。トランプ大統領の娘のイバンカが東京を訪れていた時に、夫君のJ・クシュナー氏がリディアを訪れていた。
皇太子の「2030年改革計画」は、アブダビを手本にしているといわれる。 私は性急な改革が成功することはない思う。かつてイランで、パーレビ皇帝が改革を性急に進めたために、革命が起って帝政が倒れた。
『ニューヨーク・タイムズ』紙がサルマン皇太子の実権掌握を、正真の「アラブの春」と称えているが、2011年にチュニジアで民衆が蜂起した時に、アメリカは「アラブの春」と呼んだ。その結果、リビア、シリアが内戦に陥り、エジプトでムバラク政権が倒れた。
私は中東の研究者だが、1980年にレバノンのベイルートを占領していた、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長に招かれて、会ったことがあった。その時に、アラファト議長が「中東は砂丘のように、ある時、様相が一変する」と、語った。
アラビア半島が大混乱に陥った時に、いまアメリカは東アジアと中東の2正面を、同時に守る軍事力を持っていない。
東アジアが留守になった時に、日本は北朝鮮、中国に対抗することができるのだろうか。
刻々と形を変える国際政治 日本は“権威”の呪縛を解けるのか
Date : 2017/12/25 (Mon)
11月に6ヶ月ぶりに、ワシントンへ戻った。
トランプ政権が発足してから、2年目を迎えた。
万事が保守的な日本と違って、とくにアメリカは新陳代謝が激しい社会だ。
トランプ政権のアメリカは、オバマ政権のアメリカから大きく脱皮している。まさに御一新だ。
トランプ政権のアメリカは、自国を普通の国として位置づけて、アメリカが建国以来、特別な使命を授かっているといった、自国をエクセプショナル(地上で特殊)な国として、見立てることがなくなった。
クリントン政権、ブッシュ政権、オバマ政権のアメリカも、ヒラリーの民主党のアメリカも、アメリカが自由、平等、人権など、他国に備わっていないソフト・パワーを持っているといって、驕っていた。
トランプ政権には、このように他国を見降ろす、鼻持ちならない傲慢な態度がない。だから、日本のいうことも聞いてくれる。
私は、トランプのアメリカに、好感がいだける。オバマ政権のもとのワシントンまでは、日本よりも高い位置にたって、どうするべきか教える態度をとってきた。
私の親しい人々だが、いまではマイケル・グリーン氏も、リチャード・アーミテッジ氏も、ジョセフ・ナイ氏も、過去の人だ。ワシントンで、影響力はまったくない。
それなのに、私がワシントンに滞在中に日本最大の経済新聞社が、日本に招いていた。もちろん、古い友人を大切にするのは、賞讃すべきことだ。
キッシンジャー博士が、トランプ大統領のホワイトハウスによって重用されているのは、習近平政権に対して“中国の代理人”として影響力を持っていると、みなしているからだ。
日本ではひとたび権威として、受け容れられてしまうと、よほどの衝撃がないかぎり、その座から降ろされることがない。
日本は和――コンセンサスの国だ。そのために、大多数の人々が自分を独立した存在として意識することがない。
日本では多くの人が、独りの人間として独立していない。そのために、コンセンサスを探りあううちに、コンセンサスが生まれる。
こうして生まれたコンセンサスは、しばしば得体(えたい)が知れないものだが、いったん全員が倚(よ)り掛(かか)るようになると、権威となって、強い拘束力を発揮する。
日本国憲法は、このようなコンセンサスだ。あきらかに世界の現実にそぐわないのに、私たちを70年にわたって、金縛りにしてきた。朝日新聞も、発行部数が激減しているものの、その典型的なものの一つだ。
『日本国憲法』は、アンデルセンの童話のまさに「裸の王様」だ。
王様は素っ裸なのに、多くの日本国民が金襴(きんらん)の衣裳を、纏っていると信じている。滑稽なことだ。
いま、“北朝鮮危機”という子供が、「王様は裸だよ!」と、さかんに声をあげている。
今年は明治150年に当たるが、幕末の志士たちという子供が、明治維新をもたらして、日本の独立を守ったのだった。
国際政治は砂丘のように、刻々と形を変える。
権威という蜃気楼によって、惑わされてはならない
日本の「良識」が今日の北朝鮮という妖怪を生んだ
Date : 2017/12/21 (Thu)
吹けば飛ぶような弱小国の北朝鮮が、日本だけではなく、アメリカも翻弄している。
北朝鮮は人口が僅か2千数百万人、経済が完全に破綻したみすぼらしい国なのに、核弾頭とミサイルの開発を進めてきたために、東アジアの様相を変えようとしている。
私は1977年に韓国に何回も通って、多数の北朝鮮から逃れてきた脱北者(タルプクチャ)をインタビューして、北朝鮮社会の実情をあからさまにした『誰も書かなかった北朝鮮「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版)を著した。
私はこの本によって、北朝鮮研究の草分けとなった。その後、多くの北朝鮮研究者から、この本によって触発されて、北朝鮮に関心を持ったと聞かされた。
金正恩(キムジョンウン)委員長の祖父の金日成(キムイルソン)による「偉大なる首領さま(ウィデハン・スーリヨンニム)」の朝鮮民主主義人民共和国が誕生したのは、1948年9月のことだった。
日本が1945年8月に第2次大戦に敗れると、38度線以北にソ連軍が進駐し、10月にソ連軍の手によってピョンヤン(平壌)において、「金日成将軍(キムイルソンチャングン)帰国歓迎(キグクファンヨン)平壌市群衆大会(ダンジュンデフェ)」が催され、ソ連軍少佐の軍服を着た30代はじめの壇上に立つ男性が、「金日成(キムイルソン)将軍(チャングン)」として紹介された。
「金日成将軍」(金一成(キムイルソン)、金一星(キムイルソン)としても知られた)は1930年代に、満州国で住民を悩ましていた匪賊団(ひぞくだん)の頭目であり、一部の朝鮮人のあいだで「抗日ゲリラ」として人気を博していたが、30年代なかばに当時の日本語新聞に、日本軍によって討伐されたという記事が載っている。
この平壌大会に参加した朝鮮人の1人は、金日成将軍といえばもっと年長であるはずだから、壇上の青年が“偽者(カッチャインムル)”だと直感したと、私に語っている。
日本が1932年に満州国を建国する前の満州は無法地帯で、匪賊が跋扈(ばっこ)していた。
「金日成」を名乗った男は、本名を「金成柱(キムソンジュ)」といって、満州で跳梁(ちょうりょう)していた匪賊を働いていた盗賊だったが、日本軍の討伐に耐えられずに、ソ連領シベリアへ逃げ込んだ。ソ連は対日戦に備えて、これらの朝鮮人を日本軍の背後を撹乱する遊撃大隊として組織して、金成柱を隊長として起用した。
ソ連は日本統治下の朝鮮にいた朝鮮人を信用しなかったので、金成柱を傀儡(かいらい)として選んだ。金成柱が平壌大会に登場した時には33歳だった。
金日成の死後「聖なる血筋(コウルクチョルトン)」を継いで、2代目の独裁者となった金正日(キムジョンイル)は、朝満国境にある白頭山(ペクトウサン)にあったゲリラ基地で誕生したとされるが、シベリアの粗末なソ連軍兵舎で賄い婦で、金成柱の妻だった金正淑(キムジョンスク)を母として生まれている。
金日成は匪賊出身だったから無教養で、首相に就任するまで、接収した日本人の邸宅に住んでいたが、日本人女中として働き、後に越南して、帰国することができた林和子氏によると、ボール紙で尻を拭いたために、よく水洗便所がつまったと回想している。
朝鮮民主主義人民共和国が発足すると、金日成こと金成柱は首相に就任し、ライバルをつぎつぎと処刑、あるいは暗殺して、独裁体制を確立すると、自分に対する個人崇拝を全国民に行わせて、「唯一思想(ユイルササン)」と「主体思想(チュチェササン)」を国家の基盤に据えた。
もっとも「主体思想」というものの、「主体(チュチェ)」も何もあったものではない。ソ連が崩壊するまでは、ソ連とソ連の衛星国の東ヨーロッパ諸国の経済援助に頼っていたし、韓国、日本、アメリカなどから、たえず金(かね)や食糧を騙し取ることをたくらみ、ドル札、外国タバコの偽造、覚醒剤の密輸出によって稼いだ。
匪賊の出身であるだけに、この国の対外政策は今日まで、すべてが山賊の発想と手口によって行われてきた。北朝鮮は「匪賊国家」なのだ。
在日朝鮮人のパチンコ屋からの巨額にのぼる送金も、大きな収入源だった。私は「金日成」という名を、「日本ハ金(かね)ニ成ル」と読んでいた。
クリントン政権の時に、金日成首席が死亡し、52歳の金正日総書記があとを継ぐと、アメリカは直前まで北朝鮮で飢饉によって100万人以上が餓死していたので、北朝鮮がほどなく崩壊する可能性が高いと誤って予想した。
ところが、北朝鮮は人口が2000万人台と小さいために、体制が揺らがなかった。
人口が厖大(ぼうだい)な中国で王朝が頻繁に交替したのと違って、朝鮮半島では歴代の王朝が酷い政治を行ってきたが、新羅(紀元前57年~935年)、高麗(918年~1392年)、李氏朝鮮(1392年~1910年)も、人口が少なく統制しやすかったから、それぞれ400年以上も続いた。
北朝鮮では国民一人ひとりを、その出身によって、100以上の「成分(ソンプン)」に細かく分類したうえで、いまでも「人民班分組担当制(インミンパンブンジョクムタンジェ)」と呼ばれるが、全住民を5戸単位にして、それぞれ「熱誠覚員(ヨルソンタンウォン)」によって責任指導させて、徹底的に管理している。
私が先の著書を発表した時には、朝日、読売新聞をはじめとする新聞や、著名人が、北朝鮮を「労働者の天国」とか、「地上の楽園」として賞讃していた。 1977年に、朝日新聞が『北朝鮮みたまま』という連載を行ったが、「抜きん出る主席の力」「開明君主」「建国の経歴に敬意」といった、歯が浮くような見出しが続いていた。
この連載の「こどもは物心つくと金日成主席の故郷、マンギョンデ(万葉台)の模型を前に、いかに主席が幼い日から革命指導者としての資質を発揮したか教えられ、それを自分で説明できる」という記事は、まるで籠池泰典氏の森友学園の幼稚園のようではないか。
1968年に、日本婦人団体連合会会長だった櫛田ふき女史は、「朝鮮民主主義人民共和国創建20周年」の慶祝大会に招かれて、次のように書いている。 「数万の観衆は、ただただ賛嘆の声を放つばかりでした。その夜大劇場でくりひろげられた、うたとおどりから成る大史劇とともに、私たちは日も夜も感激のるつぼの中で心をもやすのでした。(中略)
金日成主席の卓越した指導のもとで、党と政府と人民の1枚岩の団結を、ここでもはっきりと見る思いがしました。そうでなかったら、どうしてこんなすばらしい国を挙げての大祝典を、これほどまでに成功させることができたでしょうか。 “金日成将軍の歌”がどこからともなく聞こえてきます。数千の風船が舞いあがった平壌の空に、夜は5色の花火が巨大な模様をえがきだし、歓喜のどよめきは夜ふけまでつづきました」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)
1974年に、槇枝元文日教組委員長が訪朝して、こう書いている。
「この国は、みんなが労働者であって資本家搾取者がいない。みんながよく働き、生産をあげればあげるほどみんなの財産がふえ、みんなの生活がそれだけ豊かになる。この共産主義経済理論を徹底的に教育し、学習し、自覚的に労働意欲を高めている。またこのことは、労働――生産――生活の体験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない。
全国が学習しよう、全党が学習しよう、全人民が学習しようというスローガンのもとに、毎日2時間(労働時間終了後)、土曜日の午後半日、学習することが制度化されている」(『チュチェの国朝鮮を訪れて』)
1976年に、作家の三好徹氏が北朝鮮に招かれて、「社会主義メルヘンの国」と呼んで、絶賛した。
「主席に会えなかったのは残念ですが、どういう人かということは、おぼろげながらわかりました。キム・イルソンという人は、天が朝鮮の人々のためにこの地上に送ったような人だということです」(『今日の朝鮮』)
1977年に、創価大学の城戸又一教授は金日成主席について、「朝鮮に来て以来、朝に夕に、1日中、寝ても覚めても、といってもいいくらい、『わが偉大なる主席金日成同志』『敬愛する金日成主席』『父なる主席金日成さま』など、主席の名を口にするときは、必ずその前に、何らかのほめことばを付けずにいうことはないほど、人民大衆の尊敬を一身に集めている人である」(『世界』1月号)と書いている。
1976年に、小田実氏が訪朝して、金日成主席と会見したうえで、「『北朝鮮』を『南侵』の準備態勢にある国として見るには、きちがいじみた猜疑心と想像力を必要とするにちがいない」(朝日ジャーナル、1976年)と、書いている。当時、小田氏といえば、日本の青年男女の寵児(ちょうじ)だった。
小田氏は2007年に物故したが、存命されていたら、いま、何といわれることだろうか。私はかねてから北朝鮮が「山賊国家」だと説いてきたが、狂っていたのか、桁外(けたはず)れた想像力に溢れてきたにちがいない。
私は先の櫛田女史の訪朝記を読んで、かつてナチス・ドイツを礼讃した朝日新聞の記事が、二重映しとなった。
「かつ色シャツ制服の『暴風団』は密集長蛇の行列を立てて指揮官の音頭に雷の様な標語を唱和する――。ドイツ国、さめよ! ユダよ、くたばれ! 1928年9月には御大(おんたい)のヒトラーがベルリンの『スポーツバラスト』に姿を現し未曽有の大集会を催して狂欣(きん)しをえつする人民に叫びかける――『ハイル・ヒトラー!』(万歳)」(朝日新聞、昭和7年10月2日、『ナチスは叫ぶ』) 戦前、朝日新聞は、ヒトラーのナチス・ドイツを紙面をあげて、礼讃したものだった。
私は土井たか子日本社会党委員長、読売新聞の高木健夫論説委員をはじめ、北朝鮮を手放しで絶賛した多くの発言を、まだ引用することができるが、同じ日本人として恥しいから、ここまでにしたい。
私は1974年に、36歳で日本ペンクラブの理事になった。77年に韓国で反体制詩人の金芝河(キムジハ)氏が、朴正煕(パクチョンヒ)政権を批判する詩集『五賊』を発表したために、投獄される事件が起った。
ペンクラブ理事会で、韓国政府の言論弾圧を非難する決議を行う提案が行われた。私は北朝鮮は表現の自由が完全に圧殺されているから、北朝鮮をあわせて糾弾(きゅうだん)すべきだと反論した。まだ韓国のほうが、自由だった。すると、理事だった三好誠氏が、北朝鮮には「言論弾圧はまったくない」と、嘯(うそぶ)いた。
韓国を非難する決議が行われた。私は阿呆(あほ)らしいので、抗議の記者会見を開いたうえで、クラブから脱退した。 そういえば、作家の豊田有恒氏がWiLL『歴史通』2017年11月号に寄稿した、「朝日新聞が讃えたヒトラーと金日成」のなかで、「この新聞の当時のナチスへの傾斜と北朝鮮報道の類似について初めて言及したのは、加瀬英明さんである。ヒトラーを褒めちぎったのと同様の筆致で、金日成を称えてみせたのである」と、指摘している。
私は日本の「良識」を、まったく信じない。
つい、15年前の2002年まで、NHKをはじめとして、大手のすべてのテレビ局が、北朝鮮に言及する時に、「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と、正式国名をいわなければならなかった。なぜなのか北朝鮮だけを、正式国名で呼ばなければならなかった。
当時、私は北朝鮮をそう呼ばねばならないのは、まるで「寿限無寿限無五劫(ジュゲムジュゲムゴコウ)のすり切れ、パイポパイポパイポのシューリンガン‥‥」のようで、「バカバカしい」と、批判した。
もし正式国名で呼ばなければ、良識に反するのなら、どうしてドイツを「ドイッチェラント」、なぜイギリスを「ブリテン連合王国」、ギリシアを「ヘラス」と呼ばないのかと、からかった。
ドイツも、イギリスも、ギリシアという呼び名も、もとにはない日本語だ。 中国についても、同じことだった。1972年に日中国交正常化が行われた時に、日本中が「日中友好」の大合唱に、酔い痴れていた。いまから振り返ると、日本国民は脳疾患をわずらっていたのだろう。
私は中国は秦の始皇帝のころから、自分が天下を取らねばならないという、中華思想に取り憑かれた文明だから、「『子子孫孫までの友好』のようなタワゴトに惑わされてはならない」と、警鐘を鳴らした。だが、「日中友好」が、その時の「良識」となっていた。
「チョーセンミンシュシュギジンミンキョウワコク」と正式国名を呼ばなければならないという、不思議なきまりは、2002年9月に小泉首相が訪朝して、金正日総書記が日本人を拉致したことを認めたために、国民のあいだで北朝鮮に対する嫌悪感が強まったために、どこかに消えた。
いま、北朝鮮危機によって、日本が存在する東アジアが、アナーキー(無秩序状態)に陥っている。
その最大の原因は、何だろうか。「平和憲法」と呼ばれる、日本国憲法だ。
もし、日本が講和条約によって独立を回復した後に、“マッカーサー憲法”を改めて、日本のGDP(経済規模)の半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を持っていたとしたら、北朝鮮が日本を侮って、日本列島の頭越しにミサイルを試射することがなかっただろう。
イギリスとフランス両国のGDPを合わせて、やっと日本と同じ経済規模となる。
イギリスとフランスはそれぞれ航空母艦と、核を搭載した原潜を保有している。イギリスとフランスは、平和愛好国ではないのか。
そうなれば、中国が強盗のように尖閣諸島と、沖縄を奪おうとすることもなかった。
日本国民がキナ臭いことを嫌うのは、理解できるが、今日でも戦後の日本の平和が日本国憲法によって守られてきたと信じている国民が多い。相手を攻撃する能力を持たないという「専守防衛」が、いまでも「良識」となっている。
だが、もし、戦後、日米安保体制がなかったとしたら、韓国が竹島だけでなく対馬も奪い、中国が南シナ海のように沖縄を、ロシアがウクライナ共和国のクリミア半島のように、北海道を占領していたのではないか。
日本の「良識」が、北朝鮮危機という妖怪を生んだ。 北朝鮮という「匪賊国家」が核兵器を持って、傍若無人に振る舞っている。
戦前であれば、日本軍が討伐しているところだが、この匪賊団は核兵器を手にしている。
日本を守る⑤ 迎撃システムを緊急整備せよ
Date : 2017/12/11 (Mon)
トランプ政権が北朝鮮に先制攻撃を加えることがなければ、来年も高い緊張が続こう。
それとも、北朝鮮は経済制裁によって崩壊するだろうか? この冬、北朝鮮は凶作によって深刻な危機を迎えるといわれる。
だが、自壊しまい。クリントン政権は金日成首席が死亡して、金正日総書記が継ぐと、北朝鮮で飢饉によって100万人以上が餓死していたので、ほどなく崩壊すると判断して、北朝鮮が核開発をしないと約束したために、経済援助を与えた。 ところが、北朝鮮は人口が2000万人台と小さいために、体制が揺らがなかった。
歴史を振り返ると、朝鮮半島では苛酷な政治が行われていたが、人口が大きな中国で王朝が頻繁に交替したのと違って、新羅(紀元前57年~935年)、高麗(918年~1392年)、李氏朝鮮(1392年~1910年)も人口が少なく統制しやすいために、それぞれ400年以上続いた。
このあいだ、日本はどうすべきか。北朝鮮からの脅威は、弾道弾しか考えられない。北朝鮮が航空機を用いて日本を攻撃することはありえない。特殊部隊が上陸してきても、対応できる。
だが、弾道弾は人にたとえれば生真面目で、きめられた道を愚直に進んでくるから、迎撃ミサイルによって撃破できる。
航空機や巡航ミサイルは、右へ左へ高く低く自由自在に飛ぶから、撃破するのが難しい。北朝鮮はハイテクの巡航ミサイルを持っていないし、航空機はすべて旧式だ。
ところが、日本は弾道弾を迎撃するために、海上自衛隊のイージス艦を除けば、北海道から沖縄まで僅か17セットのPAC3しか保有していない。東京をとれば、防衛省の構内に1セット配備されているが、せいぜい半径30キロメートルしか守れない。
米国から陸上配備型イージスや、PAC3などの最新システムを緊急輸入して、弾道弾に対する守りを固めるべきだ。
トランプ大統領が来日した時に、米国製兵器を「押し売りした」といって非難するのは、世迷い言(ごと)だ。国民の生命を軽んじている。有難く買わせていただこう。
日本国憲法の解釈による「専守防衛」は、国民の生命を危険に曝している。北朝鮮を攻撃できる能力を、急いで持つべきだ。自滅的な「専守防衛」にこだわって、悲惨な本土決戦を戦うことを選んではなるまい。
日本を守る④ トランプ アジア歴訪 勝者と敗者
Date : 2017/12/11 (Mon)
トランプ大統領のアジア歴訪の旅のいまのところの勝者は、安倍首相だ。
習近平国家主席が自己採点したとすれば、自分が勝者だったと満足したはずだ。
習主席は中国の最高指導者として、はじめてアメリカの大統領を親しく北京の歴代の皇帝の宮殿だった故宮を、得意気に案内した。
故宮には9000もの部屋がある。習主席は自分がアメリカと対等な中国の全能の皇帝になったことを、印象づけたかったにちがいない。
ところが、商人だったトランプ大統領は、取り引き相手をおだてるのに長けている。習主席に甘言を並べて誉め殺した。
すると、習主席は赤ん坊があやされたように、満面笑顔になって舞い上がって、ふだん尊大に構えているのに、小者であることを露呈した。毛沢東が1972年に訪中したニクソン大統領を引見した時に、目上のように振舞ったのと対照的だった。
習主席はトランプ大統領が北朝鮮に核開発を放棄させるために、「最大限の圧力をかける」ことに賛成しつつも、「対話によるべきだ」と繰り返し、北朝鮮へ石油供給を全面的に停めることに反対した。
中国は北朝鮮を締め殺したくない。アメリカは北朝鮮の脅威があるかぎり、中国の協力を求めねばならないから、脅威がなくなったらアメリカの圧力が中国に向かってこよう。
韓国の文在寅大統領が敗者となった。終始独立国の大統領として威厳をつくろったが、日米韓が北朝鮮に最大限の圧力を加えることに合意したものの、対話を説いて軍事攻撃を加えるのに反対し、足並みを乱した。
文大統領はハノイのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)と、マニラのASEAN(東南アジア諸国連合)サミットでは、韓国語で「トイレに入る前と後では、気分が変わる」というが、中国に擦り寄って蝙蝠(こうもり)外交を行った。韓国民は大昔から「事大主義」といって、強者に媚びる国民性がある。
私と親しいペンタゴン(アメリカ国防省)幹部は、「われわれはムンジェイン(文在寅)の斬首作戦を行いたい」といって、笑った。
トランプ大統領はハノイ、マニラで、「自由で開かれたインド太平洋」を主唱した。安倍首相が5年前から提言してきた、「自由と繁栄の弧」を借りたものだった。
トランプ大統領のアジア歴訪によって、誰もが国際政治家としての安倍首相の存在が一回り大きくなったことを、認めざるをえまい。
日本を守る③ 日本を守ってきたのは“平和憲法”ではない
Date : 2017/12/11 (Mon)
私はこの連載をワシントンで、書いている。
トランプ大統領が12日にわたるアジア歴訪の旅から戻った日に、ワシントンに着いた。
トランプ大統領はアジア戦略についてズブのアマチュアだったから、安倍首相が描いた台本(シナリオ)にそって踊らなければならなかった。トランプ氏が安倍一座の役者となった、といってよかった。
両首脳は赤坂迎賓館の池で、並んで緋鯉に餌をやった。安倍首相が予定を急いで、餌が残った袋を逆さにして池にあけたところ、トランプ大統領も慌てて真似て、袋を逆さにして子供のように従った。
安倍首相はトランプ氏が当選した直後に、トランプタワーに駆けつけて、2人のあいだに“個人的な”友情を結んで以来、国際政治の先輩・後輩のような絆をつくってきた。
安倍首相はトランプ大統領を東京で、かつてなかったほどまで厚遇した。韓国も中国も日本に負けていられなかったから、慌てて日本に倣わねばならなかった。アメリカの大統領がかつてアジア各国で、これほど厚い赤絨毯のうえを歩いたことはなかっただろう。
もっとも日本としては、北朝鮮の脅威が刻々と募るなかで、アメリカに縋りつくほかなかったから、トランプ大統領を最大限に歓待せざるをえなかった。日本は“平和憲法”の専守防衛によって縛られて、北朝鮮と戦う能力をからっきし欠いているから、アメリカに頼るほか生き延びる方法がない。
日本が独立を回復してから、今日まで日本を65年にわたって守ってきたのは、「日米同盟」といわれる日米安保条約であって、日本国憲法ではない。どうして、こんな簡単なことが理解できないのだろうか。
日本国民がきな臭いことを嫌うのは理解できるが、もし安倍内閣が民主党などの反対を押し切って、安保関連法案を成立させていなかったとしたら、「日米同盟」という鎧(よろい)が綻びていたことだろう。
「平和憲法」は「万邦無比」(世界に例がない、日本だけが持っている)のものだ。
先の大戦末期に、狂信的な国粋主義者や高級軍人たちと、朝日新聞が「神州不滅」を唱えて、本土決戦を「一億総特攻」によって戦うことを叫んだが、「平和憲法」も大和魂(やまとだましい)と呼ばれた精神主義と同じものだ。
先の大戦の惨憺(さんたん)たる敗戦に、まだ懲りていないのだ。枝野先生には大戦末期の陸軍将官の軍服が、よく似合うと思う。
日本を守る② 東アジアを“無秩序”にした日本国憲法
Date : 2017/12/08 (Fri)
トランプ大統領の5ヶ国にわたったアジア歴訪は、アジアといっても、北朝鮮危機の行方が、アジアにとって最大の問題であることを、あらためて示した。
トランプ大統領は日本に2泊して、手厚い歓迎を受けた後に、韓国に1泊し、中国に2泊した。
小さなことかもしれないが、韓国と中国の国賓晩餐会で発表された献立(メニュウ)に、注目したい。
ソウルの晩餐会では、不法占拠している竹島(韓国が独島(ドクト)と呼ぶ)のエビを供した。竹島を盗んでいるから盗品だ。
他方、北京の人民大会堂における晩餐会では、中国が不法に7つの人工島を建設、内海にして支配しようとしている南シナ海の魚が供された。
韓国と中国の歴史は、王朝が興っては滅び、政敵の食物に毒を盛って葬ってきた。品位のない国であることを示している。
韓国、中国は油断も隙も、あったものでない。日本だけが真っ当な国なのだ。 北朝鮮危機がいつ爆発するか分らない。日本がある東アジアは、アナーキー(無秩序状態)にある。
枝野幸男氏たちの立憲民主党を支持した、「専守防衛」を信仰している人々は、これまで憲法第九条が日本の平和を守ってきたと信じていよう。
だが、東アジアをこのような無秩序状態にした最大の原因は、何だろうか。
日本国憲法である。もし、日本がサンフランシスコ講和条約によって独立を回復した後に“マッカーサー憲法”を改正して、日本より経済規模が半分しかないイギリスか、フランス程度の軍事力を整えていたとしたら、弱小国にしかすぎない北朝鮮によって侮られることはなかった。
イギリスとフランスの経済規模を足すと、ちょうど日本と並ぶ。両国は核武装しており、それぞれ空母や、核を搭載した原潜を保有している。
そうであったとしたら、北朝鮮が日本列島を試射場として使って、頭越しにミサイルを撃つことはなかった。
中国が隙あらば尖閣諸島を奪おうとして、重武装した海警船によって、連日包囲することもなかったろう。
いったい「平和憲法」が、どのようにして日本の平和を守ってきたのだろうか。イギリス、フランスを手本にしたい。
日本を守る① 北の「核恐喝」に備えを
Date : 2017/12/08 (Fri)
北朝鮮が2ヶ月半振りに「火星(ファソン)15号」と呼ぶ、「米国本土まで届く」という新型の長距離ミサイルを発射した。
ミサイルは金正恩(キムジョンウン)委員長の“お気に入りの試射場”となっている、日本列島わきの日本海へ撃ち込まれた。青森県沖合の日本の排他的経済水域だ。
北朝鮮の中央テレビは「重大ニュース」として、昂奮した口調で「核武装力完成(ヘクムムジャンワンソン)の歴史的大業(ヨクサチョクデオプ)を果した」と、発表した。
私はだからといって、米国が北朝鮮に先制攻撃を加えることはないと、判断している。“火星15号”が大陸間弾道弾であって、北朝鮮が自賛したように、米国全土を射程に収める能力があるのか、核弾頭の小型化に成功したか、判然としない。
私は1週間前までワシントンに滞在して、政権、国防省を囲む人々と意見を交換したが、トランプ大統領が威勢よく北朝鮮を威嚇してきたものの、今回試射したミサイルがかりに米国本土に届くものであるとしても、北朝鮮がよほどの挑発行為を行わないかぎり、米国が当分のところか、今後、北朝鮮に軍事攻撃を加えることはないと思う。
金正恩委員長も一歩間違えば、米国から百倍返しがあるかもしれないから、ミサイルの試射や核実験に慎重にならざるをえない。
韓国人も大昔から不安な環境で生きてきたから、何よりも博打(ばくち)が好きだ。結婚披露宴、法事である祭祀(チェサ)に招かれると、男たちが宴のわきでかならず花札(ファット)に耽っている。金正恩委員長は肝験(きもだめ)しを、楽しんでいよう。
朝鮮半島をめぐって、緊迫した状況がずっと続いてゆき、そのあいだ北朝鮮はミサイルと核弾頭の性能を刻々と向上させよう。
そのあいだに米国で政変が起って、米国が日本を守る意志力を弱めるかもしれない。
あるいは、いま、サウジアラビアの若い実力者の皇太子が性急な改革を強引に進めているが失敗して、イスラム過激勢力によってアラビア半島から中東全域が、大きく混乱した場合、米国の現在の軍事力では、東アジアと中東の2正面を守ることができない。東アジアが留守になる。日本にとって悪夢だ。
北朝鮮はこれまで「日本を海底に葬ってやる」と、威嚇してきた。
もし金正恩委員長が「日本が朝鮮半島を奴隷化した罪を償うために、X兆円の賠償金を払わなければ、核攻撃を加える」といって恐喝してきたら、日本はどうしたらよいのか。
日本人は真剣に考えなければならない。
憲法改正によって日本を洗濯するとき
Date : 2017/12/04 (Mon)
日本は2600年以上にわたる歴史を持っている。この日本の歴史と、僅か70年にしかならない現行憲法と、どちらが大切だろうか。それも、現憲法は外国であるアメリカが占領下にあった日本に、強要したものだ。
10月の総選挙の投票日は日本列島を、超大型といわれる台風が襲った。今年は明治元年から、150年目に当たる。
私は地面を洗うように大雨が降るのを見て、幕末の志士の坂本龍馬が姉の乙女に宛てて、「この国を洗濯致し度候」と、手紙書に書いたのを思い出して、天が安倍政権を大勝させて、憲法を改正することによって、日本を洗濯することになるのだと思った。
国会において改憲派の議席が議憲派を、大きく上回った。戦後はじめて憲法を改めて、長いトンネルを抜け出す出発点に立った。
選挙戦中に「北朝鮮の脅威」をはっきりと訴えたのは、自民党と「日本のこころ」だけだった。自民党すら憲法改正を公約としたものの、争点として打ち出すことを躊躇した。
枝野幸男氏たちが立ち上げた立憲民主党が躍進して、野党第一党となった。東京の比例区では、自民党が180万票獲得したのに対して、立憲民主党に140万票が投じられた。
マスコミが立憲民主党の躍進を「判官(ほうがん)贔屓」と、解説した。日本人は源義経を主人公とした浄瑠璃や、歌舞伎などの判官物を好んできた。だが、枝野氏たちは義経の直向(ひたむ)きな生きかたと、まったく違った。希望の党に雪崩れ込んだものの、「排除」されたために、慌てふためいて新党をつくった。
私は枝野氏たちと信条を異にするが、民主党を離れてすぐに立憲民主党を立ち上げていたなら、それなりの敬意を払っただろう。
立憲民主党は選挙戦中北朝鮮危機に目を閉じて、ひたすら“平和”憲法を守り、安保関連法に断乎反対して、自衛隊が「専守防衛」に徹するべきだと訴えた。
北朝鮮危機を乗り越えるために、アメリカに頼るほかない現実を無視しているが、日本が独力で北朝鮮危機に対応できないのは、「平和憲法」によって自衛隊が、米軍を補助する役割しか演じられないからだ。
安保関連法なしに、日米同盟関係を強化することはできない。安保関連法に反対するのなら、米軍による保護なしに日本を護れる防衛力を整備することを、主張するべきだ。
立憲民主党に投票した人々は、日本が当事者だという認識を欠いて、アメリカに甘えていさえすればよいと、考えている。
それほど、アメリカを信頼してよいものなのか。それでは独立の気概を捨てて、アメリカに魂を売ったようなものだ。 日本に迫っている脅威は、北朝鮮危機だけではない。中国が尖閣諸島を奪って、日本を属国化しようと、虎視眈眈(こしたんたん)と狙っている。
日本は独立の度合を高めなければ、危ふい。
そのためには、独立国としてふさわしい憲法を、一日も早く持たなければならない。
日本国憲法さえあれば、日本の安全を守れると訴えているのでは、先の大戦末期に「日本精神さえあれば、神州不滅だ」と叫んでいた、狂信的な軍人たちと変わらない。
「専守防衛」となると、敵軍が日本に上陸してから、本土決戦を戦わなければならない。
あるいは、枝野氏たちは先の大戦末期に、「一億総特攻」に徹して本土決戦を戦わなかったことを、悔いているのだろうか。
日本を洗濯して、積年の汚れを濯(すす)ぎたい。
破壊されたバーミアン大仏から見えてくるもの
Date : 2017/11/30 (Thu)
爆破された貴重な仏教遺跡
10月に東京においてアフガニスタンで2001年に無惨に破壊された、バーミアンの大仏を再建する方策を検討する国際シンポジウムが開かれた。
私はシンポジウムを取り上げたテレビのニュースを見ながら、西洋のキリスト教の歴史と、今日のイスラム教に思いを巡らせた。
バーミアンはアフガニスタン中央部の盆地にあって、南北交易路の要衝だったことから、9世紀まで仏教王国として栄えた。
山腹に刻まれた巨大な2軀の大仏立像があったが、イスラム過激派のタリバン政権によって爆破された。
2体とも、世界的に貴重な仏教美術遺産だった。東西2軀のうち西側の大仏は、高さが55メートルもあった。
私はタリバンが爆破した瞬間を撮影した映像が、テレビで放映された時も、ヨーロッパの歴史を思った。
シリアではイスラム国(IS)によって、3世紀に遡るローマ時代の多神教の壮麗なパルミュラ遺跡が、イスラム教を冒涜するものとして、破壊されたことはよく知られる。
私たちは眉を顰めるが、これらの遺跡を破壊するのに当たって、タリバン政権も、イスラム国も神の意志を代って行っていると、固く信じていたはずである。
イスラム教の2大宗派による抗争
今日、中東と北アフリカでは、イスラム教の2大宗派であるスンニー派と、シーア派が、アフガニスタン、イラク、シリアから、リビアまで血を血で洗う凄惨な抗争を繰りひろげている。まったく終わりが見えない。
10月に、クルド族によるシリア民主軍が、イスラム国の“首都”だったラッカを制圧したが、ISが解体したとしても、今後、シリアに平和が甦ることはないだろう。
宗教戦争が進んでいるのだから、アラビア半島まで混乱が波及して、サウジアラビアをはじめとする、湾岸産油諸国を呑み込む可能性もあろう。
私たちはイスラム教が寛容をまったく欠いており、暴力を手段とする“変種”の宗教であると、奇異の眼をもってとらえがちだ。しかし、イスラム教はユダヤ・キリスト教を母胎として生まれたが、キリスト教の再来であると考えれば、“変種”ではけつしてない。
大英博物館を訪れて
ローマ帝国によって迫害されていたキリスト教が、ローマ帝国の国教として採用されたのは、後に大帝と呼ばれたコンスタンティヌス1世が、312年にキリスト教徒の助けによって、テレベ河の戦いに勝ったのが切っ掛けとなった。キリスト教化すると、異教となった多神教の神殿や、彫像、列柱が、帝国の全域にわたって破壊された。
キリスト教は偶像崇拝を禁じたから、ギリシアのアテネ、シリアのパルミュラから、エジプトにあった神殿まで、容赦なく破壊された。
私はロンドンの大英博物館で案内してくれた学芸員から、展示された多くのギリシア・ローマ時代の神像や、彫像が大きく破損しているのは、キリスト教徒の手によるものだと、説明をきかされた。
大理石の彫像や、列柱が粉々に砕かれて、キリスト教会を建てるために、モルタルとして使用されたということだった。キリスト教徒は、タリバンや、ISの先駆けだったのだ。
イスラム教は、まだ若い宗教なのだ。キリスト教より600年後に、開祖マホメッドによって生まれた。
今日、イスラム世界に起っていることは、キリスト教が300年前まで行っていたことだと、考えればよい。ヨーロッパでは、カトリック(旧教)教徒とプロテスタント(新教)教徒が、2世紀にわたって宗教戦争を戦うことによって、大量の人命が奪われ、ヨーロッパ全土を荒廃させた。
今日でも、先進国イギリスの北アイルランドにおいて、1990年代にカトリックとプロテスタント住民のあいだで停戦合意が行われたものの、いまだに銃撃戦が発生している。
「宗教」という言葉は明治になって造られた
中東に戻れば、イスラム国が倒されたとしても、イスラム過激主義というイデオロギーが、消滅することはない。いくら激しい空爆や、砲撃を加えたとしても、理想主義(イデオロギー)を破壊することはできない。
このところ、ヨーロッパがイスラムによるテロ事件によって悩まされているが、イスラムがヨーロッパを呑み込もうとしており、まだ始まったばかりのところだと、考えるべきだろう。
イスラム過激主義は、東南アジアにも拡がりつつある。日本に入国する外国人観光客や、人手不足を補うための研修労働者が増えるなかで、不断の警戒を怠ってはならない。
日本は幸いなことに、明治に入るまで宗教と無縁だったために、国内の安寧が保たれた。
「宗教」という言葉は、明治に入ってから新しく造語された、おびただしい数にのぼる明治翻訳語の一つである。それまで日本語のなかには、「宗門」「宗旨」「宗派」という言葉しか、存在しなかった。宗門や宗派は争うことなく、共存――共尊していた。
キリスト教という寛容を欠き、他宗を認めることを拒む信仰が入ってくると、それまでの日本語では表現できなかったので、「宗教」という新語を造らねばならなかった。
福沢諭吉が『西洋事情』のなかで明治訳語について、「西洋の新事物輸入するに」あたり、「恰(あたか)も雪を知らざる印度人に雪の詩を作らしむ用の沙汰なれば(略)新日本の新文字を製造したる其(その)数亦尠(またすく)なからず」と、書いている。「宗教」も、その一つだった。
心を用いる神道は宗教ではない
日本の在来信仰である神道は信仰であるが、宗教ではない。人がまだ文字を持つ前に生まれ、開祖も、経典も、聖書も、言葉を多用した煩雑な教えも存在しない。
宗教では、人が中心になっているのに対して、神道は万物のなかに霊力が宿っていて、自然全般が神々しい存在とされている。
「レリジョン」(宗教)の語源は、ラテン語の「レリギオ」だが、類語の「レリガーレ」は「固く縛る、束縛する」を意味している。神道を宗教とみなすのは、インド人に雪について詩を書かせるようなことだ。
神道という言葉も、新しい。それまで名がなかったが、仏教が儒教とともに伝来した時に、仏教と区別するために生まれた。
宗教は言葉から成り立っている。日本は中国大陸や朝鮮半島と違って、冗舌であったり、言葉によって成り立っている論理を、本能的に嫌った。
日本では太古の昔から言葉が対立を招いて、和を損ねることを知っていたから、「言挙(ことあ)げしない」といって、言葉を多用することを戒めてきた。また「言霊(ことだま)」といって、言葉を用いる時には、よい言葉を発しなければならないと、信じた。
宗教が言葉を使って組み立てられているのに対して、神道は心の信仰である。人は心を分かち合えるが、論理はかならず対立をもたらす。
「指導者」や「独裁者」という言葉も、明治に入るまで日本語に存在しなかった明治翻訳語である。天照大御神は最高神として権威を備えていたが、西洋、中東や、中国、朝鮮の最高神が独裁神であるのと違って、つねに八百万(やおよろず)の神々と合議している。日本には、全能の神という発想がなかった。
神道こそが世界を救う
「根回し」「稟議」という言葉は、ヨーロッパ諸語にも、中国語、韓国語にもなく、日本語にしかない独特なものだ。今日でも、日本には論理によって人々の上に立つ「指導者」や、「独裁者」が存在していない。
自然を尊んで、自然が神々だとする信仰はエコロジーであり、今日の人類にとってもっとも進んだ教えである。
私は神道が、世界を救うと信じている。この和の信仰を国際化して、全世界にひろめたいと願っている。
北朝鮮危機に見えるアジアの覇権を狙う中国の思惑
Date : 2017/11/24 (Fri)
トランプ大統領が来日した。
これから北朝鮮危機が、いったい、どのような進路をたどるのか、分からない。
私はトランプ大統領は、北朝鮮が極端な挑発行動にでないかぎり、北朝鮮に先制攻撃を加えることは、十中八、九ないと思う。
北朝鮮から戦争を始めることは、ありえない。そうなると、これから1年以上現状が高い緊張のもとで、続いてゆくことになる。
このあいだに、北朝鮮は核開発を進め、向う1年か1年半以内に、核弾頭を小型化するのに成功して、日本が核ミサイルの射程内に入ることになる。
そうなると、日本にとって悪夢となる。
北朝鮮は日朝がまだ戦争状態にもないのに、「日本を海底に葬ってやる」と、威嚇している。もし、金正恩委員長が核ミサイルを持ったら、「日本が朝鮮半島を奴隷化した罪を償うために、X兆円の賠償金を払わなければ、核攻撃を加える」といって、恐喝してこよう。
日本は憲法解釈による「専守防衛」政策に縛られて、北朝鮮の目標を攻撃する手段を、何一つもっていない。
いまのところ中国は北朝鮮に核開発を放棄させるために、石油の全面禁油を実施することを含めて、真剣な努力を行っていない。
だが、中国が何よりも恐れているのは、日本が北朝鮮に攻撃を加える能力を獲得して、日本が北朝鮮を無力化するのに当たって、中心的な役割を果たすことだ。日本が中国と並ぶアジアの主要なプレイヤーとして登場することが、あってはならない。
中国は日本が北朝鮮を攻撃する能力を含めて、真剣な防衛力整備を始めたと信じることがあったら、北朝鮮の核開発を真剣になって阻もうとするだろう。中国は北朝鮮の核開発が日本の核武装をもたらすと確信したら、米韓地上軍が南北境界線を越えないかぎり、アメリカが北朝鮮の核施設を爆撃することを、歓迎することになろう。
中国はアジアの羅権を握ろうとしており、アメリカがいずれグアム以北の太平洋から撤退するとみているから、アメリカが主敵ではなく、日本が主敵となっている。
日本が中国と対等な国家となることには、耐えられない。
中国は先の日本の総選挙で、“平和憲法”の遵守と「専守防衛」に徹すべきことを、朝日新聞とともに主張する立憲民主党が、大量集票したことに安堵の溜息をもらしたはずだ。
中国は日本が北朝鮮の核ミサイルの脅威に震えあがって、畏縮することを快感をもって眺めよう。
日本は北朝鮮が核ミサイルを手にするまでは、アメリカの保護のもとに温(ぬ)く温(ぬ)くと生きられる。護憲派は「平和」という呪文を唱えていれば、安寧に暮らせると説く祈祷師の集まりだ。
だが、昔から、「座して食らえば山も空(むな)し」(働かないで暮していれば、山のように豊富な財産もなくなってしまう)というではないか。
トランプ政権は中国を北朝鮮に耐えられない圧力を加えるように嗾(けしか)けてきたが、中国はアメリカに従うふりをしながら、アメリカをあやしてきた。もはや、アメリカは中国を動かせない。
そうなると、日本がカードを握っている。
日本は普通の国並みの軍事力を持つ方向へ、舵を切るべきだ。